大砲の性能論はどうでもいいよ、まだ数も少なくそれで戦局が大幅に覆るものでもないから。

いまいちよくわからない部分があって知ってるひといたら教えてほしいんだが、
伊賀情勢と筒井定次と当時の伊勢の現状。

まず伊賀上野城は8月上旬頃に開城し西軍が占拠した。
8月14日頃には筒井定次は清洲あたりに到着した。
8月22日の木曽川渡河と岐阜城攻略戦に参加したかが微妙で(一応福島隊)、
伊賀に戻って伊賀上野城を奪還してる(兵を引き連れて?)
この際長束がどこぞの峠まで後退したという記録はあるっぽい。
にもかかわらず9月14日には赤坂にいて関ヶ原本戦参加。
岐阜攻略に参加したかどうか、兵を引き連れていったかどうか次第だけど
かなりのハードスケジュール。伊勢方面の西軍なにしてた状態。

次に伊勢について。当時の伊勢では東西両軍とも伊勢の石高の割には
たいした兵力を動員していない。これは豊臣領が多く小領主しか存在しなかったから、
という理解でよいのだろうか?
もしそうなら西軍にとって伊勢の東軍はそれほどの脅威ではなく、伊勢方面投入戦力は過剰、
美濃、尾張方面にもう少し兵力を投入可能だったのではないかという仮定。
尾張を制圧できれは伊勢、志摩は半孤立化できる。