>>796
7月12日清洲攻撃案についてのわたしの見解は>>720
あとは他のひとが言ってる>>799あたりとか。
発案者の展望がわからないのでなんとも言えないけど、戦域優位性の獲得によって
西軍優勢の維持とかなのかな?清洲に3万も籠もればそう簡単には落ちないだろうし。

8月10日以前の秀信による清洲攻撃案は、清洲占拠による効果は副次的なもので
目的自体は西軍の計算できる戦力としての、秀信の西軍からの脱落阻止、
及びその兵6000の雲散霧消の回避。

西軍としては攻勢作戦の使用に耐えうる計算のできる隊が、
石田、大谷、宇喜多、秀信、小西、丹羽長重、立花あたり(東北、信州、九州戦区除く)。
他は抑止、誘引、守備あたりの使用にしか耐えず、攻撃力は戦力優勢下でしか発揮しない。

つまり平たく言うと決戦戦力の無駄な損耗を避け戦力の集中、ないし有効な活用をすること。

その具体策として岐阜、犬山放棄しての大垣集結であるとか、大垣城との連携で
木曽川迎撃であったりとか、清洲城攻略とか、史実のような木曽川単独迎撃失敗戦力損耗状態での籠城の上落城
西軍からの脱落、兵6000消失という最悪の事態を避ける方策。

ただし清洲城早期攻略のデメリットはあなたの言われる通りで、
東軍7〜10万が集結してしまうリスクを考えるとあまりよくないと思い直しています。

またいずれの場合でも宇喜多秀家は伊勢方面投入ではなく、
初めから関ヶ原経由での美濃方面投入するべきだと思います。
島津が8月17日に垂井に到着しているので宇喜多も8月20日には大垣に到着できるはずです。

兵力劣勢側としては少しでも戦力優勢状態を作り出しその状況下で
各個撃破することでしか勝てないと思います。
その時とは敵が戦力を分散したときです。具体的には最も東軍が戦力を分散させたのが
木曽川渡河時です。
どこをどう攻撃するかは作戦次第ですが。

なんか乱文になってしまってごめんなさい。