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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part8 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/09/21(木) 17:19:05.29ID:MNUdMh7V
前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
0006人間七七四年2017/09/21(木) 18:22:50.60ID:cBubpyq3
>>5
家康の直接指示
まぁ、犬山の調略が終わった段階で、美濃攻めはどこからでも成功しただろうね
0007人間七七四年2017/09/21(木) 19:14:33.40ID:6/3DH6+i
>>3
毛利元康を大将とし立花宗茂等の大名1万5千の兵が引っ張られることもね
>>6
犬山城は籠城決め込んでて織田秀信が勝手に野戦して大敗して
犬山城と大垣城に救援要請したという呆れた状況だから寝返っても仕方ない
犬山城から援軍で行っても岐阜城勢は大敗して兵の大半を失ってるからね
犬山城勢と岐阜城勢で挟み撃ちにすらできない状況
見殺しにすりゃ後で責められるしそりゃ寝返るしかないわ
0008人間七七四年2017/09/21(木) 19:35:56.51ID:cdzsWjCU
結局
伏見攻略に時間をかけすぎた、前線進出や各方面展開を伏見攻略後に開始した遅さ
この遅さが終始西軍が劣勢になり一体感も欠いた原因ではないかな

鳥居元忠がMVPだし、
三成は秀吉の電撃作戦を見て来て一体何を学んだのか、という話
0009人間七七四年2017/09/21(木) 19:54:03.82ID:MNUdMh7V
>>8
敗因の根っこを辿っていくとまさしくその通り。反論の余地はない。
伏見攻略の遅さがその後の西軍の行動全てに影響している。

美濃戦線でも織田秀信&石田三成の対応如何ではいい勝負にもっていけそうだったのに
自爆に近い結果。

>三成は秀吉の電撃作戦を見て来て一体何を学んだのか、という話

これもほんとそう。数集めて終わりじゃない。


しかし伏見攻略は8月1日になっちゃったんで、そこからどう巻き返すか、じゃない?
0010人間七七四年2017/09/21(木) 20:41:03.88ID:d68P7FI9
小早川はサボタージュしていなければ
大垣城に入っていたと思うんだけど
そうなれば事前に岐阜城へ兵を入れる余裕ができて
岐阜城の攻防に影響を与えたりしないだろうか
0011人間七七四年2017/09/21(木) 21:15:31.61ID:6/3DH6+i
東軍は伏見城、大津城と時間稼ぎや敵兵力分散させるのが上手かったからな
それに対して西軍の岐阜城はあまりにお粗末

数が少ないのに野戦を挑むという無能な上に
そんな勝算の少ない野戦に賭けても大局的には時間稼ぎが一番大事だったという
0012人間七七四年2017/09/21(木) 21:49:56.82ID:MNUdMh7V
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月14日 家康赤坂着陣
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら大津城攻略

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。

増補しました。
0013人間七七四年2017/09/22(金) 00:27:55.71ID:f5pjRWzq
追記

8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
0014人間七七四年2017/09/22(金) 01:49:53.04ID:a6xy4lIk
>>12
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣

9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻

長谷堂城の戦いでも最上1千人に対して上杉2万
最上が籠城で2週間以上耐えてたから
同じ山城の岐阜城も耐えられるはずなんだけどな
岐阜城で足止めできれば家康の出陣も送れ伏見城で出遅れた分をかなり挽回できたのに
0015人間七七四年2017/09/22(金) 07:06:06.60ID:Ac3OHXfc
知れば知るほど
西軍て行き当たりばったりだね
こりゃ勝てんわ
0016人間七七四年2017/09/22(金) 08:46:23.66ID:2NgX3WHs
まさにその通り、西軍は兵力分散と拙速で統制もとれていない、東軍は先制と兵力の集中、
総大将は日本一の大大名の家康と秀忠軍の誤算を差し引いてもこれは勝てんな。
西軍に勝たせようと思ったら西軍に有利なヒストカルイフ(豊臣家の積極支援、軍資金、兵糧提供
、朝廷より徳川討伐の勅命など)をいくつか設定しないと無理だろうな。
0017人間七七四年2017/09/22(金) 09:28:40.71ID:otrQiPGS
岐阜って道三以来でかい白ってイメージなのだがねえ
ここがあれば尾張攻略もみえたのに

