小牧長久手で大合戦をおこなった翌年の
1585年から1590年の5年間岐阜城主をやったのが池田輝政で、
その輝政が攻め落とせると判断したわけだから攻め落とせるんだよ。

輝政も城主をやっているときは常日頃からどう守るかを考えただろうし、長所も欠点も知り尽くしているだろう。
その前の城主は1583年から城主をやっている兄貴の元助だから、輝政が岐阜城の防衛を考えた時期はけっこう長い。

秀信は1580年に生まれ1592年から8年城主をやっていたことを考えると
それなりに岐阜城の防衛については考えただろう。

岐阜城を攻め落とせると考えた前岐阜城城主池田輝政と
岐阜城に篭城せず出撃するべきと考えた岐阜城城主織田秀信

岐阜城は守りにくいのだろうな