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武田勝頼についてPart2

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0001武田勝頼2018/03/16(金) 11:11:04.43ID:c/3fcx89
武田信玄の4男にして後継者の武田勝頼。
彼は有能か、無能か?
意見をお願いします。
0252人間七七四年2018/03/21(水) 11:57:20.79ID:zriZs774
>>251
ただ秀吉が居なかったら信孝はほぼ100%明智光秀に殺されてた。
摂津勢、本願寺、長曾我部、筒井、光秀に囲まれて生き残る術など無い。
次ぐとしてた生き残った信雄かと。
0253人間七七四年2018/03/21(水) 12:03:11.46ID:zriZs774
仮に秀吉が存在しなかったという仮想戦記を作るとすれば
勝家などの北国勢が北近江を占拠、家康が南近江を占拠
明智の居城、坂本はおそらく守り切れないので瀬田と比叡山を防衛ラインにするしかない。
勝家が比叡山を囲み、家康と信雄の連合軍は坂本に殺到するだろうけど果たして光秀がその防衛ラインを
守り切れるかどうかがカギだろうね。2人光秀が存在しなきゃ無理な気がする。
0254人間七七四年2018/03/21(水) 12:29:52.53ID:m1VvOgfQ
信孝が織田家を継げば信雄は黙ってないよなぁ
秀吉にさえ逆らったくらいだから
そもそも織田家での序列は信雄>信孝なわけで
結局秀吉がやったことを柴田がやるだけだよね
0255人間七七四年2018/03/21(水) 12:58:05.67ID:zriZs774
山崎の戦いでは一応名目上の総大将を織田信孝にしてくれたわけで
信孝は秀吉と長秀の二人が自分を担ぎ上げてくれるものだと信じてたら清須会議で裏切られたわけで
びっくり仰天だったろうな。
0256人間七七四年2018/03/21(水) 13:10:29.58ID:dHQ8Z5gU
>>248
蘭丸が信長の寵愛を受けてたとかは後世の逸話で実際には秘書団の1人くらいのポジでしかない
重用されてたのは堀秀政・菅谷長頼・長谷川秀一あたり
0257人間七七四年2018/03/21(水) 13:14:59.49ID:zriZs774
菅谷長頼って素で知らなかった
蘭丸が寵愛されたというより蘭丸の兄弟が全員寵愛されたという方が正しいだろうな。
むしろ兄の長可の方が異常な寵愛を受けてたでしょう。
0258人間七七四年2018/03/21(水) 13:26:34.15ID:DhiE3rIA
>>256
でも蘭丸は本能寺時点で相当に加増されてね?

生きてたら方面軍司令官まかされてたくらいの大物の子息だから、普通の秘書クラスの家臣とはちょっと違うと思うわ
0259人間七七四年2018/03/21(水) 13:29:31.42ID:zriZs774
蘭丸、坊丸、力丸の三兄弟で寵愛されてたでしょう。
それを蘭丸一人にまとめてるけど。
0260人間七七四年2018/03/21(水) 14:00:44.77ID:c/wssiRv
>>255
しょせん名目上で誰も織田信孝のおかげで勝ったと思ってないのが全てだろうね
本来なら本能寺の時点で摂津で2万以上の大軍で四国遠征待ちだった織田信孝と丹羽長秀が
そのまま光秀討ち取るべきだったんだし
それが実際は兵が逃げ出して雲散霧消
秀吉が大返しするまで何もできない体たらく
0261人間七七四年2018/03/21(水) 14:46:23.14ID:dHQ8Z5gU
>>258
蘭丸の加増分は兄貴の長可が川中島に加増もらったあとにもともとの美濃の領地が飛び地になるからそこを管理することになった感じなんで蘭丸個人というより森家に対する加増というほうが近い
蘭丸に補佐役として長可の家臣の各務元正が派遣されてるし
0262人間七七四年2018/03/21(水) 16:31:57.19ID:FZnY1kFa
>>253
秀吉が存在しない世界なら明智が中国筋に回されて無問題な可能性が
本能寺の報に接して卒中で死んだってなら別だが
0263人間七七四年2018/03/21(水) 22:05:02.69ID:LC5J/pm7
>>259
というか森の息子達って寵愛というより贔屓(本来の意味)って
感じしかないかなあ
寵愛でいうなら池田の息子達あたりの方がらしいって感じかな
兄貴は信長の養女嫁にして息子達にこいつを見習えとまで言ってるし
弟は10歳そこらで知行地もらって二人そろって褒められたりね
0264人間七七四年2018/03/21(水) 22:15:02.28ID:0zvIaasZ
武田勝頼の側近に人材いないね。
跡部勝資、長坂光堅、秋山昌成、秋山万可斎、阿倍勝宝。

