トップページsengoku
1002コメント388KB

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0637人間七七四年2018/03/23(金) 00:54:22.72ID:YOLjhvHK
>>636
あー、多分考え方が違うのかな。私個人の考え方としては西軍の手で近畿東部の封鎖をした方がいいと考えてるんですよ。
つまり伊勢と近江が壁であって、美濃はむしろ出先に近い認識なんです。
で、東軍がこっちに来るとなると、東海道か中山道がになりますよね?
そうすると、中山道方面は美濃が前線基地になるけど(致命的に予定が狂ったが)
伊勢は制圧完了とは言えない以上、侵入されると事実上の封鎖失敗になってしまうから
過剰なぐらいに戦力を投入して封鎖を完了させてラインを形成したいって認識なんですよ。
要は近畿が防衛出来ればそれでいいという考えなので、東軍勢の美濃侵入を
それほど深刻に考えていないんです。逆に、伊勢は少数でも致命傷だと考えています。

まあ、だからこそ秀信の軽率な迎撃と籠城失敗、そして西軍の美濃方面での連携ミスは痛いですね。
ただし、私はそもそも西軍が東軍の早期反転を予想していないと考えているので
これをミスというのは酷だと思っています。むしろ家康の統率力をほめるべきでしょう。
0638人間七七四年2018/03/23(金) 01:43:42.01ID:qiMWeU9u
家康に対して前田利家をけしかけた連中がなに言ってんだって話だがな
0639人間七七四年2018/03/23(金) 11:30:46.85ID:s6h+Ria7
話逸れるけど、8月25日付中川秀成宛有吉立行・松井康之連署状

ここに、
富田信高・古田重勝・稲葉道通が、関東から引き返して船七〇艘で着岸して各々の城に入り、
同じく会津討伐に従軍していた伊賀上野城主筒井定次も帰国した。
そのため、(長束は)関地蔵(現、三重県鈴鹿郡関町・木崎町・新庄町)へ退いた、とある。

筒井定次の伊賀帰国の出どころはこの書状っぽいね、信憑性の判断が難しいが、
もし事実なら少なくとも筒井定次本人は木曽川渡河から岐阜城攻城あたりまでは参戦してない可能性が高い。
いくらかの兵を家臣に預けて筒井勢として参戦した可能性はあるが。

たしか家康の東軍先発隊諸将に対する岐阜城攻略の感状みたいなのも、
筒井定次宛は確認されてなかったような気がするが、ちょっと曖昧。
0640人間七七四年2018/03/23(金) 13:59:42.59ID:s6h+Ria7
宇喜多早期美濃投入案をまとめると、
伏見攻略後の8月初頭、もしくは8月中旬の美濃東濃地方東軍方による苗木城攻略時に
宇喜多秀家18000を美濃に投入し、東濃の制圧及び中山道での迎撃準備を整え、
同時に尾張が東軍に付いた場合にも柔軟に対応できる態勢をとる、というもの。

当初東軍先発隊による伊勢の東軍方への救援はデメリットに感じていたけど、
逆に東軍先発隊が伊勢に向かったほうが、西軍としては岐阜城後詰決戦より
東軍先発隊を撃滅するチャンスが大きいように感じる。
理想としては桑名に籠城しての後詰決戦だが、次善としては安濃津でのどちらが後詰になるか
わからない決戦。
伊勢に踏み込んで万が一野戦で負けるようなことがあれば事実上東軍先発隊に退路はない。
退路リスクが高いので東軍先発隊による伊勢救援の可能性は低いと見る。

史実通り木曽川渡河美濃進攻ならば、宇喜多を含めた十分な戦力での渡河迎撃が可能になる。

巻き戻すのが8月初頭もしくは中旬ならば宇喜多早期美濃投入案、
8月22日ならば岐阜城後詰決戦案といったところかな。

宇喜多早期美濃投入案の懸念事項としては、明石掃部の代わりにだれかが桑名、長島方面に行く必要がある。
桑名の氏家兄弟を西軍方に取り込むため。
長束、安国寺、蒔田権之助あたりでそれができるか微妙な部分はある。
早急に長曾我部あたりを桑名に送る必要はあるかもしれない。
0641人間七七四年2018/03/23(金) 19:44:27.82ID:hnY3xCAv
史実だと宇喜多は草津で後詰め待機中で美濃に東軍が来れば美濃に後詰め
長島方面に伊勢桑名の明石勢が攻められたらその救援にと理にかなった配置
動かすとしても他に伊勢桑名を救援できる兵力を捻出しない限り下策かな
0642人間七七四年2018/03/23(金) 23:01:06.34ID:s6h+Ria7
西軍の戦略予備について調べていたら疑問点が出てきた。毛利の兵力について。