スレ的には家康が江戸出陣から考えるべきかね
0018人間七七四年2017/09/22(金) 09:50:08.33ID:riTD5elD
岐阜が落ちなければ勝てないまでも長期戦になりえた
0019人間七七四年2017/09/22(金) 11:26:46.12ID:cRVvtZ11
前のスレでも誰かが言ってたような第二次小牧長久手の戦いになったかもという話か

しかし、最初に上杉征伐を豊臣家から任された家康とクーデター起こした三成が長期戦をやるとなると政治的な立ち回りでも家康が有利じゃないか?

まして総大将テルが大坂城に居残って前線の指揮命令系統がない西軍が組織的に戦える可能性は低い訳で
かといってテルの名代格の秀元、広家は不仲で広家は既に家康に渡りをつけている
三成はそのバラバラの名代の補佐やれるほど器用でもなく、合戦の実績で他の大名が従うという人物でもない
クーデターの首謀者が三成だった時点で色々な面で難しい事が多過ぎるように思うけどな
0020人間七七四年2017/09/22(金) 11:52:14.21ID:orGticis
前スレにもあったけど岐阜城は籠城に向いていないんだよ。
岐阜城は難攻不落とかいうなんの根拠もない噂に惑われ過ぎ。過去に何度も落城しているのに。

まず山城で地下水を汲み上げられないから飲料水は雨水を井戸に蓄えている。
山城で堀を広く掘れないから槍や弓矢の戦いならまだしも、鉄砲には防御力が極端に落ちる。

しかも関ヶ原のときは秀信の前に6年間城主だった池田輝政がいたから城の構造も弱点も知り尽くしていたんじゃないの。
つまりこの場合岐阜は狙われたら終わり。

大体秀信なんて子供なんだから無能かどうかのランクにも入ってこないよ。
0021人間七七四年2017/09/22(金) 11:57:27.07ID:orGticis
>>19
長期戦は西軍の財政的に無理だな。
前スレでも書いたけど、大垣城で脱穀していた絵が残っていたということは相当困っていたということじゃないの。
兵の規模も大きいしな。
1万2万ではないしな。
0022人間七七四年2017/09/22(金) 12:06:15.09ID:orGticis
>>14
そもそも上杉は景勝以降や直江兼続の戦闘力がどの程度だったかが疑問だよな。

新発田重家を鎮圧するのに7年掛かっているんだろう。

それと上杉ってあまり金がなくて鉄砲とかあまり持っていないような気がする。

金があったら転封の際に堀秀政の年貢米をちょろまかすことはしないだろう。

大体こいつら堀に告げ口されるのも、セコイことした身から出たさびなんだよな。
0023人間七七四年2017/09/22(金) 12:09:48.42ID:orGticis
あとあまり長引くと如水・鍋島の動きが脅威になってテルは撤退という事態もありえるやな。
如水・鍋島って、この時代では一番手強そう。
0024人間七七四年2017/09/22(金) 12:46:23.74ID:fiVZ0CSD
伊達が裏切ったら勝てた
0025人間七七四年2017/09/22(金) 13:15:01.15ID:oREkWF+1
>>24
そもそも伊達をどうやって裏切させるんだよ。
豊臣政権では冷遇されていて徳川と婚姻を結んで100万石を保証されていたのに。
反故にされたけど。
0026人間七七四年2017/09/22(金) 13:16:19.26ID:VU53jeS8
岐阜がダメならなんでそこを本拠地にしたのか
0027人間七七四年2017/09/22(金) 13:20:35.94ID:lliqnVBu
テルが安易に総大将にならなければ
西軍は毛利を頼らず違う戦いができた
0028人間七七四年2017/09/22(金) 13:28:22.20ID:cVH+hzHd
テル以外に誰が総大将できるの?
0029人間七七四年2017/09/22(金) 14:12:07.88ID:Pm9XaWva
毛利が背後から徳川を襲ってそれを見た小早川が正面から徳川を襲って壊滅させるしか
西軍に勝ち目ないなぁ
0030人間七七四年2017/09/22(金) 14:31:59.41ID:BecJhEE+
毛利の兵力は必要だからな。
0031人間七七四年2017/09/22(金) 14:35:03.64ID:4QcWgKiQ
毛利テルとか
また髪の話かとオモタ
0032人間七七四年2017/09/22(金) 14:50:50.47ID:oREkWF+1
>>29
毛利が戦う気なら、大垣城勢に備えを残して、まずは毛利攻めだろう。
東軍からすれば正面毛利で側面が三成たちになる。
0033人間七七四年2017/09/22(金) 15:15:00.37ID:nTBYxrl9
>>20
水なんて長良川から汲んでくればいいやん。
すぐ横流れてるよ。
0034人間七七四年2017/09/22(金) 15:21:43.93ID:0FzIKzmb
>>33
広域に渡る包囲網引かれたら水汲みに行くたびに撃破される
ガイ亭の馬謖と同じで

