関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
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0001人間七七四年
2018/01/03(水) 00:35:15.74ID:N5T/NvLp関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
0484人間七七四年
2018/01/20(土) 15:13:11.16ID:VP/sDfqe敵に来襲を断念させるような、わが備えを頼みとするのである。
敵の攻撃がないことに期待をかけるのではなく、敵に攻撃の隙を与えないような、
わが守りを頼みとするのである。―孫子
以上が家康が桃配山で督戦した兵法的理由。
南宮山からみれば目の前に2万、少し離れた桃配山に3万、友軍の石田三成ら西軍5万は
遠く15キロ以上離れた盆地で同数の敵と激闘中。(キョリ測で見ると南宮山から伊吹山まで15キロ以上離れている)
しかも小早川が日和見しているので実質西軍3万5千vs東軍5万
南宮山が明確に家康と敵対すれば5万の兵が襲い掛かってくる。
これが関ヶ原の構図
南宮山は動かないと見た家康は3万を前進させた。
0485人間七七四年
2018/01/20(土) 15:29:09.81ID:VP/sDfqe>南宮山から伊吹山まで15キロ以上離れている
て書いたけど、訂正
石田三成のじんからだと8キロだ
0487人間七七四年
2018/01/20(土) 16:31:15.93ID:/ntcW3uM0488人間七七四年
2018/01/20(土) 16:36:18.21ID:VP/sDfqe南宮山視点だとまだ2万もいるよ…という感じだし
松尾山してんだと敵の数が2倍に膨れ上がって戦上手といわれる家康が出張ってきたやべぇって感じだな
武断派視点だと南宮山は池田と山内がなんとかしてくれる。俺らは文治派と石田三成をぶっつぶせ
十分に離れているので背後の心配は当面のところない、家康殿が出てきたのだから大丈夫という感じ
家康視点だと南宮山にこだわって3万を遊兵化するなんてばかばかしい目の前の5万を潰してしまえ、圧力をかけて小早川を寝返らせろって感じか
0489人間七七四年
2018/01/20(土) 16:50:52.60ID:VP/sDfqe武断派視点なら石田三成ら文弱あいてに同数の敵を相手にして勝てないなんてありえないわ、ぶっ倒せという感じで
桃配山と隘路を利用して持久戦
徳川家康視点なら武断派は同数の文治派にあてて、背後の南宮山3万を5万の兵で押しつぶせ、そのあと文治派だという感じ
文治派は山から下りて同数の敵を倒さなければ家康には届かず
南宮山は家康3万+親徳川2万の計5万を3万でなんとかしなければ挟み撃ちもできない苦境に立たされる
完全な各個撃破。数キロ飛ぶような大砲でもあれば挟撃になりまた違うのだろうけど100mの鉄砲じゃ挟撃は無理
0492人間七七四年
2018/01/20(土) 18:32:04.17ID:VP/sDfqe細かい数字はあっているかわからないがざっくり2万vs3万だ
0493人間七七四年
2018/01/20(土) 19:06:16.45ID:5s2Zo2HQそうなったらからんぞ。黒田如水なめんな。
0496人間七七四年
2018/01/20(土) 22:27:08.36ID:7rZppi4S秀元本隊が東軍を攻撃しちゃったら不戦による云々は破綻しちゃうわけで
もう勝つしかない、と参戦すると思うよ
とは言え、何も知らない秀元が攻撃を開始するがリスクを減らすために
広家は秀元の前に位置したんだからこの配置で秀元隊が参戦する方法を
考えないといけないね
0497人間七七四年
2018/01/20(土) 22:54:54.28ID:wlRHI9+d関ヶ原での毛利不戦の原因は吉川広家の内通だから