もう少し大物いなかったのかな?
0265人間七七四年2018/03/21(水) 22:35:09.84ID:4EpkGeAe
元々嫡男じゃないから仕方ない
義信はクーデター起こす寸前まで行ったし
勝頼でさえ警戒の対象だったんだろうな
0266人間七七四年2018/03/21(水) 23:33:20.85ID:zriZs774
武田信玄個人に対する忠義心ではなく
武田家や武田国に対する忠誠や職責感を産みだせなかったものかね。
豊臣家は家康が居たから潰れたけど官僚たちの自分たちの職に対する職責みたいなものは
きちんと醸成できてた。割と適材適所だったかもしれない。
0267人間七七四年2018/03/22(木) 00:27:20.01ID:6ZVdQlvP
真田昌幸はどういう扱いになるんだろ
0268人間七七四年2018/03/22(木) 00:31:05.69ID:BhaLchYZ
秀吉は三法師が幼いことを良いことに信雄、信孝等の織田の権力争いを作り出し
織田の勢いを分散させ蹂躙

家康も秀頼が幼いことを良いことに政略結婚を進め、関ヶ原で反徳川を一掃して
太閤蔵入地も解体したから豊臣は一大名に転落させて蹂躙


当主が若いってだけでどんな体制でも蹂躙されて滅ぶけど
勝頼はちゃんと年相応で家督相続したのにね
0269人間七七四年2018/03/22(木) 00:45:57.28ID:g5df2jdC
>>268
平山氏は、武田一門に年長のしっかりした藩屏がいなかったのが勝頼体制が盤石になれなかった一因と言ってるな。

まあ確かに武田信廉や一条信龍じゃあ荷が重いよね。武田信繁が生きていたら、だよ。
0270人間七七四年2018/03/22(木) 01:13:58.23ID:A3DOOebR
勝頼は御館の乱で景勝の肩を持ったから外交下手だとか滅んだとか言われるけど
自分の妹が景勝の妻の菊姫なんだから仕方ないだろ。
というか景勝に自分の娘を嫁がせた信玄が一番悪い。
0271人間七七四年2018/03/22(木) 01:42:45.08ID:BhaLchYZ
>>269
信玄と四歳しか違わないし
羽柴秀長みたいに兄より先に死ぬかも知れないからなぁ
勝頼をずっと支え続けるのは厳しいだろう
逆に家督相続で上杉みたいに争いが起きる可能性もあるし
0272人間七七四年2018/03/22(木) 01:50:29.23ID:g5df2jdC
>>270
景勝に嫁がせたのは勝頼だよ。
0273人間七七四年2018/03/22(木) 02:09:09.36ID:A3DOOebR
>>272
そ・・そうだったのかスマン
0274人間七七四年2018/03/22(木) 02:41:57.15ID:sG23A7Sk
>>270
御館の乱で上杉に味方した結果同盟強化のために景勝と婚姻関係結んだのに何を言っとるんだ
0275人間七七四年2018/03/22(木) 06:04:50.85ID:ZUsuNvnz
>>244
それでも、死ぬ瞬間まで天下人。
仕組みは大事だな。
次代が幼児で、引き継ぐ事が出来なかったが。
それに比べれば、信玄には次代への権力継承する機会はあったが…信長と手切れする前にやることあっはず、お家が大事なら…
信長・信忠は強制終了されたけど、本能寺時点で、信忠がナンバー2だったからまずまず上手くいっていた。
家康・秀忠は言うまでもない。
0276人間七七四年2018/03/22(木) 06:59:15.49ID:Z3aH8aVS
>>275
息子に実権をある程度だけでも渡してしまうのが怖かったんだろ。
親父のように追放される危険性があるから。
息子と路線対立してた過去もあるしな。
自分が完全に御家を掌握してないと不安だったんじゃないの。
0277人間七七四年2018/03/22(木) 08:24:53.00ID:BhaLchYZ
君主「前の君主を追い出した。だから俺もいつ追い出されるかわからんから
   後継者には権力も官位もやらん」


