>>506
>手紙以外の根拠があったと考えざるをえない。

まず、普通に考えて信長に対して中国地方への援軍を要請したのが秀吉自身だということがあるよね
現代と違って通信機器もテレビもラジオもないから、双方の連絡手段も戦場への道案内も人力に頼らざるを得ないので、
秀吉からの複数の使者が、案内役や連絡役として、信長のもとへ派遣されていたと考えるのが自然
「川角太閤記」には、秀吉への援軍の先陣を命じられた光秀は、弾薬や糧食などの戦略物資を部隊に先んじて戦場へ
送っているけど、当然これにも秀吉からの案内役がついていたはず
そういった者達が秀吉へ連絡を取っていたんでしょう

また、車も鉄道もない以上2,3時間で戦場へつけるわけでもないんだから、信長の通り道に糧食や宿泊の手配もしていただろうし
ほかにも連絡ルートはいくらでもあるよね、実際