陣を構えるなら街道が狭くなった先に柵構えて飛び道具で寄せ付けないようにして膠着させといて西軍本隊の到着待つしかないけど美濃国内ではそんな場所がない
迂回されて川渡られたら背後を突かれる
0035人間七七四年2017/09/22(金) 16:08:39.67ID:BecJhEE+
何年か住んでたら落とせるなら城攻めって楽だよなw
0036人間七七四年2017/09/22(金) 16:09:50.58ID:a6xy4lIk
>>20
いや小谷城も水源ないけど5千の兵で一ヶ月近く籠城してたぞ
山城は水源に乏しいから大甕や貯め池作って水を確保してた
雨水の湧水さえない所には山城は築かないし

史実通りに野戦〜落城まで二日だけど
いくら水源が乏しいと言っても最初から岐阜城で籠城して二日で落城はない
0037人間七七四年2017/09/22(金) 16:16:47.20ID:nTBYxrl9
>>34
いやそうじゃなくて、籠城と決めた時点、あるいは
それ以前に長良川から水汲んできて貯めとけばいいやん。
なぜ包囲されてから汲みにいく。
仮に包囲されてからでも岐阜城搦め手口から夜闇に紛れて汲んでくるのはそう難しいか?
0038人間七七四年2017/09/22(金) 17:19:06.05ID:oREkWF+1
そりゃ岐阜城で籠城するなら水を汲みに行くしかないよなw

まあ、それで1日延びたかだよな。
もう戦国後期で鉄砲の数が増えたら山城はきついと言っているじゃん。

小谷城なんて関ヶ原より30年前の話だ。
0039人間七七四年2017/09/22(金) 17:24:40.13ID:2RlU06vg
>>37
敵に見つからずに夜闇にまぎれてこっそり汲んでこれる水量って焼け石に水程度では
0040人間七七四年2017/09/22(金) 17:32:53.06ID:b6iGNiy3
岐阜城は曲輪が小さく篭もる兵が少ない上に、各所に点在するので事実上孤立している
0041人間七七四年2017/09/22(金) 17:38:36.15ID:a6xy4lIk
岐阜城が建つ前に稲葉山城がそこにあったんだけど?

稲葉山城は水不足で落城したことは無く
織田信長は何回も斎藤氏に敗退しているのを忘れてるよね
稲葉山城と同じ場所に建ってるんだから水不足で落城するわけないだろう
しかも稲葉山城に苦戦したからこそ信長は岐阜城をそこに築いたわけで
そんな水不足で簡単に落ちる場所に新しく城を築くわけないだろ
0042人間七七四年2017/09/22(金) 18:16:00.29ID:rIiIWxjG
>>41
城そのものはあまり攻めてないような
0043人間七七四年2017/09/22(金) 18:22:22.64ID:oREkWF+1
というか秀信で落城は5回目だ。
支城ならあるかもしれないけど、本城でこれだけ陥落しているのは最多ではないか。

