>>535
武田の財政がかなり苦しいことを本当に知らないか、都合が悪いから目を背けているのか。

武田には信虎の時代に村や町宿の家に課税する棟別銭という税金があった。信虎の時代には本家だけに課税(課税時期は春と秋)した。

信玄の時代に棟別帳が作成されて取り立てが厳しくなり、さらに課税対象範囲が新家(本家の一族)にまで拡大。

確認できる1555年における武田の棟別銭の重さは、隣の後北条氏の何と4倍、奥州の伊達や近江の朽木と較べても2倍になる。明らかに甲斐、信濃は超重税国。

勝頼の時代にはさらに厳しくなり、たぶん長篠敗戦後だと思う(ちょっと時期が明らかでない、ごめん)が、新家に対する課税額が何と信玄時代の倍に上げられ、さらに1580年には本家、新家共に棟別銭を30パーセント増額。

ここまで来ると超重税過ぎて、武田征伐の時に民衆が一揆を起こしたのも頷けるわ。お前が言うように石高で測れるなら、何で武田信玄や勝頼はこんな超重税の課税強化なんかしたんだ?