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武田勝頼についてPart2

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0001武田勝頼2018/03/16(金) 11:11:04.43ID:c/3fcx89
武田信玄の4男にして後継者の武田勝頼。
彼は有能か、無能か?
意見をお願いします。
0223人間七七四年2018/03/20(火) 19:59:30.92ID:Vh3afGYK
義昭は過小でも過大でもなく正当に評価されてると思うが。
再評価が必要なのは蓮如と氏政と義元だろ。
0224人間七七四年2018/03/20(火) 20:01:20.48ID:JsgvlvKf
>>222
君主に必要なのは外交力と明確な戦略だと
農民出身の秀吉で証明されてるからな

義昭の信長包囲網を構築した手腕に比べたら
明確な戦略に従って戦してなく、外交力もカスな勝頼は君主失格の無能だっただけって話だな
0225人間七七四年2018/03/20(火) 20:08:19.91ID:atrlmbam
義昭の包囲網って結局は達成できてないんだよなあ
義昭自身の構想はともかく、それを現実化する力はなかった
0226人間七七四年2018/03/20(火) 20:13:14.34ID:JsgvlvKf
達成できなかったら全部ダメなら>>223の挙げられた武将なんて全部ダメになるけどな
むしろ自身がろくな戦力を持たないのに信長をあれだけ苦しめた手腕は評価されるべき
0227人間七七四年2018/03/20(火) 20:20:46.06ID:Vh3afGYK
包囲網で実際に苦しめたのは蓮如じゃね?
義昭も一助になったかもしれないという程度で
0228人間七七四年2018/03/20(火) 20:22:15.82ID:Vh3afGYK
信長にどんなに脅迫されたであろうと
朝倉・浅井と信長の和解をさせた時点で義昭は駄目なヤツだ
0229人間七七四年2018/03/20(火) 20:22:59.54ID:w5eUtmlM
信長と敵対する理由のある勢力が義昭に乗っかったというもので
それを義昭の手腕と評価していいものかどうか
結局利害の調整ができずに企画倒れになった点といい
無能とは言わないがあまり高評価も躊躇われるところ
0230人間七七四年2018/03/20(火) 20:29:03.85ID:Vh3afGYK
信長の大義名分を奪うためにもっと義昭は早い段階で大坂なり越前なり越後なり甲斐に亡命しておけば
信長はまるで大義の無い戦いを早い段階で強いられただろうに。
0231人間七七四年2018/03/20(火) 20:33:52.31ID:JsgvlvKf
機を見て対織田で明確な戦略を義昭は持ってたでしょ
信玄が急死しなければなぁ

無能というのは連携や機を何も見ずに単独で無謀な戦をした勝頼
0232人間七七四年2018/03/20(火) 20:44:59.04ID:u0EcCbyu
そもそも義昭に与して京に上ったところで
室町幕府なんて権威も失墜してるし義昭は空気読まないしで
すぐに甲斐に帰ることになりそう
0233人間七七四年2018/03/20(火) 21:07:57.99ID:JsgvlvKf
甲斐には帰らんでしょ
欲の塊だから京には行かずに尾張美濃辺りを完全制圧しようとするはず
0234人間七七四年2018/03/20(火) 21:23:09.50ID:UITM/DmG
なぜ蓮如に突っ込まんのだ。
0235人間七七四年2018/03/20(火) 21:26:39.12ID:1bVFCqQj
死ぬ直前に正反対の行動をとった利家はやっぱり有能だったんじゃないか?
利家と家康の屋敷での対峙はむしろ利家優勢だったのに
0236人間七七四年2018/03/20(火) 21:37:10.90ID:vsglYFNN
>>233
そりゃ尾張美濃まで押さえたら日本一の規模の大名になるんだからやりたいでしょw濃尾はそれだけ肥沃だよ

