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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12

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0001人間七七四年2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0002人間七七四年2018/02/06(火) 00:10:15.84ID:c6ce1qZm
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。
0003人間七七四年2018/02/06(火) 00:11:20.49ID:c6ce1qZm
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000
0004人間七七四年2018/02/06(火) 00:15:09.21ID:c6ce1qZm
美濃・尾張方面東軍西軍兵力集結状況

8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)

ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」

これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。
0005人間七七四年2018/02/06(火) 00:16:32.63ID:c6ce1qZm
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1000、長束正家1000、


秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。
0006人間七七四年2018/02/06(火) 00:17:53.75ID:c6ce1qZm
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。
0007人間七七四年2018/02/06(火) 00:21:00.40ID:c6ce1qZm
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。
0008人間七七四年2018/02/06(火) 00:23:06.71ID:c6ce1qZm
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている


もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

とある

岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた
0009人間七七四年2018/02/06(火) 00:25:09.27ID:c6ce1qZm
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…
0010人間七七四年2018/02/06(火) 00:27:09.44ID:c6ce1qZm
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。
0011人間七七四年2018/02/06(火) 00:30:39.26ID:c6ce1qZm
前スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川16000、安国寺1000、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊20100南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

主な変更点は兵力算定見直しにより岐阜城兵力は8000となりました。
0012人間七七四年2018/02/06(火) 00:39:12.95ID:c6ce1qZm
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
0013人間七七四年2018/02/06(火) 00:42:12.13ID:c6ce1qZm
他にもテンプレ資料的なものがあれば貼っておいてください。
いつもの美濃周辺航空地図等あればよろです。

以上テンプレ作業終了。
0014人間七七四年2018/02/06(火) 03:05:02.32ID:wwos3KZT
google航空写真 清洲城から大垣城方面の展望
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%A4%A7%E5%9E%A3%E5%9F%8E%E5%A4%A9%E5%AE%88%E9%96%A3/@35.0951889,137.0242759,11922a,35y,311.08h,74.55t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6003b166c1a37de5:0xe3dc1456f519ce25!8m2!3d35.361995!4d136.616075?hl=ja
0015人間七七四年2018/02/06(火) 03:06:59.16ID:wwos3KZT
ctrlキーを押しながらドラッグで角度を変えられる
0016人間七七四年2018/02/06(火) 08:40:08.12ID:VimXG1GZ
前スレ>>992
むしろその蒲生への書状こそ西への進軍への切り替えがはじまった何よりの証拠だろう
家康が関東に居たままなら上杉が無謀に南下することはもともと考えにくい
家康が関東を離れるから上杉が南下する際の援軍確認が必要になる訳で
普通に考えて岐阜城にそこまでの意味などない
0017人間七七四年2018/02/06(火) 08:49:10.12ID:krlQWtfR
自分が敵だったら飲料水確保する井戸、水くみ場を速攻で落とすね
まずは相手の士気を落とす
0018人間七七四年2018/02/06(火) 08:57:41.54ID:6fQUxiLq
>>16
竹ヶ鼻城落城の報と佐竹が引いた8月25日に蒲生秀行と大田原晴清には
家康は出陣延期の通知しているから全く重要視されてないのが分かるからキーじゃないのは確定だよ
数日間全く指示なし

岐阜城攻略後には家康出陣と秀忠西進による先鋒隊進軍停止命令と最上にも岐阜城攻略を伝えてるからね

状況が変わったらすぐ褒賞と命令を伝える筆忠実な家康が、竹ヶ鼻城攻略との報と佐竹が退いた8月25日間に出陣延期としらせただけで数日間指示なし
これが何よりの証拠だね
0019人間七七四年2018/02/06(火) 09:13:23.04ID:6fQUxiLq
>>17
そう思うよね
だから大軍に水を供給可能な信長公居館を真田丸みたいに出城に改修していて
そこを敵が水を断つぞ!と攻め寄せてきたらどうなるかって話に繋がる

http://livedoor.blogimg.jp/sengokuaruko/imgs/f/f/ff3d7239.png
信長公居館周りに空堀は欲しいよね
0020人間七七四年2018/02/06(火) 09:31:55.32ID:6fQUxiLq
城下町まで野戦築城を広げてると広範囲すぎて守れなくなる上に
敵が水を断つことを考えなくなるので、あえて信長公居館を落とせば水源が断てると思わせる
だが、実は敵を誘き寄せて蜂の巣にするためで、元岐阜城主が水事情を知っていることを逆手に取れるよね
水の手口側も同様に

史実の岐阜城は野戦から逃げ帰って全く籠城準備出来てないところを攻めこまれる付け入り戦法で落とされたのが痛いわな
0021人間七七四年2018/02/06(火) 09:32:24.64ID:R+sCICJf
>>1
いつの間にお前の籠城作戦がテンプレになったんだ?
0022人間七七四年2018/02/06(火) 10:10:31.79ID:3lj0onF6
関が原のIFが試せるボードゲーム

『関ヶ原』 バンダイifシリーズ、1980年代
『関ヶ原』 エポック社、1980年代
『決戦関ヶ原』 エポック社EWEシリーズ、1980年代
『激闘関ヶ原』 ツクダホビー、1980年代
『異聞関ヶ原 家康最大の敗北』 アドテクノス(朝日出版社) - シミュレーションゲームブック、1983年
『戦国の一番長い日』 ツクダホビー、1989年
「Sekigahara」(『SAMURAI』収録) GMT Games、1993年
「戦略級関ヶ原」(『ゲームジャーナル2号』収録) シミュレーションジャーナル、2002年
「決戦!関ヶ原」(『コマンドマガジン日本版54号』収録) 国際通信社、2003年
「関ヶ原強襲」(『ゲームジャーナル17号』収録) シミュレーションジャーナル、2005年
「真本信長公記」(『コマンドマガジン日本版69号』収録) 国際通信社、2006年
「天下強奪?関ヶ原を越えて?」(『コマンドマガジン日本版78号』収録) 国際通信社、2007年
「関ヶ原大作戦/入札級関ヶ原」(『ゲームジャーナル32号』収録) シミュレーションジャーナル、2009年
「関ヶ原戦役」(『ウォーゲーム日本史第03号』収録) 国際通信社、2009年
「関ヶ原前哨戦」(さいたまゲームサークル(同人誌) - SLGamer #1,#4,2010)
「関ヶ原総進撃」(さいたまゲームサークル(同人誌) - SLGamer #3,#4,2011)
Sekigahara: Unification of Japan (GMT Games,2011年,2014年)
0023人間七七四年2018/02/06(火) 10:20:17.20ID:98EfzhXU
>>20
史実では信長公居館の反対側から天守に向かって落としているんだけどな。

信長公居館とか言っている奴は秀信以上に戦略的を分散させるよな。
0024人間七七四年2018/02/06(火) 10:23:31.40ID:98EfzhXU
>>16
まあ上杉が南下なんかしたら伊達と最上に切り取られ放題だよな。
上杉もそこまでバカじゃないだろう。
0025人間七七四年2018/02/06(火) 10:30:51.86ID:6fQUxiLq
>>23
>水の手口側も同様に

この文字が読めんのか?
場所の地名も知らずに喚いてんのか
0026222018/02/06(火) 10:50:26.93ID:3lj0onF6
最新作を忘れてた

「シン・関ヶ原」ゲームジャーナルNo.64
0027人間七七四年2018/02/06(火) 10:54:27.60ID:98EfzhXU
>>25
こいつ南も北も戦力を集中させずに防衛できると思っているんだろうな。
アホだな
0028人間七七四年2018/02/06(火) 10:59:35.49ID:6fQUxiLq
>>27
史実と違って野戦に出ずに7000〜8000の兵力があるのに、お前は山の頂上の天守のみで守ろうと思ってるアホなんかw
0029人間七七四年2018/02/06(火) 11:30:35.40ID:0GzxIHuF
はっきり言って、戦争になったら西軍に勝ち目はほとんど無い。仮に関ヶ原で勝てても、家康を取り逃がしたら無傷の関東で立て直しがきくから意味がない。

西軍が勝つなら、家康を何が何でも暗殺するしかない。家康と刺し違えるか、狙撃するか。
0030人間七七四年2018/02/06(火) 11:35:06.20ID:0j9uAOY+
無症ではないが秀忠と退却軍で盛り返せる
0031人間七七四年2018/02/06(火) 11:43:31.71ID:0GzxIHuF
石田三成が本当の忠臣なら、家康と顔を合わせる機会などいくらでもあるんだから、その時に刺し違えるしかなかった。勿論、石田氏は改易だが。
0032人間七七四年2018/02/06(火) 12:04:12.29ID:wwos3KZT
>>29
だろうな。どんな局面になろうと豊臣は終わりだよ
徳川の天下か、乱世かの違いはあれど。
0033人間七七四年2018/02/06(火) 12:07:48.67ID:R+sCICJf
>>29
西軍内でグダグタやって関東遠征なんてできんだろうな
その間に家康に準備を整えられて終了か
0034人間七七四年2018/02/06(火) 12:50:15.71ID:emwlg9+k
>>28
それだけの数を揃え籠城を採用するには、
西軍が東軍の行動を事前に的確に予測し、
適切な対応を遅滞なく行うのが大前提
0035人間七七四年2018/02/06(火) 13:22:53.65ID:VimXG1GZ
>>18
25日の段階ではあくまで佐竹はただ弁明しただけだが
その秀忠軍に佐竹の寄騎がついてはじめて佐竹は大丈夫と踏んだのだろう
そういう意味では岐阜城陥落直後に動いてる訳でもないし
そもそも家康が岐阜城にこだわる理由が全くない
0036人間七七四年2018/02/06(火) 14:23:03.64ID:69IyYoMp
>>35
岐阜城無視して近江に出るとかはもっとあり得ない。そんなことして背後に敵を作ったまま、西に行くとでも?
0037人間七七四年2018/02/06(火) 14:46:36.06ID:p/Np5pA3
【m9(^Д^)】  リーマン級暴落  ≪≪日 米 同 時 破 綻≫≫  沖縄にUFO  【m9(^Д^)】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1517884399/l50
0038人間七七四年2018/02/06(火) 15:02:47.80ID:6fQUxiLq
>>35
>25日の段階ではあくまで佐竹はただ弁明しただけだが
>その秀忠軍に佐竹の寄騎がついてはじめて佐竹は大丈夫と踏んだのだろう

家康から秀忠か佐竹側または重臣に佐竹の300騎が来たら家康に伝えてくれと書状を送り
秀忠や佐竹側から到着したと家康に書状を送る手間が出るんで
そんな書状があったのか見せて欲しいね
スゲー言い訳がましいことを言い出してるみたいだけど
>>18は書状があるから確定してる
君のはもちろんそういう書状があることを根拠に話してるよね?
0039人間七七四年2018/02/06(火) 15:29:56.15ID:6fQUxiLq
>>34
7000以上の兵力で水源がある信長公居館と水の手口を放棄して山頂の天守のみで戦うことは馬謖と同じになるって言ってるだけだよ
むしろ山頂の天守のみで7000以上収容できるのかと
0040人間七七四年2018/02/06(火) 16:03:21.52ID:Q+3p/sta
>>34
犬山城は兵7000で籠城してるが。
0041人間七七四年2018/02/06(火) 17:38:28.21ID:emwlg9+k
>>40
犬山城は尾張国にある唯一の西軍拠点だから兵を集中しただけかと
西軍は何時何処に東軍先鋒が来るのか、いやそもそも東軍先鋒が西軍に
加わる可能性も捨てきれていなかったし
0042人間七七四年2018/02/06(火) 18:14:38.89ID:6fQUxiLq
>>41
むしろ8月5日の書状で福島正則の説得で開城できなかったら伊勢方面軍と合流後に清洲を攻めるとあったから
美濃尾張間が戦場になるのは石田三成も分かってたから犬山城に兵を集めて籠城したんでしょ
0043人間七七四年2018/02/06(火) 18:44:04.36ID:VimXG1GZ
>>38
貴方こそ岐阜城が落ちたからと家康が明言している書状があって言ってるの?
0044人間七七四年2018/02/06(火) 19:21:01.30ID:VimXG1GZ
繰り返しになるけど岐阜城陥落が家康にとって勢いになった事は否定しないよ
ただ

岐阜城落ちる→家康が行く はあってもおかしくないが

岐阜城が落ちない→家康が行かない の理由がないだけ
0045人間七七四年2018/02/06(火) 19:30:22.01ID:6fQUxiLq
>>43
>>18で書状で確定してるが、君のは存在しない
これがもう答えだね

何よりの君の論が間違っていると断言できるのは
佐竹は54万石もあるのに兵数300しか送らなかったのに家康が安心したと思った点だ

関ヶ原合戦時の各大名の石高と動員した兵数
福島正則 24万石 6,000〜8,000
筒井定次 20万石 2,800 小西行長 20万石 4000〜6,000
細川忠興 18万石 5,000 黒田長政 18万石 5,400〜6,000
石田三成 19万石 6000〜6,900
宇喜多秀家 54万石 15,000〜17,200
小早川秀秋 37万石 8,000〜15,000
長宗我部盛親 22万石 6,600


54万石だったら反省の意味を込めて最低でも8,000以上(宇喜多は佐竹とほほ同じ石高で倍の兵をだしているが)を裕に超える兵数を出さなければならない
それが上杉との話と300しか出してないことに関ヶ原合戦終了後に家康が知って大激怒して
佐竹が京まで行って家康に謝罪と家名存続を懇願する事態に陥ったという
そして佐竹も西軍主力と同じような扱いを受けて大減封
君のいう300の兵数だけで家康が安心したという話は全くのデタラメだと断言できる
0046人間七七四年2018/02/06(火) 20:06:20.13ID:EOQuVK0e
>>45
大軍じゃないとダメという根拠が無さすぎる
その後の和平行動にも動いた佐竹の重臣を寡兵ながらもつけた事で口だけではないとして
関東から動けるきっかけになった事はなんら違和感はないだろう
逆に岐阜城にこだわる理由って何?
0047人間七七四年2018/02/06(火) 20:08:48.65ID:6fQUxiLq
>>46
君のは書状とかを根拠にしない君の妄想だと分かってるからw
君の妄想と違って書状を根拠にしたのが>>18だから

まず君は妄想ばかりしてないで書状なりの根拠だしてから語ってね
0048人間七七四年2018/02/06(火) 20:18:35.85ID:emwlg9+k
>>42
あくまで攻勢の一環であって、攻められた場合の東軍の主攻勢面は見切れていない
0049人間七七四年2018/02/06(火) 20:23:12.31ID:6fQUxiLq
>>48
8月5日で美濃尾張間で戦いがあるのは三成も想定してたのは確実だよ
伊勢方面軍を待つ状況に陥ってたから書状通りになったし
0050人間七七四年2018/02/07(水) 00:19:14.33ID:zhQlDm6D
>>48
福島が味方しなかった場合、前線になるかもしれない美濃+犬山で、
石田の予定が伊勢方面隊といっしょに清洲を攻撃する、であっても、
美濃衆が攻撃のことだけで防御のことをまるで考えないというのもおかしな話だと思うが。
場合によっては籠城も有り得る、と想定するのが前線の武将じゃないの?
0051人間七七四年2018/02/07(水) 09:02:10.25ID:7SuaiKOH
>>49
「御理申半」と未だに西軍参加の可能性を持っている
更に後には清須攻撃から「尾・濃之間」と国境迎撃に方針を切り替えた

つまり秀信の迎撃は三成の意思に沿っている
0052人間七七四年2018/02/07(水) 12:49:47.10ID:pQ6+zoHy
岐阜城は犬山城みたいに東軍の申し出を受け入れたフリして
日数引き延ばすのは出来なかったんだろうか?
島左近あたりはそういう戦法を心得てそうだから
派遣していれば…
0053人間七七四年2018/02/07(水) 12:57:24.78ID:DC7Fbf1M
岐阜城の応戦は竹ヶ鼻を先に攻められた事による後詰めだという説もあるんだな
0054人間七七四年2018/02/07(水) 13:02:16.08ID:pQ6+zoHy
岐阜城勢も竹ヶ鼻城勢も最初から出撃して渡河防衛ですよ
0055人間七七四年2018/02/08(木) 11:51:22.25ID:SgDqgp+z
犬山城が東軍の申し出を受けた振りをして時間稼ぎできてたのは
軍師 竹中半兵衛の嫡男の竹中重門がいたからという説があるが
竹中重門の実績見ると考えてしまうな
0056人間七七四年2018/02/08(木) 23:30:19.47ID:NtYySYnF
wikiの「織田秀信」の項を見ると、岐阜城籠城時、百々綱家の守備配置が
御殿・百曲口となってる。
百々綱家がここで言われてる居館跡を守ってる。
金華山山頂本丸、大手門?大手口、御殿・百曲口、水の手口、瑞龍寺山砦、
権現山砦、稲葉山砦、

石田援将に南方外郭砦、家老に山麓登山口及び大手門、居館跡、
秀信、秀則が山頂本丸ってかんじだね。
今後は居館跡は御殿と呼んだほうがいいかな。
0057人間七七四年2018/02/09(金) 01:21:15.38ID:ljZltCau
>>47
横からで悪いが家康が竹ヶ鼻落城を知ったのは26日という説もあるので断言は避けたほうがいいかと
池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で「22日に書かれた戦況報告が今日届いた」と書かれてる内容のものがあるので8/25の太田原・蒲生宛ての手紙は家康が竹ヶ鼻城陥落のことを知る前に書かれた可能性もある
0058人間七七四年2018/02/09(金) 06:23:06.69ID:9MYvPB+B
>>57
25日に先鋒隊の複数の大名に竹ヶ鼻城攻略褒賞を出してるんで
25日の時点で家康が落城を知ってたのは確実だよ
0059人間七七四年2018/02/09(金) 11:21:49.87ID:ljZltCau
>>58
上でも書いてますが26日に「今日前線の報告が届いた」と記載されてる手紙が複数存在するのに25日の褒賞を約した書状が確実だと断言できる根拠が知りたいですね
関ヶ原関係の史料はもともと後世の創作や偽造が多いのでよほど慎重な史料精査が必要なのですが
0060人間七七四年2018/02/09(金) 12:09:59.85ID:9MYvPB+B
>>59
>池田・伊達・前田宛てそれぞれ別の8/26付の手紙で

池田は竹ヶ鼻城攻略ではない
木曽川・米野の戦いの褒賞は26日
22日の時点で軍監の報告で明日から岐阜城包囲する予定と報告されていたが
22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
福島じゃなくて池田って時点で話は完結してる
0061人間七七四年2018/02/09(金) 13:29:35.70ID:ljZltCau
>>60
>22日に木曽川・米野の戦いを勝利していた池田隊の戦況報告が一日遅れていたから報告を早くしろって注意書の話だろ?それ
違います
あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?
8/25の竹ヶ鼻城の褒賞とやらが8/22付の井伊直政の報告をもとに決定されたものならば池田隊の褒賞も同時に決められていると思いますが
あと伊達への8/26付け書状では「井伊の22日の戦況報告が今日届いた」と日時も報告者も明記してあります
0062人間七七四年2018/02/09(金) 14:54:14.06ID:9MYvPB+B
>>61
>あと池田隊の戦況も8/22に井伊直政から報告文書で送られてますよ?

木曽川上流が池田輝政ら
木曽川下流が福島正則や井伊直政、本多忠勝ら
軍艦が付いてたのは福島隊

軍艦から全体の戦況報告は送られてるが池田隊からの戦況報告は離れているために遅れた
池田隊から詳細を聞かなければ褒賞できないために26日まで保留になってたって話な
だから報告はすぐしろって注意書
何通の書状が行き交いしてる時に
池田からの報告が遅れただけで全体が遅れてたと意味のわからん話を展開してるんだよ君は
22日に両方勝利してるのに実際には25日に竹ヶ鼻城攻略褒賞が出ているんだから
そして26日に木曽川・米野の戦いの褒賞と池田側のが一日遅れてるのが事実なんだから
詳細をこれ以外の事実はありません
君が>>57で言ってる落城時期も褒賞も適当に予想して書いたってことが一番矛盾していますよね?
0063人間七七四年2018/02/09(金) 22:52:33.42ID:0Z2PFrTj
仮に史実での岐阜城籠城時守備兵が3000だった場合、こんなかんじだろうか?

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか500(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む?):300
大手門・大手口:木造ら800
御殿・百曲口:百々700
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬400
権現山砦:石田援将100
稲葉山砦(稲荷山砦含む?):石田援将松田200

う〜ん、兵力足らないね。敵が2万以上では…。


これが8000なら…

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1300(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):百々1200
大手門・大手口:木造ら1500
御殿:島津義弘1000(遊撃兼務)
百曲口:500
瑞龍寺山砦:石田援将河瀬・松田ら1000
権現山砦:500
稲葉山砦(稲荷山砦含む):1000

こんなかんじかな?だいぶマシなかんじになる。
0064人間七七四年2018/02/09(金) 23:03:58.47ID:6hV/4wKU
そんなに分散させたらあんま変わらんのでは
上手く連動して反撃するならともかく
0065人間七七四年2018/02/09(金) 23:46:09.63ID:0Z2PFrTj
>>64
これでも城下町放棄前提でこれだからねぇ、
守備範囲縮小するなら、瑞龍寺山砦、権現山砦、稲葉山砦、稲荷山砦の順だけど、
尾根伝いに来られるようになるし、高所を取られてしまうし、
メリット、デメリット半々といったところ。

一応部署分類すると
金華山山頂:本丸、二の丸、
山麓:水の手口、丸山砦、大手門、大手口、御殿、百曲口、
南方尾根砦群:稲荷山砦、稲葉山砦、権現山砦、瑞龍寺山砦、
0066人間七七四年2018/02/10(土) 02:23:56.73ID:P5bxnoXV
それぞれ守るには大将にも相当な統率力が必要だろな
0067人間七七四年2018/02/10(土) 04:00:16.12ID:IJLurcLU
なお城下町を含む総構えの大坂城の総大将の秀頼は置物状態だったという
0068人間七七四年2018/02/10(土) 06:27:14.79ID:pCRv9JE8
秀頼を西側に抱き込んでいたらまた違ったかも
0069人間七七四年2018/02/10(土) 09:51:51.63ID:hAoLZjw4
>>67
つまり大坂城と同じだけの金と労力をかけて岐阜城を強化しなかった秀吉に全ての責任があるということだな
そもそもいくら大坂城を強化したところで大坂まで敵が来たら事実上終わりなのに
敵を食い止めるための重要防衛地点より消化試合となる玉砕地点を最優先で強化する秀吉は痴呆症が深刻だった
痴呆症秀吉のせいで岐阜城は持ちこたえることが不可能になったと言える
0070人間七七四年2018/02/10(土) 10:40:23.96ID:IJLurcLU
>>69
秀吉はむしろ清洲城を対関東の兵糧備蓄庫&防衛重要拠点にするべく
過去に反抗した実績のある織田信雄を無理矢理追い出して秀次に治めさせたが
秀次切腹後に福島正則を入れたのも秀吉だからな
そのせいで西軍が逆に清洲前で足止めになり逆効果になったという
清洲城を石田三成に任せていたら展開が変わったろうな
0071人間七七四年2018/02/10(土) 11:26:59.64ID:hAoLZjw4
清洲城は西側で謀反を起こす勢力が現れた場合に徳川と連携して
謀反勢力を鎮圧するための重要拠点でもあるからね
石田が福島に何の相談もなく勝手に武装蜂起すれば
謀反と認定して鎮圧に向かう福島の行動は秀吉の指示通りで正しい行動だった
痴呆症秀吉と天下人気取りの傲慢三成が豊臣を滅ぼしたことは間違いない
0072人間七七四年2018/02/10(土) 12:30:02.81ID:CmsIsrx3
>>69-70
元々秀吉は家康はそれなりに警戒しており、駿府に中村一氏、掛川に
山内一豊、浜松に堀尾吉晴、吉田(現豊橋)に池田輝政、岡崎に田中吉政を
置いていた。

ところが、これらの人物は全て秀次派の重鎮で共通しており、秀次事件で
全て豊臣家そのものの敵になった。だから、家康の障害物どころか、
安心して通れる道になってしまった。

これらの人物を全て改易し(池田輝政は一族皆殺しにし)、石田三成を
置くよう、石田三成、増田長盛は働きかけたが、秀吉が受け入れなかった
ため、全てがパーになった。
これに関しては、石田三成を置くべきだったと思っている。

岐阜城に関しては、最初から守備として考えられてはいなかった。
0073人間七七四年2018/02/10(土) 12:38:19.20ID:NnOG2X3L
>>72
お前の脳内創作は心の底からどうでもいいんで
0074人間七七四年2018/02/10(土) 12:51:52.38ID:hAoLZjw4
>>72
三成は秀吉以上に処刑・粛清が大好きな人間だからな
残虐趣味の秀吉でさえ秀次事件を秀次の妻子処刑で手打ちにしようと思っていた時点でも
三成はまだ足りない、もっと殺せ、池田輝政・浅野幸長・細川忠興らを妻子もろとも皆殺しだと叫んでいた
残虐処刑を散々繰り返していた秀吉が引くレベルなのだから三成の恐ろしさがよくわかる
これによって三成は豊臣恩顧にとっての最大の脅威になったと言える
0075人間七七四年2018/02/10(土) 13:19:54.92ID:Yh/mnZVl
岐阜城に万全の守備を求めた場合、

金華山山頂本丸・二の丸:1500(予備隊含む)
東方尾根守備:1000
水の手口:500
丸山砦:800
大手門・大手口:1500
御殿:2000(遊撃・予備隊兼務)
百曲口:500
城下町:3000
瑞龍寺山砦:1500
権現山砦:700  
稲葉山砦(稲荷山砦含む):1500  総計14500

これくらいはほしい。
たしかに14500も守備兵が必要という部分では岐阜城は防御に向かないと言える。
尾根筋等取られると防御に不利になる地点や侵入経路を数多く守らなくてはいけないという点でね。

小牧山のように、シンプルに山に全軍配置で終了、のほうが兵力配置の面では守りやすい。
0076人間七七四年2018/02/10(土) 13:45:19.13ID:Yh/mnZVl
あ、城下町守備前提なら総計から1000くらい減らして13500くらいかな。
0077人間七七四年2018/02/10(土) 17:24:28.29ID:qJ0p05ZF
>>67
大坂の現場の各大将は名将揃いだったろうに
岐阜城にはどこにいるのか
0078人間七七四年2018/02/10(土) 17:36:02.45ID:AL9tcIlL
橙武者「そやな」
0079人間七七四年2018/02/10(土) 19:56:29.71ID:IJLurcLU
>>77
野戦で負けても秀信が降伏するまで戦い
数十人を残して多くが討ち死にした岐阜城の戦いと
野戦で負けたら大坂城に戻り、徳川軍を招き入れて略奪の限りを尽くした浪人たちとどっちが良かったのかね

名将云々なら島津派遣すればいいし
0080人間七七四年2018/02/10(土) 20:05:07.22ID:CauGRbJy
>野戦で負けたら大坂城に戻り、徳川軍を招き入れて略奪の限りを尽くした浪人たちとどっちが良かったのかね

デマ流すの?
0081人間七七四年2018/02/10(土) 20:23:57.86ID:IJLurcLU
>>80
野戦に負けた後に裏切りで火を放たれ大坂城炎上
秀頼に赦免を申し出るも叩き落とされて
守備を放棄して徳川軍を招き入れた話は無かったことになってんのか
浪人はと言うと略奪して逃走してた話も
0082人間七七四年2018/02/10(土) 20:36:47.62ID:1NEaAZSH
日本を敵に回して豊臣が耐えれたのは
大坂城のおかげ
0083人間七七四年2018/02/10(土) 20:37:06.33ID:Yh/mnZVl
前スレ>>958なんだけど、精鋭って書いてあるけど、家康は史実で秀忠が率いていった
榊原や酒井とかの計38000を率いて、っていう想定でいいのかな?
んで、史実で家康が率いた旗本衆33000を宇都宮に送って秀忠に付けると。

あと清洲城って、先発隊35000+家康38000、計73000も入るかな?
0084人間七七四年2018/02/10(土) 20:38:41.55ID:Yh/mnZVl
これね。

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/02/05(月) 14:41:41.07 ID:tM7//CZI [1/3]
岐阜城が最初から籠城
犬山城も未だ西軍
西軍の先鋒部隊が岐阜城に後詰成功
福島達は清州に後退

この時点で長期化は免れない
東軍が決め手なく時間を浪費する間に北近江と美濃に西軍が集結
京極も裏切るのを止め小早川も西軍の勢いを見て動きが怪しくなる
東北では最上が上杉に降伏し伊達も不穏な動きを始める
家康は関東から動けなくなる
満を持して西軍が尾張に侵攻を開始

家康は関東を秀忠と結城秀康に任せ精鋭を率いて福島達に合流

でどうする?
0085人間七七四年2018/02/10(土) 21:17:16.28ID:Yh/mnZVl
>>958を家康視点で考えてみる。
まず先発隊が岐阜城落とせずに清洲に撤退したと聞いたら
すぐさま兵20000で小牧山の占拠に向かうよう指示する。
首尾よく占拠したら小牧山の野戦築城と清洲からの兵粮輸送の指示。
家康自身は兵38000で、甲府〜塩尻〜木曾谷経由で美濃へ向かう。
美濃大井(恵那市)までは中山道、岩村城はスルーして中山道大湫へは向かわず
土岐川沿いに(現R19)多治見へ向かう。そして多治見で止まる。2〜3日止まる。
ここまでで西軍の迎撃があるなら別の策だけど、なければ多治見。
西軍に小細工する余裕を与える。
西軍に動きがなければそのまま内津峠を越えて小牧山で先発隊と合流。
第2次小牧・長久手戦役になる。

馬鹿正直に東海道行くと西軍に小細工する隙を与えられないため。
多治見で止まるのは、ここからなら内津峠越えて小牧山で先発隊に合流するのか、
犬山城を攻撃するのか、それとも可児まで北上しまた中山道から岐阜を狙うのか
判断つかない位置のため。

東軍先発隊による西軍の木曽川渡河迎撃は行わない。
理由は犬山城を押さえられているので、下手に渡河迎撃布陣すると
犬山方面から抜けてきた西軍に後方に回られるリスクが大きいため。
清洲・小牧山のラインで防衛が基本構想。

てか、やっぱ東軍有利だね、清洲押さえてるのは大きい。
0086人間七七四年2018/02/10(土) 22:08:09.61ID:P5bxnoXV
>>79
島津義弘のいるとこだけ残して後はさっさと片付けられそうやな
0087人間七七四年2018/02/10(土) 23:28:16.61ID:KLsQocSi
島津が名将だとしてもゲームの駒じゃないんだから、関ヶ原本戦のように環境や立場が悪ければ糞の役にも立たない訳で
0088人間七七四年2018/02/11(日) 00:42:44.02ID:AYvRQblC
>>79
秀信は、別の意味でカリスマ有ったんかも知れんね。
事実上滅亡した家の嫡男で、幼児の頃から家老の合議で運営って有る意味愛されるでしょう。
皆で殿をお守りしなければってね。
0089人間七七四年2018/02/11(日) 07:59:37.07ID:GfakmWkU
大津城の戦いも京極高次は蛍大名と陰口を言われるくらいだから名将といえないし
配下に名将っぷりを発揮したのもいなかった
ただ籠城準備として城下町を焼き払い瓦礫で通路を塞いだから
立花宗茂という名将が敵にいても籠城で一週間耐えているんだよな
0090人間七七四年2018/02/11(日) 08:28:04.16ID:kjiKvPHG
瑞龍寺山砦と権現山砦を放棄して稲荷山砦、稲葉山砦を南端とするとこうなる。

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1300(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):百々1500
大手門・大手口:木造ら1500
御殿・百曲口:1000+島津義弘1000(遊撃兼務)
稲葉山砦:石田援将河瀬・松田ら1000
稲荷山砦:700

これなら攻勢が予想される稲荷山砦・稲葉山砦、大手口、御殿、丸山砦
いずれも守備兵1500くらいは確保できる。

もっと縮小するなら稲葉山砦、稲荷山砦も放棄、史実に近い形の

金華山山頂本丸・二の丸:秀信、秀則ほか1500(予備隊及び東方警戒含む)
水の手口方面(丸山砦含む):石田援将河瀬・松田ら1000+島津義弘1000(遊撃兼務)
大手門・大手口:木造ら2000
御殿・百曲口:百々2500

こんなかんじになる。攻勢正面の守備兵2000は確保。ただし稲葉山砦あたりの高所を取られる。
0091人間七七四年2018/02/11(日) 10:38:47.89ID:0IU8tEO/
>>88
秀信は、別の意味で西軍および豊臣家に戦慄を与えたといえるね
東軍には旧織田家臣系が大勢いるけど、何のためらいもなく秀信を攻撃して瞬殺した
ということは裏を返せば、表面的には豊臣恩顧とされる大名でも
豊臣家が東軍に敵対的な態度を取れば、秀頼であっても適当な理屈をつけて攻撃する可能性が高いというメッセージになる
ただでさえ岐阜が陥落して軍事的に西軍が不利なのに加えて
東軍のこれほどまでの強硬的な覚悟を見せつけられたら、豊臣家本体と三成派以外の豊臣恩顧は東軍とは戦えないよ
よくいわれる秀頼出陣とか大坂篭城というのは秀信の敗北によって二重の意味で不可能となった
秀信討伐という東軍の強硬的な覚悟によって豊臣家も三成派以外の西軍も東軍に折れるしかなくなったと言える
0092人間七七四年2018/02/11(日) 15:38:54.42ID:LGJzhQLw
いうて旧織田閥なんてクソ雑魚ナメクジ揃いで話になんないよ
丹羽→中川→蒲生→前田(失笑)
信長死後18年後に織田がー!なんて言う奴いないよ
秀吉死後16年後に豊臣がー!なんね言う奴いたかぁ?
0093人間七七四年2018/02/11(日) 16:31:10.58ID:RW1rmp22
>>89
それは京極高次が誉められるべき内容であって
一般論として基準にはならんと思うが
0094人間七七四年2018/02/11(日) 16:44:22.27ID:oBVQBAlE
薩長「倒幕なら任せろー」
0095人間七七四年2018/02/11(日) 19:06:45.64ID:kjiKvPHG
前スレ>>145の地図を参照させてもらうけど、
http://ime.pta.jp/d/Ei49qm.jpg

>>84の場合、東西両軍による小牧山の争奪戦になるんじゃないかと思う。
タイミング的には東軍が清洲に退却した直後くらい、8月29〜31日くらいかな?
ここのタイミングで小牧山近郊で東西両軍による偶発的遭遇戦があるかもしれない。
確率は低いかもだが、タイミングがぴったり合えば東西両軍による小牧山の争奪戦、
(近代戦の○○○高地の争奪戦みたいな)が起こるかもしれないと思う。
0096人間七七四年2018/02/11(日) 21:02:14.16ID:AYvRQblC
>>91
家康はさ、例え秀吉の膝の上でも幼児の秀頼に臣下の礼を取ってるでしょ?
そして東軍参加の大名の殆んども同じだしさあ?
家康が、征夷大将軍を望んだのも豊臣家に臣従してるって意識を消す為でしょ?
更に、大阪の陣の時は代替わりした大名も多く、大阪の殿中の記憶も薄いでしょ。
それでも相当の後ろめたさだったんだし。
この時点で、大阪籠城は相当精神的にきついと思う。
0097人間七七四年2018/02/11(日) 22:54:31.86ID:bA4eZOJj
武家がそんな甘っちょろい世界なわけ有るかい。鎌倉幕府のめ逃亡とかちょっと調べても敵認定したら元主君だろうがなんだろうが
徹底して滅ぼすのが当時の武士だ
0098人間七七四年2018/02/11(日) 23:53:13.23ID:jR6uiaVu
家康が豊臣家を甘やかしすぎたんで、秀頼と淀が勘違いした。
成人まで中納言に留め置いて、官位を秀忠の下に置き、極官を大納言程度にして舅に頭を下げさせて分をわきまえあせておけば豊臣は存続できたかもね。
0099人間七七四年2018/02/12(月) 00:05:28.49ID:v8MgMpxl
>>98
お前も甘やかされてるからスレ違いばかりやる馬鹿になったのか
0100人間七七四年2018/02/12(月) 05:35:09.36ID:Z4DX0QkK
なかなか面白かったぞ
0101人間七七四年2018/02/12(月) 07:27:33.91ID:Yfu/6HTP
>>95
小牧山は清洲城の防衛拠点みたいなもんだから
小牧山だけ取っても意味がない
0102人間七七四年2018/02/12(月) 07:43:07.23ID:rxk87Ank
関ヶ原で西軍石田三成が勝利を得るのは簡単なことだった、東軍徳川家康と上杉景勝を真剣に戦わせれば良かっただけのこと、ノーコンテストに終わったことが西軍の敗戦に繋がっただけのこと
徳川と上杉がぶつかってれば中央は完全に西軍に落ち着いてたな
真田もいるからジワジワと徳川は追い込まれる
上杉と和睦出来たなら徳川の勝利、出来なければ西軍の勝利だろうな、一度戦ってしまうと和睦は難しいだろうから西軍有利

