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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12

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0001人間七七四年2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0017人間七七四年2018/02/06(火) 08:49:10.12ID:krlQWtfR
自分が敵だったら飲料水確保する井戸、水くみ場を速攻で落とすね
まずは相手の士気を落とす
0018人間七七四年2018/02/06(火) 08:57:41.54ID:6fQUxiLq
>>16
竹ヶ鼻城落城の報と佐竹が引いた8月25日に蒲生秀行と大田原晴清には
家康は出陣延期の通知しているから全く重要視されてないのが分かるからキーじゃないのは確定だよ
数日間全く指示なし

岐阜城攻略後には家康出陣と秀忠西進による先鋒隊進軍停止命令と最上にも岐阜城攻略を伝えてるからね

状況が変わったらすぐ褒賞と命令を伝える筆忠実な家康が、竹ヶ鼻城攻略との報と佐竹が退いた8月25日間に出陣延期としらせただけで数日間指示なし
これが何よりの証拠だね
0019人間七七四年2018/02/06(火) 09:13:23.04ID:6fQUxiLq
>>17
そう思うよね
だから大軍に水を供給可能な信長公居館を真田丸みたいに出城に改修していて
そこを敵が水を断つぞ!と攻め寄せてきたらどうなるかって話に繋がる

http://livedoor.blogimg.jp/sengokuaruko/imgs/f/f/ff3d7239.png
信長公居館周りに空堀は欲しいよね
0020人間七七四年2018/02/06(火) 09:31:55.32ID:6fQUxiLq
城下町まで野戦築城を広げてると広範囲すぎて守れなくなる上に
敵が水を断つことを考えなくなるので、あえて信長公居館を落とせば水源が断てると思わせる
だが、実は敵を誘き寄せて蜂の巣にするためで、元岐阜城主が水事情を知っていることを逆手に取れるよね
水の手口側も同様に

史実の岐阜城は野戦から逃げ帰って全く籠城準備出来てないところを攻めこまれる付け入り戦法で落とされたのが痛いわな
0021人間七七四年2018/02/06(火) 09:32:24.64ID:R+sCICJf
>>1
いつの間にお前の籠城作戦がテンプレになったんだ?
0022人間七七四年2018/02/06(火) 10:10:31.79ID:3lj0onF6
関が原のIFが試せるボードゲーム

『関ヶ原』 バンダイifシリーズ、1980年代
『関ヶ原』 エポック社、1980年代
『決戦関ヶ原』 エポック社EWEシリーズ、1980年代
『激闘関ヶ原』 ツクダホビー、1980年代
『異聞関ヶ原 家康最大の敗北』 アドテクノス(朝日出版社) - シミュレーションゲームブック、1983年
『戦国の一番長い日』 ツクダホビー、1989年
「Sekigahara」(『SAMURAI』収録) GMT Games、1993年
「戦略級関ヶ原」(『ゲームジャーナル2号』収録) シミュレーションジャーナル、2002年
「決戦!関ヶ原」(『コマンドマガジン日本版54号』収録) 国際通信社、2003年
「関ヶ原強襲」(『ゲームジャーナル17号』収録) シミュレーションジャーナル、2005年
「真本信長公記」(『コマンドマガジン日本版69号』収録) 国際通信社、2006年
「天下強奪?関ヶ原を越えて?」(『コマンドマガジン日本版78号』収録) 国際通信社、2007年
「関ヶ原大作戦/入札級関ヶ原」(『ゲームジャーナル32号』収録) シミュレーションジャーナル、2009年
「関ヶ原戦役」(『ウォーゲーム日本史第03号』収録) 国際通信社、2009年
「関ヶ原前哨戦」(さいたまゲームサークル(同人誌) - SLGamer #1,#4,2010)
「関ヶ原総進撃」(さいたまゲームサークル(同人誌) - SLGamer #3,#4,2011)
Sekigahara: Unification of Japan (GMT Games,2011年,2014年)
0023人間七七四年2018/02/06(火) 10:20:17.20ID:98EfzhXU
>>20
史実では信長公居館の反対側から天守に向かって落としているんだけどな。

信長公居館とか言っている奴は秀信以上に戦略的を分散させるよな。
0024人間七七四年2018/02/06(火) 10:23:31.40ID:98EfzhXU
>>16
まあ上杉が南下なんかしたら伊達と最上に切り取られ放題だよな。
上杉もそこまでバカじゃないだろう。
0025人間七七四年2018/02/06(火) 10:30:51.86ID:6fQUxiLq
>>23
>水の手口側も同様に

