>>550宛続き
で、同じく黒田基樹氏の著作によりますれば、
北条氏康は>>553にあるような状況になって、
「国中の百姓が悉く退転」という事態になった結果、
撫民政策をとる事になり、税制改革を行う事になったわけではありますが、
元々、棟別銭の他にも北条領国では畑に関する複数の雑多な税があったりしたのを
一つにまとめて懸銭、という税にし、さらには棟別銭の減額を行ったりしてますね。
これが貴方の言うような、「棟別が北条は安いから税金が安いんだ!」的な言い方の基になっているように思われますが、
さらには、北条領国には、本反銭、や諸々の公事の賦課税、など色々な税金が存在していたのを、
氏康は上記のような状況の結果、減額を行う事にしたようですねえ。
で、この時点でも北条家には棟別銭以外の多数の税が存在した事が明らかなように思われる次第でございますが、
この件について、いかが思われるのか、について、ご説明の方をよろしくお願いいたしますかねえ。