石田三成の書状、備口人数に、
四万千五百人 安芸中納言殿 右之内一万人息藤七殿付有之、右三万余は輝元自身召連出馬

とある。息藤七殿とは毛利秀就、
つまり毛利秀就に兵1万、3万余は輝元が連れてきた。

秀元&吉川が12000〜13000、元康が1万、輝元が8500〜9500という計算になる。(大津攻撃時)


んで、秀就はどこにいたんだろう?広島在国なのか大坂の毛利屋敷なのか大坂城か。
北九州や四国に兵出してるとこからして広島っぽいが。
もし大坂に秀就付きで1万もいるなら輝元は出陣できる余裕がありそうだが。

ただし、大坂御留守居の項に、輝元衆1万人とも記載されている。解釈が難しい。
0643人間七七四年2018/03/23(金) 23:08:29.54ID:nbXpiqYs
輝元は大局観が無かったな
0644人間七七四年2018/03/23(金) 23:47:53.63ID:w7qwwa8V
秀就って当時五歳ぐらいだから補佐役の家臣がいたって輝元の名代は無理だろ
誰かしら重みのある人物じゃないと大坂城で何が起こるかわからない
0645人間七七四年2018/03/24(土) 00:08:27.26ID:u4bzKwEy
>>643
大局観を持つって事は、この場合野心を持つって事につながりかねないんだが。
それとも、毛利に天下取りの野心でも持ってほしいのか?
0646人間七七四年2018/03/24(土) 00:36:08.09ID:021kVJot
野心なしで家康に勝てる奴などいないんだろな
0647人間七七四年2018/03/24(土) 00:45:44.73ID:gMRQ+jZZ
まあ、輝元にも野心はあると思うけどね。天下人ではなく、西国覇者の大大名としての、だけど。
だから中央が事実上無力化して大大名が好き勝手に領土を広げられる、戦国後期に
時計の針が戻ってほしかったんじゃないの。関ヶ原の時に結構怪しい動きしてるし。
0648人間七七四年2018/03/24(土) 01:17:44.71ID:Y/MLREow
>>647
輝元は志が低いんだよな
大志というより小志だ。
カジドロで四国や九州をちょっと盗んじゃおうって。
もう情けなくてとうちゃん涙がでてくらあ!
0649人間七七四年2018/03/24(土) 01:30:18.41ID:SHEG2z7U
>>648
まあ、爺さんの天下を狙うなって遺言もあるしなあ。それ守ったって考えればまあ…
親父の『しばらく上方から離れるな』って遺言を無視して帰国したせいで酷い目にあった
前田利長って例もあるし、遺言をむやみに無視すればいいってものでもないからな。
0650人間七七四年2018/03/24(土) 02:38:38.17ID:19XQ6Wko
>>649
確か噂では、前田家の兵力は最大で25000、これをみっつに分け、大阪城に8000、国元に16000の
兵力を置けでしたっけ。
国元は四男に指揮させ、少しずつ国元と大阪の兵力も入れ替える。
そうすれば、家康は何も出来ないでしたっけ。
大坂に8000あれば、家康がふざけた事すれば直ぐ討ち取れるしね。
0651人間七七四年2018/03/24(土) 02:59:28.72ID:V8RoAeja
輝元は生まれつきの120万石大名のおぼっちゃんだぞ?
そんな野心が生まれる環境に生きてねえ。
0652人間七七四年2018/03/24(土) 03:37:59.31ID:Y/MLREow
>>651
それならそれで大坂城などに行かず本国でおとなしくしれてば良かったのに
それなら江戸時代も120万石相当の大名としてずっと生き残れたし。
0653人間七七四年2018/03/24(土) 04:24:08.71ID:jVKrCnpB
>>650
最近は前田利長はわざと国に帰ったって論調が強いらしいぞ?
0654人間七七四年2018/03/24(土) 04:40:42.86ID:V8RoAeja
>>652
解ってないな〜 織田秀信だって西軍に付いただろ?
生まれつき苦労知らずな奴はカッコイイ方に付くんだよ。
幼君を守るとかな。
0655人間七七四年2018/03/24(土) 06:53:58.98ID:c+TYu66M
>>651
考えられるとしたら、コンプレックスかな。
私は輝元をバカ殿とまでは思わんがそれでも祖父や父、叔父らと比べると
やはり遠く及ばないと考えている。多分同時代の人もそう考えていただろう。
だから輝元にとっては彼らは御家の誇りであると同時に、ぬぐい難い劣等感を感じてしまう存在だったんじゃないだろうか。
しかし、もしここで輝元が家康を出し抜いて西国を制圧し、北九州を手に入れたらどうなるか。
北九州はかつて先代らが全力をもって領有しようとし、そして果たせなかった場所だ。
その地を彼らに辛酸をなめさせた大友を利用して手に入れたのならば、
輝元は偉大なる祖父や優秀な父に叔父が達成できなかった事を成し遂げた事になり、
彼らと肩を並べ、あるいはそれを超える評価を受けるかもしれない。…なんて考えてたりしてな。
0656人間七七四年2018/03/24(土) 11:03:33.44ID:lwssYwb7
毛利は一族が大名になっているので輝元のみで考えちゃいけない
全部合わせれば実高200万石を超える大勢力やで
0657人間七七四年2018/03/24(土) 11:25:22.24ID:y1AdgncQ
>>644
大坂留守居は小早川秀包と増田にまかせとけば
いいんじゃない?
0658人間七七四年2018/03/24(土) 11:59:33.59ID:cT92HdXC
>>657
秀包じゃ軽すぎる、奉行を抑えられん。毛利家中だと秀元位だね。
秀元は秀吉の姻族で準一門だから格としては問題なかろう。
ただし秀元の発言力が増大する可能性が高くなるので、毛利家が秀就派と秀元派に分裂する危険はある。
この手の後継争いは本人にその気がなくても、家臣団が勝手に争う事があるので。
0659人間七七四年2018/03/24(土) 18:41:35.76ID:V8RoAeja
西軍の戦略は九州・四国・北陸・伊勢と西軍の勢力圏を増やして行って
徳川と対抗する構えを見せている。

