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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12

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0001人間七七四年2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0574人間七七四年2018/03/20(火) 20:13:54.03ID:pNvHWkIw
>>560
子供うんでる分淀がたてられるのもわかる
北の政所は政争に負けてるんだよ
0575人間七七四年2018/03/20(火) 20:36:45.87ID:Vh3afGYK
>>573
むしろ西軍うちほんの3万程度の兵しか戦ってない戦いじゃん。
輝元が数万の兵を連れて参陣したら秀秋も秀元も広家も死に物狂いで西軍として戦うわw
0576人間七七四年2018/03/20(火) 21:16:38.61ID:jSfTS8TR
>>575
関ヶ原本戦の時はもう毛利家は一部を除いて
「東軍(徳川)と正面決戦とか冗談じゃないから、手打ちして損切りしよ」
って状態だから。
0577人間七七四年2018/03/20(火) 21:23:12.55ID:Vh3afGYK
>>576
輝元が督戦したら全部ひっくり返るよwww
0578人間七七四年2018/03/20(火) 21:25:23.27ID:Hwko5hvB
>>577
輝元は広家の講和方針に同意しとる
0579人間七七四年2018/03/20(火) 21:30:30.82ID:Vh3afGYK
>>578
もし寧々が大坂城の城主だったらろいう仮定の話から続いてるのに
頭大丈夫か?
0580人間七七四年2018/03/20(火) 21:35:05.69ID:edIZZ09b
>>579
>>543
0581人間七七四年2018/03/20(火) 22:21:55.07ID:2Qh3k6Xq
>>575
秀秋はどうやったって無理だろ
秀家も怪しい、輝元が動いたくらいでこの時期の毛利がまとまるわけない
0582人間七七四年2018/03/20(火) 22:24:06.10ID:F++bm2WJ
間違えた広家
0583人間七七四年2018/03/20(火) 22:26:20.61ID:dYZeE5L8
>>579
そもそも客観的にみて、
『豊臣家が積極的に支持したくなるような行動を西軍はしていない』
というのは認識した方がいい。家康がどうとかいう話じゃなくてね。
0584人間七七四年2018/03/20(火) 22:37:02.02ID:/wA04h4S
高台院も淀ほど判断材料が残てないとはいえ西軍に非協力的だからな
0585人間七七四年2018/03/21(水) 00:35:38.87ID:UlgXkD7J
>>584
高台院って、豊臣家に差し出された人質の世話してるから、当時の大名で頭が上がらない人は
多いよね。
出陣すれば、秀頼同様に動揺する東軍大名は多そう。
大体さ、秀頼出陣で福島が家康の言う事聞くとは思えん。こいつが幾ら馬鹿でも主君に直接
弓引く形を耐えられる訳が無い。
0586人間七七四年2018/03/21(水) 07:11:28.93ID:fEa42Y7Y
>>585
勝てばいいってのは手段を選ばなくてもいいってのとイコールじゃないんだけど。
少しは豊臣家や政権に配慮したらどうだ。
家康でさえ、この時点ではまだ豊臣家に最低限の配慮位してるぞ。
上杉征伐に秀頼を無理やり連れていくような真似はしてないんだし。
秀頼を戦場に突き出して「貴様ら頭下げろ!」って行動のどこが豊臣御為だ。
0587人間七七四年2018/03/21(水) 07:56:23.61ID:RXCgZcqV
まあ豊臣家の威光なんて衰退著しいってことだな
0588人間七七四年2018/03/21(水) 09:09:50.88ID:m5GjAkfC
たとえば、太ったお嬢ちゃんが、それを指摘されたとする
太ったお嬢ちゃんは、必死に減量する
お嬢ちゃんは、スリムになる

