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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12

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0001人間七七四年2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0807人間七七四年2018/03/28(水) 00:30:11.46ID:ioZeAT8I
>>803
東軍が唯一拠れる孤島の伏見を追い出して行き場をなくしておいて酷いな(笑)
なんとか行けるのは高台院の所だけでしょ。逃げたなどと言いがかり。
伏見を追い出された木下侍従を東軍方の大津や関氏の留守城が迎え入れる訳ないよ。
0808人間七七四年2018/03/28(水) 00:45:56.65ID:kOe9JtZN
>>807
家康は居留守に鳥居元忠伏見城を預けている
城を枕に討ち死にせよという命令を受けてるわけではないので
京の異変を報告、東軍としての行動をしなくて我関せずにしてたから改易されたんだよ
何回も言うが
敵前逃亡と言われても仕方ない
0809人間七七四年2018/03/28(水) 01:06:16.89ID:q5a/DxDX
>>808
しかし惨い命令だよね。籠城しても落城は避けられない、でも数日で落城すると西軍に勢いが
着くから出来るだけ持たせろだもん。
鳥居とか徳川譜代で固めたのは、開城派を入れると簡単に落城だからだろうし。
確実に死ぬって命令だから、徳川譜代じゃないと逃亡するよなあ。
0810人間七七四年2018/03/28(水) 01:40:46.90ID:xvMEklvX
ID:dHeKTu0y は酷いな〜 久々にガイジ見た
0811人間七七四年2018/03/28(水) 08:32:42.14ID:2gqzkjO1
伏見城なら兎に角、元忠らを退去させる方法を考えるべきだろ
家康の妻を捕らえて交渉材料にするとか
0812人間七七四年2018/03/28(水) 08:56:03.30ID:ioZeAT8I
>>808
具体的にどこを根拠地に「京の異変を報告、東軍としての行動」なんて出来るのさ?
東軍でございと木下軍がうろうろしてたら西軍に血祭りに挙げられるだろ。
お前がネカフェを根城に街をブラつくようなレベルで発言すんなよ。
単独でも上方で顔も名も知れた木下勝俊が西軍相手に潜める場所なんか有る訳ないだろ。
城を枕に討ち死にせよという命令を受けてるわけではないどころか、
絶望的な切り死にしかない追い込みかけてるじゃん。
敵前逃亡呼ばわりなどとんでもない、高台院の所以外に木下勢の生存ルートなどない。
0813人間七七四年2018/03/28(水) 09:38:06.28ID:kOe9JtZN
>>812
何を言いたいのかわからんが論点は
戦意が低く戦う気が無いから命欲しさに高台院の下に逃げ込んで我関せずをかました木下さん
大坂の陣でも我関せず

そんな奴が>>779のいう通りに急に家康に逆らって西軍として鳥居に対して敵対行為でやる気だして
伏見城内で徳川に対して籠城するとか言ってるのを
お前がいう「理屈が無茶苦茶でしょ。」
史実で実際に戦意が低くてやる気なかったから鳥居に退去させられたのにw

木下さんを催眠光線銃で自分が西軍の勇猛な武将だと思い込むように催眠洗脳したのかとw
0814人間七七四年2018/03/28(水) 12:55:29.38ID:ioZeAT8I
明確に西軍の主力だった大名も減封で済んだ家が様々有るのに、
徳川の申し入れに従い伏見城を退去するという徳川からすれば殊勝な振る舞いにも関わらず、
無造作に改易とは奇妙な話だよな。
実は何か徳川にとって痛いことをやってたんではあるまいか。
0815人間七七四年2018/03/28(水) 15:32:13.16ID:ioZeAT8I
家康許すまじの旗を振ったのは恐らく高台院。石田治部はその意を汲んで動いただけ。
連絡役が木下勝俊。
この方が西軍が膨らんだ理由も木下勝俊改易も納得出来るわ。
0816人間七七四年2018/03/28(水) 15:57:32.38ID:kOe9JtZN
>>814
伏見城の戦いで佐野吉綱は減封処分されてるけどね
大坂城西の丸の留守居として守りだったが、西軍の大坂占拠時に
西の丸の明け渡しを条件に家康側室の阿茶局、お勝の方、お万の方を連れ
側室らを知人に預けて伏見城に入城して鳥居元忠らと共に討ち死にした
戦後に家康は側室の守護という使命を放棄して功名心から勝手な行動をとったとして綱正の行動を評価せず、
綱正の子である吉綱の減封
本人が戦死して徳川譜代だったのもあり減封で留まった
普通に見てナイス判断だったが側室警護を放棄して
功名心で勝手に伏見城に入城したから家康が認めなかった