ごく普通で正攻法の戦略だが、伏見を落とすのに時間がかかったり
岐阜への進出が遅すぎる。輝元も流言に惑わされて出馬を見送らせている。

岐阜城が落ちた時点で美濃の連中は一旦、佐和山まで引いて
田辺攻略部隊などの分散させた兵力の集結を待った方が良かったな。
0660人間七七四年2018/03/24(土) 18:45:25.20ID:V8RoAeja
宇喜田秀家は野戦攻城では優秀な指揮官だが、自分の戦意が高いせいか
他の部隊の士気の低さを気にしなかったのかもしれない。
三成が大阪に送った書状を見てみても、宇喜田・小西・大谷・島津以外は戦意が低い。
そんな状態で関ヶ原での決戦には臨むべきじゃなかった。
0661人間七七四年2018/03/24(土) 18:49:50.74ID:i3LTCGaD
臨むべきじゃないって言ったって待ってて何か良くなる要素あるのか
0662人間七七四年2018/03/24(土) 19:00:01.04ID:BWnnCT6M
大津が東軍に寝返ってるから集結もそう簡単にはいかんぞ。
史実では関ヶ原の合戦と前後して陥落してるけど、当時の人には
いつ陥落するとか予測不能だし。事実上、西軍を分断してるようなものだしな。
城主が京極ってのも地味に困る、あいつ秀頼の叔父だからな。
史実のように力攻めで降伏とかならいいんだが、うっかり戦死させたりすると
秀頼周辺が西軍に対する態度をさらに硬化させてしまうかもしれん。
0663人間七七四年2018/03/24(土) 19:09:53.60ID:Y/MLREow
西軍としては松尾山を扼して中山道を通さない戦術を敷くのが普通だよね。
そうなると東軍は北国脇往還を進軍して木之元宿を通って琵琶湖に出るルートと
南宮山脇を通って伊勢街道ルートで大阪へというルートになる。
いずれにしても大垣城を見捨てるといずれ東軍に位負けするのが見えてるからイチかバチかで関ヶ原で決戦をする事を三成は選んだが
一か八なんてギャンブルをここですべきだったかどうかは議論が分かれると思う。
0664人間七七四年2018/03/24(土) 19:13:48.22ID:Y/MLREow
戦術的に考えると岐阜城を取られた時点で西軍は相当不利だよな
守らなければならない地点が増えて兵の分散を余儀なくされるから。
本来だったら中山道の木曾あたりで秀忠軍を迎え撃ち
東海道からの東軍と合流させないというのが基本戦略だったはずだし。
0665人間七七四年2018/03/24(土) 19:31:42.28ID:qxGFxiYr
>>661
徳川は手紙をだしまくったり黒田つかって調略したりして味方を確定させてから反攻に転じた
同じように決起するまえに西軍はしっかり味方を確定させていなければならなかった
それができないなら決起するのはただの無謀
事前にばれないように伏せるとかそんなものはやれて当然のこと
0666人間七七四年2018/03/25(日) 02:14:41.07ID:QW4Ykmkj
単に三成の動くタイミングが早すぎただけだろ。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動いてもよかった。
上杉は十分準備を整えていたのでそう簡単には負けない。
家康が上杉を攻める前に三成が動いてしまったので、
小山で引き返されほとんど無傷で西軍と戦うことができた。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動き、東に向かえば、
挟み撃ちにできたかもしれない。
0667人間七七四年2018/03/25(日) 02:40:55.82ID:ej/If77o
>>666
昨今の研究では上杉は会津討伐軍が来た途端に土下座予定だったとも言われているので(防御施設を作ってない)、
だとしたら三成の挙兵はむしろ「あそこしかない」タイミングだったと言える
0668人間七七四年2018/03/25(日) 03:37:32.91ID:Ci6w8uZy
>>667
あの時代の上杉家は謙信教団なんで、下手な事したら敵以前に家臣に首取られて終わりな気が
する。
行動原理が利害じゃ無くて、謙信なら如何動くか?だからさ。
確かにあの時代に謙信が生きてたら、必ず家康を討とうとしただろうし。
0669人間七七四年2018/03/25(日) 03:41:06.87ID:tyCRAwXp
あれだけ有名な浪人衆を多数雇って討伐軍が来たと同時に土下座は無いわ
普通に上杉家が破綻するし約束の報酬を支払わなきゃ浪人に寝首かかれかねない
そこまでみっともないこと景勝がするわけない。
0670人間七七四年2018/03/25(日) 04:08:25.58ID:ej/If77o
>>669
逆逆。「討伐軍が来た」から土下座できるんだよ。具体的圧力があってはじめて家中を説得できる。
そもそも景勝は関ケ原合戦が終わるまで「徳川家」とは一切戦わなかったわけで
0671人間七七四年2018/03/25(日) 04:37:22.31ID:GoFkWpCg
戦う気ないんなら雇わないんじゃないの