まことには、皆無である
弱点を指摘されると、正当化し、ますます酷くなる
そして、素性が川に浮かぶ
0589人間七七四年2018/03/21(水) 09:55:45.99ID:IINMGt4p
>>541
関白は公家どす
0590人間七七四年2018/03/21(水) 14:12:49.80ID:5fNvNGlL
仮に秀頼が出陣して、そこで秀頼が消されてしまったら豊臣はそこで終わる
客観的に見て三成や輝元でその勝負を賭けられると思うのか
0591人間七七四年2018/03/21(水) 14:23:00.63ID:AN2RtbOG
関ケ原で西軍が負けた時点で豊臣の実質終わりが確定したわけでね
やるからにはどうやっても勝たなきゃダメだ
0592人間七七四年2018/03/21(水) 17:40:35.51ID:z4HqsK/w
淀の人物に対して史料が少なすぎて
どうゆう立場だったのかもわからんから議論のしようがない
0593人間七七四年2018/03/21(水) 17:51:20.29ID:zriZs774
通説では寧々は淀との政争に負けたから大坂城から京都へ移転したとか言われてるけど
案外そうではなく聡明な彼女は武功派と文治派の政争は避けられず
遠からずして大坂城に火にまみれることが分かってたから早めに逃げたのかもな。
0594人間七七四年2018/03/21(水) 17:53:34.67ID:p/Mkypga
政争してる史料なんてないから。逆にずっと協力体制
0595人間七七四年2018/03/21(水) 17:58:03.46ID:zriZs774
でも寧々が大坂城西の丸に居座ってしまったら
秀頼本丸、家康伏見の二党体制は避けられず
多少は歴史が変わったんだろうか
0596人間七七四年2018/03/21(水) 18:15:09.47ID:VJ5YRn7A
>>591
豊臣家からすれば頼んでもない戦争引き起こした揚句に
「勝たないと政権も御家も終わるぞ!」なんて勝手に博打の抵当にぶちこまれても
迷惑な話なんですがそれは。
0597人間七七四年2018/03/21(水) 18:21:56.38ID:uQ0Nmkyv
ほんと西軍ってバカぞろいだな
0598人間七七四年2018/03/21(水) 18:31:19.42ID:zriZs774
日本国民からすれば頼んでもない相場に国民年金を突っ込んだ揚句に
「勝たないと政権も年金も終わるぞ!」なんて勝手に博打の抵当にぶちこまれても
迷惑な話なんですがそれは。
0599人間七七四年2018/03/21(水) 18:51:41.26ID:D2oFu0O+
>>547
長束がやろうとして失敗した
0600人間七七四年2018/03/21(水) 20:02:13.48ID:5fNvNGlL
>>591
豊臣政権は関ヶ原と言うか後継が不安定なまま秀吉が死んだ時点で終わったようなものだが
豊臣家という大名家は普通に残せる余地は十分ある
秀頼が出陣して負けるということはその一大名家として残る選択肢も消えると言うこと
三成や輝元で賭けられる訳がない
0601人間七七四年2018/03/21(水) 20:38:43.98ID:Af680wZn
負けることばかり考えてりゃ
勝てないわな
0602人間七七四年2018/03/21(水) 20:41:13.59ID:rc0Yj1nS
むしろ必勝の策でもって勝つ気満々だっただろ
0603人間七七四年2018/03/21(水) 20:46:52.29ID:Af680wZn
負けを探してるのことをいってる
0604人間七七四年2018/03/21(水) 20:58:18.21ID:rc0Yj1nS
そりゃ現実味がなかったり具体性がないのが悪い
0605人間七七四年2018/03/21(水) 20:59:33.61ID:Af680wZn
気概すらないで負け負けただ否定のみ
0606人間七七四年2018/03/21(水) 21:03:51.46ID:zriZs774
>>600
「豊臣家という大名家は普通に残せる余地は十分ある 」

そういうの淀は望んでなくない?
0607人間七七四年2018/03/21(水) 21:04:09.72ID:rc0Yj1nS
気概があったって西軍の敗因を何一つ覆せないからしゃーない
0608人間七七四年2018/03/21(水) 21:28:49.49ID:zriZs774
いや、むしろ必勝の体制だったのに奇跡的に家康が勝ったのが関ヶ原でしょう。
淀、三成、輝元、正家、長盛らの失策が積み重なった欠課がアレだったというだけで。
0609人間七七四年2018/03/21(水) 21:43:47.65ID:Af680wZn
勝つためのスレで負ける理由ばっかり
根本的にずれてますわ
0610人間七七四年2018/03/21(水) 21:45:32.16ID:zriZs774
淀が西軍に肩入れするだけで鉄板でほぼ100%勝てた。
「万一、負けたら豊臣家が滅びる〜」なんてチキンだから自ら負けただけ。
0611人間七七四年2018/03/21(水) 21:48:42.04ID:OT1ZeUY/
>>610
だから、西軍に肩入れする理由がロクにないんだって。
0612人間七七四年2018/03/21(水) 21:54:36.18ID:zriZs774
淀が一切肩入れせずに無役の石田三成のクーデターが成功する可能税なんて
絶対に無くない?
0613人間七七四年2018/03/21(水) 22:34:09.70ID:5fNvNGlL
>>606
淀の何を知って言ってるのか
0614人間七七四年2018/03/21(水) 22:40:02.06ID:rc0Yj1nS
>>609
敗因を覆せないから勝てる話にならないんだって
勝つためには敗因なり失態なりを何とかしないといけないのに
精神論で解決しようとするから否定される
0615人間七七四年2018/03/21(水) 23:17:01.49ID:5fNvNGlL
>>609
負ける理由に反論できないんじゃ意味ないだろ
なんでもいいから勝つ方法と言うなら
このスレにいい方法があるぞ
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1327407932/
0616人間七七四年2018/03/22(木) 04:21:44.97ID:A3DOOebR
そもそも三成は謀主だとされてるけど実際のところはどうだったんだろな
一次資料では毛利、増田、長束が共同で家康の法令違反を糾弾する書状を全国に出したのが最初らしいが。
そこに宇喜多、石田、小西、大谷らが乗ったという事になってるけど。
0617人間七七四年2018/03/22(木) 07:01:21.34ID:RI2jijtu
>>616
生け贄にされた感はあるよな三成
ただ、まるで無辜な存在でもなく野望というか私利私欲がみえるので三成に同情なんて出来ないけど
そういう意味で毛利はうまくやってるというか大武家なりの扱いというか