信長自ら出陣したのは長篠が最後だっけか
平山本を読むと、長篠は練りに練った末の大作戦じゃなくて、家康のSOSに応えて、
信長が手持ちの余裕がありそうな兵力を取り敢えずまとめて応援に行ったら勃発したみたいな感じだね
本願寺が織田軍を引きつけてるから信長の援軍は少ないはず、とか思っちゃったのだろうか
0237人間七七四年2018/03/20(火) 21:48:04.17ID:Z7PLatJu
>>235
そうかね
利長が挙兵すれば毛利も上杉も立ったんだ
家康に勝てたのに
0238人間七七四年2018/03/20(火) 21:54:00.21ID:JsgvlvKf
>>234
確かに良く見ると絶倫さんのほうだなw
0239人間七七四年2018/03/20(火) 22:07:46.59ID:Vh3afGYK
でも大内も毛利も北条も武田も単なるデカイ大名で終わってしまったし何かが足りないんだよな
権力機構を作り出す努力をしないと。秀吉が一番成功したわけだが。
0240人間七七四年2018/03/20(火) 22:15:35.58ID:Vh3afGYK
平清盛や織田信長や源頼朝の凄さはスローガンを掲げ大義名分をはっきりとさせ
権力機構をきちんと築き上げた事だよな。
別に戦争が強かったとか大国を作り上げたとかそういう事ではない。
そういう人は他にいくらでも居る。
0241人間七七四年2018/03/20(火) 23:06:28.29ID:dWvdZtaG
>>239
大内以外地方割拠を目指した奴らばっかじゃん
でかい大名でいることが目的でそれ以上を望んでないんだから何かが足りないくそもないだろ
0242人間七七四年2018/03/21(水) 00:54:51.70ID:puDuxknd
>>236
越前一向一揆攻め天王寺合戦、1577年の紀州攻めもある。

出陣したけど戦ってないだと、82年の武田攻めもだし、本能寺の時も毛利攻めに出陣しようとしてた。
0243人間七七四年2018/03/21(水) 03:22:19.77ID:Y/a51j+z
三方原での織田の中途半端な援軍は、余裕の無さが原因でなく、
武田との正式に手切れ前だったからという見解もあるね。
0244人間七七四年2018/03/21(水) 07:04:19.11ID:/WenwKtx
>>224
秀吉晩年の行状は勝頼以下のカスだけどね。
0245人間七七四年2018/03/21(水) 07:06:32.25ID:/WenwKtx
>>239
秀吉持ち上げすぎ。
自分で作った機構を自分で破壊した馬鹿なんだから。
0246人間七七四年2018/03/21(水) 07:50:21.23ID:dEzIfLKA
>>244
それでも、死ぬ瞬間まで天下人。
仕組みは大事だな。
次代が幼児で、引き継ぐ事が出来なかったが。
それに比べれば、信玄には次代への権力継承する機会はあったが…信長と手切れする前にやることあっはず、お家が大事なら…
信長・信忠は強制終了されたけど、本能寺時点で、信忠がナンバー2だったからまずまず上手くいっていた。
家康・秀忠は言うまでもない。
0247人間七七四年2018/03/21(水) 09:03:18.20ID:hAVLZs3j
まことは、無教養である
0248人間七七四年2018/03/21(水) 11:06:43.58ID:DhiE3rIA
信長は仕組みを作りかけてたけど
細かいことまではまだやれなかった感がある
法律面では特別なことはやってない
もう少し長生きしたら、統治機構を整えてただろうが、秀吉の三成ポジションに座るのは森蘭丸だった可能性が高そうだ
0249人間七七四年2018/03/21(水) 11:33:38.80ID:1SUlQSB0
>>244
信玄死去で勝頼が家督相続 勝頼27歳
秀吉死去で秀頼が家督相続 秀頼5歳