三成が南宮山の兵力を動かすために忍を使い
吉川広家を暗殺して排除した采配のゆくえってゲームを思い出した。
完全なチラ裏でごめん。
0498人間七七四年
2018/01/20(土) 23:41:32.12ID:LAj0/ISx0499人間七七四年
2018/01/20(土) 23:50:33.82ID:nsgxw+dV0500人間七七四年
2018/01/20(土) 23:55:17.96ID:jfSJV4GB島津は義弘については明確に三成と共謀している首謀者の一人だからな
ただし薩摩本国の連中が豊臣大嫌いで義弘に協力せずに兵を送らなかったので立場が悪化しただけ
義弘が巻き込まれただけというのは関ヶ原後に作った言い訳で真っ赤な嘘だから
0501人間七七四年
2018/01/21(日) 02:12:38.34ID:5pAf2f3Xまあ、その辺は経験豊富な博奕打ちって事ですね。
包囲してる相手を各個撃破って作戦だけど、勿論賭けが外れると酷い目に遭う。
しかし、本陣を前進させたから東軍先鋒が崩れると本陣も巻き込まれて防戦が寄り困難に
成ってるし。
0502人間七七四年
2018/01/21(日) 10:01:54.75ID:tUcXtAlFという起請文の宛先は吉川広家、福原広俊。
wikiの福原広俊の項にも以下のように書かれてる。
関ヶ原の戦いにおいては、西軍に味方した毛利氏の断絶を防ぐため、
広家・宍戸元続・益田元祥・熊谷元直と談合の上で徳川家康に内通、
領国安堵の約束を取り付けたが、戦後約束は反故にされ、
輝元が減封されると広俊も本領を維持できず、以後は長門吉敷の地を領した。
つまり毛利の重臣連中が不戦密約してる。吉川広家が単独で行ったものではない。
秀元、輝元が表立っていないのは「安国寺が勝手にやった」のと同様、
もし西軍が勝った場合、「家老が勝手にやった」と言い訳できるようにするためと見ていいと思われる。
このような重要事項を輝元、秀元が知らないはずがない。
ただ、南宮山の現場でも、戦況が西軍優勢となれば、「勝利に貢献した毛利勢」となるべく
西軍として参戦する可能性はもちろんある。
だから南宮山が動くかどうかは戦況次第。
0503人間七七四年
2018/01/21(日) 11:08:50.91ID:DyvtICga退却だけでは戻ってくる
0504人間七七四年
2018/01/21(日) 13:28:04.06ID:Ga4hIZt8いや絶対に輝元は知らないだろ?w
知ってたらっつーか、それなら普通に最初から徳川派になってるだろ?
しかも輝元は西軍の敗戦聞いて仰天してんだぜ?
それに寝返るのが当然の話しだったら毛利の領土を削る
名分が無いじゃないか。約束反故なんてできねーよ?
0505人間七七四年
2018/01/21(日) 13:55:17.88ID:6rXPRWAz輝元は精神分裂病の多重人格障害者だからね
輝元の人格Aが不戦密約を許可しても人格Bが知らないから西軍の敗戦に仰天するのも当然だろう
逆に輝元の人格Bが工作として諸大名に書状をばら撒いても人格Aが知らないので
輝元は書状ばら撒きを理由に減封処分を聞いて驚いたわけ
0506人間七七四年
2018/01/21(日) 14:05:37.39ID:5jgoWa3B0507人間七七四年
2018/01/21(日) 14:18:32.78ID:tUcXtAlF交渉の駆け引きに毛利は敗れた、だから反故にされた。
家康は署名なんかしてないよ、してるのは本多忠勝と井伊直政。
安国寺にそそのかされただけにしては四国や北九州侵攻した証拠ボロボロ出てきちゃったし。
それと毛利も最初は西軍についた以上はしゃあない、がんばるか、と思ってたと思うよ。
家康に勝てるわけがない、毛利は西軍と関係ない、と弁明しようとしてた吉川広家も、