タイミングとして石田の挙兵が少し早過ぎただけのことだった、完全に徳川と上杉がぶつかってから挙兵すべきであった、ただそれだけのこと
上杉討伐の最中、逆に大谷吉継がタイミングを見計らって小早川秀秋役をやるべきだった
0103人間七七四年2018/02/12(月) 07:53:59.64ID:6ZX6OCSV
>>102
最上にさえ勝てそうになかった上杉だけじゃ無理だろ
0104人間七七四年2018/02/12(月) 07:56:47.58ID:IcHELDZ1
上杉は籠城戦、カンタンに落ちたりしないんじゃない?
0105人間七七四年2018/02/12(月) 08:37:34.19ID:ERU6Mh1f
確かに時間は稼げる
0106人間七七四年2018/02/12(月) 08:41:06.24ID:6ZX6OCSV
>>104
城自体が落ちなかったところでなんの問題があるのか
0107人間七七四年2018/02/12(月) 08:44:59.57ID:6ZX6OCSV
>>105
時間が稼げる代わりに東軍に囲まれる上杉が反撃する力はほとんど残らないだろ
そうなったら史実以上に家康が簡単に西進しやすくなるだけだぞ
0108人間七七四年2018/02/12(月) 08:49:04.07ID:IcHELDZ1
佐竹も大谷も真田も上杉の味方だな
0109人間七七四年2018/02/12(月) 09:07:25.54ID:IcHELDZ1
関ヶ原後1年間、徳川と上杉は睨み合ってた、2度目の上杉征伐は家康はしなかった、波乱を怖れたからかな?
結果上杉が平伏し家康は晴れて江戸に帰り幕府を開くことが出来た
関ヶ原後も上杉は1年間頑張ってた
史実はこんなとこ
0110人間七七四年2018/02/12(月) 09:47:20.07ID:XwQyUIz2
>>102
そこまで挙兵を遅らせたら西軍のほとんどが上杉討伐軍に合流して東軍になってしまうよ
0111人間七七四年2018/02/12(月) 10:02:00.37ID:z27tLKNp
1日でも早く奉行に返り咲きたいという三成の私欲があまりにも強すぎたんだよな
上杉との戦いが始るのかも確認せずに速攻で蜂起して
畿内の基盤固めなどは全て無視して東進させろの一点張り
これほど露骨な私欲を見せられたら西軍の大半も白けてやる気をなくすよ
西軍は三成の私欲によって敗れたといっていい
0112人間七七四年2018/02/12(月) 10:32:04.54ID:sTFSKbnt
>>109
結城秀康が助命に動いてたってのもあるだろうけど
もはや勝負あったからでしょ

あと上杉はあの状況でも結局徳川を全く攻めなかった
その後の上杉の徳川幕府への忠勤ぶりを見ても
味方にした方が良いと家康も判断したのでは
0113人間七七四年2018/02/12(月) 10:36:53.44ID:cwJrVWUb
>>102
無理です。
石田三成は丹後宮津や近江大津などに、戦争の際にしてはいけない兵力分散をやるような愚将です。大津は気になるなら佐和山あたりに数千入れとけばいいのに、わざわざ1万以上さし向ける。

伏見にしても、城内にいるのは2000も無いんだから、同数か少し上で牽制しといてさっさと各地の平定に行くべきなのに、2週間も費やす。

西軍は最初から自滅の道を歩んでいます。
0114人間七七四年2018/02/12(月) 11:08:13.34ID:1vFo4KvF
西軍挙兵タイミング論についてはたまに出てくるけど、結局は>>110の通り。
ごまかして遅らせてもせいぜい2〜3日。垂井の大谷を佐和山に呼ぶところからもうぎりぎり。
0115人間七七四年2018/02/12(月) 11:19:29.81ID:1vFo4KvF
>>113
各地の平定ってどこを想定してるの?伊賀、伊勢、美濃、越前?
越前と美濃は大谷と石田が勧誘を行ってるでしょ。
0116人間七七四年2018/02/12(月) 12:20:50.87ID:Yfu/6HTP
>>113
大津城は水運の拠点だから無いと厳しい
交通や運送の要衝を放置するなんて当時の戦国時代ではあり得ない非常識
0117人間七七四年2018/02/12(月) 14:22:34.40ID:rxga68nq
>>107
あの時点では、家康は豊臣家の家老って建前で上杉攻めをやってる訳で傘下の大名も家臣だとは
思って無いでしょ。
そして家康の性格からすれば豊臣恩顧大名を前線に出し徳川の旗本は温存するはず。
上杉と豊臣恩顧が磨り潰されるのを眺める形に成る訳ですが?
これさあ、福島あたりが腹立てて寝返る可能性無いのかな?
0118人間七七四年2018/02/12(月) 14:57:00.83ID:0NnB8nf6
会津征伐は後陽成天皇の下賜を受けて武家のなかで最高位の大臣である内大臣の行った官軍の戦いだよ

豊臣家の家老とか寝言もいいとこ
0119人間七七四年2018/02/12(月) 15:00:02.40ID:wOEiNA5b
>>117
戦力差が圧倒的すぎて寝返る馬鹿などいない。
せいぜい不満に思って手を抜くくらい。
小田原征伐で北条に味方したのがいないのと同じ。
0120人間七七四年2018/02/12(月) 15:11:16.69ID:7vurP/a4
つーか福島は普通に私婚問題の時に家康と連座して追及されているからな
上杉に対する報復は望むところ
0121人間七七四年2018/02/12(月) 16:19:37.09ID:G9hcg5Dr
>>107
史実の体たらくを見てると状況が悪くなってでも時間を稼いできっちり戦略政略を詰めたほうがまだ期待できる気がするw
まあ、より状況が悪くなってどうしようもなくなる可能性の方が高そうだが
0122人間七七四年2018/02/12(月) 16:40:50.90ID:2CAXW3Vo
>>117
関ヶ原のそれこそ岐阜の前哨戦がまさにその状況だけど
福島めっちゃヤル気マンマンで家康の想定以上の活躍してるし
戦うことに躊躇がある奴じゃないと思う
そのあと何を言うかは読めないところあるが
0123人間七七四年2018/02/13(火) 13:55:57.01ID:1w0ofyN4
西軍が勝つ方法なんて楽勝だ
家康を接待漬けでひたすら天婦羅食わせまくって
胃がんのリスク高めればそれで勝つる
結局のところ寿命に尽きるんだよ 徳川の勝因なんて
家康がもう10年早く死んでたら徳川の天下はだいぶ危うかった
0124人間七七四年2018/02/13(火) 14:00:45.62ID:ZubJUYjY
家康がもう10年早く死んでたとしても
関ケ原では西軍が負けてただろ
0125人間七七四年2018/02/13(火) 14:01:05.35ID:1w0ofyN4
結局のところ
・家康存命中に有力大名が軒並み寿命つきて代替わりした
・家康存命中に秀忠の対抗馬になりそうな秀康、忠吉が死んだので徳川が割れずに済んだ
この2点がかなり大きい
0126人間七七四年2018/02/13(火) 14:02:55.60ID:1w0ofyN4
>>124
だからことを起こすのは家康が死ぬまで待つんだよ
代替わり起きれば相続にかこつけて徳川を解体するのは容易い
0127人間七七四年2018/02/13(火) 14:34:12.64ID:eW72fR0y
>>126
いやそれ関ヶ原関係ねーから。
0128人間七七四年2018/02/13(火) 14:36:16.35ID:PziaNeNP
家康、健康おたくで麦飯に豆みその味噌汁、駿河湾の魚、鷹狩りの獲物のジビエと健康的な食生活だったからね。倒すのは困難。
0129人間七七四年2018/02/13(火) 15:57:09.83ID:4z1k1p8M
不老不死の薬と言い張って家康に毎日水銀を飲ませて水銀中毒にすればかつる!!
0130人間七七四年2018/02/13(火) 16:27:13.56ID:PziaNeNP
家康が調合した薬には、「万病円」「寛中散」「銀液丹」などと名付けられた薬があるそうです。
このうち「銀液丹」という薬は、主成分に水銀とヒ素を使用したものです。
水銀やヒ素は毒薬ともなるものです。これを毎日飲み続けることにより、毒に対する抵抗力が強くなると家康は考えていたようです。
0131人間七七四年2018/02/13(火) 16:35:26.27ID:YXOFe/lx
>>126
史実ではそれが待てなかったんだろ大坂は。
淀が江戸に出向いただけでかなり時間稼ぎできたのに、それすらしない。
0132人間七七四年2018/02/13(火) 16:47:27.98ID:PziaNeNP
秀吉だって自分の母親の大政所を人質に出したんだから、淀ぐらい人質に出しときゃ良かったのよ。
0133人間七七四年2018/02/13(火) 17:41:24.47ID:xCKTREQp
家康はメンヘラだから不安煽ったら死ぬかもよ?
0134人間七七四年2018/02/13(火) 19:26:40.22ID:wNVxYCLe
利長だって自分の母親の松を人質に出したんだから、淀ぐらい人質に出しときゃ良かったのよ。
0135人間七七四年2018/02/13(火) 19:41:43.32ID:y3ki6r2b
家康はサイコパスの秀吉と違ってメンヘラではないが、
想像していなかったことがおこると混乱する弱さはあるな。
義元が死んで混乱したり、信長が死んで混乱したりする。
秀吉はその逆で抜け目なく動き、信長の家族を殺して1年で主家を乗っ取る非情さを持っている
0136人間七七四年2018/02/14(水) 01:39:53.73ID:1+buB0AZ
>>130
マジレスすると、砒素は毎日服用すると段々毒に耐性付く事が知られてます。
だから、同じ砒素入り酒を飲んで相手だけ殺すとか可能、て言うか一時期それを利用した弁護が
流行ったそうな。
被疑者は砒素を常用する特殊な習慣が有って殺意は無いとかね。
水銀も殺菌作用が有るんで、食あたりとか皮膚病用の軟膏とか有る。
常用しなければ、水銀は古来から有力な殺菌剤なんよね。
0137人間七七四年2018/02/14(水) 03:28:04.67ID:hF9ySb9z
>>132
秀吉の時は先に家康から人質取ってたし勢力の大きさでも優位に立ってるから逆に簡単に人質出せたんだよ
秀頼の時とはまるで状況が違う
0138人間七七四年2018/02/14(水) 05:45:43.23ID:1+buB0AZ
>>132
まあ、それで時間稼ぎが一番穏当な計略かもね、ご母堂の屋敷なんだから出来あいの物では満足
出来ない、大大的な改修工事が必要って言えば二年くらい稼げるかも。
鐘の事件で、屋敷造営中で時間稼ぎすれば家康死ぬし。
0139人間七七四年2018/02/16(金) 21:01:00.39ID:G1913qqK
8000人を東軍城下町焼き討ち部隊に割いて
それぞれ金沢→春日山→山形→仙台、名古屋→掛川→江戸→甲府に向かわせ焼き払う
西軍は持久戦で東軍を釘付けにして秀忠が到着した頃には東軍は帰る場所もなく補給が絶たれて終了
0140人間七七四年2018/02/16(金) 21:02:42.71ID:rGQK1pEr
完全に民衆の敵だな
0141人間七七四年2018/02/16(金) 21:06:15.67ID:Bso8GqfX
>>138
あと、常高院を通じてさらにお江に働きかけを強めるべきだな。それで幕府の考えが変わるとは思えないが、揺さぶりをかけるくらいにはなる。
0142人間七七四年2018/02/17(土) 09:43:19.65ID:KxQ+intV
西軍は蜂須賀家くらいは全面的に味方に付けておきたかったな。
0143人間七七四年2018/02/17(土) 10:01:55.08ID:R/JT8gXP
三成を襲撃して解任に追い込んだ人間が
三成を復帰させるための軍隊に味方する方がおかしいだろ
せめて西軍に三成がいないなら可能性はあるが
0144人間七七四年2018/02/17(土) 10:19:42.03ID:fAX3w3X9
三成がここまで嫌われたのは何故なのか

原因は朝鮮出兵の時とか言われてるけど
殺したいほど憎まれるとか何をしたんだろ
0145人間七七四年2018/02/17(土) 10:55:55.48ID:gjfQC949
蜂須賀は、家康の養女押し付けて、婿の小六の孫の至鎮が親徳川。
黒田、蜂須賀と婚姻政策が成功。
0146人間七七四年2018/02/18(日) 00:53:01.54ID:WS/Ezn4z
蜂須賀は清正や福島とも仲は悪い。
0147人間七七四年2018/02/18(日) 03:50:49.04ID:K2T7C7tP
関ヶ原前後なら黒田とも悪いだろう?
0148人間七七四年2018/02/18(日) 08:54:45.55ID:SDA5Fa4H
そもそも武断派が結成されたのは利家の死後だからな
それまでは加藤・浅野が前田派で福島・黒田・池田・細川・蜂須賀が徳川派で分裂しており
徳川派の連中も仲が悪く、バラバラに徳川と付き合っているだけで派閥としての一体感などなかった

それでも三成という最大の脅威を倒すためには小異を捨てて大同団結しなければいけないということで
これまでまったく連携してこなかった7人が協力して武断派を結成して三成に対抗を始めた
よく秀吉の生前から武断派が存在すると勘違いされているが実は違う

だからこそ絶対協力するはずのない7人が一体となって三成を襲撃したのは衝撃的なことで
三成がこれほど広範な大名に対して脅威と与えている以上は奉行を辞めるのは当然の流れになった
0149人間七七四年2018/02/18(日) 09:26:58.90ID:WS/Ezn4z
細川は前田の親戚だぞ
0150人間七七四年2018/02/18(日) 09:57:11.28ID:D0yptDvT
徳川派と前田派はもともと別に仲は悪くないんじゃね?
0151人間七七四年2018/02/18(日) 10:52:51.60ID:7txHld0B
脅威と言ったり駄物扱いしたり言ってることがバラバラで笑えるw
0152人間七七四年2018/02/18(日) 12:47:32.12ID:mhwP6Sy+
加藤嘉明「・・・・」
0153人間七七四年2018/02/18(日) 17:28:53.33ID:3TAqgtCb
明智討伐の頃から三成は嫌われてたんだっけ
0154人間七七四年2018/02/18(日) 18:34:55.13ID:8Mh7x2rB
役割的に憎まれる立場だからね
特に秀吉晩年は色々酷い命令が多いから
余計に恨まれることになる
0155人間七七四年2018/02/18(日) 19:23:07.02ID:WS/Ezn4z
七将の共通点なんて、秀吉の死後に徳川に近付いた連中ってのしかないんだよ。

加藤(清)、福島、黒田の三人は秀吉の遺言に背いて家康と姻戚関係になる
黒田なんて嫁と離縁してまで徳川の姻戚となる。
池田は言わずと知れた娘婿。姻戚関係だけで四人だ。


細川は加増して貰ってる。これも遺命に背いてだがな。
金借りた事もある。

浅野は秀吉存命中から家康と仲が良い。

ただ一人、加藤嘉明だけが特に親徳川って訳でもない。
だから治部少輔邸の襲撃からも身を引いてる。
0156人間七七四年2018/02/18(日) 20:10:10.25ID:KFVGaG57
とりあえず、秀吉死後3つの大派閥に分かれて互いに争った。

[豊臣系武闘派]
加藤清正、福島正則、黒田長政、加藤嘉明、etc
[豊臣系文治派]
石田三成、増田長盛、長束正家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家etc
[秀次の残党]
池田輝政、浅野幸長、田中吉政、中村一氏、堀尾吉晴、etc

重要なのは、この3グループがそれぞれ非常に仲が悪く、互いに争って
いたこと。(豊臣系武闘派と秀次残党の関係も極めて悪かった)
家康はこのうち、豊臣系武闘派と秀次残党を組み入れ勝利した。
0157人間七七四年2018/02/18(日) 20:12:12.11ID:KFVGaG57
あとは、派閥の長が有力だったのも、争いを泥沼化した。
加藤清正、石田三成、池田輝政、いずれも派閥をしっかり押さえて、
他の攻撃を行った。
0158人間七七四年2018/02/18(日) 20:17:23.89ID:WS/Ezn4z
秀次残党とか勝手に新勢力作ってるが、そんなものは存在しないからw
0159人間七七四年2018/02/18(日) 22:20:39.71ID:MmhJUqYm
七将だれだったか確定してるのか?
0160人間七七四年2018/02/18(日) 22:21:21.10ID:YvbjSAPl
家康書状で確定してる
0161人間七七四年2018/02/18(日) 23:40:45.23ID:93R6yMD4
まあ言うだけならタダだからね
福島正則が武闘派とか何の冗談だって感じだけど
0162人間七七四年2018/02/18(日) 23:47:06.25ID:D0yptDvT
輝元景勝が豊臣系てw
0163人間七七四年2018/02/18(日) 23:57:55.97ID:VL62k4Xh
西軍は豊臣への忠義()だからね
0164人間七七四年2018/02/19(月) 00:25:30.63ID:4Kx+VnW2
>>162
混ぜられてマジで迷惑してそうw
0165人間七七四年2018/02/19(月) 01:08:42.70ID:fF4sadZR
文治派はあくまで吏僚として豊臣の威光を振りかざすのが武器なのだから
逆に言えばガチの武力抗争に持ち込まれると不利な立場だ
よって武力抗争にまで発展しないように節度を持って振舞わなければいけないのに
三成は権勢欲が強すぎて全く自制ができなかった
毛利や上杉とグルになれば武力抗争にも勝てると三成は見積もっていたのだろうけど
奴等は外様として豊臣に媚を売るために三成に近づいただけで一緒に命を賭けることなどしない
三成の権勢欲の強さと計算の甘さが豊臣もろとも自分の身を滅ぼしたと言える
0166人間七七四年2018/02/19(月) 06:47:57.64ID:7NIBNzik
>>155
そもそも乗っ取りを企む連中が自派閥作るって普通にテンプレだからね。
徳川は、会津の蒲生や上杉そして東海道の豊臣恩顧を見れば建前は兎も角実際は監視対象なのは
明確。
その、当の東海道の大名を抱き込むって露骨に謀反を疑われても仕方無い。
まあ、反奉行は大義名分って奴でしょ、流石に幼君を抱く豊臣は仕舞いとは言えん。
こんなん、大名の御家騒動では今までも普通に有った事だし。
0167人間七七四年2018/02/19(月) 19:33:47.99ID:tdohTEEu
後詰めのない籠城戦なんて絶対勝てないわけで。
大坂以外の武家が味方してない秀頼が負けるのも必定。
籠城してたらそのうち裏切るものがでてくる、なんてそんなご都合主義いってる時点でマヌケそのものだよな
0168人間七七四年2018/02/19(月) 20:05:51.60ID:MWGy6zz4
金吾が裏切らなければ勝てた
0169人間七七四年2018/02/19(月) 21:51:44.17ID:eiqOjzXa
業のものが現れた
0170人間七七四年2018/02/19(月) 23:21:08.38ID:6DSqAy07
金吾がどうこうじゃなくて全て毛利なんだよ。
もし毛利が戦ってれば、小早川家は絶対に裏切れない。
もし裏切って西軍と戦うなんつったら小早川家の兵に
金吾や稲葉は殺されてたよ。
0171人間七七四年2018/02/19(月) 23:23:29.45ID:6DSqAy07
金吾がすぐに東軍に走らなかったのは毛利の動きを見てたんじゃないかと思う。
なかなか動かない毛利を見て、戦う気ないみたいだから約定通り東軍に寝返っても
大丈夫だな。と判断して寝返ったんだろう。
0172人間七七四年2018/02/20(火) 00:19:27.69ID:BnIqcbuF
>>168
そもそも裏切りという発想自体が根本的におかしい
地位も力も小早川が石田より圧倒的に上なのだから本来なら石田が小早川に従うべきだろ
ところが石田は秀吉の威光で威張り散らしていた時代の感覚をいつまでも引きずって
格上の小早川に向かって無礼な態度を取り、自分の言うことに従って当然だと思い込んでいた
これは毛利に対しても同様のことが言える

毛利と小早川が東軍と戦わないなら石田が裏切って勝手な戦闘をしているに過ぎないんだよ
石田が裏切ったから西軍が負けたというのが正しい
0173人間七七四年2018/02/20(火) 00:58:19.35ID:/4McRphq
>>171
秀秋はあんなとこに無理矢理陣取った時点で
西軍として戦ってもらえる絵図が全く見えない
0174人間七七四年2018/02/20(火) 01:57:25.27ID:QkkSoK6V
>>172
内府違いの条々なんて挑発文送ったり徳川が守る伏見城攻め落としておいて東軍と戦ってませ〜んはねーわw
毛利も小早川も単に土壇場でビビっただけ
石田は戦後言い訳づくりのために仕立て上げられた単なるスケープゴートだよw
0175人間七七四年2018/02/20(火) 02:13:28.15ID:krLNBE3Q
>>172
ほんそれ

三成は全くといっていいほど外交ができなかったってことだな
0176人間七七四年2018/02/20(火) 04:04:57.61ID:bQBTIBTc
>>167
まさに生兵法
後詰めの有無なんぞ攻囲側の準備度の前では誤差もいい所
小田原の秀吉ですら兵站が綱渡りで攻囲側の物資と気力が先に尽きる城攻めがほとんど
0177人間七七四年2018/02/20(火) 05:35:55.60ID:wTONuBFz
>>176
だからそれも救援の後詰めあっての話なんだがね
なんにもないのに籠城してて勝てるわけないだろ
0178人間七七四年2018/02/20(火) 12:39:03.35ID:qid/3Y/F
金吾の家臣は押し付け養子のバカ殿に対しても忠実だった理由がわからない
0179人間七七四年2018/02/20(火) 12:41:34.52ID:BLQauVBz
金吾って普通に優秀だろ
0180人間七七四年2018/02/20(火) 13:07:09.33ID:h4L8y96K
秀秋の器量の評価はともかくとして
隆景の近臣は代替わりで隠居する時に一緒に三原に移っているし(隆景の死後毛利に帰参)
越前に減封転封になった際には秀秋の為に付けられた家臣でさえも雇いきれなくて手放しているから
関ヶ原のときの小早川家に先代と比べてどうこうといった不満を抱くような家臣は少ないだろうよ
0181人間七七四年2018/02/20(火) 13:24:09.27ID:/4McRphq
>>174
動かなかった毛利がビビったと言うのはわかるが
小早川はビビった様子が全く感じられない
関ヶ原開始当初から他の西軍がいるのに無理矢理キーになる位置に陣取って
大谷に明らかに怪しまれても放置して
徳川に一番恩の売れる最高のタイミングで西軍に一気に突撃して関ヶ原の勝負を決めた
かなり初期から東軍で決めてないとまずこの動きはできない

客観的に言えば結果も経過も現場指揮官として優秀と言わざるをえない
0182人間七七四年2018/02/20(火) 13:36:50.49ID:LS+7lJy+
小早川は東軍だよ
0183人間七七四年2018/02/20(火) 14:18:45.26ID:QkkSoK6V
>>182
関ヶ原での本戦前には東軍に寝返ってた、ならわかるが伏見城攻撃に加わってる時点で最初から東軍というのは無理がある
0184人間七七四年2018/02/20(火) 15:23:30.89ID:LS+7lJy+
伏見は強制参加
0185人間七七四年2018/02/20(火) 15:47:45.40ID:c3U9fY9D
小早川秀秋も積極的に参加したわけじゃないからな伏見攻め。当然のことながら後で家康にもそう弁明しとる
0186人間七七四年2018/02/20(火) 16:00:50.00ID:hSvWZi9o
伏見の時点で西をせめたらそこで殺されてるからな
西のふりをするしかない
0187人間七七四年2018/02/20(火) 18:02:31.15ID:t0qML/ZP
やはり金吾が悪いのか
0188人間七七四年2018/02/20(火) 18:36:15.40ID:K/b+m8sa
金吾ー!!金吾ー!!
0189人間七七四年2018/02/20(火) 18:44:48.45ID:FSzv0a1a
秀秋は関所閉められて無理やり西軍に参加させられた被害者
0190人間七七四年2018/02/20(火) 19:14:38.79ID:krLNBE3Q
おなじ言い訳を島津がやろうとしてもダメでしたけどね
つか小早川はそりゃもともと東軍だわな
西につく理由がない
0191人間七七四年2018/02/20(火) 19:50:20.71ID:FSzv0a1a
島津は本当にただの言い訳。家康に連絡しようとさえしてない。
0192人間七七四年2018/02/20(火) 20:04:32.05ID:jrstQprT
金吾が西軍に着く理由があるとすれば、マジで関白や豊臣当主を狙ってた場合だけかもしれん
(秀頼に一服盛って...)
0193人間七七四年2018/02/20(火) 20:09:53.71ID:cScEZkFZ
秀頼が居る時点で三成が提示した小早川翻意の餌は全部空手形だもんな
だまされるバカもいないが、三成はホントにマヌケだよな
0194人間七七四年2018/02/21(水) 12:11:02.69ID:C5F8QbSu
犬山城の石川貞清は所領没収の上に死罪を申し付けられそうになってたからな
小早川が大幅加増に対して石川を東軍って言っても無理だろうね
島津はまだ甘い方
0195人間七七四年2018/02/21(水) 12:20:47.88ID:PeuDccwC
>>193
それ以前に、豊臣政権の奉行(元)、19万石の領主、従五位下で治部少輔ができる約束ではない。起請文があるからそれがどうした、って話になるだけ。
0196人間七七四年2018/02/21(水) 12:27:42.31ID:HvBlBgXN
島津は交渉の仕方が巧かったからな
あっさり騙された毛利とは違う
0197人間七七四年2018/02/21(水) 13:01:58.39ID:hmOXKvpK
>>196
毛利は西軍大将だし
0198人間七七四年2018/02/21(水) 13:34:28.85ID:HvBlBgXN
お咎め無しだよと言われて後出しじゃんけんで手痛い目に会う毛利
何度も粘り強く交渉した島津
0199人間七七四年2018/02/21(水) 13:44:04.20ID:vKds6ERo
島津交渉の結果?
来るなら来いじゃないの?
0200人間七七四年2018/02/21(水) 13:48:12.24ID:HvBlBgXN
何回も粘り強くやり取りしつつ
武備
という両面
0201人間七七四年2018/02/21(水) 14:20:06.65ID:D6QVwBs5
>>195
実際お話になるわけもないよね
なのに三成はどうしてそんなアホ発言したことになってるのかね
0202人間七七四年2018/02/21(水) 15:34:09.54ID:kJKFXciB
>>201
それ言うなら、家康所か榊原や井伊の花押しか無い文書で西軍の切り崩ししてたのは?
後で家康は、俺の花押無いから無効とかしてなかったっけ?
>>193
そだね、家康に騙される馬鹿が悪いよねwwwwwwww
0203人間七七四年2018/02/21(水) 17:29:04.67ID:flTMHmnK
っというか関白やらせてやるなんて餌は秀秋にとっては魅力ぜろだよな
兄の秀次がどんな死に方したか考えれば恩賞にもならん
0204人間七七四年2018/02/21(水) 18:48:42.48ID:k98Y2W7y
大津城の兵が無駄だった
0205人間七七四年2018/02/22(木) 08:07:18.56ID:wYm04SNO
島津のやり方が正しい、結果が証明している。
そしてその方法は毛利も当然行えた。

つまりだ。徳川に簡単に降伏して領土を明け渡すなんて諦めが良すぎるんだよ。
但し九州の辺境の島津と違って、毛利は上方の美味しい所に大領土を持ってるから
全て残すのは難しいが、要はやりようだよ。

徳川としては日本全国あちこちで戦が起こるような状況は困る。
西軍の駆逐に時間がかかってしまえば、自分の家来でもない東軍連中からも不満が出て
云い様に使う事は出来なくなる。そうなれば天下取りどころではない。

毛利は敢えて強硬姿勢に出て一歩も引かずに戦う姿勢を見せる必要があった。
勿論、交渉の余地はある所を見せてだがね。その結果、本気で戦してみせる場面もあるかもな。
0206人間七七四年2018/02/22(木) 09:11:09.04ID:6c8Wd51h
秀頼や毛利が出て来ないのを察したから
決戦挑んだとか言われてるけど
出て来るのが分かるほうが危なくね?
0207人間七七四年2018/02/22(木) 09:39:21.97ID:EQedZ8d0
100万石の御墨付きも味方の所領に手出さなきゃくれたとかいうけど
どこまで本当だか分からんね
政宗のこと警戒してたし
0208人間七七四年2018/02/22(木) 09:49:49.56ID:QcQ7cVCB
>>205
小早川隆景も吉川元春もいない毛利に、そんな外交できるやり手は当時はいない。毛利は関ヶ原時点では人材がいない。
0209人間七七四年2018/02/22(木) 10:58:23.55ID:XKQ5AnGS
>>207
あれは自力で切り取ったら100万石分は認めるちゅうだけで味方したら無条件でやるという話じゃないぞ
0210人間七七四年2018/02/22(木) 11:46:58.89ID:wYm04SNO
>>209
家康が切り取れって?むしろ無理に攻め込むなって言ってたと思うが。
何処の史料の話しそれ?
0211人間七七四年2018/02/22(木) 11:58:09.63ID:XKQ5AnGS
俗にいう100万石の御墨付きの話
0212人間七七四年2018/02/22(木) 12:34:39.04ID:080I7zmY
どさくさにまぎれて伊達が勝手に言ってただけだろ
0213人間七七四年2018/02/22(木) 12:52:08.08ID:PUftM6nK
文面は上杉の支配下にある伊達の旧領七箇所を与えるよってなってるけど
味方であるはずの南部の一揆に関わってたから(政宗は白を切ったけど)
実際にもらえたのは自力で切り取った二万石だけだったと
輝元は三成らに乗せられただけの従属的な役割しかしてませんよって話なのに
調べてみたら輝元がノリノリだった証拠がザクザク出てきた毛利と同じで
事前交渉で嘘ついたとか余計なことをしたとかでペナルティの格好の口実を与えてしまったっちゅうことやね
0214人間七七四年2018/02/22(木) 12:53:48.49ID:XKQ5AnGS
お墨付き自体はあったし他の大名にも出てた。
北陸切り取り次第のお墨付きの前田は実際に切り取った大聖寺城領と小松領(と弟の領地)分だけ加増
庄内を切り取った最上は庄内加増で大幅加増、
筑後肥後2ヵ国のお墨付きの加藤清正は取った小西領加増
関ヶ原本戦組は本戦の結果で改易になった西軍領を山分け
100万石の御墨付きの伊達は白石しか取れなかったから白石領分だけ加増というだけの話
0215人間七七四年2018/02/22(木) 14:26:00.83ID:evtft+Fq
>>213
それは家康一流の騙しなんでは?特に毛利の場合、注意深く家康の花押付きの文書与えて無いのが
怪しい。
幾らあの時代でも、花押付きの文書を無効宣言するのはかなりリスクが大きかったみたいだしね。
伊達政宗が、針の孔でその花押は偽物って秀吉に抗弁した逸話有るじゃん。

家康は、俺の花押付きの文書さえ与えなければ大丈夫だと思ってたとしか?
0216人間七七四年2018/02/22(木) 17:32:35.65ID:JlvwWBcS
そもそも吉川広家を(能力的に)高く評価してる奴おる?
地位に見合う能力があったとは思えん
0217人間七七四年2018/02/22(木) 17:47:32.62ID:38CDLIL7
ま、お墨付きを撤回しても相手に言うことを聞かせられるくらいの実力差があるならまあアキラメロンってことだな
0218人間七七四年2018/02/22(木) 19:53:27.14ID:FNMnDKVx
上杉景勝は普通に戦って降伏して120万石から30万石の減封だからな
毛利も普通に戦って勝てば儲け物
負けても降伏すれば史実と変わらない減封で収まってたろう
広家のその後の毛利からの扱い見れば相当嫌われてたよな
0219人間七七四年2018/02/22(木) 22:44:25.21ID:CEe4OO80
輝元が無能だから仕方がない
叔父たちがいなくなった時点で輝元の命運は尽きていた
0220人間七七四年2018/02/22(木) 23:51:16.39ID:saQv8C5j
今日の英雄たちの選択、面白かったなー

最上は小大名、伊達の本音は家康支援ではなく、混乱に乗じた領土拡大で、こちらも恐るるに足らず
上杉が2〜3万を率いてすぐさま追撃すれば、佐竹がこれに合流して4万超で江戸を包囲

家康オワタの流れができると
0221人間七七四年2018/02/23(金) 00:03:16.66ID:800FetQ9
>>220
もう何年前の北の関ヶ原観だよって話でしか無いな。あの番組は周回遅れにも程が有るわ
0222人間七七四年2018/02/23(金) 00:17:12.28ID:KRuSdrai
佐竹が動くなら家康が動けずやっと西軍に可能性が出てくる
基本的に家康が東に余裕持って動ける時点で詰んでる
0223人間七七四年2018/02/23(金) 12:38:53.87ID:/2aeMcL4
一日で決戦が終わらずに黒田が北上してきて第三勢力になるというパターンもネタとしては面白い
0224人間七七四年2018/02/23(金) 13:46:47.35ID:vvgR1GVX
>>220
どうやって追撃するの?
上杉の背後に最上や伊達、宇都宮に結城や蒲生がいるのに。
0225人間七七四年2018/02/23(金) 14:34:59.87ID:+/MgQXid
追撃したって上杉に何の得もないしな
0226人間七七四年2018/02/23(金) 14:39:59.65ID:Sg0dfXOD
全てにおいて金吾が悪い
0227人間七七四年2018/02/23(金) 14:47:24.92ID:34/tVeuS
金吾 マイ ラブ
0228人間七七四年2018/02/23(金) 14:50:22.98ID:GsNZxDxT
小早川が裏切れば勝てたという猛者はおらんか
0229人間七七四年2018/02/23(金) 16:26:16.11ID:Sg0dfXOD
小早川隆景さえ生きていたら、、、
0230人間七七四年2018/02/23(金) 16:41:40.97ID:3rGySGAa
>>225
三成との連携があるなら追撃は必要だったろうよ
ただあの時代にそんな綿密な連携も難しいし、そもそも三成と結託してたかも疑わしい
いきり上杉がしめられただけだよな
0231人間七七四年2018/02/23(金) 17:11:59.69ID:KUpy++0o
関が原に立花宗茂軍を配置で
0232人間七七四年2018/02/23(金) 17:49:48.86ID:prRi4qP6
簡単な話し
小早川秀包なら勝てた
つまり秀吉が悪い
0233人間七七四年2018/02/23(金) 20:44:41.71ID:I1WCGYy/
そもそも秀次切腹させて五大老制というガバガバな制度を作って死んだのも秀吉だからなぁ
0234人間七七四年2018/02/23(金) 21:55:28.65ID:pWzXjY4j
秀吉に恩義のある大老は石高最小の宇喜多だけ
0235人間七七四年2018/02/23(金) 22:39:59.29ID:HPQH15Dn
むしろ家康は朝鮮からの即時撤退や武将とトラブルを繰り返す悪質官僚の追放に加えて
宇喜多や上杉など秀吉からお目こぼしを受けていた大名への統制を強化するなど
豊臣を建て直す改革を進めていたと言える
それを権勢欲に支配された三成が自爆テロを起こして豊臣もろとも崩壊させた
三成の自爆テロによって家康は新政権樹立に路線転換したに過ぎない
0236人間七七四年2018/02/23(金) 23:10:15.89ID:k6OS2BAD
まーたいつもの馬鹿がきた
0237人間七七四年2018/02/23(金) 23:27:48.29ID:VjWolgsj
少なくとも、石田三成は忠臣と言えるのか?
徳川家康は野心のためだろうが、三成は豊臣のために活動していたと言えるのか?
0238人間七七四年2018/02/23(金) 23:37:50.41ID:I1WCGYy/
秀吉のせい
秀吉が悪い
ってレスがあるとすぐ反応して出て来ちゃうねw
過疎り気味になった時にいつも利用させて貰ってます
0239人間七七四年2018/02/23(金) 23:51:03.37ID:RIwqhQ+a
>>230
仮に三成と連携してても追撃の必要はないしできない
庄内の領土を切り離されてる上に後方を伊達と最上に狙われてる以上東軍の脅威となるような追撃はできるわけもない
0240人間七七四年2018/02/24(土) 00:43:51.67ID:TvqgPsdG
徳川を迎え撃つ気で準備してたわけだから、伊達なんかが例え攻めてきても相手にならないと思う

1万くらい残して、関東に兵を向ければ、家康を江戸にくぎ付けにできる
となると西のほうでは三成が勝ちまくり、やがて江戸に進撃してくる・・・

家康悪夢のシナリオ
0241人間七七四年2018/02/24(土) 00:44:44.94ID:YtyNKooA
近代以前は通信事情が悪いから、如何しても各孤立撃破が怖いよね。
まあ、怖いのは家康も同じだとは思うけどさ。僅か二年前まで豊臣に絶対の忠誠を誓ってた大名率いて
反転して西上して大阪攻めようってんだから。
幾ら宣伝して正当化しようにも、西軍は大阪城に陣取ってて秀頼担いでるんだし、裏切りが怖いでしょ。
0242人間七七四年2018/02/24(土) 00:50:54.55ID:3Zws1eIU
>>240
そのまま上杉征伐されて兵力差から順当に負けて終わりやろ
史実のように秀康奥羽北関東越後軍を拘束し続けてもらうのが一番
0243人間七七四年2018/02/24(土) 00:55:11.89ID:3aVwA805
列強「兵の数だけが強さを決めるのではない武器が強さ決めるのだ」
0244人間七七四年2018/02/24(土) 00:58:49.65ID:nN5H+Dp1
>>240
上杉だけなら別に怖くもなんともない
それも1万も保険残してとかじゃ結城秀康で十分事足りる
上杉が捨て身で反撃して佐竹が動いて初めて家康が動けなくなる
0245人間七七四年2018/02/24(土) 02:07:28.57ID:uMk9qfoS
>>240
家康が江戸に来る前からすでに岐阜城攻防戦で大敗してるじゃねえか
0246人間七七四年2018/02/24(土) 02:08:49.41ID:uMk9qfoS
訂正
×江戸に来る前
◯江戸を出る前
0247人間七七四年2018/02/24(土) 08:24:57.54ID:xuERf9Am
>>241
むしろ力が明白に劣るうえに豊臣の許可もなく勝手に蜂起した三成の方が裏切りを恐れる必要があるのに
大阪城に陣取ってて秀頼担いでるという驕りがあったのだろう
三成は味方の内通に対してまったく無警戒だった

そもそも平時でも三成を襲撃して殺したい人間が大勢いるのに
そいつらに三成を謀反人として正々堂々殺せる機会を自分で作るとか正気じゃない
東軍大名は大喜びで三成を殺しにくるから裏切りも何もないし
西軍大名が三成に加担するのが嫌で東軍に内通する方ばかりになるのも仕方がない
0248人間七七四年2018/02/24(土) 09:30:40.05ID:hgS0qGNc
前田は先代が恩義があったが人質を出して屈服
0249人間七七四年2018/02/24(土) 19:01:22.07ID:U3aqdiTj
佐竹義宣の煮え切らなさはなかなか
三成シンパで多賀谷と完全に合身していたくせに家康暗殺しよーぜには及び腰で
かといって多賀谷と縁を切ることもせず東軍とも距離をとる
戦後家康に睨まれて秋田転封でびびって多賀谷とようやく縁切り
0250人間七七四年2018/02/25(日) 16:51:23.96ID:iH+xWhU7
嫌われ者三成は蟄居を続け、一切を大谷吉継に任せれば可能性高まるってことかな
0251人間七七四年2018/02/25(日) 17:00:03.33ID:In/z8HkH
ハンセン病まで無かった事にせにゃならんのか
0252人間七七四年2018/02/25(日) 17:13:57.35ID:XEshEttN
というか、奉行が前田玄以を除き嫌われ過ぎていたんじゃ?