家臣「気に食わない君主なら前みたいにいつでも追い出してやればいい」

後継者「誰もいうこと聞かねえ…」
0278人間七七四年2018/03/22(木) 10:22:18.17ID:A3DOOebR
信玄と謙信は本人のカリスマだけで成り立ってた家だよね。
あくまで「家」であって「国」になってなかった。
0279人間七七四年2018/03/22(木) 10:40:08.76ID:A3DOOebR
信玄の曽祖父も父も遷都してるし、そもそもが茨城県あたりから転々として居城を変えてきた一族なのに
最も領土を広げ、最も多くの侵略戦争をした信玄が一度も遷都してないのは解せない。
そもそもなぜ都市開発をしない?権力を誇示し新武田家をアピールするための新たな都市建設は絶対に必要不可欠な仕事だろ。
蓮如はホームタウンである吉崎御坊から追い出されて石山を中心に淀川などの河川上に
数十もの寺内町を建設し加速度的に経済力と軍事力と諜報力と信者数を増やしていったわけで
何もない河川敷や平原に新しい街を建設するというのは絶対に必要不可欠な仕事だったのにね。
0280人間七七四年2018/03/22(木) 10:46:12.06ID:9epsOblg
信廉は大島城放棄して逃げて最後は捕まって斬首されてるしなぁ
小笠原の裏切りより大島城放棄の方が実は大問題だと思う
0281人間七七四年2018/03/22(木) 11:04:46.33ID:A3DOOebR
甲斐を侵略する際に棒道(軍用道路)をせっせと作っていた信玄だから交通の重要性に気づいてないはずはないんだが。
結局、徳川幕府が甲州街道や中山道などを作り旧信玄領の交通を便利にするまで待たなければならなかった。
今も甲州街道は宿場町がたくさん残っててそこそこ賑やかだもんな。
0282人間七七四年2018/03/22(木) 11:05:31.29ID:A3DOOebR
×甲斐を侵略する
○諏訪を侵略する

