三河遠足から長篠の遠足まで約2年程、ボスは変われど重臣連中はほぼ同じ、1度遠足経験があるのにあの惨敗、年寄りは皆戦死
武田は義信監禁生殺し事件の後、若手を粛清し過ぎて世代交代出来なかった影響が確実に出てるな、気付かぬうちにちょっとずつ数年の間に戦力が落ちてたんだろうな
三河遠足の時の三方ヶ原は勝ったが、家康を仕留めることが出来ないあたりをみても、戦力ダウンの兆候が確実に出てるな、特にスピードが落ちてるな、これは致命的だな
この時既に武田は最早、戦国最強クラスではなかったな
武田は義信、飯富虎昌体制で行った方がスピード力を維持できたな、蛙王も義信生殺しの後はそこを一番気にしてたんだろうな、蛙王の軍隊の移動攻撃退却のスピード力は低下、病気のスピード力は向上、まさに反比例だったな
横綱クラスから陥落した蛙王に天下は微笑まない、たとえ長生きしても微笑まない
それが父親追放、嫡子生殺しの
蛙王武田信玄の宿命!