また、日根野吉明は本戦を通じ一貫して東軍に付いており、特に当人に落ち度はなかったが下記の理由を元に戦後に所領を減らされた上で転封を命じられた。

鳥居に退去させられたが、そもそも木下さんは自身の命欲しさに戦意が低く
やる気がなかったから退去させられたのが原因だから
その落ち度を家康に責められた
0817人間七七四年2018/03/28(水) 16:09:18.15ID:kOe9JtZN
>>815
木下家定は大坂城から離脱して高台院警護をしている
こっちはちゃんと陣を敷いて近付けないようにしたから
家康に認められて本領安堵

高台院が西軍で木下勝俊が連絡役?
歴史にないことを勝手に妄想してるけど頭大丈夫か?
高台院の一番近くにいた高台院警護していた木下家定は中立を保ち所領安堵だぞ?
0818人間七七四年2018/03/28(水) 16:40:22.75ID:kOe9JtZN
言葉が抜けてた>>816で伏見城入りで戦死したのは佐野綱正な
0819人間七七四年2018/03/28(水) 17:15:44.46ID:ioZeAT8I
>>817
そりゃそんな記録残しっこないでしょ。
秀吉の未亡人と昵懇の徳川家康が禅譲的に受け継いだような雰囲気作りで徳川政権を始めた訳だしさ。
徳川家中の佐野家の扱いと西軍につかなかった家康に敵対しなかった木下勝俊の処遇は無関係だ。
0820人間七七四年2018/03/28(水) 17:26:38.77ID:RFSrHx0D
相変わらず妄想を根拠にする
0821人間七七四年2018/03/28(水) 17:40:59.71ID:L+xl10+N
基本的に大名の所領は軍役負担の為に与えられたものだからな
義務を果たさないあるいは果たせる見込みがなければ没収されても仕方ない
0822人間七七四年2018/03/28(水) 17:46:00.66ID:kOe9JtZN
>>815
>家康許すまじの旗を振ったのは恐らく高台院。石田治部はその意を汲んで動いただけ。
>連絡役が木下勝俊。


お前のこんな妄想より歴史に残ってる史料を信じるのは当たり前の話だ
0823人間七七四年2018/03/28(水) 18:25:19.47ID:V0Suy03P
真実スレでやれ。
0824人間七七四年2018/03/28(水) 18:46:16.76ID:CAJ87jST
瀬名や信康を平気で見捨てるどころか進んでポイ捨てした家康サンは他人には無茶ぶりを要求w
0825人間七七四年2018/03/28(水) 19:02:54.61ID:rCbEz5LJ
クーデター未遂で粛清
0826人間七七四年2018/03/28(水) 19:04:51.12ID:a/T+0yH0
>>667
>>670
あえて、釣られるが、
直江がわざわざ土下座をするために家康を挑発をする直江状を家康のみならず諸大名にも
送るわけないだろう。
当時上杉は隣国に伊達、最上がいるから遠方まで攻め込むことはできない。
なので、第一次・第二次の真田ではないが、家康に攻め込ませておいて、そこを叩くしかない。
わざわざ家康だけでなく諸大名にもこの挑発上を送ったのは家康が攻めざるをえないように
するためだ。
家康を来させて土下座なら、領地減らされてもおかしくない。領地を減らされるために、
家康を挑発するようなものだろ。
0827人間七七四年2018/03/28(水) 19:14:43.02ID:IQpwJdCi
利家と対立時に家康についたものも多いから
相当体制づくりがうまかったんだろうね
0828人間七七四年2018/03/28(水) 19:31:05.94ID:CAJ87jST
家康パイセンは謀反なんかじゃなく,うぜえと自分の権力の邪魔や仲違いからでこの件を利用して排除しただけなのにw
0829人間七七四年2018/03/28(水) 19:33:42.65ID:IQpwJdCi
結局正義も大切だけど実力者に従うのも多いね