8月中旬くらいまでの西軍の順調な進撃に悩みだしてる。
このまま清洲の東軍先発隊を撃滅すれば西軍が勝つんじゃないか、と。
それで返事が遅いもんだから黒田長政からさっさと返事しろと催促されてる。
ところがあっけなく岐阜城が落ちて家康、秀忠も西上開始。
これはやヴぁいと見て不戦密約交渉加速。
毛利重臣もこれはだめかもと吉川広家に同意。
で、9月14日に吉川広家、福原広俊と本多忠勝、井伊直政で起請文。
これで毛利は安泰、と安心しちゃったと。
こんなかんじの流れでしょ。
0508人間七七四年
2018/01/21(日) 14:21:33.37ID:vQ3RNjvj輝元が西軍挙兵の謀に参加したのは五奉行に呼ばれて上洛したあとだからそれまでは安国寺のスタンドプレーというのも嘘ではない
0509人間七七四年
2018/01/21(日) 14:25:45.91ID:B67HiYZC0510人間七七四年
2018/01/21(日) 15:02:54.33ID:vQ3RNjvj吉川の返事が遅くなったのは単に石田の検閲に引っかからないように迂回路を取ってて手紙が届かなかったからだぞ
7/14に広家が家康に石田謀反を知らせた手紙が家康に届いたのも8/8と普通の倍以上の時間がたってるのに対して8月に九州の官兵衛のところに広家が送った手紙は中国の大部分が毛利領土だから1週間ほどで届いてる
岐阜陥落後に手紙のやり取りが頻繁に鳴るのも単純に物理的な距離が縮まったから
0511人間七七四年
2018/01/21(日) 15:37:31.97ID:QhOeBS38カスどころか家康の強さの一つがこの鳥居みたいな武骨な忠誠心に溢れた三河武士が配下に多くいること
伏見で援軍断れば西軍の大軍にいずれ押し潰される事は目に見えていた
しかも万が一本当に味方だった場合責任を取らされる可能性もある
並みの武将じゃこの状況で怪しいからって断れない
家康の為に怪しい相手は味方でさえ徹底的に排除して
初めから玉砕覚悟で援軍も断り、使者も叩き斬って
家康の為だけに粘り倒したからこそ西軍に致命的な時間のロスをさせる事ができた
譜代の重臣クラスでさえ保身がなく家康の為ならいつでも命をなげうつこの鉄壁の忠誠心
寄合いの西軍じゃ徳川軍の倍は兵集めないと野戦じゃ勝ち目無いかと
0512人間七七四年
2018/01/21(日) 15:59:36.46ID:WpgcjtYn三河武士は思い込んだら一直線だからな。
家康のような名君であれば命も惜しまないすばらしい忠臣になるが
変なほうに思い込めば広忠や清康のように主君であろうと殺してしまう
獰猛な犬って感じだ
0513人間七七四年
2018/01/21(日) 18:09:57.66ID:WpgcjtYn母親を人質として送ってきてあと、天皇に臣従して天下のために私にしたがって欲しいと家康にお願いしていたら、
その最中に関白の母親の周りに薪をつんでいつでも焼き殺せる準備をしたりするのも三河武士らしい
0514人間七七四年
2018/01/21(日) 20:01:42.47ID:OZwDh24X0515人間七七四年
2018/01/21(日) 20:52:56.47ID:DyvtICga0516人間七七四年
2018/01/21(日) 23:08:56.62ID:tUcXtAlFその場合の毛利勢の行動選択肢は3つある。
1、上にも挙がっているが、そのまま南宮山北側斜面を駆け下り池田、浅野らと戦う。
2、南宮山南側斜面からこっそり下山し伊勢街道北上、東軍先鋒左翼側面を突く(脇坂、朽木らが
邪魔な可能性はある)
3、2同様南側斜面から下山、長曾我部、長束らと大垣方面から東軍退路遮断を狙う。
2についてはおそらく家康本隊に対応されるだろうが、東軍先鋒を半包囲の形にもっていくことができる。
鶴翼の陣の本来の機能発揮とでもいうかな。というか本来はこれは小早川秀秋がやるべきことだが。
