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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part8 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/09/21(木) 17:19:05.29ID:MNUdMh7V
前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
0416人間七七四年2017/10/02(月) 22:07:23.22ID:jZJhk6OE
両面といっておいて豊臣はだめで徳川は綺麗なものになるとかね
>>415
攻城前提でしかないもんをあつめてたのにそれは見苦しいよ
つながってるかどうかはいえんねイフだからな
従おうが潰すことだってありえるんだからな
0417人間七七四年2017/10/02(月) 22:13:34.25ID:YgfKhWRA
>>416
軍隊が装備を充実させるの自体は普通の行為だって
それと具体的に相手を指定して装備を整えるのは全然別の行為だぞ
0418人間七七四年2017/10/02(月) 22:19:26.31ID:YgfKhWRA
>>416
それと徳川幕府と豊臣家じゃ立場が対等ではないからな
幕府は朝廷に全国の統治権を認められた存在で豊臣家はそうではない
0419人間七七四年2017/10/02(月) 22:31:38.71ID:jZJhk6OE
>>417
対大坂城だよ
明らかに

肩入れし過ぎだって相手には自衛権なしで両面策もいけないとかもうね
0420人間七七四年2017/10/02(月) 22:46:11.29ID:YgfKhWRA
>>419
統一政権に従わないって言うのはそういうことなんだよ
豊臣政権だって秀吉の意に従わない勢力は討伐したし転封を拒んだ信雄には領地を召し上げたりとしている
家康は豊臣政権時代には内心どう思っていたかはともかく秀吉の意に従うようにしたし
秀信は旧主筋だからといって秀吉に逆らうような真似はしなかった
秀頼は徳川幕府に従う姿勢を見せるどころか政治的にも軍事的にも対決する姿勢しか見せていないだろう
0421人間七七四年2017/10/02(月) 23:06:38.02ID:jZJhk6OE
>>420
秀信は逆らうようなとしでも戦力があるわけでも恨みがあったわけでもないだろ信雄だって命まで取られたわけでもないだろ
北条だって逆らっても生き残り
豊臣は同等以上とおもってるだろ
0422人間七七四年2017/10/02(月) 23:10:36.79ID:NUqq89AG
あーあ豊臣厨が駄々こねてるだけなのにみんな付き合いいいなw
0423人間七七四年2017/10/02(月) 23:11:21.23ID:jZJhk6OE
こっちが粘着されて困ってるんだが
0424人間七七四年2017/10/02(月) 23:25:58.32ID:YgfKhWRA
>>421
秀頼が豊臣家が徳川家と同等以上の存在だと思っていたならその考えは間違っていて
その誤解が豊臣家の滅亡を招いたということ
信雄も秀信も秀頼みたいに対決姿勢をあらわにして二度も戦を起こしてないから当然命まではとられない
北条だって氏政は切腹して責任を取っているし氏直は自身の切腹のかわりに将兵の助命を嘆願して
その態度を秀吉が評価して助命されている
秀頼の最期はどうだったかな
0425人間七七四年2017/10/02(月) 23:27:58.57ID:jZJhk6OE
な,エンドレスだろ
0426人間七七四年2017/10/02(月) 23:35:07.28ID:wlY6fb3i
自分が最後にレスしなければ負けると思ってるんだろうな
0427人間七七四年2017/10/02(月) 23:39:17.88ID:TXKfE81S
>>426
じゃあ何も言い返さないでくれ
0428人間七七四年2017/10/03(火) 00:24:54.43ID:m4rrEUID
豊臣家が他と違うのは三成が暴走して全てを破壊したところだろうな
関白を殺したうえに、朝鮮で戦う豊臣股肱の臣に讒言を仕掛けて離反を招き
筆頭大老も殺そうと大暴れをして豊臣の全てを破壊した
豊臣は三成を制御できなかったことを認めて天下をあきらめるべきだった
0429人間七七四年2017/10/03(火) 00:26:13.95ID:mrLoOpPS
釣り針でかすぎだろw
0430人間七七四年2017/10/03(火) 00:26:47.86ID:jbHjSD1x
西軍の勝ち筋って考えるとどうなんだろうな?
西軍の理想は木曽川か岐阜城のラインから先を死守、膠着した隙に全国各地の大名を何とかして説き伏せて
遠征してる東軍側大名の国許を落とさせるなり東軍側の支配エリアを包囲なりして、そのあと攻め込むって流れかな。
0431人間七七四年2017/10/03(火) 01:53:55.62ID:MobuIOon
そのすべてがやろうとして出来なかったことなのでは
0432人間七七四年2017/10/03(火) 02:01:10.66ID:hMqCdT5H
>>412
明らかに、総構えの外から本丸まで有効射程が有る大砲って条件出しての注文だよね。
但し、この時代の大砲って榴弾じゃ無くて只のでかい弾飛ばしてるだけなんだよ。
だからこれで城壁を崩すのは無理だし、狙って当てるのも無理。
本丸に命中して淀殿の侍女が死傷したって話、逆に言うと有効な命中弾が数発しか無かったって
事なんだよね。
数百の大砲で一日中砲撃してそんなもん、城方の心を折る為の兵器でしか無い。
つうか、いっその事淀殿に命中してたら籠城方が硬化して面白かったかも。
0433人間七七四年2017/10/03(火) 02:26:49.44ID:LsMR4YGj
>>424
秀頼は蝶よ花よと育てられ自分の置かれてる状況がわからないボンボンだな
成人して子どもまでいたくせに母親に全責任押し付けて花のやうなる秀頼さまのイメージでいられてよかったね
0434人間七七四年2017/10/03(火) 07:33:10.54ID:uKRJJoRb
監督不在でサッカーやってるようなもんだから不意打ち以外に勝てんわな
0435人間七七四年2017/10/03(火) 12:46:00.57ID:i7oo6bmQ
MSNニュースの話題カテで記事があるな。

