関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12
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0001人間七七四年
2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0042人間七七四年
2018/02/06(火) 18:14:38.89ID:6fQUxiLqむしろ8月5日の書状で福島正則の説得で開城できなかったら伊勢方面軍と合流後に清洲を攻めるとあったから
美濃尾張間が戦場になるのは石田三成も分かってたから犬山城に兵を集めて籠城したんでしょ
0044人間七七四年
2018/02/06(火) 19:21:01.30ID:VimXG1GZただ
岐阜城落ちる→家康が行く はあってもおかしくないが
岐阜城が落ちない→家康が行かない の理由がないだけ
0045人間七七四年
2018/02/06(火) 19:30:22.01ID:6fQUxiLq>>18で書状で確定してるが、君のは存在しない
これがもう答えだね
何よりの君の論が間違っていると断言できるのは
佐竹は54万石もあるのに兵数300しか送らなかったのに家康が安心したと思った点だ
関ヶ原合戦時の各大名の石高と動員した兵数
福島正則 24万石 6,000〜8,000
筒井定次 20万石 2,800 小西行長 20万石 4000〜6,000
細川忠興 18万石 5,000 黒田長政 18万石 5,400〜6,000
石田三成 19万石 6000〜6,900
宇喜多秀家 54万石 15,000〜17,200
小早川秀秋 37万石 8,000〜15,000
長宗我部盛親 22万石 6,600
54万石だったら反省の意味を込めて最低でも8,000以上(宇喜多は佐竹とほほ同じ石高で倍の兵をだしているが)を裕に超える兵数を出さなければならない
それが上杉との話と300しか出してないことに関ヶ原合戦終了後に家康が知って大激怒して
佐竹が京まで行って家康に謝罪と家名存続を懇願する事態に陥ったという
そして佐竹も西軍主力と同じような扱いを受けて大減封
君のいう300の兵数だけで家康が安心したという話は全くのデタラメだと断言できる
0046人間七七四年
2018/02/06(火) 20:06:20.13ID:EOQuVK0e大軍じゃないとダメという根拠が無さすぎる
その後の和平行動にも動いた佐竹の重臣を寡兵ながらもつけた事で口だけではないとして
関東から動けるきっかけになった事はなんら違和感はないだろう
逆に岐阜城にこだわる理由って何?
0047人間七七四年
2018/02/06(火) 20:08:48.65ID:6fQUxiLq君のは書状とかを根拠にしない君の妄想だと分かってるからw
君の妄想と違って書状を根拠にしたのが>>18だから
まず君は妄想ばかりしてないで書状なりの根拠だしてから語ってね
0049人間七七四年
2018/02/06(火) 20:23:12.31ID:6fQUxiLq8月5日で美濃尾張間で戦いがあるのは三成も想定してたのは確実だよ
伊勢方面軍を待つ状況に陥ってたから書状通りになったし
0050人間七七四年
2018/02/07(水) 00:19:14.33ID:zhQlDm6D福島が味方しなかった場合、前線になるかもしれない美濃+犬山で、
石田の予定が伊勢方面隊といっしょに清洲を攻撃する、であっても、
美濃衆が攻撃のことだけで防御のことをまるで考えないというのもおかしな話だと思うが。
場合によっては籠城も有り得る、と想定するのが前線の武将じゃないの?
0051人間七七四年
2018/02/07(水) 09:02:10.25ID:7SuaiKOH「御理申半」と未だに西軍参加の可能性を持っている
更に後には清須攻撃から「尾・濃之間」と国境迎撃に方針を切り替えた
つまり秀信の迎撃は三成の意思に沿っている
0052人間七七四年
2018/02/07(水) 12:49:47.10ID:pQ6+zoHy日数引き延ばすのは出来なかったんだろうか?