安倍総理 あ、あああああああああ
0830人間七七四年2018/03/28(水) 21:29:28.81ID:Yg+vE2wR
三成が正義を掲げて毎度のように関白や筆頭大老の命を狙い続けるテロリストだったからね
独善的な正義を打ち破り実力者に安定的な政治をさせようというのは
当時の状況を考えれば当然の流れだよ
0831人間七七四年2018/03/28(水) 21:33:43.66ID:ioZeAT8I
>>830
三成がそんな奴なら秀次旧臣が三成に仕官してるのはおかしいだろ。
わざわざ軍勢で迫り関白を追い詰めたのは福島正則でしょ。
0832人間七七四年2018/03/28(水) 21:38:59.70ID:Yg+vE2wR
わざわざ聚楽第に乗り込んで秀次を謀反人として糾弾したのが三成でしょ
だから秀次と親交があった大名や側近のうち何とか処刑を免れた大名は
みんな東軍について三成への復讐を果たしたわけだし
正義を掲げて豊臣を混乱させ続けた三成を討つのは日本の安定統治には不可欠なことだった
0833人間七七四年2018/03/28(水) 21:39:48.24ID:oyt2OxoL
>>831
秀次旧臣は主に池田輝政の下に集まるか、秀次の残党が集まる三河、
遠江、駿河経由で家康の下に行ったか。
石田のような主君の仇に集まるわけがない。中には一部いたかもしれんが。
0834人間七七四年2018/03/28(水) 23:47:25.11ID:xvMEklvX
いっつも変な奴が湧いて秀次の話し始めるよなw
この流れもう飽きたよ
0835人間七七四年2018/03/28(水) 23:59:39.96ID:CanFh1/p
ほんとそうだよ
さすがに関ヶ原と秀次は無関係すぎるw
0836人間七七四年2018/03/29(木) 08:02:33.19ID:IQbtgHGI
>>830とかな。
0837人間七七四年2018/03/29(木) 09:32:10.65ID:0h76c1cX
まことは、オレ様の知識の粗捜しをしたいだけで質問の的を得ない
だから、この56歳ニートの質問は、矛盾だらけであった
0838人間七七四年2018/03/29(木) 20:18:02.20ID:k87VwudO
>>835
三成が豊臣を乗っ取るために内々の儀を任された利休や関白を継承した秀次を謀殺して
豊臣乗っ取りの最後の総仕上げとして三成が仕掛けたのが関ヶ原だから
無関係とは言えないだろ
0839人間七七四年2018/03/29(木) 20:44:26.90ID:7V7gmSnp
驚くような粘着、そして頭の悪さ
0840人間七七四年2018/03/29(木) 21:01:39.56ID:Bvhw81TL
ガイジ相手にするなよ
0841人間七七四年2018/03/29(木) 21:57:44.12ID:wY4T3Xgt
精神病拗らせすぎだよなw
0842人間七七四年2018/03/29(木) 22:22:13.01ID:cokZiXPs
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。
0843人間七七四年2018/03/29(木) 23:54:07.59ID:L8pkkibz
これは、伏見陥落を早めるのは無理そうだね。さりとて陥落させない訳にもいかず。
多分西軍的には、伏見陥落を持って対徳川の狼煙を上げたかったろうし。
0844人間七七四年2018/03/30(金) 01:54:01.27ID:bF7INWVP
>>841
如何も、家康を美化し過ぎて三成は強引に奸臣にしたいみたいですね。
三成に異常な憎悪を燃やしてるし。
三成をこき下ろすスレでも自作すれば良いのに。
0845人間七七四年2018/03/30(金) 02:24:54.74ID:lLc2uIsQ
未だに島津義久の考えがわからんのだよな。
アイツの真意ってどこにあったんだ?どうすれば義久は兵を送ってたんだろ。
0846人間七七四年2018/03/30(金) 02:51:26.25ID:6ZBtIwS1
>>845
なにがあっても兵は送らないよ
庄内の乱があったし。
さらに仮想敵国の加藤清正が露骨に島津領を狙ってたし。
0847人間七七四年2018/03/30(金) 02:56:44.02ID:MmOFeuVa
>>1
関ヶ原本戦までに伊勢平定が間に合わず
本戦の時には戦線も大垣城を東軍に突破される状況という事だよな