だったw
0283人間七七四年2018/03/22(木) 11:07:26.55ID:KERgFdU9
なんで昔の川に橋がかかってないか考えてみろ
0284人間七七四年2018/03/22(木) 11:11:15.84ID:r+82dfIw
治水以外は戦しか考えてなかったイメージ
洪水止めて金山掘って侵略しとけばいいというか
0285人間七七四年2018/03/22(木) 11:11:32.76ID:A3DOOebR
釜無川と富士川は暴れ川だからな。
いくら橋を渡しても毎年流される。
0286人間七七四年2018/03/22(木) 11:44:30.70ID:A3DOOebR
八世紀頃の山梨は割と開けてたのかもしれない
南アルプスの奈良田温泉は早川という小河川でしか当時行けなかったと思われるが
孝謙天皇が8年間も当時してるし。そのやや下流にある法華経の総本山である身延の久遠寺だって
もうありえない僻地だけど巨大寺院があるし富士川の交通が平安・鎌倉時代には凄く盛んだったと思える。
今は見る影もないが。
0287人間七七四年2018/03/22(木) 15:04:55.45ID:iQSnEATc
甲斐の人間って土着性が異様に強かったりなのかね
もしかして甲斐の国内ですら移住や本拠移転を厭う体質だったとか
0288人間七七四年2018/03/22(木) 15:35:02.57ID:mwA4AfAM
>>286
富士川の運用は戦前あたりまで盛んだったよ
富士川で運んで静岡で西に東にと流通させてたんだよ
土木技術向上と共に川が道路に船が車に変わり衰退したけど…
ただ、甲斐の枕詞は黄泉だから開けていたかは正直微妙だなあ
0289人間七七四年2018/03/22(木) 22:42:15.21ID:Dwtov5JX
新府城の築城で財政圧迫したのが武田滅亡の原因の一つなのは間違いないね
新府城築城しなければもうちょっと武田も持ったのかねぇ
同時期に毛利もかなりヤバい状況だけど
四国遠征軍は秀吉の四国攻めとは規模が違い過ぎるし
案外長曾我部に撃破されそうだけど
上杉も越中で劣勢
この状況で織田と同盟できると思ってる勝頼の運命は?
0290人間七七四年2018/03/22(木) 22:44:17.65ID:MO6WHV2c
>>289
親府城も御館の乱も、全部本質ではない。
武田滅亡の本質は長篠での壊滅、それだけ。
0291人間七七四年2018/03/22(木) 23:00:02.96ID:Dwtov5JX
僕の考える本質なんて聞いてないんでw
0292人間七七四年2018/03/22(木) 23:24:56.37ID:A3DOOebR
ありえない仮定ではあるけど仮に設楽ヶ原で勝頼が勝って織田・徳川軍が撤退したとしても
早晩武田家は滅んだ気もする。
0293人間七七四年2018/03/23(金) 00:00:48.16ID:nbXpiqYs
太平洋戦争でめいいっぱい領土を広げた旧日本軍に武田家は本質的に似てる気がする
0294人間七七四年2018/03/23(金) 00:06:14.58ID:bDGleYZx
>>293
鉄血宰相がいなくなった後のドイツの方が近い気がする、信玄死後は。
0295人間七七四年2018/03/23(金) 00:11:21.79ID:z3vdgwzJ
>>289
長宗我部は四国征伐軍が渡海する前にもう降伏してるんでそもそも戦いにならない
0296人間七七四年2018/03/23(金) 00:50:39.02ID:nbXpiqYs
段々と経済的に苦しくなっていったようだけど殖産興業(馬、そば、クルミ、桑、生糸、綿花、菜種油等)や屯田兵や軍票発行とかは考えなかったのかね。
0297人間七七四年2018/03/23(金) 03:11:04.44ID:0REcuYC3
>>296
信玄や勝頼がなろう系主人公だったらやってたかもね
0298人間七七四年2018/03/23(金) 07:12:19.16ID:g8PjeMCK
武田は甲州征伐の頃には度重なる外征で農民への重税を課しており
織田軍が信濃に侵攻した時はそれに呼応して農民一揆が勃発
大島城に押し寄せ逍遙軒は大島城を捨てて逃亡
農民は織田軍を解放軍として熱烈歓迎
なんか戊辰戦争の会津でも見た光景だな
0299人間七七四年2018/03/23(金) 07:31:31.76ID:6TZ9sZC9
長篠以後は戦略価値のない東美濃、高天神は放棄して駿河や信濃の守備を徹底的に固めたらよかったのにな。

なまじ維持しようとしたから軍費がかかった。
それに新しい城づくりに徴兵なら民は切れるよ。
0300人間七七四年2018/03/23(金) 08:16:58.63ID:nbXpiqYs
>>299
ハドリアヌスさんだったらそうしてたな。
どのラインで防衛線を引いたら防衛効率が良くなるか負担が軽くなるか
という視点が勝頼には無かったな。
0301人間七七四年2018/03/23(金) 09:19:23.29ID:Vd/iFgiC
信長包囲網作らずに強大な織田に加え、徳川も連合でいるのに武田単独で決戦 ← え?

攻め手は地の利が無く、防衛側より兵力が圧倒的に劣る場合は退却するのが普通なのに決戦する ← あり得ねぇ〜

ただでさえ敵より兵力が劣るのに城を包囲する軍と決戦部隊とに分けて戦力分散して決戦 ← アホやろw

戦力で劣るのにわざわざ敵陣の奥深くに進軍し、陣城に突撃 ← 馬鹿すぎるw


これでハドリアヌスとかの名を出して比べるのは失礼だろ
0302人間七七四年2018/03/23(金) 09:54:33.41ID:6TZ9sZC9
>>301
全くおっしゃる通り。
勝頼は馬謖か趙括ですかね。
0303人間七七四年2018/03/23(金) 10:07:44.25ID:K8p2ub03
乃至政彦の説で、上杉と武田は軍の編成では先進的だったというのがあるね
それで徳川をボコボコにしたから、奢りがあった、なんてのはどうだろ
0304人間七七四年2018/03/23(金) 10:16:17.74ID:6TZ9sZC9
>>303
先進的?
にしては信長、家康にやられてますよねこの両家は。