島左近あたりはそういう戦法を心得てそうだから
派遣していれば…
0053人間七七四年
2018/02/07(水) 12:57:24.78ID:DC7Fbf1M0054人間七七四年
2018/02/07(水) 13:02:16.08ID:pQ6+zoHy0055人間七七四年
2018/02/08(木) 11:51:22.25ID:SgDqgp+z軍師 竹中半兵衛の嫡男の竹中重門がいたからという説があるが
竹中重門の実績見ると考えてしまうな
0056人間七七四年
2018/02/08(木) 23:30:19.47ID:NtYySYnF御殿・百曲口となってる。
百々綱家がここで言われてる居館跡を守ってる。
金華山山頂本丸、大手門?大手口、御殿・百曲口、水の手口、瑞龍寺山砦、
権現山砦、稲葉山砦、
石田援将に南方外郭砦、家老に山麓登山口及び大手門、居館跡、
秀信、秀則が山頂本丸ってかんじだね。
今後は居館跡は御殿と呼んだほうがいいかな。
0057人間七七四年
2018/02/09(金) 01:21:15.38ID:ljZltCau横からで悪いが家康が竹ヶ鼻落城を知ったのは26日という説もあるので断言は避けたほうがいいかと
池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で「22日に書かれた戦況報告が今日届いた」と書かれてる内容のものがあるので8/25の太田原・蒲生宛ての手紙は家康が竹ヶ鼻城陥落のことを知る前に書かれた可能性もある
0058人間七七四年
2018/02/09(金) 06:23:06.69ID:9MYvPB+B25日に先鋒隊の複数の大名に竹ヶ鼻城攻略褒賞を出してるんで
25日の時点で家康が落城を知ってたのは確実だよ
0059人間七七四年
2018/02/09(金) 11:21:49.87ID:ljZltCau上でも書いてますが26日に「今日前線の報告が届いた」と記載されてる手紙が複数存在するのに25日の褒賞を約した書状が確実だと断言できる根拠が知りたいですね
関ヶ原関係の史料はもともと後世の創作や偽造が多いのでよほど慎重な史料精査が必要なのですが
0060人間七七四年
2018/02/09(金) 12:09:59.85ID:9MYvPB+B>池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で
池田は竹ヶ鼻城攻略ではない
木曽川・米野の戦いの褒賞は26日
22日の時点で軍監の報告で明日から岐阜城包囲する予定と報告されていたが
22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
福島じゃなくて池田って時点で話は完結してる
0061人間七七四年
2018/02/09(金) 13:29:35.70ID:ljZltCau>22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
違います
あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?
8/25の竹ヶ鼻城の褒賞とやらが8/22付の井伊直政の報告をもとに決定されたものならば池田隊の褒賞も同時に決められていると思いますが
あと伊達への8/26付け書状では「井伊の22日の戦況報告が今日届いた」と日時も報告者も明記してあります
0062人間七七四年
2018/02/09(金) 14:54:14.06ID:9MYvPB+B>あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?
木曽川上流が池田輝政ら
木曽川下流が福島正則や井伊直政、本多忠勝ら
軍艦が付いてたのは福島隊
軍艦から全体の戦況報告は送られてるが池田隊からの戦況報告は離れているために遅れた
池田隊から詳細を聞かなければ褒賞できないために26日まで保留になってたって話な
だから報告はすぐしろって注意書
何通の書状が行き交いしてる時に
池田からの報告が遅れただけで全体が遅れてたと意味のわからん話を展開してるんだよ君は
22日に両方勝利してるのに実際には25日に竹ヶ鼻城攻略褒賞が出ているんだから
そして26日に木曽川・米野の戦いの褒賞と池田側のが一日遅れてるのが事実なんだから
詳細をこれ以外の事実はありません
君が>>57で言ってる落城時期も褒賞も適当に予想して書いたってことが一番矛盾していますよね?