とにかく西軍はなにからなにまで、弱いよな
0618人間七七四年2018/03/22(木) 11:07:22.66ID:ev2y7w0S
淀君は実権がない状態に追い込まれていたと見るべき

実権は家康に集約
0619人間七七四年2018/03/22(木) 11:32:31.96ID:A3DOOebR
淀「まだ寒いので大坂城に移りとうないわ」

利家「黙れ!」


で即時引っ越しが決定してたしな。

公的な発言力は無かったと見るべきかもしれない。
0620人間七七四年2018/03/22(木) 11:44:35.16ID:cz1xIXSs
>>614
>>615
馬鹿馬鹿しい
勝つためのスレで負けることと否定ばかり根本的に履き違えてる
0621人間七七四年2018/03/22(木) 12:03:09.20ID:j4jqM+zO
伏見攻略後の各方面戦力配分が伊勢過剰なので、宇喜多秀家は当初より美濃・尾張方面に投入、
伊勢は長束正家、毛利秀元らでいいと思われる。
当面の宇喜多秀家の任務としては東濃方面の制圧、中山道を来るかもしてない東軍の迎撃準備、

この方針でいけば8月22日の東軍の木曽川渡河の迎撃を十分な戦力で行える。
籠城策採用でも岐阜城はまず落ちない。
清洲が味方するようなら大垣の石田、小西、岐阜の秀信、宇喜多は清洲に前進すればいい。

デメリットは、東軍が木曽川渡河ではなく、伊勢の東軍救援に向かうかもしれないこと。
その場合、毛利秀元、吉川、安国寺、長束、長曾我部、鍋島と東軍先発隊が北伊勢で野戦が発生するかもしれない。
しかし美濃方面の西軍を放置して伊勢に東軍先発隊主力を送る可能性は低いと思われる。

宇喜多が当初より美濃に行くだけで全然西軍は楽になる。
宇喜多は東濃の制圧と中山道迎撃任務。
0622人間七七四年2018/03/22(木) 12:32:06.07ID:zoKRn9Ez
茶々が三成を制止すれば、三成も聞き入れたろ
0623人間七七四年2018/03/22(木) 14:41:54.78ID:tQB18Mwo
>>619
それ司馬の創作だから
0624人間七七四年2018/03/22(木) 16:08:15.27ID:ev2y7w0S
三成は必勝と言ったに相違ない

それ故に茶々の加勢は不要
よって我らが義挙を黙認くだされ
0625人間七七四年2018/03/22(木) 16:27:32.02ID:DZrg7KKo
鉄砲いっぱい用意して早合三段撃ち
戦いは火力だよ兄貴
0626人間七七四年2018/03/22(木) 17:23:08.86ID:tQB18Mwo
>>625
鉄炮足軽は侍が突撃すると直ぐに逃げるからダメ
0627人間七七四年2018/03/22(木) 20:37:11.50ID:NGVAdZ6v
逃げなきゃ死ぬやん
0628人間七七四年2018/03/22(木) 20:45:16.73ID:9j3ZwMr3
>>621
断言してもいいけど西軍は東軍が短期間で戻ってくる事を想定してない。
もし想定してたら内府違いの条々を出さない。むしろ情報遮断に動かないとおかしい。
挙兵を気付かせるのを遅らせた方がいいに決まってるからだ。