まあ奢りはあったのかなあ。三方ヶ原で大勝していたから。
0305人間七七四年2018/03/23(金) 11:03:20.40ID:v881YE+5
>>292
両軍の被害状況にもよるけど武田が勝ったのなら情勢的に徳川は瀕死だろう
川中島も被害甚大だが勝った(居座れた)武田が北信を確保したわけだし
0306人間七七四年2018/03/23(金) 11:06:07.92ID:nbXpiqYs
>>305
徳川は死んでいいんだよ。
信長にとってはそれすら想定の範囲内。
太平洋戦争におけるフィリピンやパプアニューギニアの役目が家康だから。
0307人間七七四年2018/03/23(金) 11:10:50.47ID:xJ01mu+f
勝頼の長篠出兵は木曽討伐と一緒だからなぁ
既に裏切りが続発してて抑制しないと加速する状態

長篠の敗戦はきっかけに過ぎなくて信玄死亡したあたりから旗色は悪化していってたので、ここで勝っても逆転は難しいでしょう
0308人間七七四年2018/03/23(金) 11:26:31.33ID:nbXpiqYs
次々と勝頼に対して裏切りの連鎖が止まらなかったのは
信玄が陣代にして家督を譲らなかったせいだとか
諏訪の跡取りで武田の跡取りとみなされなかったとか
若輩で家臣や一門衆に舐められてたからとか色んな説があるけど
ただ単に人格的に勝頼に魅力が無かっただけだろうと思うよ。
この人に頼れば大丈夫と思わせる安心感とか与えられるタイプの人じゃ無かったと思われる。
0309人間七七四年2018/03/23(金) 11:28:40.66ID:Vd/iFgiC
長篠は後詰めが到着した時点で万に一つも勝機は存在しないから
武田が勝ったなどと有り得ない事を考えるだけ無駄
撤退以外の選択肢は無かった
0310人間七七四年2018/03/23(金) 11:30:50.59ID:z3vdgwzJ
>>309
川を渡ってくれなかったらどうしようもなかったって太田牛一が書いてるから敵前渡河せずにそのまま長篠城を包囲しとけばいいんじゃねえの
0311人間七七四年2018/03/23(金) 11:38:36.35ID:/HjjDbsO
中世の武家なんて血筋や血統、染みついた慣習に随分と固執してそうなもんだろうし
人格や人望以前に血胤や出自の問題の方が大きいんじゃないかね
義信が粛清されるまでは概ね諏訪に住んでいて諏訪四郎の扱い
武田家中との交わりも馴染みも薄い

確かに信玄も勝頼が甲府に移ってからは文書の発給等にも携わらせたりなどして
嗣子としての存在感を家中に浸透させようとしたり、官途や御一字を京へ奏請したりも
していたみたいだけど
家臣団からみれば側室の子がいきなり出てきて信玄の嗣子ですって言われても…
みたいな認識や感情が色濃かったんじゃないのかなとも
0312人間七七四年2018/03/23(金) 11:40:22.73ID:nbXpiqYs
>>311
始皇帝とか継体天皇やアウグストゥス帝を全否定やん
0313人間七七四年2018/03/23(金) 11:42:54.73ID:nbXpiqYs
でも最近は諏訪勝頼ではなく高遠勝頼で当時もそう呼ばれていたといのが
定説っぽくなってるけど実際どうだったんだろうな。
たいした違いは無いのかもしれないが。
0314人間七七四年2018/03/23(金) 11:46:10.73ID:Vd/iFgiC
>>310
信長包囲網作って他の大名が同時侵攻してるわけじゃないから
他の救援に行く必要もない上に織田は軍資金もたんまりあり

