>>85
残念だが、織田信長は永禄期から豊後の大友宗麟との友好関係を始めているし(これがのちに毛利家包囲に大友が協力したり、信長が耳川後に島津との仲介をしたり、義統の官位奏請につながる)、伊達輝宗とも天正初めには音信を通じ合ってる。

長篠後には全国の大名に勝利を宣伝し、自分に味方するように誘ったりしていて、全国視野があったのは疑いない。

信長マンセーとか言ってる信長公記でも、九州まで兵を送る予定だったとしているからな。