この文字が読めんのか?
場所の地名も知らずに喚いてんのか
0026222018/02/06(火) 10:50:26.93ID:3lj0onF6
最新作を忘れてた

「シン・関ヶ原」ゲームジャーナルNo.64
0027人間七七四年2018/02/06(火) 10:54:27.60ID:98EfzhXU
>>25
こいつ南も北も戦力を集中させずに防衛できると思っているんだろうな。
アホだな
0028人間七七四年2018/02/06(火) 10:59:35.49ID:6fQUxiLq
>>27
史実と違って野戦に出ずに7000〜8000の兵力があるのに、お前は山の頂上の天守のみで守ろうと思ってるアホなんかw
0029人間七七四年2018/02/06(火) 11:30:35.40ID:0GzxIHuF
はっきり言って、戦争になったら西軍に勝ち目はほとんど無い。仮に関ヶ原で勝てても、家康を取り逃がしたら無傷の関東で立て直しがきくから意味がない。

西軍が勝つなら、家康を何が何でも暗殺するしかない。家康と刺し違えるか、狙撃するか。
0030人間七七四年2018/02/06(火) 11:35:06.20ID:0j9uAOY+
無症ではないが秀忠と退却軍で盛り返せる
0031人間七七四年2018/02/06(火) 11:43:31.71ID:0GzxIHuF
石田三成が本当の忠臣なら、家康と顔を合わせる機会などいくらでもあるんだから、その時に刺し違えるしかなかった。勿論、石田氏は改易だが。
0032人間七七四年2018/02/06(火) 12:04:12.29ID:wwos3KZT
>>29
だろうな。どんな局面になろうと豊臣は終わりだよ
徳川の天下か、乱世かの違いはあれど。
0033人間七七四年2018/02/06(火) 12:07:48.67ID:R+sCICJf
>>29
西軍内でグダグタやって関東遠征なんてできんだろうな
その間に家康に準備を整えられて終了か
0034人間七七四年2018/02/06(火) 12:50:15.71ID:emwlg9+k
>>28
それだけの数を揃え籠城を採用するには、
西軍が東軍の行動を事前に的確に予測し、
適切な対応を遅滞なく行うのが大前提
0035人間七七四年2018/02/06(火) 13:22:53.65ID:VimXG1GZ
>>18
25日の段階ではあくまで佐竹はただ弁明しただけだが
その秀忠軍に佐竹の寄騎がついてはじめて佐竹は大丈夫と踏んだのだろう
そういう意味では岐阜城陥落直後に動いてる訳でもないし
そもそも家康が岐阜城にこだわる理由が全くない
0036人間七七四年2018/02/06(火) 14:23:03.64ID:69IyYoMp
>>35
岐阜城無視して近江に出るとかはもっとあり得ない。そんなことして背後に敵を作ったまま、西に行くとでも?
0037人間七七四年2018/02/06(火) 14:46:36.06ID:p/Np5pA3
【m9(^Д^)】  リーマン級暴落  ≪≪日 米 同 時 破 綻≫≫  沖縄にUFO  【m9(^Д^)】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1517884399/l50
0038人間七七四年2018/02/06(火) 15:02:47.80ID:6fQUxiLq
>>35
>25日の段階ではあくまで佐竹はただ弁明しただけだが
>その秀忠軍に佐竹の寄騎がついてはじめて佐竹は大丈夫と踏んだのだろう

家康から秀忠か佐竹側または重臣に佐竹の300騎が来たら家康に伝えてくれと書状を送り
秀忠や佐竹側から到着したと家康に書状を送る手間が出るんで
そんな書状があったのか見せて欲しいね
スゲー言い訳がましいことを言い出してるみたいだけど
>>18は書状があるから確定してる
君のはもちろんそういう書状があることを根拠に話してるよね?
0039人間七七四年2018/02/06(火) 15:29:56.15ID:6fQUxiLq
>>34
7000以上の兵力で水源がある信長公居館と水の手口を放棄して山頂の天守のみで戦うことは馬謖と同じになるって言ってるだけだよ
むしろ山頂の天守のみで7000以上収容できるのかと
0040人間七七四年2018/02/06(火) 16:03:21.52ID:Q+3p/sta
>>34
犬山城は兵7000で籠城してるが。
0041人間七七四年2018/02/06(火) 17:38:28.21ID:emwlg9+k
>>40
犬山城は尾張国にある唯一の西軍拠点だから兵を集中しただけかと
西軍は何時何処に東軍先鋒が来るのか、いやそもそも東軍先鋒が西軍に
加わる可能性も捨てきれていなかったし
0042人間七七四年2018/02/06(火) 18:14:38.89ID:6fQUxiLq
>>41
むしろ8月5日の書状で福島正則の説得で開城できなかったら伊勢方面軍と合流後に清洲を攻めるとあったから
美濃尾張間が戦場になるのは石田三成も分かってたから犬山城に兵を集めて籠城したんでしょ
0043人間七七四年2018/02/06(火) 18:44:04.36ID:VimXG1GZ
>>38
貴方こそ岐阜城が落ちたからと家康が明言している書状があって言ってるの?
0044人間七七四年2018/02/06(火) 19:21:01.30ID:VimXG1GZ
繰り返しになるけど岐阜城陥落が家康にとって勢いになった事は否定しないよ
ただ