0063人間七七四年
2018/02/09(金) 22:52:33.42ID:0Z2PFrTj金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか500(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む?):300
大手門・大手口:木造ら800
御殿・百曲口:百々700
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬400
権現山砦:石田援将100
稲葉山砦(稲荷山砦含む?):石田援将松田200
う〜ん、兵力足らないね。敵が2万以上では…。
これが8000なら…
金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1300(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):百々1200
大手門・大手口:木造ら1500
御殿:島津義弘1000(遊撃兼務)
百曲口:500
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬・松田ら1000
権現山砦:500
稲葉山砦(稲荷山砦含む):1000
こんなかんじかな?だいぶマシなかんじになる。
0064人間七七四年
2018/02/09(金) 23:03:58.47ID:6hV/4wKU上手く連動して反撃するならともかく
0065人間七七四年
2018/02/09(金) 23:46:09.63ID:0Z2PFrTjこれでも城下町放棄前提でこれだからねぇ、
守備範囲縮小するなら、瑞龍寺山砦、権現山砦、稲葉山砦、稲荷山砦の順だけど、
尾根伝いに来られるようになるし、高所を取られてしまうし、
メリット、デメリット半々といったところ。
一応部署分類すると
金華山山頂:本丸、二の丸、
山麓:水の手口、丸山砦、大手門、大手口、御殿、百曲口、
南方尾根砦群:稲荷山砦、稲葉山砦、権現山砦、瑞龍寺山砦、
0066人間七七四年
2018/02/10(土) 02:23:56.73ID:P5bxnoXV0067人間七七四年
2018/02/10(土) 04:00:16.12ID:IJLurcLU0068人間七七四年
2018/02/10(土) 06:27:14.79ID:pCRv9JE80069人間七七四年
2018/02/10(土) 09:51:51.63ID:hAoLZjw4つまり大坂城と同じだけの金と労力をかけて岐阜城を強化しなかった秀吉に全ての責任があるということだな
そもそもいくら大坂城を強化したところで大坂まで敵が来たら事実上終わりなのに
敵を食い止めるための重要防衛地点より消化試合となる玉砕地点を最優先で強化する秀吉は痴呆症が深刻だった
痴呆症秀吉のせいで岐阜城は持ちこたえることが不可能になったと言える
0070人間七七四年
2018/02/10(土) 10:40:23.96ID:IJLurcLU秀吉はむしろ清洲城を対関東の兵糧備蓄庫&防衛重要拠点にするべく
過去に反抗した実績のある織田信雄を無理矢理追い出して秀次に治めさせたが
秀次切腹後に福島正則を入れたのも秀吉だからな
そのせいで西軍が逆に清洲前で足止めになり逆効果になったという
清洲城を石田三成に任せていたら展開が変わったろうな
0071人間七七四年
2018/02/10(土) 11:26:59.64ID:hAoLZjw4謀反勢力を鎮圧するための重要拠点でもあるからね
石田が福島に何の相談もなく勝手に武装蜂起すれば
謀反と認定して鎮圧に向かう福島の行動は秀吉の指示通りで正しい行動だった
痴呆症秀吉と天下人気取りの傲慢三成が豊臣を滅ぼしたことは間違いない
0072人間七七四年
2018/02/10(土) 12:30:02.81ID:CmsIsrx3元々秀吉は家康はそれなりに警戒しており、駿府に中村一氏、掛川に
山内一豊、浜松に堀尾吉晴、吉田(現豊橋)に池田輝政、岡崎に田中吉政を
置いていた。
ところが、これらの人物は全て秀次派の重鎮で共通しており、秀次事件で