信長は城に辿り着く前に撃退されているからな。
0044人間七七四年2017/09/22(金) 18:25:28.65ID:a6xy4lIk
>>42
調略でしか落とせなかったからな
水不足で落城した記録は無し
なのに水不足で落城するという意味不明な論を展開している人がいる
0045人間七七四年2017/09/22(金) 18:26:57.06ID:oREkWF+1
それと信長の頃は30年前でさすがの信長もそんなに鉄砲を持っていなかっただろうな。

何度も言うけど、同じ戦国時代でも槍や弓矢で戦うのと鉄砲では違うんだよ。
0046人間七七四年2017/09/22(金) 18:27:55.05ID:oREkWF+1
>>44
水不足で落城したなんて
どこに書いてある?
0047人間七七四年2017/09/22(金) 18:33:58.02ID:riTD5elD
井戸がないって書いてるよ

山城は必ず落ちるの?
0048人間七七四年2017/09/22(金) 18:36:09.23ID:a6xy4lIk
>>45
戦国時代の火縄銃なんて至近距離じゃないと威力が出なかったのに
山の上の城に火縄銃は何か効果あるのか?

>>46
そんな簡単に落ちる城なら調略せずに水不足と力攻めで落とせるでしょ
しかもそんな簡単に落ちるなら信長がそこに本拠の城を建てないだろって話だな
0049人間七七四年2017/09/22(金) 18:37:17.21ID:4sz7Agt9
比叡山山頂から琵琶湖に水汲みに行くぐらい大変だよ

あと町が麓にあるんで総構えになってないから籠城になるとまず麓の町を捨てる覚悟が必要
何年もの時間と莫大な金を投じた町をね
そしてそこに暮らす籠城兵の家族、家僕を避難させないと皆殺し

水汲みに行くのも無理
麓守りながらの籠城も無理
家族らを見捨てて山に籠るのも無理
先手取って奇襲するには相手が大軍過ぎる上に濃尾平野で奇襲ができる地点がない

選択肢はほぼない
普通の頭なら降伏する
0050人間七七四年2017/09/22(金) 18:37:24.68ID:a6xy4lIk
>>47
湧水があったから湧水を貯める井戸が数個あったって話だな
0051人間七七四年2017/09/22(金) 18:44:57.14ID:oREkWF+1
>>48
だから広い堀が掘れないと言っているじゃん。
麓から打つと思った?
0052人間七七四年2017/09/22(金) 18:53:39.32ID:a6xy4lIk
>>51
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Gifujyou11.jpg

何を言ってるか分からんけど鉄砲がある時代ならこういういくつもの塀と
山への限定された侵入路がある場合、籠城側は火縄銃で待ち伏せしてた方が有利だよね
0053人間七七四年2017/09/22(金) 19:07:11.81ID:q4Jx4jyC
斉藤時代は動員数いくらくらいだっけ?
戦国中期と桃山期だとそこそこ変わるよーな気もするけど
0054人間七七四年2017/09/22(金) 19:16:57.03ID:eYmfjj35
まあ、実際は一日で落ちてしまったのだし>>20のいわんとすることもわかる
ただ、時間稼ぎくらいはできただろ、てのも事実かと