岐阜城落ちる→家康が行く はあってもおかしくないが

岐阜城が落ちない→家康が行かない の理由がないだけ
0045人間七七四年2018/02/06(火) 19:30:22.01ID:6fQUxiLq
>>43
>>18で書状で確定してるが、君のは存在しない
これがもう答えだね

何よりの君の論が間違っていると断言できるのは
佐竹は54万石もあるのに兵数300しか送らなかったのに家康が安心したと思った点だ

関ヶ原合戦時の各大名の石高と動員した兵数
福島正則 24万石 6,000〜8,000
筒井定次 20万石 2,800 小西行長 20万石 4000〜6,000
細川忠興 18万石 5,000 黒田長政 18万石 5,400〜6,000
石田三成 19万石 6000〜6,900
宇喜多秀家 54万石 15,000〜17,200
小早川秀秋 37万石 8,000〜15,000
長宗我部盛親 22万石 6,600


54万石だったら反省の意味を込めて最低でも8,000以上(宇喜多は佐竹とほほ同じ石高で倍の兵をだしているが)を裕に超える兵数を出さなければならない
それが上杉との話と300しか出してないことに関ヶ原合戦終了後に家康が知って大激怒して
佐竹が京まで行って家康に謝罪と家名存続を懇願する事態に陥ったという
そして佐竹も西軍主力と同じような扱いを受けて大減封
君のいう300の兵数だけで家康が安心したという話は全くのデタラメだと断言できる
0046人間七七四年2018/02/06(火) 20:06:20.13ID:EOQuVK0e
>>45
大軍じゃないとダメという根拠が無さすぎる
その後の和平行動にも動いた佐竹の重臣を寡兵ながらもつけた事で口だけではないとして
関東から動けるきっかけになった事はなんら違和感はないだろう
逆に岐阜城にこだわる理由って何?
0047人間七七四年2018/02/06(火) 20:08:48.65ID:6fQUxiLq
>>46
君のは書状とかを根拠にしない君の妄想だと分かってるからw
君の妄想と違って書状を根拠にしたのが>>18だから

まず君は妄想ばかりしてないで書状なりの根拠だしてから語ってね
0048人間七七四年2018/02/06(火) 20:18:35.85ID:emwlg9+k
>>42
あくまで攻勢の一環であって、攻められた場合の東軍の主攻勢面は見切れていない
0049人間七七四年2018/02/06(火) 20:23:12.31ID:6fQUxiLq
>>48
8月5日で美濃尾張間で戦いがあるのは三成も想定してたのは確実だよ
伊勢方面軍を待つ状況に陥ってたから書状通りになったし
0050人間七七四年2018/02/07(水) 00:19:14.33ID:zhQlDm6D
>>48
福島が味方しなかった場合、前線になるかもしれない美濃+犬山で、
石田の予定が伊勢方面隊といっしょに清洲を攻撃する、であっても、
美濃衆が攻撃のことだけで防御のことをまるで考えないというのもおかしな話だと思うが。
場合によっては籠城も有り得る、と想定するのが前線の武将じゃないの?
0051人間七七四年2018/02/07(水) 09:02:10.25ID:7SuaiKOH
>>49
「御理申半」と未だに西軍参加の可能性を持っている
更に後には清須攻撃から「尾・濃之間」と国境迎撃に方針を切り替えた

つまり秀信の迎撃は三成の意思に沿っている
0052人間七七四年2018/02/07(水) 12:49:47.10ID:pQ6+zoHy
岐阜城は犬山城みたいに東軍の申し出を受け入れたフリして
日数引き延ばすのは出来なかったんだろうか?
島左近あたりはそういう戦法を心得てそうだから
派遣していれば…
0053人間七七四年2018/02/07(水) 12:57:24.78ID:DC7Fbf1M
岐阜城の応戦は竹ヶ鼻を先に攻められた事による後詰めだという説もあるんだな
0054人間七七四年2018/02/07(水) 13:02:16.08ID:pQ6+zoHy
岐阜城勢も竹ヶ鼻城勢も最初から出撃して渡河防衛ですよ
0055人間七七四年2018/02/08(木) 11:51:22.25ID:SgDqgp+z
犬山城が東軍の申し出を受けた振りをして時間稼ぎできてたのは
軍師 竹中半兵衛の嫡男の竹中重門がいたからという説があるが
竹中重門の実績見ると考えてしまうな
0056人間七七四年2018/02/08(木) 23:30:19.47ID:NtYySYnF
wikiの「織田秀信」の項を見ると、岐阜城籠城時、百々綱家の守備配置が
御殿・百曲口となってる。
百々綱家がここで言われてる居館跡を守ってる。
金華山山頂本丸、大手門?大手口、御殿・百曲口、水の手口、瑞龍寺山砦、
権現山砦、稲葉山砦、