[5奉行]
石田三成:領地没収、死刑
長束正家:居城水口城で一族郎党皆殺し
増田長盛:改易、高野山に追放
浅野長政:改易、高野山に追放
(息子の浅野幸長が紀伊をもらっているが、秀次事件で廃嫡していたので無関係)
前田玄以:なぜか現状維持
0253人間七七四年2018/02/25(日) 17:39:57.36ID:afco421b
真田丸の七将襲撃回で「三成個人に対する攻撃という単純なものではない」とか丸島が解説してたね
朝鮮でのゴタゴタを観てると五奉行より下の人物も含めて対立が根深そう
0254人間七七四年2018/02/25(日) 20:14:26.46ID:o2xkkQdY
マジレスすると三成の器が家康より大きければ勝てた
0255人間七七四年2018/02/25(日) 20:40:31.25ID:sa6QT/+p
ほんとにね
三成に従う人間さえいたらね

いなかった、からこその結果、
0256人間七七四年2018/02/25(日) 21:19:18.13ID:5sagKzoy
秀吉の死後(前田と共に)政権を託された家康に近づいた連中を家康ごと失脚させようとしたら
そりゃ政治的報復も食らうって話で
0257人間七七四年2018/02/25(日) 21:29:16.73ID:XEshEttN
>>255
三成は大大名になれなかった。
実は三成が大大名になるチャンスは秀次事件の時にあった。
秀次派の中村一氏(駿府)、山内一豊(掛川)、堀尾吉晴(浜松)、
池田輝政(豊橋)、田中吉政(岡崎)を全部改易し、自分が家康への
抑えとなる構想を打ち出したが、秀吉に却下された。

まあ、三成を置くにせよ置かないにせよこの5人は改易すべきだったと
思うけどね。あと、池田、田中については死を賜るようにも要求したが
これも却下されている。
0258人間七七四年2018/02/25(日) 21:53:01.82ID:k1Gl/D6y
たとえ三成に人望があっても、毛利頼みでは...
0259人間七七四年2018/02/25(日) 21:54:43.66ID:o2xkkQdY
例え奇襲が成功して西軍が勝ったとしても、鎌倉政権みたいに二、三代で牛耳られそう
0260人間七七四年2018/02/25(日) 22:02:47.47ID:95mS8g8e
>>257
三成が本気でそれを提言したのか知らないが
本気で提言したなら秀吉もそりゃ却下するわ
下に民が紐付いてるって事が微塵も理解できてない数字でしか見えてなさそうなアホな提言
0261人間七七四年2018/02/25(日) 23:49:59.67ID:XEshEttN
>>260
>下に民が紐付いてるって事が微塵も理解できてない
>数字でしか見えてなさそうなアホな提言

残念だが、その面で心配しているなら問題ない。
これらの領土(駿河遠江三河)は元々家康の領土で、中村、山内、
堀尾、池田、田中とも家康の関東転封の後に家康を抑えるために
置いた、その地にとっては「外様の」大名。

だから、石田三成に代えても「外様→外様」だから大きな問題はないし、
むしろ5家は秀次派の重鎮で秀次事件により豊臣家に怨念を残す可能性が
高いから、さっさと改易→追放し、三成に徳川の蓋の役割を任せた方が得。
0262人間七七四年2018/02/25(日) 23:59:43.33ID:FIuhC87a
>>260
いやまあ、そっちの心配はないかもしれんがやっぱそれは却下せざるを得ない。
東海道を子飼にバラバラに与えるならともかく、一括はさすがにありえん。
(本当は譜代か縁戚がいいのだが前者はそもそもおらんし、後者はそれなら家康固定しとけやって話になる)
つーか秀次事件以降にどうしても東海道を一括でどこかの領主に治めさせたいのなら、
徳川以外だと前田しかありえん。でもその前田は北陸の抑えだし。
0263人間七七四年2018/02/26(月) 00:40:34.59ID:B3IsleO4
>>262
前田、宇喜多コンビを東海道に入れるの有りかも?
宇喜多は秀吉の猶子「養子待遇だけど相続権無し」なおかつ秀吉の養女かつの利家の娘の
豪姫が嫁。
この二人がはいれば家康は何も出来ん。

但し、空いた備前と加賀能登に誰入れるって話だよなあ?
0264人間七七四年2018/02/26(月) 01:12:11.76ID:tctr6cgO
ただでさえ秀次事件で求心力失ってるのにアレ以上無闇に連座なんかさすがに秀吉だってさせられるわけない
三成がそんな急に大身になったらそれこそ反発する奴らが黙ってないだろうし
0265人間七七四年2018/02/26(月) 01:23:48.85ID:PCzUZXPR
>>263
宇喜多を動かすのは却下。統治能力に物凄く不安がある。
宇喜多騒動って本来は蒲生のように大減封モノだよ。史実の処置は正直甘すぎ。
まあ、あの時期にむやみに政情不安を拡大させる訳にもいかんけどさ。
それと、宇喜多の配置は元々そこの地縁である事が大きいのはもちろんだが、
毛利の抑えとしておいている可能性が高い事を忘れてはいかん。
実際毛利は関ヶ原の時に西国のあちこちに兵を出している。輝元にも野心はあるよ。
『天下』への野心ではなく、『西国覇者の大大名』への野心ってのが問題だが。
(要するに関ヶ原で家康と全力で戦う動機に乏しい。それより領地拡大の方が大事という事。
別に豊臣だろうが徳川だろうが毛利の領地をいじらない保証はないのだから、豊臣御為は
毛利の対徳川の行動原理になりえない。)
0266人間七七四年2018/02/26(月) 08:57:32.82ID:xsoICrDZ
>>257
そんなことしたら、あの事件は完全に石田三成が策動したんだで、石田は非難轟轟だろうな。
0267人間七七四年2018/02/26(月) 09:02:01.39ID:xsoICrDZ
>>261
堀尾や田中、山内に村上は三成より前に秀吉に仕えていた古参だぞ。秀吉にとっては譜代同然。だから堀尾や中村は中老になったんだが。

三成をどこまで持ち上げてるんだよ。
0268人間七七四年2018/02/26(月) 15:30:32.27ID:Gmo/8MG5
そういう古参をただ敵に回しただけの秀次事件ってほんと秀吉の政治オンチぶりが光るよね
0269人間七七四年2018/02/26(月) 17:28:38.43ID:7BwGqJA8
秀吉さんクソすぎ、だから三成みたいな佞臣がはびこった
0270人間七七四年2018/02/26(月) 17:49:51.53ID:gt9A7LkO
秀吉の譜代軽視は秀次事件から始まったことじゃないからなあ
0271人間七七四年2018/02/26(月) 17:57:12.67ID:OylRIKtz
>>269
どっちかってーと「良かれと思って…」とか「こんな筈では…」ってタイプじゃないかな、三成。
多分本人の中では『自分は豊臣の忠臣である』ってのと『豊臣政権の実権を握る』ってのが矛盾してないんだと思う。
だからわたしは三成を佞臣だとは思わん。断じて忠臣ではないと思ってるが。
0272人間七七四年2018/02/26(月) 18:02:00.94ID:GKUUpART
>>271
なるほど、確かに私利私欲ばかりに偏った人間ではなかったかもね、まあ清廉潔白というほどでもないけど。
よく無能なバカが一番の敵、というけど、三成に軍行の差配をさせるのはまったく合ってなかったと言う感じか
適材適所でいうなら向いてないの一言

誰か有能な大将のしたで目的を遂行するのなら使い道がある人材というか。自我だしたらダメ的な。
0273人間七七四年2018/02/26(月) 19:56:25.89ID:7XTSbhxM
譜代とは代々仕えてる家系で
つまり、その家に生まれた時点で自動的に家臣になる定めとなるような存在が譜代
秀吉に譜代などいない
だからわざわざ秀吉の場合は「恩顧」という言葉が使われるわけで
0274人間七七四年2018/02/26(月) 20:38:28.92ID:GKUUpART
金ばらまいてただけの話だもんな豊臣って
0275人間七七四年2018/02/26(月) 20:48:18.20ID:dLeWDrcr
>>274
秀吉には間違いなくカリスマも実力もあったよ。末期はともかく全盛期は。
人を引きつけるのに金は無論重要だが、金だけで人がついてくるわけじゃない。
それに少なくとも秀吉生前は政権を破綻させた訳じゃない。(そこが一番恐ろしいが)
秀吉死後の豊臣政権の混乱や崩壊について、彼自身の見通しの甘さや
見積もりの甘さがあったのは間違いない事だと思うが。
0276人間七七四年2018/02/26(月) 21:26:53.28ID:B3IsleO4
>>273
その辺は、三国の曹魏が簡単に滅亡なんかと重なるね。
遠祖は別にしても、曹操の祖父の曹騰は皇帝の幼馴染だった超大物宦官。
だから曹操って後漢王朝の譜代だとも言える、結局下剋上に躊躇い有ったのもその辺だろうし。

しかし、曹魏には譜代って言える家臣は少なく、司馬懿が実権持つと誰も皇帝を守らないし、後ろ
めたくも無い訳で。
しかし、堀尾も山之内も田中も、全員が家に対する忠誠心が無さげなのが笑える。

未だ、三成の方が浅井の姫の息子だからで忠誠心が有りそう。
0277人間七七四年2018/02/26(月) 21:30:59.40ID:hL/wCX1y
>>276
三成の石田家は浅井に敵対してた京極配下の国衆なんだが
0278人間七七四年2018/02/26(月) 21:32:38.81ID:luQH3g6N
>>275
晩年のひどさはフォローのしようもないよね
0279人間七七四年2018/02/26(月) 21:38:11.97ID:CgkIj832
>>276
田中、山内、堀尾は秀次事件で肉親を殺され蟄居謹慎を申し付けられた
ため、やる気をなくした。それ以前は忠実だった。
彼らが忠誠心を失ったのは秀吉自身の責任で、自業自得。
0280人間七七四年2018/02/26(月) 23:07:34.68ID:8hKbqslH
>>276
メチャクチャ言ってる。
司馬氏に対して何回反乱とその未遂があったと思ってるんだ?
魏が滅んだ原因は曹丕が皇族を藩屏として扱わず、必要以上に権力も地位も与えなかったから。そのため、皇族には司馬氏に対抗できる力が無かった。あと、司馬懿が政権握った時に中正法を改悪されて利用されたのもあるが。

一族を大切にしない。このあたりは秀長以外、大切にしなかった秀吉に似てるよ。
0281人間七七四年2018/02/26(月) 23:34:20.97ID:hD18RFJr
>>280
日本で言うと源頼朝に近いな、秀吉は。てか、ほとんど一緒だ。
一門を不要だとばかりに排除しまくった結果、姻族に政権を事実上奪われている。
秀吉って自分を頼朝に重ねたエピソードもあるのに、なんで悪いところまで真似しちゃうかねえ。
つーか、家康って吾妻鏡を愛読して頼朝をリスペクトしてたとかよく言われるけど、
実際に自分の政権において参考にしたのってむしろ執権北条氏の方じゃないか?
正直頼朝って御家存続の観点からみるとむしろ反面教師にした方がいい位だろ。
0282人間七七四年2018/02/26(月) 23:59:05.04ID:hL/wCX1y
>>281
真面目に言うと家康が参考にしたのは北条と言っても鎌倉北条氏ではなく小田原北条氏だな。
0283人間七七四年2018/02/27(火) 00:26:37.44ID:bAdBekXM
>>280
司馬氏に対する反乱って、曹氏に対する忠誠心よりも追い詰められた屠所に引かれる羊の
反乱って感じに見える。
司馬氏の派閥意外の官僚は物理的に消すみたいな印象だし。

竹林の七賢の逸話だって、馬鹿を装ったとも取れる。

曹氏に対する忠誠心なら動きに連携が無さすぎで無計画で遅い印象。
0284人間七七四年2018/02/27(火) 02:04:40.04ID:0MlyDMXc
後継者争いの心配は平和な江戸時代でも
あって、それにせいで藩がお取り潰しなど
頻繁にあった訳だし、秀頼の為に邪魔者を
排除したのも分からなくはない

その結果、一門がほぼ消滅するのは
どうしようもないけどね
0285人間七七四年2018/02/27(火) 02:07:32.80ID:dvIxiCvd
>>275
全ては秀頼を特別視してしまった事が招いた結果
秀次を関白として普通に継がせておけばさすがにもう少しはもったはず
ただ真偽はともかく辞世の句からもう秀吉自身にもわかっていたんじゃないかと
0286人間七七四年2018/02/27(火) 05:41:49.14ID:lbv2vw4t
秀吉のやることは常に近視眼的。
さきざきへの配慮が足りなすぎ
0287人間七七四年2018/02/27(火) 12:51:43.18ID:2KmUuhNX
>>257
そんな話し聞いた事ないが、一体何の史料に載ってんの?
0288人間七七四年2018/02/27(火) 12:53:07.27ID:OAufxT43
秀次事件が無かったら勝てた
0289人間七七四年2018/02/27(火) 12:59:01.33ID:4URv9VE4
勝てたも何も……
0290人間七七四年2018/02/27(火) 19:07:46.74ID:KLqjWaCV
関ケ原前の三成のやりようを見てると、秀次事件があろうとなかろうと
家康に勝てる要素ゼロな気がするがな
とにかく三成が出張ってる時点で家康に勝てる気がしない
秀忠でもムリだろう
0291人間七七四年2018/02/27(火) 22:07:57.74ID:mUUT7G/o
秀次事件がなかったらそもそも五大老五奉行制度ではない可能性が高く
豊臣政権を運営してるのは秀次とその家臣団になるから
三成が主要人物になることもないんだってば
0292人間七七四年2018/02/27(火) 22:21:05.57ID:+NWrI5JZ
>>291
三成がそんな非主流派の立場に甘んじられる奴か? 自分が権力の立場にないなら豊臣なんてどうにでもなれ、って考えだろ。

だいたい、本当に三成が忠臣なり豊臣を思う気持ちがあるのなら、朝鮮出兵や秀次事件で秀吉を何故に諌めなかったの? それが側近の家臣としてやるべきことだろ。
0293人間七七四年2018/02/27(火) 22:28:07.78ID:qRXjio1n
朝鮮出兵や秀次事件は政敵を排除して自分の権力拡張を狙える機会になるから
三成にとっては大歓迎だよ
実際に朝鮮出兵でも秀次事件でも三成は止めるなんてことは一切せず
あいつを処罰しろ、こいつを処罰しろと煽っていただけだ
武功に乏しい三成が成り上がるためにはこういう機会を利用するしかないのだろうが
さすがにやりすぎで、三成襲撃事件が発生したのは当然の結果だった
0294人間七七四年2018/02/27(火) 22:44:35.61ID:2KmUuhNX
あのさぁ、家康の孫だって三成が忠臣で福島らが奸臣って言ってんだぜ?
それシカトかよ。
0295人間七七四年2018/02/27(火) 22:59:59.79ID:Z/Y78rfi
>>294
水戸光圀はそういうメンドクサイ人で済む話
0296人間七七四年2018/02/27(火) 23:13:17.14ID:EWRSNEuH
>>291
五大老制の原型みたいなものはすでに九州征伐から小田原征伐の間くらいの時点で存在してるから秀次事件なくてもそれなりの影響力はあったと思うけどね
0297人間七七四年2018/02/27(火) 23:15:11.36ID:EWRSNEuH
>>294
別に当事者でもなんでもないじゃん
個人の意見の一つくらいの価値しかない
0298人間七七四年2018/02/27(火) 23:45:59.90ID:mZbTnY4W
>>296
秀次政権でも五大老制は普通にあるだろうし
顔ぶれはあまり変わらないだろうけど
五奉行があるかは疑問だな
0299人間七七四年2018/02/27(火) 23:52:35.09ID:DA0oABYP
>>295
普通に考えると、東海道の豊臣恩顧は徳川牽制の為の存在。
そんで、一番重要なのが福島正則の清須城なんで、家康の養女と縁組した時点で裏切りもんだろ。
武田家滅亡の時の穴山梅雪の立場だよ、福島正則って。
江尻城も、家康を牽制する為の重要拠点だったんだから。

そんで、穴山氏の運命を考えると、福島正則の運命も当然。
家康って、典型的な裏切りは好きだけど裏切り者嫌いの人だから。
0300人間七七四年2018/02/28(水) 00:38:13.93ID:SzbfXjEC
>>294
水戸光圀と石田三成は性格がよく似ているからね
共に非常に自己中心的で他人の意見を聞かない上に自分が政権ナンバー2であることをやたらと誇示したがる
自分と一緒の性格ということでそういう評価になるのも仕方がない
むしろ石田三成によって滅んだ豊臣に比べて
水戸光圀みたいな奴がいても長期政権になれた江戸幕府が凄いということだな
0301人間七七四年2018/02/28(水) 00:45:28.81ID:SzbfXjEC
>>299
東海道の豊臣恩顧は例えば毛利や島津といった西国大名が謀反を起こした時に
徳川と連携して速やかに上洛して鎮圧するのも重要な任務だよ
特に秀吉の死後に三成たちが毛利と誓紙を交わして不穏な動きを見せている以上は
徳川との連携を深めて三成と毛利の謀反に備えるのは当然の行動といえる
結果論で徳川だけが豊臣の脅威という認識に陥りがちだが
別に当時の豊臣はそういう状況ではないからな
0302人間七七四年2018/02/28(水) 01:16:43.46ID:aEif/Zbf
>>294
ああ、あの水戸学なんて馬鹿なこと始めて水戸を尊王攘夷の根城みたいにして、徳川を潰す原因作った変人がどうかした?

大日本史とかかなり作為的すぎて草だよ。
0303人間七七四年2018/02/28(水) 01:49:36.50ID:Vnlt8A/D
>>302
だから水戸藩こそ福島などの武断派と同じで
豊臣の天下を失うのと同じように徳川の天下
を失うきっかけを作った訳で。
0304人間七七四年2018/02/28(水) 02:44:45.46ID:OUV8xNmQ
>>294
三成の孫は三成が忠臣と言ってて福島らの孫は福島らが奸臣と言ってたの?
0305人間七七四年2018/02/28(水) 06:16:44.45ID:traegd/S
2ちゃんねるの自演にしても、遠慮というものがあるだろう
が、まことは、遠慮が無さすぎる
0306人間七七四年2018/02/28(水) 11:49:32.76ID:PLBDSj9+
すがぬま〜
0307人間七七四年2018/02/28(水) 13:07:04.24ID:s+9UqE6x
みんなわかってるだろうけど関ヶ原はいくら軍事面で西軍勝利を
模索しても蛸壺論議にしかならないね
政治的には東西どちらが勝っても豊臣の天下はもう無理なのは確定だし
0308人間七七四年2018/02/28(水) 13:32:24.94ID:QXs8BzJB
家康の首が取れて初めて意味がある
0309人間七七四年2018/02/28(水) 13:34:51.55ID:o+xKaPD0
秀吉が早く子を産んでいれば
0310人間七七四年2018/02/28(水) 13:38:44.85ID:pg4jM/SH
秀次が後継ぎで良かったはずなんだがな
秀頼さえ産まれなければ
0311人間七七四年2018/02/28(水) 13:54:40.59ID:dFCTDPqX
秀次の男子もそろって早世で断絶
0312人間七七四年2018/02/28(水) 14:40:02.29ID:PZCIniWu
>>311
早世って、秀次の男女はほんの一部だけ残して秀吉に皆殺しにされたんだぞ。

秀次は子どもできない豊臣で唯一子沢山だし、まだまだ生まれた可能性もあるから、秀次政権ができたら大名たちと縁組し放題なんだよな。
0313人間七七四年2018/02/28(水) 15:05:09.24ID:dacWT2aj
秀次が秀吉の後継ぎで三成を粛正して豊臣は安泰
そうなったらもはや徳川は何も出来なかった
0314人間七七四年2018/02/28(水) 15:18:34.47ID:aMRyiCtt
>>312
まあ、普通にまとめて娘三人くらい秀頼に押し付けると誰か男の子産むだろで良いんだよね。
後、男の子は疑われん様に幼児の頃から領地与えて分家させるか諸大名に養子送り込みで良し。
実は、江戸初期に後嗣が無いのを理由で取り潰しの豊臣恩顧大名多いんでまとめて養子送り込みで良し。
つうことで、無理に秀頼に継がせる必要無いんだよね。
秀次が仲次で問題無いし?
0315人間七七四年2018/02/28(水) 16:45:14.24ID:oFNN02Rv
秀次は豊臣一族には珍しい子沢山というスキル持ち

豊臣のホープだったんだよなぁ
0316人間七七四年2018/02/28(水) 16:47:58.56ID:VbMF+rm7
秀吉も三成も自分達で豊臣家の命脈を絶った様なもんなんだよな
0317人間七七四年2018/02/28(水) 20:40:25.41ID:Z34K8Q9z
>>315
まあ、秀次事件が豊臣政権の致命傷になったのは結果論的な部分もある。
この事件で最も致命的な事はわずか数年で秀吉自身が死亡した事だから。
要するに事件後に豊臣政権を再構築し、秀頼を中心とした強固な政権を作成する時間を
秀吉が天から与えられなかったのが最大の問題点だという事。
早い話が、自らの寿命の見積もりが甘すぎたというところか。

だから秀次事件に関して言うなら『こんなバカな事するな!』でもいいのだが、
『そこまでやったなら1610年位までは何が何でも(ボケずに)生きろよ!』でもアリな気がする。
0318人間七七四年2018/02/28(水) 20:45:25.24ID:PLBDSj9+
当時すでに健康面に不安があったわけで『こんなバカな事するな!』以外ないだろ
0319人間七七四年2018/02/28(水) 21:21:47.49ID:alSMwkoT
秀吉が自重してればな
0320人間七七四年2018/02/28(水) 21:32:58.81ID:g6VWAFnK
>>318
うん、そう思うよ。あれは無理やり擁護してみただけだから。擁護にもなってないけど。
まあ、秀吉が不安に思う気持ち自体は理解できなくもないんだけどね、気持ちだけは。
正直秀次と秀頼のその後に関しては、もう秀吉にはどうにもならん事とあきらめるしかないんじゃないかな。
秀吉は、それが嫌だったんだろうけどさ。
0321人間七七四年2018/02/28(水) 21:53:11.32ID:AIbKzuOk
秀次事件は秀次かその周辺が謀反をする気が本当にあったのかが分からなすぎるから色々言われる
0322人間七七四年2018/02/28(水) 22:55:30.16ID:QXs8BzJB
>>317
例え秀吉がもう少し長生きしたところでせっかく作り上げた関白という権威が地に落ちた時点でもう無意味
唐入りで国力も落ちてるし秀頼で強固ななんてのは夢物語だよ
もう時間でどうにかなる状況じゃない
下手すれば家康中心にクーデター起こされて存命中に討たれる可能性さえあるぐらい
むしろ秀吉はボケる前にとっとと死ぬべきだった
0323人間七七四年2018/02/28(水) 23:32:52.69ID:0ZP316Rl
>>321
秀次は推測だが朝鮮侵略をやめさせようとしたから殺されたと
言われているけどね。浅野幸長が朝鮮の惨状の情報をもたらし、
木村重これ、前野長康、池田輝政が煽ったとね。

秀次、木村、前野は族滅で、池田は無期限蟄居、浅野は廃嫡の上
能登配流、と厳罰を極めた。池田、浅野は秀吉の死後家康が恩赦を
働きかけるまで許されなかった。
0324人間七七四年2018/03/01(木) 00:51:13.65ID:rKv9EOAl
>>317
まあ、結果論で言うなら、関ケ原の翌年に家康死亡とかでも酷い事成りそうだしね。
騙して領地削った毛利や上杉が挙兵するのは間違いなさそうだし。
家康は、散々酷い謀略使ったのに寿命有ったから破綻しなかったのかも。
0325人間七七四年2018/03/01(木) 00:58:34.94ID:+D7T3QaZ
まあ、新しく組織作る奴が組織固める前に死んだらアカンよっていう単純な話だよね。
で、秀吉は一旦整えた枠組みを自ら破壊してしまった。
これが結局のところ、致命傷になったわけだ。
0326人間七七四年2018/03/01(木) 07:14:23.60ID:7YRNfzO5
>>324
関ヶ原後じゃもはや秀忠が継いで
上杉毛利が騒いだところで遅すぎるかと
0327人間七七四年2018/03/01(木) 08:37:39.02ID:CqDUlwHN
>>324
一次史料から毛利は騙していない
0328人間七七四年2018/03/01(木) 08:58:02.68ID:waceGhgS
秀次が生きていたら
このスレそのものが不要なんだが
0329人間七七四年2018/03/01(木) 10:27:38.57ID:c/4+Kugl
更に豊臣秀長と小早川隆景が健在なら完璧
0330人間七七四年2018/03/01(木) 10:37:55.43ID:iJLdX/jf
そして秀吉の系統は消滅
0331人間七七四年2018/03/01(木) 13:20:20.58ID:cPm7wU1Q
秀頼が生まれなかったら良かったんだよ
御家騒動のもとになるような子作りを秀吉が止めていたらそれでよかった
0332人間七七四年2018/03/01(木) 13:26:51.30ID:mBb3yRRP
秀吉が死ななければよかった
0333人間七七四年2018/03/01(木) 13:41:48.36ID:TeMej6Ja
>>331
つまりは淀が悪い
0334人間七七四年2018/03/01(木) 17:23:41.15ID:viTmdC8f
不幸を呼ぶ美女w
0335人間七七四年2018/03/01(木) 20:43:31.38ID:lt5fXpTB
>>324
無理無理薩長の時代ならともかく家計が火の車の両者じゃむり
0336人間七七四年2018/03/01(木) 23:00:55.60ID:7YRNfzO5
>>332
ボケた秀吉ならとっとと死んでくれた方がまだましだった
とは言え秀次だけで安泰だったとも思えない
やっぱり秀長だなあ
0337人間七七四年2018/03/02(金) 05:39:18.92ID:kjkXddKD
>>334
美女が国を滅ぼす
古今東西の常識
0338人間七七四年2018/03/02(金) 08:38:08.09ID:FLB5hIzw
島津に軍資金送ってやる。そうすりゃ豊久も兵出すだろ。
0339人間七七四年2018/03/02(金) 08:43:42.94ID:FLB5hIzw
間違えた。義久だw
0340人間七七四年2018/03/02(金) 09:31:30.07ID:ddrL1kW0
淀が悪運を招いたとしか言いようがない。
0341人間七七四年2018/03/02(金) 10:57:25.91ID:GzNy53TC
淀殿ってそう考えるとすげえな
何か謀略を巡らしたりしたわけでなくただ子供を2人産んだだけなのに
それだけが引き金になって秀吉が狂って国内そっちのけで外征をはじめ、秀次とその一族を殺戮し、
死後政権が分裂して大乱を起こし政権そのものを崩壊させた

たった一人の女が豊臣政権を潰したんだよ
0342人間七七四年2018/03/02(金) 12:23:33.51ID:rXCt26Dz
しかも側室になるために何かやった訳でもないんだよな
0343人間七七四年2018/03/02(金) 13:56:22.63ID:wde4nSXy
人生で3度落城
0344人間七七四年2018/03/02(金) 14:42:59.24ID:bFHer7h+
負け体質
0345人間七七四年2018/03/02(金) 15:47:35.75ID:R42FoneF
そもそもあれだけの側室抱えて淀だけ妊娠って有り得るか?
0346人間七七四年2018/03/02(金) 16:06:15.08ID:cqo8eSg/
石松丸忘れとるで
0347人間七七四年2018/03/02(金) 20:56:57.88ID:K0uzaE3b
>>346
実子かは疑問がある
0348人間七七四年2018/03/02(金) 21:47:10.73ID:cqo8eSg/
>>347
実子説の方が強いで
0349人間七七四年2018/03/02(金) 22:46:02.23ID:K0uzaE3b
>>348
強いか弱いかは、結局は印象に過ぎないし
0350人間七七四年2018/03/02(金) 22:51:01.21ID:cqo8eSg/
>>349
有力ってことだわ
0351人間七七四年2018/03/02(金) 23:00:25.36ID:R42FoneF
母すらまだよくわからんのに実子の可能性大って何が根拠なんや…
0352人間七七四年2018/03/02(金) 23:02:41.83ID:cqo8eSg/
支持してる先生の方が多いやん
0353人間七七四年2018/03/03(土) 00:37:42.20ID:EdMfTY6D
>>281
共に北条から嫁を迎えたからで甘い扱いした阿野は実朝派の中心だけどな
権力基盤の弱い北条が生き延びて執権にまでなれたのは婚族だから陰謀家だからとかじゃない
0354人間七七四年2018/03/03(土) 00:56:53.67ID:/XfuiACg
>>350
現代医学だと多指症だし
側室何人もいても子供がいなかったのは不妊治療必須なレベルで
秀吉が高齢なのに淀だけ立て続けに懐妊はかなり怪しいって言われてなかった?
0355人間七七四年2018/03/03(土) 01:01:14.60ID:KdFZnMaq
>>354
家康だってさらに高齢でもできたじゃん
そもそも石松丸は淀じゃねえだろ
0356人間七七四年2018/03/03(土) 01:17:41.42ID:/XfuiACg
>>355
鶴松な
0357人間七七四年2018/03/03(土) 01:33:50.43ID:15GZesPN
若い頃から子沢山の奴はそらちょっと年取ったくらいじゃ変わらんよ
若い頃からあちこち遊びまくってんのにまともに子供出来なかった奴が
年取って急にってのは怪しくて当然
0358人間七七四年2018/03/03(土) 03:01:17.94ID:KdFZnMaq
>>356
元から鶴松のことは言ってないぞ
何を勘違いしてんが知らんが
0359人間七七四年2018/03/03(土) 07:26:26.95ID:9WsHoold
秀吉の種が九州から飛んできた、なんてことを言われてる状況で実子とかたわごとすぎる
0360人間七七四年2018/03/03(土) 07:45:20.87ID:S1eiYAhp
まあ、秀頼に関しては秀吉の実子かどうかってのはワカラナイでいいんじゃないかな。
怪しくないといえばウソになるが、遺伝子調査した訳じゃないんだし、
あまり断定的な事を言うのもね。
0361人間七七四年2018/03/03(土) 07:45:39.12ID:0ZuFM3VQ
医学的に考えると秀頼が秀吉の実子の可能性は低いと思うんだが
もし淀が浮気してたら、同じ側室や誰かがチンコロするんじゃね?
直接言わないとしても殿中で噂になるはず。
0362人間七七四年2018/03/03(土) 07:46:50.91ID:N62DyZB8
言ったら秀吉に殺されてたので。
0363人間七七四年2018/03/03(土) 07:55:43.99ID:0ZuFM3VQ
だから直接は言えないとしてもだよ?
更にだ。一番寵愛されてた淀が浮気可能なら
他の側室達もこぞってやってたと思わないか?淀だけ懐妊っておかしくね?
0364人間七七四年2018/03/03(土) 08:26:21.19ID:1fzm9cn5
淀って信長が生きていたら、誰に嫁ぐことになったんだろうか? 少なくとも秀吉は無いよな。
0365人間七七四年2018/03/03(土) 08:36:28.01ID:M49zq9A3
ない
0366人間七七四年2018/03/03(土) 10:10:03.94ID:/XfuiACg
>>363
淀殿の乳母は大蔵卿局であり
その息子の大野治長はどこまで会うのを許されてたかって話だな
二人の密通が噂されていたという記録も残るくらいだからね
完全にシャットアウトされてたなら噂すら起きないはずだし
0367人間七七四年2018/03/03(土) 10:49:02.40ID:KdFZnMaq
前に一男一女がいたわけだろ
種なしとは限らんわな
大野の件だって俗説扱いだしな
0368人間七七四年2018/03/03(土) 11:09:18.91ID:TZ/LZR6p
まあでもホント日本史上最強の破壊力を持ったサゲマンだな淀殿は
一番産んじゃいけないタイミングに一番産んじゃいけない男を産んじまったんだから
これが娘だったら秀次かその息子と縁組させ秀吉の血統も宗家に入って円満落着
関ヶ原が起こることはなかっただろう
0369人間七七四年2018/03/03(土) 11:09:58.04ID:4W+J3Obe
同時代の噂であって俗説ではないな
0370人間七七四年2018/03/03(土) 11:18:28.41ID:7giM0NUC
>>355

家康は、健康お宅。不摂生の秀吉とは比べられない。
0371人間七七四年2018/03/03(土) 11:48:03.58ID:Vo/5c5Hk
信長存命と仮定した場合、嫁ぎ先は有力家臣か有力な他国大名か公家か?
となると淀さんは信長の養女として、織田の娘として嫁ぐ可能性はある。
もしくは織田の身内か?
徳川だけは無いことは間違いないが。
0372人間七七四年2018/03/03(土) 12:26:28.64ID:KdFZnMaq
>>370
出来るか出来ないかってはなしだろ
0373人間七七四年2018/03/03(土) 13:00:47.53ID:BniZQbXY
毛利元就も徳川家康も前田利家も若い頃から子供出来てるし、老いて尚子供が出来ても然もありなんって感じ

秀吉は……ねぇ?
0374人間七七四年2018/03/03(土) 13:08:48.62ID:n1p6Hemw
秀吉は結婚が遅い上に駆け出しのときは家に腰を落ち着ける暇もないくらい働いていたのでは
利家は利長が生まれた時には織田家に帰参かなって荒子城の城主だしなんだかんだ秀吉よりは恵まれている
0375人間七七四年2018/03/03(土) 13:10:38.68ID:s50qTdnq
>>371
信長存命だとすると
やっぱ徳川は地方に飛ばされるんだろうな
北条氏は信長派だから北陸あたりか?
0376人間七七四年2018/03/03(土) 13:51:53.80ID:15GZesPN
>>372
もともと子沢山の奴ならそれでも出来るだろうが
秀吉の女性遍歴でまるで子供が出来なかったのが急にってのは怪しくて当然

>>375
信長の娘を氏直で縁組の話が出てたみたいだしね
0377人間七七四年2018/03/03(土) 13:57:55.88ID:KdFZnMaq
>>376
長浜時代に出来てる
0378人間七七四年2018/03/03(土) 13:58:59.23ID:RauyhN4s
>>363
それは面白い考えだ
確かに淀が大野ふくめその他の武家とご乱交(これは当時の文化的に黙認されてるらしいな)するほど太閤の子を宿したいのなら
ほかの側室も同様にはげむのが当たり前に思える
なんでそのあたりのところから懐妊の話はでてこなかったんだろう
0379人間七七四年2018/03/03(土) 13:59:19.28ID:15GZesPN
>>377
誰の子?
0380人間七七四年2018/03/03(土) 14:00:43.99ID:KdFZnMaq
>>379
側室と秀吉のだろ
0381人間七七四年2018/03/03(土) 14:02:30.84ID:15GZesPN
>>380
その側室は誰?
0382人間七七四年2018/03/03(土) 14:06:16.18ID:KdFZnMaq
>>381
南殿と言われてるが諸説ある
つーか羽柴秀勝知らんの
0383人間七七四年2018/03/03(土) 14:30:04.78ID:15GZesPN
>>382
フロイスから側室300人と書かれたような秀吉がその1人って時点でおかしいが
その1人だって秀吉の子の可能性はかなり低い
そもそも母親さえはっきりしない時点で怪しい以前だが
秀吉の女性遍歴考えれば悪知恵働かせる側室がいたっておかしかない
0384人間七七四年2018/03/03(土) 14:32:21.55ID:KdFZnMaq
>>383
それはただの邪推だよね
それに秀吉には娘もいたわけだが
0385人間七七四年2018/03/03(土) 17:13:26.28ID:15GZesPN
>>384
だからその娘は誰の子?
女好き過ぎて嫁から信長への苦情の手紙まで残ってる秀吉に
普通に種があったら隠し子だけでも数十人いる方が自然
当時の人らでさえ怪しいと思ってた事は邪推とは呼ばない
0386人間七七四年2018/03/03(土) 17:16:56.65ID:KdFZnMaq
種なしより種のヒット率がスーパーレアガチャ並みの確率ってだけじゃん
>>385
南殿と言われてるけどな
当時の人間を盾にして自分が邪推してるだけだろ
0387人間七七四年2018/03/03(土) 18:34:00.56ID:H1RDxvW0
子ができたことがあるから晩年までムキになって子作りしてたのかもね
南殿の子供が実子かどうかはわからないけど、秀吉は実子だと信じていたんじゃないかな
じゃないと淀殿に子供ができたとき、誰よりも秀吉本人が疑うでしょ
とはいうものの、淀殿の二人の子が秀吉の子であるという保証は全く無いけどね
0388人間七七四年2018/03/03(土) 19:04:18.18ID:+P5ifAkN
なんで0か1かの言い争いしてるの?
0389人間七七四年2018/03/03(土) 19:26:03.65ID:15GZesPN
>>386
その南殿ってどこの誰ですか?と聞いてるんだが
もっと言えばその人本当に秀吉の側室だったのですか?と言う意味でも