関ヶ原の戦い「よく聞く通説」はウソだらけだ 「裏切りの理由」「徳川秀忠遅刻の原因」も?

Q6. 最新の研究では、戦いの構図はどう解釈されていますか?

家康が「完全に悪者(=反逆者)」になります。

秀吉の死後、家康は大老の地位にありながら豊臣家のルールを守ら
勝手な行為を繰り返したため、他の大老と奉行が結託し、政権から家康を排除しようと企てました。
そして、会津の上杉景勝(大老)の陽動を契機に家康が景勝追討を名目として東国へ出陣すると、
大老・奉行の筆頭格となる毛利輝元、石田三成が秀頼を推戴(政権掌握)し、公儀の立場から家康を逆賊に指定しました。

 三成らは九州・西国・北国から軍勢を集め、景勝は東北の諸大名を指揮下に置き
関東の家康を包囲殲滅する算段でした。しかし、実際は足並みがそろわずに関ヶ原で敗北し、計画は破綻しました。
0436人間七七四年2017/10/03(火) 12:50:39.71ID:X4PYyYxZ
ちゃんと貼れよクズ

関ヶ原の戦い「よく聞く通説」はウソだらけだ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170930-00190643-toyo-bus_all&;p=1
0437人間七七四年2017/10/03(火) 14:02:44.14ID:i7oo6bmQ
何でそんなにイラついてんだよw
0438人間七七四年2017/10/03(火) 15:09:03.68ID:nd4pZcZX
>>435
>景勝は東北の諸大名を指揮下に置き

そうだっけ?
0439人間七七四年2017/10/03(火) 15:25:02.25ID:cUew0GQG
景勝は東北の大半を自領化しようとした
が正解だろうな。