全て豊臣家そのものの敵になった。だから、家康の障害物どころか、
安心して通れる道になってしまった。
これらの人物を全て改易し(池田輝政は一族皆殺しにし)、石田三成を
置くよう、石田三成、増田長盛は働きかけたが、秀吉が受け入れなかった
ため、全てがパーになった。
これに関しては、石田三成を置くべきだったと思っている。
岐阜城に関しては、最初から守備として考えられてはいなかった。
0074人間七七四年
2018/02/10(土) 12:51:52.38ID:hAoLZjw4三成は秀吉以上に処刑・粛清が大好きな人間だからな
残虐趣味の秀吉でさえ秀次事件を秀次の妻子処刑で手打ちにしようと思っていた時点でも
三成はまだ足りない、もっと殺せ、池田輝政・浅野幸長・細川忠興らを妻子もろとも皆殺しだと叫んでいた
残虐処刑を散々繰り返していた秀吉が引くレベルなのだから三成の恐ろしさがよくわかる
これによって三成は豊臣恩顧にとっての最大の脅威になったと言える
0075人間七七四年
2018/02/10(土) 13:19:54.92ID:Yh/mnZVl金華山山頂本丸・二の丸:1500(予備隊含む)
東方尾根守備:1000
水の手口:500
丸山砦:800
大手門・大手口:1500
御殿:2000(遊撃・予備隊兼務)
百曲口:500
城下町:3000
瑞龍寺山砦:1500
権現山砦:700
稲葉山砦(稲荷山砦含む):1500 総計14500
これくらいはほしい。
たしかに14500も守備兵が必要という部分では岐阜城は防御に向かないと言える。
尾根筋等取られると防御に不利になる地点や侵入経路を数多く守らなくてはいけないという点でね。
小牧山のように、シンプルに山に全軍配置で終了、のほうが兵力配置の面では守りやすい。
0076人間七七四年
2018/02/10(土) 13:45:19.13ID:Yh/mnZVl0078人間七七四年
2018/02/10(土) 17:36:02.45ID:AL9tcIlL0079人間七七四年
2018/02/10(土) 19:56:29.71ID:IJLurcLU野戦で負けても秀信が降伏するまで戦い
数十人を残して多くが討ち死にした岐阜城の戦いと
野戦で負けたら大坂城に戻り、徳川軍を招き入れて略奪の限りを尽くした浪人たちとどっちが良かったのかね
名将云々なら島津派遣すればいいし
0080人間七七四年
2018/02/10(土) 20:05:07.22ID:CauGRbJyデマ流すの?
0081人間七七四年
2018/02/10(土) 20:23:57.86ID:IJLurcLU野戦に負けた後に裏切りで火を放たれ大坂城炎上
秀頼に赦免を申し出るも叩き落とされて
守備を放棄して徳川軍を招き入れた話は無かったことになってんのか
浪人はと言うと略奪して逃走してた話も
0082人間七七四年
2018/02/10(土) 20:36:47.62ID:1NEaAZSH大坂城のおかげ
0083人間七七四年
2018/02/10(土) 20:37:06.33ID:Yh/mnZVl榊原や酒井とかの計38000を率いて、っていう想定でいいのかな?
んで、史実で家康が率いた旗本衆33000を宇都宮に送って秀忠に付けると。
あと清洲城って、先発隊35000+家康38000、計73000も入るかな?
0084人間七七四年
2018/02/10(土) 20:38:41.55ID:Yh/mnZVl958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/05(月) 14:41:41.07 ID:tM7//CZI [1/3]
岐阜城が最初から籠城
犬山城も未だ西軍
西軍の先鋒部隊が岐阜城に後詰成功
福島達は清州に後退
この時点で長期化は免れない
東軍が決め手なく時間を浪費する間に北近江と美濃に西軍が集結
京極も裏切るのを止め小早川も西軍の勢いを見て動きが怪しくなる
東北では最上が上杉に降伏し伊達も不穏な動きを始める
家康は関東から動けなくなる
満を持して西軍が尾張に侵攻を開始
家康は関東を秀忠と結城秀康に任せ精鋭を率いて福島達に合流
でどうする?
