>>759
そもそも三方ヶ原の被害が過大に評価されすぎてるからね。確かに中根、夏目、成瀬と当時の幹部を喪い、2000の死者とそれ以上の負傷者が出たらしい。だが、負傷者は時間が経てば回復する。

また幹部にしても石川、酒井、高力、本多とまだ健在だから、立て直しはそこまで苦労しないと思います。事実、1573年5月に徳川家康は駿河の岡部に侵攻して武田領を焼き払っています。

これは武田信玄の死去という事変のため、も大きいですが、三方ヶ原から5ヶ月も経ち、負傷者が回復していたとも考えられます。

当時の徳川領は40万石と考え、単純計算なら1万2000。目一杯頑張ったら1万5000はいけます。そのうち2000を差し引いても、ふたたび8000を編成することは不可能ではないと思われます。

武田信玄が美濃へ行くなら、やはり織田信長みたいに長篠で武田に与えた大損害を徳川に与えないと、やはり徳川家康は時間次第で回復を図れると思われます。