秀頼が勝頼と同じ27歳で家督相続していたら関ヶ原も起きないし
豊臣は滅びなかったと思うけどね
織田も信忠が生きていたら秀吉に蹂躙されなかったろうし
0250人間七七四年2018/03/21(水) 11:47:51.48ID:zriZs774
織田家に秀吉という天才が居なかったらどうなったろうな。
案外、織田家は壊れなかったかもしれない。
0251人間七七四年2018/03/21(水) 11:52:47.87ID:Pk2ZEoBI
勝家には野心なんてないだろうから信孝が織田家を継ぎ、建て直したよね。多分
0252人間七七四年2018/03/21(水) 11:57:20.79ID:zriZs774
>>251
ただ秀吉が居なかったら信孝はほぼ100%明智光秀に殺されてた。
摂津勢、本願寺、長曾我部、筒井、光秀に囲まれて生き残る術など無い。
次ぐとしてた生き残った信雄かと。
0253人間七七四年2018/03/21(水) 12:03:11.46ID:zriZs774
仮に秀吉が存在しなかったという仮想戦記を作るとすれば
勝家などの北国勢が北近江を占拠、家康が南近江を占拠
明智の居城、坂本はおそらく守り切れないので瀬田と比叡山を防衛ラインにするしかない。
勝家が比叡山を囲み、家康と信雄の連合軍は坂本に殺到するだろうけど果たして光秀がその防衛ラインを
守り切れるかどうかがカギだろうね。2人光秀が存在しなきゃ無理な気がする。
0254人間七七四年2018/03/21(水) 12:29:52.53ID:m1VvOgfQ
信孝が織田家を継げば信雄は黙ってないよなぁ
秀吉にさえ逆らったくらいだから
そもそも織田家での序列は信雄>信孝なわけで
結局秀吉がやったことを柴田がやるだけだよね
0255人間七七四年2018/03/21(水) 12:58:05.67ID:zriZs774
山崎の戦いでは一応名目上の総大将を織田信孝にしてくれたわけで
信孝は秀吉と長秀の二人が自分を担ぎ上げてくれるものだと信じてたら清須会議で裏切られたわけで
びっくり仰天だったろうな。
0256人間七七四年2018/03/21(水) 13:10:29.58ID:dHQ8Z5gU
>>248
蘭丸が信長の寵愛を受けてたとかは後世の逸話で実際には秘書団の1人くらいのポジでしかない
重用されてたのは堀秀政・菅谷長頼・長谷川秀一あたり
0257人間七七四年2018/03/21(水) 13:14:59.49ID:zriZs774
菅谷長頼って素で知らなかった
蘭丸が寵愛されたというより蘭丸の兄弟が全員寵愛されたという方が正しいだろうな。
むしろ兄の長可の方が異常な寵愛を受けてたでしょう。
0258人間七七四年2018/03/21(水) 13:26:34.15ID:DhiE3rIA
>>256
でも蘭丸は本能寺時点で相当に加増されてね?

生きてたら方面軍司令官まかされてたくらいの大物の子息だから、普通の秘書クラスの家臣とはちょっと違うと思うわ
0259人間七七四年2018/03/21(水) 13:29:31.42ID:zriZs774
蘭丸、坊丸、力丸の三兄弟で寵愛されてたでしょう。
それを蘭丸一人にまとめてるけど。
0260人間七七四年2018/03/21(水) 14:00:44.77ID:c/wssiRv
>>255
しょせん名目上で誰も織田信孝のおかげで勝ったと思ってないのが全てだろうね
本来なら本能寺の時点で摂津で2万以上の大軍で四国遠征待ちだった織田信孝と丹羽長秀が
そのまま光秀討ち取るべきだったんだし
それが実際は兵が逃げ出して雲散霧消
秀吉が大返しするまで何もできない体たらく
0261人間七七四年2018/03/21(水) 14:46:23.14ID:dHQ8Z5gU
>>258
蘭丸の加増分は兄貴の長可が川中島に加増もらったあとにもともとの美濃の領地が飛び地になるからそこを管理することになった感じなんで蘭丸個人というより森家に対する加増というほうが近い
蘭丸に補佐役として長可の家臣の各務元正が派遣されてるし
0262人間七七四年2018/03/21(水) 16:31:57.19ID:FZnY1kFa
>>253
秀吉が存在しない世界なら明智が中国筋に回されて無問題な可能性が
本能寺の報に接して卒中で死んだってなら別だが
0263人間七七四年2018/03/21(水) 22:05:02.69ID:LC5J/pm7
>>259
というか森の息子達って寵愛というより贔屓(本来の意味)って
感じしかないかなあ
寵愛でいうなら池田の息子達あたりの方がらしいって感じかな
兄貴は信長の養女嫁にして息子達にこいつを見習えとまで言ってるし
弟は10歳そこらで知行地もらって二人そろって褒められたりね
0264人間七七四年2018/03/21(水) 22:15:02.28ID:0zvIaasZ
武田勝頼の側近に人材いないね。
跡部勝資、長坂光堅、秋山昌成、秋山万可斎、阿倍勝宝。