全滅するまではないにしても
軽く戦おうとするみたいな
0672人間七七四年2018/03/25(日) 04:49:57.24ID:vB4XR4uE
>>669
長尾顕景とはそういう男だと思うけどな、土下座と言う言い方はともかく
みっともなかろうが謙信死後の混乱に乗じて春日山を制圧し、上杉を手中にして秀吉に早々に取り入って上杉家を保った
いい意味で義も糞もない戦国大名としての実力と見識を持ってる
0673人間七七四年2018/03/25(日) 04:53:57.45ID:wFz+gumT
やりあう気がないにしても講和がうまくいくとは限らないんだから
取り合えず戦備はしておけば間違いはないからな
それで相手が面倒だと思って講和してくれればよし
0674人間七七四年2018/03/25(日) 06:06:13.17ID:Rd6PsWmS
そもそも上杉軍と挟み撃ちなんか無理だろう。
だって西軍自体が上杉征伐に向かう途中だった西国大名の兵を足止めして結成されたものだから。
で、上杉征伐はあくまで政権の事業として行うものだから、征伐軍が全員集合するまで多分始めないぞ。
行軍途中で「もう終わったから帰っていいよ」ってなったらその大名骨折り損だし。
0675人間七七四年2018/03/25(日) 07:08:05.85ID:5oJtRq73
>>666
動くの早すぎはわかるけど、上杉準備万端は納得しがたい
むしろ上杉は口ばかりでなんにもやってないイメージ
0676人間七七四年2018/03/25(日) 09:36:08.97ID:tyCRAwXp
革籠原を予定戦場として整備してたと言ってる学者も居るんだが
あれって嘘だったのかのう
0677人間七七四年2018/03/25(日) 09:48:31.68ID:tyCRAwXp
これが全部妄想だったらおじさん泣いちゃう

http://www.orisho.com/img/sengoku_map.jpg
http://www.kaigo-hiwada.com/image/kawagohara.jpg
http://cdn.mkimg.carview.co.jp/minkara/spot/000/000/728/183/728183/728183.jpg?ct=1a7e80659b1a
http://japanesecastles.web.fc2.com/k11.png
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/017/624/19/N000/000/001/125253557535416220763_P1050805.JPG
0678人間七七四年2018/03/25(日) 10:45:49.56ID:0AsdrnLI
上杉の動きには不可解な部分もたしかに多いけど、土下座予定はさすがにないと思う。
選択肢のうちにはあったかもしれんが。
城砦の普請や守りを堅めよとか、やる気のない者は去ってよしとかの書状が残ってるわけだし。
0679人間七七四年2018/03/25(日) 11:13:03.92ID:u0b2jAKI
とにかく、全力で豊臣家崩壊を目論む秀次残党グループを潰す以外に
なかった。池田輝政、細川忠興、田中吉政らのグループの活動をだれも
止められなかったのが最大の敗因。彼らこそ完全無欠な謀反人だからな。