それに対して勝頼は財政難な上に攻城してるから疲労もどんどん溜まり
織田軍にちょっかい出されて士気が保てるかどうかだな
長篠城は鉄砲撃ちまくって近付けない状態だし
0315人間七七四年2018/03/23(金) 11:49:22.37ID:nbXpiqYs
武田領って地形的には敵を寄せ付けて罠を仕掛けるポイントがいくらでもありそうなのに
一度も生かす事が無かったな。もったいない。
0316人間七七四年2018/03/23(金) 11:56:21.92ID:nbXpiqYs
山という山の頂上に砦を築いて稜線や隠し道で有機的にそれらを繋げば
寡勢で大軍をしのげるんだよな。
それをしてたのが村上であり真田であり木曾だったが武田家は積極的に地形を活用しようとして形跡がない。
0317人間七七四年2018/03/23(金) 12:02:36.59ID:Qr2KGflj
>>305
徳川瀕死?
仮に長篠で負けても、三河北部の山側が無くなるだけ。

岡崎、吉田、浜松とらないと瀕死にはならない。
0318人間七七四年2018/03/23(金) 12:07:57.63ID:nbXpiqYs
信玄は家康殺して浜松城もろとけば良かったのに
あとは跡を継いだ信康を調略して武田家の藩屏にする方がコスパも良かったろうし
0319人間七七四年2018/03/23(金) 12:37:59.65ID:7SZDnP1v
>>316
そういうのは鉄砲の普及とともに廃れたから仕方ない
0320人間七七四年2018/03/23(金) 13:21:24.71ID:nbXpiqYs
>>319
守る側も鉄砲を持てるんやで?
浅間山荘事件を見習えばわずか5名でも数百人の敵を相手に
いくらでも粘る事ができる。
0321人間七七四年2018/03/23(金) 13:28:31.76ID:nbXpiqYs
トーチカと地下壕を多数作って織田の大軍を鉄砲で皆殺しすべきだったな。
むしろ逆にやられたがw
0322人間七七四年2018/03/23(金) 13:32:21.81ID:4q4Ym/Ya
>>305
瀕死にはほど遠いぞ
長篠取っても三河に関してはようやく一割か二割制圧ってとこ。

>>310
川を渡らなければあんな大敗しなかったのにであって
渡らなければ普通に長篠救援されて撤退する羽目になったと思う。

>>316
その国境沿いを固める連中が寝返り敵前逃亡戦わずして降伏だから。
逆に木曽討とうとして木曽に峠を固められ攻めあぐねる始末。
0323人間七七四年2018/03/23(金) 13:34:13.83ID:lPoR+5aK
>>320
真田が砥石城じゃなくて上田城に頼ってるとおり、山城の守備の利点は下がってるのは否定できないかと
0324人間七七四年2018/03/23(金) 13:49:01.76ID:4q4Ym/Ya
>>320
あれは単に人質がいたことと、警察側が銃火器用いず殺さずに逮捕しようとしたのと
説得しようとしたので時間かかっただけじゃ。

突入に切り換えてからはすぐ終わったはず
0325人間七七四年2018/03/23(金) 14:41:26.85ID:Vd/iFgiC
平山城があるから高所利用の鉄砲撃ちはむしろ生きてたでしょ
熊本城なんて敵の侵入部分を低くし、石垣を高く詰んで高所からの射撃できるように作ったんだし
投石は戦国時代通してのメイン武器だから
高所ほど位置エネルギーの関係で射程と破壊力が増すから
高所有利はいつの時代も変わらない
0326人間七七四年2018/03/23(金) 14:46:32.65ID:k2v4K0ro
!そうだあの山に陣をはろう
0327人間七七四年2018/03/23(金) 14:48:43.69ID:oZrvCAiI
武田信玄も勝頼もだけど、なぜ多少の犠牲覚悟してでも旨味のある土地をとらないのかなあ。

