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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12

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0001人間七七四年2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0002人間七七四年2018/02/06(火) 00:10:15.84ID:c6ce1qZm
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。
0003人間七七四年2018/02/06(火) 00:11:20.49ID:c6ce1qZm
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000
0004人間七七四年2018/02/06(火) 00:15:09.21ID:c6ce1qZm
美濃・尾張方面東軍西軍兵力集結状況

8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)

ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」

これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。
0005人間七七四年2018/02/06(火) 00:16:32.63ID:c6ce1qZm
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1000、長束正家1000、


秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。
0006人間七七四年2018/02/06(火) 00:17:53.75ID:c6ce1qZm
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。
0007人間七七四年2018/02/06(火) 00:21:00.40ID:c6ce1qZm
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。
0008人間七七四年2018/02/06(火) 00:23:06.71ID:c6ce1qZm
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている


もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

とある

岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた
0009人間七七四年2018/02/06(火) 00:25:09.27ID:c6ce1qZm
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…
0010人間七七四年2018/02/06(火) 00:27:09.44ID:c6ce1qZm
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。
0011人間七七四年2018/02/06(火) 00:30:39.26ID:c6ce1qZm
前スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川16000、安国寺1000、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊20100南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

主な変更点は兵力算定見直しにより岐阜城兵力は8000となりました。
0012人間七七四年2018/02/06(火) 00:39:12.95ID:c6ce1qZm
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
0013人間七七四年2018/02/06(火) 00:42:12.13ID:c6ce1qZm
他にもテンプレ資料的なものがあれば貼っておいてください。
いつもの美濃周辺航空地図等あればよろです。

以上テンプレ作業終了。
0014人間七七四年2018/02/06(火) 03:05:02.32ID:wwos3KZT
google航空写真 清洲城から大垣城方面の展望
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%A4%A7%E5%9E%A3%E5%9F%8E%E5%A4%A9%E5%AE%88%E9%96%A3/@35.0951889,137.0242759,11922a,35y,311.08h,74.55t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6003b166c1a37de5:0xe3dc1456f519ce25!8m2!3d35.361995!4d136.616075?hl=ja
0015人間七七四年2018/02/06(火) 03:06:59.16ID:wwos3KZT
ctrlキーを押しながらドラッグで角度を変えられる
0016人間七七四年2018/02/06(火) 08:40:08.12ID:VimXG1GZ
前スレ>>992
むしろその蒲生への書状こそ西への進軍への切り替えがはじまった何よりの証拠だろう
家康が関東に居たままなら上杉が無謀に南下することはもともと考えにくい
家康が関東を離れるから上杉が南下する際の援軍確認が必要になる訳で
普通に考えて岐阜城にそこまでの意味などない
0017人間七七四年2018/02/06(火) 08:49:10.12ID:krlQWtfR
自分が敵だったら飲料水確保する井戸、水くみ場を速攻で落とすね
まずは相手の士気を落とす
0018人間七七四年2018/02/06(火) 08:57:41.54ID:6fQUxiLq
>>16
竹ヶ鼻城落城の報と佐竹が引いた8月25日に蒲生秀行と大田原晴清には
家康は出陣延期の通知しているから全く重要視されてないのが分かるからキーじゃないのは確定だよ
数日間全く指示なし

岐阜城攻略後には家康出陣と秀忠西進による先鋒隊進軍停止命令と最上にも岐阜城攻略を伝えてるからね

状況が変わったらすぐ褒賞と命令を伝える筆忠実な家康が、竹ヶ鼻城攻略との報と佐竹が退いた8月25日間に出陣延期としらせただけで数日間指示なし
これが何よりの証拠だね
0019人間七七四年2018/02/06(火) 09:13:23.04ID:6fQUxiLq
>>17
そう思うよね
だから大軍に水を供給可能な信長公居館を真田丸みたいに出城に改修していて
そこを敵が水を断つぞ!と攻め寄せてきたらどうなるかって話に繋がる

http://livedoor.blogimg.jp/sengokuaruko/imgs/f/f/ff3d7239.png
信長公居館周りに空堀は欲しいよね
0020人間七七四年2018/02/06(火) 09:31:55.32ID:6fQUxiLq
城下町まで野戦築城を広げてると広範囲すぎて守れなくなる上に
敵が水を断つことを考えなくなるので、あえて信長公居館を落とせば水源が断てると思わせる
だが、実は敵を誘き寄せて蜂の巣にするためで、元岐阜城主が水事情を知っていることを逆手に取れるよね
水の手口側も同様に