なお、福島正則は晩年、「池田(輝政)、細川(忠興)、田中(吉政)、
堀尾(吉晴)ら豊臣家崩壊を目論む秀次の残党に騙され、忠臣の石田三成を
敵に誤認し討ったのは自分の不明」と再三口にしている。
0680人間七七四年2018/03/25(日) 11:22:26.65ID:u0b2jAKI
ついでに、三成のために弁護しておくと、三成は秀次事件の際に池田輝政が
秀次の残党に担がれ、田中吉政が扇動能力に長けており、将来秀頼に対し
良からぬことを企むであろうと予測していた。
秀次事件の際、池田輝政、田中吉政も木村重これ、前野長康同様族滅する
よう秀吉に再三要請したが、受け入れられなかった。
0681人間七七四年2018/03/25(日) 11:31:30.73ID:eUU9FNAf
三成は秀次と親交があった大名に対するホロコーストを主張していて
秀次一族だけでなく彼らに対しても妻子もろとも虐殺を主張していた
三成の過激な言動は秀次派ではない大名にも脅威を与えてしまい
加藤・福島を始めとして家康に権力を握らせてでも三成を排除しなければいけないという危機感を生み出した
三成の過激な虐殺主義が豊臣を崩壊させたといえるね
0682人間七七四年2018/03/25(日) 11:35:25.24ID:tyCRAwXp
三成は秀次と親交があった大名に対するホロコーストを主張していて

↑これって何かの書物に書いてあるの?
0683人間七七四年2018/03/25(日) 11:36:20.00ID:CoeRJZQg
すげえ妄想
0684人間七七四年2018/03/25(日) 11:43:04.90ID:tyCRAwXp
ちなみに田中吉政は三成の親友で
彼を秀吉に推挙した人物が三成と言われてるんだろ
0685人間七七四年2018/03/25(日) 12:08:47.12ID:u0b2jAKI
>>684
田中吉政と石田三成は出身は近いが宿敵。
田中吉政は秀次派完了のリーダ的役割をしており、石田三成と
秀次存命時から敵対していた。
0686人間七七四年2018/03/25(日) 13:50:58.24ID:OFwJFg4A
小早川秀秋がはじめからはっきり東軍だった場合、
西軍はどういう戦略になったのだろう?
0687人間七七四年2018/03/25(日) 14:09:25.16ID:TAIA6u3F
>>686
はじめってどの時点?
続々と西軍諸将が大坂に集結してるところを
小早川秀秋がその西軍を攻撃するの?
0688人間七七四年2018/03/25(日) 14:17:54.77ID:OFwJFg4A
>>687
関ケ原のスレだから、布陣した時点での話
0689人間七七四年2018/03/25(日) 14:20:51.14ID:tyCRAwXp
>>688
それだったら暗殺、もしくは強襲しかないね。
松尾山から追っ払わないと補給線を絶たれ西軍は飢え死にする。
0690人間七七四年2018/03/25(日) 15:03:30.16ID:TAIA6u3F
>>688
9月14日時点でそうなっても既に西軍の勝算は極めて薄い。
局地的に見るなら松尾山の小早川秀秋と山中村の大谷勢が関ヶ原で対峙、赤坂と大垣でも対峙、
それらに対し東西両軍がどう動くかだが、
西軍のより劣勢が強くなるだけだと思うが。
0691人間七七四年2018/03/25(日) 15:17:05.27ID:AsHjC9ct
>>686
はっきり東軍だよ
なんとか西にきてくれと言ってただけだから
0692人間七七四年2018/03/25(日) 15:17:55.84ID:AsHjC9ct
そもそも西軍の連中おいたてて松尾山に布陣してるんだから
0693人間七七四年2018/03/25(日) 15:27:51.56ID:GoFkWpCg
伏見前後なら強襲して粉砕する
0694人間七七四年2018/03/25(日) 15:46:20.90ID:tyCRAwXp
秀秋が佐和山城の目の前の高宮で長期滞在していた時点で石田以外の西軍は
秀秋をほぼ東軍と断定して暗殺を企てたとか小説では描いてあるけどどうだったんだろうね。
0695人間七七四年2018/03/25(日) 15:49:37.64ID:ej/If77o
それこそ西軍は全く一枚岩でないから、動きようがなかったんだろう
0696人間七七四年2018/03/25(日) 15:56:30.39ID:tyCRAwXp
佐和山城を落とそうと虎視眈々と狙ってたというのが正しい認識かと
0697人間七七四年2018/03/25(日) 19:50:50.36ID:sulkWxKB
>>688
もともと布陣してた西軍追い出して松尾山に陣取った秀秋は
史実でも布陣した時点から東軍だったのと大して変わらんかと
わざわざ開戦から名乗る利点が無いから西軍と言ってただけで
大谷もはじめから疑ってかかってるし
0698人間七七四年2018/03/25(日) 23:14:47.44ID:eUU9FNAf
秀秋からすれば石田や大谷なんて召使いも同然の存在だろ
石田や大谷が我が物顔で仕切って命令してくる西軍に不快感を抱くのは仕方がない
石田や大谷は秀吉時代の感覚を引きずり礼儀作法をまったく理解していなかった
秀秋に限らず秀吉時代のやり方がいつまでも通用すると勘違いしていたのが敗因だよ
0699人間七七四年2018/03/25(日) 23:26:41.90ID:STIDVoTE
そうそう
大谷が目を離せない時点でそもそも味方とおもってないわけで。
東軍そのものである小早川
未練たらたらの西軍
そんだけの構図
0700人間七七四年2018/03/26(月) 00:04:31.47ID:C0ezcu5+
>>642の続きだが、所領も考慮して再考してみた。