0085人間七七四年
2018/02/10(土) 21:17:16.28ID:Yh/mnZVlまず先発隊が岐阜城落とせずに清洲に撤退したと聞いたら
すぐさま兵20000で小牧山の占拠に向かうよう指示する。
首尾よく占拠したら小牧山の野戦築城と清洲からの兵粮輸送の指示。
家康自身は兵38000で、甲府〜塩尻〜木曾谷経由で美濃へ向かう。
美濃大井(恵那市)までは中山道、岩村城はスルーして中山道大湫へは向かわず
土岐川沿いに(現R19)多治見へ向かう。そして多治見で止まる。2〜3日止まる。
ここまでで西軍の迎撃があるなら別の策だけど、なければ多治見。
西軍に小細工する余裕を与える。
西軍に動きがなければそのまま内津峠を越えて小牧山で先発隊と合流。
第2次小牧・長久手戦役になる。
馬鹿正直に東海道行くと西軍に小細工する隙を与えられないため。
多治見で止まるのは、ここからなら内津峠越えて小牧山で先発隊に合流するのか、
犬山城を攻撃するのか、それとも可児まで北上しまた中山道から岐阜を狙うのか
判断つかない位置のため。
東軍先発隊による西軍の木曽川渡河迎撃は行わない。
理由は犬山城を押さえられているので、下手に渡河迎撃布陣すると
犬山方面から抜けてきた西軍に後方に回られるリスクが大きいため。
清洲・小牧山のラインで防衛が基本構想。
てか、やっぱ東軍有利だね、清洲押さえてるのは大きい。
0087人間七七四年
2018/02/10(土) 23:28:16.61ID:KLsQocSi0088人間七七四年
2018/02/11(日) 00:42:44.02ID:AYvRQblC秀信は、別の意味でカリスマ有ったんかも知れんね。
事実上滅亡した家の嫡男で、幼児の頃から家老の合議で運営って有る意味愛されるでしょう。
皆で殿をお守りしなければってね。
0089人間七七四年
2018/02/11(日) 07:59:37.07ID:GfakmWkU配下に名将っぷりを発揮したのもいなかった
ただ籠城準備として城下町を焼き払い瓦礫で通路を塞いだから
立花宗茂という名将が敵にいても籠城で一週間耐えているんだよな
0090人間七七四年
2018/02/11(日) 08:28:04.16ID:kjiKvPHG金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1300(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):百々1500
大手門・大手口:木造ら1500
御殿・百曲口:1000+島津義弘1000(遊撃兼務)
稲葉山砦:石田援将河瀬・松田ら1000
稲荷山砦:700
これなら攻勢が予想される稲荷山砦・稲葉山砦、大手口、御殿、丸山砦
いずれも守備兵1500くらいは確保できる。
もっと縮小するなら稲葉山砦、稲荷山砦も放棄、史実に近い形の
金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1500(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):石田援将河瀬・松田ら1000+島津義弘1000(遊撃兼務)
大手門・大手口:木造ら2000
御殿・百曲口:百々2500
こんなかんじになる。攻勢正面の守備兵2000は確保。ただし稲葉山砦あたりの高所を取られる。
0091人間七七四年
2018/02/11(日) 10:38:47.89ID:0IU8tEO/秀信は、別の意味で西軍および豊臣家に戦慄を与えたといえるね
東軍には旧織田家臣系が大勢いるけど、何のためらいもなく秀信を攻撃して瞬殺した
ということは裏を返せば、表面的には豊臣恩顧とされる大名でも
豊臣家が東軍に敵対的な態度を取れば、秀頼であっても適当な理屈をつけて攻撃する可能性が高いというメッセージになる
ただでさえ岐阜が陥落して軍事的に西軍が不利なのに加えて
東軍のこれほどまでの強硬的な覚悟を見せつけられたら、豊臣家本体と三成派以外の豊臣恩顧は東軍とは戦えないよ
よくいわれる秀頼出陣とか大坂篭城というのは秀信の敗北によって二重の意味で不可能となった
秀信討伐という東軍の強硬的な覚悟によって豊臣家も三成派以外の西軍も東軍に折れるしかなくなったと言える
0092人間七七四年
2018/02/11(日) 15:38:54.42ID:LGJzhQLw丹羽→中川→蒲生→前田(失笑)
信長死後18年後に織田がー!なんて言う奴いないよ
秀吉死後16年後に豊臣がー!なんね言う奴いたかぁ?