石田援将に南方外郭砦、家老に山麓登山口及び大手門、居館跡、
秀信、秀則が山頂本丸ってかんじだね。
今後は居館跡は御殿と呼んだほうがいいかな。
0057人間七七四年2018/02/09(金) 01:21:15.38ID:ljZltCau
>>47
横からで悪いが家康が竹ヶ鼻落城を知ったのは26日という説もあるので断言は避けたほうがいいかと
池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で「22日に書かれた戦況報告が今日届いた」と書かれてる内容のものがあるので8/25の太田原・蒲生宛ての手紙は家康が竹ヶ鼻城陥落のことを知る前に書かれた可能性もある
0058人間七七四年2018/02/09(金) 06:23:06.69ID:9MYvPB+B
>>57
25日に先鋒隊の複数の大名に竹ヶ鼻城攻略褒賞を出してるんで
25日の時点で家康が落城を知ってたのは確実だよ
0059人間七七四年2018/02/09(金) 11:21:49.87ID:ljZltCau
>>58
上でも書いてますが26日に「今日前線の報告が届いた」と記載されてる手紙が複数存在するのに25日の褒賞を約した書状が確実だと断言できる根拠が知りたいですね
関ヶ原関係の史料はもともと後世の創作や偽造が多いのでよほど慎重な史料精査が必要なのですが
0060人間七七四年2018/02/09(金) 12:09:59.85ID:9MYvPB+B
>>59
>池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で

池田は竹ヶ鼻城攻略ではない
木曽川・米野の戦いの褒賞は26日
22日の時点で軍監の報告で明日から岐阜城包囲する予定と報告されていたが
22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
福島じゃなくて池田って時点で話は完結してる
0061人間七七四年2018/02/09(金) 13:29:35.70ID:ljZltCau
>>60
>22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
違います
あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?
8/25の竹ヶ鼻城の褒賞とやらが8/22付の井伊直政の報告をもとに決定されたものならば池田隊の褒賞も同時に決められていると思いますが
あと伊達への8/26付け書状では「井伊の22日の戦況報告が今日届いた」と日時も報告者も明記してあります
0062人間七七四年2018/02/09(金) 14:54:14.06ID:9MYvPB+B
>>61
>あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?

木曽川上流が池田輝政ら
木曽川下流が福島正則や井伊直政、本多忠勝ら
軍艦が付いてたのは福島隊

軍艦から全体の戦況報告は送られてるが池田隊からの戦況報告は離れているために遅れた
池田隊から詳細を聞かなければ褒賞できないために26日まで保留になってたって話な
だから報告はすぐしろって注意書
何通の書状が行き交いしてる時に
池田からの報告が遅れただけで全体が遅れてたと意味のわからん話を展開してるんだよ君は
22日に両方勝利してるのに実際には25日に竹ヶ鼻城攻略褒賞が出ているんだから
そして26日に木曽川・米野の戦いの褒賞と池田側のが一日遅れてるのが事実なんだから
詳細をこれ以外の事実はありません
君が>>57で言ってる落城時期も褒賞も適当に予想して書いたってことが一番矛盾していますよね?
0063人間七七四年2018/02/09(金) 22:52:33.42ID:0Z2PFrTj
仮に史実での岐阜城籠城時守備兵が3000だった場合、こんなかんじだろうか?

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか500(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む?):300
大手門・大手口:木造ら800
御殿・百曲口:百々700
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬400
権現山砦:石田援将100
稲葉山砦(稲荷山砦含む?):石田援将松田200

う〜ん、兵力足らないね。敵が2万以上では…。


これが8000なら…

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1300(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):百々1200
大手門・大手口:木造ら1500
御殿:島津義弘1000(遊撃兼務)
百曲口:500
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬・松田ら1000
権現山砦:500
稲葉山砦(稲荷山砦含む):1000

こんなかんじかな?だいぶマシなかんじになる。
0064人間七七四年2018/02/09(金) 23:03:58.47ID:6hV/4wKU
そんなに分散させたらあんま変わらんのでは
上手く連動して反撃するならともかく
0065人間七七四年2018/02/09(金) 23:46:09.63ID:0Z2PFrTj
>>64
これでも城下町放棄前提でこれだからねぇ、
守備範囲縮小するなら、瑞龍寺山砦、権現山砦、稲葉山砦、稲荷山砦の順だけど、
尾根伝いに来られるようになるし、高所を取られてしまうし、
メリット、デメリット半々といったところ。