秀信くらいじゃ、そうなるのかもしれないな。ぼっちゃん育ちだろうし
問題は三成の戦術眼のなさか
大垣で一ヶ月以上もいるなら、一回位は行く暇あったろうに、「攻められたら、すぐ
助けに来るから待っててね」ですむのに 
0055人間七七四年2017/09/22(金) 19:27:39.69ID:a6xy4lIk
>>54
一日で落ちたのは野戦で大敗して兵が散り散りになって兵の大半を失い
籠城しようにも守る兵が圧倒的に足りなくなり、最後には数十人しか残らなかったからな
そりゃ落ちるわ
0056人間七七四年2017/09/22(金) 19:28:42.33ID:I5F48hWF
岐阜孃が時代にあってないのは事実だが即落城ってもんじゃない。大兵力を収容できないタイプの城だけど攻めにくいよ。長期間の籠城でなければ有力だよ。
0057人間七七四年2017/09/22(金) 19:47:26.13ID:a6xy4lIk
籠城に本当に適さなかった大津城でさえ岐阜城の半分の兵力で最初から籠城して8日耐えたしな
0058人間七七四年2017/09/22(金) 19:51:49.37ID:SmL/qRqe
三成とかからの援軍も含めて「籠城より打って出たほうが有利」と判断したんだからしゃーない
0059人間七七四年2017/09/22(金) 19:52:37.79ID:lZAdf4BF
だからそれがダメだったて話
0060人間七七四年2017/09/22(金) 19:53:17.12ID:SmL/qRqe
>>57
耐えてない耐えてない。おそらく実質戦闘があったのは3日位>大津城
0061人間七七四年2017/09/22(金) 20:01:00.79ID:a6xy4lIk
>>60
アホだな
野戦だったら3000対15000なら一日掛からずに京極軍は壊滅するけど籠城したお陰で攻めあぐねて8日持ったんだろう
0062人間七七四年2017/09/22(金) 20:05:55.59ID:b6iGNiy3
犬山の調略に気付いていないから、対処可能な数で大垣の援軍が来るまで、
保つと判断したのでしょう>秀信
0063人間七七四年2017/09/22(金) 20:09:59.61ID:a6xy4lIk
伏見城の戦いや大津城の戦いみたいに時間稼ぎを最優先に命じなかったのが西軍の最大の敗因だな
0064人間七七四年2017/09/22(金) 20:27:25.56ID:oREkWF+1
>>54
清洲城に3万以上も兵がいるのに秀信に指示を出さない三成が無能ということだな。
大体いつもここに落ち着く。
秀信なんてまだガキだから仕方ない。
0065人間七七四年2017/09/22(金) 20:56:35.36ID:b6iGNiy3
現状で秀信の出陣が三成の意思と反しているという、史料的な根拠は無い
0066人間七七四年2017/09/22(金) 21:02:05.65ID:a6xy4lIk
つっても関ヶ原合戦時の秀信は20歳だろ?
信長が家督を継いだのが17歳
家康が今川と断交して織田と同盟を決断したのが19歳
西軍の振りしてた小早川秀秋は関ヶ原当時は18歳で秀信より年下だ
0067人間七七四年2017/09/22(金) 21:04:06.74ID:IWa/dW9b
なんかえらく簡単に言ってくれるけど
織田家嫡流で正三位権中納言の秀信に三成ごときが指図できるわけ無いだろ
ゲームの駒じゃないんだぜ
それに三成でなくてもあの兵力差で城外出撃するなんて普通想像しないよ
0068人間七七四年2017/09/22(金) 22:15:14.06ID:oREkWF+1
>>67
こいつアホだな。
武士の戦争に朝廷の官位なんて関係ねえよ。
宇喜多だって三成の指示に従っているじゃん。
お前は西軍は誰の指示で動いていたと思っていたんだ?
0069人間七七四年2017/09/23(土) 05:15:06.95ID:MKnhW2yU
岐阜については出撃せざるをえなかった可能性があるな。
というのは、織田家(秀信)は皆が西軍参加に賛成したわけではないらしいからだ。
重臣の一部が秀信に東軍に参加するよう秀信を説得していたらしい。
つまり、籠城すると、家中の東軍支持派を抑えきれなくなる可能性があったのではないか。
家中を一本化する為に、東軍を野戦で撃破する必要があったんじゃないかな、と。
0070人間七七四年2017/09/23(土) 06:26:40.03ID:Nzsdxx0o
兵数的に無理だ
特攻隊か
0071人間七七四年2017/09/23(土) 06:30:30.48ID:GIL7EUhB
兵力差が2倍なら戦術が当たればまだ何とかなるかも知れないが
兵力差が5〜6倍で野戦挑むのはただの無能
0072人間七七四年2017/09/23(土) 08:22:45.07ID:3XPI8B2g
ならば、犬山の抑えで東軍の相当数が割かれていると、秀信は判断したのだろう
0073人間七七四年2017/09/23(土) 08:32:30.91ID:GIL7EUhB
犬山城と岐阜城でそれぞれ籠城してればそうかもしれないが
兵数がものを言う野戦にノコノコ出て来たら
そっちにみんな集中するに決まってるだろ
だから無能と言われてる
0074人間七七四年2017/09/23(土) 08:47:11.08ID:3XPI8B2g
その場合は犬山城の兵が出撃して後背を襲うという流れ
0075人間七七四年2017/09/23(土) 09:10:01.92ID:vHIJL//E
そんな連絡が取れる環境、関係ならな
それは三成の初動にも言えるけど