0094人間七七四年
2018/02/11(日) 16:44:22.27ID:oBVQBAlE0095人間七七四年
2018/02/11(日) 19:06:45.64ID:kjiKvPHGhttp://ime.pta.jp/d/Ei49qm.jpg
>>84の場合、東西両軍による小牧山の争奪戦になるんじゃないかと思う。
タイミング的には東軍が清洲に退却した直後くらい、8月29〜31日くらいかな?
ここのタイミングで小牧山近郊で東西両軍による偶発的遭遇戦があるかもしれない。
確率は低いかもだが、タイミングがぴったり合えば東西両軍による小牧山の争奪戦、
(近代戦の○○○高地の争奪戦みたいな)が起こるかもしれないと思う。
0096人間七七四年
2018/02/11(日) 21:02:14.16ID:AYvRQblC家康はさ、例え秀吉の膝の上でも幼児の秀頼に臣下の礼を取ってるでしょ?
そして東軍参加の大名の殆んども同じだしさあ?
家康が、征夷大将軍を望んだのも豊臣家に臣従してるって意識を消す為でしょ?
更に、大阪の陣の時は代替わりした大名も多く、大阪の殿中の記憶も薄いでしょ。
それでも相当の後ろめたさだったんだし。
この時点で、大阪籠城は相当精神的にきついと思う。
0097人間七七四年
2018/02/11(日) 22:54:31.86ID:bA4eZOJj徹底して滅ぼすのが当時の武士だ
0098人間七七四年
2018/02/11(日) 23:53:13.23ID:jR6uiaVu成人まで中納言に留め置いて、官位を秀忠の下に置き、極官を大納言程度にして舅に頭を下げさせて分をわきまえあせておけば豊臣は存続できたかもね。
0100人間七七四年
2018/02/12(月) 05:35:09.36ID:Z4DX0QkK0102人間七七四年
2018/02/12(月) 07:43:07.23ID:rxk87Ank徳川と上杉がぶつかってれば中央は完全に西軍に落ち着いてたな
真田もいるからジワジワと徳川は追い込まれる
上杉と和睦出来たなら徳川の勝利、出来なければ西軍の勝利だろうな、一度戦ってしまうと和睦は難しいだろうから西軍有利
タイミングとして石田の挙兵が少し早過ぎただけのことだった、完全に徳川と上杉がぶつかってから挙兵すべきであった、ただそれだけのこと
上杉討伐の最中、逆に大谷吉継がタイミングを見計らって小早川秀秋役をやるべきだった
0104人間七七四年
2018/02/12(月) 07:56:47.58ID:IcHELDZ10105人間七七四年
2018/02/12(月) 08:37:34.19ID:ERU6Mh1f0107人間七七四年
2018/02/12(月) 08:44:59.57ID:6ZX6OCSV時間が稼げる代わりに東軍に囲まれる上杉が反撃する力はほとんど残らないだろ
そうなったら史実以上に家康が簡単に西進しやすくなるだけだぞ
0108人間七七四年
2018/02/12(月) 08:49:04.07ID:IcHELDZ10109人間七七四年
2018/02/12(月) 09:07:25.54ID:IcHELDZ1結果上杉が平伏し家康は晴れて江戸に帰り幕府を開くことが出来た
関ヶ原後も上杉は1年間頑張ってた
史実はこんなとこ
0111人間七七四年
2018/02/12(月) 10:02:00.37ID:z27tLKNp上杉との戦いが始るのかも確認せずに速攻で蜂起して
畿内の基盤固めなどは全て無視して東進させろの一点張り
これほど露骨な私欲を見せられたら西軍の大半も白けてやる気をなくすよ
西軍は三成の私欲によって敗れたといっていい
0112人間七七四年
2018/02/12(月) 10:32:04.54ID:sTFSKbnt結城秀康が助命に動いてたってのもあるだろうけど