最上が下手に出たのを蹴ったってのは創作らしいし
0440人間七七四年2017/10/03(火) 17:28:29.65ID:i7oo6bmQ
まあ、伊達や最上を放置して上方や関東攻めは無理だろうからな。
0441人間七七四年2017/10/03(火) 18:14:16.33ID:nd4pZcZX
本当に指揮下に置いていたら江戸を大軍で攻めれば家康は動揺するし
関ヶ原に行っても良かったね
0442人間七七四年2017/10/03(火) 18:20:39.69ID:0bEHC8dX
良くて東北の一部に拡大狙ったぐらいでそれ以上は上方の動きに徳川がどう反応するか次第で決めようぜ!っていうアバウトさだと思う
0443人間七七四年2017/10/03(火) 18:35:12.39ID:gLR4Da+b
最上さえ落とせないのであれば関東に出ても知れている
ただ家康としては放置はできない
0444人間七七四年2017/10/03(火) 18:44:15.93ID:nd4pZcZX
上杉軍2万以上で攻めて最上軍1000人で籠城して二週間以上耐えてたって話を織田秀信に聞かせたかったね
0445人間七七四年2017/10/03(火) 20:41:51.55ID:tQdsRfOu
いつも思うがこの手の輩は家康以上に外様の毛利上杉が豊臣政権のために立ち上がることに疑問を持たないのだろうか
0446人間七七四年2017/10/03(火) 21:12:55.84ID:hMqCdT5H
>>445
ドイツの選帝侯とか調べたら?
そもそもハプスブルク家の初代って小封弱体で、選帝侯が飾り物にする為にあえて選んだんだよ。
その後実力付くと、ハプスブルク家の力が強く成り過ぎると完全に家臣化されちゃうって事で
色々嫌がらせする様に成る。
徳川の力が強大化すると、大身外様は破滅ってのは別におかしい考えじゃ無い。
毛利や上杉は、豊臣家成立の経緯で大きな貸しが有るって意識も有るだろうし。
0447人間七七四年2017/10/03(火) 23:26:36.15ID:m4rrEUID
>>435
西軍蜂起→家康は豊臣大老を解任されて、豊臣公儀から外された
東軍勝利→家康は未だ豊臣大老に過ぎず、豊臣公儀から脱することができなかった