乾坤一擲を狙うには情報収集、味方への働きかけ、強引さ、アホみたいなアメどれも足りてない
0076人間七七四年2017/09/23(土) 09:21:12.46ID:GIL7EUhB
>>74
家康が浜松城で籠城していたら信玄が浜松城を素通りして西進し
これに対し家康は浜松城から出撃して背後から突こうとしたら
家康を浜松城籠城から野戦に引き摺り出す武田の策で
数で劣る家康が大敗した三方ヶ原という戦があってだな

西軍にとっては時間稼ぎが最優先事項なのに野戦したから無能って言われてるんだよ?
0077人間七七四年2017/09/23(土) 09:27:57.19ID:izHZ2AoR
だから岐阜城で籠城しても大して時間が稼げないよ。

大体、野戦で秀信はどのくらい戦力を減らしたんだよ。
半分にでもなったのか?
0078人間七七四年2017/09/23(土) 09:29:06.03ID:izHZ2AoR
野戦をしたより支城に兵を分散したのが悪かったんだろう。
0079人間七七四年2017/09/23(土) 09:37:24.58ID:GIL7EUhB
>>77
0080人間七七四年2017/09/23(土) 09:42:57.54ID:GIL7EUhB
>>77
武徳安民記によると福島正則が430人討ち取り、池田輝政が490人、浅野幸長勢が308人討ち取ったとあり
最後まで生き残った秀信家臣38人の家臣は切腹した

つまり6000人いたのが籠城時には2000人未満になってただろうと言われてる
0081人間七七四年2017/09/23(土) 09:44:32.40ID:izHZ2AoR
あと何度も言っているけど前城主の池田輝政がいるから、
攻め手に城の構造はまる分かり。
恐らく弱点も知っていたんだろう。

三成が清州城の動きを全然気にしていなかったのが悪い。
岐阜城なんて狙われた終わり。
まあ、三成には斥候すらいないみたいだから仕方ないけど。
映画ではくの一を使ったいたらしいけどw
0082人間七七四年2017/09/23(土) 09:58:52.08ID:GIL7EUhB
こっちも何回もいうけど籠城に適さない大津城の戦いでも八日持った
二週間以上持った長谷堂城と同じ山城なのが岐阜城
結局は野戦に出てたから城周辺に柵や土塁を築く時間さえなかった
大津城は瓦礫で道を塞いだり最初から籠城決めてそこらへんをしっかりやってたからな
0083人間七七四年2017/09/23(土) 10:14:22.91ID:MgFMJmKG
本当に籠城できない糞城なら捨てて別の城に行けばいい
野戦は兵数的に勝てないのは明白

バカなの
0084人間七七四年2017/09/23(土) 10:17:43.09ID:GIL7EUhB
兵力差がダイレクトに勝敗を決める野戦で5〜6倍の兵力差の野戦挑むなんて無能としか
0085人間七七四年2017/09/23(土) 11:03:26.74ID:izHZ2AoR
それと野戦というより渡河を狙ったんだろう。
0086人間七七四年2017/09/23(土) 11:20:07.77ID:rQl0U3+8
>>82
その籠城の日数を何日と目標設定できる状況じゃなかったのが重要なんだと思うけどな

三成がそれについた明言した使者を秀信に送っていたら、その日数を持たす為に全力注ぐことはしやすくなるしそれは噂になって東軍にも伝わるだろうし
三成本隊来るまでに急いで落とさないとというプレッシャーから強引な攻め手になるだろうから籠城側が奇襲に出て成功する可能性も高くなる