で、来るかもしれない想定なんだが、これはしない、というか出来ない。その理由として、毛利の動きがある。
輝元は上杉征伐軍が速攻で反転して岐阜まで陥落した事を知った途端に、日和見に走っている。
この時点ではまだ関ヶ原本線が始まっていないし、毛利は大坂を抑えている。
それなのにこれほど動揺するという事は、毛利は
「政治的に完全に勝利して徳川が屈服したならともかく、そうでないのなら東軍(家康)と正面決戦など御免だ」
と考えていた可能性が高い。
つまり、内府違いの条々の効果に疑問があるなら、『毛利はそもそも挙兵に応じない可能性がある』。
さて、この場合西軍の挙兵が起こりうるんだろうか?
0629人間七七四年2018/03/22(木) 21:08:45.39ID:atrvnh6Y
毛利が描いたシナリオってどんなものなのかね?
ある番組では毛利の狙いはどさくさ紛れの西国制覇とか言ってた
0630人間七七四年2018/03/22(木) 21:54:14.42ID:A3DOOebR
家康は極めて短期間で前田家を大老職から外し、浅野家と石田家を奉行から外したわけで
すでにこの時点で四大老三奉行制になってたが上杉攻めを指くわえてみてたら120%の確率で
上杉、毛利、宇喜多も大老から外されてたわけじゃん。
座して政治的敗北を喫するくらいなら窮鼠猫を噛んだんでしょ。
0631人間七七四年2018/03/22(木) 21:56:57.96ID:A3DOOebR
家康としては一大老三奉行制(もちろん増田、長束、玄以は家康の手下)とし
有力大名全てと政略結婚し全国の大名から人質を江戸に取れば自動的に家康の天下になるわけで
戦争を起こして天下を獲ろうというより政治的手腕で獲ろうとしてたでしょ。
0632人間七七四年2018/03/22(木) 22:32:25.81ID:9j3ZwMr3
>>630
利長って大老クビになったの?
それと、あなたの考えが正しいとして、宇喜多が大老をクビになってない理由がわからん。
自分の部下の制御もマトモに出来んなんて石田以上の大失態なんだけど。
>>631
家康が藤原氏か執権北条氏になりたいってんならやらせりゃよかったじゃない。
別にその両家共、元の政権そのものは破壊してないんだし。(自家に都合よく改造はしたが)
なんで西軍が挙兵したのさ。おかげで政権が速攻で崩壊しちゃったじゃん。
0633人間七七四年2018/03/22(木) 22:55:28.53ID:j4jqM+zO
>>628
毛利は予定通り伊勢攻略に向かえばよろしい。
過剰戦力の宇喜多を美濃の東濃制圧及び中山道での迎撃準備を行うというもの。
内府違いの条々は関係ない。
8月初頭での西軍の戦略方針は浜松ないし尾三国境付近で家康を迎え撃つというもの。
しかし、家康が東海道ではなく中山道からは来ないという確証はない。
本命は東海道だが、中山道で迎撃するなら、立地的には東濃、となる。
8月中旬段階では遠山、妻木、小里あたりが東軍方として活動し苗木城を落としているので
東濃の制圧は必要ないわけではない。
もし8月初頭ではなく苗木城陥落後に宇喜多の美濃の東濃制圧指示でもよし。
その場合宇喜多は8月20〜23日頃には大垣、岐阜あたりを通過すると思われる。

というか8月15〜20日あたりには清洲の様子もおかしいというのはわかってるはずなんだから
本来ならその時点でも宇喜多を美濃に呼び寄せてないといけない。
0634人間七七四年2018/03/22(木) 23:29:53.56ID:oxGQgJUP
>>833
何とかして美濃方面の兵を増やしたいのは理解できるが、伊勢から削るのはやめた方がいいぞ。
東からの備えという意味では美濃と伊勢はどちらかではなくどっちも重視すべき。
それに美濃に関しては岐阜の陥落が想定外だった訳で、本来は岐阜と大垣のラインがあれば
東濃で少々騒ぎがあったところで特に気にする必要はないぞ。
むしろそういう明確なラインのない伊勢に宇喜多という大物を投入する事に意味がある訳で。