一応部署分類すると
金華山山頂:本丸、二の丸、
山麓:水の手口、丸山砦、大手門、大手口、御殿、百曲口、
南方尾根砦群:稲荷山砦、稲葉山砦、権現山砦、瑞龍寺山砦、
0066人間七七四年2018/02/10(土) 02:23:56.73ID:P5bxnoXV
それぞれ守るには大将にも相当な統率力が必要だろな
0067人間七七四年2018/02/10(土) 04:00:16.12ID:IJLurcLU
なお城下町を含む総構えの大坂城の総大将の秀頼は置物状態だったという
0068人間七七四年2018/02/10(土) 06:27:14.79ID:pCRv9JE8
秀頼を西側に抱き込んでいたらまた違ったかも
0069人間七七四年2018/02/10(土) 09:51:51.63ID:hAoLZjw4
>>67
つまり大坂城と同じだけの金と労力をかけて岐阜城を強化しなかった秀吉に全ての責任があるということだな
そもそもいくら大坂城を強化したところで大坂まで敵が来たら事実上終わりなのに
敵を食い止めるための重要防衛地点より消化試合となる玉砕地点を最優先で強化する秀吉は痴呆症が深刻だった
痴呆症秀吉のせいで岐阜城は持ちこたえることが不可能になったと言える
0070人間七七四年2018/02/10(土) 10:40:23.96ID:IJLurcLU
>>69
秀吉はむしろ清洲城を対関東の兵糧備蓄庫&防衛重要拠点にするべく
過去に反抗した実績のある織田信雄を無理矢理追い出して秀次に治めさせたが
秀次切腹後に福島正則を入れたのも秀吉だからな
そのせいで西軍が逆に清洲前で足止めになり逆効果になったという
清洲城を石田三成に任せていたら展開が変わったろうな
0071人間七七四年2018/02/10(土) 11:26:59.64ID:hAoLZjw4
清洲城は西側で謀反を起こす勢力が現れた場合に徳川と連携して
謀反勢力を鎮圧するための重要拠点でもあるからね
石田が福島に何の相談もなく勝手に武装蜂起すれば
謀反と認定して鎮圧に向かう福島の行動は秀吉の指示通りで正しい行動だった
痴呆症秀吉と天下人気取りの傲慢三成が豊臣を滅ぼしたことは間違いない
0072人間七七四年2018/02/10(土) 12:30:02.81ID:CmsIsrx3
>>69-70
元々秀吉は家康はそれなりに警戒しており、駿府に中村一氏、掛川に
山内一豊、浜松に堀尾吉晴、吉田(現豊橋)に池田輝政、岡崎に田中吉政を
置いていた。

ところが、これらの人物は全て秀次派の重鎮で共通しており、秀次事件で
全て豊臣家そのものの敵になった。だから、家康の障害物どころか、
安心して通れる道になってしまった。

これらの人物を全て改易し(池田輝政は一族皆殺しにし)、石田三成を
置くよう、石田三成、増田長盛は働きかけたが、秀吉が受け入れなかった
ため、全てがパーになった。
これに関しては、石田三成を置くべきだったと思っている。

岐阜城に関しては、最初から守備として考えられてはいなかった。
0073人間七七四年2018/02/10(土) 12:38:19.20ID:NnOG2X3L
>>72
お前の脳内創作は心の底からどうでもいいんで
0074人間七七四年2018/02/10(土) 12:51:52.38ID:hAoLZjw4
>>72
三成は秀吉以上に処刑・粛清が大好きな人間だからな
残虐趣味の秀吉でさえ秀次事件を秀次の妻子処刑で手打ちにしようと思っていた時点でも
三成はまだ足りない、もっと殺せ、池田輝政・浅野幸長・細川忠興らを妻子もろとも皆殺しだと叫んでいた
残虐処刑を散々繰り返していた秀吉が引くレベルなのだから三成の恐ろしさがよくわかる
これによって三成は豊臣恩顧にとっての最大の脅威になったと言える
0075人間七七四年2018/02/10(土) 13:19:54.92ID:Yh/mnZVl
岐阜城に万全の守備を求めた場合、

金華山山頂本丸・二の丸:1500(予備隊含む)
東方尾根守備:1000
水の手口:500
丸山砦:800
大手門・大手口:1500
御殿:2000(遊撃・予備隊兼務)
百曲口:500
城下町:3000
瑞龍寺山砦:1500
権現山砦:700  
稲葉山砦(稲荷山砦含む):1500  総計14500

これくらいはほしい。
たしかに14500も守備兵が必要という部分では岐阜城は防御に向かないと言える。
尾根筋等取られると防御に不利になる地点や侵入経路を数多く守らなくてはいけないという点でね。

小牧山のように、シンプルに山に全軍配置で終了、のほうが兵力配置の面では守りやすい。
0076人間七七四年2018/02/10(土) 13:45:19.13ID:Yh/mnZVl
あ、城下町守備前提なら総計から1000くらい減らして13500くらいかな。
0077人間七七四年2018/02/10(土) 17:24:28.29ID:qJ0p05ZF
>>67
大坂の現場の各大将は名将揃いだったろうに
岐阜城にはどこにいるのか
0078人間七七四年2018/02/10(土) 17:36:02.45ID:AL9tcIlL
橙武者「そやな」
0079人間七七四年2018/02/10(土) 19:56:29.71ID:IJLurcLU
>>77
野戦で負けても秀信が降伏するまで戦い
数十人を残して多くが討ち死にした岐阜城の戦いと
野戦で負けたら大坂城に戻り、徳川軍を招き入れて略奪の限りを尽くした浪人たちとどっちが良かったのかね