という事は伊勢平定が間に合いそうに無かった時点で
関ヶ原本戦より結構前の段階で
越前-近江-伊賀-大和
まで後退していれば
西軍は東軍と拮抗の状況を作れたかもな
0848人間七七四年2018/03/30(金) 03:19:06.00ID:GeZH43Kt
ははっ!ワロス!
0849人間七七四年2018/03/30(金) 04:02:07.38ID:kyCDqaGe
関ヶ原の一週間前の
大津城の戦いの時点でもう西軍は厳しいけど
その前の時点で
決戦志向じゃなく持久戦的に
どんどん要塞線を作れば膠着状態には持ち込めるだろう
0850人間七七四年2018/03/30(金) 04:08:55.14ID:kyCDqaGe
大津城の戦いの2週間前に
西軍のプランは破綻している

ただ10日間もあれば
急ごしらえの要塞線を作る事は十分可能
0851人間七七四年2018/03/30(金) 04:12:46.88ID:kyCDqaGe
西軍の内応大名や東軍方に行った大名の話にせよ
膠着状態に陥れば
東軍方に鞍替えしにくくなる

別の話をすると
どの時点を基点と考えるかでこのスレの話は色々な話があるな
関ヶ原の何日前を前提で考えるのかという
0852人間七七四年2018/03/30(金) 04:15:09.30ID:kyCDqaGe
さっきの話の続きをすると
このスレでの色々な意見は
人それぞれどの時点を基点や前提にした意見かの違いもあるという事
0853人間七七四年2018/03/30(金) 05:01:37.89ID:AohwcZqa
>>852
関ヶ原戦役として捉えてもらえばよいかと。
関ヶ原本戦に限定しても既に西軍に逆転の目はほとんどないし。
0854人間七七四年2018/03/30(金) 06:44:21.57ID:jLaFv9zR
>>844
むしろ三成が優秀だったとか、そちらのほうが幻想
0855人間七七四年2018/03/30(金) 06:53:15.11ID:N6rYLZic
持久戦策は一見いい方法に思えるんだけど、その場合毛利の動きをどう評価するべきかになるな。
史実では岐阜陥落の発覚後に露骨な日和見を始めているが、この動きを
「岐阜をあっさり突破された事で西軍の力そのものに疑問を感じたから」ととるか
「東軍の近畿侵入が確実になった事で西軍崩壊を予測した」と考えたかで変わってくる。
前者ならまだ事前に毛利らに話を通せば持久戦に切り替えられる可能性があるが後者だった場合、
そもそも近江侵入を食い止める必要があるので、やはり美濃で決戦せざるを得なくなる。
0856人間七七四年2018/03/30(金) 07:04:30.41ID:lLc2uIsQ
岐阜で利を失った時点で岐阜から佐和山まで
撤退して体制を立て直すべきだった。
0857人間七七四年2018/03/30(金) 08:15:56.60ID:kvPru1D7
大垣城は南宮山に毛利勢が来るまで、包囲されていた
逃げたくても逃げれない
0858人間七七四年2018/03/30(金) 08:24:30.37ID:17GNYk+E
まず西軍視点で防御適地は北陸が敦賀、美濃の関ヶ原、伊勢の桑名の3か所。
しかし実際にはそこより先に味方がいるので、越前北ノ庄付近、美濃方面は犬山・岐阜・大垣の
木曽川ライン、伊勢は桑名となっている。

岐阜陥落後に後退するといってもどのラインに後退するのか?
関ヶ原より後方の近江ではまず佐和山付近、その次は瀬田。
佐和山まで後退すると敦賀は南からも攻撃を受けるようになる。
敦賀が落ちると前田まで近江に来るようになるし湖西から瀬田後方に回られる可能性すら出てくる。
伊勢を放棄となるとこの方面の防御適地はわからない。
守備しなければならない地点がいたずらに増えるだけに思える。

そして後退すれば東軍先発隊35000、家康本隊33000、秀忠隊38000、計106000の東軍と相対しなければならなうなる。
(小早川秀秋の8000を足すと114000)

後退したところでメリットはほとんどないように思えるが?
それよりも木曽川渡河迎撃に十分な戦力を美濃に送ったほうが勝算が上がる。
0859人間七七四年2018/03/30(金) 09:25:20.41ID:6ZBtIwS1
そもそも輝元がひでえ
毛利水軍が九鬼と一緒になって太平洋沿岸をもっと荒らしまくれば展開も違ったぞ。
0860人間七七四年2018/03/30(金) 10:05:40.42ID:6ZBtIwS1
岡崎、豊橋、刈谷、浜松、静岡、三島でどんどん海賊潜入させて放火しまくっとけばな
もちろんヒット&アウェーに逃げまくる
小舟に乗って海に出ちゃえば東軍は追えないしやられっぱなし。
広い海岸線を全て警備するのなんて平時でも不可能。
0861人間七七四年2018/03/30(金) 10:42:46.36ID:2LXV+g0L
水軍で徳川軍と戦うって仮想小説も何かあった様な、、、
0862人間七七四年2018/03/30(金) 10:44:51.30ID:kvPru1D7
>>859
実際やったけど、展開が遅れて始めたのが本戦直前
0863人間七七四年2018/03/30(金) 10:55:27.99ID:6ZBtIwS1
伊豆半島を超えて江戸や小田原放火しまくれば良かったのに
0864人間七七四年2018/03/30(金) 13:01:06.45ID:aUUw2OzK
もう完全なテロリストだなw
0865人間七七四年2018/03/30(金) 13:15:57.33ID:75IEJYEG
義のひとらしいよ
0866人間七七四年2018/03/30(金) 13:17:17.96ID:jdGx7l+l
まぁ大した影響は与えられんだろうな
0867人間七七四年2018/03/30(金) 15:08:06.48ID:kvPru1D7
>>863
所詮は沿岸海軍には無理な話
0868人間七七四年2018/03/30(金) 16:48:01.15ID:lMViCXe3
謀反起こしたのに生き残った毛利=貴乃花親方
0869人間七七四年2018/03/30(金) 17:51:09.11ID:+ArQSsUb
海軍って言っても内海で海賊やってるだけだからなあ
0870人間七七四年2018/03/30(金) 18:00:24.01ID:RkTmXovu
毛利水軍に大阪湾以東のノウハウなんて皆無なんだが
0871人間七七四年2018/03/30(金) 18:02:47.72ID:MZvWmV9a
小田原合戦の時に相模湾に来てたような
0872人間七七四年2018/03/30(金) 18:31:50.04ID:+ArQSsUb
そこまでくるのに敵いないし
0873人間七七四年2018/03/30(金) 18:37:24.50ID:MZvWmV9a
伊豆水軍と交戦してるじゃん
0874人間七七四年2018/03/30(金) 19:40:25.61ID:+ArQSsUb
伊豆までくるのになんにもない、とも言える
0875人間七七四年2018/03/30(金) 20:09:23.30ID:ykCzPh0n
三成が小早川の陣に大砲打ってたら逆の展開になったかな?
0876人間七七四年2018/03/30(金) 20:36:57.05ID:osN9nblJ
怒った秀秋が大谷に陣へ攻撃開始
0877人間七七四年2018/03/30(金) 20:44:04.69ID:+ArQSsUb
三成が家康とタッグを組むとか、それぐらいしないとな
0878人間七七四年2018/03/30(金) 21:48:45.15ID:riWfJAHx
三成が前面に出てくれば、三成の復権のために起こされた個人的な戦いという東軍の大義名分にお墨付きを与えてしまう
だからこそ三成は後ろに引いて一切口を出さない空気のような存在になるべき
三成が関ヶ原にいる時点で東軍の大義名分が正しいことになってしまうから勝ち目がない
西軍が勝ちたければ、三成が西軍にいたなんて最後まで気づかないくらい三成の存在を薄める必要がある
0879人間七七四年2018/03/30(金) 22:36:03.83ID:59f99Hva
>>878
三成視点だとそれは困る。むしろ前線にいないと話にならない。
何故なら手柄を立てないと奉行に復帰するのが難しいから。
少なくとも諸将は納得しないだろうね、後方でぬくぬくしてただけの奴が奉行復帰なんて。
それに豊臣政権では一度排除されたら何かしらの(出来れば軍事的な)手柄を立てないと
短期間での政権復帰は無理じゃないかな。具体例としては仙石秀久みたいな。
0880人間七七四年2018/03/30(金) 23:42:27.99ID:8aRKhkAC
>>700
小早川(毛利)秀包は久留米13万石だから、3千〜4千人くらいの動員兵力あるよ。
あと、毛利120万石は毛利本家の石高だから、吉川小早川安国寺は別枠だよ。
0881人間七七四年2018/03/30(金) 23:53:27.55ID:6ZBtIwS1
三成が尾張城を抑えて毛利水軍と連動して動けば西軍が圧勝だったんじゃね?
長期戦になればなるほど補給線が海賊にボロボロにされてる東軍が不利になる。
湖賊の彭越に補給線をボコボコにされてた項羽みたいに。
0882人間七七四年2018/03/31(土) 00:14:04.75ID:x+dOXDVi
>>874
ずらしまくりだなw
0883人間七七四年2018/03/31(土) 00:18:04.61ID:xi4XVbcm
朝鮮征伐で補給線をチョンの海賊に荒らされ苦しまされた三成と輝元なら真っ先に思いつく作戦なのに
なんですぐに実行に移さなかったんだろうか。
ここでも輝元に本気で戦う気があったのか問われる。
0884人間七七四年2018/03/31(土) 00:27:03.29ID:qC/rBWdR
西国のあちこちに色気出してただろ
0885人間七七四年2018/03/31(土) 03:57:26.81ID:BLCgT9qp
>>880
石田三成書状の備口人数準拠なので、その兵数です。
毛利と別表記になってるのが小早川秀包だけなので、安国寺、吉川は毛利に含まれるものとしました。
小早川秀包は1000となっていますが、8月6日以降に本国から増援がきてるならもっと多いかもしれませんが、
何とも言えないところです。
0886人間七七四年2018/03/31(土) 04:15:25.90ID:BLCgT9qp
それと東軍(家康)は水軍対策として、尾張の師崎(知多半島の先端)幡豆崎城(羽豆崎城)に
松平家信、小笠原広勝、小笠原信元、千賀孫兵衛を、
尾張の大野(常滑、大野湊もしくは大野城)に戸田尊次、清水正吉を在番させてる。

伊勢湾制海権は西軍優勢だったろうけど、湊の襲撃や上陸作戦となると微妙な部分はあると思う。
0887人間七七四年2018/03/31(土) 08:23:29.12ID:7VzRRo2g
関ヶ原の戦いの直前でも
伊勢湾沿岸の主要な場所で合戦があるからな
西軍が水軍で尾張三河に攻め込む余裕はあまり無かったし
東軍も確かに水軍対策もしていたな
0888人間七七四年2018/03/31(土) 08:32:04.36ID:lLG2z2BY
当然といえば当然なのだが、福島・田中・池田も水軍を保有しているはずだし
0889人間七七四年2018/03/31(土) 08:36:56.66ID:MuZAw9NN
一応補足しとくと、もし上陸作戦やるなら志摩から渥美半島伝いに吉田か浜松ってとこ。
知多半島は徳川の在番衆がいるけど、渥美半島はいまのとこ確認できない。
0890人間七七四年2018/03/31(土) 18:38:50.08ID:3RUPSpcR
利家が生きてる時に一戦やれば望みはあったんじゃないか?
利家の健康状態がもう少し良ければの話だが
三成憎しで東軍についた諸将も利家だったらつくだろうし
0891人間七七四年2018/03/31(土) 19:04:14.39ID:BvWF/uR4
>>890
利家がいくら家康を譴責したといっても「ち、めんどくせーなー反省してまーす」と言わせただけで
本気で屈服させられるわけもなし
0892人間七七四年2018/03/31(土) 21:40:59.92ID:/nEBsR0k
利家が家康に対して「三成を家康の味方にさせるぞ」と脅せばよかった
三成を自分の側につかせたのは利家が犯した最大の失策だった
0893人間七七四年2018/03/31(土) 21:55:59.06ID:n3XSfRms
>>890
利家は生きている間に家康に屈服してるっつーの。
対立の挙げ句家康のいる伏見に自分から出向いて挨拶してるんだから、これは屈服以外の何物でもない。
0894人間七七四年2018/03/31(土) 22:21:04.46ID:3FbuV3Mj
前田に武功なし
0895人間七七四年2018/04/01(日) 00:26:21.27ID:ZjM364GY
前田利家という男の経歴を見ればわかるはず
豊臣のために西軍の総大将勤めるなんて大それた勝負に出れるような男じゃない
0896人間七七四年2018/04/01(日) 00:54:10.58ID:HEa1rLRG
利家が健康状態問題なければやれた。
しかし死を目前にした病躯の人間にやれってのは無茶だろ。
0897人間七七四年2018/04/01(日) 01:00:14.94ID:ODRvpM/1
逆に三成が小早川の陣に鉄砲打ち込めば小早川は東軍に攻撃を仕掛けたんじゃね。
0898人間七七四年2018/04/01(日) 01:12:03.06ID:sYSeHuN2
問鉄砲はまず創作
0899人間七七四年2018/04/01(日) 01:27:27.37ID:ZjM364GY
>>896
健康状態関係ない
間違いなく勝負になど出ない
前田利家が一番優れてるのはそういう空気を読んで
実力者に自分を一番いい位置で売り込める才能
0900人間七七四年2018/04/01(日) 02:19:56.77ID:PatgKTIy
>>893
その時点では、歩く事も厳しいくらい衰弱してたし、手打ちも仕方無いのでは?
>>895
傾奇者の槍の又左なんだけど?若い頃に茶坊主切って牢人した話とか、その後帰参の為に勝手に
戦場に現れた事、蒲生氏郷死後に蒲生家が取り潰しに成る時に奔走した事。
単純に利害だけで動くのでは無く、情の部分も強い気がするんだけど?
兎も角さ、あの時点で秀頼の傅役頼んだつてのは、乗っ取りたいなら取っても良いよ但し秀頼の身が
建つ様にしてねって意味だと思うし。
激情型の人間には効くと思う。
0901人間七七四年2018/04/01(日) 02:22:39.81ID:ODRvpM/1
>>896
誰が創作したの?
秀秋は眼下に壮絶な殺し合いを目撃しているわけで。
この時の家康は戦の経験十分だよ。
当時、ハタチ前後の秀秋ならそら影響されちゃうでしょ。
三成より、家康の方が怖いってね。
0902人間七七四年2018/04/01(日) 02:49:34.08ID:ayW+Fr1u
尾張という最重要地点をアホの正則に与えた時点で豊臣家は詰んでたよ。
アホは九州に飛ばして尾張丸ごと三成に与えてたらまるで違う様相になってた。
0903人間七七四年2018/04/01(日) 03:20:06.87ID:HEa1rLRG
>>899
俺も前田利家なんて器量は買ってないんだよ。
なんせ戦場から逃げ出した腰抜けだからな。気に入らない。
でも、関ヶ原前の状況見れば別だ。

徳川の数倍の味方が付いて他の三人の大老まで自分を大将に祭り上げてくれたんだ。
この必勝状況なら利家も引かない。利家が引いたのは、徳川を倒し終わる前に
自分の寿命が尽きるの解ってたからだろ。
0904人間七七四年2018/04/01(日) 03:42:02.93ID:ZjM364GY
>>900
その槍の又左だよ
個人武勇や武将のレベルなら優秀だが
大将として戦えるような器じゃない
秀吉からも家康からも付き合い長いしそこをきっちり見抜かれてる
だからこそ秀吉は利家にお願いしたわけで
時勢を読んで絶妙の立場で自分を売り込む能力は間違いなく長けてるが大将として担いでも無駄

>>903
健康状態を理由に引くところまで計算した上での行動だと思うよ
俺は逆に前田利家のそういう状勢読む部分は過小評価されてるように思うよ
存在感だけはしっかり示す政治家としての能力は超一流
0905人間七七四年2018/04/01(日) 07:26:09.27ID:7F3ePVKp
>>902
尾張という最重要地点を守る正則に何の相談もせずに武装蜂起した三成が悪いだろ
勝手な武装蜂起に対しては謀反と扱い鎮圧するのは正則として当然のこと

そもそも三成の勝手な行動に周りが合わせるのが当たり前と考えている奴がおかしい
三成が豊臣家当主ではないのだから勝手な我侭に合わせる義務など誰にもない
秀吉時代は秀吉の威光を振りかざして三成は我侭のし放題だったから
その感覚を引きずって「正則が俺様に服従するのが当然だろ」と三成も考えていたのだろうけど
これについては三成が全面的に悪いとしか言えない
0906人間七七四年2018/04/01(日) 07:33:14.57ID:/kUJeXQK
>>902
三成無能だから
0907人間七七四年2018/04/01(日) 08:01:12.08ID:TO0RVXYX
そもそも前田利家は関ヶ原前後では生き残ってる残ってる数少ない勇者じゃん(´・ω・`)
神輿としては十分やろ

あと前田があそこで徳川に折れないと信玄の末路と同じで悲惨やん
評価されるポイントやぞ?
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。