3については池田、浅野らに動きを察知されれば当然これに対応した動きをされるだろうが、
大垣城勢約5000と連携することも可能になる。
なにも1だけって考えるのは頭が固いよ、柔軟に考えないと。
まぁ西軍優勢でなければ南宮山は動かんと思うが。
0517人間七七四年
2018/01/21(日) 23:35:06.02ID:DyvtICga0518人間七七四年
2018/01/21(日) 23:43:49.39ID:yj1qSThe0520人間七七四年
2018/01/21(日) 23:56:07.90ID:WpgcjtYnhttp://ime.pta.jp/d/6wnx5f.jpg
http://ime.pta.jp/d/rCa7ob.jpg
家康の桃配山配陣が神がかっているから無理だと思う
どちらで山を降りようと対応できる
0521人間七七四年
2018/01/22(月) 00:00:55.91ID:V31lKFmuまず下山するだけで大変過ぎるしリスク高過ぎる
やっと降りても伊勢街道からくる時点で丸わかりだし
遠回り過ぎて気付いてからでも池田らが戻ってくる方が早いだろうし
そもそも関ヶ原本戦は大した時間もかからず終わってるから
下手すりゃたどり着く頃には全部終わってて
島津が逃げようとするのを助けるためだけに全方位からフルボッコされに登場みたいな悲惨な状況もありうる
0523人間七七四年
2018/01/22(月) 00:24:01.83ID:F7Km9CzDもちろんそのリスクはあるよ。タイミングミスるとそうなる。
>>522
いやだから陽動攻撃じゃないかなと。
0524人間七七四年
2018/01/22(月) 00:51:21.74ID:V31lKFmuどのタイミングで行っても成功と言えるような状況が無いと思うよ
南宮山の毛利は普通に下山して戦ってくれる事が最良の選択肢
0525人間七七四年
2018/01/22(月) 00:57:46.15ID:nf3R3G98戦闘序列めちゃくちゃにしながら時間も浪費して山頂を通って反対側に降りてもすでに無意味だし。
0526人間七七四年
2018/01/22(月) 03:16:43.69ID:l+EtzLtj0527人間七七四年
2018/01/23(火) 00:12:25.76ID:WE9XA/I3あんた南宮山に登ったことないだろ。
あの山は、北側しか通路はない。
あっても行軍は無理。
否が応でも、池田と対面するしか道はない。
それを池田らは分かってあそこに陣を置いた。
関ヶ原に行ったこともないやつがあんまり知ったかぶりなことをいうと
恥かくぞ。
0528人間七七四年
2018/01/23(火) 00:37:02.32ID:tRnYDP96視点を変えた画像
今度は西軍の南宮山側から北の関ヶ原
0529人間七七四年
2018/01/23(火) 00:39:30.67ID:tRnYDP96動けばまず2万と戦い、3万の家康に側面をつかれてフルボッコ
0530人間七七四年
2018/01/23(火) 00:44:38.66ID:tRnYDP96けどこれを見る限り長宗我部は伊勢街道で関ヶ原に直行できそうなんだよな
毛利勢はにらみ合いになっているから難しいだろうけど長宗我部は動ける。
なのに動かなかったのはなぜなのか
0531人間七七四年
2018/01/23(火) 00:48:19.66ID:QPWFMBR10532人間七七四年
2018/01/23(火) 00:52:02.68ID:4niqdczY空弁の話なんかまさにそれ
0533人間七七四年
2018/01/23(火) 01:02:38.61ID:rj9NDQzi空弁当喰ってる信用できない毛利を背中に進軍はできないんじゃないだろか
0534人間七七四年
2018/01/23(火) 01:08:02.93ID:OkWRR5vv南宮山は行ったことないよ。ただ等高線的に北側も南側もそれほど変わらないから