言っていることが支離滅裂すぎるだろw
この手の人間はその瞬間ごとに豊臣に都合のいい解釈ができればよいというスタンスだから
自分の主張に対する整合性も何も考えない
0448人間七七四年2017/10/04(水) 01:14:51.62ID:vy0ZyVU4
>>447
豊臣公儀から外された反逆者家康が豊臣公儀に戻ることで豊臣に許してもらったんだよ
0449人間七七四年2017/10/04(水) 07:28:53.77ID:3rPPzbs0
豊臣の公儀も恩義もその程度の、まさに吹けば飛ぶような代物でしか無かった事になるんだがそれで大丈夫なんでしょうかね?
0450人間七七四年2017/10/04(水) 08:29:15.55ID:DpFhvinY
そもそも承認されていない公儀
0451人間七七四年2017/10/04(水) 09:12:31.49ID:XCkJSJOV
幼児に承認などできるわけがない。西軍に対しても東軍に対しても。
0452人間七七四年2017/10/04(水) 09:15:15.81ID:XCkJSJOV
というか上杉征伐時に家康ら征伐軍に豊臣から金、米贈ったようだが、
その判断はだれがしたんだろう?
0453人間七七四年2017/10/04(水) 09:55:10.79ID:lpvoNYzS
0454人間七七四年2017/10/04(水) 12:12:45.87ID:r1aGw49y
なんで家康に言われるがまま金と米ほいほいあげちゃったかな
0455人間七七四年2017/10/04(水) 12:19:05.77ID:GZmy6OrK
淀自身は何の力も無い女性じゃないか
0456人間七七四年2017/10/04(水) 13:22:41.33ID:DpFhvinY
送ったのは家康
名義は秀頼
領地も
0457人間七七四年2017/10/04(水) 13:39:53.35ID:GZmy6OrK
普通に犯罪だな
0458人間七七四年2017/10/04(水) 13:50:57.36ID:DpFhvinY
他に決めるのがいない状態
0459人間七七四年2017/10/04(水) 14:27:39.56ID:XCkJSJOV
>>456
それだと今で言う横領に近いね。豊臣の金、米で上杉を征伐するという。
ただ秀吉が遺言で家康に豊臣の政務代行させてるんで
筋は通ってるが。
0460人間七七四年2017/10/04(水) 15:14:07.38ID:AliRS9oL
奥州征伐のあとに難癖つけて家康倒してれば豊臣も安泰だったろうに
0461人間七七四年2017/10/04(水) 15:57:09.23ID:v2xetJqT
石田三成が徳川家康と刺し違えたらよかったんと違う?
大老・奉行として間近で会うことも多かったはず。
家康さえ除けばどうにでも後はなっただろ。
0462人間七七四年2017/10/04(水) 16:16:21.83ID:DpFhvinY
ありそうなのは死ぬ直前の利家が…
0463人間七七四年2017/10/04(水) 16:16:22.02ID:sM+WDnvI
どうして大大名は刃傷死無いんだろうな?
0464人間七七四年2017/10/04(水) 16:28:34.53ID:knco5YKm
家康に剣術で勝てる大名なんて何人いるか
0465人間七七四年2017/10/04(水) 17:25:05.14ID:vEHgnYbx
>>432
この時代の大砲は城壁を破壊するのが一番の仕事だろ
0466人間七七四年2017/10/04(水) 17:34:36.02ID:pA0LGySz
>>452
愛人の大野治長を連れて戻って欲しかったから?
0467人間七七四年2017/10/04(水) 19:24:46.34ID:47YL68Dn
>>463
龍造寺、今川とかおらんことはないけど基本的に大将が戦死する戦はヤバイ
大名が戦死するような最前線に行く事は基本的にない
0468人間七七四年2017/10/04(水) 20:09:47.97ID:152j16qD
>>466
そういや淀さんの愛人は家康暗殺計画に加担したとかで流罪にされて東軍に参加させられたんだっけ
乳母の大蔵卿も一時期連座で蟄居にさせられたから家康にびびったのかも
淀の側近を失脚させて孤立させようとしたんだな
0469人間七七四年2017/10/04(水) 23:33:22.66ID:UdlhtAgA
>>465
まず、この時代は火薬が意外と高価なんだよ。日本は硫黄は売る程取れても硝石が取れないからね。
乾燥した地方では、自然の硝石の産地とか有るけど雨の多い日本じゃ無理。
殆んど輸入品なんで、物凄く高価。
それで、普通の鉄砲の数千倍ってレベルで火薬使うのに、それに見合う効果が有るか疑問だから日本じゃ
大砲が流行らんかったんよ。
あのね、後世の大砲は榴弾だからね。砲弾の中に火薬が詰まってて、目標に命中した後に爆発して破片を
周囲にまき散らす。
敵が密集してれば、一発で何十人も倒す事が可能。

でも、大阪の陣で使われたのは、砲丸投げの砲丸が本丸まで届くみたいな奴だから城壁に命中したって
めり込んで終わりだよ。
正直狙って当てるのは無理だよ、狙いを修正するにはどの大砲の弾が何処に当たったか双眼鏡か何かで
確認出来ないと無理だから。
数百門の大砲で、本丸を盲撃ちしたら、幸運にも淀殿の侍女が数人死傷ってだけだし。

明らかに、守将が女性って事を計算した心理作戦だと思いますね。
女性は感情が暴走すれば、理性が噴き飛びますからね。理知的に考えるなら、大砲は目標を狙って当てられる
訳じゃないから効果が薄いし、有名な命中弾だって内応者が居て居場所が解ったから、そこを集中砲撃した
だけですし。
それに、そんなに馬鹿須加火薬使う砲撃が何時まで続けられたのか。
0470人間七七四年2017/10/05(木) 00:11:47.50ID:pZhlI8Os
海外みたいにコンクリート(鉄筋なし)と石積んだだけの塀なら効果あるけど
日本は地震大国だから戦国時代から石垣は大砲ごときじゃびくともしないし
塀も木材を軸に土壁や漆喰で作ってるからコンクリートや石積んだだけの塀より靭性が高いからな
0471人間七七四年2017/10/05(木) 06:19:03.82ID:gL+VVDX0
>>456