>>387
いやそこは単なる女好きでしょ
0390人間七七四年2018/03/03(土) 19:35:24.47ID:KdFZnMaq
>>389
秀吉の長浜時代の側室
山名豊国の娘という説もある
0391人間七七四年2018/03/03(土) 19:47:36.71ID:RauyhN4s
秀吉って配下の武家の正室とかにも手だしてたんでしょ
0392人間七七四年2018/03/03(土) 22:32:13.94ID:iN/FM1JG
関ヶ原から論点ずれているし、もうこっちでやってくれないか

豊臣秀頼は豊臣秀吉の実子なのか? [転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1446501225/
0393人間七七四年2018/03/04(日) 00:20:15.71ID:At3NZGXL
一応まだ出てない案だと、8月28日に赤坂の東軍に対して石田、小西、島津、宇喜多での攻撃かな。
兵数的にはほぼ互角。
あとは赤坂の陣城がどれくらいの期間である程度完成するものなのか、かな。
24日に赤坂に布陣しだして28日までの4日くらいで完成するかどうか。
犬山はまだ開城してないので、盛り返すならここがぎりぎりのタイミングだと思う。

ある程度完成してるとみるならば不利な攻撃をするだけなのでこの案はない、となる。
0394人間七七四年2018/03/04(日) 01:16:43.56ID:HTBYxL50
>>378
いやな、殆んど家に居ない船乗りでも普通に子供居るじゃん。
何かね、女性は本気で興奮したら自分の意志で或る程度排卵をコントロール出来るらしい。

逆にね、レイプの時は高確率で流産するじゃん、これも無意識の中絶だね。
大体さ、自覚無いだけで数ヶ月程度で流産って実は意外と多いんだよね。
生理が遅れてるヤバイって時は実は意外と命中してる。

不妊治療で心を折られる人が多いのは、殆んどの人が気付かない流産を自覚させられる事だね。

淀は、本気で御家再興の野望とか有ったのかも。
0395人間七七四年2018/03/04(日) 02:15:12.12ID:rlUjPv6b
不妊は女の側だけの理由でもないので
0396人間七七四年2018/03/04(日) 02:19:46.94ID:teL/0Bcs
秀吉に種があったらマジで子沢山だったろうな
そうなったら天下統一の頃には当然嫡男に継がせられたろうし
一族で固められたろうし余計なタイミングで秀頼が生まれようがどうってことはなかった
家康が付け入る隙もなかったろう
0397人間七七四年2018/03/04(日) 19:08:42.85ID:kg4u3G0n
秀次政権が磐石なら徳川は動けなかった
0398人間七七四年2018/03/04(日) 19:56:46.29ID:1+295FkX
動く必要もないよな
泰平の世でかつほぼほぼナンバーワンによった次席で安泰な徳川
0399人間七七四年2018/03/04(日) 21:15:47.70ID:ojXZhgoa
徳川は縁戚だしな
朝日は結婚してすぐ死んでしまったが
0400人間七七四年2018/03/04(日) 23:06:15.81ID:7pkXUO+A
横山徳川の漫画だったかな?
朝日が秀忠をよく世話する奴
子供の頃結構じーんときた。まぁ創作だろうけども。
0401人間七七四年2018/03/05(月) 01:59:20.87ID:p6CnqH6m
>>400
秀忠が秀吉が小田原征伐する前に人質に出されたのと、朝日が母親の病気見舞いで上洛したのがほぼ同時期。そして秀忠が人質なのにすぐに家康に返されているため、朝日が秀吉に働きかけた可能性がある。
0402人間七七四年2018/03/05(月) 16:25:47.66ID:PoqjfMjg
大阪だけに新井が悪い
0403人間七七四年2018/03/05(月) 17:49:05.83ID:WwnIPKAK
>>400
実際は朝日じゃなくて高台院だったんだよね
秀忠の人質時代に可愛がってたから
関ヶ原後も秀忠とは親しく、逆に家康と高台院は険悪だった
家康死後に秀忠は高台院の所領を加増しているし
秀忠が上洛する際には高台院に必ず会いに行ったという記録も残っている

逆にゲームや創作物でねね信者と呼ばれる福島正則らは
高台院が大坂城退去後には全く会いに行ってないという…
0404人間七七四年2018/03/05(月) 18:10:48.29ID:wiy3BIMD
>>403
朝日が秀忠の為に死ぬ前に最後の買い物って言って元服の品を一式揃えて死ぬって話だったかな
0405人間七七四年2018/03/05(月) 19:03:14.02ID:L/ROnHlF
淀と江の関係は言うまでもないけど
秀忠の烏帽子親は秀吉だし最初の妻(信雄の娘)も江も秀吉の養女として嫁いでるから
秀忠も豊臣ファミリーの一員だよな
0406人間七七四年2018/03/05(月) 20:03:00.73ID:5Xbu1s+n
秀忠は、「秀」の諱を名乗り続けたしな。個人としては秀吉と寧々が好きだったんだろう。
0407人間七七四年2018/03/05(月) 20:20:48.48ID:YQiPLIcH
それだけに秀吉のクソ化も秀頼の役立たずさは腹だたしいよな
0408人間七七四年2018/03/05(月) 21:46:06.73ID:5Xbu1s+n
淀と秀頼は、早目に義弟・舅の秀忠に頭を下げて恭順しておけば良かったとしか言いようがない。
0409人間七七四年2018/03/06(火) 05:15:13.66ID:KMaambi3
無理もない
今日昨日、検索して知った話で
戦国ファンやオレ達に勝てるはずがない

まこととは、そういう男である
0410人間七七四年2018/03/07(水) 09:49:18.65ID:W+SYJhCA
上田城で秀忠が戦死していたら勝てた
0411人間七七四年2018/03/07(水) 11:42:52.88ID:TEuGOBLX
そもそも第二次上田合戦は無かった
0412人間七七四年2018/03/07(水) 21:12:56.29ID:nl0ddU+z
どうやって戦死すんだ

あれって真田が引き渡します詐欺で粘っただけでしょ?
0413人間七七四年2018/03/07(水) 23:39:40.57ID:WQgLkUrN
真田って今語られているのが忠実ならば、現代でいうチートだよな。 圧倒的主人公感
0414人間七七四年2018/03/07(水) 23:41:07.83ID:ctbP89i7
>>413
アホか
0415人間七七四年2018/03/07(水) 23:49:35.65ID:lq4sBWWZ
詐欺師さなだ
0416人間七七四年2018/03/08(木) 05:23:31.03ID:PbVpAOMh
卑怯者真田
0417人間七七四年2018/03/08(木) 07:12:55.56ID:jmOOHu6c
徳川家の史書にまで、しかも江戸幕府が成立した後に、我が軍は大敗しました、なんて書いてるのに史実じゃないとか何言ってるの? 時間稼ぎは事実だが。
0418人間七七四年2018/03/08(木) 07:36:21.95ID:SEK8Cj9L
アホだな
0419人間七七四年2018/03/08(木) 08:54:28.47ID:gFhDdmKD
>>417
三成と同じく例によって水戸藩のイキリ癖
0420人間七七四年2018/03/08(木) 11:15:57.74ID:nUD3bck3
史料をイキリとかで片付けられても・・・w
0421人間七七四年2018/03/08(木) 11:18:27.52ID:nUD3bck3
大体、大久保彦左衛門とか水戸藩と何の関わりのない連中とか書いてるし
実際に戦闘に参加した連中が書いてるからな。
0422人間七七四年2018/03/08(木) 12:18:16.20ID:UYJ+xms5
彦左の評判を知らないのか
0423人間七七四年2018/03/08(木) 12:48:23.72ID:gFhDdmKD
>>420
執筆者は格さんのモデルになった人
0424人間七七四年2018/03/08(木) 13:24:13.53ID:nUD3bck3
徳川家はガイジばっかりって事でよろしいか?w
0425人間七七四年2018/03/08(木) 13:30:28.21ID:gFhDdmKD
>>421
『三河物語』に第二次上田合戦の記述は無い
0426人間七七四年2018/03/08(木) 13:51:44.65ID:RnHAl6SO
>>421
三河物語読んだことがないなさては
0427人間七七四年2018/03/08(木) 15:33:22.84ID:QFJRL5np
第二次上田の真田がチートなら長谷堂城の志村光安と鮭延秀綱もチート
第二次上田は真田3000の兵で降伏偽装などして一週間籠城したのに対して
伏見城の鳥居元忠も負けはしたが4万の軍勢を約二週間も釘付けにしたからチートになってしまう
0428人間七七四年2018/03/08(木) 20:13:45.17ID:+N4P3Q4z
面白くないから却下
つーかこの話の肝はそんな真田を守った信之が一番のチートってとこだし
0429人間七七四年2018/03/08(木) 21:41:50.14ID:9TLd3HKC
信之がチートなのは寿命だけじゃん
0430人間七七四年2018/03/08(木) 21:52:22.04ID:YaDLOLtt
>>429
ボケずに長生きできて、権力者にも嫌われず、親族が権力者に迷惑かけても
周辺の協力取り付けて御家を潰されず、その御家をきちんと子孫に受け継がせることが出来る、
そんなチート能力あるんなら絶対にほしいです、自分は。
少なくとも、権力者に中途半端に迷惑かけて山奥に押し籠められたり、
どん詰まりの勢力で大して信用もされずに無謀な突撃した揚句、順当に
数の暴力で押しつぶされるような、そんな能力よりはよっぽど。
0431人間七七四年2018/03/08(木) 21:59:06.84ID:NmcVYPpH
いつもの人は何でID頻繁に変えてるの?
0432人間七七四年2018/03/08(木) 22:15:09.17ID:9TLd3HKC
>>430
徳川の養女を貰って生き残れたのはその権力者に迷惑かけて山奥に行ってくれた親父が昔徳川に寡兵と外交で大立ち回りをおかげじゃないですかw
まさか真田丸のギャグ昌幸を間に受けちゃった人なのかな?
0433人間七七四年2018/03/08(木) 22:29:30.22ID:bpNSmZCO
>>432
いや、それやってオチが故郷にも帰れず、権力者に故郷に帰りたいって泣き言言いながら
死んでいくって人生は嫌です、自分は。
0434人間七七四年2018/03/08(木) 22:30:47.56ID:mvjQLHFb
>>431
ID変えても文章の特徴で丸わかりだよね…
0435人間七七四年2018/03/08(木) 22:34:23.28ID:9TLd3HKC
>>433
いやだからその死んでくれた親父の仕事のおかげで得た領地と地位ですよねって話なんだけど
0436人間七七四年2018/03/08(木) 22:48:41.26ID:NmcVYPpH
>>434
だよね
0437人間七七四年2018/03/08(木) 22:55:49.91ID:bpNSmZCO
>>435
?あるもの最大限に利用して出来るだけ好待遇で生き残る能力が欲しいって意味なんだけど。
息子なんだから、親父の残したもの徹底的に利用するのなんて当たり前じゃん。
いくら凄い能力持ってても、オチが寂しく死亡とか無様に無駄死にじゃ嫌だよねって話。
0438人間七七四年2018/03/08(木) 23:00:11.94ID:9TLd3HKC
>>437
だからその生き残りの能力がチートってほどでもないよねって話。
変なことしなけりゃ無難に生き残れる立場を残してもらえたんだからそれを無難にこなした後継だったってことで
0439人間七七四年2018/03/08(木) 23:51:08.19ID:nbJTf3O6
普通に真田や島津が生き残ったんは、取り潰すと籠城抗戦して偉い事にってのが
有ると思う。
最終的に徳川が勝ったとしても、死闘を繰り広げられると勲功が偉い事に成るしね。
たった10万石の荒地を得たけど、論功行賞で徳川の蔵入地が100万石減ったとか成りかねない。
0440人間七七四年2018/03/09(金) 00:59:26.59ID:I7dv17Ch
清に勝った英は戦は兵の数だけでなく武器であるという例
0441人間七七四年2018/03/09(金) 08:56:45.20ID:zCyDOwbY
関ヶ原の戦いって、表向きは徳川派対反徳川派の勢力争いだけど
0442人間七七四年2018/03/09(金) 09:51:34.57ID:wU+kctuL
上杉が征伐部隊を自国まで引き付けてから西軍決起して挟み撃ちにすれば勝てた
0443人間七七四年2018/03/09(金) 12:43:49.09ID:wFaY3iH4
今、参謀本部編 日本戦史 関ヶ原役を読んでるんだがなかなか興味深いことが書いてある。

佐竹義宣は家康が鬼怒川を渡ったら挟撃するべく、梅津半左衛門、戸村豊後に兵5000余をつけ
東白川郡大付近の南関から進ませた、途中東館、関岡、寺山、浅川、石川、竹貫、蓬田、滑津などから
浪人たちが合流した。
渋江政光は2000余を率い棚倉の南の寺山に行った。そこへも河戸、式部、内屋代、桜岡、
仁井田、越堀、老野髪、簑沢などから浪人衆が合流した。
佐竹義宣も棚倉に駐留した。浪人を含めた佐竹勢は70000余であったといわれる、とある。


かなり誇張がありそうだけどそれでも佐竹勢、与力衆とか含めればそこそこの兵数にはなりそうだが、
いくらなんでも70000は多いように思える。話半分でも35000?かなり多い。
それとも関東一円の浪人衆でもかき集めたんだろうか?
それでも大坂の陣なみの数だし、佐竹だけで養える数でもない。
参謀本部が参照したなにかしらの史料があるのかもしれんが。
0444人間七七四年2018/03/09(金) 14:01:30.83ID:2NeFWD4Q
佐竹は秀吉時代に2万5千人の重い兵役を課せられたって話あったから
農民や雑兵を割増で総動員すれば何とかできそう
0445人間七七四年2018/03/09(金) 14:06:52.49ID:2NeFWD4Q
あ、何とかできそうなのは70000じゃなくて35000ね
0446人間七七四年2018/03/09(金) 14:27:41.71ID:/Igqvxw2
>>442
それだとそのまま徳川進軍して上杉は蹂躙される
挟み撃ちはできないね
0447人間七七四年2018/03/09(金) 15:15:57.47ID:0cAPVSM9
古くから関東に根付いてて戦いに明け暮れてた佐竹の動員力は
単純な石高だけでは表せない不気味な底力があると思う
70000はさすがに誇張だが佐竹を動かす事が出来たら家康を釘付けに出来るだけの脅威はある
実際、家康は佐竹が与力をつけるまでは動けていないし
0448人間七七四年2018/03/09(金) 18:20:50.40ID:KKduhooG
へたれ佐竹の妄想動員力が最後の頼みとはどう足掻いても西軍に勝ち目はなさそうだな
0449人間七七四年2018/03/09(金) 18:31:21.09ID:/Igqvxw2
奥羽勢は単なる地方勢力で現実的にはたいした連中じゃないよな
0450人間七七四年2018/03/09(金) 19:26:21.82ID:Cmy6gDuS
>>447
秀吉の小田原攻めの前だと、常陸の一部で15〜20万石って所。
その後常陸南部の国人を騙し討ちにしたり、奥州南部の影響力を数字にしても50〜70万石が
精々。
普通に考えると最大動員力、20000〜25000が良い所だね。
まあ、関東や奥州だと時間かけると石高以上に動員出来そうだけど、それでもこんな物だと思う。
0451人間七七四年2018/03/09(金) 20:23:26.97ID:+JINTQ1a
そもそも佐竹って一枚岩で西軍として動けるの?
親父の義重は東軍に味方するように主張していたはずだけど。
それとも親父を押し込めなり殺害なりするのか?まず無理だろうし絶対内乱になると思うが。
0452人間七七四年2018/03/09(金) 22:30:56.56ID:xxJFmTxf
鬼義重を暗殺はなかなかハードル高いなw
0453人間七七四年2018/03/09(金) 23:04:57.84ID:Mylxsr8P
1600年前後の内乱時期に明が攻めてくれば日本イチコロだったと思うけど。結果論。
0454人間七七四年2018/03/10(土) 00:11:33.12ID:9BIgR0pp
>>453
明がこの時期の日本に勝てる訳がない
撃退だけなら九州武将だけでも余裕過ぎる
0455人間七七四年2018/03/10(土) 00:15:19.19ID:kgrJ72CC
そもそも朝鮮の救援で疲弊している上に関ヶ原の時期は別の内乱も起きてるから外征する余裕がない
0456人間七七四年2018/03/10(土) 09:00:18.31ID:DNHdthXO
むしろ秀吉の朝鮮出兵の影響で明の女真族への監視が疎かになり
ヌルハチが台頭して親明派の部族を滅ぼしたから明が経済制裁してるとこだから無理でしょ
1600年に明が日本に攻めてたらヌルハチの代で清が成立してたろうね
0457人間七七四年2018/03/10(土) 12:30:04.71ID:sMtrpGcZ
>>454
数の暴力がある
0458人間七七四年2018/03/10(土) 13:00:05.78ID:hs5DeWT5
数を送る金が無い。
0459人間七七四年2018/03/10(土) 14:21:22.70ID:qpAHc3+E
数そろえられない現実
0460人間七七四年2018/03/10(土) 15:44:09.25ID:bCECAI+/
島津か
0461人間七七四年2018/03/10(土) 20:43:33.44ID:9BIgR0pp
>>457
何十万来ようが海に沈めて終わりだよ
装備も兵も兵糧もカツカツの明がヒョロヒョロと九州に来たところで何の障害になるというのか
0462人間七七四年2018/03/10(土) 20:53:17.66ID:/BnT6Abr
まあ明は弱小だよな
0463人間七七四年2018/03/11(日) 01:48:03.39ID:VtdTdxJv
>>456
結局、明って中華思想で滅んだんだよね。
ヌルハチが大砲で戦死したのに、その後清は火器の部隊を充実させたんだし。

逆に明はヌルハチ破った将軍を粛清したりしてグダグダ。幾ら中国の国力が大きくとも
中華思想が暴走すると駄目の典型。
0464人間七七四年2018/03/11(日) 08:41:51.36ID:WZ0453+u
ヌルハチが西軍につけば勝てただろ
0465人間七七四年2018/03/11(日) 09:52:18.16ID:8ZDuocOc
朝鮮出兵があっから明は西軍に付くことはないと思うけど
0466人間七七四年2018/03/11(日) 09:53:34.03ID:WZ0453+u
じゃあ最初から西軍に勝ち目はない
0467人間七七四年2018/03/11(日) 18:53:07.25ID:WZ0453+u
というかヌルハチって明じゃなくて清じゃないのか?
0468人間七七四年2018/03/11(日) 18:53:10.62ID:w2Oawfiu
得意の調略もしてないのに攻め込む自体驕りか油断があったんだろ
0469人間七七四年2018/03/11(日) 20:11:38.38ID:8ZDuocOc
女真族恐るべし
0470人間七七四年2018/03/11(日) 22:56:15.14ID:T2d+asX/
石田・小西は朝鮮出兵でも国書偽造・虚偽講和などやりたい放題やっていたし
関ヶ原でも外国に日本を売り払って支援を得るとかすればよかったのに
0471人間七七四年2018/03/11(日) 23:28:46.61ID:w2Oawfiu
秀吉が現実無視の無理な攻めをやってたんだから追いつめられたんだろ
0472人間七七四年2018/03/15(木) 21:00:42.33ID:k71f93XS
島津を三方ヶ原辺に潜行させて進軍中の家康本陣に特攻かけさせる。
0473人間七七四年2018/03/15(木) 23:39:12.19ID:u3WhSQwl
三成が欧州諸国を味方につけて、キリスト教布教を許可する代わりに日本総督には三成がなる。これなら欧州連合が参戦してくれたはず。
0474人間七七四年2018/03/15(木) 23:59:29.27ID:YKRPmPIl
つまんね
0475人間七七四年2018/03/17(土) 00:20:01.62ID:VRhkcQpB
中山道の本隊が到着したら勝機ゼロなんだから早期開戦までは正解だったんだよな
実際のところ秀頼出陣くらいしか現実味がない気がする
0476人間七七四年2018/03/17(土) 00:44:47.17ID:7eB3nOcK
伊勢路に兵を割かなければ楽勝だった
0477人間七七四年2018/03/17(土) 01:12:44.00ID:xeO6qYCL
割く必要があったんだから
0478人間七七四年2018/03/17(土) 01:17:58.94ID:7eB3nOcK
>>477
結果論を言っちゃうと全く不要だった
でも結果論から論じると三成が気の毒だから擁護すると
短期間で美濃まで東軍が戻る可能性を三成は1ミリも考えておらず
半年くらいかかって戻ってくるという予想通りであれば伊勢路を先に抑えておくのはセオリーだった。
兵糧運ぶのにも兵の補充にも二つのルートを確保しておくのは重要だしね。
0479人間七七四年2018/03/17(土) 05:49:38.10ID:rPkNicxU
まこととの初対面時

この前、おまえが言っていたことだろうが

と、オレは言った

すると

そんなことは言ってない

と、まことは言う

で、オレが証拠のソースを貼るとらまことは黙った
0480人間七七四年2018/03/17(土) 07:34:03.68ID:uKAXjmsU
>>478
そもそも西軍視点では速攻する必要がないからね。
西軍は大坂を抑えた事で、家康の行動の大義名分だった豊臣御為を奪いとったつもりだったから。
つまり西軍側で見ると家康らがどうあがこうが、大義はこちらにある事になる。
となると、西軍がすべき事は近畿の地固めと伊勢の制圧になる。美濃は岐阜ー大垣のラインがあるからね。
伊勢を固めて東側を蓋すれば勝利確定という事になる。あわてる必要はないのだ。
むしろ下手に準備不足で東に特攻して、敗北したせいで西軍全体に動揺が走る方がよほど怖い。

ところが、上杉征伐軍は「こちらこそが豊臣御為だ!」という形でまとまってしまった。
この瞬間、関ヶ原は『どちらが豊臣御為か』という看板の争奪戦になってしまった訳だ。
こうなると、東軍は豊臣家や朝廷が西軍に完全に屈する前に勝負を決する必要がある。
つまり、『速攻』だ。逆に言えば、この戦いが看板の争奪戦であると認識しないとこの概念は生まれない。
要は、西軍が勝利を確信した事で東軍に対する情報収集を怠った結果、
決定的な認識の差が発生してしまい、それが致命傷となった訳だ。
0481人間七七四年2018/03/17(土) 12:32:57.76ID:7eB3nOcK
朝鮮征伐を失敗したのも側近の三成のせいじゃね?と思えてきた
戦国大名とは思えないほど諜報を軽視してるし。
当時の明や朝鮮の情勢を何一つ秀吉に正確に伝えてねえだろ
関ヶ原でこれだけ東軍の動きを探ってないのは異常すぎる。
0482人間七七四年2018/03/17(土) 12:55:39.44ID:cpU9eFn/
>>481
三成は後から西軍に加入したはずだが。その辺は奉行や秀家らのミスだろう。
それにこれをミスというのは酷だよ。この時期はまだ、豊臣の権威は絶対的なものだから。
徳川だって豊臣政権を利用しなければ権力行使などできないんだし。
正直、上杉征伐の連中が徳川中心で豊臣御為を掲げられたこと自体が想定外だ。
家康ですら、この展開は予想してなかったと思うぞ。
0483人間七七四年2018/03/17(土) 14:04:51.58ID:IeFPHznQ
>>481
失敗の原因かはともかく三成も唐入りには当初反対したはず
ただまともに諫言できずイエスマンと化したらしいが。
0484人間七七四年2018/03/17(土) 18:02:58.12ID:MAVTNNeA
当時の秀吉への諫言で通ったのは、家康の秀吉渡海を断念された位か
0485人間七七四年2018/03/17(土) 18:07:10.36ID:3TbVHzKY
>>483
三成が唐入りに反対していたなんて史料は皆無なんだが
0486人間七七四年2018/03/17(土) 18:23:00.14ID:Nbp3bl6p
>>483
反対していたのは千利休と豊臣秀次、及び秀次派閥の人たち。
三成はむしろ秀吉にたきつけ、彼らを排除した。

石田一族が池田輝政率いる秀次残党によって皆殺しになり、自身も
秀次残党の田中吉政につかまって吉政により半殺しになたのは
因果応報とでも言うべきか。
0487人間七七四年2018/03/17(土) 19:00:12.10ID:qZR3Rj9r
>>485
ttp://koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2017/05/07/164718
0488人間七七四年2018/03/17(土) 20:32:13.86ID:3TbVHzKY
>>487
おいおい、、「博多記」を「史料」と言うのかお前は。
「看羊録」に至っては和平を成立させようおとした時期の発言だし。
秀吉が唐入りを唱えた時期に反対していたという「史料」を出すべきだな
0489人間七七四年2018/03/17(土) 20:32:23.29ID:1gPMHOy3
>>482
三成たち奉行連中は十数年間誰よりも豊臣の威光を振りかざしてきた連中だから
豊臣の威光=自分たちの所有物、自分たちだけが豊臣御為を掲げられるという発想に囚われていた
だから豊臣御為に三成を排除するという主張が出てくることなんて夢にも想像していなかった
だけど冷静に考えれば奉行は豊臣一族でもなんでもない単なる官僚に過ぎない
徳川も加藤も福島も黒田も豊臣御為を掲げることは全員ができることだと気づけるはずだが
あまりにも長く豊臣の威光を振りかざしてきたことで三成たちの感覚が麻痺していたのが西軍の敗因だよ
0490人間七七四年2018/03/17(土) 20:39:41.40ID:qZR3Rj9r
>>488
こういう意見もあるというのを横から呈示したわけだが
今度は条件を変えたりデータそのものを否定することにしたのかね
0491人間七七四年2018/03/17(土) 20:53:54.51ID:7eB3nOcK
>>489
三成はなぜか福島正則が味方になってくれると思いこんでたらしく
何度も西軍(秀頼方)に付くよう書状を出してるんだよな
どこか感覚が狂ってる。
0492人間七七四年2018/03/17(土) 21:00:59.20ID:v4BFKtdG
>>491
それは西軍からすれば当然じゃないの。だって豊臣御為掲げてるんだから。
西軍視点だと「豊臣に従うか?それとも逆らうか?」って話なんだよ。そりゃ味方になると思うさ。
まさか東軍も豊臣御為掲げる事が出来たなんて、思ってもみなかったろう。
0493人間七七四年2018/03/17(土) 21:10:33.59ID:TCT/3/Tt
>>480
つまりいきなり清須城を落とす速攻だな。
尾張の線で固めれば防衛線は短くて済む。
0494人間七七四年2018/03/17(土) 21:15:01.40ID:vmJbplhv
西軍でもっと痛かったのは秀頼とその周辺の非協力
まぁクーデターだから当たり前なんだけど
0495人間七七四年2018/03/17(土) 21:15:11.94ID:7eB3nOcK
>>493
清州城には三成は何度も書状を送り続け西軍(秀頼方)に付くよう説得してた
留守を預かってた家臣も一度は三成に城を明け渡そうとしたが
家臣の大崎長行が猛反対しギリギリのところで西軍に城を明け渡さないで済んだ。
0496人間七七四年2018/03/17(土) 21:18:06.46ID:7eB3nOcK
結局生ぬるい事をしないでクーデター成功後、電光石火で清州城および三駿遠の城を次々と落とすのが一番賢かった
0497人間七七四年2018/03/17(土) 21:26:38.72ID:v4BFKtdG
>>496
そりゃ後世の後知恵だ。そんなことする必要が西軍視点どこにある?
大坂はすでに確保しているんだ。焦る必要など微塵もない。
西軍視点では、徳川はもはや九州征伐の時の島津や小田原征伐の時の北条と同じなんだよ。
下手に準備不足で特攻して失敗したらどうするんだ?豊臣政権の力そのものに疑問を持たれかねんぞ。
腰を据えてかかれば豊臣御為を掲げた西軍は勝てる筈なんだから。……まあ、その予測は見事に外れたんだが。
0498人間七七四年2018/03/17(土) 21:37:58.77ID:vmJbplhv
そもそも速攻で速攻には兵力が足りない
0499人間七七四年2018/03/17(土) 21:38:33.58ID:vmJbplhv
そもそも速攻で落とすには兵力が足りない

ごめん
0500人間七七四年2018/03/17(土) 22:02:20.28ID:t9Jj5xut
そんなに頼りになるなら西軍は負けてない
0501人間七七四年2018/03/18(日) 02:16:03.22ID:nlCFhIxp
上杉景勝が三成と共謀していた説でないと難しいかなぁ・・・

最近では、秀秋は元々東軍寄りだったのに、三成が無理やり西軍に押し留めていたため、
ギリギリまで旗幟を鮮明にできなかった・・・
といいうわけで、結局は東軍につかれたけど、ギリギリまで三成よくやった。
ナイス三成!ということになるらしい。
これは三成を責められない。
南宮山の毛利・長曾我部他が動かなかったのも、形だけでも西軍にいたのは三成の
お手柄というわけで、三成ナイス!で責められない。

後は佐竹かな。
上杉が最上と伊達を攻めてている間に、佐竹がが旗幟を鮮明にして江戸を攻略して
いたら面白かったのでは?

真田が上田合戦の後、秀忠を追撃していたら・・・
真田は人数少なかったから、そんな余力は無かったかもしれないが、
中山道を急いで西進する秀忠を追撃したら面白かったかも。

そうなると、関が原の本戦で西軍が負けても、
毛利輝元が大坂城から出ずに籠城しただろうし、
西軍の敗残兵を吸収して、大坂城の兵が増えただろうし。
宇喜多秀家も大坂城に入った可能性が高い。
そうなると、大坂城は大坂の陣よりもずっと攻めにくくなったはず。

東北・関東が上杉と佐竹に押さえられて、家康は江戸に帰ることもできない。
秀忠は真田の追撃でボロボロ。
0502人間七七四年2018/03/18(日) 05:36:28.37ID:bjhBD+a+
>>501
秀忠軍は足止めされただけで殆ど損害出てないのに
いくら真田昌幸がいくさの達人でも38000vs2000で野戦の追撃なんか出来る訳がない
佐竹が動けば家康は動きにくかったろうけどね
0503人間七七四年2018/03/18(日) 06:14:24.34ID:NH/TWqR1
奇襲しか売りのない真田が敗戦撤退したわけでもない秀忠を追撃しても迎撃されるだけだよな
0504人間七七四年2018/03/18(日) 07:06:51.79ID:cDs/Vwe+
>>501
だから佐竹をアテにするなって……。親父をどうやって説得するんだよ。
話せばわかるんなら史実でやってるよ間違いなく。排除なんかもっと無理だ。
大体家康は関東を空にした訳じゃないんだから。佐竹に特攻して死ねとでもいうのか?
つーかさ、徳川が領内に攻めて来たんならともかく、そうでないのになんでそんなことしなきゃならんのさ。
よく佐竹や上杉に関東に特攻せい、って人がいるけどさ、そんな事して彼らになんの利益があるの?
西軍は彼らの大損害に対してどれだけの報酬をくれるのさ。んで、それが実行される保証はあるの?
0505人間七七四年2018/03/18(日) 08:13:56.28ID:uq90/DyX
いや、実際に昌幸は追撃かけたよ、よく仙石が追撃を食い止めたけど。
0506人間七七四年2018/03/18(日) 08:15:02.35ID:uq90/DyX
ちなみに第一次上田合戦でも追撃をかけて丸子三郎とともに徳川軍に損害を与えてる
0507人間七七四年2018/03/18(日) 08:32:03.53ID:bF7BQFDd
スゲエ真田
0508人間七七四年2018/03/18(日) 08:35:54.92ID:0CFIlj5N
>>504
佐竹についてはたしかにその通りだが、上杉については現に上杉討伐軍が宇都宮まで来ているわけで、
上杉がこれを攻撃するのはおかしいことではないと思うが。
ただ景勝か攻勢先に最上を選んだだけで。
0509人間七七四年2018/03/18(日) 08:51:40.69ID:nlCFhIxp
宇喜多秀家が八丈島に着いてから、再び「反徳川」の旗幟を鮮明にする。

家康・秀忠は絶対に慌てるに違いなく、軍勢をかき集め、更に全国の諸大名にも出陣を
命令。全力で八丈島を攻める。
八丈島までたどり着くまでに兵の大方が水没したり他方へ流されたりする。
その間、本土では、豊臣直轄地以外は完全に空っぽなので、後は豊臣方の思うがまま。

八丈島では、すでに九度山から先回りして真田丸を築いていた真田が徳川勢を撃退。

家康・秀忠は水没して終了。
0510人間七七四年2018/03/18(日) 09:00:53.24ID:qFkSX5FM
>>508
迎撃ならともかく、攻撃はないな。
領内に侵入して城を攻撃してきたのならともかく、国境近くにいるだけなら
わざわざ進撃する必要はない。迎撃用の兵を国境に置くだけで十分。
そもそも上杉からすれば欲しい領土は最上領→旧領越後→関東だろうし。
もともと優先順位は低いだろう。徳川が殴りに来ない限りは。
0511人間七七四年2018/03/18(日) 11:08:13.52ID:uq90/DyX
上杉は予定決戦地の革籠原には大量の防塁も築いて伏兵もたっぷり仕込んでたから東軍に勝てると確信してただろうけど
宇都宮からの追撃戦では勝てるかどうか自信が無かったんだろうな。
実際、退却する大軍に追撃を仕掛けて逆に撃退された三方ヶ原の戦いのケースもあるし。
0512人間七七四年2018/03/18(日) 12:02:47.20ID:Rm00tcfW
>>508
徳川に完全にびびっておりました
0513人間七七四年2018/03/18(日) 12:28:23.81ID:ubmgZQhe
>>499
意表を衝く速攻だからこそ兵は少なくていいんだろ。
少兵力でじっくり攻めるとか頭大丈夫か?
0514人間七七四年2018/03/18(日) 12:32:53.96ID:1zmdRtSy
>>513
>>480>>497
0515人間七七四年2018/03/18(日) 13:36:53.25ID:5iJPdrwz
速攻するだけで少数でガンガン城落とせるとかゲーム脳以下だな。
どうやって意表突くかもお花畑理論出してくるだけだろうからどうでもいいけど
0516人間七七四年2018/03/18(日) 14:54:14.38ID:ZmesIrCz
伏見を速攻で落としてれば状況は変わる
鉄砲ばっか撃ってないでさっさと槍入れてれば半日で落ちる
0517人間七七四年2018/03/18(日) 14:56:57.48ID:HVdl+1A4
秀吉が築城した伏見城はそんなに貧弱だったのか
0518人間七七四年2018/03/18(日) 15:17:30.48ID:abr3hsDg
>>517
内応が起これば、いくら堅牢に作ってもどうしようもない。
佐和山城もかなり堅牢だったらしいが、皆殺しの池田輝政の通知を
無視して長谷川守知(長谷川宗仁の長男)が門を開けたためあっと
いう間に落ちて、場内皆殺しの地獄絵となった。

なお、長谷川守知は戦後、池田輝政から卑怯者として車裂きの刑に
処され、父の長谷川宗仁は戦後大阪城から追放、野垂れ死にしている。
0519人間七七四年2018/03/18(日) 15:37:07.23ID:I7HAihMJ
>>518
京都でいきなり派手な戦争を引き起こすの?
豊臣家や朝廷からの西軍の心象が間違いなく悪くなるけど。
そもそも西軍の挙兵って、明らかに家康に対する政治クーデターの意味合いが強いでしょう。
で、クーデターを成功させるにはトップがそれを受け入れる事が必要不可欠。
つまり、豊臣家にそれを受け入れてもらわにゃならんのだが、
京都でいきなり大戦争引き起こすような奴らにさて、上の連中はいい顔するかなあ。

というか伏見に時間がかかったの、世間体の問題もあるんじゃね?
あんまり京都でドンパチやりたくなかったから穏便に開城してもらうよう、交渉してたんじゃないの。
鳥居が断固拒否したんで戦端を開く事になっちゃったけど。
0520人間七七四年2018/03/18(日) 16:48:15.27ID:ubmgZQhe
>>515
大崎長行さえ抑えれば清洲は楽に落とせただろ。
謀略で落としていくんだよ、清洲さえ落とせば雪崩を打つ。
家康が東からやったことの逆をやるだけだ簡単だろ。
0521人間七七四年2018/03/18(日) 17:13:01.80ID:I7HAihMJ
>>520
とりあえず、具体的な案ゼロの謀略万能説はやめろ。それと速攻絶対正義説も。
先に言っておくが、忍者による暗殺万能説とか上杉・佐竹・真田の酷使利用もやめろよ。
0522人間七七四年2018/03/18(日) 17:57:37.38ID:uq90/DyX
速攻というのではなく
むしろ遅行でいいから西軍旗揚げ当日から清州へ兵を向けたら余裕で数万の兵が先に清州に到着してたんだけどね
0523人間七七四年2018/03/18(日) 18:33:27.11ID:OERhtEbI
>>505
反転迎撃させないための嫌がらせ程度の追撃したところで損害出せるはずもない
守備籠城はそういうのも含めてやっと守れるだけ、それでも凄いがそれ以上は無理
0524人間七七四年2018/03/18(日) 18:34:22.13ID:OERhtEbI
>>506
第一次とは兵力差が違いすぎる
0525人間七七四年2018/03/18(日) 18:34:32.51ID:5iJPdrwz
>>520
案の定なレスはやめろw
0526人間七七四年2018/03/18(日) 18:52:01.23ID:kWMsJcR5
尾張への勧誘は石田、秀信はやってた。
しかし犬山の石川貞清以外はほぼ全員東軍に付いた。
では清洲を攻撃しようかと準備していたら
先に東軍先発隊に清洲に入られ、
木曽川で迎え撃つことにした。