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。
0701人間七七四年2018/03/26(月) 00:40:08.57ID:h6mgHXfb
もうグダグダだよな。
最初から松尾山は伊藤盛正だけに任せず
宇喜多秀家か大谷吉継のどちらかに占拠させておくべきであった。
北国街道は石田と島津だけで守り、討死覚悟でやるしかなかった。
0702人間七七四年2018/03/26(月) 00:52:31.26ID:w6qc7/3w
やっぱし、即攻で東海道抑え無かったんが響いた感じだよね。
正直、伏見城なんか放置して直ぐに清須城まで抑えるべきだったんでは?
仮に落とせずとも清須の兵糧を焼けば東軍の西上作戦は無理なのでは?
0703人間七七四年2018/03/26(月) 00:52:56.27ID:1iWOAZ4Q
>>701
長宗我部盛親がいいんじゃない?
0704人間七七四年2018/03/26(月) 01:04:36.35ID:h6mgHXfb
>>703
長曾我部は伊勢攻めで毛利隊と行動をともにしたりしてなかった?
というか最初から伊勢に派兵した時点で西軍は詰んでたよ。
戦略ミスとしか言いようがない。
0705人間七七四年2018/03/26(月) 01:11:23.22ID:h6mgHXfb
というか関ヶ原の戦いそのものが小早川秀秋の裏切りによって誕生した戦いだしね。
三成は戦の前日までまさか関ヶ原で大合戦をするとは思って無かった。
しかし松尾山が突如、小早川秀秋に占拠されたために大垣城決戦を前日になって諦め
西軍の補給路を確保するために秀秋の軍を塗り込めるように大谷・宇喜多・小西・石田で囲って
戦わざるを得なかったというのが全てだし。
これなら確かに島津が言うように東軍を夜襲すべきだった。
混戦で家康が死ぬ可能性もゼロじゃないし。別に死ななくとも軍を建て直すために東軍が群をわずかでも引けば
再度、小早川・吉川などが西軍へ寝返る可能性も普通にあった。
0706人間七七四年2018/03/26(月) 03:15:16.63ID:Hu8uqAqL
何言ってんだこいつ
0707人間七七四年2018/03/26(月) 06:20:56.79ID:nW+WUhQd
仕込み八割仕上げが二割
それをやれなかった西軍は負けてしかるべし
0708人間七七四年2018/03/26(月) 06:25:07.60ID:q1504hx6
だから、速攻なんかする理由が一つもないんだけど。
なんで上杉征伐軍が崩壊せず短期間で反転してくる事を西軍が知ってるんだよ。
それなら内府違いの条々出す理由ないだろ。敵に自分たちが挙兵した事わざわざ知らせてどうする。
あれは征伐軍の連中もこちらに雪崩をうって味方すると思ったから出したとしか考えられんぞ。
ちなみに万が一に備えろって意見に関しては>>536>>628が自分の意見。
0709人間七七四年2018/03/26(月) 07:09:45.33ID:Hu8uqAqL
速攻は速攻で意味はあるがそもそも西軍には速攻掛ける兵力がない
0710人間七七四年2018/03/26(月) 08:04:47.06ID:Zi6wnZXa
>>700
後、四国に結構派兵している
0711人間七七四年2018/03/26(月) 08:25:54.71ID:1jUpIpig
>>708
なにも表明しなければただの謀反軍。
西軍なりの正当性の表明だろ。
それに絶対の自信を持ち効果が小さかった場合に備えないのは史実以下の愚劣な論。