もはや勝負あったからでしょ
あと上杉はあの状況でも結局徳川を全く攻めなかった
その後の上杉の徳川幕府への忠勤ぶりを見ても
味方にした方が良いと家康も判断したのでは
0113人間七七四年
2018/02/12(月) 10:36:53.44ID:cwJrVWUb無理です。
石田三成は丹後宮津や近江大津などに、戦争の際にしてはいけない兵力分散をやるような愚将です。大津は気になるなら佐和山あたりに数千入れとけばいいのに、わざわざ1万以上さし向ける。
伏見にしても、城内にいるのは2000も無いんだから、同数か少し上で牽制しといてさっさと各地の平定に行くべきなのに、2週間も費やす。
西軍は最初から自滅の道を歩んでいます。
0114人間七七四年
2018/02/12(月) 11:08:13.34ID:1vFo4KvFごまかして遅らせてもせいぜい2〜3日。垂井の大谷を佐和山に呼ぶところからもうぎりぎり。
0115人間七七四年
2018/02/12(月) 11:19:29.81ID:1vFo4KvF各地の平定ってどこを想定してるの?伊賀、伊勢、美濃、越前?
越前と美濃は大谷と石田が勧誘を行ってるでしょ。
0116人間七七四年
2018/02/12(月) 12:20:50.87ID:Yfu/6HTP大津城は水運の拠点だから無いと厳しい
交通や運送の要衝を放置するなんて当時の戦国時代ではあり得ない非常識
0117人間七七四年
2018/02/12(月) 14:22:34.40ID:rxga68nqあの時点では、家康は豊臣家の家老って建前で上杉攻めをやってる訳で傘下の大名も家臣だとは
思って無いでしょ。
そして家康の性格からすれば豊臣恩顧大名を前線に出し徳川の旗本は温存するはず。
上杉と豊臣恩顧が磨り潰されるのを眺める形に成る訳ですが?
これさあ、福島あたりが腹立てて寝返る可能性無いのかな?
0118人間七七四年
2018/02/12(月) 14:57:00.83ID:0NnB8nf6豊臣家の家老とか寝言もいいとこ
0119人間七七四年
2018/02/12(月) 15:00:02.40ID:wOEiNA5b戦力差が圧倒的すぎて寝返る馬鹿などいない。
せいぜい不満に思って手を抜くくらい。
小田原征伐で北条に味方したのがいないのと同じ。
0120人間七七四年
2018/02/12(月) 15:11:16.69ID:7vurP/a4上杉に対する報復は望むところ
0121人間七七四年
2018/02/12(月) 16:19:37.09ID:G9hcg5Dr史実の体たらくを見てると状況が悪くなってでも時間を稼いできっちり戦略政略を詰めたほうがまだ期待できる気がするw
まあ、より状況が悪くなってどうしようもなくなる可能性の方が高そうだが
0122人間七七四年
2018/02/12(月) 16:40:50.90ID:2CAXW3Vo関ヶ原のそれこそ岐阜の前哨戦がまさにその状況だけど
福島めっちゃヤル気マンマンで家康の想定以上の活躍してるし
戦うことに躊躇がある奴じゃないと思う
そのあと何を言うかは読めないところあるが
0123人間七七四年
2018/02/13(火) 13:55:57.01ID:1w0ofyN4家康を接待漬けでひたすら天婦羅食わせまくって
胃がんのリスク高めればそれで勝つる
結局のところ寿命に尽きるんだよ 徳川の勝因なんて
家康がもう10年早く死んでたら徳川の天下はだいぶ危うかった
0124人間七七四年
2018/02/13(火) 14:00:45.62ID:ZubJUYjY関ケ原では西軍が負けてただろ
0125人間七七四年
2018/02/13(火) 14:01:05.35ID:1w0ofyN4・家康存命中に有力大名が軒並み寿命つきて代替わりした