大局観が欠如して状況も把握できず、他人に目標設定を誘導するのが下手な人が全体のマネジメントやると会社でも混乱して現場毎に勝手な判断を繰り返して全て失敗というのはよくある
0087人間七七四年2017/09/23(土) 11:31:27.91ID:GIL7EUhB
渡河できるポイントが複数あったから
ただでさえ少ない織田秀信軍を分散配置したために池田輝政軍には数で圧されそのまま渡河され
福島正則には別のルートから渡河された無能采配な

河で柵や土塁築いてたけど一ヶ所でも防衛線突破されると無意味になるから退却する嵌めになる
後方の城周辺は逆に自軍退却の妨害になるから築けない
つまり敗走で兵数も士気も落ち、柵や土塁などの障害物もないから敵も入りやすいってことになりすぐ落ちる
籠城はその点最初から敵を妨害するために通路やあらゆる所に障害物を築くから何日も耐えられるって話だな
0088人間七七四年2017/09/23(土) 11:50:13.35ID:LZesG2Td
>>84
というか西軍についたこと自体が無能だよな。

おとなしく東軍についていれば15万石は確保できたのにな。

ただ秀信がどんなに無能でも三成やテルよりもはマシ。
0089人間七七四年2017/09/23(土) 11:55:23.03ID:GIL7EUhB
>>86
戦下手な三成を補佐する島左近はどうしてたんだって話だな
関ヶ原本戦でもすぐ討ち死にしたし
そういう大局を見据える力と戦略を立てられない猪武者だったのかって思うわ
島左近の過大評価っぷりは関ヶ原No.1だと思う
0090人間七七四年2017/09/23(土) 11:59:32.14ID:G6qbcBvv
>>89
左近がいつ死んだかは不明だし、討ち取られてもいないから
戦後も生きてんじゃね?なんて風評が立つくらいなんだが。
0091人間七七四年2017/09/23(土) 12:04:41.26ID:LZesG2Td
左近とか風説で凄いとしているだけで
実績はよく分からないよな。
直江兼続と同じパターンだな。
0092人間七七四年2017/09/23(土) 12:13:21.17ID:GIL7EUhB
>>88
輝元と秀信は血筋でそのポジに自動的に付いたのに対して
三成は官僚としての内政力の才で登りつめたポジだから秀信以下は可哀想だな

>>90
戦略と大局を見据えられ調略もできる軍師が補佐していればな
三成のあの動きを見ると島左近はそういうタイプでは無かったのが分かる
0093人間七七四年2017/09/23(土) 12:20:51.03ID:ufKhqTMO
左近って筒井→石田に仕えた以外に何したかしらんレベル
過大評価というより講談の影響が大きいだけだし
0094人間七七四年2017/09/23(土) 12:26:56.93ID:LZesG2Td
>>92
輝元というより秀頼と同じポジションだな。
温室育ちで経験もないし。

まあ、三成のほうが優秀ということでもいいけど、そんなレベルくらいにしか勝てない三成って・・・・
0095人間七七四年2017/09/23(土) 12:42:45.98ID:u4VcThDC
>>92
それこそ東軍で調略に活躍した藤堂、黒田みたいな外交、根回し役と福島みたいな典型的な戦闘指揮官が必要だったと思うな

三成、吉継は兵糧、物資の調達輸送を担当して長期戦にもたえうる状況作りに専念できてたら

まあ三成の挙兵にそういう人物が靡かなかったことが当時の状況を雄弁に語っているということだけど

秀吉、秀長、秀次の誰かが生きている間に奉行と大老の職制を整えられなかったことが家康の存在を際立たせ奉行が割りを食って嫌われる原因だったとも思う
0096人間七七四年2017/09/23(土) 12:50:23.51ID:LZesG2Td
>>95
あと本多忠勝みたいな軍監じゃないの。
東軍はバラバラの連合軍で小説とかでは内紛寸前みたいに描かれているけど、いざ作戦行動に入るとそつなくこなしていて、あれだけの連合大軍なのに無駄な動きがないよ。
本多忠勝の戦場での指揮能力や統率力は相当なものじゃないの。