史実の岐阜城は野戦から逃げ帰って全く籠城準備出来てないところを攻めこまれる付け入り戦法で落とされたのが痛いわな
0021人間七七四年2018/02/06(火) 09:32:24.64ID:R+sCICJf
>>1
いつの間にお前の籠城作戦がテンプレになったんだ?
0022人間七七四年2018/02/06(火) 10:10:31.79ID:3lj0onF6
関が原のIFが試せるボードゲーム

『関ヶ原』 バンダイifシリーズ、1980年代
『関ヶ原』 エポック社、1980年代
『決戦関ヶ原』 エポック社EWEシリーズ、1980年代
『激闘関ヶ原』 ツクダホビー、1980年代
『異聞関ヶ原 家康最大の敗北』 アドテクノス(朝日出版社) - シミュレーションゲームブック、1983年
『戦国の一番長い日』 ツクダホビー、1989年
「Sekigahara」(『SAMURAI』収録) GMT Games、1993年
「戦略級関ヶ原」(『ゲームジャーナル2号』収録) シミュレーションジャーナル、2002年
「決戦!関ヶ原」(『コマンドマガジン日本版54号』収録) 国際通信社、2003年
「関ヶ原強襲」(『ゲームジャーナル17号』収録) シミュレーションジャーナル、2005年
「真本信長公記」(『コマンドマガジン日本版69号』収録) 国際通信社、2006年
「天下強奪?関ヶ原を越えて?」(『コマンドマガジン日本版78号』収録) 国際通信社、2007年
「関ヶ原大作戦/入札級関ヶ原」(『ゲームジャーナル32号』収録) シミュレーションジャーナル、2009年
「関ヶ原戦役」(『ウォーゲーム日本史第03号』収録) 国際通信社、2009年
「関ヶ原前哨戦」(さいたまゲームサークル(同人誌) - SLGamer #1,#4,2010)
「関ヶ原総進撃」(さいたまゲームサークル(同人誌) - SLGamer #3,#4,2011)
Sekigahara: Unification of Japan (GMT Games,2011年,2014年)
0023人間七七四年2018/02/06(火) 10:20:17.20ID:98EfzhXU
>>20
史実では信長公居館の反対側から天守に向かって落としているんだけどな。

信長公居館とか言っている奴は秀信以上に戦略的を分散させるよな。
0024人間七七四年2018/02/06(火) 10:23:31.40ID:98EfzhXU
>>16
まあ上杉が南下なんかしたら伊達と最上に切り取られ放題だよな。
上杉もそこまでバカじゃないだろう。
0025人間七七四年2018/02/06(火) 10:30:51.86ID:6fQUxiLq
>>23
>水の手口側も同様に

この文字が読めんのか?
場所の地名も知らずに喚いてんのか
0026222018/02/06(火) 10:50:26.93ID:3lj0onF6
最新作を忘れてた

「シン・関ヶ原」ゲームジャーナルNo.64
0027人間七七四年2018/02/06(火) 10:54:27.60ID:98EfzhXU
>>25
こいつ南も北も戦力を集中させずに防衛できると思っているんだろうな。
アホだな
0028人間七七四年2018/02/06(火) 10:59:35.49ID:6fQUxiLq
>>27
史実と違って野戦に出ずに7000〜8000の兵力があるのに、お前は山の頂上の天守のみで守ろうと思ってるアホなんかw
0029人間七七四年2018/02/06(火) 11:30:35.40ID:0GzxIHuF
はっきり言って、戦争になったら西軍に勝ち目はほとんど無い。仮に関ヶ原で勝てても、家康を取り逃がしたら無傷の関東で立て直しがきくから意味がない。