もう少し大物いなかったのかな?
0265人間七七四年2018/03/21(水) 22:35:09.84ID:4EpkGeAe
元々嫡男じゃないから仕方ない
義信はクーデター起こす寸前まで行ったし
勝頼でさえ警戒の対象だったんだろうな
0266人間七七四年2018/03/21(水) 23:33:20.85ID:zriZs774
武田信玄個人に対する忠義心ではなく
武田家や武田国に対する忠誠や職責感を産みだせなかったものかね。
豊臣家は家康が居たから潰れたけど官僚たちの自分たちの職に対する職責みたいなものは
きちんと醸成できてた。割と適材適所だったかもしれない。
0267人間七七四年2018/03/22(木) 00:27:20.01ID:6ZVdQlvP
真田昌幸はどういう扱いになるんだろ
0268人間七七四年2018/03/22(木) 00:31:05.69ID:BhaLchYZ
秀吉は三法師が幼いことを良いことに信雄、信孝等の織田の権力争いを作り出し
織田の勢いを分散させ蹂躙

家康も秀頼が幼いことを良いことに政略結婚を進め、関ヶ原で反徳川を一掃して
太閤蔵入地も解体したから豊臣は一大名に転落させて蹂躙


当主が若いってだけでどんな体制でも蹂躙されて滅ぶけど
勝頼はちゃんと年相応で家督相続したのにね
0269人間七七四年2018/03/22(木) 00:45:57.28ID:g5df2jdC
>>268
平山氏は、武田一門に年長のしっかりした藩屏がいなかったのが勝頼体制が盤石になれなかった一因と言ってるな。

まあ確かに武田信廉や一条信龍じゃあ荷が重いよね。武田信繁が生きていたら、だよ。
0270人間七七四年2018/03/22(木) 01:13:58.23ID:A3DOOebR
勝頼は御館の乱で景勝の肩を持ったから外交下手だとか滅んだとか言われるけど
自分の妹が景勝の妻の菊姫なんだから仕方ないだろ。
というか景勝に自分の娘を嫁がせた信玄が一番悪い。
0271人間七七四年2018/03/22(木) 01:42:45.08ID:BhaLchYZ
>>269
信玄と四歳しか違わないし
羽柴秀長みたいに兄より先に死ぬかも知れないからなぁ
勝頼をずっと支え続けるのは厳しいだろう
逆に家督相続で上杉みたいに争いが起きる可能性もあるし
0272人間七七四年2018/03/22(木) 01:50:29.23ID:g5df2jdC
>>270
景勝に嫁がせたのは勝頼だよ。
0273人間七七四年2018/03/22(木) 02:09:09.36ID:A3DOOebR
>>272
そ・・そうだったのかスマン
0274人間七七四年2018/03/22(木) 02:41:57.15ID:sG23A7Sk
>>270
御館の乱で上杉に味方した結果同盟強化のために景勝と婚姻関係結んだのに何を言っとるんだ
0275人間七七四年2018/03/22(木) 06:04:50.85ID:ZUsuNvnz
>>244
それでも、死ぬ瞬間まで天下人。
仕組みは大事だな。
次代が幼児で、引き継ぐ事が出来なかったが。
それに比べれば、信玄には次代への権力継承する機会はあったが…信長と手切れする前にやることあっはず、お家が大事なら…
信長・信忠は強制終了されたけど、本能寺時点で、信忠がナンバー2だったからまずまず上手くいっていた。
家康・秀忠は言うまでもない。
0276人間七七四年2018/03/22(木) 06:59:15.49ID:Z3aH8aVS
>>275
息子に実権をある程度だけでも渡してしまうのが怖かったんだろ。
親父のように追放される危険性があるから。
息子と路線対立してた過去もあるしな。
自分が完全に御家を掌握してないと不安だったんじゃないの。
0277人間七七四年2018/03/22(木) 08:24:53.00ID:BhaLchYZ
君主「前の君主を追い出した。だから俺もいつ追い出されるかわからんから
   後継者には権力も官位もやらん」