あれなら家康も安心して任せられる。
0097人間七七四年2017/09/23(土) 12:53:27.87ID:LZesG2Td
あと調略は藤堂や長政がつなぎをつけて、最終的には井伊直政がやっていたみたいだな。
井伊直政は外交窓口として相当優秀だったらしい。
0098人間七七四年2017/09/23(土) 13:26:20.30ID:GIL7EUhB
>>95
秀吉が徳川を200万石以上与えて優遇し過ぎたり
秀次切腹させた挙げ句に死ぬ直前に五大老制とか荒れる要因作ったり
朝鮮出兵でも豊臣恩顧を疲弊させて徳川はノーダメージ&三成と豊臣恩顧の不和が決定的になったり

原因を探すと根本は秀吉なんだよな
0099人間七七四年2017/09/23(土) 13:29:24.13ID:GIL7EUhB
あと織田秀信みたいな無能を岐阜城の城主にしたの誰だよ!って思ったら
やっぱ城主に任命したの秀吉だったりする
0100人間七七四年2017/09/23(土) 13:29:35.72ID:0iVJVKfZ
西軍で調略なら大谷が越前のかなりの武将を味方に引き入れたやん。前田勢追い返すミラクルもやってのけてるし。
謀略だったら真田だっているし、猛将タイプなら島津だっている。
ただ存分に能力を発揮できる場所にいなかったり兵が少なかったりと、うまく噛み合ってない。
0101人間七七四年2017/09/23(土) 13:59:08.30ID:nU1f+WVZ
>>80
城兵2000未満で戦死1300弱か…
本当だとしたら織田秀信の人望スゴくね?
0102人間七七四年2017/09/23(土) 14:06:11.90ID:nU1f+WVZ
ああすまん
野戦時の被害か勘違いした
0103人間七七四年2017/09/23(土) 14:43:46.19ID:LZesG2Td
秀信軍は9000人という話だけどな。
それが城に2000ということは半分以上が逃げたということじゃん。

籠城したら、あっという間に内応だな。
第4次川中島でも死んだのは上杉3000人、武田4000人らしいらな。
池田輝政の18000人で7000人を半日で殺すのは大変だ。
0104人間七七四年2017/09/23(土) 15:24:49.93ID:u4VcThDC
>>96
忠勝は侍大将で実績あって軍監だから当時の大名からしたら知名度、実績、影響力がもう家康と変わらんかっただろうしね

本田信正と並んで家康譜代の二巨頭が事実上の指揮者で命令系統も豊臣大名連合軍と徳川本隊内では揺るがない
ただ、西上の際に家康が日程無視の命令を朝令暮改でこの両部隊の連携をズタズタにしていた

東軍の唯一にして最大の失策だったここも三成には情報として入ってなかったみたいだし、とにかくもう岡目八目な後世の歴史好きからしたら何やっとんねん!三成のアホ!としかならんのだな

東軍先鋒にしてもあまりにも西上を急いで突出や戦功争いで尾張以後〜美濃侵入の間にはつけ入る隙が充分だった

大部隊の遠征なんでこういうことが起こる可能性は高かいんで秀吉なり秀長もしくは如水がいたら間違いなく諜報に必死になってチャンスを探っただろうと妄想する
0105人間七七四年2017/09/23(土) 16:54:35.96ID:GIL7EUhB
>>103
何を言ってるのか分からんが
戦いで敗けが決したら蜘蛛の子を散らすように去っていくのは当たり前の時代だぞ
小さい国だと傭兵や頭数揃えの雑兵が混じるからな
どさくさに紛れて弾薬や兵糧の持ち逃げ、火縄銃も持って逃げるから
農民でさえ火縄銃を持って畑を荒らしにくる鳥獣を狩ってたと言われてる
そして戦国末期には50万丁という世界最大保有数になってたと言う
戦国時代で最大規模の関ヶ原合戦でさえ両軍合わせて20万近くいるのに戦死者は多くて4万だからな
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