うわあ

悪い奴
0472人間七七四年2017/10/05(木) 07:57:27.35ID:+Q447fkd
>>469
>>470
根拠のない外国産の蔑視と、国産の称揚
つまり国士乙
0473人間七七四年2017/10/05(木) 08:30:10.46ID:588gPmyW
土塁と漆喰は湿気と雨対策
これ基本
0474人間七七四年2017/10/05(木) 09:23:14.16ID:pZhlI8Os
>>473
漆喰は火災対策でしょ

大砲導入以降の日本の城の塀は木材を軸にして靭性を持たすだけじゃなく
↓みたいに前面からの衝撃で転倒破壊しないよう支えも完備されている
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Kumamoto_Castle_09.JPG
外国とは違うのだよ、外国とは!
0475人間七七四年2017/10/05(木) 09:24:48.97ID:f/V+25t+
ガンダムがあれば勝てるよ
0476人間七七四年2017/10/05(木) 09:37:02.29ID:pZhlI8Os
熊本城よりまだこっちのが力学的には合理的か
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b9/Innerwallmatsuyamacsatle.JPG
0477人間七七四年2017/10/05(木) 11:23:43.70ID:BBNruZl5
>>474
地震の時下手に持ちこたえられる重たい材料使うと倒壊で死ぬから軽くて衝撃には脆い漆喰が城、蔵に使われたらしいが

そして反対に湿気は吸い、時間をかけて吐き出せる
まあ台風で屋根飛ばないように瓦積んでるから上はそれでも重いわけだが
0478人間七七四年2017/10/05(木) 13:18:52.66ID:X8l0o0MW
大筒量産の暁には
東軍なぞあっと言うまだ
0479人間七七四年2017/10/05(木) 15:06:03.73ID:pZhlI8Os
見せて貰おうか
西軍のの大筒の性能とやらを!
0480人間七七四年2017/10/05(木) 15:12:06.73ID:efLDCeNi
おれの大筒でよければ
0481人間七七四年2017/10/05(木) 15:39:32.72ID:NxBxQELf
■【原作蹂躙】朝鮮ゴリ押しのせいで最悪の「関ヶ原」
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/korea/1503749199/

1 マンセー名無しさん New! 2017/08/26(土) 21:06:39.15 ID:dxRr/r4j
原作にはない三成の台詞「明国との間には文化豊かな朝鮮国がございます」
原作にはない朝鮮人大砲名人の三成隊参加
原作にはない朝鮮人大砲名人が「我が同志!」と叫びながらの島左近らとの爆薬による自爆

ちなみに朝日新聞も関わっている模様


■【司馬遼太郎】 関ヶ原 【原田眞人】 Part.6
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1506440098/

2 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ 839b-vIOe) sage 2017/09/27(水) 01:12:25.71 ID:ENfGqX650
Q:まだ観てないんだけど、どんな映画?
A:朝鮮人兵士が、島左近と家臣を爆死させるシーンがクライマックスの映画です

3 名無シネマ@上映中 (ワッチョイ ffae-w3Ob) 2017/09/27(水) 03:38:27.56 ID:AQUH3ow20
Q-司馬遼太郎の愛読者向け?
A-司馬遼太郎の原作要素は皆無です。ある程度歴史の知識があると作品の恣意的な演出により苦痛と後悔を伴うでしょう