西軍が勝つなら、家康を何が何でも暗殺するしかない。家康と刺し違えるか、狙撃するか。
0030人間七七四年2018/02/06(火) 11:35:06.20ID:0j9uAOY+
無症ではないが秀忠と退却軍で盛り返せる
0031人間七七四年2018/02/06(火) 11:43:31.71ID:0GzxIHuF
石田三成が本当の忠臣なら、家康と顔を合わせる機会などいくらでもあるんだから、その時に刺し違えるしかなかった。勿論、石田氏は改易だが。
0032人間七七四年2018/02/06(火) 12:04:12.29ID:wwos3KZT
>>29
だろうな。どんな局面になろうと豊臣は終わりだよ
徳川の天下か、乱世かの違いはあれど。
0033人間七七四年2018/02/06(火) 12:07:48.67ID:R+sCICJf
>>29
西軍内でグダグタやって関東遠征なんてできんだろうな
その間に家康に準備を整えられて終了か
0034人間七七四年2018/02/06(火) 12:50:15.71ID:emwlg9+k
>>28
それだけの数を揃え籠城を採用するには、
西軍が東軍の行動を事前に的確に予測し、
適切な対応を遅滞なく行うのが大前提
0035人間七七四年2018/02/06(火) 13:22:53.65ID:VimXG1GZ
>>18
25日の段階ではあくまで佐竹はただ弁明しただけだが
その秀忠軍に佐竹の寄騎がついてはじめて佐竹は大丈夫と踏んだのだろう
そういう意味では岐阜城陥落直後に動いてる訳でもないし
そもそも家康が岐阜城にこだわる理由が全くない
0036人間七七四年2018/02/06(火) 14:23:03.64ID:69IyYoMp
>>35
岐阜城無視して近江に出るとかはもっとあり得ない。そんなことして背後に敵を作ったまま、西に行くとでも?
0037人間七七四年2018/02/06(火) 14:46:36.06ID:p/Np5pA3
【m9(^Д^)】  リーマン級暴落  ≪≪日 米 同 時 破 綻≫≫  沖縄にUFO  【m9(^Д^)】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1517884399/l50
0038人間七七四年2018/02/06(火) 15:02:47.80ID:6fQUxiLq
>>35
>25日の段階ではあくまで佐竹はただ弁明しただけだが
>その秀忠軍に佐竹の寄騎がついてはじめて佐竹は大丈夫と踏んだのだろう

家康から秀忠か佐竹側または重臣に佐竹の300騎が来たら家康に伝えてくれと書状を送り
秀忠や佐竹側から到着したと家康に書状を送る手間が出るんで
そんな書状があったのか見せて欲しいね
スゲー言い訳がましいことを言い出してるみたいだけど
>>18は書状があるから確定してる
君のはもちろんそういう書状があることを根拠に話してるよね?
0039人間七七四年2018/02/06(火) 15:29:56.15ID:6fQUxiLq
>>34
7000以上の兵力で水源がある信長公居館と水の手口を放棄して山頂の天守のみで戦うことは馬謖と同じになるって言ってるだけだよ
むしろ山頂の天守のみで7000以上収容できるのかと
0040人間七七四年2018/02/06(火) 16:03:21.52ID:Q+3p/sta
>>34
犬山城は兵7000で籠城してるが。
0041人間七七四年2018/02/06(火) 17:38:28.21ID:emwlg9+k
>>40
犬山城は尾張国にある唯一の西軍拠点だから兵を集中しただけかと
西軍は何時何処に東軍先鋒が来るのか、いやそもそも東軍先鋒が西軍に
加わる可能性も捨てきれていなかったし
0042人間七七四年2018/02/06(火) 18:14:38.89ID:6fQUxiLq
>>41
むしろ8月5日の書状で福島正則の説得で開城できなかったら伊勢方面軍と合流後に清洲を攻めるとあったから
美濃尾張間が戦場になるのは石田三成も分かってたから犬山城に兵を集めて籠城したんでしょ
0043人間七七四年2018/02/06(火) 18:44:04.36ID:VimXG1GZ
>>38
貴方こそ岐阜城が落ちたからと家康が明言している書状があって言ってるの?
0044人間七七四年2018/02/06(火) 19:21:01.30ID:VimXG1GZ
繰り返しになるけど岐阜城陥落が家康にとって勢いになった事は否定しないよ
ただ

岐阜城落ちる→家康が行く はあってもおかしくないが

岐阜城が落ちない→家康が行かない の理由がないだけ
0045人間七七四年2018/02/06(火) 19:30:22.01ID:6fQUxiLq
>>43
>>18で書状で確定してるが、君のは存在しない
これがもう答えだね

何よりの君の論が間違っていると断言できるのは
佐竹は54万石もあるのに兵数300しか送らなかったのに家康が安心したと思った点だ

関ヶ原合戦時の各大名の石高と動員した兵数
福島正則 24万石 6,000〜8,000
筒井定次 20万石 2,800 小西行長 20万石 4000〜6,000
細川忠興 18万石 5,000 黒田長政 18万石 5,400〜6,000
石田三成 19万石 6000〜6,900
宇喜多秀家 54万石 15,000〜17,200
小早川秀秋 37万石 8,000〜15,000
長宗我部盛親 22万石 6,600