地形的に行けるだろうと思ったまで。
植生については50年もするとかなり変わってしまうので、当時は樹木が生い茂っていたのか
禿山だったかは少なくともわたしはわからない。(当時の記録があればわかるだろうけど)
岩村城なんかも今じゃ杉やら檜やらがにょきにょき生えてしまって見れたものではない。
石垣とかは残ってるけどね。
ひとつヒントになるのは、杉か檜がびっしり生えている山は高確率で戦後の植林政策で
杉、檜を植えた山。
そして海外の安い木材に対抗できず、手入れされずに半ば放置されてるケースが多い。
もし南宮山に広葉樹が多かったのなら、当時も似たような植生だった可能性は高い。
生い茂ってたかどうかは別だけど。
0535人間七七四年
2018/01/23(火) 01:22:03.58ID:QPWFMBR10536人間七七四年
2018/01/23(火) 01:56:52.17ID:rj9NDQziわざわざ南下して伊勢街道から進軍したところで
丸見えだからただの遠回りだぞ
0537人間七七四年
2018/01/23(火) 02:07:39.08ID:tRnYDP96不利なように見えてすべての局面を見据えた神の一手だわ
関ヶ原全体を見渡して軍を指揮しながら、南宮山備え2万を支援できる位置であり
さらには斥候をたてておけば伊勢街道から来るかもしれない敵も迎撃可能。
そして豊臣恩顧東5万西5万で潰し合わせて、南宮山3万は2万にまかせ、いいところで前進
東軍8万vs西軍5万の構図で小早川を寝返らせて完全勝利。素晴らしいな
0538人間七七四年
2018/01/23(火) 02:20:38.80ID:yBnADoJr淝水の戦いとか知らんの?作戦上の退却を先鋒にさせるつもりが、混乱状態が全軍に広がり総崩れに
成った話だけどね。
士気が低下して混乱状態に成ればどんな大軍でも意味をなさないんだよ。
家康は別に要塞に籠ってる訳では無くて、桃配り山って高地に陣を敷いてるだけだよ?この状況で後方で
戦闘が始まれば士気が持つとは思えないんだけど?
0540人間七七四年
2018/01/23(火) 03:42:28.40ID:tRnYDP96挟み撃ちには絶対にならない
桃配山と隘路を利用して迎撃すれば問題ない
南宮山は3万vs5万だ
0541人間七七四年
2018/01/23(火) 03:50:59.83ID:QPWFMBR10542人間七七四年
2018/01/23(火) 03:53:21.59ID:tRnYDP96じりじりと後退しつつ桃配山で迎撃になるだろうな
0543人間七七四年
2018/01/23(火) 03:58:01.77ID:tRnYDP96登山口はふさいでいるものな。
西軍がすさまじい犠牲をだして下山し、敵前で陣を整えてからの話をしているのだと思う。
でも動いた場合は家康は対応するし、東軍5万も桃配山に移動すると思う
0544人間七七四年
2018/01/23(火) 06:40:55.83ID:1i4loSaE0546人間七七四年
2018/01/23(火) 08:07:43.75ID:1i4loSaEディフェンダーが張り付いていない
0547人間七七四年
2018/01/23(火) 08:27:45.71ID:4JIv3w1vああいうのはただの遊兵。
位置が遠すぎるから、よほどタイミングが合わないかぎりなにもできずに終わる。
0548人間七七四年
2018/01/23(火) 08:59:22.62ID:MTZ1nTnZ毛利付いてきてくれんだろうな?と疑心暗鬼になってるから
難しいだろうなぁ。
やっぱり全ては毛利なんだよ。
0549人間七七四年
2018/01/23(火) 10:12:51.59ID:WE9XA/I3伊勢街道方面からの迂回で、関ヶ原、山中方面に向かう云々と語っているが、
どれだけの距離があると思う?
