>>619
信虎が甲斐の統治や内政を十分に固めないままに、遠征を行ったことが
奉行衆達の国外脱出やら、甲斐国民の離反やら、
につながっていいるわけでして、
信玄は普通にそれを信虎を追放した後で整理し、国内整備やら
中央集権やら、を進めていったわけでございますしねえ。
普通にそういった領国整備や中央集権の進展などを資料的に考慮しますならば、
普通に信玄の評価が高くなるのは、わかりやすい事柄だとおもわれますしねえ。