それと清州の様子がおかしいのならむしろ宇喜多は伊勢から動かせんぞ。海路使われるとまずいし。
まあ、あのあたりは九鬼嘉隆の縄張りではあるけど息子の守隆が東軍だし。
少なくとも、別働隊を派遣される危険性を考えたら伊勢に指導的立場の奴を1人おきたい。
となると、やはり宇喜多が適任になってしまうだろう。
0635人間七七四年2018/03/22(木) 23:30:50.49ID:oxGQgJUP
あ、すいません>>633です。
0636人間七七四年2018/03/23(金) 00:23:13.63ID:lWqB+UQp
>>634
どっちも重視するならなおさら宇喜多を美濃に引き抜かないと。
伊勢の小戦力に対しては過剰。
東軍が3万の兵力を渡海させられるだけの舟を用意できるかというと、
おそらくすぐにはできない。もしくは少ない舟で時間を掛けて行う。
そしてある程度の美濃への備えも残さなければならない。
一方、美濃から伊勢へは伊勢街道で行ける。
東軍先発隊が渡海して伊勢に向かうようなら、西軍はタイミングがシビアだが、
伊勢と美濃の部隊で挟撃のチャンスになる。(失敗すると各個撃破)。

西軍にしても、伊勢から尾張に攻め込むには長島城の存在が邪魔であり、
落とすにもそう簡単に落とせるかは微妙。
いっそ一度美濃に入り木曽川渡って尾張に攻め込む方がまだ容易。
どのみち美濃に行くことになると思われる。

西軍としては、桑名もしくは安濃津で籠城し、美濃からの後詰を待つ、というのが無難な策かな。
東軍としては美濃進攻以上に深刻な退路リスクがあると思う。
0637人間七七四年2018/03/23(金) 00:54:22.72ID:YOLjhvHK
>>636
あー、多分考え方が違うのかな。私個人の考え方としては西軍の手で近畿東部の封鎖をした方がいいと考えてるんですよ。
つまり伊勢と近江が壁であって、美濃はむしろ出先に近い認識なんです。
で、東軍がこっちに来るとなると、東海道か中山道がになりますよね?
そうすると、中山道方面は美濃が前線基地になるけど(致命的に予定が狂ったが)
伊勢は制圧完了とは言えない以上、侵入されると事実上の封鎖失敗になってしまうから
過剰なぐらいに戦力を投入して封鎖を完了させてラインを形成したいって認識なんですよ。
要は近畿が防衛出来ればそれでいいという考えなので、東軍勢の美濃侵入を
それほど深刻に考えていないんです。逆に、伊勢は少数でも致命傷だと考えています。

まあ、だからこそ秀信の軽率な迎撃と籠城失敗、そして西軍の美濃方面での連携ミスは痛いですね。
ただし、私はそもそも西軍が東軍の早期反転を予想していないと考えているので
これをミスというのは酷だと思っています。むしろ家康の統率力をほめるべきでしょう。
0638人間七七四年2018/03/23(金) 01:43:42.01ID:qiMWeU9u
家康に対して前田利家をけしかけた連中がなに言ってんだって話だがな
0639人間七七四年2018/03/23(金) 11:30:46.85ID:s6h+Ria7
話逸れるけど、8月25日付中川秀成宛有吉立行・松井康之連署状

ここに、
富田信高・古田重勝・稲葉道通が、関東から引き返して船七〇艘で着岸して各々の城に入り、
同じく会津討伐に従軍していた伊賀上野城主筒井定次も帰国した。
そのため、(長束は)関地蔵(現、三重県鈴鹿郡関町・木崎町・新庄町)へ退いた、とある。

筒井定次の伊賀帰国の出どころはこの書状っぽいね、信憑性の判断が難しいが、
もし事実なら少なくとも筒井定次本人は木曽川渡河から岐阜城攻城あたりまでは参戦してない可能性が高い。
いくらかの兵を家臣に預けて筒井勢として参戦した可能性はあるが。

たしか家康の東軍先発隊諸将に対する岐阜城攻略の感状みたいなのも、
筒井定次宛は確認されてなかったような気がするが、ちょっと曖昧。
0640人間七七四年2018/03/23(金) 13:59:42.59ID:s6h+Ria7
宇喜多早期美濃投入案をまとめると、
伏見攻略後の8月初頭、もしくは8月中旬の美濃東濃地方東軍方による苗木城攻略時に
宇喜多秀家18000を美濃に投入し、東濃の制圧及び中山道での迎撃準備を整え、
同時に尾張が東軍に付いた場合にも柔軟に対応できる態勢をとる、というもの。