54万石だったら反省の意味を込めて最低でも8,000以上(宇喜多は佐竹とほほ同じ石高で倍の兵をだしているが)を裕に超える兵数を出さなければならない
それが上杉との話と300しか出してないことに関ヶ原合戦終了後に家康が知って大激怒して
佐竹が京まで行って家康に謝罪と家名存続を懇願する事態に陥ったという
そして佐竹も西軍主力と同じような扱いを受けて大減封
君のいう300の兵数だけで家康が安心したという話は全くのデタラメだと断言できる
0046人間七七四年2018/02/06(火) 20:06:20.13ID:EOQuVK0e
>>45
大軍じゃないとダメという根拠が無さすぎる
その後の和平行動にも動いた佐竹の重臣を寡兵ながらもつけた事で口だけではないとして
関東から動けるきっかけになった事はなんら違和感はないだろう
逆に岐阜城にこだわる理由って何?
0047人間七七四年2018/02/06(火) 20:08:48.65ID:6fQUxiLq
>>46
君のは書状とかを根拠にしない君の妄想だと分かってるからw
君の妄想と違って書状を根拠にしたのが>>18だから

まず君は妄想ばかりしてないで書状なりの根拠だしてから語ってね
0048人間七七四年2018/02/06(火) 20:18:35.85ID:emwlg9+k
>>42
あくまで攻勢の一環であって、攻められた場合の東軍の主攻勢面は見切れていない
0049人間七七四年2018/02/06(火) 20:23:12.31ID:6fQUxiLq
>>48
8月5日で美濃尾張間で戦いがあるのは三成も想定してたのは確実だよ
伊勢方面軍を待つ状況に陥ってたから書状通りになったし
0050人間七七四年2018/02/07(水) 00:19:14.33ID:zhQlDm6D
>>48
福島が味方しなかった場合、前線になるかもしれない美濃+犬山で、
石田の予定が伊勢方面隊といっしょに清洲を攻撃する、であっても、
美濃衆が攻撃のことだけで防御のことをまるで考えないというのもおかしな話だと思うが。
場合によっては籠城も有り得る、と想定するのが前線の武将じゃないの?
0051人間七七四年2018/02/07(水) 09:02:10.25ID:7SuaiKOH
>>49
「御理申半」と未だに西軍参加の可能性を持っている
更に後には清須攻撃から「尾・濃之間」と国境迎撃に方針を切り替えた

つまり秀信の迎撃は三成の意思に沿っている
0052人間七七四年2018/02/07(水) 12:49:47.10ID:pQ6+zoHy
岐阜城は犬山城みたいに東軍の申し出を受け入れたフリして
日数引き延ばすのは出来なかったんだろうか?
島左近あたりはそういう戦法を心得てそうだから
派遣していれば…
0053人間七七四年2018/02/07(水) 12:57:24.78ID:DC7Fbf1M
岐阜城の応戦は竹ヶ鼻を先に攻められた事による後詰めだという説もあるんだな
0054人間七七四年2018/02/07(水) 13:02:16.08ID:pQ6+zoHy
岐阜城勢も竹ヶ鼻城勢も最初から出撃して渡河防衛ですよ
0055人間七七四年2018/02/08(木) 11:51:22.25ID:SgDqgp+z
犬山城が東軍の申し出を受けた振りをして時間稼ぎできてたのは
軍師 竹中半兵衛の嫡男の竹中重門がいたからという説があるが
竹中重門の実績見ると考えてしまうな
0056人間七七四年2018/02/08(木) 23:30:19.47ID:NtYySYnF
wikiの「織田秀信」の項を見ると、岐阜城籠城時、百々綱家の守備配置が
御殿・百曲口となってる。
百々綱家がここで言われてる居館跡を守ってる。
金華山山頂本丸、大手門?大手口、御殿・百曲口、水の手口、瑞龍寺山砦、
権現山砦、稲葉山砦、