・家康存命中に秀忠の対抗馬になりそうな秀康、忠吉が死んだので徳川が割れずに済んだ
この2点がかなり大きい
0126人間七七四年
2018/02/13(火) 14:02:55.60ID:1w0ofyN4だからことを起こすのは家康が死ぬまで待つんだよ
代替わり起きれば相続にかこつけて徳川を解体するのは容易い
0128人間七七四年
2018/02/13(火) 14:36:16.35ID:PziaNeNP0129人間七七四年
2018/02/13(火) 15:57:09.83ID:4z1k1p8M0130人間七七四年
2018/02/13(火) 16:27:13.56ID:PziaNeNPこのうち「銀液丹」という薬は、主成分に水銀とヒ素を使用したものです。
水銀やヒ素は毒薬ともなるものです。これを毎日飲み続けることにより、毒に対する抵抗力が強くなると家康は考えていたようです。
0131人間七七四年
2018/02/13(火) 16:35:26.27ID:YXOFe/lx史実ではそれが待てなかったんだろ大坂は。
淀が江戸に出向いただけでかなり時間稼ぎできたのに、それすらしない。
0132人間七七四年
2018/02/13(火) 16:47:27.98ID:PziaNeNP0133人間七七四年
2018/02/13(火) 17:41:24.47ID:xCKTREQp0134人間七七四年
2018/02/13(火) 19:26:40.22ID:wNVxYCLe0135人間七七四年
2018/02/13(火) 19:41:43.32ID:y3ki6r2b想像していなかったことがおこると混乱する弱さはあるな。
義元が死んで混乱したり、信長が死んで混乱したりする。
秀吉はその逆で抜け目なく動き、信長の家族を殺して1年で主家を乗っ取る非情さを持っている
0136人間七七四年
2018/02/14(水) 01:39:53.73ID:1+buB0AZマジレスすると、砒素は毎日服用すると段々毒に耐性付く事が知られてます。
だから、同じ砒素入り酒を飲んで相手だけ殺すとか可能、て言うか一時期それを利用した弁護が
流行ったそうな。
被疑者は砒素を常用する特殊な習慣が有って殺意は無いとかね。
水銀も殺菌作用が有るんで、食あたりとか皮膚病用の軟膏とか有る。
常用しなければ、水銀は古来から有力な殺菌剤なんよね。
0137人間七七四年
2018/02/14(水) 03:28:04.67ID:hF9ySb9z秀吉の時は先に家康から人質取ってたし勢力の大きさでも優位に立ってるから逆に簡単に人質出せたんだよ
秀頼の時とはまるで状況が違う
0138人間七七四年
2018/02/14(水) 05:45:43.23ID:1+buB0AZまあ、それで時間稼ぎが一番穏当な計略かもね、ご母堂の屋敷なんだから出来あいの物では満足
出来ない、大大的な改修工事が必要って言えば二年くらい稼げるかも。
鐘の事件で、屋敷造営中で時間稼ぎすれば家康死ぬし。
0139人間七七四年
2018/02/16(金) 21:01:00.39ID:G1913qqKそれぞれ金沢→春日山→山形→仙台、名古屋→掛川→江戸→甲府に向かわせ焼き払う
西軍は持久戦で東軍を釘付けにして秀忠が到着した頃には東軍は帰る場所もなく補給が絶たれて終了
0140人間七七四年
2018/02/16(金) 21:02:42.71ID:rGQK1pEr0141人間七七四年
2018/02/16(金) 21:06:15.67ID:Bso8GqfXあと、常高院を通じてさらにお江に働きかけを強めるべきだな。それで幕府の考えが変わるとは思えないが、揺さぶりをかけるくらいにはなる。
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