家臣「気に食わない君主なら前みたいにいつでも追い出してやればいい」

後継者「誰もいうこと聞かねえ…」
0278人間七七四年2018/03/22(木) 10:22:18.17ID:A3DOOebR
信玄と謙信は本人のカリスマだけで成り立ってた家だよね。
あくまで「家」であって「国」になってなかった。
0279人間七七四年2018/03/22(木) 10:40:08.76ID:A3DOOebR
信玄の曽祖父も父も遷都してるし、そもそもが茨城県あたりから転々として居城を変えてきた一族なのに
最も領土を広げ、最も多くの侵略戦争をした信玄が一度も遷都してないのは解せない。
そもそもなぜ都市開発をしない?権力を誇示し新武田家をアピールするための新たな都市建設は絶対に必要不可欠な仕事だろ。
蓮如はホームタウンである吉崎御坊から追い出されて石山を中心に淀川などの河川上に
数十もの寺内町を建設し加速度的に経済力と軍事力と諜報力と信者数を増やしていったわけで
何もない河川敷や平原に新しい街を建設するというのは絶対に必要不可欠な仕事だったのにね。
0280人間七七四年2018/03/22(木) 10:46:12.06ID:9epsOblg
信廉は大島城放棄して逃げて最後は捕まって斬首されてるしなぁ
小笠原の裏切りより大島城放棄の方が実は大問題だと思う
0281人間七七四年2018/03/22(木) 11:04:46.33ID:A3DOOebR
甲斐を侵略する際に棒道(軍用道路)をせっせと作っていた信玄だから交通の重要性に気づいてないはずはないんだが。
結局、徳川幕府が甲州街道や中山道などを作り旧信玄領の交通を便利にするまで待たなければならなかった。
今も甲州街道は宿場町がたくさん残っててそこそこ賑やかだもんな。
0282人間七七四年2018/03/22(木) 11:05:31.29ID:A3DOOebR
×甲斐を侵略する
○諏訪を侵略する