石田援将に南方外郭砦、家老に山麓登山口及び大手門、居館跡、
秀信、秀則が山頂本丸ってかんじだね。
今後は居館跡は御殿と呼んだほうがいいかな。
0057人間七七四年2018/02/09(金) 01:21:15.38ID:ljZltCau
>>47
横からで悪いが家康が竹ヶ鼻落城を知ったのは26日という説もあるので断言は避けたほうがいいかと
池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で「22日に書かれた戦況報告が今日届いた」と書かれてる内容のものがあるので8/25の太田原・蒲生宛ての手紙は家康が竹ヶ鼻城陥落のことを知る前に書かれた可能性もある
0058人間七七四年2018/02/09(金) 06:23:06.69ID:9MYvPB+B
>>57
25日に先鋒隊の複数の大名に竹ヶ鼻城攻略褒賞を出してるんで
25日の時点で家康が落城を知ってたのは確実だよ
0059人間七七四年2018/02/09(金) 11:21:49.87ID:ljZltCau
>>58
上でも書いてますが26日に「今日前線の報告が届いた」と記載されてる手紙が複数存在するのに25日の褒賞を約した書状が確実だと断言できる根拠が知りたいですね
関ヶ原関係の史料はもともと後世の創作や偽造が多いのでよほど慎重な史料精査が必要なのですが
0060人間七七四年2018/02/09(金) 12:09:59.85ID:9MYvPB+B
>>59
>池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で

池田は竹ヶ鼻城攻略ではない
木曽川・米野の戦いの褒賞は26日
22日の時点で軍監の報告で明日から岐阜城包囲する予定と報告されていたが
22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
福島じゃなくて池田って時点で話は完結してる
0061人間七七四年2018/02/09(金) 13:29:35.70ID:ljZltCau
>>60
>22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
違います
あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?
8/25の竹ヶ鼻城の褒賞とやらが8/22付の井伊直政の報告をもとに決定されたものならば池田隊の褒賞も同時に決められていると思いますが
あと伊達への8/26付け書状では「井伊の22日の戦況報告が今日届いた」と日時も報告者も明記してあります
0062人間七七四年2018/02/09(金) 14:54:14.06ID:9MYvPB+B
>>61
>あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?

木曽川上流が池田輝政ら
木曽川下流が福島正則や井伊直政、本多忠勝ら
軍艦が付いてたのは福島隊

軍艦から全体の戦況報告は送られてるが池田隊からの戦況報告は離れているために遅れた
池田隊から詳細を聞かなければ褒賞できないために26日まで保留になってたって話な
だから報告はすぐしろって注意書
何通の書状が行き交いしてる時に
池田からの報告が遅れただけで全体が遅れてたと意味のわからん話を展開してるんだよ君は
22日に両方勝利してるのに実際には25日に竹ヶ鼻城攻略褒賞が出ているんだから
そして26日に木曽川・米野の戦いの褒賞と池田側のが一日遅れてるのが事実なんだから
詳細をこれ以外の事実はありません
君が>>57で言ってる落城時期も褒賞も適当に予想して書いたってことが一番矛盾していますよね?
0063人間七七四年2018/02/09(金) 22:52:33.42ID:0Z2PFrTj
仮に史実での岐阜城籠城時守備兵が3000だった場合、こんなかんじだろうか?

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか500(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む?):300
大手門・大手口:木造ら800
御殿・百曲口:百々700
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬400
権現山砦:石田援将100
稲葉山砦(稲荷山砦含む?):石田援将松田200

う〜ん、兵力足らないね。敵が2万以上では…。


これが8000なら…

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1300(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):百々1200
大手門・大手口:木造ら1500
御殿:島津義弘1000(遊撃兼務)
百曲口:500
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬・松田ら1000
権現山砦:500
稲葉山砦(稲荷山砦含む):1000

こんなかんじかな?だいぶマシなかんじになる。
0064人間七七四年2018/02/09(金) 23:03:58.47ID:6hV/4wKU
そんなに分散させたらあんま変わらんのでは
上手く連動して反撃するならともかく
0065人間七七四年2018/02/09(金) 23:46:09.63ID:0Z2PFrTj
>>64
これでも城下町放棄前提でこれだからねぇ、
守備範囲縮小するなら、瑞龍寺山砦、権現山砦、稲葉山砦、稲荷山砦の順だけど、
尾根伝いに来られるようになるし、高所を取られてしまうし、
メリット、デメリット半々といったところ。

一応部署分類すると
金華山山頂:本丸、二の丸、
山麓:水の手口、丸山砦、大手門、大手口、御殿、百曲口、
南方尾根砦群:稲荷山砦、稲葉山砦、権現山砦、瑞龍寺山砦、
0066人間七七四年2018/02/10(土) 02:23:56.73ID:P5bxnoXV
それぞれ守るには大将にも相当な統率力が必要だろな
0067人間七七四年2018/02/10(土) 04:00:16.12ID:IJLurcLU
なお城下町を含む総構えの大坂城の総大将の秀頼は置物状態だったという
0068人間七七四年2018/02/10(土) 06:27:14.79ID:pCRv9JE8
秀頼を西側に抱き込んでいたらまた違ったかも
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