そもそも当時の砲弾と近世城郭の構造では「砲撃で城壁を壊す」ってことが無理でしょ。

城内への大軍の侵入を阻むものは堀と石垣。漆喰塗の土塀は籠城兵の身を守る胸壁。
砲弾は胸壁を突き抜けて背後の兵士を肉塊にすることは出来るけれども、石垣や土塁を
崩すほどではないから突入口をバンバン空けることはできない。

同時期のヨーロッパの稜堡式要塞も砲撃で城壁を崩すことはできないから、塹壕戦が
発達する。砲撃は稜堡上の砲台を攻撃するのがメイン。

本丸にあたった大砲以外は無視されがちだが、外郭に配置された塀の裏の籠城兵を
攻撃するということは大坂の陣でも行われている。これにはいわゆるハンドキャノン
レベルの大鉄砲、抱え大筒などが使われている。
50メートル程度の堀幅、弾薬のコスパや操作の手軽さからして、外郭の攻防戦では
据え置きの石火矢である必要はなかったんではないか。

大坂の陣図屏風なんかを見ていると、ヨーロッパの塹壕攻城戦にそっくりだと思う。
違いは砲台がないことだな。