だったw
0283人間七七四年2018/03/22(木) 11:07:26.55ID:KERgFdU9
なんで昔の川に橋がかかってないか考えてみろ
0284人間七七四年2018/03/22(木) 11:11:15.84ID:r+82dfIw
治水以外は戦しか考えてなかったイメージ
洪水止めて金山掘って侵略しとけばいいというか
0285人間七七四年2018/03/22(木) 11:11:32.76ID:A3DOOebR
釜無川と富士川は暴れ川だからな。
いくら橋を渡しても毎年流される。
0286人間七七四年2018/03/22(木) 11:44:30.70ID:A3DOOebR
八世紀頃の山梨は割と開けてたのかもしれない
南アルプスの奈良田温泉は早川という小河川でしか当時行けなかったと思われるが
孝謙天皇が8年間も当時してるし。そのやや下流にある法華経の総本山である身延の久遠寺だって
もうありえない僻地だけど巨大寺院があるし富士川の交通が平安・鎌倉時代には凄く盛んだったと思える。
今は見る影もないが。
0287人間七七四年2018/03/22(木) 15:04:55.45ID:iQSnEATc
甲斐の人間って土着性が異様に強かったりなのかね
もしかして甲斐の国内ですら移住や本拠移転を厭う体質だったとか
0288人間七七四年2018/03/22(木) 15:35:02.57ID:mwA4AfAM
>>286
富士川の運用は戦前あたりまで盛んだったよ
富士川で運んで静岡で西に東にと流通させてたんだよ
土木技術向上と共に川が道路に船が車に変わり衰退したけど…
ただ、甲斐の枕詞は黄泉だから開けていたかは正直微妙だなあ
0289人間七七四年2018/03/22(木) 22:42:15.21ID:Dwtov5JX
新府城の築城で財政圧迫したのが武田滅亡の原因の一つなのは間違いないね
新府城築城しなければもうちょっと武田も持ったのかねぇ
同時期に毛利もかなりヤバい状況だけど
四国遠征軍は秀吉の四国攻めとは規模が違い過ぎるし
案外長曾我部に撃破されそうだけど
上杉も越中で劣勢
この状況で織田と同盟できると思ってる勝頼の運命は?
0290人間七七四年2018/03/22(木) 22:44:17.65ID:MO6WHV2c
>>289
親府城も御館の乱も、全部本質ではない。
武田滅亡の本質は長篠での壊滅、それだけ。
0291人間七七四年2018/03/22(木) 23:00:02.96ID:Dwtov5JX
僕の考える本質なんて聞いてないんでw
0292人間七七四年2018/03/22(木) 23:24:56.37ID:A3DOOebR
ありえない仮定ではあるけど仮に設楽ヶ原で勝頼が勝って織田・徳川軍が撤退したとしても
早晩武田家は滅んだ気もする。
0293人間七七四年2018/03/23(金) 00:00:48.16ID:nbXpiqYs
太平洋戦争でめいいっぱい領土を広げた旧日本軍に武田家は本質的に似てる気がする
0294人間七七四年2018/03/23(金) 00:06:14.58ID:bDGleYZx
>>293
鉄血宰相がいなくなった後のドイツの方が近い気がする、信玄死後は。
0295人間七七四年2018/03/23(金) 00:11:21.79ID:z3vdgwzJ
>>289
長宗我部は四国征伐軍が渡海する前にもう降伏してるんでそもそも戦いにならない
0296人間七七四年2018/03/23(金) 00:50:39.02ID:nbXpiqYs
段々と経済的に苦しくなっていったようだけど殖産興業(馬、そば、クルミ、桑、生糸、綿花、菜種油等)や屯田兵や軍票発行とかは考えなかったのかね。
0297人間七七四年2018/03/23(金) 03:11:04.44ID:0REcuYC3
>>296
信玄や勝頼がなろう系主人公だったらやってたかもね
0298人間七七四年2018/03/23(金) 07:12:19.16ID:g8PjeMCK
武田は甲州征伐の頃には度重なる外征で農民への重税を課しており
織田軍が信濃に侵攻した時はそれに呼応して農民一揆が勃発
大島城に押し寄せ逍遙軒は大島城を捨てて逃亡
農民は織田軍を解放軍として熱烈歓迎
なんか戊辰戦争の会津でも見た光景だな
0299人間七七四年2018/03/23(金) 07:31:31.76ID:6TZ9sZC9
長篠以後は戦略価値のない東美濃、高天神は放棄して駿河や信濃の守備を徹底的に固めたらよかったのにな。

なまじ維持しようとしたから軍費がかかった。
それに新しい城づくりに徴兵なら民は切れるよ。
0300人間七七四年2018/03/23(金) 08:16:58.63ID:nbXpiqYs
>>299
ハドリアヌスさんだったらそうしてたな。
どのラインで防衛線を引いたら防衛効率が良くなるか負担が軽くなるか
という視点が勝頼には無かったな。
0301人間七七四年2018/03/23(金) 09:19:23.29ID:Vd/iFgiC
信長包囲網作らずに強大な織田に加え、徳川も連合でいるのに武田単独で決戦 ← え?