史実はこんなかんじでしょ。
0527人間七七四年2018/03/18(日) 19:08:17.97ID:uq90/DyX
>>526
まあ大体そんな感じ
0528人間七七四年2018/03/18(日) 19:30:47.35ID:km2qtZMM
>>518
内応でしかおとせなかったわけだが。
0529人間七七四年2018/03/18(日) 19:39:59.88ID:xpbioWWa
清洲早期攻略案は福島正則早期在城説との絡みと、兵力的な問題があるので、この案を推すならば
上記問題点をクリアできる案でないと検討できないと思います。
0530人間七七四年2018/03/18(日) 21:11:41.56ID:Yl3Xwv9d
>>518
守知は戦後に1万石の大名になってるよ。
宗仁も特に処罰されてないけど。
何の話?
0531人間七七四年2018/03/18(日) 21:25:53.65ID:ubmgZQhe
>>526
モタモタしてたからそうなったんだから、早回しするしかないだろ。
それと別のヤツだが、どうすれば勝てたかスレなんだから否定しに来る荒らしは去れよ。
「史実に照らし合わせて否定するスレ」を立ててそこでやれ。
0532人間七七四年2018/03/18(日) 21:59:05.50ID:2EvB411Z
別に早回しでもいいんだよ、納得できる理由と内容ならね。
ただ、早回し主張の人って基本的に内府違いの条々を受け取った上杉征伐軍が、
崩壊することなくすぐに戻って来る事を西軍連中が軒並み察してるという変な前提だからな。
それなら西軍は内府違いの条々なんて出す筈がない。敵にわざわざ挙兵した事教えてどうする。
そうなると知ってるなら、むしろ情報を遮断するだろう。
この点に関して納得できる話をしてくれないと、ご都合主義か後知恵合戦になってしまう。
0533人間七七四年2018/03/18(日) 22:14:14.19ID:kWMsJcR5
>>531
ならば日時と兵力を明記のうえ、立案をどうぞ。
0534人間七七四年2018/03/18(日) 23:15:09.63ID:kPBRPTqP
三成が家康とグルになったと仮定。そうしたら西軍の大将は誰?
0535人間七七四年2018/03/18(日) 23:15:35.59ID:ktfRPFv9
>>532
その見解には疑問に思う。たしかに内府違いの条々の効果に期待したから
内府違いの条々をばら撒いたんだろうが、その効果が小さかった場合に備えないというのはおかしい。
ばら撒いてみなければ効果はわからないが、その効果が大きい前提しか考えてないのは
考えにくいと思うが。
効果があればよし、なければ軍事的にという両睨みが当然だと思うが。
清洲の場合にしても、いつまでも交渉してないで時間稼ぎと断定して石田、秀信で
清洲強襲してれば清洲はぎりぎりのタイミングで落とせたかもしれない。
(ただしわたしは清洲早期攻略案には懐疑的な立場)

そも、西軍は当初は瀬田で東軍を迎え撃つつもりでいたのが、
畿内周辺、越前、美濃の勧誘がうまくいったもんだから尾張も味方につくだろうと
慢心したのだろうという点と、その慢心から伊勢の小戦力に対し過剰戦力を投入してしまった点。
それによって尾張の東軍先発隊に抗しうる兵力が足りなかった、と思う。

なので、清洲が味方しなかった場合に備えて美濃方面の戦力を厚くし、
清洲攻略できる戦力を整えておくのはおかしいことではないと思う。
清洲が味方したらしたで美濃の戦力はそのまま尾張に送り込むもよし、
郡上方面、東濃方面の援軍に出すもよしで、有効に活用はできる。
0536人間七七四年2018/03/18(日) 23:38:01.56ID:MOLeyRpv
>>535
効果が小さい事など考えすらしてないだろうね、ほぼ間違いなく。だって西軍は豊臣御為掲げてるんだもの。
豊臣政権ってのはね、各地の大大名を圧倒的な力でねじふせて屈服させた上に、
そいつらを海外遠征に差し向けられるほどの強大な力を誇ったとてつもない政権だよ。(ちなみに家康も渡海予定があったそうな)
その勢力をバックにした以上、たかが関東250万石ごときの徳川など相手にもならない。
日本全国対関東で関東に味方するとか自殺志願としか思えんし。(あくまでも、西軍側の設定です)
しかも秀吉が死んだのはたった二年前の事だ。その短時間で豊臣御為の言葉が形骸化するなんて普通思わんよ。
たった二年前は豊臣政権の御命令ってだけでみんな平伏してたんだぜ。豊臣政権の恐ろしさなんて、皆知ってた筈だろう。
西軍からしてみれば「なんでみんな豊臣御為掲げた我々に従ってくれないの!?」位の感覚じゃないの。
0537人間七七四年2018/03/19(月) 03:18:06.56ID:dK73WtKr
>>520
可能性はあると思うぞ、清洲は明け渡す方向に行っていた。
それを大崎が抗弁したから取りやめになった。

もし戦後どうなろうと、福島正則の背信を咎めないとか
約束したら明け渡すだろうな。
0538人間七七四年2018/03/19(月) 03:20:09.92ID:dK73WtKr
>>517
岐阜城が一日で落城したのもそうだが
兵数が少なく寄せ手が大軍ならどんな城でも落ちる。
ましてや守ってる城が大きかったら門も多いし守るのにも大軍が必要なんだから。
0539人間七七四年2018/03/19(月) 03:29:32.66ID:rKdKXbpn
岐阜城が落ちたのは地の利とかも含めて兵力だけの話じゃないだろ
0540人間七七四年2018/03/19(月) 06:08:44.28ID:Fme+gLMG
結局豊臣の威光が弱くなりすぎたのが問題なんだよな
0541人間七七四年2018/03/19(月) 06:20:23.38ID:KVHGo+Zb
あと淀殿たちの腰が定まってなかったのも大きい
三成に正式に豊臣家の役職を与え、毛利たちにも生きるも死ぬも
豊臣家は毛利・宇喜多と一身一体だとアピールすれば
もっと西軍は機動的に動けたし東軍諸将たちに対する心理的アピールも大きな事になってた。
「東軍が勝っても西軍が勝っても我々は関係あらしませんぞ」じゃ勝てるものも勝てんわ。
公家みたいな卑怯な家だ。
0542人間七七四年2018/03/19(月) 06:45:43.82ID:rVXLdveT
>>516
伏見城は水堀あるから浸入できない上に
水堀埋めようとしたら籠城側の鉄砲隊に狙撃された
だから近くに小高い山を作って大筒大砲で鉄砲隊を無力化して
それから水堀を埋めて足場を作って浸入した
それで二週間近くかかった

どうやって半日で落とすのか詳しく聞かせてくれないか?
0543人間七七四年2018/03/19(月) 06:53:06.53ID:uEG6PW9R
>>541
豊臣家が西軍にいい顔出来る訳ないだろ。事情はどうあれ、伏見城燃やしてんだぞ。
まあ態度が頑な過ぎる鳥居も鳥居だが、それにしたって京都でいきなりドンパチはちょっと…。
豊臣家視点でさ、「今政権運営してる奴が気に入らないんで、政権の京都での政庁を
戦争起こして燃やしまーす。僕らの事、支持してくれるよね?」って言われて、簡単に支持出来るか?
0544人間七七四年2018/03/19(月) 06:59:08.27ID:rVXLdveT
>>520
ゲーム脳じゃないんだからさ
三成側に謀略できるやつもいないし
謀略でどんどん城を落とせるなら三成が戦下手と言われるわけないだろ
どうやって謀略するのかも詳しく聞かせてくれ
0545人間七七四年2018/03/19(月) 10:38:06.93ID:dxw5TKgB
>>541
そもそも淀殿は末の妹が徳川秀忠正室で、下の妹の嫁ぎ先の京極だって西軍からわざわざ東軍に寝返ってるんだぞ。
淀殿が「親東軍」なのは明らか
0546人間七七四年2018/03/19(月) 11:23:48.61ID:xVqnR3Oh
勝てない
0547人間七七四年2018/03/19(月) 11:53:11.34ID:zS7g2HXl
家康を暗殺するしかない。
刺し違えてでも。
正規の軍事で勝てるわけない。
大坂や伏見に出入りする時なら、機会はあるはず。
0548人間七七四年2018/03/19(月) 15:18:56.72ID:9O+lhYh9
淀は秀吉が京極丸を落としたことをきっかけに祖父が切腹、父親が切腹、親しい家臣もおともをして切腹し、
父親の北近江は秀吉に奪われ、幼少時をすごした小谷城は秀吉に廃城にされ
北の庄に秀吉が攻め込んだことで義父が切腹し、母が自害し、親しい家臣はまたも殺され、北の庄は秀吉に奪われた。
そして老人の秀吉にめかけにされ、手篭めにされて妊娠をきっかけに側室に、
という流れを見ると、淀がもっとも豊臣を恨んでいてもおかしくないんだよな

その淀が太閤殿下万歳を唱えながら豊臣を守って死ぬのだから、ストックホルム症候群はおそろしい
0549人間七七四年2018/03/19(月) 16:04:32.43ID:a2idIkkL
>>547
誰がやるの?暗殺も何もこの時代の貴人って普通単独行動しないから、
暗殺=加害者の御家族滅だよ。(部下でもその上司の御家が)
家康って一応、豊臣政権での一門筆頭格だろうからほぼそうなるだろうね。
ちなみに三成を想定してるなら奴は絶対やらんよ。あいつ多分権勢欲は旺盛だから。
要は中央政権で辣腕を揮うのが望みってタイプ。確かに物欲はあんまり感じないけど。
0550人間七七四年2018/03/19(月) 18:19:23.38ID:yt3uI6uQ
>>549
いや、三成は物欲も凄かった。
佐和山の「三光」を指揮した池田輝政の記録によると、石田の一族は
絹をまとっており、佐和山城の蔵は日本中国南蛮の金銀財宝で
溢れかえっていたとある。

石田三成は普段は質素なふりをしていたが、その点では完全に偽善者
だった。
0551人間七七四年2018/03/19(月) 18:35:48.94ID:5Aw5Uds0
>>550
慶長年中卜斎記じゃその真逆とあるが
0552人間七七四年2018/03/19(月) 22:48:31.70ID:R9iNRvaZ
三成は見栄っ張りで金がなくても金があるふりをしたがる性格だからね
大金をばら撒いて家臣を全国から引き抜きまくったり
外観だけは19万石の大名では不可能なレベルの壮麗な城を建てたりと
まるで何百万石もある大大名のような大盤振る舞いを繰り返してきた

そういう振る舞いをすれば諸大名から不正蓄財を疑われ嫌われるのは仕方がないことだろう
貯金が一切ない自転車操業で城も外から見えない内装はケチっているけど
そんなことは外部の人間には関係ないから三成の財力の誇示に怒るのは当然だよ
0553人間七七四年2018/03/19(月) 23:16:19.17ID:PMk443LG
戦費として吐き出したから蔵の中が空だっただけだぞ
0554人間七七四年2018/03/19(月) 23:55:13.82ID:5Aw5Uds0
>>552
>>553
この二つまるで言ってることが違うんだが
0555人間七七四年2018/03/20(火) 07:58:21.46ID:9w6psJXA
>>543
家康はさ、大阪城に第二の天守閣を作るって誰の眼にも解る嫌がらせをしてんだけど?
通常は天守閣って城主が居る場所なんで俺が城主って宣伝してるも同じ。
「秀頼なんて飾りです、諸大名はそれが解らんのです」って政治的な宣伝だよ?

まあ、関ケ原後は、そもそも大阪城に行く事自体が豊臣家に臣従してる印象だから大阪城
自体に行かなくなったけどね。
淀が家康に反感持ってないはずは無いよ、但し勝てるか心配で妙な態度だっただけで。
もっと明確に西軍支持の行動すべきでしたね。
0556人間七七四年2018/03/20(火) 12:15:31.66ID:qZgmbi3M
家康がひとりで建物つくれるわけでもなく、それを造成するのに皆が尽力するわけで。
家康が実際のトップだと認められてる証拠じゃないか
0557人間七七四年2018/03/20(火) 12:39:51.92ID:fo+V+uYW
そういう基本的なことがわからないやつが多いよね
0558人間七七四年2018/03/20(火) 13:07:30.15ID:p40r/wbj
淀君は実権がない状態に追い込まれていたと見るべき
0559人間七七四年2018/03/20(火) 14:01:05.98ID:znSpa4J6
豊臣の蔵入地を管理してたのは増田長盛?
0560人間七七四年2018/03/20(火) 14:21:37.43ID:oUWKuMR/
>>558
そもそも淀に実権があるのがおかしい。
秀吉の正室はおね。つまり秀頼の嫡母はおねなんだから、淀にもそれなりの地位は与えないといけないが、普通はおねを立てるべきだろ。

そもそも淀って、なぜ秀吉が死んだ時点で落飾してないんだ? 普通は落飾するのが筋なのに、あれだと周りからおかしく見られないか?
0561人間七七四年2018/03/20(火) 15:09:04.15ID:Vh3afGYK
>>559
そう
0562人間七七四年2018/03/20(火) 15:11:43.34ID:Vh3afGYK
確か増田は大和の国一国の代官も兼ねてたような気がしなくもない
長束は豊臣家の金銭管理を一手に引き受けてたような気がする
三成がキチガイじみたように金金金!と手紙を出し続けたのは長束に対して。
0563人間七七四年2018/03/20(火) 15:14:27.31ID:Vh3afGYK
なんだかんだ言って淀が大坂城の金と兵糧を惜しみなく前線に送って
輝元にも一喝して大坂城で休んでるな、最前線に行け!と怒鳴れば普通に西軍が勝ってたよ。
もし淀ではなく寧々が大坂城の主だったらそうなってた。
0564人間七七四年2018/03/20(火) 15:35:30.83ID:GMASmYEc
>>556
中国の王朝で九錫ってのが有り、これは通常皇帝しか受けられない待遇を家臣に与えるので
通常禅譲の前段階とされた。
基本同じパターンでマニュアル化してる。
1、皇帝の挿げ替え➡傍系皇族か幼帝で皇帝が飾り物アピール。
2、公位を与える➡例、曹操が魏公に成る
3、王位を与える➡例、曹操が10以上の郡を割いて魏国を建国して初代国王に。
4、九錫を与える➡例、曹操が受ける、これで実際の政務は九錫を受けた魏王曹操と魏国が
取り、後漢の朝廷は完全な飾り物に。

まあ、日本ではマニュアル無いけど天守閣建てた時点で秀頼を主君を仰ぐつもりも無い事は
明白だしね。
あれは、物分かりの悪い田舎の諸侯に豊臣の時代は終わるって宣伝。
0565人間七七四年2018/03/20(火) 16:27:13.48ID:Vh3afGYK
まあ幕府が朝廷に成り代わり政務を執ったり
執権が幕府の代わり、管領が公方の代わりに政務を執るようなものだね
北条時宗なんて名目は天皇に任命された将軍のさらに召使いに過ぎないのに
誰がどういう観点で見ようが日本国王でしかないのと同じだったように。
0566人間七七四年2018/03/20(火) 16:37:48.15ID:0owXJ60i
増田長盛が蔵入地から横領しまくれば西軍の力にならないの?
0567人間七七四年2018/03/20(火) 16:50:35.15ID:p40r/wbj
淀君は実権がない状態に追い込まれていたと見るべき

実権は家康に集約
0568人間七七四年2018/03/20(火) 18:21:16.49ID:zkeacvof
家康は淀に何度も金米クレって催促したんだが
0569人間七七四年2018/03/20(火) 18:49:35.78ID:Vh3afGYK
台帳だけ渡したんだよな
0570人間七七四年2018/03/20(火) 18:50:45.06ID:E7G3a1zL
なんで西軍支持してる人は豊臣家が無条件で西軍に協力してくれると思ってるのか分からん。
西軍がやった事って、最初の時点でこれだよ。
・豊臣政権の事業である上杉征伐に向かう途中だった軍勢を足止めして自軍に組み込む
(どう見ても事業妨害)
・豊臣政権の京都での政庁である伏見城を攻撃して落城、炎上させる。
(鳥居も頑固だとは思うが、それにしたって…)
なあ、本気で聞きたいんだが、これで豊臣家が大喜びで西軍に協力すると思うか?
別に徳川が清廉潔白とまではいわんよ。けどさ、どう考えてもヤバい集団だろ、西軍。
0571人間七七四年2018/03/20(火) 18:57:57.41ID:/wA04h4S
豊臣は家康よりという基本を押さえとかないと関ヶ原は語れない
0572人間七七四年2018/03/20(火) 19:18:03.77ID:iNrf7QrI
>>560
後家権で調べろ
新当主が若年の場合にその生母や前当主の正室の権力のあり方については当時の習慣でおおよそ決まってる
0573人間七七四年2018/03/20(火) 20:03:09.83ID:XjFp/4Fh
>>563
その程度じゃ無理だろ
関ヶ原って家康の本軍秀忠含めて約七万が殆どなんもせずに勝った合戦
毛利がちょっと動いたくらいじゃ勝ちまでは行かない
0574人間七七四年2018/03/20(火) 20:13:54.03ID:pNvHWkIw
>>560
子供うんでる分淀がたてられるのもわかる
北の政所は政争に負けてるんだよ
0575人間七七四年2018/03/20(火) 20:36:45.87ID:Vh3afGYK
>>573
むしろ西軍うちほんの3万程度の兵しか戦ってない戦いじゃん。
輝元が数万の兵を連れて参陣したら秀秋も秀元も広家も死に物狂いで西軍として戦うわw
0576人間七七四年2018/03/20(火) 21:16:38.61ID:jSfTS8TR
>>575
関ヶ原本戦の時はもう毛利家は一部を除いて
「東軍(徳川)と正面決戦とか冗談じゃないから、手打ちして損切りしよ」
って状態だから。
0577人間七七四年2018/03/20(火) 21:23:12.55ID:Vh3afGYK
>>576
輝元が督戦したら全部ひっくり返るよwww
0578人間七七四年2018/03/20(火) 21:25:23.27ID:Hwko5hvB
>>577
輝元は広家の講和方針に同意しとる
0579人間七七四年2018/03/20(火) 21:30:30.82ID:Vh3afGYK
>>578
もし寧々が大坂城の城主だったらろいう仮定の話から続いてるのに
頭大丈夫か?
0580人間七七四年2018/03/20(火) 21:35:05.69ID:edIZZ09b
>>579
>>543
0581人間七七四年2018/03/20(火) 22:21:55.07ID:2Qh3k6Xq
>>575
秀秋はどうやったって無理だろ
秀家も怪しい、輝元が動いたくらいでこの時期の毛利がまとまるわけない
0582人間七七四年2018/03/20(火) 22:24:06.10ID:F++bm2WJ
間違えた広家
0583人間七七四年2018/03/20(火) 22:26:20.61ID:dYZeE5L8
>>579
そもそも客観的にみて、
『豊臣家が積極的に支持したくなるような行動を西軍はしていない』
というのは認識した方がいい。家康がどうとかいう話じゃなくてね。
0584人間七七四年2018/03/20(火) 22:37:02.02ID:/wA04h4S
高台院も淀ほど判断材料が残てないとはいえ西軍に非協力的だからな
0585人間七七四年2018/03/21(水) 00:35:38.87ID:UlgXkD7J
>>584
高台院って、豊臣家に差し出された人質の世話してるから、当時の大名で頭が上がらない人は
多いよね。
出陣すれば、秀頼同様に動揺する東軍大名は多そう。
大体さ、秀頼出陣で福島が家康の言う事聞くとは思えん。こいつが幾ら馬鹿でも主君に直接
弓引く形を耐えられる訳が無い。
0586人間七七四年2018/03/21(水) 07:11:28.93ID:fEa42Y7Y
>>585
勝てばいいってのは手段を選ばなくてもいいってのとイコールじゃないんだけど。
少しは豊臣家や政権に配慮したらどうだ。
家康でさえ、この時点ではまだ豊臣家に最低限の配慮位してるぞ。
上杉征伐に秀頼を無理やり連れていくような真似はしてないんだし。
秀頼を戦場に突き出して「貴様ら頭下げろ!」って行動のどこが豊臣御為だ。
0587人間七七四年2018/03/21(水) 07:56:23.61ID:RXCgZcqV
まあ豊臣家の威光なんて衰退著しいってことだな
0588人間七七四年2018/03/21(水) 09:09:50.88ID:m5GjAkfC
たとえば、太ったお嬢ちゃんが、それを指摘されたとする
太ったお嬢ちゃんは、必死に減量する
お嬢ちゃんは、スリムになる

まことには、皆無である
弱点を指摘されると、正当化し、ますます酷くなる
そして、素性が川に浮かぶ
0589人間七七四年2018/03/21(水) 09:55:45.99ID:IINMGt4p
>>541
関白は公家どす
0590人間七七四年2018/03/21(水) 14:12:49.80ID:5fNvNGlL
仮に秀頼が出陣して、そこで秀頼が消されてしまったら豊臣はそこで終わる
客観的に見て三成や輝元でその勝負を賭けられると思うのか
0591人間七七四年2018/03/21(水) 14:23:00.63ID:AN2RtbOG
関ケ原で西軍が負けた時点で豊臣の実質終わりが確定したわけでね
やるからにはどうやっても勝たなきゃダメだ
0592人間七七四年2018/03/21(水) 17:40:35.51ID:z4HqsK/w
淀の人物に対して史料が少なすぎて
どうゆう立場だったのかもわからんから議論のしようがない
0593人間七七四年2018/03/21(水) 17:51:20.29ID:zriZs774
通説では寧々は淀との政争に負けたから大坂城から京都へ移転したとか言われてるけど
案外そうではなく聡明な彼女は武功派と文治派の政争は避けられず
遠からずして大坂城に火にまみれることが分かってたから早めに逃げたのかもな。
0594人間七七四年2018/03/21(水) 17:53:34.67ID:p/Mkypga
政争してる史料なんてないから。逆にずっと協力体制
0595人間七七四年2018/03/21(水) 17:58:03.46ID:zriZs774
でも寧々が大坂城西の丸に居座ってしまったら
秀頼本丸、家康伏見の二党体制は避けられず
多少は歴史が変わったんだろうか
0596人間七七四年2018/03/21(水) 18:15:09.47ID:VJ5YRn7A
>>591
豊臣家からすれば頼んでもない戦争引き起こした揚句に
「勝たないと政権も御家も終わるぞ!」なんて勝手に博打の抵当にぶちこまれても
迷惑な話なんですがそれは。
0597人間七七四年2018/03/21(水) 18:21:56.38ID:uQ0Nmkyv
ほんと西軍ってバカぞろいだな
0598人間七七四年2018/03/21(水) 18:31:19.42ID:zriZs774
日本国民からすれば頼んでもない相場に国民年金を突っ込んだ揚句に
「勝たないと政権も年金も終わるぞ!」なんて勝手に博打の抵当にぶちこまれても
迷惑な話なんですがそれは。
0599人間七七四年2018/03/21(水) 18:51:41.26ID:D2oFu0O+
>>547
長束がやろうとして失敗した
0600人間七七四年2018/03/21(水) 20:02:13.48ID:5fNvNGlL
>>591
豊臣政権は関ヶ原と言うか後継が不安定なまま秀吉が死んだ時点で終わったようなものだが
豊臣家という大名家は普通に残せる余地は十分ある
秀頼が出陣して負けるということはその一大名家として残る選択肢も消えると言うこと
三成や輝元で賭けられる訳がない
0601人間七七四年2018/03/21(水) 20:38:43.98ID:Af680wZn
負けることばかり考えてりゃ
勝てないわな
0602人間七七四年2018/03/21(水) 20:41:13.59ID:rc0Yj1nS
むしろ必勝の策でもって勝つ気満々だっただろ
0603人間七七四年2018/03/21(水) 20:46:52.29ID:Af680wZn
負けを探してるのことをいってる
0604人間七七四年2018/03/21(水) 20:58:18.21ID:rc0Yj1nS
そりゃ現実味がなかったり具体性がないのが悪い
0605人間七七四年2018/03/21(水) 20:59:33.61ID:Af680wZn
気概すらないで負け負けただ否定のみ
0606人間七七四年2018/03/21(水) 21:03:51.46ID:zriZs774
>>600
「豊臣家という大名家は普通に残せる余地は十分ある 」

そういうの淀は望んでなくない?
0607人間七七四年2018/03/21(水) 21:04:09.72ID:rc0Yj1nS
気概があったって西軍の敗因を何一つ覆せないからしゃーない
0608人間七七四年2018/03/21(水) 21:28:49.49ID:zriZs774
いや、むしろ必勝の体制だったのに奇跡的に家康が勝ったのが関ヶ原でしょう。
淀、三成、輝元、正家、長盛らの失策が積み重なった欠課がアレだったというだけで。
0609人間七七四年2018/03/21(水) 21:43:47.65ID:Af680wZn
勝つためのスレで負ける理由ばっかり
根本的にずれてますわ
0610人間七七四年2018/03/21(水) 21:45:32.16ID:zriZs774
淀が西軍に肩入れするだけで鉄板でほぼ100%勝てた。
「万一、負けたら豊臣家が滅びる〜」なんてチキンだから自ら負けただけ。
0611人間七七四年2018/03/21(水) 21:48:42.04ID:OT1ZeUY/
>>610
だから、西軍に肩入れする理由がロクにないんだって。
0612人間七七四年2018/03/21(水) 21:54:36.18ID:zriZs774
淀が一切肩入れせずに無役の石田三成のクーデターが成功する可能税なんて
絶対に無くない?
0613人間七七四年2018/03/21(水) 22:34:09.70ID:5fNvNGlL
>>606
淀の何を知って言ってるのか
0614人間七七四年2018/03/21(水) 22:40:02.06ID:rc0Yj1nS
>>609
敗因を覆せないから勝てる話にならないんだって
勝つためには敗因なり失態なりを何とかしないといけないのに
精神論で解決しようとするから否定される
0615人間七七四年2018/03/21(水) 23:17:01.49ID:5fNvNGlL
>>609
負ける理由に反論できないんじゃ意味ないだろ
なんでもいいから勝つ方法と言うなら
このスレにいい方法があるぞ
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1327407932/
0616人間七七四年2018/03/22(木) 04:21:44.97ID:A3DOOebR
そもそも三成は謀主だとされてるけど実際のところはどうだったんだろな
一次資料では毛利、増田、長束が共同で家康の法令違反を糾弾する書状を全国に出したのが最初らしいが。
そこに宇喜多、石田、小西、大谷らが乗ったという事になってるけど。
0617人間七七四年2018/03/22(木) 07:01:21.34ID:RI2jijtu
>>616
生け贄にされた感はあるよな三成
ただ、まるで無辜な存在でもなく野望というか私利私欲がみえるので三成に同情なんて出来ないけど
そういう意味で毛利はうまくやってるというか大武家なりの扱いというか

とにかく西軍はなにからなにまで、弱いよな
0618人間七七四年2018/03/22(木) 11:07:22.66ID:ev2y7w0S
淀君は実権がない状態に追い込まれていたと見るべき

実権は家康に集約
0619人間七七四年2018/03/22(木) 11:32:31.96ID:A3DOOebR
淀「まだ寒いので大坂城に移りとうないわ」

利家「黙れ!」


で即時引っ越しが決定してたしな。

公的な発言力は無かったと見るべきかもしれない。
0620人間七七四年2018/03/22(木) 11:44:35.16ID:cz1xIXSs
>>614
>>615
馬鹿馬鹿しい
勝つためのスレで負けることと否定ばかり根本的に履き違えてる
0621人間七七四年2018/03/22(木) 12:03:09.20ID:j4jqM+zO
伏見攻略後の各方面戦力配分が伊勢過剰なので、宇喜多秀家は当初より美濃・尾張方面に投入、
伊勢は長束正家、毛利秀元らでいいと思われる。
当面の宇喜多秀家の任務としては東濃方面の制圧、中山道を来るかもしてない東軍の迎撃準備、

この方針でいけば8月22日の東軍の木曽川渡河の迎撃を十分な戦力で行える。
籠城策採用でも岐阜城はまず落ちない。
清洲が味方するようなら大垣の石田、小西、岐阜の秀信、宇喜多は清洲に前進すればいい。

デメリットは、東軍が木曽川渡河ではなく、伊勢の東軍救援に向かうかもしれないこと。
その場合、毛利秀元、吉川、安国寺、長束、長曾我部、鍋島と東軍先発隊が北伊勢で野戦が発生するかもしれない。
しかし美濃方面の西軍を放置して伊勢に東軍先発隊主力を送る可能性は低いと思われる。

宇喜多が当初より美濃に行くだけで全然西軍は楽になる。
宇喜多は東濃の制圧と中山道迎撃任務。
0622人間七七四年2018/03/22(木) 12:32:06.07ID:zoKRn9Ez
茶々が三成を制止すれば、三成も聞き入れたろ
0623人間七七四年2018/03/22(木) 14:41:54.78ID:tQB18Mwo
>>619
それ司馬の創作だから
0624人間七七四年2018/03/22(木) 16:08:15.27ID:ev2y7w0S
三成は必勝と言ったに相違ない

それ故に茶々の加勢は不要
よって我らが義挙を黙認くだされ
0625人間七七四年2018/03/22(木) 16:27:32.02ID:DZrg7KKo
鉄砲いっぱい用意して早合三段撃ち
戦いは火力だよ兄貴
0626人間七七四年2018/03/22(木) 17:23:08.86ID:tQB18Mwo
>>625
鉄炮足軽は侍が突撃すると直ぐに逃げるからダメ
0627人間七七四年2018/03/22(木) 20:37:11.50ID:NGVAdZ6v
逃げなきゃ死ぬやん
0628人間七七四年2018/03/22(木) 20:45:16.73ID:9j3ZwMr3
>>621
断言してもいいけど西軍は東軍が短期間で戻ってくる事を想定してない。
もし想定してたら内府違いの条々を出さない。むしろ情報遮断に動かないとおかしい。
挙兵を気付かせるのを遅らせた方がいいに決まってるからだ。

で、来るかもしれない想定なんだが、これはしない、というか出来ない。その理由として、毛利の動きがある。
輝元は上杉征伐軍が速攻で反転して岐阜まで陥落した事を知った途端に、日和見に走っている。
この時点ではまだ関ヶ原本線が始まっていないし、毛利は大坂を抑えている。
それなのにこれほど動揺するという事は、毛利は
「政治的に完全に勝利して徳川が屈服したならともかく、そうでないのなら東軍(家康)と正面決戦など御免だ」
と考えていた可能性が高い。
つまり、内府違いの条々の効果に疑問があるなら、『毛利はそもそも挙兵に応じない可能性がある』。
さて、この場合西軍の挙兵が起こりうるんだろうか?
0629人間七七四年2018/03/22(木) 21:08:45.39ID:atrvnh6Y
毛利が描いたシナリオってどんなものなのかね?
ある番組では毛利の狙いはどさくさ紛れの西国制覇とか言ってた
0630人間七七四年2018/03/22(木) 21:54:14.42ID:A3DOOebR
家康は極めて短期間で前田家を大老職から外し、浅野家と石田家を奉行から外したわけで
すでにこの時点で四大老三奉行制になってたが上杉攻めを指くわえてみてたら120%の確率で
上杉、毛利、宇喜多も大老から外されてたわけじゃん。
座して政治的敗北を喫するくらいなら窮鼠猫を噛んだんでしょ。
0631人間七七四年2018/03/22(木) 21:56:57.96ID:A3DOOebR
家康としては一大老三奉行制(もちろん増田、長束、玄以は家康の手下)とし
有力大名全てと政略結婚し全国の大名から人質を江戸に取れば自動的に家康の天下になるわけで
戦争を起こして天下を獲ろうというより政治的手腕で獲ろうとしてたでしょ。
0632人間七七四年2018/03/22(木) 22:32:25.81ID:9j3ZwMr3
>>630
利長って大老クビになったの?
それと、あなたの考えが正しいとして、宇喜多が大老をクビになってない理由がわからん。
自分の部下の制御もマトモに出来んなんて石田以上の大失態なんだけど。
>>631
家康が藤原氏か執権北条氏になりたいってんならやらせりゃよかったじゃない。
別にその両家共、元の政権そのものは破壊してないんだし。(自家に都合よく改造はしたが)
なんで西軍が挙兵したのさ。おかげで政権が速攻で崩壊しちゃったじゃん。
0633人間七七四年2018/03/22(木) 22:55:28.53ID:j4jqM+zO
>>628
毛利は予定通り伊勢攻略に向かえばよろしい。
過剰戦力の宇喜多を美濃の東濃制圧及び中山道での迎撃準備を行うというもの。
内府違いの条々は関係ない。
8月初頭での西軍の戦略方針は浜松ないし尾三国境付近で家康を迎え撃つというもの。
しかし、家康が東海道ではなく中山道からは来ないという確証はない。
本命は東海道だが、中山道で迎撃するなら、立地的には東濃、となる。
8月中旬段階では遠山、妻木、小里あたりが東軍方として活動し苗木城を落としているので
東濃の制圧は必要ないわけではない。
もし8月初頭ではなく苗木城陥落後に宇喜多の美濃の東濃制圧指示でもよし。
その場合宇喜多は8月20〜23日頃には大垣、岐阜あたりを通過すると思われる。

というか8月15〜20日あたりには清洲の様子もおかしいというのはわかってるはずなんだから
本来ならその時点でも宇喜多を美濃に呼び寄せてないといけない。
0634人間七七四年2018/03/22(木) 23:29:53.56ID:oxGQgJUP
>>833
何とかして美濃方面の兵を増やしたいのは理解できるが、伊勢から削るのはやめた方がいいぞ。
東からの備えという意味では美濃と伊勢はどちらかではなくどっちも重視すべき。
それに美濃に関しては岐阜の陥落が想定外だった訳で、本来は岐阜と大垣のラインがあれば
東濃で少々騒ぎがあったところで特に気にする必要はないぞ。
むしろそういう明確なラインのない伊勢に宇喜多という大物を投入する事に意味がある訳で。

それと清州の様子がおかしいのならむしろ宇喜多は伊勢から動かせんぞ。海路使われるとまずいし。
まあ、あのあたりは九鬼嘉隆の縄張りではあるけど息子の守隆が東軍だし。
少なくとも、別働隊を派遣される危険性を考えたら伊勢に指導的立場の奴を1人おきたい。
となると、やはり宇喜多が適任になってしまうだろう。
0635人間七七四年2018/03/22(木) 23:30:50.49ID:oxGQgJUP
あ、すいません>>633です。
0636人間七七四年2018/03/23(金) 00:23:13.63ID:lWqB+UQp
>>634
どっちも重視するならなおさら宇喜多を美濃に引き抜かないと。
伊勢の小戦力に対しては過剰。
東軍が3万の兵力を渡海させられるだけの舟を用意できるかというと、
おそらくすぐにはできない。もしくは少ない舟で時間を掛けて行う。
そしてある程度の美濃への備えも残さなければならない。
一方、美濃から伊勢へは伊勢街道で行ける。
東軍先発隊が渡海して伊勢に向かうようなら、西軍はタイミングがシビアだが、
伊勢と美濃の部隊で挟撃のチャンスになる。(失敗すると各個撃破)。

西軍にしても、伊勢から尾張に攻め込むには長島城の存在が邪魔であり、
落とすにもそう簡単に落とせるかは微妙。
いっそ一度美濃に入り木曽川渡って尾張に攻め込む方がまだ容易。
どのみち美濃に行くことになると思われる。

西軍としては、桑名もしくは安濃津で籠城し、美濃からの後詰を待つ、というのが無難な策かな。
東軍としては美濃進攻以上に深刻な退路リスクがあると思う。
0637人間七七四年2018/03/23(金) 00:54:22.72ID:YOLjhvHK
>>636
あー、多分考え方が違うのかな。私個人の考え方としては西軍の手で近畿東部の封鎖をした方がいいと考えてるんですよ。
つまり伊勢と近江が壁であって、美濃はむしろ出先に近い認識なんです。
で、東軍がこっちに来るとなると、東海道か中山道がになりますよね?
そうすると、中山道方面は美濃が前線基地になるけど(致命的に予定が狂ったが)
伊勢は制圧完了とは言えない以上、侵入されると事実上の封鎖失敗になってしまうから
過剰なぐらいに戦力を投入して封鎖を完了させてラインを形成したいって認識なんですよ。
要は近畿が防衛出来ればそれでいいという考えなので、東軍勢の美濃侵入を
それほど深刻に考えていないんです。逆に、伊勢は少数でも致命傷だと考えています。

まあ、だからこそ秀信の軽率な迎撃と籠城失敗、そして西軍の美濃方面での連携ミスは痛いですね。
ただし、私はそもそも西軍が東軍の早期反転を予想していないと考えているので
これをミスというのは酷だと思っています。むしろ家康の統率力をほめるべきでしょう。
0638人間七七四年2018/03/23(金) 01:43:42.01ID:qiMWeU9u
家康に対して前田利家をけしかけた連中がなに言ってんだって話だがな
0639人間七七四年2018/03/23(金) 11:30:46.85ID:s6h+Ria7
話逸れるけど、8月25日付中川秀成宛有吉立行・松井康之連署状

ここに、
富田信高・古田重勝・稲葉道通が、関東から引き返して船七〇艘で着岸して各々の城に入り、
同じく会津討伐に従軍していた伊賀上野城主筒井定次も帰国した。
そのため、(長束は)関地蔵(現、三重県鈴鹿郡関町・木崎町・新庄町)へ退いた、とある。

筒井定次の伊賀帰国の出どころはこの書状っぽいね、信憑性の判断が難しいが、
もし事実なら少なくとも筒井定次本人は木曽川渡河から岐阜城攻城あたりまでは参戦してない可能性が高い。
いくらかの兵を家臣に預けて筒井勢として参戦した可能性はあるが。

たしか家康の東軍先発隊諸将に対する岐阜城攻略の感状みたいなのも、
筒井定次宛は確認されてなかったような気がするが、ちょっと曖昧。
0640人間七七四年2018/03/23(金) 13:59:42.59ID:s6h+Ria7
宇喜多早期美濃投入案をまとめると、
伏見攻略後の8月初頭、もしくは8月中旬の美濃東濃地方東軍方による苗木城攻略時に
宇喜多秀家18000を美濃に投入し、東濃の制圧及び中山道での迎撃準備を整え、
同時に尾張が東軍に付いた場合にも柔軟に対応できる態勢をとる、というもの。