勝頼がとった東美濃、高天神、東上野、奥信濃。東上野はまだ旨味はあるが、他どうでもいい石ころに等しくない? 逆に支配と維持コストがかかって仕方なさそう。
0328人間七七四年2018/03/23(金) 14:53:39.02ID:mfk/HdUf
>>325
政治や利便性の問題があるにせよ、それにしても山城は廃れすぎ
高い方が鉄砲が有利って、山城じゃなくて真田丸みたいに高く盛ればいい程度
廃れたのは鉄砲の普及が影響してるとみるのは妥当でしょう
0329人間七七四年2018/03/23(金) 15:07:59.74ID:Vd/iFgiC
>>327
高天神は近くに塩買坂という所があり、当時はそこを関所で止められると
武田は困るから執着したって話があったな
0330人間七七四年2018/03/23(金) 15:13:54.87ID:Vd/iFgiC
>>328
山城は政治的な意味合いもあるけど交通の要所から外れてることがあるし
山城は兵の動員数が少ないことから交通の要所から外れる山城は戦国時代でもスルーされることが多かった
交通の要所にあり、背後を突かれると大打撃になりそうな動員数が多い城だとスルーできないために攻めざるを得なくなり
スルーされそうな近くの山城を解体して交通の要所に城郭のある平城や平山城に木材を再利用して築いただけだよ
0331人間七七四年2018/03/23(金) 15:19:03.37ID:nbXpiqYs
高天神城に対して家康は付け城を6つ築いて兵糧攻めにしたというのが今までの定説だったけど
実は小さい砦を高天神城の周りに十重二十重に築いて蟻の子一匹出ないようにしてたらしいんだよな。
連峰の複数の城に対しては上手くない攻めだが単独峰の城だとそれをやられちゃうんだよな。
守り続けてもいずれ飢え死にしてしまう。
0332人間七七四年2018/03/23(金) 15:21:13.88ID:nbXpiqYs
敵地の中に橋頭保としてポツンと城を一つ持つのは
いつでも応援に駆け付けることができるなら意味があるが
そうじゃなければ単なるアホなんだよな
0333人間七七四年2018/03/23(金) 17:14:14.85ID:BWowdZck
>>317>>322
武田が高天神城落城で死に体になったのと同じ理屈でしょ
ただでさえでも長篠前は武田が攻勢
0334人間七七四年2018/03/23(金) 19:29:02.75ID:RXKDM2WA
織田軍が本当に陣城に籠ったままで武田軍が長篠城強襲して落してしまったら
織田の後詰が3倍の兵力で手を出せずに長篠城見殺しにして
奥平一族は皆殺しになるから徳川はもう三河でも追い込まれるだろうな
完全に高天神と同じ
今後武田に城囲まれれば降伏する豪族が続出だろ
0335人間七七四年2018/03/23(金) 19:58:23.16ID:nbXpiqYs
軍資金とか考えずに戦線伸ばし過ぎだよな
信長も上洛の際にそれで困り堺や寺院から莫大な矢銭を恐喝して乗り切った
武田家にはそういう相手が居ないじゃん。
0336人間七七四年2018/03/23(金) 20:06:49.38ID:Vd/iFgiC
>>334
長篠の戦いの前の明知城も第一次高天神城も信長の後詰めが間に合わずに勝頼に落とされてるぞ
0337人間七七四年2018/03/23(金) 20:40:54.24ID:a6yNsYwn
>>336
明智城も高天神城も裏切りで陥ちた。
信美国境は安定していないし、駿河は武田・徳川の係争地。
奥平氏は武田に帰属の道は無い。
見殺しは威信と信用の低下するので、死戦を覚悟した。
第二次高天神城も徳川への寝がえりは無い。
見殺しにして武田の信望は失墜した。
0338人間七七四年2018/03/23(金) 20:45:05.48ID:nbXpiqYs
家康って初期の頃は戸田康光やら本田正信などに裏切られたけど
段々と家臣に裏切られなくなってきたよね。最後、石川数正に裏切られて一旦天下を獲り損ねたけど
最後は取り返すし。
本来、武田に攻められっぱなしで随分と味方を見殺しにしたわけで豪族たちから総スカンされてしかるべきだが
なぜか見殺しにしても他の豪族は寝返らなかった。
そこが勝頼との最大の違いだと思う。
0339人間七七四年2018/03/23(金) 20:52:36.31ID:Vd/iFgiC
>>337
信長に書状で降伏は許さんって命令があったからでしょ
勝頼も明知城や第一次高天神城で降伏寝返りを許さずにやれば良かっただけじゃね?
0340人間七七四年2018/03/23(金) 21:00:17.48ID:nbXpiqYs
三河武士は忠義に篤いとか裏切らないとか強いとか全部大嘘だよな。
家康の父も祖父も家臣に裏切られて殺されてるし家康自身も裏切られて殺されそうになってる。
また三河武士は松平についたり織田についたり今川についたりで
常に翻弄され忠義に篤いとか強いなんて事は断じてない。
単に成人した家康の部下は裏切らず、強かっただけ。それは三河武士だからではなく
家康の遺徳と言うべし。
0341人間七七四年2018/03/23(金) 21:08:14.62ID:Vd/iFgiC
主君を平気で裏切る時代だから家臣を見捨てた所であんまり関係ないと思うね
実際は高天神城は見殺しが原因じゃなくて織田どころか徳川にさえ蹂躙されるくらい
武田に戦う力が残ってないのが明白になったのが一番の理由だと思う