攻め手は地の利が無く、防衛側より兵力が圧倒的に劣る場合は退却するのが普通なのに決戦する ← あり得ねぇ〜

ただでさえ敵より兵力が劣るのに城を包囲する軍と決戦部隊とに分けて戦力分散して決戦 ← アホやろw

戦力で劣るのにわざわざ敵陣の奥深くに進軍し、陣城に突撃 ← 馬鹿すぎるw


これでハドリアヌスとかの名を出して比べるのは失礼だろ
0302人間七七四年2018/03/23(金) 09:54:33.41ID:6TZ9sZC9
>>301
全くおっしゃる通り。
勝頼は馬謖か趙括ですかね。
0303人間七七四年2018/03/23(金) 10:07:44.25ID:K8p2ub03
乃至政彦の説で、上杉と武田は軍の編成では先進的だったというのがあるね
それで徳川をボコボコにしたから、奢りがあった、なんてのはどうだろ
0304人間七七四年2018/03/23(金) 10:16:17.74ID:6TZ9sZC9
>>303
先進的?
にしては信長、家康にやられてますよねこの両家は。

まあ奢りはあったのかなあ。三方ヶ原で大勝していたから。
0305人間七七四年2018/03/23(金) 11:03:20.40ID:v881YE+5
>>292
両軍の被害状況にもよるけど武田が勝ったのなら情勢的に徳川は瀕死だろう
川中島も被害甚大だが勝った(居座れた)武田が北信を確保したわけだし
0306人間七七四年2018/03/23(金) 11:06:07.92ID:nbXpiqYs
>>305
徳川は死んでいいんだよ。
信長にとってはそれすら想定の範囲内。
太平洋戦争におけるフィリピンやパプアニューギニアの役目が家康だから。
0307人間七七四年2018/03/23(金) 11:10:50.47ID:xJ01mu+f
勝頼の長篠出兵は木曽討伐と一緒だからなぁ
既に裏切りが続発してて抑制しないと加速する状態

長篠の敗戦はきっかけに過ぎなくて信玄死亡したあたりから旗色は悪化していってたので、ここで勝っても逆転は難しいでしょう
0308人間七七四年2018/03/23(金) 11:26:31.33ID:nbXpiqYs
次々と勝頼に対して裏切りの連鎖が止まらなかったのは
信玄が陣代にして家督を譲らなかったせいだとか
諏訪の跡取りで武田の跡取りとみなされなかったとか
若輩で家臣や一門衆に舐められてたからとか色んな説があるけど
ただ単に人格的に勝頼に魅力が無かっただけだろうと思うよ。
この人に頼れば大丈夫と思わせる安心感とか与えられるタイプの人じゃ無かったと思われる。
0309人間七七四年2018/03/23(金) 11:28:40.66ID:Vd/iFgiC
長篠は後詰めが到着した時点で万に一つも勝機は存在しないから
武田が勝ったなどと有り得ない事を考えるだけ無駄
撤退以外の選択肢は無かった
0310人間七七四年2018/03/23(金) 11:30:50.59ID:z3vdgwzJ
>>309
川を渡ってくれなかったらどうしようもなかったって太田牛一が書いてるから敵前渡河せずにそのまま長篠城を包囲しとけばいいんじゃねえの
0311人間七七四年2018/03/23(金) 11:38:36.35ID:/HjjDbsO
中世の武家なんて血筋や血統、染みついた慣習に随分と固執してそうなもんだろうし
人格や人望以前に血胤や出自の問題の方が大きいんじゃないかね
義信が粛清されるまでは概ね諏訪に住んでいて諏訪四郎の扱い
武田家中との交わりも馴染みも薄い