石田も書状で清洲の福島を説得中、味方すれば
三河に進む、だめなら伊勢方面隊といっしょに攻める、味方しなかった場合の想定はしてる
0712人間七七四年2018/03/26(月) 08:28:11.41ID:1jUpIpig
>>709
実際の問題はそこだと思う。
0713人間七七四年2018/03/26(月) 09:12:32.72ID:h6mgHXfb
>>709
総兵力は東軍より西軍の方が圧倒的に多い
0714人間七七四年2018/03/26(月) 09:37:12.53ID:aNMrQJWo
烏合の衆、やる気なし
0715人間七七四年2018/03/26(月) 09:58:45.01ID:1jUpIpig
>>713
まともに運用できる兵力は西軍のほうが少ないと思うが。
0716人間七七四年2018/03/26(月) 10:00:32.03ID:h6mgHXfb
総大将の毛利がまるでやる気の無い事が西軍の指揮を下げたんだろうな
最初は増田、長束もやる気満々だったみたいだが
輝元が入城した直後からやる気を無くしてサボタージュし始めたし。
0717人間七七四年2018/03/26(月) 10:06:57.44ID:h6mgHXfb
でも三成って同僚の五奉行や五大老から「こいつは優秀なヤツ」とハッキリ認識されてたんだろうな
無役の三成に説得されて増田、長束、宇喜多、毛利もすぐにクーデター参加を決断したというのは
「こいつならできるだろう」「三成ができるというなら信用に値する」と思わなきゃ動くわけがないし。
0718人間七七四年2018/03/26(月) 11:58:55.85ID:8bALC87e
>>708
そうだよ。だから西軍は豊臣恩為を掲げた。それなら絶対勝てるから。
この時点では豊臣恩為は家康でさえ否定できない絶対的な言葉だから。
しかも大坂城と秀頼を抑えた絶対的な状況でね。はっきりいうがこれなら勝てるよ、普通。
そしてもう一度いうが、効果が小さいことに備えることは論外。
なぜならそれは豊臣恩為の言葉を疑うことになるうから。その言葉に効果がないと認めることは
豊臣に何の力も権威もないと認めるようなものだからだ。西軍が豊臣を無力と断ぜると思うか?
ちなみに豊臣恩為の概念が揺らいだらどうなるかは史実の毛利が証明している。
豊臣恩為の言葉を疑ってしまったら最後、西軍は自壊する。日和見、寝返り、そして崩壊だ。
だから、効果が小さいことに備えるのは『あり得ない』
0719人間七七四年2018/03/26(月) 11:59:51.37ID:8bALC87e
あ、ごめん。>>711ね。
0720人間七七四年2018/03/26(月) 13:08:30.40ID:7EhYyjjq
>>718
「絶対勝てる」という根拠にはならない。

味方につくかどうかが実質的な部分。
大老筆頭家康につくか、上方の西軍につくかは諸将が決めること。
0721人間七七四年2018/03/26(月) 13:12:13.25ID:7EhYyjjq
おおかたは、「勝てるほうにつきたい、勝つのはどちらか」が判断基準で、
この場合、豊臣がどうとかは判断の優先部分ではない。
0722人間七七四年2018/03/26(月) 13:34:24.02ID:QHr94hIe
でも豊臣が指示声明するかも知れないし…
0723人間七七四年2018/03/26(月) 13:48:39.24ID:ZuXWAT1V
>>717
三成の誘いにのったわけではないと思う
0724人間七七四年2018/03/26(月) 13:50:35.07ID:ZuXWAT1V
豊臣の方も腹がすわってなかったからな
日和見すぎる
0725人間七七四年2018/03/26(月) 14:08:33.77ID:Az2wJy5E
>>718
豊臣恩為という論で行くなら
豊臣政権で事実上失脚した三成に本来発言権はない
あくまでクーデターだという認識が三成本人に無かったとしたら勝てるわけないな
0726人間七七四年2018/03/26(月) 15:25:28.25ID:w6qc7/3w
>>708
カエサルの際は賽は投げられたが一番参考に成らんかね?
あの時、カエサルが直ぐ使える兵力は一個軍団6000、勿論ガリアから移動させる事は出来るけど
その場合に元老院から反乱軍扱いされてどの程度の軍が従うのか?
カエサルがやったのは、大隊「600」単位で分散させて即攻でローマを落とす事、そんでポンペイウスの
支持基盤の中部イタリア、南部イタリアを制圧する事。
あそこで時を費やすと、元老院派はイタリアで新軍団編成してカエサルを迎撃するのは確実だしね。
つまり、ローマ制圧で大義名分を五分にして、相手の支持基盤も占領したから二ヶ月で
イタリア制圧が決まったんよ。
但し、元老院派の勢力は東地中海一帯だから結着はギリシャで野戦だけど。