名将云々なら島津派遣すればいいし
0080人間七七四年2018/02/10(土) 20:05:07.22ID:CauGRbJy
>野戦で負けたら大坂城に戻り、徳川軍を招き入れて略奪の限りを尽くした浪人たちとどっちが良かったのかね

デマ流すの?
0081人間七七四年2018/02/10(土) 20:23:57.86ID:IJLurcLU
>>80
野戦に負けた後に裏切りで火を放たれ大坂城炎上
秀頼に赦免を申し出るも叩き落とされて
守備を放棄して徳川軍を招き入れた話は無かったことになってんのか
浪人はと言うと略奪して逃走してた話も
0082人間七七四年2018/02/10(土) 20:36:47.62ID:1NEaAZSH
日本を敵に回して豊臣が耐えれたのは
大坂城のおかげ
0083人間七七四年2018/02/10(土) 20:37:06.33ID:Yh/mnZVl
前スレ>>958なんだけど、精鋭って書いてあるけど、家康は史実で秀忠が率いていった
榊原や酒井とかの計38000を率いて、っていう想定でいいのかな?
んで、史実で家康が率いた旗本衆33000を宇都宮に送って秀忠に付けると。

あと清洲城って、先発隊35000+家康38000、計73000も入るかな?
0084人間七七四年2018/02/10(土) 20:38:41.55ID:Yh/mnZVl
これね。

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/05(月) 14:41:41.07 ID:tM7//CZI [1/3]
岐阜城が最初から籠城
犬山城も未だ西軍
西軍の先鋒部隊が岐阜城に後詰成功
福島達は清州に後退

この時点で長期化は免れない
東軍が決め手なく時間を浪費する間に北近江と美濃に西軍が集結
京極も裏切るのを止め小早川も西軍の勢いを見て動きが怪しくなる
東北では最上が上杉に降伏し伊達も不穏な動きを始める
家康は関東から動けなくなる
満を持して西軍が尾張に侵攻を開始

家康は関東を秀忠と結城秀康に任せ精鋭を率いて福島達に合流

でどうする?
0085人間七七四年2018/02/10(土) 21:17:16.28ID:Yh/mnZVl
>>958を家康視点で考えてみる。
まず先発隊が岐阜城落とせずに清洲に撤退したと聞いたら
すぐさま兵20000で小牧山の占拠に向かうよう指示する。
首尾よく占拠したら小牧山の野戦築城と清洲からの兵粮輸送の指示。
家康自身は兵38000で、甲府〜塩尻〜木曾谷経由で美濃へ向かう。
美濃大井(恵那市)までは中山道、岩村城はスルーして中山道大湫へは向かわず
土岐川沿いに(現R19)多治見へ向かう。そして多治見で止まる。2〜3日止まる。
ここまでで西軍の迎撃があるなら別の策だけど、なければ多治見。
西軍に小細工する余裕を与える。
西軍に動きがなければそのまま内津峠を越えて小牧山で先発隊と合流。
第2次小牧・長久手戦役になる。

馬鹿正直に東海道行くと西軍に小細工する隙を与えられないため。
多治見で止まるのは、ここからなら内津峠越えて小牧山で先発隊に合流するのか、
犬山城を攻撃するのか、それとも可児まで北上しまた中山道から岐阜を狙うのか
判断つかない位置のため。

東軍先発隊による西軍の木曽川渡河迎撃は行わない。
理由は犬山城を押さえられているので、下手に渡河迎撃布陣すると
犬山方面から抜けてきた西軍に後方に回られるリスクが大きいため。
清洲・小牧山のラインで防衛が基本構想。

てか、やっぱ東軍有利だね、清洲押さえてるのは大きい。
0086人間七七四年2018/02/10(土) 22:08:09.61ID:P5bxnoXV
>>79
島津義弘のいるとこだけ残して後はさっさと片付けられそうやな
0087人間七七四年2018/02/10(土) 23:28:16.61ID:KLsQocSi
島津が名将だとしてもゲームの駒じゃないんだから、関ヶ原本戦のように環境や立場が悪ければ糞の役にも立たない訳で
0088人間七七四年2018/02/11(日) 00:42:44.02ID:AYvRQblC
>>79
秀信は、別の意味でカリスマ有ったんかも知れんね。
事実上滅亡した家の嫡男で、幼児の頃から家老の合議で運営って有る意味愛されるでしょう。
皆で殿をお守りしなければってね。
0089人間七七四年2018/02/11(日) 07:59:37.07ID:GfakmWkU
大津城の戦いも京極高次は蛍大名と陰口を言われるくらいだから名将といえないし
配下に名将っぷりを発揮したのもいなかった
ただ籠城準備として城下町を焼き払い瓦礫で通路を塞いだから
立花宗茂という名将が敵にいても籠城で一週間耐えているんだよな
0090人間七七四年2018/02/11(日) 08:28:04.16ID:kjiKvPHG
瑞龍寺山砦と権現山砦を放棄して稲荷山砦、稲葉山砦を南端とするとこうなる。