確かに信玄も勝頼が甲府に移ってからは文書の発給等にも携わらせたりなどして
嗣子としての存在感を家中に浸透させようとしたり、官途や御一字を京へ奏請したりも
していたみたいだけど
家臣団からみれば側室の子がいきなり出てきて信玄の嗣子ですって言われても…
みたいな認識や感情が色濃かったんじゃないのかなとも
0312人間七七四年2018/03/23(金) 11:40:22.73ID:nbXpiqYs
>>311
始皇帝とか継体天皇やアウグストゥス帝を全否定やん
0313人間七七四年2018/03/23(金) 11:42:54.73ID:nbXpiqYs
でも最近は諏訪勝頼ではなく高遠勝頼で当時もそう呼ばれていたといのが
定説っぽくなってるけど実際どうだったんだろうな。
たいした違いは無いのかもしれないが。
0314人間七七四年2018/03/23(金) 11:46:10.73ID:Vd/iFgiC
>>310
信長包囲網作って他の大名が同時侵攻してるわけじゃないから
他の救援に行く必要もない上に織田は軍資金もたんまりあり

それに対して勝頼は財政難な上に攻城してるから疲労もどんどん溜まり
織田軍にちょっかい出されて士気が保てるかどうかだな
長篠城は鉄砲撃ちまくって近付けない状態だし
0315人間七七四年2018/03/23(金) 11:49:22.37ID:nbXpiqYs
武田領って地形的には敵を寄せ付けて罠を仕掛けるポイントがいくらでもありそうなのに
一度も生かす事が無かったな。もったいない。
0316人間七七四年2018/03/23(金) 11:56:21.92ID:nbXpiqYs
山という山の頂上に砦を築いて稜線や隠し道で有機的にそれらを繋げば
寡勢で大軍をしのげるんだよな。
それをしてたのが村上であり真田であり木曾だったが武田家は積極的に地形を活用しようとして形跡がない。
0317人間七七四年2018/03/23(金) 12:02:36.59ID:Qr2KGflj
>>305
徳川瀕死?
仮に長篠で負けても、三河北部の山側が無くなるだけ。

岡崎、吉田、浜松とらないと瀕死にはならない。
0318人間七七四年2018/03/23(金) 12:07:57.63ID:nbXpiqYs
信玄は家康殺して浜松城もろとけば良かったのに
あとは跡を継いだ信康を調略して武田家の藩屏にする方がコスパも良かったろうし
0319人間七七四年2018/03/23(金) 12:37:59.65ID:7SZDnP1v
>>316
そういうのは鉄砲の普及とともに廃れたから仕方ない
0320人間七七四年2018/03/23(金) 13:21:24.71ID:nbXpiqYs
>>319
守る側も鉄砲を持てるんやで?
浅間山荘事件を見習えばわずか5名でも数百人の敵を相手に
いくらでも粘る事ができる。
0321人間七七四年2018/03/23(金) 13:28:31.76ID:nbXpiqYs
トーチカと地下壕を多数作って織田の大軍を鉄砲で皆殺しすべきだったな。
むしろ逆にやられたがw
0322人間七七四年2018/03/23(金) 13:32:21.81ID:4q4Ym/Ya
>>305
瀕死にはほど遠いぞ
長篠取っても三河に関してはようやく一割か二割制圧ってとこ。

>>310
川を渡らなければあんな大敗しなかったのにであって
渡らなければ普通に長篠救援されて撤退する羽目になったと思う。

>>316
その国境沿いを固める連中が寝返り敵前逃亡戦わずして降伏だから。
逆に木曽討とうとして木曽に峠を固められ攻めあぐねる始末。
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