当初東軍先発隊による伊勢の東軍方への救援はデメリットに感じていたけど、
逆に東軍先発隊が伊勢に向かったほうが、西軍としては岐阜城後詰決戦より
東軍先発隊を撃滅するチャンスが大きいように感じる。
理想としては桑名に籠城しての後詰決戦だが、次善としては安濃津でのどちらが後詰になるか
わからない決戦。
伊勢に踏み込んで万が一野戦で負けるようなことがあれば事実上東軍先発隊に退路はない。
退路リスクが高いので東軍先発隊による伊勢救援の可能性は低いと見る。

史実通り木曽川渡河美濃進攻ならば、宇喜多を含めた十分な戦力での渡河迎撃が可能になる。

巻き戻すのが8月初頭もしくは中旬ならば宇喜多早期美濃投入案、
8月22日ならば岐阜城後詰決戦案といったところかな。

宇喜多早期美濃投入案の懸念事項としては、明石掃部の代わりにだれかが桑名、長島方面に行く必要がある。
桑名の氏家兄弟を西軍方に取り込むため。
長束、安国寺、蒔田権之助あたりでそれができるか微妙な部分はある。
早急に長曾我部あたりを桑名に送る必要はあるかもしれない。
0641人間七七四年2018/03/23(金) 19:44:27.82ID:hnY3xCAv
史実だと宇喜多は草津で後詰め待機中で美濃に東軍が来れば美濃に後詰め
長島方面に伊勢桑名の明石勢が攻められたらその救援にと理にかなった配置
動かすとしても他に伊勢桑名を救援できる兵力を捻出しない限り下策かな
0642人間七七四年2018/03/23(金) 23:01:06.34ID:s6h+Ria7
西軍の戦略予備について調べていたら疑問点が出てきた。毛利の兵力について。

石田三成の書状、備口人数に、
四万千五百人 安芸中納言殿 右之内一万人息藤七殿付有之、右三万余は輝元自身召連出馬

とある。息藤七殿とは毛利秀就、
つまり毛利秀就に兵1万、3万余は輝元が連れてきた。

秀元&吉川が12000〜13000、元康が1万、輝元が8500〜9500という計算になる。(大津攻撃時)


んで、秀就はどこにいたんだろう?広島在国なのか大坂の毛利屋敷なのか大坂城か。
北九州や四国に兵出してるとこからして広島っぽいが。
もし大坂に秀就付きで1万もいるなら輝元は出陣できる余裕がありそうだが。