国人衆は自分の領地を守ることしか考えてないから抗う力がないと分かったら
自分の領地を守るために寝返るのは当たり前のこと
0342人間七七四年2018/03/23(金) 21:08:18.26ID:kslA3Oit
家康じゃなくて織田だろ
0343人間七七四年2018/03/23(金) 21:39:10.19ID:nbXpiqYs
木曾とか穴山とか小山田とか裏切り者で凄い嫌なヤツみたいな印象だが
実は勝頼こそ嫌なヤツだったのかもしれないよ。
小説を読むとハンサムの好青年に描かれてるけどね。
別に木曾だって穴山だって小山田だって本当は裏切りたくて裏切りたくて仕方なかったというより
やむを得ず裏切ったという感じでしょう。勝頼なんかのために命を張ってやるものか馬鹿馬鹿しいと
思わせるものが必ずあったはず。
0344人間七七四年2018/03/23(金) 21:42:12.71ID:z3vdgwzJ
>>341
1つのレスの中で言ってることが矛盾しまくってて吹く
0345人間七七四年2018/03/23(金) 21:46:02.80ID:0x9oS1uG
勝頼の為に死に、勝頼と最期を供にした人達もいるのに、短絡的な見方過ぎるだろう...。
0346人間七七四年2018/03/23(金) 21:47:31.63ID:nbXpiqYs
>>345
依怙贔屓はやはりあったんだと思うよ。
贔屓された人は勝頼のために命を投げうってやるだろそりゃ
0347人間七七四年2018/03/23(金) 21:47:43.16ID:FTf423qV
>>345
少なすぎだわ
0348人間七七四年2018/03/23(金) 21:50:34.91ID:nbXpiqYs
家康は情に厚いとは欠片も思えないけど
部下に対して公平な感じや穏やかに見える演技は素晴らしかったと思えるが
0349人間七七四年2018/03/23(金) 21:52:16.39ID:yAJTh9vy
木曽も穴山も小山田も後で御家取り潰し、逃げる途中で死亡、斬首と悲惨な末路だから叩きやすいんでしょ
重臣レベルじゃないけど保科なんて城捨てて高遠城に仁科と一緒に籠城するも
やっぱやーめたで逃げて箕輪城の内藤昌月(保科弾正の息子)の下に逃げ込んで
織田家に従ってたと思ったら本能寺後は北条の先手になって高遠城奪って、
北条が劣勢になると徳川に寝返るという真田昌幸も真っ青の変節漢
保科が持ち上げられてる理由は秀忠の隠し子を引き受けたからw
0350人間七七四年2018/03/23(金) 21:55:44.66ID:yAJTh9vy
勝頼は新府城で逡巡せずに北条夫人を離縁して北条に戻して(途中で徳川や織田に捕まっても
離縁しておけば北条氏政の妹なんだから保護されるだろうし)さっさと信用できる最後の忠臣と
上杉領に逃げ込むべきだったな
本能寺が起きないとしても上杉の客将として武士らしい死に方はできただろうに
0351人間七七四年2018/03/23(金) 22:00:14.13ID:yAJTh9vy
もし本能寺起きて北信濃で真田と協力して徳川牽制したら
秀吉さんが甲斐一国くれませんかね?
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