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1300(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):百々1500
大手門・大手口:木造ら1500
御殿・百曲口:1000+島津義弘1000(遊撃兼務)
稲葉山砦:石田援将河瀬・松田ら1000
稲荷山砦:700

これなら攻勢が予想される稲荷山砦・稲葉山砦、大手口、御殿、丸山砦
いずれも守備兵1500くらいは確保できる。

もっと縮小するなら稲葉山砦、稲荷山砦も放棄、史実に近い形の

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1500(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):石田援将河瀬・松田ら1000+島津義弘1000(遊撃兼務)
大手門・大手口:木造ら2000
御殿・百曲口:百々2500

こんなかんじになる。攻勢正面の守備兵2000は確保。ただし稲葉山砦あたりの高所を取られる。
0091人間七七四年2018/02/11(日) 10:38:47.89ID:0IU8tEO/
>>88
秀信は、別の意味で西軍および豊臣家に戦慄を与えたといえるね
東軍には旧織田家臣系が大勢いるけど、何のためらいもなく秀信を攻撃して瞬殺した
ということは裏を返せば、表面的には豊臣恩顧とされる大名でも
豊臣家が東軍に敵対的な態度を取れば、秀頼であっても適当な理屈をつけて攻撃する可能性が高いというメッセージになる
ただでさえ岐阜が陥落して軍事的に西軍が不利なのに加えて
東軍のこれほどまでの強硬的な覚悟を見せつけられたら、豊臣家本体と三成派以外の豊臣恩顧は東軍とは戦えないよ
よくいわれる秀頼出陣とか大坂篭城というのは秀信の敗北によって二重の意味で不可能となった
秀信討伐という東軍の強硬的な覚悟によって豊臣家も三成派以外の西軍も東軍に折れるしかなくなったと言える
0092人間七七四年2018/02/11(日) 15:38:54.42ID:LGJzhQLw
いうて旧織田閥なんてクソ雑魚ナメクジ揃いで話になんないよ
丹羽→中川→蒲生→前田(失笑)
信長死後18年後に織田がー!なんて言う奴いないよ
秀吉死後16年後に豊臣がー!なんね言う奴いたかぁ?
0093人間七七四年2018/02/11(日) 16:31:10.58ID:RW1rmp22
>>89
それは京極高次が誉められるべき内容であって
一般論として基準にはならんと思うが
0094人間七七四年2018/02/11(日) 16:44:22.27ID:oBVQBAlE
薩長「倒幕なら任せろー」
0095人間七七四年2018/02/11(日) 19:06:45.64ID:kjiKvPHG
前スレ>>145の地図を参照させてもらうけど、
http://ime.pta.jp/d/Ei49qm.jpg

>>84の場合、東西両軍による小牧山の争奪戦になるんじゃないかと思う。
タイミング的には東軍が清洲に退却した直後くらい、8月29〜31日くらいかな?
ここのタイミングで小牧山近郊で東西両軍による偶発的遭遇戦があるかもしれない。
確率は低いかもだが、タイミングがぴったり合えば東西両軍による小牧山の争奪戦、
(近代戦の○○○高地の争奪戦みたいな)が起こるかもしれないと思う。
0096人間七七四年2018/02/11(日) 21:02:14.16ID:AYvRQblC
>>91
家康はさ、例え秀吉の膝の上でも幼児の秀頼に臣下の礼を取ってるでしょ?
そして東軍参加の大名の殆んども同じだしさあ?
家康が、征夷大将軍を望んだのも豊臣家に臣従してるって意識を消す為でしょ?
更に、大阪の陣の時は代替わりした大名も多く、大阪の殿中の記憶も薄いでしょ。
それでも相当の後ろめたさだったんだし。
この時点で、大阪籠城は相当精神的にきついと思う。
0097人間七七四年2018/02/11(日) 22:54:31.86ID:bA4eZOJj
武家がそんな甘っちょろい世界なわけ有るかい。鎌倉幕府のめ逃亡とかちょっと調べても敵認定したら元主君だろうがなんだろうが
徹底して滅ぼすのが当時の武士だ
0098人間七七四年2018/02/11(日) 23:53:13.23ID:jR6uiaVu
家康が豊臣家を甘やかしすぎたんで、秀頼と淀が勘違いした。
成人まで中納言に留め置いて、官位を秀忠の下に置き、極官を大納言程度にして舅に頭を下げさせて分をわきまえあせておけば豊臣は存続できたかもね。
0099人間七七四年2018/02/12(月) 00:05:28.49ID:v8MgMpxl
>>98
お前も甘やかされてるからスレ違いばかりやる馬鹿になったのか
0100人間七七四年2018/02/12(月) 05:35:09.36ID:Z4DX0QkK
なかなか面白かったぞ
0101人間七七四年2018/02/12(月) 07:27:33.91ID:Yfu/6HTP
>>95
小牧山は清洲城の防衛拠点みたいなもんだから
小牧山だけ取っても意味がない
0102人間七七四年2018/02/12(月) 07:43:07.23ID:rxk87Ank
関ヶ原で西軍石田三成が勝利を得るのは簡単なことだった、東軍徳川家康と上杉景勝を真剣に戦わせれば良かっただけのこと、ノーコンテストに終わったことが西軍の敗戦に繋がっただけのこと
徳川と上杉がぶつかってれば中央は完全に西軍に落ち着いてたな
真田もいるからジワジワと徳川は追い込まれる
上杉と和睦出来たなら徳川の勝利、出来なければ西軍の勝利だろうな、一度戦ってしまうと和睦は難しいだろうから西軍有利