ただし、大坂御留守居の項に、輝元衆1万人とも記載されている。解釈が難しい。
0643人間七七四年2018/03/23(金) 23:08:29.54ID:nbXpiqYs
輝元は大局観が無かったな
0644人間七七四年2018/03/23(金) 23:47:53.63ID:w7qwwa8V
秀就って当時五歳ぐらいだから補佐役の家臣がいたって輝元の名代は無理だろ
誰かしら重みのある人物じゃないと大坂城で何が起こるかわからない
0645人間七七四年2018/03/24(土) 00:08:27.26ID:u4bzKwEy
>>643
大局観を持つって事は、この場合野心を持つって事につながりかねないんだが。
それとも、毛利に天下取りの野心でも持ってほしいのか?
0646人間七七四年2018/03/24(土) 00:36:08.09ID:021kVJot
野心なしで家康に勝てる奴などいないんだろな
0647人間七七四年2018/03/24(土) 00:45:44.73ID:gMRQ+jZZ
まあ、輝元にも野心はあると思うけどね。天下人ではなく、西国覇者の大大名としての、だけど。
だから中央が事実上無力化して大大名が好き勝手に領土を広げられる、戦国後期に
時計の針が戻ってほしかったんじゃないの。関ヶ原の時に結構怪しい動きしてるし。
0648人間七七四年2018/03/24(土) 01:17:44.71ID:Y/MLREow
>>647
輝元は志が低いんだよな
大志というより小志だ。
カジドロで四国や九州をちょっと盗んじゃおうって。
もう情けなくてとうちゃん涙がでてくらあ!
0649人間七七四年2018/03/24(土) 01:30:18.41ID:SHEG2z7U
>>648
まあ、爺さんの天下を狙うなって遺言もあるしなあ。それ守ったって考えればまあ…
親父の『しばらく上方から離れるな』って遺言を無視して帰国したせいで酷い目にあった
前田利長って例もあるし、遺言をむやみに無視すればいいってものでもないからな。
0650人間七七四年2018/03/24(土) 02:38:38.17ID:19XQ6Wko
>>649
確か噂では、前田家の兵力は最大で25000、これをみっつに分け、大阪城に8000、国元に16000の
兵力を置けでしたっけ。
国元は四男に指揮させ、少しずつ国元と大阪の兵力も入れ替える。
そうすれば、家康は何も出来ないでしたっけ。
大坂に8000あれば、家康がふざけた事すれば直ぐ討ち取れるしね。
0651人間七七四年2018/03/24(土) 02:59:28.72ID:V8RoAeja
輝元は生まれつきの120万石大名のおぼっちゃんだぞ?
そんな野心が生まれる環境に生きてねえ。
0652人間七七四年2018/03/24(土) 03:37:59.31ID:Y/MLREow
>>651
それならそれで大坂城などに行かず本国でおとなしくしれてば良かったのに
それなら江戸時代も120万石相当の大名としてずっと生き残れたし。
0653人間七七四年2018/03/24(土) 04:24:08.71ID:jVKrCnpB
>>650
最近は前田利長はわざと国に帰ったって論調が強いらしいぞ?
0654人間七七四年2018/03/24(土) 04:40:42.86ID:V8RoAeja
>>652
解ってないな〜 織田秀信だって西軍に付いただろ?
生まれつき苦労知らずな奴はカッコイイ方に付くんだよ。
幼君を守るとかな。
0655人間七七四年2018/03/24(土) 06:53:58.98ID:c+TYu66M
>>651
考えられるとしたら、コンプレックスかな。
私は輝元をバカ殿とまでは思わんがそれでも祖父や父、叔父らと比べると
やはり遠く及ばないと考えている。多分同時代の人もそう考えていただろう。
だから輝元にとっては彼らは御家の誇りであると同時に、ぬぐい難い劣等感を感じてしまう存在だったんじゃないだろうか。
しかし、もしここで輝元が家康を出し抜いて西国を制圧し、北九州を手に入れたらどうなるか。
北九州はかつて先代らが全力をもって領有しようとし、そして果たせなかった場所だ。
その地を彼らに辛酸をなめさせた大友を利用して手に入れたのならば、
輝元は偉大なる祖父や優秀な父に叔父が達成できなかった事を成し遂げた事になり、
彼らと肩を並べ、あるいはそれを超える評価を受けるかもしれない。…なんて考えてたりしてな。
0656人間七七四年2018/03/24(土) 11:03:33.44ID:lwssYwb7
毛利は一族が大名になっているので輝元のみで考えちゃいけない
全部合わせれば実高200万石を超える大勢力やで
0657人間七七四年2018/03/24(土) 11:25:22.24ID:y1AdgncQ
>>644
大坂留守居は小早川秀包と増田にまかせとけば
いいんじゃない?
0658人間七七四年2018/03/24(土) 11:59:33.59ID:cT92HdXC
>>657
秀包じゃ軽すぎる、奉行を抑えられん。毛利家中だと秀元位だね。
秀元は秀吉の姻族で準一門だから格としては問題なかろう。
ただし秀元の発言力が増大する可能性が高くなるので、毛利家が秀就派と秀元派に分裂する危険はある。
この手の後継争いは本人にその気がなくても、家臣団が勝手に争う事があるので。
0659人間七七四年2018/03/24(土) 18:41:35.76ID:V8RoAeja
西軍の戦略は九州・四国・北陸・伊勢と西軍の勢力圏を増やして行って
徳川と対抗する構えを見せている。