実質、赤坂、垂井ラインより倍はある。意外とあるんだよ距離が。
0550人間七七四年
2018/01/23(火) 10:18:12.65ID:uMPecz2l岐阜城陥落以後は考えても無駄
0552人間七七四年
2018/01/23(火) 17:39:25.63ID:tRnYDP96西軍は大義のない賊軍だし地の利もないし兵も少ないし武将は無能が多く
指揮系統は滅茶苦茶で命令違反は行われ
裏切り者が多数いるうえに
大将役の石田三成に猛将島津義弘の進言を聞く器量がないので
勝てる見込みは絶対にない。
かたや東軍は、
太政大臣から遺言で政務を任された内大臣が率いており、
後陽成天皇に晒布100反を下賜され、前の太政大臣家からも黄金2万米2万を下賜された官軍だ。
大将は戦上手で名の知られた徳川家康。率いる将は歴戦の武断派。兵は多く、尾張や美濃は丹羽のようなもので
関ヶ原の領主も東軍についている。負ける要素がない
0553人間七七四年
2018/01/23(火) 19:09:26.58ID:rj9NDQzi同意だけど正直これに関してはフィールドワークなんてしなくても
地図見ればわかるレベルで遠くて険しいと思うw
0554人間七七四年
2018/01/23(火) 20:38:08.43ID:tRnYDP96http://ime.pta.jp/d/rQqlTE.jpg
吉川も小早川も日和見しないで動いていたらこういう感じになっただろうな
0555人間七七四年
2018/01/23(火) 20:41:02.08ID:tRnYDP96下訂正
0556人間七七四年
2018/01/23(火) 21:37:22.72ID:ZfhKk39k島津の進言に沿った場合は、良い線言ったのかな
0557人間七七四年
2018/01/23(火) 21:47:16.06ID:tRnYDP96政略で負けていて
戦略でも負けていて
兵数は劣り
地の利はなく
武将は戦下手で
リーダー不在でまとまりながなく
命令は無視され
いつ損義理で切り捨てられるかわからないのが西軍
東軍はその逆にすべてを完備している。
島津の戦術的な武勇だけで勝てると思うか?
0558人間七七四年
2018/01/23(火) 23:48:08.81ID:bIeIO42L敢えて「実は不戦密約自体が家康を欺く謀略だったif」とでも仮定して
南宮山の毛利勢の行動について考えてみると、既に述べたけど行動の選択肢としては>>516
そのタイミングとしては
1、9月14日夜、天候小雨、大垣城勢が関ヶ原に移動した時に同じく動く。(>>516の2、3の場合)
2、9月15日朝、天候霧、視界不良を衝いて動く。(>>516の1の場合関ヶ原よりも先に戦闘開始)
3、関ヶ原で戦闘が始まった時、頃合いを見て動く。(>>516の2は間に合わない可能性がある)
4、その他。
(2の場合、南宮山方面までは霧が出てない可能性はある、垂井〜赤坂間は東軍が押さえてる前提)
みんなが想像してるのは3のタイミングで>>516の1、つまり池田、浅野らとの戦闘突入なんだろうけど、
これって主戦線関ヶ原で西軍が勝つか、南宮山の毛利勢が池田、浅野を押し切れば問題はないんだけど、
だめだった場合、深刻な退路の問題が生じる。
退路として考えられるのは
1、南宮山をまた上って南側に下り伊勢街道で伊勢方面に逃げる。
2、大垣方面に強引に突破し、大垣城に逃げ込むか、南下して伊勢方面に逃げる。
1は追撃されてかなり損害が出ると思う。2は島津退き口の毛利バージョンかな。
山を背にして池田、浅野らと戦うことになってしまうので、負けた時のリスクが高い形勢だと思う。
>>516の3ならばまだ退路リスクは低く抑えられる。
個人的には南宮山の毛利勢が参戦するなら東軍の退路遮断か、
関ヶ原東軍先鋒左翼への側面攻撃、つまり直協攻撃がいいんじゃないかなと思う。
池田、浅野を攻撃してもリスクの割にあまり情勢変化しないような気がする。
池田、浅野らを撃破できればいいけど。
何度も言うけど、それ以前に南宮山の毛利勢が参戦する可能性は低いと思ってる。
0559人間七七四年
2018/01/24(水) 00:25:38.32ID:LMnzKHaB笹尾山周辺の拡大地図って出せます?