当初東軍先発隊による伊勢の東軍方への救援はデメリットに感じていたけど、
逆に東軍先発隊が伊勢に向かったほうが、西軍としては岐阜城後詰決戦より
東軍先発隊を撃滅するチャンスが大きいように感じる。
理想としては桑名に籠城しての後詰決戦だが、次善としては安濃津でのどちらが後詰になるか
わからない決戦。
伊勢に踏み込んで万が一野戦で負けるようなことがあれば事実上東軍先発隊に退路はない。
退路リスクが高いので東軍先発隊による伊勢救援の可能性は低いと見る。

史実通り木曽川渡河美濃進攻ならば、宇喜多を含めた十分な戦力での渡河迎撃が可能になる。

巻き戻すのが8月初頭もしくは中旬ならば宇喜多早期美濃投入案、
8月22日ならば岐阜城後詰決戦案といったところかな。

宇喜多早期美濃投入案の懸念事項としては、明石掃部の代わりにだれかが桑名、長島方面に行く必要がある。
桑名の氏家兄弟を西軍方に取り込むため。
長束、安国寺、蒔田権之助あたりでそれができるか微妙な部分はある。
早急に長曾我部あたりを桑名に送る必要はあるかもしれない。
0641人間七七四年2018/03/23(金) 19:44:27.82ID:hnY3xCAv
史実だと宇喜多は草津で後詰め待機中で美濃に東軍が来れば美濃に後詰め
長島方面に伊勢桑名の明石勢が攻められたらその救援にと理にかなった配置
動かすとしても他に伊勢桑名を救援できる兵力を捻出しない限り下策かな
0642人間七七四年2018/03/23(金) 23:01:06.34ID:s6h+Ria7
西軍の戦略予備について調べていたら疑問点が出てきた。毛利の兵力について。

石田三成の書状、備口人数に、
四万千五百人 安芸中納言殿 右之内一万人息藤七殿付有之、右三万余は輝元自身召連出馬

とある。息藤七殿とは毛利秀就、
つまり毛利秀就に兵1万、3万余は輝元が連れてきた。

秀元&吉川が12000〜13000、元康が1万、輝元が8500〜9500という計算になる。(大津攻撃時)


んで、秀就はどこにいたんだろう?広島在国なのか大坂の毛利屋敷なのか大坂城か。
北九州や四国に兵出してるとこからして広島っぽいが。
もし大坂に秀就付きで1万もいるなら輝元は出陣できる余裕がありそうだが。

ただし、大坂御留守居の項に、輝元衆1万人とも記載されている。解釈が難しい。
0643人間七七四年2018/03/23(金) 23:08:29.54ID:nbXpiqYs
輝元は大局観が無かったな
0644人間七七四年2018/03/23(金) 23:47:53.63ID:w7qwwa8V
秀就って当時五歳ぐらいだから補佐役の家臣がいたって輝元の名代は無理だろ
誰かしら重みのある人物じゃないと大坂城で何が起こるかわからない
0645人間七七四年2018/03/24(土) 00:08:27.26ID:u4bzKwEy
>>643
大局観を持つって事は、この場合野心を持つって事につながりかねないんだが。
それとも、毛利に天下取りの野心でも持ってほしいのか?
0646人間七七四年2018/03/24(土) 00:36:08.09ID:021kVJot
野心なしで家康に勝てる奴などいないんだろな
0647人間七七四年2018/03/24(土) 00:45:44.73ID:gMRQ+jZZ
まあ、輝元にも野心はあると思うけどね。天下人ではなく、西国覇者の大大名としての、だけど。
だから中央が事実上無力化して大大名が好き勝手に領土を広げられる、戦国後期に
時計の針が戻ってほしかったんじゃないの。関ヶ原の時に結構怪しい動きしてるし。
0648人間七七四年2018/03/24(土) 01:17:44.71ID:Y/MLREow
>>647
輝元は志が低いんだよな
大志というより小志だ。
カジドロで四国や九州をちょっと盗んじゃおうって。
もう情けなくてとうちゃん涙がでてくらあ!
0649人間七七四年2018/03/24(土) 01:30:18.41ID:SHEG2z7U
>>648
まあ、爺さんの天下を狙うなって遺言もあるしなあ。それ守ったって考えればまあ…
親父の『しばらく上方から離れるな』って遺言を無視して帰国したせいで酷い目にあった
前田利長って例もあるし、遺言をむやみに無視すればいいってものでもないからな。
0650人間七七四年2018/03/24(土) 02:38:38.17ID:19XQ6Wko
>>649
確か噂では、前田家の兵力は最大で25000、これをみっつに分け、大阪城に8000、国元に16000の
兵力を置けでしたっけ。
国元は四男に指揮させ、少しずつ国元と大阪の兵力も入れ替える。
そうすれば、家康は何も出来ないでしたっけ。
大坂に8000あれば、家康がふざけた事すれば直ぐ討ち取れるしね。
0651人間七七四年2018/03/24(土) 02:59:28.72ID:V8RoAeja
輝元は生まれつきの120万石大名のおぼっちゃんだぞ?
そんな野心が生まれる環境に生きてねえ。
0652人間七七四年2018/03/24(土) 03:37:59.31ID:Y/MLREow
>>651
それならそれで大坂城などに行かず本国でおとなしくしれてば良かったのに
それなら江戸時代も120万石相当の大名としてずっと生き残れたし。
0653人間七七四年2018/03/24(土) 04:24:08.71ID:jVKrCnpB
>>650
最近は前田利長はわざと国に帰ったって論調が強いらしいぞ?
0654人間七七四年2018/03/24(土) 04:40:42.86ID:V8RoAeja
>>652
解ってないな〜 織田秀信だって西軍に付いただろ?
生まれつき苦労知らずな奴はカッコイイ方に付くんだよ。
幼君を守るとかな。
0655人間七七四年2018/03/24(土) 06:53:58.98ID:c+TYu66M
>>651
考えられるとしたら、コンプレックスかな。
私は輝元をバカ殿とまでは思わんがそれでも祖父や父、叔父らと比べると
やはり遠く及ばないと考えている。多分同時代の人もそう考えていただろう。
だから輝元にとっては彼らは御家の誇りであると同時に、ぬぐい難い劣等感を感じてしまう存在だったんじゃないだろうか。
しかし、もしここで輝元が家康を出し抜いて西国を制圧し、北九州を手に入れたらどうなるか。
北九州はかつて先代らが全力をもって領有しようとし、そして果たせなかった場所だ。
その地を彼らに辛酸をなめさせた大友を利用して手に入れたのならば、
輝元は偉大なる祖父や優秀な父に叔父が達成できなかった事を成し遂げた事になり、
彼らと肩を並べ、あるいはそれを超える評価を受けるかもしれない。…なんて考えてたりしてな。
0656人間七七四年2018/03/24(土) 11:03:33.44ID:lwssYwb7
毛利は一族が大名になっているので輝元のみで考えちゃいけない
全部合わせれば実高200万石を超える大勢力やで
0657人間七七四年2018/03/24(土) 11:25:22.24ID:y1AdgncQ
>>644
大坂留守居は小早川秀包と増田にまかせとけば
いいんじゃない?
0658人間七七四年2018/03/24(土) 11:59:33.59ID:cT92HdXC
>>657
秀包じゃ軽すぎる、奉行を抑えられん。毛利家中だと秀元位だね。
秀元は秀吉の姻族で準一門だから格としては問題なかろう。
ただし秀元の発言力が増大する可能性が高くなるので、毛利家が秀就派と秀元派に分裂する危険はある。
この手の後継争いは本人にその気がなくても、家臣団が勝手に争う事があるので。
0659人間七七四年2018/03/24(土) 18:41:35.76ID:V8RoAeja
西軍の戦略は九州・四国・北陸・伊勢と西軍の勢力圏を増やして行って
徳川と対抗する構えを見せている。

ごく普通で正攻法の戦略だが、伏見を落とすのに時間がかかったり
岐阜への進出が遅すぎる。輝元も流言に惑わされて出馬を見送らせている。

岐阜城が落ちた時点で美濃の連中は一旦、佐和山まで引いて
田辺攻略部隊などの分散させた兵力の集結を待った方が良かったな。
0660人間七七四年2018/03/24(土) 18:45:25.20ID:V8RoAeja
宇喜田秀家は野戦攻城では優秀な指揮官だが、自分の戦意が高いせいか
他の部隊の士気の低さを気にしなかったのかもしれない。
三成が大阪に送った書状を見てみても、宇喜田・小西・大谷・島津以外は戦意が低い。
そんな状態で関ヶ原での決戦には臨むべきじゃなかった。
0661人間七七四年2018/03/24(土) 18:49:50.74ID:i3LTCGaD
臨むべきじゃないって言ったって待ってて何か良くなる要素あるのか
0662人間七七四年2018/03/24(土) 19:00:01.04ID:BWnnCT6M
大津が東軍に寝返ってるから集結もそう簡単にはいかんぞ。
史実では関ヶ原の合戦と前後して陥落してるけど、当時の人には
いつ陥落するとか予測不能だし。事実上、西軍を分断してるようなものだしな。
城主が京極ってのも地味に困る、あいつ秀頼の叔父だからな。
史実のように力攻めで降伏とかならいいんだが、うっかり戦死させたりすると
秀頼周辺が西軍に対する態度をさらに硬化させてしまうかもしれん。
0663人間七七四年2018/03/24(土) 19:09:53.60ID:Y/MLREow
西軍としては松尾山を扼して中山道を通さない戦術を敷くのが普通だよね。
そうなると東軍は北国脇往還を進軍して木之元宿を通って琵琶湖に出るルートと
南宮山脇を通って伊勢街道ルートで大阪へというルートになる。
いずれにしても大垣城を見捨てるといずれ東軍に位負けするのが見えてるからイチかバチかで関ヶ原で決戦をする事を三成は選んだが
一か八なんてギャンブルをここですべきだったかどうかは議論が分かれると思う。
0664人間七七四年2018/03/24(土) 19:13:48.22ID:Y/MLREow
戦術的に考えると岐阜城を取られた時点で西軍は相当不利だよな
守らなければならない地点が増えて兵の分散を余儀なくされるから。
本来だったら中山道の木曾あたりで秀忠軍を迎え撃ち
東海道からの東軍と合流させないというのが基本戦略だったはずだし。
0665人間七七四年2018/03/24(土) 19:31:42.28ID:qxGFxiYr
>>661
徳川は手紙をだしまくったり黒田つかって調略したりして味方を確定させてから反攻に転じた
同じように決起するまえに西軍はしっかり味方を確定させていなければならなかった
それができないなら決起するのはただの無謀
事前にばれないように伏せるとかそんなものはやれて当然のこと
0666人間七七四年2018/03/25(日) 02:14:41.07ID:QW4Ykmkj
単に三成の動くタイミングが早すぎただけだろ。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動いてもよかった。
上杉は十分準備を整えていたのでそう簡単には負けない。
家康が上杉を攻める前に三成が動いてしまったので、
小山で引き返されほとんど無傷で西軍と戦うことができた。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動き、東に向かえば、
挟み撃ちにできたかもしれない。
0667人間七七四年2018/03/25(日) 02:40:55.82ID:ej/If77o
>>666
昨今の研究では上杉は会津討伐軍が来た途端に土下座予定だったとも言われているので(防御施設を作ってない)、
だとしたら三成の挙兵はむしろ「あそこしかない」タイミングだったと言える
0668人間七七四年2018/03/25(日) 03:37:32.91ID:Ci6w8uZy
>>667
あの時代の上杉家は謙信教団なんで、下手な事したら敵以前に家臣に首取られて終わりな気が
する。
行動原理が利害じゃ無くて、謙信なら如何動くか?だからさ。
確かにあの時代に謙信が生きてたら、必ず家康を討とうとしただろうし。
0669人間七七四年2018/03/25(日) 03:41:06.87ID:tyCRAwXp
あれだけ有名な浪人衆を多数雇って討伐軍が来たと同時に土下座は無いわ
普通に上杉家が破綻するし約束の報酬を支払わなきゃ浪人に寝首かかれかねない
そこまでみっともないこと景勝がするわけない。
0670人間七七四年2018/03/25(日) 04:08:25.58ID:ej/If77o
>>669
逆逆。「討伐軍が来た」から土下座できるんだよ。具体的圧力があってはじめて家中を説得できる。
そもそも景勝は関ケ原合戦が終わるまで「徳川家」とは一切戦わなかったわけで
0671人間七七四年2018/03/25(日) 04:37:22.31ID:GoFkWpCg
戦う気ないんなら雇わないんじゃないの

全滅するまではないにしても
軽く戦おうとするみたいな
0672人間七七四年2018/03/25(日) 04:49:57.24ID:vB4XR4uE
>>669
長尾顕景とはそういう男だと思うけどな、土下座と言う言い方はともかく
みっともなかろうが謙信死後の混乱に乗じて春日山を制圧し、上杉を手中にして秀吉に早々に取り入って上杉家を保った
いい意味で義も糞もない戦国大名としての実力と見識を持ってる
0673人間七七四年2018/03/25(日) 04:53:57.45ID:wFz+gumT
やりあう気がないにしても講和がうまくいくとは限らないんだから
取り合えず戦備はしておけば間違いはないからな
それで相手が面倒だと思って講和してくれればよし
0674人間七七四年2018/03/25(日) 06:06:13.17ID:Rd6PsWmS
そもそも上杉軍と挟み撃ちなんか無理だろう。
だって西軍自体が上杉征伐に向かう途中だった西国大名の兵を足止めして結成されたものだから。
で、上杉征伐はあくまで政権の事業として行うものだから、征伐軍が全員集合するまで多分始めないぞ。
行軍途中で「もう終わったから帰っていいよ」ってなったらその大名骨折り損だし。
0675人間七七四年2018/03/25(日) 07:08:05.85ID:5oJtRq73
>>666
動くの早すぎはわかるけど、上杉準備万端は納得しがたい
むしろ上杉は口ばかりでなんにもやってないイメージ
0676人間七七四年2018/03/25(日) 09:36:08.97ID:tyCRAwXp
革籠原を予定戦場として整備してたと言ってる学者も居るんだが
あれって嘘だったのかのう
0677人間七七四年2018/03/25(日) 09:48:31.68ID:tyCRAwXp
これが全部妄想だったらおじさん泣いちゃう

http://www.orisho.com/img/sengoku_map.jpg
http://www.kaigo-hiwada.com/image/kawagohara.jpg
http://cdn.mkimg.carview.co.jp/minkara/spot/000/000/728/183/728183/728183.jpg?ct=1a7e80659b1a
http://japanesecastles.web.fc2.com/k11.png
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/017/624/19/N000/000/001/125253557535416220763_P1050805.JPG
0678人間七七四年2018/03/25(日) 10:45:49.56ID:0AsdrnLI
上杉の動きには不可解な部分もたしかに多いけど、土下座予定はさすがにないと思う。
選択肢のうちにはあったかもしれんが。
城砦の普請や守りを堅めよとか、やる気のない者は去ってよしとかの書状が残ってるわけだし。
0679人間七七四年2018/03/25(日) 11:13:03.92ID:u0b2jAKI
とにかく、全力で豊臣家崩壊を目論む秀次残党グループを潰す以外に
なかった。池田輝政、細川忠興、田中吉政らのグループの活動をだれも
止められなかったのが最大の敗因。彼らこそ完全無欠な謀反人だからな。

なお、福島正則は晩年、「池田(輝政)、細川(忠興)、田中(吉政)、
堀尾(吉晴)ら豊臣家崩壊を目論む秀次の残党に騙され、忠臣の石田三成を
敵に誤認し討ったのは自分の不明」と再三口にしている。
0680人間七七四年2018/03/25(日) 11:22:26.65ID:u0b2jAKI
ついでに、三成のために弁護しておくと、三成は秀次事件の際に池田輝政が
秀次の残党に担がれ、田中吉政が扇動能力に長けており、将来秀頼に対し
良からぬことを企むであろうと予測していた。
秀次事件の際、池田輝政、田中吉政も木村重これ、前野長康同様族滅する
よう秀吉に再三要請したが、受け入れられなかった。
0681人間七七四年2018/03/25(日) 11:31:30.73ID:eUU9FNAf
三成は秀次と親交があった大名に対するホロコーストを主張していて
秀次一族だけでなく彼らに対しても妻子もろとも虐殺を主張していた
三成の過激な言動は秀次派ではない大名にも脅威を与えてしまい
加藤・福島を始めとして家康に権力を握らせてでも三成を排除しなければいけないという危機感を生み出した
三成の過激な虐殺主義が豊臣を崩壊させたといえるね
0682人間七七四年2018/03/25(日) 11:35:25.24ID:tyCRAwXp
三成は秀次と親交があった大名に対するホロコーストを主張していて

↑これって何かの書物に書いてあるの?
0683人間七七四年2018/03/25(日) 11:36:20.00ID:CoeRJZQg
すげえ妄想
0684人間七七四年2018/03/25(日) 11:43:04.90ID:tyCRAwXp
ちなみに田中吉政は三成の親友で
彼を秀吉に推挙した人物が三成と言われてるんだろ
0685人間七七四年2018/03/25(日) 12:08:47.12ID:u0b2jAKI
>>684
田中吉政と石田三成は出身は近いが宿敵。
田中吉政は秀次派完了のリーダ的役割をしており、石田三成と
秀次存命時から敵対していた。
0686人間七七四年2018/03/25(日) 13:50:58.24ID:OFwJFg4A
小早川秀秋がはじめからはっきり東軍だった場合、
西軍はどういう戦略になったのだろう?
0687人間七七四年2018/03/25(日) 14:09:25.16ID:TAIA6u3F
>>686
はじめってどの時点?
続々と西軍諸将が大坂に集結してるところを
小早川秀秋がその西軍を攻撃するの?
0688人間七七四年2018/03/25(日) 14:17:54.77ID:OFwJFg4A
>>687
関ケ原のスレだから、布陣した時点での話
0689人間七七四年2018/03/25(日) 14:20:51.14ID:tyCRAwXp
>>688
それだったら暗殺、もしくは強襲しかないね。
松尾山から追っ払わないと補給線を絶たれ西軍は飢え死にする。
0690人間七七四年2018/03/25(日) 15:03:30.16ID:TAIA6u3F
>>688
9月14日時点でそうなっても既に西軍の勝算は極めて薄い。
局地的に見るなら松尾山の小早川秀秋と山中村の大谷勢が関ヶ原で対峙、赤坂と大垣でも対峙、
それらに対し東西両軍がどう動くかだが、
西軍のより劣勢が強くなるだけだと思うが。
0691人間七七四年2018/03/25(日) 15:17:05.27ID:AsHjC9ct
>>686
はっきり東軍だよ
なんとか西にきてくれと言ってただけだから
0692人間七七四年2018/03/25(日) 15:17:55.84ID:AsHjC9ct
そもそも西軍の連中おいたてて松尾山に布陣してるんだから
0693人間七七四年2018/03/25(日) 15:27:51.56ID:GoFkWpCg
伏見前後なら強襲して粉砕する
0694人間七七四年2018/03/25(日) 15:46:20.90ID:tyCRAwXp
秀秋が佐和山城の目の前の高宮で長期滞在していた時点で石田以外の西軍は
秀秋をほぼ東軍と断定して暗殺を企てたとか小説では描いてあるけどどうだったんだろうね。
0695人間七七四年2018/03/25(日) 15:49:37.64ID:ej/If77o
それこそ西軍は全く一枚岩でないから、動きようがなかったんだろう
0696人間七七四年2018/03/25(日) 15:56:30.39ID:tyCRAwXp
佐和山城を落とそうと虎視眈々と狙ってたというのが正しい認識かと
0697人間七七四年2018/03/25(日) 19:50:50.36ID:sulkWxKB
>>688
もともと布陣してた西軍追い出して松尾山に陣取った秀秋は
史実でも布陣した時点から東軍だったのと大して変わらんかと
わざわざ開戦から名乗る利点が無いから西軍と言ってただけで
大谷もはじめから疑ってかかってるし
0698人間七七四年2018/03/25(日) 23:14:47.44ID:eUU9FNAf
秀秋からすれば石田や大谷なんて召使いも同然の存在だろ
石田や大谷が我が物顔で仕切って命令してくる西軍に不快感を抱くのは仕方がない
石田や大谷は秀吉時代の感覚を引きずり礼儀作法をまったく理解していなかった
秀秋に限らず秀吉時代のやり方がいつまでも通用すると勘違いしていたのが敗因だよ
0699人間七七四年2018/03/25(日) 23:26:41.90ID:STIDVoTE
そうそう
大谷が目を離せない時点でそもそも味方とおもってないわけで。
東軍そのものである小早川
未練たらたらの西軍
そんだけの構図
0700人間七七四年2018/03/26(月) 00:04:31.47ID:C0ezcu5+
>>642の続きだが、所領も考慮して再考してみた。

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。
0701人間七七四年2018/03/26(月) 00:40:08.57ID:h6mgHXfb
もうグダグダだよな。
最初から松尾山は伊藤盛正だけに任せず
宇喜多秀家か大谷吉継のどちらかに占拠させておくべきであった。
北国街道は石田と島津だけで守り、討死覚悟でやるしかなかった。
0702人間七七四年2018/03/26(月) 00:52:31.26ID:w6qc7/3w
やっぱし、即攻で東海道抑え無かったんが響いた感じだよね。
正直、伏見城なんか放置して直ぐに清須城まで抑えるべきだったんでは?
仮に落とせずとも清須の兵糧を焼けば東軍の西上作戦は無理なのでは?
0703人間七七四年2018/03/26(月) 00:52:56.27ID:1iWOAZ4Q
>>701
長宗我部盛親がいいんじゃない?
0704人間七七四年2018/03/26(月) 01:04:36.35ID:h6mgHXfb
>>703
長曾我部は伊勢攻めで毛利隊と行動をともにしたりしてなかった?
というか最初から伊勢に派兵した時点で西軍は詰んでたよ。
戦略ミスとしか言いようがない。
0705人間七七四年2018/03/26(月) 01:11:23.22ID:h6mgHXfb
というか関ヶ原の戦いそのものが小早川秀秋の裏切りによって誕生した戦いだしね。
三成は戦の前日までまさか関ヶ原で大合戦をするとは思って無かった。
しかし松尾山が突如、小早川秀秋に占拠されたために大垣城決戦を前日になって諦め
西軍の補給路を確保するために秀秋の軍を塗り込めるように大谷・宇喜多・小西・石田で囲って
戦わざるを得なかったというのが全てだし。
これなら確かに島津が言うように東軍を夜襲すべきだった。
混戦で家康が死ぬ可能性もゼロじゃないし。別に死ななくとも軍を建て直すために東軍が群をわずかでも引けば
再度、小早川・吉川などが西軍へ寝返る可能性も普通にあった。
0706人間七七四年2018/03/26(月) 03:15:16.63ID:Hu8uqAqL
何言ってんだこいつ
0707人間七七四年2018/03/26(月) 06:20:56.79ID:nW+WUhQd
仕込み八割仕上げが二割
それをやれなかった西軍は負けてしかるべし
0708人間七七四年2018/03/26(月) 06:25:07.60ID:q1504hx6
だから、速攻なんかする理由が一つもないんだけど。
なんで上杉征伐軍が崩壊せず短期間で反転してくる事を西軍が知ってるんだよ。
それなら内府違いの条々出す理由ないだろ。敵に自分たちが挙兵した事わざわざ知らせてどうする。
あれは征伐軍の連中もこちらに雪崩をうって味方すると思ったから出したとしか考えられんぞ。
ちなみに万が一に備えろって意見に関しては>>536>>628が自分の意見。
0709人間七七四年2018/03/26(月) 07:09:45.33ID:Hu8uqAqL
速攻は速攻で意味はあるがそもそも西軍には速攻掛ける兵力がない
0710人間七七四年2018/03/26(月) 08:04:47.06ID:Zi6wnZXa
>>700
後、四国に結構派兵している
0711人間七七四年2018/03/26(月) 08:25:54.71ID:1jUpIpig
>>708
なにも表明しなければただの謀反軍。
西軍なりの正当性の表明だろ。
それに絶対の自信を持ち効果が小さかった場合に備えないのは史実以下の愚劣な論。

石田も書状で清洲の福島を説得中、味方すれば
三河に進む、だめなら伊勢方面隊といっしょに攻める、味方しなかった場合の想定はしてる
0712人間七七四年2018/03/26(月) 08:28:11.41ID:1jUpIpig
>>709
実際の問題はそこだと思う。
0713人間七七四年2018/03/26(月) 09:12:32.72ID:h6mgHXfb
>>709
総兵力は東軍より西軍の方が圧倒的に多い
0714人間七七四年2018/03/26(月) 09:37:12.53ID:aNMrQJWo
烏合の衆、やる気なし
0715人間七七四年2018/03/26(月) 09:58:45.01ID:1jUpIpig
>>713
まともに運用できる兵力は西軍のほうが少ないと思うが。
0716人間七七四年2018/03/26(月) 10:00:32.03ID:h6mgHXfb
総大将の毛利がまるでやる気の無い事が西軍の指揮を下げたんだろうな
最初は増田、長束もやる気満々だったみたいだが
輝元が入城した直後からやる気を無くしてサボタージュし始めたし。
0717人間七七四年2018/03/26(月) 10:06:57.44ID:h6mgHXfb
でも三成って同僚の五奉行や五大老から「こいつは優秀なヤツ」とハッキリ認識されてたんだろうな
無役の三成に説得されて増田、長束、宇喜多、毛利もすぐにクーデター参加を決断したというのは
「こいつならできるだろう」「三成ができるというなら信用に値する」と思わなきゃ動くわけがないし。
0718人間七七四年2018/03/26(月) 11:58:55.85ID:8bALC87e
>>708
そうだよ。だから西軍は豊臣恩為を掲げた。それなら絶対勝てるから。
この時点では豊臣恩為は家康でさえ否定できない絶対的な言葉だから。
しかも大坂城と秀頼を抑えた絶対的な状況でね。はっきりいうがこれなら勝てるよ、普通。
そしてもう一度いうが、効果が小さいことに備えることは論外。
なぜならそれは豊臣恩為の言葉を疑うことになるうから。その言葉に効果がないと認めることは
豊臣に何の力も権威もないと認めるようなものだからだ。西軍が豊臣を無力と断ぜると思うか?
ちなみに豊臣恩為の概念が揺らいだらどうなるかは史実の毛利が証明している。
豊臣恩為の言葉を疑ってしまったら最後、西軍は自壊する。日和見、寝返り、そして崩壊だ。
だから、効果が小さいことに備えるのは『あり得ない』
0719人間七七四年2018/03/26(月) 11:59:51.37ID:8bALC87e
あ、ごめん。>>711ね。
0720人間七七四年2018/03/26(月) 13:08:30.40ID:7EhYyjjq
>>718
「絶対勝てる」という根拠にはならない。

味方につくかどうかが実質的な部分。
大老筆頭家康につくか、上方の西軍につくかは諸将が決めること。
0721人間七七四年2018/03/26(月) 13:12:13.25ID:7EhYyjjq
おおかたは、「勝てるほうにつきたい、勝つのはどちらか」が判断基準で、
この場合、豊臣がどうとかは判断の優先部分ではない。
0722人間七七四年2018/03/26(月) 13:34:24.02ID:QHr94hIe
でも豊臣が指示声明するかも知れないし…
0723人間七七四年2018/03/26(月) 13:48:39.24ID:ZuXWAT1V
>>717
三成の誘いにのったわけではないと思う
0724人間七七四年2018/03/26(月) 13:50:35.07ID:ZuXWAT1V
豊臣の方も腹がすわってなかったからな
日和見すぎる
0725人間七七四年2018/03/26(月) 14:08:33.77ID:Az2wJy5E
>>718
豊臣恩為という論で行くなら
豊臣政権で事実上失脚した三成に本来発言権はない
あくまでクーデターだという認識が三成本人に無かったとしたら勝てるわけないな
0726人間七七四年2018/03/26(月) 15:25:28.25ID:w6qc7/3w
>>708
カエサルの際は賽は投げられたが一番参考に成らんかね?
あの時、カエサルが直ぐ使える兵力は一個軍団6000、勿論ガリアから移動させる事は出来るけど
その場合に元老院から反乱軍扱いされてどの程度の軍が従うのか?
カエサルがやったのは、大隊「600」単位で分散させて即攻でローマを落とす事、そんでポンペイウスの
支持基盤の中部イタリア、南部イタリアを制圧する事。
あそこで時を費やすと、元老院派はイタリアで新軍団編成してカエサルを迎撃するのは確実だしね。
つまり、ローマ制圧で大義名分を五分にして、相手の支持基盤も占領したから二ヶ月で
イタリア制圧が決まったんよ。
但し、元老院派の勢力は東地中海一帯だから結着はギリシャで野戦だけど。

問題はさ、情報が混乱状態で豊臣家恩為で西軍が伊勢、美濃、尾張、三河って現れたら本気で籠城とか
する奴居るのかな?
0727人間七七四年2018/03/26(月) 18:30:00.33ID:Cd7faj4i
>>726
逆。西軍視点では混乱が続くと困る。これは一種のクーデターだから。
彼らは徳川抜きでの政権運営をしたいんだから、まずは情勢を落ち着かせたい。
混乱を収拾するのが遅れると「やはり徳川がいないと…」って話になりかねないから。
となると、普通は手の届くところからという話になるからまずは近畿の完全制圧になるのは当然。
要は伊勢に軍勢派遣だ。少なくともそこより東海道優先はありえん。
これに対し、東軍は情勢が固まってしまうと困る。特に家康はこのまま黙ってみていた結果、
家康無しで政権運営出来そうだと豊臣家に思われると困る。つまり、西軍は足固め優先で東軍は速攻優先になる。
で、西軍は徳川が速攻で戻るのを防ぐために内府違いの条々をばらまいた訳だ。
豊臣御為を掲げれば諸将は強く抵抗出来ないから短期間で大規模反抗出来ぬだろうと考えて。
これは妙手だと思うよ。予測を思いっきり外しただけで。
0728人間七七四年2018/03/26(月) 18:51:59.09ID:DRT/A2WX
関ヶ原を戦場にされた時点でダメだよな
押されてしまいました、という結果をつきつけられているわけで挽回できない
岐阜、犬山、清洲、岡崎を確保して東軍しめだしを徹底できなかった時点でもう勝ちはない
0729人間七七四年2018/03/26(月) 19:16:46.29ID:uMdNtGnG
だから、なんで東海道に色気を出そうとするんだ。まず近畿を落ち着かせろよ。
最優先すべきなのは伏見や田辺、伊勢であって東海道じゃない。
0730人間七七四年2018/03/26(月) 19:33:53.33ID:Hyou/oMC
全くもってその通り
0731人間七七四年2018/03/26(月) 20:17:01.65ID:DRT/A2WX
攻めてくる敵がいるなら街道をおさえる必要はあるだろ
0732人間七七四年2018/03/26(月) 20:18:14.35ID:Yau47kan
同意、というか敗戦しない事だ。
まあ、佐和山のある近江は必要だが。
0733人間七七四年2018/03/26(月) 20:22:48.19ID:mL4AhkKi
>>731
そんなもんはまず近畿を穏便に抑えてからの話だ。
伊勢の情勢が不安定なのに尾張三河まで侵攻してどうする。
街道がどうとかいう話じゃなくて、まず足元を落ち着かせるべきだよ、どう考えても。
0734人間七七四年2018/03/26(月) 20:30:27.19ID:JpKiSPjC
一番の誤算は1日で決戦が終わったことだな
0735人間七七四年2018/03/26(月) 20:44:12.46ID:DRT/A2WX
>>733
そんなわけない
特に今回の関ヶ原前なら徳川の侵入を押さえずしてなんの意味があるんだよ
徳川排斥ならとにかく近畿に徳川いれないようにするのが大前提
0736人間七七四年2018/03/26(月) 20:58:52.82ID:4Ax0zBIT
>>735
なら、なおさら伊勢を抑えないと。そこ抑えないと蓋にならんぞ。
それに美濃には織田秀信がいるだろ。史実ではあっさり陥落してるけど、
そんな簡単に岐阜が落城するとか普通予想出来ん。
というより、上杉征伐軍が崩壊することなく速攻で反転攻勢仕掛けてくるとか予測不可能。
あの時点でそれ予測するってのは、要は西軍首脳部に神になれって言ってるのと変わらんよ。
0737人間七七四年2018/03/26(月) 21:10:54.36ID:h6mgHXfb
三成の行動は全て希望的観測に基づいてのものなんだよな
頭悪いんじゃね?
0738人間七七四年2018/03/26(月) 21:35:20.53ID:DRT/A2WX
>>736
うん、だから西軍のちんたらやってる具合からして話にならんのよ
0739人間七七四年2018/03/26(月) 21:36:13.10ID:DRT/A2WX
>>737
ホントそのとおり
どこらへんに成功する要素があるのかわからんレベル
0740人間七七四年2018/03/26(月) 21:42:17.14ID:h6mgHXfb
司馬遼太郎説を信じるなら三成は狂ったように秀頼出陣、輝元出陣、伊勢方面の西軍の美濃入り
長束へ豊臣家の金庫を全て空けて金銀財宝兵糧を持って来いと手紙を出し続けたが
笛吹けど踊らずで周りが誰一人言う事を聞いてくれなくて負けてしまったというなら可哀想かなと思う。
0741人間七七四年2018/03/26(月) 21:59:20.16ID:DRT/A2WX
三成自業自得
0742人間七七四年2018/03/26(月) 22:01:01.80ID:JpKiSPjC
>>737
みんなー
頭いいのが勝てる作戦考えてくれるってよ
0743人間七七四年2018/03/26(月) 22:02:53.53ID:h6mgHXfb
三成は福島正則だけは西軍についてくれると信じて疑わず何度も西軍に付くよう手紙出したというのも
事実だったら奇妙な感じはする。三成は豊臣家の看板を過大評価してるし他人の心が見えないサイコパス気質だったのかね
0744人間七七四年2018/03/26(月) 22:18:22.75ID:uf9Joi6M
順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。

で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)

しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。

この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。

ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。

なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。

・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。


西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。
0745人間七七四年2018/03/26(月) 22:20:22.74ID:1iWOAZ4Q
清洲城をいきなり陥として、尾張と美濃を壁にしてから以西を西軍に染め上げれば勝てるな。
西からシラミ潰しに城を落とし東上する家康と遭遇したところで行き当たりばったりに決戦したのが敗因。
0746人間七七四年2018/03/26(月) 22:34:37.76ID:4Ax0zBIT
>>745
なんで西軍視点味方に出来る筈の清州を攻撃するんだよ。近畿の制圧も完了してないのに。
つーか、どうして福島が家康に味方する事を西軍は把握してるの?
西軍首脳部は予知能力者なんですか?
0747人間七七四年2018/03/26(月) 23:16:56.17ID:uf9Joi6M
次に尾張、美濃、伊勢について。(西軍側から見て)
まず美濃は今次戦役においては要衝。中山道からの西上を迎撃するなら東濃が最適で、
ここより先で迎撃するなら適所は塩尻、諏訪あたりになる。
また東海道方面へ攻撃あるいは東海道方面からの防御でも美濃から、もしくは木曽川の美濃で、となる。
軍事的には美濃の制圧及び維持は優先順位が高い。

尾張は全ては清洲。清洲を攻略及び(兵力的に)維持できるのなら攻撃する価値はあるが、
できないのならあまり益はない。清洲に5000ほど籠もられたらまず落とせない。兵糧の蓄積があるので
包囲しても意味はほとんどない。大垣・岐阜・犬山・小牧山のラインで清洲と対峙しても
兵力の分散を招くので兵力優勢でなければメリットは薄い。

伊勢は東軍は小戦力しかおらず、東軍の伊勢への進攻可能性も低いので大軍を投入する
メリットは薄い。
しかし桑名は要衝であり、ここの保持は必要。
美濃の保持が前提だが、美濃から伊勢は陸路で行けるが、
尾張から伊勢に大軍で進攻するにはかなりの数の舟が必要だが、
西軍は九鬼水軍、熊野水軍、毛利水軍と水軍戦力では優勢であり、実際毛利水軍は伊勢湾に
派遣されている。
逆に伊勢から尾張に進攻する場合、やはり舟は必要だし、まず長島城を落とす必要があり
(長島無視もありだが後背での妨害活動される覚悟は必要)
そのような手間を掛けるなら美濃から行ったほうが早い。
0748人間七七四年2018/03/26(月) 23:31:57.38ID:Az2wJy5E
実際伊勢に派兵した兵力が丸々無駄になっとるし
結果論とは言え兵力分散の愚を犯してしまってるのは言い訳できんわな
しかも相手は家康、小牧長久手でも遥かに大軍勢の豊臣軍相手に
似た構図の野戦で撃退してる訳で
この地で家康と戦う恐ろしさが理解出来てなさすぎる気はする
逆に家康の恐さを小牧長久手で見せつけられてる池田や福島が
東軍で大活躍してるのはもう皮肉としか
0749人間七七四年2018/03/26(月) 23:42:17.22ID:h6mgHXfb
というか西軍の裏切りというのは岐阜城陥落で起きたのが大半とも言われてるからな
普通に岐阜〜大垣を落とされず固めてれば
畿内方面の裏切り大名も関ヶ原での裏切り大名も誰一人裏切らず何食わぬ顔で西軍として
闘ってた公算が高いだろ。
0750人間七七四年2018/03/26(月) 23:50:45.08ID:Az2wJy5E
そういう連中はよっぽどの勝利を見せないと西軍に積極的に参加はしないでしょ
小早川秀秋辺りは最初から諦めた方がいいレベル
0751人間七七四年2018/03/26(月) 23:57:03.92ID:h6mgHXfb
まあよっぽどの勝利を見せるべきだったな。
ちゃんと兵力集めて岐阜より東でガッツリ勝っておけば
「意外と家康弱くね?西軍裏切ったら俺等、家が取り潰しされるぞ」と思うのが人情だし。
0752人間七七四年2018/03/27(火) 00:18:29.18ID:GWgsp7L2
>>743
頭の良い人は、他人の理解力ってのを過大評価する癖が有ると思うんだよ。
三成の考えでは、福島は御家安泰より秀頼公の安全を優先するから幾ら奉行衆が憎くても
西軍付くと思うたんでしょ。
西軍勝利で奉行衆が増長しても、秀頼公を主君と仰ぐ事実に変わり無い、家康が勝てば最早
秀頼公は飾り物、主君と仰ぐはずが無いってのが三成の考え。