ごく普通で正攻法の戦略だが、伏見を落とすのに時間がかかったり
岐阜への進出が遅すぎる。輝元も流言に惑わされて出馬を見送らせている。

岐阜城が落ちた時点で美濃の連中は一旦、佐和山まで引いて
田辺攻略部隊などの分散させた兵力の集結を待った方が良かったな。
0660人間七七四年2018/03/24(土) 18:45:25.20ID:V8RoAeja
宇喜田秀家は野戦攻城では優秀な指揮官だが、自分の戦意が高いせいか
他の部隊の士気の低さを気にしなかったのかもしれない。
三成が大阪に送った書状を見てみても、宇喜田・小西・大谷・島津以外は戦意が低い。
そんな状態で関ヶ原での決戦には臨むべきじゃなかった。
0661人間七七四年2018/03/24(土) 18:49:50.74ID:i3LTCGaD
臨むべきじゃないって言ったって待ってて何か良くなる要素あるのか
0662人間七七四年2018/03/24(土) 19:00:01.04ID:BWnnCT6M
大津が東軍に寝返ってるから集結もそう簡単にはいかんぞ。
史実では関ヶ原の合戦と前後して陥落してるけど、当時の人には
いつ陥落するとか予測不能だし。事実上、西軍を分断してるようなものだしな。
城主が京極ってのも地味に困る、あいつ秀頼の叔父だからな。
史実のように力攻めで降伏とかならいいんだが、うっかり戦死させたりすると
秀頼周辺が西軍に対する態度をさらに硬化させてしまうかもしれん。
0663人間七七四年2018/03/24(土) 19:09:53.60ID:Y/MLREow
西軍としては松尾山を扼して中山道を通さない戦術を敷くのが普通だよね。
そうなると東軍は北国脇往還を進軍して木之元宿を通って琵琶湖に出るルートと
南宮山脇を通って伊勢街道ルートで大阪へというルートになる。
いずれにしても大垣城を見捨てるといずれ東軍に位負けするのが見えてるからイチかバチかで関ヶ原で決戦をする事を三成は選んだが
一か八なんてギャンブルをここですべきだったかどうかは議論が分かれると思う。
0664人間七七四年2018/03/24(土) 19:13:48.22ID:Y/MLREow
戦術的に考えると岐阜城を取られた時点で西軍は相当不利だよな
守らなければならない地点が増えて兵の分散を余儀なくされるから。
本来だったら中山道の木曾あたりで秀忠軍を迎え撃ち
東海道からの東軍と合流させないというのが基本戦略だったはずだし。
0665人間七七四年2018/03/24(土) 19:31:42.28ID:qxGFxiYr
>>661
徳川は手紙をだしまくったり黒田つかって調略したりして味方を確定させてから反攻に転じた
同じように決起するまえに西軍はしっかり味方を確定させていなければならなかった
それができないなら決起するのはただの無謀
事前にばれないように伏せるとかそんなものはやれて当然のこと
0666人間七七四年2018/03/25(日) 02:14:41.07ID:QW4Ykmkj
単に三成の動くタイミングが早すぎただけだろ。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動いてもよかった。
上杉は十分準備を整えていたのでそう簡単には負けない。
家康が上杉を攻める前に三成が動いてしまったので、
小山で引き返されほとんど無傷で西軍と戦うことができた。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動き、東に向かえば、
挟み撃ちにできたかもしれない。
0667人間七七四年2018/03/25(日) 02:40:55.82ID:ej/If77o
>>666
昨今の研究では上杉は会津討伐軍が来た途端に土下座予定だったとも言われているので(防御施設を作ってない)、
だとしたら三成の挙兵はむしろ「あそこしかない」タイミングだったと言える
0668人間七七四年2018/03/25(日) 03:37:32.91ID:Ci6w8uZy
>>667
あの時代の上杉家は謙信教団なんで、下手な事したら敵以前に家臣に首取られて終わりな気が
する。
行動原理が利害じゃ無くて、謙信なら如何動くか?だからさ。
確かにあの時代に謙信が生きてたら、必ず家康を討とうとしただろうし。
0669人間七七四年2018/03/25(日) 03:41:06.87ID:tyCRAwXp
あれだけ有名な浪人衆を多数雇って討伐軍が来たと同時に土下座は無いわ
普通に上杉家が破綻するし約束の報酬を支払わなきゃ浪人に寝首かかれかねない
そこまでみっともないこと景勝がするわけない。
0670人間七七四年2018/03/25(日) 04:08:25.58ID:ej/If77o
>>669
逆逆。「討伐軍が来た」から土下座できるんだよ。具体的圧力があってはじめて家中を説得できる。
そもそも景勝は関ケ原合戦が終わるまで「徳川家」とは一切戦わなかったわけで
0671人間七七四年2018/03/25(日) 04:37:22.31ID:GoFkWpCg
戦う気ないんなら雇わないんじゃないの

全滅するまではないにしても
軽く戦おうとするみたいな
0672人間七七四年2018/03/25(日) 04:49:57.24ID:vB4XR4uE
>>669
長尾顕景とはそういう男だと思うけどな、土下座と言う言い方はともかく
みっともなかろうが謙信死後の混乱に乗じて春日山を制圧し、上杉を手中にして秀吉に早々に取り入って上杉家を保った
いい意味で義も糞もない戦国大名としての実力と見識を持ってる
0673人間七七四年2018/03/25(日) 04:53:57.45ID:wFz+gumT
やりあう気がないにしても講和がうまくいくとは限らないんだから
取り合えず戦備はしておけば間違いはないからな
それで相手が面倒だと思って講和してくれればよし
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