Q-在日韓国人です日本の歴史は無知です
A_忍者武士との恋や意外な展開も多くテンポも韓流テイストなのでオススメです。
0482人間七七四年2017/10/05(木) 16:24:06.56ID:/MH1knCL
>>463 龍造寺、今川とかおらんことはないけど基本的に大将が戦死する戦はヤバイ
刃傷死だぞw
0483人間七七四年2017/10/05(木) 17:05:23.59ID:pZhlI8Os
>>477
漆喰は不燃材だから火矢は防いでたでしょ
あと木材を軸に竹等で編んだのを埋め込んだりして衝撃を吸収してた
大砲の玉がめり込んだだけで倒壊しなかったのは
めり込んで壁の中が変形したことによる衝撃吸収&分散のクラッシャブル構造となってたからと言われてたね
西洋の当時の鉄筋のない土と混ぜていたコンクリートや石積みの壁じゃ
大砲の弾の衝撃吸収できずにそのまま押し出されてひび割れて倒壊するだけだからな
0484人間七七四年2017/10/05(木) 18:34:45.66ID:+Q447fkd
>>483
24ポンド攻城砲は3,200メートル先にある15センチ厚の煉瓦を貫通する

こういう事実を知らずに、日本の城に大砲は役立たずとのたまう
0485人間七七四年2017/10/05(木) 18:55:17.68ID:pZhlI8Os
>>484
煉瓦なんて脆くて現代じゃ構造に使えない物をドヤ顔しててワロタ
0486人間七七四年2017/10/05(木) 18:56:57.57ID:8zUhQpLS
>>484
> 15センチ厚の煉瓦
それ「日干し煉瓦」でしょう?
0487人間七七四年2017/10/05(木) 20:47:03.75ID:4nGlbuzl
>>484
「貫通」じゃなくて「破砕」じゃないのか?この時代に徹甲弾という弾種があったのか?
0488人間七七四年2017/10/05(木) 21:19:24.10ID:pZhlI8Os
煉瓦の壁って建材の中で下から数えたほうが早いぐらい脆いからな
地震大国の日本では構造として脆すぎて使われなくなるくらい
煉瓦を積んだだけじゃ水平方向の力に対しては脆い
それに対して煉瓦の上位版と言えるのがコンクリートブロック
コンクリートブロックは穴が空いてる所に鉄筋差し込んでモルタル流し込んで一体化させて靭性を高めてる
それでもコンクリートブロックは構造としてあまり使われなくなってきた
当時の煉瓦の壁なんてただ積んであるだけでコンクリートブロックみたいに一体化してないからな
だから水平方向の砲弾食らえばすぐ崩壊するよ
0489人間七七四年2017/10/05(木) 21:33:36.38ID:qQ5Bm7DV
何で大阪の陣の大砲の話になってるの?
0490人間七七四年2017/10/05(木) 21:53:04.31ID:8zUhQpLS
どうやっても関が原で西軍は勝てないからだろう
0491人間七七四年2017/10/05(木) 21:59:58.92ID:ZwAwzUtU
上条さんがいれば勝てるよ
説教してパンチして毎回勝ってるし
0492人間七七四年2017/10/05(木) 22:06:24.91ID:y0bb03wL
>>490
関ヶ原の時点では「何故か毛利が急に気が変わりやる気になる」レベルのラッキーが無いと無理だし。
もっと前段階で木曽川ラインの防衛に成功するか、上杉が背後の伊達らを無視し後先も考えず徳川方へ突撃してくれていればあるいは
0493人間七七四年2017/10/05(木) 22:36:24.55ID:+Q447fkd
>>485
近世なのに現代の基準を持ち込み
>>486
自分の考えに話を捻じ曲げ
>>487
現代の用語を近世に持ち込む
0494人間七七四年2017/10/05(木) 22:38:18.30ID:+Q447fkd
後、3.2キロでこの威力なのだから、攻城砲の本来用途である近接して
平射で撃ち込めば、どこまで威力が増すか考えようともしない
0495人間七七四年2017/10/05(木) 22:39:13.08ID:8+/iddjf
大筒量産の暁には
東軍なぞあっと言うまだ
0496人間七七四年2017/10/05(木) 22:57:26.10ID:pZhlI8Os
>>493
現代の力学的に木材は主要な構造として評価されてる
それに対して現代の煉瓦より当時の煉瓦は耐久力も著しく低く脆いのは事実
しかも大砲としてライフリングされて命中率や直進力が上がり、榴弾として破壊力が上がるのは幕末なのを無視してる
0497人間七七四年2017/10/06(金) 00:26:58.13ID:TzBHi6mS
>>494
前提条件が、総構えの外で一番本丸に近い備前島から本丸砲撃なんですけど?
外国から購入した大砲も有るけど、全部で17門、殆んど国産ですね。
国産の奴は最大で、メートル法に直すと51ミリらしいんで、これって多分台車付きの奴じゃ無くて
個人携帯型大筒の気がする?
撃った瞬間撃ちてが転げ回る奴。
後、たった四門のカルバリン砲が18ポンドクラスらしいですね。
つまり、攻城砲の名に値するのは外国産の精々10数門、後国産の個人携帯型大筒が数百門って
事ですよね。
これってさ?軍記物とかに良く有る偽兵の計の応用なんでないの?
攻城砲として意味が有るのは10門くらいだけど、意味の無い爆音で脅かす役の大筒が数百有る事で
城方は膨大な数の大砲が本丸を狙ってるって誤解させる訳?
和議の交渉中も砲撃続けてたらしいし、明らかに女性のヒステリー狙いに見えるね。
0498人間七七四年2017/10/06(金) 00:51:40.67ID:XpbK/I7y
>>497
当時、発射音でドッカーンって音だったのかね?
どちらかというと砲弾が当たった時の衝撃音の方が派手だったのではないかと想像してるんだが
0499人間七七四年2017/10/06(金) 02:05:48.39ID:2qhqNqEi
ヒステリー狙いとか後付けじゃん
0500人間七七四年2017/10/06(金) 02:12:24.59ID:r55pmzBP
>>498
アホだな
一番力を生み出す火薬の音が一番五月蝿いに決まってるだろ
手持ちできる大筒でこの音だぞ
http://www.youtube.com/watch?v=JgFXvLJbJmQ