だけど、福島の理解力の無さを理解して無かったとしか。

>>746
清須城には太閤の命令で莫大な軍需品と兵糧が有るからね。福島が何方に付こうと西軍の
兵力を入れる必要有るんじゃないかな。
本丸は明け渡す条件とかじゃ無ければ無条件で攻めて良いくらい。
逆にさ、家康が東海道出るにも兵糧の不安有れば厳しいのでは?
0753人間七七四年2018/03/27(火) 06:36:33.43ID:pPwFBYZs
>>751
清洲城に陣取って士気を上げながら東を睨めばいいよな。
熟柿となった伊勢もすぐさま西軍に馳せ参じるし。
0754人間七七四年2018/03/27(火) 07:05:44.85ID:4WJp5Gt+
なんでそんなに清州に行きたがるんだ。そこまで行く理由がないだろ。それと物資なら西軍視点そんなにはいらんぞ。
西軍は内府違いの条々出しただろ。あれで上杉征伐軍は崩壊して家康は関東から出られなくなり、
諸将はそれぞれ上洛して秀頼に頭下げるか、あるいは国元に帰還して西軍の指示待ちに徹するかって予定なんだから。
早い話が、征伐軍の大規模な反転攻勢自体想定してないと思う。だから、そこまで戦線を広げる必要がない。
ちなみに、もし想定できるレベルで内府違いの条々の効果に疑問があると西軍が認識していたのなら、
毛利はおそらく挙兵に乗らない。史実を見る限りは。
0755人間七七四年2018/03/27(火) 07:28:20.86ID:WI2rfEX0
こうしてみるとやはり伏見城の留守居勢の健闘が光るなあ
西軍はあそこで時間を取られなければもう少し濃尾方面の展開が早くできたのに
0756人間七七四年2018/03/27(火) 08:37:16.12ID:13cMzkoP
いや伏見が持ったのは鳥居元忠の健闘の結果じゃないぞ。
単に西軍の士気が低くて鉄砲しか撃ってなかっただけだ。
0757人間七七四年2018/03/27(火) 08:40:22.68ID:13cMzkoP
正確には士気が低いって言葉も当てはまらない。
集まった諸将は本当に徳川と戦うの?って疑問符が付くくらいだったと思う。
ようやく西軍として機能し始めたのは、毛利が到着してからだからな。
0758人間七七四年2018/03/27(火) 16:02:05.41ID:75RrL5/E
戦国2ちゃんねるには、まことしかいない
監視しているのは一人ではない、と、まことは言っている

このことを踏まえると、まことは、他に誰かいるということに
したいと考えるのが妥当である
0759人間七七四年2018/03/27(火) 18:35:43.12ID:v50P9WZK
そもそも西軍は伏見を制圧する気はあっても大規模な城攻めにする予定なんかなかったんじゃないかな。
伏見って京都における豊臣の政庁だろ、そこをいきなり総攻撃って不味いんじゃないか?
だからなるべく穏便にすませたくてあんなだらだら戦闘が続いたんじゃないの。
ところが鳥居があまりに強情だったんで…みたいな。
0760人間七七四年2018/03/27(火) 18:59:38.17ID:13cMzkoP
豊臣の政庁は聚楽第なんだが
0761人間七七四年2018/03/27(火) 19:05:04.26ID:dHeKTu0y
>>756>>759
いい加減無知を晒さずに>>542読め
水堀をそんなホイホイ突破できるなら大坂城も簡単に落ちてるわw
0762人間七七四年2018/03/27(火) 19:18:11.10ID:13cMzkoP
堀がどうこうって問題じゃなくて、単純に2000人しか居ない城を
数万で攻めたらあっという間だろう。。。
0763人間七七四年2018/03/27(火) 19:41:49.00ID:dHeKTu0y
>>762
お前は無知なのか
なんでお前みたいな無知が戦国板にいるんだよw

大津城の戦い
京極軍3000人 vs 西軍15000人

伏見城の戦い
徳川軍1800人 vs 西軍40000人

長谷堂城の戦い
最上軍1000人 vs 上杉軍20000人

第二次上田城の戦い
真田軍3000人 vs 徳川軍35000人

掛川城や高天神城なんて数ヵ月耐えてるんだぞ
長篠も500人で籠城して15000人の武田軍に攻められても落城しなかった
0764人間七七四年2018/03/27(火) 19:47:53.15ID:13cMzkoP
>>763
そんな戦国史に残る珍しく持ちこたえた例を四つばかし並べてドヤ顔されてもなぁ。
上田の戦いとか、真田昌幸vs徳川秀忠だぞ?相手になるかよ。

秀吉の小田原征伐の時の北条の支城を見ても
大体が難なく落ちてるわ。
0765人間七七四年2018/03/27(火) 20:00:53.73ID:dHeKTu0y
>>764
アホか
秀吉が本能寺の変の教訓から水堀がありガチガチに要塞化したのが伏見城だ
そこらの城とは違う当時の最新の堅城なのも知らんのか
0766人間七七四年2018/03/27(火) 20:03:25.54ID:GI8VgqqX
そもそも第二次上田合戦は無かった
0767人間七七四年2018/03/27(火) 20:15:06.74ID:NGA+oPUy
>>759
西軍の無能さを、証明してるよねえ
0768人間七七四年2018/03/27(火) 20:17:29.27ID:dHeKTu0y
>数万で攻めたらあっという間だろう。。。



>真田昌幸vs徳川秀忠だぞ?相手になるかよ。


数万で攻めたらあっという間の数の利はどうした?
大将の質なら西軍も質が悪いから伏見城をすぐ落とせる理論は崩壊するが?
0769人間七七四年2018/03/27(火) 20:19:20.70ID:9o7roglX
伏見城についてレスしようとしてたら思いついた。伏見城を史実より早く落とす方法。

西軍は何度も城を明け渡すよう伏見に使者を送ったがすべて断られたので、
攻城したようだが、1〜2回断られた時点で攻城開始してればその分数日早く落城したんじゃないかな?
西軍の伏見周辺への兵力集結状況がわからんのでなんとも言えんが。
0770人間七七四年2018/03/27(火) 20:25:19.18ID:9o7roglX
ごめん、早くなってもせいぜい2日だね。あんま変わらんわ。
0771人間七七四年2018/03/27(火) 20:30:40.26ID:dHeKTu0y
>>769
伏見城は早くから籠城準備して
西軍が来る前に奉行衆の屋敷にある物資を使えなくするために火を放ってるからな
伏見城以前の西軍は大坂城占拠と人質収監してるからほぼ無理
0772人間七七四年2018/03/27(火) 20:32:32.44ID:dHeKTu0y
同じこと言ってるから同一人物だろうけど
早く半日で伏見城を落とす方法を答えろよ

516:人間七七四年 2018/03/18(日) 14:54:14.03 ID:ZmesIrCz
伏見を速攻で落としてれば状況は変わる
鉄砲ばっか撃ってないでさっさと槍入れてれば半日で落ちる

756:人間七七四年 2018/03/27(火) 08:37:16.75 ID:13cMzkoP
いや伏見が持ったのは鳥居元忠の健闘の結果じゃないぞ。
単に西軍の士気が低くて鉄砲しか撃ってなかっただけだ。
0773人間七七四年2018/03/27(火) 20:41:11.44ID:dHeKTu0y
戦の基本は弓、鉄砲、投石等の飛び道具や遠距離攻撃から始まる
ほとんどの死傷者数の損害も飛び道具や遠距離攻撃
水堀もあるのに最初から槍を入れるとか
西軍は空を飛べるのか?w
くそ笑えるw
0774人間七七四年2018/03/27(火) 20:53:28.14ID:9o7roglX
>>772
わたしのこと? それわたしじゃないよ。伏見城の攻城期間自体は史実より短くするのは難しいんじゃない?
早く攻城して早く落城すれば美濃・尾張方面で優位な展開になるかと思ったけどせいぜい2日では
あんま変わらんかなと。
0775人間七七四年2018/03/27(火) 21:25:20.04ID:pPwFBYZs
>>771
つまり城を攻めるのではなく心を攻めるんだよ。
木下さんに退去しないよう説き伏せて伏見城を純化させない。
押し問答しているところを西軍が押し寄せてあらよっと一丁あがりで伏見落城だ。
0776人間七七四年2018/03/27(火) 21:41:22.97ID:dHeKTu0y
>>775
これほど意味不明で中身がなく幼稚な話は戦国板でも見たことないわw
ちなみに木下さんは鳥居に西軍に小早川秀秋がいることと籠城に邪魔だからで退去させられたんだから木下を説き伏せるも何も意味がないし
できるやつもいない
0777人間七七四年2018/03/27(火) 21:53:16.90ID:pPwFBYZs
>>776
木下さんが退去させられなきゃいいだろ。
木下「いいや俺は退去しない」
木下勢と鳥居勢が押し問答するところにスルスルと城門から突入して背後を襲う。
あらよっと一丁あがり伏見落城。
0778人間七七四年2018/03/27(火) 21:54:54.61ID:dHeKTu0y
>>777
馬鹿だなw
伏見城は徳川の兵ばかりなのにw
押し問答さえ発生しないわw
0779人間七七四年2018/03/27(火) 22:06:39.44ID:pPwFBYZs
>>778
徳川勢はたったの1800だろ。
木下勢は伏見内の適当な要害に立て籠り対峙するだけでいい。
徳川勢が木下勢相手に攻城戦など始めれば大阪から西軍が長駆、
数多い伏見の全ての門に襲いかかりあっという間に乱入し、あらよっと一丁上がりで伏見落城。
0780人間七七四年2018/03/27(火) 22:12:18.24ID:dHeKTu0y
>>779
史実で実際に鳥居に邪魔だから退去させられてるのに何を言ってんだw
ちなみに木下さんは退去させられた後は我関せずで高台院の元に逃げている
木下は西軍でも無いのにアホだなw
誰でも洗脳&調略できるなら福島正則辺りを調略しとけ
むしろ家康を洗脳しろよw
0781人間七七四年2018/03/27(火) 22:15:35.27ID:Dzwd/9dQ
天さん!僕の超能力が効かない!
0782人間七七四年2018/03/27(火) 22:20:13.19ID:dHeKTu0y
ID:ZmesIrCz
ID:13cMzkoP
ID:dHeKTu0y
西軍には空を飛べるガンダムと誰でも洗脳できる催眠光線銃があるらしいね
これなら間違いなく勝てるなw
0783人間七七四年2018/03/27(火) 22:22:40.13ID:pPwFBYZs
>>780
いやここ、どうすれば西軍が勝てたかスレだから。
高台院がこうすれば勝てた。
高台院「伏見攻防こそが此度の切所。孝蔵主、この書状を伏見へお願いいたします」
木下「なんと、伏見にて堅守をお命じか。かくなる上は意地でも退去しないっ」
ハイ、鳥居と木下の押し問答開始。
押し寄せた西軍の大軍が鳥居勢の背後を襲って、あらよっと一丁上がり伏見落城。
0784人間七七四年2018/03/27(火) 22:23:23.63ID:dHeKTu0y
ID一つ間違えた
ID:ZmesIrCz
ID:13cMzkoP
ID:pPwFBYZs
西軍には空を飛べるガンダムと誰でも洗脳できる催眠光線銃があるらしいね
これなら間違いなく勝てるなw

西軍のMSは化け物か
0785人間七七四年2018/03/27(火) 22:26:55.70ID:WI2rfEX0
もうあれだな
現代人がタイムスリップして西軍助けたほうがいい
0786人間七七四年2018/03/27(火) 22:27:26.67ID:dHeKTu0y
>>783
なるほど高台院を催眠光線銃で洗脳するのかw
福島正則も加藤清正も寝返らせることができるわけですね^^
0787人間七七四年2018/03/27(火) 22:30:54.56ID:pPwFBYZs
>>784
木下勢が伏見城内で踏ん張ればMSなんかいらないよ。
要は伏見城内を純化しない。
木下勢が鳥居勢と睨み合いになれば対西軍防御に手が回らず落城だよ。
0788人間七七四年2018/03/27(火) 22:36:18.20ID:dHeKTu0y
>>787
西軍じゃない木下を洗脳するには催眠光線銃が必要だけどな
0789人間七七四年2018/03/27(火) 22:39:17.61ID:pPwFBYZs
>>786
高台院が徳川びいきなんて、徳川が自らを正当化するための言辞に過ぎないでしょ。
高台院は石田治部とも仲が良いし、福島正則は高台院とは疎遠だよ。
大坂の陣では大坂城に陣取って徳川との交渉に当たらんと大坂に向かったが、
高台院は鳥羽で遮られたぐらいだ。
0790人間七七四年2018/03/27(火) 22:45:29.50ID:dHeKTu0y
>>789
関ヶ原では淀も高台院も西軍に非協力的で家臣の争いにしか見てねーよ
淀なんて特にな
高台院は家臣の争いの仲裁役しかしてない
0791人間七七四年2018/03/27(火) 23:16:24.25ID:f/aS1Hwm
2018/03/27(火) 22:45:29.50 ID:dHeKTu0y [15/15]
0792人間七七四年2018/03/27(火) 23:22:26.76ID:AT+DLp8a
まあ確かに、何らかの作用で木下勝俊が伏見城内に残ってしまえば、
鳥居元忠と松平近正だけで排除は難しいな。
本気でやり合うとバーサーカー木下一族の全力を発揮してくるからヤバい。
弟の小早川秀秋も、明の大軍相手に蒲生氏郷ばりに先頭切って槍を入れて快勝した豪傑だから間違いない。
結局家康も木下一族を潰せずに日向に残して機嫌を取ったものな。
0793人間七七四年2018/03/27(火) 23:30:28.84ID:dHeKTu0y
>>792
その木下さんは鳥居から退去させられた後は高台院の元に逃げ込んで我関せずでやる気無し
退去後はやる気無かったから家康に激怒され改易だけどな
大坂の陣でもやる気無くて我関せず
バーサーカー?誰が?w
0794人間七七四年2018/03/27(火) 23:33:38.75ID:pPwFBYZs
木下が「いい俳句が思いつきそうだ」とか言って、
のらくらと毛利秀元の空弁当みたいな理屈で伏見城内に居座ればいいじゃん。
正面切って闘う姿勢ではなく型通りの防戦程度の構えなら、
徳川の将兵だって高台院の甥っ子を襲うの躊躇するでしょ。
西軍なんか来なくて、上杉を成敗して無事帰ってきた家康の前に木下の首なんか供えたら切腹ものだ。
0795人間七七四年2018/03/27(火) 23:40:52.33ID:dHeKTu0y
>>794
その木下さんは戦意が低かったので
鳥居に邪魔だと退去させられたんですよ
分かりますか?
終始我関せずで戦意が低く、西軍でもないのに家康率いる東軍に逆らうには
もう催眠光線銃で洗脳するしかないんですよw
0796人間七七四年2018/03/27(火) 23:46:40.52ID:9o7roglX
その木下の兵力はわかるの?鳥居以下は2300でしょ、木下は?
0797人間七七四年2018/03/27(火) 23:48:11.75ID:lijS6goM
>>793
徳川方に求められたから退去したのにそれを理由にやる気無しと責めて改易とか無茶苦茶だな。
これホントは高台院が家康撃滅に立ち上がっていたんじゃないか?
その扇の要が木下勝俊ならば、まさか秀吉の正妻を罰することは出来ないから関ヶ原後に木下勝俊を改易することで全てを済ませたのは辻褄が合う。
0798人間七七四年2018/03/27(火) 23:50:52.51ID:8kDst4Rd
>>797
結局なにもできず改易されたって事じゃw
0799人間七七四年2018/03/27(火) 23:54:49.23ID:dHeKTu0y
>>797
伏見城から退去しても東軍として家康に合流して
京や伏見城の状況報告とか東軍としての行動もせず
高台院の下に逃げ込んで我関せずしてたから激怒されて改易
元から戦う気が無かったから仕方ない
0800人間七七四年2018/03/27(火) 23:56:28.43ID:pPwFBYZs
>>795
木下が終始我関せずで戦意が低いなら、なんでそんな必死になってるんだよ(笑)
西軍な訳でもなく風流に俳句を捻ってるだけなら放っておけよ。
俳句を捻ってるだけなら家康に逆らってもいないしな。
0801人間七七四年2018/03/28(水) 00:00:32.06ID:kOe9JtZN
>>800
木下さんは戦う気ないから城に籠っても仕方ないからね
鳥居に邪魔だと言われたらスゴスゴと高台院の下に行くだけでしょ
鳥居に邪魔だと言われて伏見城に留まる理由がない
洗脳しない限りね
0802人間七七四年2018/03/28(水) 00:11:17.71ID:ioZeAT8I
>>799
理屈が無茶苦茶でしょ。
東軍として活躍というなら畿内唯一の拠点で堅城の伏見城でそのまま防衛を担当させてくれないと。
数万の小早川秀秋でさえ関ヶ原まで西軍のフリをするしかなかったのに、
木下勢に退去しても東軍として家康に合流しろなんて空理空論もいいとこ。
東軍の旗を掲げて移動したら京周辺で壊滅しない訳ないよ。
高台院の警備しか行き場は無い状況だ。
0803人間七七四年2018/03/28(水) 00:16:37.98ID:kOe9JtZN
>>802
はあ?
史実で実際に鳥居に退去させられて
その後に高台院の下に逃げて我関せずで何もしなかったのが事実


>理屈が無茶苦茶でしょ。

西軍として戦った史実もないのに西軍として伏見城に留まるほうが理屈として無茶苦茶だ
0804人間七七四年2018/03/28(水) 00:18:57.11ID:ioZeAT8I
>>801
木下侍従が無礼者と鳥居を一喝すればいいだけっしょ。
木下侍従の位勝ちってやつだな。
0805人間七七四年2018/03/28(水) 00:23:31.92ID:kOe9JtZN
>>804
城代を命じたのは家康で木下さんは鳥居に退去させられてる事実に反して無礼者?
※木下さんは西軍ではありません。
0806人間七七四年2018/03/28(水) 00:29:50.73ID:SU9pyTsK
>>804
で、木下勝俊の兵力は?
0807人間七七四年2018/03/28(水) 00:30:11.46ID:ioZeAT8I
>>803
東軍が唯一拠れる孤島の伏見を追い出して行き場をなくしておいて酷いな(笑)
なんとか行けるのは高台院の所だけでしょ。逃げたなどと言いがかり。
伏見を追い出された木下侍従を東軍方の大津や関氏の留守城が迎え入れる訳ないよ。
0808人間七七四年2018/03/28(水) 00:45:56.65ID:kOe9JtZN
>>807
家康は居留守に鳥居元忠伏見城を預けている
城を枕に討ち死にせよという命令を受けてるわけではないので
京の異変を報告、東軍としての行動をしなくて我関せずにしてたから改易されたんだよ
何回も言うが
敵前逃亡と言われても仕方ない
0809人間七七四年2018/03/28(水) 01:06:16.89ID:q5a/DxDX
>>808
しかし惨い命令だよね。籠城しても落城は避けられない、でも数日で落城すると西軍に勢いが
着くから出来るだけ持たせろだもん。
鳥居とか徳川譜代で固めたのは、開城派を入れると簡単に落城だからだろうし。
確実に死ぬって命令だから、徳川譜代じゃないと逃亡するよなあ。
0810人間七七四年2018/03/28(水) 01:40:46.90ID:xvMEklvX
ID:dHeKTu0y は酷いな〜 久々にガイジ見た
0811人間七七四年2018/03/28(水) 08:32:42.14ID:2gqzkjO1
伏見城なら兎に角、元忠らを退去させる方法を考えるべきだろ
家康の妻を捕らえて交渉材料にするとか
0812人間七七四年2018/03/28(水) 08:56:03.30ID:ioZeAT8I
>>808
具体的にどこを根拠地に「京の異変を報告、東軍としての行動」なんて出来るのさ?
東軍でございと木下軍がうろうろしてたら西軍に血祭りに挙げられるだろ。
お前がネカフェを根城に街をブラつくようなレベルで発言すんなよ。
単独でも上方で顔も名も知れた木下勝俊が西軍相手に潜める場所なんか有る訳ないだろ。
城を枕に討ち死にせよという命令を受けてるわけではないどころか、
絶望的な切り死にしかない追い込みかけてるじゃん。
敵前逃亡呼ばわりなどとんでもない、高台院の所以外に木下勢の生存ルートなどない。
0813人間七七四年2018/03/28(水) 09:38:06.28ID:kOe9JtZN
>>812
何を言いたいのかわからんが論点は
戦意が低く戦う気が無いから命欲しさに高台院の下に逃げ込んで我関せずをかました木下さん
大坂の陣でも我関せず

そんな奴が>>779のいう通りに急に家康に逆らって西軍として鳥居に対して敵対行為でやる気だして
伏見城内で徳川に対して籠城するとか言ってるのを
お前がいう「理屈が無茶苦茶でしょ。」
史実で実際に戦意が低くてやる気なかったから鳥居に退去させられたのにw

木下さんを催眠光線銃で自分が西軍の勇猛な武将だと思い込むように催眠洗脳したのかとw
0814人間七七四年2018/03/28(水) 12:55:29.38ID:ioZeAT8I
明確に西軍の主力だった大名も減封で済んだ家が様々有るのに、
徳川の申し入れに従い伏見城を退去するという徳川からすれば殊勝な振る舞いにも関わらず、
無造作に改易とは奇妙な話だよな。
実は何か徳川にとって痛いことをやってたんではあるまいか。
0815人間七七四年2018/03/28(水) 15:32:13.16ID:ioZeAT8I
家康許すまじの旗を振ったのは恐らく高台院。石田治部はその意を汲んで動いただけ。
連絡役が木下勝俊。
この方が西軍が膨らんだ理由も木下勝俊改易も納得出来るわ。
0816人間七七四年2018/03/28(水) 15:57:32.38ID:kOe9JtZN
>>814
伏見城の戦いで佐野吉綱は減封処分されてるけどね
大坂城西の丸の留守居として守りだったが、西軍の大坂占拠時に
西の丸の明け渡しを条件に家康側室の阿茶局、お勝の方、お万の方を連れ
側室らを知人に預けて伏見城に入城して鳥居元忠らと共に討ち死にした
戦後に家康は側室の守護という使命を放棄して功名心から勝手な行動をとったとして綱正の行動を評価せず、
綱正の子である吉綱の減封
本人が戦死して徳川譜代だったのもあり減封で留まった
普通に見てナイス判断だったが側室警護を放棄して
功名心で勝手に伏見城に入城したから家康が認めなかった

また、日根野吉明は本戦を通じ一貫して東軍に付いており、特に当人に落ち度はなかったが下記の理由を元に戦後に所領を減らされた上で転封を命じられた。

鳥居に退去させられたが、そもそも木下さんは自身の命欲しさに戦意が低く
やる気がなかったから退去させられたのが原因だから
その落ち度を家康に責められた
0817人間七七四年2018/03/28(水) 16:09:18.15ID:kOe9JtZN
>>815
木下家定は大坂城から離脱して高台院警護をしている
こっちはちゃんと陣を敷いて近付けないようにしたから
家康に認められて本領安堵

高台院が西軍で木下勝俊が連絡役?
歴史にないことを勝手に妄想してるけど頭大丈夫か?
高台院の一番近くにいた高台院警護していた木下家定は中立を保ち所領安堵だぞ?
0818人間七七四年2018/03/28(水) 16:40:22.75ID:kOe9JtZN
言葉が抜けてた>>816で伏見城入りで戦死したのは佐野綱正な
0819人間七七四年2018/03/28(水) 17:15:44.46ID:ioZeAT8I
>>817
そりゃそんな記録残しっこないでしょ。
秀吉の未亡人と昵懇の徳川家康が禅譲的に受け継いだような雰囲気作りで徳川政権を始めた訳だしさ。
徳川家中の佐野家の扱いと西軍につかなかった家康に敵対しなかった木下勝俊の処遇は無関係だ。
0820人間七七四年2018/03/28(水) 17:26:38.77ID:RFSrHx0D
相変わらず妄想を根拠にする
0821人間七七四年2018/03/28(水) 17:40:59.71ID:L+xl10+N
基本的に大名の所領は軍役負担の為に与えられたものだからな
義務を果たさないあるいは果たせる見込みがなければ没収されても仕方ない
0822人間七七四年2018/03/28(水) 17:46:00.66ID:kOe9JtZN
>>815
>家康許すまじの旗を振ったのは恐らく高台院。石田治部はその意を汲んで動いただけ。
>連絡役が木下勝俊。


お前のこんな妄想より歴史に残ってる史料を信じるのは当たり前の話だ
0823人間七七四年2018/03/28(水) 18:25:19.47ID:V0Suy03P
真実スレでやれ。
0824人間七七四年2018/03/28(水) 18:46:16.76ID:CAJ87jST
瀬名や信康を平気で見捨てるどころか進んでポイ捨てした家康サンは他人には無茶ぶりを要求w
0825人間七七四年2018/03/28(水) 19:02:54.61ID:rCbEz5LJ
クーデター未遂で粛清
0826人間七七四年2018/03/28(水) 19:04:51.12ID:a/T+0yH0
>>667
>>670
あえて、釣られるが、
直江がわざわざ土下座をするために家康を挑発をする直江状を家康のみならず諸大名にも
送るわけないだろう。
当時上杉は隣国に伊達、最上がいるから遠方まで攻め込むことはできない。
なので、第一次・第二次の真田ではないが、家康に攻め込ませておいて、そこを叩くしかない。
わざわざ家康だけでなく諸大名にもこの挑発上を送ったのは家康が攻めざるをえないように
するためだ。
家康を来させて土下座なら、領地減らされてもおかしくない。領地を減らされるために、
家康を挑発するようなものだろ。
0827人間七七四年2018/03/28(水) 19:14:43.02ID:IQpwJdCi
利家と対立時に家康についたものも多いから
相当体制づくりがうまかったんだろうね
0828人間七七四年2018/03/28(水) 19:31:05.94ID:CAJ87jST
家康パイセンは謀反なんかじゃなく,うぜえと自分の権力の邪魔や仲違いからでこの件を利用して排除しただけなのにw
0829人間七七四年2018/03/28(水) 19:33:42.65ID:IQpwJdCi
結局正義も大切だけど実力者に従うのも多いね

安倍総理 あ、あああああああああ
0830人間七七四年2018/03/28(水) 21:29:28.81ID:Yg+vE2wR
三成が正義を掲げて毎度のように関白や筆頭大老の命を狙い続けるテロリストだったからね
独善的な正義を打ち破り実力者に安定的な政治をさせようというのは
当時の状況を考えれば当然の流れだよ
0831人間七七四年2018/03/28(水) 21:33:43.66ID:ioZeAT8I
>>830
三成がそんな奴なら秀次旧臣が三成に仕官してるのはおかしいだろ。
わざわざ軍勢で迫り関白を追い詰めたのは福島正則でしょ。
0832人間七七四年2018/03/28(水) 21:38:59.70ID:Yg+vE2wR
わざわざ聚楽第に乗り込んで秀次を謀反人として糾弾したのが三成でしょ
だから秀次と親交があった大名や側近のうち何とか処刑を免れた大名は
みんな東軍について三成への復讐を果たしたわけだし
正義を掲げて豊臣を混乱させ続けた三成を討つのは日本の安定統治には不可欠なことだった
0833人間七七四年2018/03/28(水) 21:39:48.24ID:oyt2OxoL
>>831
秀次旧臣は主に池田輝政の下に集まるか、秀次の残党が集まる三河、
遠江、駿河経由で家康の下に行ったか。
石田のような主君の仇に集まるわけがない。中には一部いたかもしれんが。
0834人間七七四年2018/03/28(水) 23:47:25.11ID:xvMEklvX
いっつも変な奴が湧いて秀次の話し始めるよなw
この流れもう飽きたよ
0835人間七七四年2018/03/28(水) 23:59:39.96ID:CanFh1/p
ほんとそうだよ
さすがに関ヶ原と秀次は無関係すぎるw
0836人間七七四年2018/03/29(木) 08:02:33.19ID:IQbtgHGI
>>830とかな。
0837人間七七四年2018/03/29(木) 09:32:10.65ID:0h76c1cX
まことは、オレ様の知識の粗捜しをしたいだけで質問の的を得ない
だから、この56歳ニートの質問は、矛盾だらけであった
0838人間七七四年2018/03/29(木) 20:18:02.20ID:k87VwudO
>>835
三成が豊臣を乗っ取るために内々の儀を任された利休や関白を継承した秀次を謀殺して
豊臣乗っ取りの最後の総仕上げとして三成が仕掛けたのが関ヶ原だから
無関係とは言えないだろ
0839人間七七四年2018/03/29(木) 20:44:26.90ID:7V7gmSnp
驚くような粘着、そして頭の悪さ
0840人間七七四年2018/03/29(木) 21:01:39.56ID:Bvhw81TL
ガイジ相手にするなよ
0841人間七七四年2018/03/29(木) 21:57:44.12ID:wY4T3Xgt
精神病拗らせすぎだよなw
0842人間七七四年2018/03/29(木) 22:22:13.01ID:cokZiXPs
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。
0843人間七七四年2018/03/29(木) 23:54:07.59ID:L8pkkibz
これは、伏見陥落を早めるのは無理そうだね。さりとて陥落させない訳にもいかず。
多分西軍的には、伏見陥落を持って対徳川の狼煙を上げたかったろうし。
0844人間七七四年2018/03/30(金) 01:54:01.27ID:bF7INWVP
>>841
如何も、家康を美化し過ぎて三成は強引に奸臣にしたいみたいですね。
三成に異常な憎悪を燃やしてるし。
三成をこき下ろすスレでも自作すれば良いのに。
0845人間七七四年2018/03/30(金) 02:24:54.74ID:lLc2uIsQ
未だに島津義久の考えがわからんのだよな。
アイツの真意ってどこにあったんだ?どうすれば義久は兵を送ってたんだろ。
0846人間七七四年2018/03/30(金) 02:51:26.25ID:6ZBtIwS1
>>845
なにがあっても兵は送らないよ
庄内の乱があったし。
さらに仮想敵国の加藤清正が露骨に島津領を狙ってたし。
0847人間七七四年2018/03/30(金) 02:56:44.02ID:MmOFeuVa
>>1
関ヶ原本戦までに伊勢平定が間に合わず
本戦の時には戦線も大垣城を東軍に突破される状況という事だよな

という事は伊勢平定が間に合いそうに無かった時点で
関ヶ原本戦より結構前の段階で
越前-近江-伊賀-大和
まで後退していれば
西軍は東軍と拮抗の状況を作れたかもな
0848人間七七四年2018/03/30(金) 03:19:06.00ID:GeZH43Kt
ははっ!ワロス!
0849人間七七四年2018/03/30(金) 04:02:07.38ID:kyCDqaGe
関ヶ原の一週間前の
大津城の戦いの時点でもう西軍は厳しいけど
その前の時点で
決戦志向じゃなく持久戦的に
どんどん要塞線を作れば膠着状態には持ち込めるだろう
0850人間七七四年2018/03/30(金) 04:08:55.14ID:kyCDqaGe
大津城の戦いの2週間前に
西軍のプランは破綻している

ただ10日間もあれば
急ごしらえの要塞線を作る事は十分可能
0851人間七七四年2018/03/30(金) 04:12:46.88ID:kyCDqaGe
西軍の内応大名や東軍方に行った大名の話にせよ
膠着状態に陥れば
東軍方に鞍替えしにくくなる

別の話をすると
どの時点を基点と考えるかでこのスレの話は色々な話があるな
関ヶ原の何日前を前提で考えるのかという
0852人間七七四年2018/03/30(金) 04:15:09.30ID:kyCDqaGe
さっきの話の続きをすると
このスレでの色々な意見は
人それぞれどの時点を基点や前提にした意見かの違いもあるという事
0853人間七七四年2018/03/30(金) 05:01:37.89ID:AohwcZqa
>>852
関ヶ原戦役として捉えてもらえばよいかと。
関ヶ原本戦に限定しても既に西軍に逆転の目はほとんどないし。
0854人間七七四年2018/03/30(金) 06:44:21.57ID:jLaFv9zR
>>844
むしろ三成が優秀だったとか、そちらのほうが幻想
0855人間七七四年2018/03/30(金) 06:53:15.11ID:N6rYLZic
持久戦策は一見いい方法に思えるんだけど、その場合毛利の動きをどう評価するべきかになるな。
史実では岐阜陥落の発覚後に露骨な日和見を始めているが、この動きを
「岐阜をあっさり突破された事で西軍の力そのものに疑問を感じたから」ととるか
「東軍の近畿侵入が確実になった事で西軍崩壊を予測した」と考えたかで変わってくる。
前者ならまだ事前に毛利らに話を通せば持久戦に切り替えられる可能性があるが後者だった場合、
そもそも近江侵入を食い止める必要があるので、やはり美濃で決戦せざるを得なくなる。
0856人間七七四年2018/03/30(金) 07:04:30.41ID:lLc2uIsQ
岐阜で利を失った時点で岐阜から佐和山まで
撤退して体制を立て直すべきだった。
0857人間七七四年2018/03/30(金) 08:15:56.60ID:kvPru1D7
大垣城は南宮山に毛利勢が来るまで、包囲されていた
逃げたくても逃げれない
0858人間七七四年2018/03/30(金) 08:24:30.37ID:17GNYk+E
まず西軍視点で防御適地は北陸が敦賀、美濃の関ヶ原、伊勢の桑名の3か所。
しかし実際にはそこより先に味方がいるので、越前北ノ庄付近、美濃方面は犬山・岐阜・大垣の
木曽川ライン、伊勢は桑名となっている。

岐阜陥落後に後退するといってもどのラインに後退するのか?
関ヶ原より後方の近江ではまず佐和山付近、その次は瀬田。
佐和山まで後退すると敦賀は南からも攻撃を受けるようになる。
敦賀が落ちると前田まで近江に来るようになるし湖西から瀬田後方に回られる可能性すら出てくる。
伊勢を放棄となるとこの方面の防御適地はわからない。
守備しなければならない地点がいたずらに増えるだけに思える。

そして後退すれば東軍先発隊35000、家康本隊33000、秀忠隊38000、計106000の東軍と相対しなければならなうなる。
(小早川秀秋の8000を足すと114000)

後退したところでメリットはほとんどないように思えるが?
それよりも木曽川渡河迎撃に十分な戦力を美濃に送ったほうが勝算が上がる。
0859人間七七四年2018/03/30(金) 09:25:20.41ID:6ZBtIwS1
そもそも輝元がひでえ
毛利水軍が九鬼と一緒になって太平洋沿岸をもっと荒らしまくれば展開も違ったぞ。
0860人間七七四年2018/03/30(金) 10:05:40.42ID:6ZBtIwS1
岡崎、豊橋、刈谷、浜松、静岡、三島でどんどん海賊潜入させて放火しまくっとけばな
もちろんヒット&アウェーに逃げまくる
小舟に乗って海に出ちゃえば東軍は追えないしやられっぱなし。
広い海岸線を全て警備するのなんて平時でも不可能。
0861人間七七四年2018/03/30(金) 10:42:46.36ID:2LXV+g0L
水軍で徳川軍と戦うって仮想小説も何かあった様な、、、
0862人間七七四年2018/03/30(金) 10:44:51.30ID:kvPru1D7
>>859
実際やったけど、展開が遅れて始めたのが本戦直前
0863人間七七四年2018/03/30(金) 10:55:27.99ID:6ZBtIwS1
伊豆半島を超えて江戸や小田原放火しまくれば良かったのに
0864人間七七四年2018/03/30(金) 13:01:06.45ID:aUUw2OzK
もう完全なテロリストだなw
0865人間七七四年2018/03/30(金) 13:15:57.33ID:75IEJYEG
義のひとらしいよ
0866人間七七四年2018/03/30(金) 13:17:17.96ID:jdGx7l+l
まぁ大した影響は与えられんだろうな
0867人間七七四年2018/03/30(金) 15:08:06.48ID:kvPru1D7
>>863
所詮は沿岸海軍には無理な話
0868人間七七四年2018/03/30(金) 16:48:01.15ID:lMViCXe3
謀反起こしたのに生き残った毛利=貴乃花親方
0869人間七七四年2018/03/30(金) 17:51:09.11ID:+ArQSsUb
海軍って言っても内海で海賊やってるだけだからなあ
0870人間七七四年2018/03/30(金) 18:00:24.01ID:RkTmXovu
毛利水軍に大阪湾以東のノウハウなんて皆無なんだが
0871人間七七四年2018/03/30(金) 18:02:47.72ID:MZvWmV9a
小田原合戦の時に相模湾に来てたような
0872人間七七四年2018/03/30(金) 18:31:50.04ID:+ArQSsUb
そこまでくるのに敵いないし
0873人間七七四年2018/03/30(金) 18:37:24.50ID:MZvWmV9a
伊豆水軍と交戦してるじゃん
0874人間七七四年2018/03/30(金) 19:40:25.61ID:+ArQSsUb
伊豆までくるのになんにもない、とも言える
0875人間七七四年2018/03/30(金) 20:09:23.30ID:ykCzPh0n
三成が小早川の陣に大砲打ってたら逆の展開になったかな?
0876人間七七四年2018/03/30(金) 20:36:57.05ID:osN9nblJ
怒った秀秋が大谷に陣へ攻撃開始
0877人間七七四年2018/03/30(金) 20:44:04.69ID:+ArQSsUb
三成が家康とタッグを組むとか、それぐらいしないとな
0878人間七七四年2018/03/30(金) 21:48:45.15ID:riWfJAHx
三成が前面に出てくれば、三成の復権のために起こされた個人的な戦いという東軍の大義名分にお墨付きを与えてしまう
だからこそ三成は後ろに引いて一切口を出さない空気のような存在になるべき
三成が関ヶ原にいる時点で東軍の大義名分が正しいことになってしまうから勝ち目がない
西軍が勝ちたければ、三成が西軍にいたなんて最後まで気づかないくらい三成の存在を薄める必要がある
0879人間七七四年2018/03/30(金) 22:36:03.83ID:59f99Hva
>>878
三成視点だとそれは困る。むしろ前線にいないと話にならない。
何故なら手柄を立てないと奉行に復帰するのが難しいから。
少なくとも諸将は納得しないだろうね、後方でぬくぬくしてただけの奴が奉行復帰なんて。
それに豊臣政権では一度排除されたら何かしらの(出来れば軍事的な)手柄を立てないと
短期間での政権復帰は無理じゃないかな。具体例としては仙石秀久みたいな。
0880人間七七四年2018/03/30(金) 23:42:27.99ID:8aRKhkAC
>>700
小早川(毛利)秀包は久留米13万石だから、3千〜4千人くらいの動員兵力あるよ。
あと、毛利120万石は毛利本家の石高だから、吉川小早川安国寺は別枠だよ。
0881人間七七四年2018/03/30(金) 23:53:27.55ID:6ZBtIwS1
三成が尾張城を抑えて毛利水軍と連動して動けば西軍が圧勝だったんじゃね?
長期戦になればなるほど補給線が海賊にボロボロにされてる東軍が不利になる。
湖賊の彭越に補給線をボコボコにされてた項羽みたいに。
0882人間七七四年2018/03/31(土) 00:14:04.75ID:x+dOXDVi
>>874
ずらしまくりだなw
0883人間七七四年2018/03/31(土) 00:18:04.61ID:xi4XVbcm
朝鮮征伐で補給線をチョンの海賊に荒らされ苦しまされた三成と輝元なら真っ先に思いつく作戦なのに
なんですぐに実行に移さなかったんだろうか。
ここでも輝元に本気で戦う気があったのか問われる。
0884人間七七四年2018/03/31(土) 00:27:03.29ID:qC/rBWdR
西国のあちこちに色気出してただろ
0885人間七七四年2018/03/31(土) 03:57:26.81ID:BLCgT9qp
>>880
石田三成書状の備口人数準拠なので、その兵数です。
毛利と別表記になってるのが小早川秀包だけなので、安国寺、吉川は毛利に含まれるものとしました。
小早川秀包は1000となっていますが、8月6日以降に本国から増援がきてるならもっと多いかもしれませんが、
何とも言えないところです。
0886人間七七四年2018/03/31(土) 04:15:25.90ID:BLCgT9qp
それと東軍(家康)は水軍対策として、尾張の師崎(知多半島の先端)幡豆崎城(羽豆崎城)に
松平家信、小笠原広勝、小笠原信元、千賀孫兵衛を、
尾張の大野(常滑、大野湊もしくは大野城)に戸田尊次、清水正吉を在番させてる。