問題はさ、情報が混乱状態で豊臣家恩為で西軍が伊勢、美濃、尾張、三河って現れたら本気で籠城とか
する奴居るのかな?
0727人間七七四年2018/03/26(月) 18:30:00.33ID:Cd7faj4i
>>726
逆。西軍視点では混乱が続くと困る。これは一種のクーデターだから。
彼らは徳川抜きでの政権運営をしたいんだから、まずは情勢を落ち着かせたい。
混乱を収拾するのが遅れると「やはり徳川がいないと…」って話になりかねないから。
となると、普通は手の届くところからという話になるからまずは近畿の完全制圧になるのは当然。
要は伊勢に軍勢派遣だ。少なくともそこより東海道優先はありえん。
これに対し、東軍は情勢が固まってしまうと困る。特に家康はこのまま黙ってみていた結果、
家康無しで政権運営出来そうだと豊臣家に思われると困る。つまり、西軍は足固め優先で東軍は速攻優先になる。
で、西軍は徳川が速攻で戻るのを防ぐために内府違いの条々をばらまいた訳だ。
豊臣御為を掲げれば諸将は強く抵抗出来ないから短期間で大規模反抗出来ぬだろうと考えて。
これは妙手だと思うよ。予測を思いっきり外しただけで。
0728人間七七四年2018/03/26(月) 18:51:59.09ID:DRT/A2WX
関ヶ原を戦場にされた時点でダメだよな
押されてしまいました、という結果をつきつけられているわけで挽回できない
岐阜、犬山、清洲、岡崎を確保して東軍しめだしを徹底できなかった時点でもう勝ちはない
0729人間七七四年2018/03/26(月) 19:16:46.29ID:uMdNtGnG
だから、なんで東海道に色気を出そうとするんだ。まず近畿を落ち着かせろよ。
最優先すべきなのは伏見や田辺、伊勢であって東海道じゃない。
0730人間七七四年2018/03/26(月) 19:33:53.33ID:Hyou/oMC
全くもってその通り
0731人間七七四年2018/03/26(月) 20:17:01.65ID:DRT/A2WX
攻めてくる敵がいるなら街道をおさえる必要はあるだろ
0732人間七七四年2018/03/26(月) 20:18:14.35ID:Yau47kan
同意、というか敗戦しない事だ。
まあ、佐和山のある近江は必要だが。
0733人間七七四年2018/03/26(月) 20:22:48.19ID:mL4AhkKi
>>731
そんなもんはまず近畿を穏便に抑えてからの話だ。
伊勢の情勢が不安定なのに尾張三河まで侵攻してどうする。
街道がどうとかいう話じゃなくて、まず足元を落ち着かせるべきだよ、どう考えても。
0734人間七七四年2018/03/26(月) 20:30:27.19ID:JpKiSPjC
一番の誤算は1日で決戦が終わったことだな
0735人間七七四年2018/03/26(月) 20:44:12.46ID:DRT/A2WX
>>733
そんなわけない
特に今回の関ヶ原前なら徳川の侵入を押さえずしてなんの意味があるんだよ
徳川排斥ならとにかく近畿に徳川いれないようにするのが大前提
0736人間七七四年2018/03/26(月) 20:58:52.82ID:4Ax0zBIT
>>735
なら、なおさら伊勢を抑えないと。そこ抑えないと蓋にならんぞ。
それに美濃には織田秀信がいるだろ。史実ではあっさり陥落してるけど、
そんな簡単に岐阜が落城するとか普通予想出来ん。
というより、上杉征伐軍が崩壊することなく速攻で反転攻勢仕掛けてくるとか予測不可能。
あの時点でそれ予測するってのは、要は西軍首脳部に神になれって言ってるのと変わらんよ。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています