>>69-70
元々秀吉は家康はそれなりに警戒しており、駿府に中村一氏、掛川に
山内一豊、浜松に堀尾吉晴、吉田(現豊橋)に池田輝政、岡崎に田中吉政を
置いていた。

ところが、これらの人物は全て秀次派の重鎮で共通しており、秀次事件で
全て豊臣家そのものの敵になった。だから、家康の障害物どころか、
安心して通れる道になってしまった。

これらの人物を全て改易し(池田輝政は一族皆殺しにし)、石田三成を
置くよう、石田三成、増田長盛は働きかけたが、秀吉が受け入れなかった
ため、全てがパーになった。
これに関しては、石田三成を置くべきだったと思っている。

岐阜城に関しては、最初から守備として考えられてはいなかった。