いや、黒田長政隊は一部隊派遣して笹尾山のさらに伊吹山麓側から浸透移動して
石田陣の側面攻撃、あるいは後方に進出できなかったのかなと思って。
ちょうど竹中重門もいるし。
0560人間七七四年
2018/01/24(水) 00:44:33.70ID:msi1jzxN南宮山南に抜けるのも大回りして伊勢街道抜けてくるのも
そんな簡単な距離じゃないんだと上で何度も言われてるんだからまずはそこじゃないか?
霧があろうと2~3万も動いて目の前の池田らに気づかれないのは無理だし
遠すぎるから普通に気付いてからでも池田らは関ヶ原抜けて伊勢街道で来るの悠々と待てるぐらい距離が違う
タイミングの問題じゃないよ
0561人間七七四年
2018/01/24(水) 04:08:08.74ID:f40A5b72http://ime.pta.jp/d/T3LdzN.jpg
http://ime.pta.jp/d/ahabns.jpg
迂回は難行になりそう
0562人間七七四年
2018/01/24(水) 04:13:43.71ID:f40A5b72石田三成が勇戦するわけだな。
場所がいい上に島左近におんぶにだっこ状態だもの
0563人間七七四年
2018/01/24(水) 04:42:31.19ID:f40A5b72こうやって見ていくと笹尾山はすごくいい場所だな。
戦場全体を見渡す総大将としては不適切な場所だけど。
いち指揮官としては最適におもえる
0564人間七七四年
2018/01/24(水) 05:02:03.67ID:f40A5b72小早川秀秋の松尾山http://ime.pta.jp/d/CtTshu.jpg
宇喜多秀家の天満山http://ime.pta.jp/d/EPtog2.jpg
徳川家康の桃配山http://ime.pta.jp/d/MivNAw.jpg
0566人間七七四年
2018/01/24(水) 08:28:05.25ID:s+2BDHqiチャンスに恵まれても地の利を活かした戦略にはかなわない、その地の利も人の団結力にはかなわない
いくら東軍を囲うような陣形配置しても
家康が西軍を誘引するために桃配山に布陣し
西軍の戦線が伸びた所を側面から小早川が突く作戦だから
地の利や陣形配置の優劣をいくら考えたところで無意味
『地の利は人の和に如かず』
言葉通りの結果だ
0568人間七七四年
2018/01/24(水) 13:16:34.41ID:PSUcvS6s0569人間七七四年
2018/01/24(水) 14:36:31.77ID:f40A5b72人の和に如かず
これはまさにそのとおりだな。
石田三成が家康と同じ立場ならいつ切り捨てられるかわからないと思われて全軍崩壊するかもしれない。
けど、家康の場合は武断派から心から信頼されていて、
困ったときでも家康なら何とかしてくれる、何とかしてくれたという信頼感がある。
人の和があるので十分対処可能。大将の差があらわれるな。
http://ime.pta.jp/d/UyBuaT.jpg
http://ime.pta.jp/d/GreCQ7.jpg
西軍が全軍で敵に回っても、武断派は桃配り山の隘路で地の利を得て応戦
家康は戦場全体を見渡せる山に移動し、適切に兵を送り込み
備え2万は山から下りようとする3万を登山口で叩く
ぜんぜん危険じゃない
0570人間七七四年
2018/01/24(水) 18:48:35.12ID:f40A5b72まぁ、小早川が動き、吉川毛利長宗我部が動いたとしても
東軍の負けはない。将兵に与える大将の優劣が大きすぎるし、
将兵も東軍のほうが修羅場をくぐっている
