>>394
貴方の方こそ、必死になって都合の悪い史実などの提示について、
必死にスルーなさられようとしておられるご様子ではございますが、
その浅井三分の一、織田三分の二、
というのは前にも書かれてたように、織田側の横山城を返還し、
佐和山城の包囲もといて、さらに畿内政界の上位に朝倉浅井を置き、
信長はその沙汰を聞き、
さらには比叡山領土の安泰も確保する、というのですから、
明らかに朝倉浅井にしてみれば、これだけもらえれば、もう戦う理由がないわけですしねえ。まあ、実際は信長の和睦詐欺だったわけですけれどねえ。

こちら側は同時代資料の和睦後の義景の書状までしっかりと提示して、
義景側が信長の謀略かと疑いながらも、
将軍がたっての願いで仲介したからこそ、それを受け入れた、という流れや内容を
何度も示していますのに、何をおっしゃっているのかと思うのですけれどねえ。

織田優勢どころか、信長自身の書状で、はっきりと
「将軍家の政道に意見がありましたら、相互に相談して決めていきましょう。
畿内の寺社や公家の政道に関しましては、貴方達から沙汰される事に
異論などありません!」と畿内政界の運営において、朝倉浅井を織田の上位に置くから、
和睦しましょう、という事を申し入れているわけなのでございますが、
これで織田側優位、というのは無理があると思うのでございますが、
如何なものでございましょうかねえ。