伊勢湾制海権は西軍優勢だったろうけど、湊の襲撃や上陸作戦となると微妙な部分はあると思う。
0887人間七七四年2018/03/31(土) 08:23:29.12ID:7VzRRo2g
関ヶ原の戦いの直前でも
伊勢湾沿岸の主要な場所で合戦があるからな
西軍が水軍で尾張三河に攻め込む余裕はあまり無かったし
東軍も確かに水軍対策もしていたな
0888人間七七四年2018/03/31(土) 08:32:04.36ID:lLG2z2BY
当然といえば当然なのだが、福島・田中・池田も水軍を保有しているはずだし
0889人間七七四年2018/03/31(土) 08:36:56.66ID:MuZAw9NN
一応補足しとくと、もし上陸作戦やるなら志摩から渥美半島伝いに吉田か浜松ってとこ。
知多半島は徳川の在番衆がいるけど、渥美半島はいまのとこ確認できない。
0890人間七七四年2018/03/31(土) 18:38:50.08ID:3RUPSpcR
利家が生きてる時に一戦やれば望みはあったんじゃないか?
利家の健康状態がもう少し良ければの話だが
三成憎しで東軍についた諸将も利家だったらつくだろうし
0891人間七七四年2018/03/31(土) 19:04:14.39ID:BvWF/uR4
>>890
利家がいくら家康を譴責したといっても「ち、めんどくせーなー反省してまーす」と言わせただけで
本気で屈服させられるわけもなし
0892人間七七四年2018/03/31(土) 21:40:59.92ID:/nEBsR0k
利家が家康に対して「三成を家康の味方にさせるぞ」と脅せばよかった
三成を自分の側につかせたのは利家が犯した最大の失策だった
0893人間七七四年2018/03/31(土) 21:55:59.06ID:n3XSfRms
>>890
利家は生きている間に家康に屈服してるっつーの。
対立の挙げ句家康のいる伏見に自分から出向いて挨拶してるんだから、これは屈服以外の何物でもない。
0894人間七七四年2018/03/31(土) 22:21:04.46ID:3FbuV3Mj
前田に武功なし
0895人間七七四年2018/04/01(日) 00:26:21.27ID:ZjM364GY
前田利家という男の経歴を見ればわかるはず
豊臣のために西軍の総大将勤めるなんて大それた勝負に出れるような男じゃない
0896人間七七四年2018/04/01(日) 00:54:10.58ID:HEa1rLRG
利家が健康状態問題なければやれた。
しかし死を目前にした病躯の人間にやれってのは無茶だろ。
0897人間七七四年2018/04/01(日) 01:00:14.94ID:ODRvpM/1
逆に三成が小早川の陣に鉄砲打ち込めば小早川は東軍に攻撃を仕掛けたんじゃね。
0898人間七七四年2018/04/01(日) 01:12:03.06ID:sYSeHuN2
問鉄砲はまず創作
0899人間七七四年2018/04/01(日) 01:27:27.37ID:ZjM364GY
>>896
健康状態関係ない
間違いなく勝負になど出ない
前田利家が一番優れてるのはそういう空気を読んで
実力者に自分を一番いい位置で売り込める才能
0900人間七七四年2018/04/01(日) 02:19:56.77ID:PatgKTIy
>>893
その時点では、歩く事も厳しいくらい衰弱してたし、手打ちも仕方無いのでは?
>>895
傾奇者の槍の又左なんだけど?若い頃に茶坊主切って牢人した話とか、その後帰参の為に勝手に
戦場に現れた事、蒲生氏郷死後に蒲生家が取り潰しに成る時に奔走した事。
単純に利害だけで動くのでは無く、情の部分も強い気がするんだけど?
兎も角さ、あの時点で秀頼の傅役頼んだつてのは、乗っ取りたいなら取っても良いよ但し秀頼の身が
建つ様にしてねって意味だと思うし。
激情型の人間には効くと思う。
0901人間七七四年2018/04/01(日) 02:22:39.81ID:ODRvpM/1
>>896
誰が創作したの?
秀秋は眼下に壮絶な殺し合いを目撃しているわけで。
この時の家康は戦の経験十分だよ。
当時、ハタチ前後の秀秋ならそら影響されちゃうでしょ。
三成より、家康の方が怖いってね。
0902人間七七四年2018/04/01(日) 02:49:34.08ID:ayW+Fr1u
尾張という最重要地点をアホの正則に与えた時点で豊臣家は詰んでたよ。
アホは九州に飛ばして尾張丸ごと三成に与えてたらまるで違う様相になってた。
0903人間七七四年2018/04/01(日) 03:20:06.87ID:HEa1rLRG
>>899
俺も前田利家なんて器量は買ってないんだよ。
なんせ戦場から逃げ出した腰抜けだからな。気に入らない。
でも、関ヶ原前の状況見れば別だ。

徳川の数倍の味方が付いて他の三人の大老まで自分を大将に祭り上げてくれたんだ。
この必勝状況なら利家も引かない。利家が引いたのは、徳川を倒し終わる前に
自分の寿命が尽きるの解ってたからだろ。
0904人間七七四年2018/04/01(日) 03:42:02.93ID:ZjM364GY
>>900
その槍の又左だよ
個人武勇や武将のレベルなら優秀だが
大将として戦えるような器じゃない
秀吉からも家康からも付き合い長いしそこをきっちり見抜かれてる
だからこそ秀吉は利家にお願いしたわけで
時勢を読んで絶妙の立場で自分を売り込む能力は間違いなく長けてるが大将として担いでも無駄

>>903
健康状態を理由に引くところまで計算した上での行動だと思うよ
俺は逆に前田利家のそういう状勢読む部分は過小評価されてるように思うよ
存在感だけはしっかり示す政治家としての能力は超一流
0905人間七七四年2018/04/01(日) 07:26:09.27ID:7F3ePVKp
>>902
尾張という最重要地点を守る正則に何の相談もせずに武装蜂起した三成が悪いだろ
勝手な武装蜂起に対しては謀反と扱い鎮圧するのは正則として当然のこと

そもそも三成の勝手な行動に周りが合わせるのが当たり前と考えている奴がおかしい
三成が豊臣家当主ではないのだから勝手な我侭に合わせる義務など誰にもない
秀吉時代は秀吉の威光を振りかざして三成は我侭のし放題だったから
その感覚を引きずって「正則が俺様に服従するのが当然だろ」と三成も考えていたのだろうけど
これについては三成が全面的に悪いとしか言えない
0906人間七七四年2018/04/01(日) 07:33:14.57ID:/kUJeXQK
>>902
三成無能だから
0907人間七七四年2018/04/01(日) 08:01:12.08ID:TO0RVXYX
そもそも前田利家は関ヶ原前後では生き残ってる残ってる数少ない勇者じゃん(´・ω・`)
神輿としては十分やろ

あと前田があそこで徳川に折れないと信玄の末路と同じで悲惨やん
評価されるポイントやぞ?
0908人間七七四年2018/04/01(日) 08:11:32.10ID:ayW+Fr1u
>>907
いいや、折れたから家康は「利家の奴が死にやがった!利長をぶっ殺す!」と
加賀征伐をしに行ったんじゃん。
救われたのは全てまつのお陰だろ。
0909人間七七四年2018/04/01(日) 08:13:22.72ID:ayW+Fr1u
>>905
いや、それは無い。正則のその後の行動を見れば分かる。
吉川広家と毛利輝元に対してもペテンを仕掛け大坂城を開城させ
その後も忠実な家康の犬として行動し続けた。
死ぬ直前に「俺の人生って何だったんだ」と反省しても遅いわ
0910人間七七四年2018/04/01(日) 08:34:00.36ID:ayW+Fr1u
東北の抑え(つーか伊達政宗を抑えるため)に上杉景勝を会津へ
旧領を堀家に与えたのもうまくなかったな。
そんなに正宗がじゃまなら四国や九州へ飛ばせば済むだけだったのに。
駿遠も丹羽長重か大谷吉継あたりに与えてれば家康は何もできなかったろうに。
0911人間七七四年2018/04/01(日) 10:21:35.85ID:7F3ePVKp
>>909
毛利輝元が不法に大坂城を武装占拠していれば退去させるのが当たり前だろ
君は正則であれ誰であれ忠実な三成の犬でなければ不満なんだろうが
死ぬまでまったく反省しないで我侭を繰り返した三成に非があるのだから仕方がない
0912人間七七四年2018/04/01(日) 10:58:00.73ID:7y4kUUHC
>>910
でもさあ、伊達は本拠地の出羽米沢から陸奥岩出山に一応飛ばしたじゃん。
徳川も伊達も上杉も新領国統治で大わらわな状態は豊臣からすれば良策。
0913人間七七四年2018/04/01(日) 10:58:19.64ID:sYSeHuN2
俗にいう武断派の中に前田派と徳川派があるという状況だから
利家生存時にクーデター起こしても前田徳川共同軍に鎮圧されるだけだろう
0914人間七七四年2018/04/01(日) 10:58:51.95ID:nOLaXwyQ
【伏見城の徳川屋敷に参集した主な大名】

福島正則、黒田孝高・長政、池田輝政、蜂須賀家政、藤堂高虎、山内一豊、京極高次
伊達政宗、最上義光、田中吉政、森忠政、脇坂安治、大谷吉継


【大坂城の前田屋敷に参集した主な大名】

毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、石田三成、小西行長、増田長盛、長束正家、前田玄以
織田秀信、長宗我部盛親、立花宗茂、加藤清正、浅野長政・幸長、細川忠興、加藤嘉明



この時戦ってたら面白い勝負ができたんじゃないか?
前田側にもワンチャンあったと思うわ
福島が徳川側についてるのが気に入らんが
0915人間七七四年2018/04/01(日) 11:29:28.09ID:Huhvg62f
まあ関ヶ原よりはマシだね
0916人間七七四年2018/04/01(日) 11:41:31.00ID:sYSeHuN2
>>914
三成による家康襲撃の噂が立ったら第二回会談は武断派がみんな徳川に付いて結局は関ヶ原の東軍西軍の面子になったわけで大して変わらんよ
0917人間七七四年2018/04/01(日) 11:50:47.19ID:FupcCn3o
でもそれ完全に政争でしよ?
その状況からどう軍事的展開する?
大坂城と伏見城で戦争やるわけ?

たしか一日でけりがついた政争だと思うけど。
0918人間七七四年2018/04/01(日) 12:18:27.22ID:sYSeHuN2
何でもありじゃなくて関ケ原に沿わせるなら、石田毛利が語らって大坂城強襲占拠。
からの、何しでかしてんやで前田徳川らの軍に叩き出されて終了だろ
0919人間七七四年2018/04/01(日) 12:23:55.73ID:v9fGv8mq
>>907
関ヶ原後にはいないので前後とかいうのは拡大解釈しすぎ
0920人間七七四年2018/04/01(日) 12:31:47.97ID:dyTobG4f
>>908
まつ、柴田から秀吉への鞍替えにも暗躍したし有能
0921人間七七四年2018/04/01(日) 14:37:45.85ID:cw2abQlZ
ところで>>744の宇喜多への早期援軍要請案には
なにか反論はない?
まったくスルーされてるんだけど、なければ
有力案でいい?
0922飲兵衛待2018/04/01(日) 15:39:41.29ID:ODRvpM/1
もし三成側が小早川の陣に鉄砲玉を撃ち込んで、
それでも小早川軍が西軍に向かってくるようでは、
西軍に勝ち目はハナッからない!
0923人間七七四年2018/04/01(日) 15:46:30.91ID:sYSeHuN2
>>921
北伊勢の防衛戦力と後詰どうすんの
北伊勢も陥落したら京都突ける要地なので岐阜城落城と同じ効果になるんでね
0924人間七七四年2018/04/01(日) 16:30:08.35ID:EGX2O4i/
>>923
宇喜多以外の伊勢方面隊。
0925人間七七四年2018/04/01(日) 16:34:58.62ID:7y4kUUHC
>>923
というか北伊勢を陥落させるような東軍兵力ってどこから来る考えなのさ?
防戦に手一杯な留守城しかないのにさ。
0926人間七七四年2018/04/01(日) 16:38:32.30ID:sYSeHuN2
徳川伊勢軍を背後に抱えて徳川先鋒隊と戦うとして足りるのかねぇ
敵が出てきた所を軍を集結して後詰決戦する方が確実だと思うね
0927人間七七四年2018/04/01(日) 17:07:30.35ID:EGX2O4i/
それと毛利元康10000に宇喜多の代わりに瀬田か草津で戦略予備とすれば問題はないはず。
この時期大坂にそれほどの脅威はないと思うが出し惜しみなのか慎重だったのか。
0928人間七七四年2018/04/01(日) 17:24:54.01ID:sYSeHuN2
本来は瀬田で迎え撃つ予定の局地的な首都クーデターだったのが思ったよりすんなり周辺が恭順して大勢力に見えてるだけなのが西軍
本心から降ってるかわからない連中だらけで最後の予備戦力毛利元康10000を初戦から投入は難しいというのは妥当な判断
他で変事が起きた時に対応できない(史実だと大津)
0929人間七七四年2018/04/01(日) 18:36:10.84ID:sYSeHuN2
大坂城が輝元だけになる。好機とみて小早川秀秋、脇坂安治が大津城を足掛かりに大坂城強襲
七将事件の時の三成書状にあいつら徳川方とばっちり書かれてる本丸家老の片桐小出が内応
テルくん窮地、増田日和見、西軍根無し草。こんな展開も無くはないのが西軍
0930人間七七四年2018/04/01(日) 18:51:21.42ID:i4X84vSk
そもそも東軍先鋒が伊勢か美濃か、どちらに来るのか分からない故の分散配置
なお、伊勢の毛利勢は安濃津城攻めで、結構な損害を被っている
0931人間七七四年2018/04/01(日) 19:29:06.01ID:pDbUlrui
>>925
たとえ少数でも伊勢で東軍方として挙兵するものがいたら大問題になる。もっというなら、その可能性があるだけでもマズイ。
宇喜多を伊勢から一切動かさずに抑えとするだけで懸念を相当払しょくできる。下手に動かさない方がいいと思うよ。
岐阜陥落レベルの想定外が発生すれば話は別だが。
0932人間七七四年2018/04/01(日) 21:19:49.08ID:7y4kUUHC
となるとやはり、いきなり清洲城を陥とすしかないな。
清洲城に預けてある豊臣家の兵糧を毛利宇喜多の2大老の命で取りに来たら断れん。
兵糧受け取りのドサクサで落としてしまおう。
0933人間七七四年2018/04/01(日) 21:35:42.38ID:sYSeHuN2
秀頼の命令と偽ってもお断りされてんのに二大老の命?アホなのかな
0934人間七七四年2018/04/01(日) 21:36:11.76ID:EoboZvEB
まず伊勢方面隊戦力
毛利秀元&吉川広家15000、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、長曾我部盛親2100、
鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中島氏種?390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊
相良、秋月ら約6900、

美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
推定大坂の小早川秀包1000、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?

こんなかんじかな。

なので草津の宇喜多が美濃に援軍に行ってもまだ瀬田守備隊6900と立花宗茂3900の10800がいる。

大坂は輝元5000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。
0935人間七七四年2018/04/01(日) 21:39:38.28ID:sYSeHuN2
セオリーは岐阜としても岐阜大垣桑名どこ攻めてもいいのが東軍
どこ取られてもまずいから分散配置してるのが西軍
西軍が勝つには出てきたところを受け止めて集結して叩く岐阜城後詰決戦が至高

とはいえ最も有利な状況作って数割ほど兵力上回ってても西軍じゃ東軍先鋒軍に負けるだろうけど、
東軍の結束が崩れなかった時点ですでに失敗クーデターだからしょうがない
0936人間七七四年2018/04/01(日) 21:39:45.62ID:EoboZvEB
あ、あと毛利元康10000が瀬田か草津に行けば、近江で戦略予備的に使える兵力は
計20800となります。
0937人間七七四年2018/04/01(日) 21:54:32.93ID:EoboZvEB
>>935
わたしは岐阜城後詰決戦でも木曽川渡河迎撃でも桑名城後詰決戦でもいいと思うけどね。
兵数揃えば木曽川渡河迎撃は防御側有利、岐阜城後詰決戦なら東軍の退路は木曽川、
桑名城後詰決戦でも東軍の退路は木曽川か海。
0938人間七七四年2018/04/01(日) 22:44:45.73ID:b6Inn9un
どちらにしても現実の関ヶ原よりだいぶマシだね
西軍は後手に回りすぎたかな
0939人間七七四年2018/04/01(日) 23:47:37.45ID:ayW+Fr1u
輝元の動きが最初から異様
0940人間七七四年2018/04/02(月) 00:29:28.49ID:dKuKNWyE
>>939
西軍は秀頼を取られたら不利になるから、輝元が大阪城にいるのは仕方ないかな。
0941人間七七四年2018/04/02(月) 00:40:46.43ID:vUxsE4pi
学者でも輝くんがボンボンだからビビりだからと個人の気質に求めて思考停止してるのが多いけど
豊臣家が西軍に非協力的でもっと言えば徳川方だから大坂城を動けなかったと理解すべきもの
0942人間七七四年2018/04/02(月) 01:42:04.42ID:Bcyps48T
>>941
というか毛利は四国と九州にも同時に手を出してるからそいつらにも指示出したいなら総帥の輝元は瀬戸内海沿岸の土地から離れられんのよな
0943人間七七四年2018/04/02(月) 07:01:17.84ID:6nFnFvqb
そもそも輝元視点で見れば東にだって散々兵出してやったのにあっさり崩れた西軍がふがいなさすぎるだけだしな。
岐阜陥落時点で西軍をさっさと切り捨てるのはある意味当たり前の判断だと思う。
とはいえ挙兵にがっつり関わった以上、ペナルティはもう仕方ないが(島津のような地理的なアドバンテージもないし)
もう中央が家康主導で動くのが避けられんなら、目的を御家存続に切り替えて、とっとと家康に頭下げて
減封処分程度で損切りするのがかしこいやり方だしね。
0944人間七七四年2018/04/02(月) 09:11:43.17ID:cjzZb79I
>>859
九鬼水軍にもっと早くから活躍させる事が出来ればだいぶ違うんだよなぁ
更に村上水軍にも活躍の場を与えられたら或いは、、、
0945人間七七四年2018/04/02(月) 10:16:02.91ID:1wKz0giN
戦意ないなら最初から大坂城に入るなよ。ダッセー
0946人間七七四年2018/04/02(月) 11:02:47.38ID:1Cosh5yv
>>945
全く逆だ。輝元は戦意旺盛だよ。
天下人になりたいではなく、瀬戸内の利権を独占した西国覇者の大大名になるという意味のだけど。
そもそもほとんどの諸大名は関ヶ原を長期戦と見込んでいる。(真田や黒田でさえも)
だから輝元は家康に対抗できる程度の兵だけ出して家康派と反家康派が遊んでる間に
どさくさまぎれに西国制圧の為の兵を出していた訳だ。上杉もスケール小さいけど似たような事してるね。
ところが史実は短期決戦となってしまった。輝元からすれば西軍諸将が想像以上にふがいないせいで
完全にアテが外れてしまった。輝元視点では西軍は本当に役立たずだ。

だったら総大将受けるなって?総大将が望むように戦場を整えて戦闘を起こすのが部下の仕事だろ。
少なくとも東軍は岐阜城落として家康に誠意を見せたぞ。
ちなみに毛利が天下を狙わないのは祖父の遺言考えれば当然だからね。
そんな遺言無視しろという人は親父の遺言無視して国元に帰った前田利長がどうなったか考えましょう。
0947人間七七四年2018/04/02(月) 12:24:15.83ID:NPd8+a9k
清須を策で落とす以上の魅力有る提案はどうやら見当たらないな。
伊勢がどうこうなんて話は東軍で言うならば箱根の天険で西軍を防ぐレベルの消極策で敗北の道だ。
0948人間七七四年2018/04/02(月) 12:33:43.71ID:IFinT9bN
防衛線をより東の尾張にというのはいいね。
当初から家康方に参じていた福島政則はどのみち西軍に味方はしないから気遣う必要無し。
主だった武将も兵も上杉征伐に向かったから、迷いなく奇襲すれば間違いなく落ちる。
0949人間七七四年2018/04/02(月) 12:33:50.64ID:1wKz0giN
戊辰戦争だって伊勢でグダグダなんてしてなくなかった?
大坂城落とした後、一気に三島から箱根の峠を超えた気がするんだけど。
0950人間七七四年2018/04/02(月) 13:03:03.71ID:1wKz0giN
最初に西軍がガツンと尾張城を落としてしまえば
そこより西の大名はみんな押し黙って
とりあえず西軍に従う素振りを見せたのは必至だけどな。
その後、尾張・岐阜を東軍に落とされたら
一気に裏切り大名が続々伊勢でも近江でも続発して西軍は追い込まれるだろうが。
日本人の特徴を見るとまずこうなったはず。
0951人間七七四年2018/04/02(月) 13:03:56.36ID:hYOmOEcT
積極策に出ないと負けちゃうもんね。浜名湖決戦とかになりそう。
武田にコテンパンにされたトラウマ発動で徳川が潰走西軍勝利。
0952人間七七四年2018/04/02(月) 13:47:18.58ID:s5jJcawe
凄いな
で、それを誰がやってくれるんだ?
0953人間七七四年2018/04/02(月) 13:58:02.62ID:1Cosh5yv
西軍は内府違いの条々をばらまいた事で上杉征伐軍が事実上崩壊して
家康は関東から動けなくなると思ってたんだから(実際家康は岐阜陥落まで関東で待機してる)
積極策を選択する必要が微塵もないって何度も書き込んでんだけどな…。
0954人間七七四年2018/04/02(月) 14:19:26.44ID:Lx33+X3S
伏見で詰まってる時点で尾張進攻なんて夢のまた夢
0955人間七七四年2018/04/02(月) 19:50:19.43ID:pqhc2Ve9
政治的・戦略的には清洲を落としたいところだが、タイムスケジュール的に不可能なわけで...
0956人間七七四年2018/04/02(月) 20:04:36.46ID:sDcERyBj
そういう点をさしおいて挙兵する三成とか西軍はホント頭悪い
0957人間七七四年2018/04/02(月) 21:14:24.51ID:DZcsYMRT
>>956
本来はそこを話すスレなんだよな。どの時点で誰がどうすれば西軍が勝てたのかをさ。誰かの提案にダメ出しするスレじゃなくて。
史実がどうこう言ってダメ出しするだけの荒らしはホント迷惑。それよりかはこういうバカスレでしょ。

関ヶ原の石田陣背後に謎の軍勢現る。そこには千成り瓢の馬印が。
「なーんちゃって、本当は死んでませんでした。あれは影武者でーす。謀反人を炙り出そうという策でした(意訳)」
みたいなif展開なら、確実に包囲出来て家康終了?
金吾中納言辺りはヤバいと思っていきなり家康本陣に突っ込むし毛利秀元も吉川広家を殴り飛ばしてでも東軍目掛けて駆け下るよね。
0958人間七七四年2018/04/02(月) 21:27:42.37ID:hMTlvGm2
>>957
そんなんでいいのなら、内府違いの条々を上杉征伐軍の面々を初めとした諸大名が受け入れればいいだけだぞ。
西軍の面々がどう動くとか一切関係なく。それで徳川は詰むから。
つーか、これ以上話す事がもうない位なんだけど。そのIFだけで全部終わっちゃうし。
0959人間七七四年2018/04/02(月) 21:34:41.08ID:DZcsYMRT
>>958
秀頼の治世の禍根を断つために死んだふりなら、炙り出さなきゃダメでしょ。
秀吉死せずifはまあ頂点バカだけど、利家死せずifとか氏郷死せずifとかいくらでもイケるっしょ。
0960人間七七四年2018/04/02(月) 21:44:54.88ID:1wKz0giN
淀君がどうやっても千成り瓢と秀頼の旗を貸さないなら三成は偽造して使うべきだった。
戦後の処罰を恐れる意味がねえじゃん。負けたら全て終わりなんだから
勝ちさえすればどんな弁解でも成り立つし。
明の国書と秀吉の書簡を偽造しまくった三成と行長だし、そこはビビっちゃ駄目。
0961人間七七四年2018/04/02(月) 22:12:54.56ID:oBAf0Msp
次スレたてました。

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part13
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
0962人間七七四年2018/04/02(月) 22:17:01.95ID:b6apZ1P5
故人の長命IFとかより遥かにマトモなIFだと思うんだけどね。諸大名が内府違いの条々を受け入れるってのは。
というより、西軍はあの内容を諸将が受け入れると思ったから内府違いの条々を派手にばらまいた訳で。
戦術や戦略うんぬんよりこの方が手っ取り早い上に確実に勝てるIFじゃん。後は徳川を煮るなり焼くなり好きにすりゃいい。
つーかこの方法が一番確実なのになんで誰も内府違いの条々の受け入れIF検討しないんだ?
0963人間七七四年2018/04/02(月) 22:26:30.36ID:oBAf0Msp
>>962

家康を暗殺したら勝てる!と同レベル。 それは家康も含めた全員が西軍になると言ってるのと同じ。

家康が詫び入れて降参して終了。
0964人間七七四年2018/04/02(月) 22:37:43.85ID:cPZ8K6Jm
家康は足場かためて来てるのに、西軍はとにかく阿呆揃い
話になりません
0965人間七七四年2018/04/02(月) 22:40:42.80ID:DZcsYMRT
>>962
西軍関ヶ原スレッドだから。
西軍も東軍も無い状況で決着するそんな話はスレ違いでしょ。
そもそも前田利長と浅野幸長の家康暗殺が成功していれば、そんなものよりずっと確実。
0966人間七七四年2018/04/02(月) 22:43:13.66ID:b6apZ1P5
>>963
それじゃ駄目なのか?それでいいと思ったんだけど。家康が詫び入れて降参するんなら結構な事じゃないか。
このIFなら諸大名に無駄に領地を加増分配する必要もないし。
心配なら家康を隠居させたうえで息子らに領地を減封した上で分配すればいい。このIFならそれは可能。
正直、何が何でも家康を戦争でぶっ殺すより遥かに成功可能性が高くて確実だと思うんだが。
0967人間七七四年2018/04/02(月) 22:52:59.85ID:N1DWs4xp
最初から三成が蜂起しなければいいだけじゃないのか?
0968人間七七四年2018/04/02(月) 22:53:01.12ID:oBAf0Msp
>>966
その「内府違いの条々」を家康が上杉征伐に大坂出陣するときに増田、前田、長束が
家康に直接つきつければ終わる話。西軍は挙兵すら必要ない。
0969人間七七四年2018/04/02(月) 23:16:26.33ID:QSN+gTOE
>>968
尻内丹後が家康にいきなり斬りつけていれば、そもそもそんな面倒はなかったろ。
遡り癖もいい加減にしろ。
0970人間七七四年2018/04/02(月) 23:21:59.53ID:oBAf0Msp
それと尾張(というか清洲)攻略にこだわってるひといるみたいだけど、
西軍は8月14日以前でなければ清洲攻略あるいは占拠はほぼ不可能。
そしてもし清洲を確保しても8月14日以降は東軍先発隊35000による
包囲もしくは攻撃を受けるのがほぼ確実。

これを踏まえつつ、清洲を占拠あるいは攻略する方法と維持する方法、
そして清洲を落とすデメリットを上回るメリットを説明しなければ、
だれも同意しない。

たしかに、少し前にだれかが言ってたけど、福島が味方しようが敵になろうが、
清洲の備蓄米を確保する面でさっさと清洲に兵を送る、というのはおかしくはない。
0971人間七七四年2018/04/02(月) 23:34:16.52ID:PDuRXHEE
清洲まで行ってれば伊勢の東軍は立ち枯れて西軍兵力に余裕が出来るだろう。東軍先鋒も瓦解必至だ。
0972人間七七四年2018/04/02(月) 23:43:47.42ID:N1DWs4xp
>>968
家康が上杉征伐に出陣する前に増田、前田、長束が「治部違いの条々」をばら撒いて
誰も三成に協力しなくなるように布石をしておけば西軍は負けないし豊臣は安泰だった
0973人間七七四年2018/04/03(火) 00:04:22.44ID:1TnXdZQl
>>971
いつ、だれが、どのくらいの兵力で清洲に行くのか。
そして福島8月初頭在城説はどう見るのか?

わたしはこの福島在城説があるからあまり清洲早期攻略案は関心持たなくなったんよ。
8月初頭に清洲に兵6000もいたら7月中でなければ清洲は落とせない。
そしてその時期に動けるのは秀信くらいで、秀信が西軍加担を決めた日時も微妙な頃合い。
0974人間七七四年2018/04/03(火) 01:27:33.06ID:cWry/FnY
>>965
おいおい、西軍が内府違いの条々をばらまいて諸将に自分たちの味方をするよう呼びかけたのが
関ヶ原戦役の事実上のスタートだろ。それがどうしてスレ違いになるんだ?
家康を政治的に屈服させたうえで、徳川を奉行らが制御・管理・解体するというIFがそんなに問題とは思えん。
奉行と徳川が対立関係になってるんだから、関ヶ原のIFとしては普通に成立しているだろう。
何が何でも東軍と西軍の大規模な軍事衝突を起こさないと、関ヶ原のIF展開として認めないとでも?
0975人間七七四年2018/04/03(火) 02:40:12.28ID:DbRO/Gg4
政治的には三成は既に失脚してる
あくまでクーデターだから色々自由に出来てただけで
軍事行動なしに政治だけでって話であれば
それこそ家康に付け入る隙など無いよ
0976人間七七四年2018/04/03(火) 06:43:39.77ID:BazB/+Wz
>>975
三成は途中参加組だぞ。それに、西軍には他にも奉行や大老はいただろ。
0977人間七七四年2018/04/03(火) 07:48:03.48ID:SsDBquni
はっきり言って奉行がいたからナニ?って感じではある
0978人間七七四年2018/04/03(火) 09:56:46.15ID:DEdhDz31
次スレは?
0979人間七七四年2018/04/03(火) 10:41:56.39ID:DIisW1ZA
>>971
次スレ>>961
0980人間七七四年2018/04/03(火) 10:43:39.00ID:DIisW1ZA
ごめん、>>978
0981人間七七四年2018/04/03(火) 11:01:37.47ID:gpQ8D9kV
金吾がいなければ勝てた
0982人間七七四年2018/04/03(火) 11:05:29.31ID:DIisW1ZA
伏見攻防戦において特記すべき点として、
城方の内応による火災の混乱に乗じたとはいえ
攻城が深夜に行われているという点。
あまり例がないと思う。
0983人間七七四年2018/04/03(火) 11:09:00.87ID:DIisW1ZA
この時期ならば、城方の防御射撃が当たりにくくなる分、夜間攻城もそれほど悪くないということかな?
0984人間七七四年2018/04/03(火) 13:16:30.68ID:Wc1D0uIk
深夜ということは戦意が高かったのか
0985人間七七四年2018/04/03(火) 13:49:46.57ID:NOufWwkv
挙兵のタイミングは前田屋敷に集まった時と徳川が上杉討伐に出た時の二つに分かれると思う。
当然、前田屋敷に集まった時の方が良いんだろうが、その時に前田以外の大老にも挙兵の根回しが
必要だと思う。史実を見ての通り、前田は腰が重いので。
0986人間七七四年2018/04/03(火) 13:53:08.78ID:NOufWwkv
史実通りの上杉討伐の隙を狙ってだと、上杉討伐に参加するつもりで着た
諸将を取り混んでってのは博打が過ぎると思う。秀吉くらい才覚があれば別だが。
0987人間七七四年2018/04/03(火) 17:44:10.01ID:EUN9DWvP
輝元の中身が秀吉だったら間違いなく西軍が勝ったし毛利が天下を獲れただろう
でも三成の中身が秀吉でも周りが言う事を聞かないから結果は同じだったかも。
0988人間七七四年2018/04/03(火) 20:27:12.83ID:SsDBquni
輝元の中身が全盛期の秀吉なら関ヶ原では無理に決戦してないと思うわ
もっと政治的に有利な体制整えてから行くように思う
0989人間七七四年2018/04/03(火) 20:55:22.10ID:EUN9DWvP
>>988
いや盛大に喧伝しながら大勢力で道を埋め尽くすように行くか
中国大返しのように神速で東海道の諸城を落としてくかどちらかだろうと思う。
関ヶ原で決戦などしないというのは同意
0990人間七七四年2018/04/03(火) 22:01:22.26ID:wTh7iBZP
いやまずは足場かためてから動くだろ
0991人間七七四年2018/04/03(火) 22:04:35.11ID:Y5sBusje
慶長4年1月19日については、情勢の詳細が不明なので評価困難。
わかるのは1月19日に4大老5奉行が家康に詰問の使者を出し、
1月20日にはほぼ落着し、
1月29日には関東衆だか榊原康政の軍勢が伏見に到着したという点。


挙兵するには兵を動員しなければならないし、動員するには各自国元に指示を出さなければならない。
そのようなことに至る前におそらく利家と家康の間で、いずれかの条件で和解するものと推測される。
0992人間七七四年2018/04/03(火) 22:51:36.78ID:A5iq8Q1E
大返しで城を落としたかよ?
0993人間七七四年2018/04/04(水) 00:38:19.94ID:4m3QbcOD
>>989
中身が秀吉なら、精々一万ぐらいの先鋒隊で東海道の諸城を即攻で落とすと思う。
実際には皆迷ってんだから、西軍優性の情報を出す方が優先でしょ。
0994人間七七四年2018/04/04(水) 02:16:03.40ID:agwitTdT
>>993
そういう電撃戦やら大返しやらやったのはわずかで秀吉はむしろ物量作戦や兵糧攻め、調略がメイン
0995人間七七四年2018/04/04(水) 03:39:29.31ID:gnZq8ZUw
まことのキャラのオレ様の騙りは似てない
だから、自演喧嘩か何かもわからない
0996人間七七四年2018/04/04(水) 05:21:31.61ID:4sqFE8mt
大返しでも最後はあせらず信孝が合流してくれるまでずっと待ち続けたしね
戦機を逃しても。 風林火山を一番実践してたのは実は秀吉かもしれない。
0997人間七七四年2018/04/04(水) 05:54:50.96ID:aLeF+ROu
家康も関ヶ原前には手紙だしまくりの調略しまくり
直接対決の前に決着がついているくらいが当たり前だと思う
それくらい消耗戦はバカのやること
0998人間七七四年2018/04/04(水) 06:54:14.07ID:4sqFE8mt
淀と輝元に覚悟さえあれば関ヶ原は西軍が負けるわけのない戦だったと思うよ。
でも両者とも覚悟が足りず負けた際にどうしようかと後ろ向きな事ばかり考えて西軍全体が揺らいで負けた
0999人間七七四年2018/04/04(水) 09:44:03.80ID:GhQqpN95
999なら俺が天皇陛下暗殺
1000人間七七四年2018/04/04(水) 09:44:35.75ID:GhQqpN95
ついでに山手線を爆破してやる
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