0571人間七七四年
2018/01/24(水) 19:01:52.84ID:PSUcvS6s0574人間七七四年
2018/01/24(水) 22:29:13.30ID:u+D1mhn2そうは言ってもこの南宮山の毛利勢って位置取りが微妙なら兵数も中途半端で
いい運用法が思いつかないよ? 東軍先鋒左翼側面への攻撃か、
東軍の退路遮断(合戦想定域は長束の布陣してるあたりから蓋しにいくかんじ)くらいしか。
いっそ石田ら大垣城勢について行って関ヶ原に布陣するのもありだけどいい布陣場所がない。
脇坂、朽木らの隣の伊勢街道のあたりかな?けっこう危険な場所だよね。
下手すると後方に回り込まれる。
松尾山が空いてればいいかんじなんだが。
とりあえず南宮山から離れるか、一部を残し主力は移動、
なんか名案あればよろ。難しいよ、これ。
0575人間七七四年
2018/01/24(水) 22:32:41.24ID:3T+fS617小田原以来10年近く戦場に出てないクソ雑魚集団徳川軍がなんだって?
関ヶ原でも徳川四天王()のお二人が敗走中の島津を深追いしすぎて返り討ちにあってるよね
0576人間七七四年
2018/01/24(水) 23:09:33.78ID:msi1jzxN良い運用どうこうとか以前に
伊勢街道に抜けたところで東軍側面攻撃なんて不可能だと言ってるだけ
まるっきり間に合わないし丸見えだから池田らも家康も悠々と対応できる
選択肢になりえてない
ここの毛利隊は池田らと戦ってくれれば御の字、それ以上の期待は無駄
それさえ怪しい訳だが
0577人間七七四年
2018/01/24(水) 23:19:08.02ID:9OZwy4bK0578人間七七四年
2018/01/24(水) 23:26:27.21ID:y6JiXWra逆に西軍大名の大半は朝鮮で戦い過ぎたせいで精神が磨り減っていて
政治権益がかかった首謀者連中以外は戦意が上がらない大名ばかり
戦い過ぎたことが西軍の敗因だろうね
0579人間七七四年
2018/01/24(水) 23:35:05.67ID:9OZwy4bK0580人間七七四年
2018/01/24(水) 23:56:59.85ID:f40A5b72国会の決定と天皇の公認を得て、自ら自衛隊を率いて行ったのが会津征伐で
讒言しまくって自衛隊員たちに恨まれていた脱獄囚の石田三成容疑者が
野党と語らい反乱をおこしたのが関ヶ原の戦いだ。
石田三成容疑者は人質を取ろうとして、
従うことをよしとしない自衛隊幹部の妻細川ガラシャ夫人が自殺する事件もおこっている
こんな状態の戦いで、大臣の率いる軍の方が多いわけだから
吉川や小早川にひより具合も当然だし東軍が石田三成を憎むのも当然だろう
敗因はあきらか。大義がなかったから。
0581人間七七四年
2018/01/25(木) 00:01:28.88ID:VI4FFMnM戦国時代に内閣総理大臣なんて役職も国会も自衛隊も野党もないぞw
どこのパラレルワールドの歴史?
0582人間七七四年
2018/01/25(木) 00:01:45.73ID:5LrEvmdX東軍大名は朝鮮で讒言を繰り返した奸臣三成を殺すというモチベーションがあったのが大きい
逆に西軍大名は三成を殺すというモチベーションが持てないことが致命的な弱点だった
小早川たちが東軍に転向したのも三成を殺すためには仕方のないことだろう
三成は西軍大名に自分を殺すためのモチベーションを与えるべきだった
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