タイミングとして石田の挙兵が少し早過ぎただけのことだった、完全に徳川と上杉がぶつかってから挙兵すべきであった、ただそれだけのこと
上杉討伐の最中、逆に大谷吉継がタイミングを見計らって小早川秀秋役をやるべきだった
0103人間七七四年2018/02/12(月) 07:53:59.64ID:6ZX6OCSV
>>102
最上にさえ勝てそうになかった上杉だけじゃ無理だろ
0104人間七七四年2018/02/12(月) 07:56:47.58ID:IcHELDZ1
上杉は籠城戦、カンタンに落ちたりしないんじゃない?
0105人間七七四年2018/02/12(月) 08:37:34.19ID:ERU6Mh1f
確かに時間は稼げる
0106人間七七四年2018/02/12(月) 08:41:06.24ID:6ZX6OCSV
>>104
城自体が落ちなかったところでなんの問題があるのか
0107人間七七四年2018/02/12(月) 08:44:59.57ID:6ZX6OCSV
>>105
時間が稼げる代わりに東軍に囲まれる上杉が反撃する力はほとんど残らないだろ
そうなったら史実以上に家康が簡単に西進しやすくなるだけだぞ
0108人間七七四年2018/02/12(月) 08:49:04.07ID:IcHELDZ1
佐竹も大谷も真田も上杉の味方だな
0109人間七七四年2018/02/12(月) 09:07:25.54ID:IcHELDZ1
関ヶ原後1年間、徳川と上杉は睨み合ってた、2度目の上杉征伐は家康はしなかった、波乱を怖れたからかな?
結果上杉が平伏し家康は晴れて江戸に帰り幕府を開くことが出来た
関ヶ原後も上杉は1年間頑張ってた
史実はこんなとこ
0110人間七七四年2018/02/12(月) 09:47:20.07ID:XwQyUIz2
>>102
そこまで挙兵を遅らせたら西軍のほとんどが上杉討伐軍に合流して東軍になってしまうよ
0111人間七七四年2018/02/12(月) 10:02:00.37ID:z27tLKNp
1日でも早く奉行に返り咲きたいという三成の私欲があまりにも強すぎたんだよな
上杉との戦いが始るのかも確認せずに速攻で蜂起して
畿内の基盤固めなどは全て無視して東進させろの一点張り
これほど露骨な私欲を見せられたら西軍の大半も白けてやる気をなくすよ
西軍は三成の私欲によって敗れたといっていい
0112人間七七四年2018/02/12(月) 10:32:04.54ID:sTFSKbnt
>>109
結城秀康が助命に動いてたってのもあるだろうけど
もはや勝負あったからでしょ

あと上杉はあの状況でも結局徳川を全く攻めなかった
その後の上杉の徳川幕府への忠勤ぶりを見ても
味方にした方が良いと家康も判断したのでは
0113人間七七四年2018/02/12(月) 10:36:53.44ID:cwJrVWUb
>>102
無理です。
石田三成は丹後宮津や近江大津などに、戦争の際にしてはいけない兵力分散をやるような愚将です。大津は気になるなら佐和山あたりに数千入れとけばいいのに、わざわざ1万以上さし向ける。

伏見にしても、城内にいるのは2000も無いんだから、同数か少し上で牽制しといてさっさと各地の平定に行くべきなのに、2週間も費やす。

西軍は最初から自滅の道を歩んでいます。
0114人間七七四年2018/02/12(月) 11:08:13.34ID:1vFo4KvF
西軍挙兵タイミング論についてはたまに出てくるけど、結局は>>110の通り。
ごまかして遅らせてもせいぜい2〜3日。垂井の大谷を佐和山に呼ぶところからもうぎりぎり。
0115人間七七四年2018/02/12(月) 11:19:29.81ID:1vFo4KvF
>>113
各地の平定ってどこを想定してるの?伊賀、伊勢、美濃、越前?
越前と美濃は大谷と石田が勧誘を行ってるでしょ。
0116人間七七四年2018/02/12(月) 12:20:50.87ID:Yfu/6HTP
>>113
大津城は水運の拠点だから無いと厳しい
交通や運送の要衝を放置するなんて当時の戦国時代ではあり得ない非常識
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