武田信玄が長生きしていたら、天下を取れたのか?4
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0726人間七七四年
2018/02/13(火) 14:36:10.62ID:gHUDEzKTそれらは姉川の戦いで朝倉浅井勢が一万近く死亡した、とか、
浅井長政も死亡した、とかの信長側のプロパガンダなどを真に受けて書いた、
と思われる公家さんの記録でございますよねえ?
それらを全て検証などもせずに真に受けられるのでございますれば、
姉川では文字通り朝倉浅井勢は壊滅した事になるわけでございますし、
その後の志賀陣などで織田と数年にわたって戦いを続け、複数の勝利を得ている朝倉浅井勢は
一体どうなっているのだろう、とか
その後も普通に数々の記録やら書状やらに登場する浅井長政は一体どうなっているのだろう、とか
色々と新たに考慮すべき事柄が増えるように思われる次第なのでございますが、
これらについてもお答えの方をよろしくお願いいたしますかねえ。
>別にこの間織田に有利になる事なんて無かったぜ?各個撃破していっただけ
信長は和睦詐欺して窮地を脱して、後は各個に撃破していった、それで十分すぎる程だと思うのですけれどねえ。
そもそも、志賀陣で朝倉浅井が優位に立てたのは、三好・本願寺との戦いで織田が南へ向かった間隙をついて侵攻し、
京都に至るまでの諸領域を制圧し、比叡山延暦寺と連携をとって地形的な優位も確保した、長島や他の勢力などと連携し、
という戦略的な優位によるものでしたからねえ。
で、朝倉側は優位だったわけですが、将軍義昭のたっての願いで和睦をし、
本国へ撤収した後で、信長が和睦詐欺を行い、朝倉が再侵攻するための道を防衛したり、
佐和山を攻略したり、国境の兵力を増強したり、という事をして、朝倉の再侵攻を困難にし、
その上で比叡山を焼き打ちし、佐和山を攻囲し続けて攻略し、という事を行って、
朝倉浅井が再び志賀陣のような戦略的な優位をとる事を困難にした事から、
朝倉浅井本願寺は、織田に対して更なる対抗馬となる勢力を引き込む必要性に迫られ、
それが武田の西上につながっていく、という流れなわけでございますしねえ。
>>682
いやいやいや、いつも通りに必死になって、>>706にもありますように、
いつも通りにID切り替え・複数端末による複数ID自演を用いて
多数派装いをなさられようとしてレッテル貼りやら
都合悪いところをスルーなさられましての、捏造曲解などにご狂奔なさられておられるご様子ではございますが、
こちらは普通に資料やら史実などを基にして、相手側のお方さん達のレスなどをしっかりと読み込んだ上で、
それに対応させていただいての、レスをさせていただいている次第なわけでございますしねえ。
とりあえず、そのようにおっしゃられるのでございますれば、具体的にお述べになられる事から
おはじめになられていただきたいと思いますので、お答えの方をよろしくお願いいたしますかねえ。
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