大筒や大砲のキーワードで検索して自衛隊のも見たりしてみろ
自衛隊の榴弾だから発射後に炸裂する音がするのもあるが発射時が一番大きい
戦国時代は炸裂する榴弾はないしな
0501人間七七四年2017/10/06(金) 03:47:08.82ID:XReAym1z
そもそも当時の砲弾と近世城郭の構造では「砲撃で城壁を壊す」ってことが無理でしょ。

城内への大軍の侵入を阻むものは堀と石垣。漆喰塗の土塀は籠城兵の身を守る胸壁。
砲弾は胸壁を突き抜けて背後の兵士を肉塊にすることは出来るけれども、石垣や土塁を
崩すほどではないから突入口をバンバン空けることはできない。

同時期のヨーロッパの稜堡式要塞も砲撃で城壁を崩すことはできないから、塹壕戦が
発達する。砲撃は稜堡上の砲台を攻撃するのがメイン。

本丸にあたった大砲以外は無視されがちだが、外郭に配置された塀の裏の籠城兵を
攻撃するということは大坂の陣でも行われている。これにはいわゆるハンドキャノン
レベルの大鉄砲、抱え大筒などが使われている。
50メートル程度の堀幅、弾薬のコスパや操作の手軽さからして、外郭の攻防戦では
据え置きの石火矢である必要はなかったんではないか。

大坂の陣図屏風なんかを見ていると、ヨーロッパの塹壕攻城戦にそっくりだと思う。
違いは砲台がないことだな。
0502人間七七四年2017/10/06(金) 04:03:43.15ID:fopFDMqs
西軍が勝つために上杉で力を奮う直江山城守兼続ではなく帰国せずそのまま京に残った兼続が必要だったんではないかと思う。

伍大老伍奉行制を設ける際に三成とともに盟友である兼続が伍奉行に入っていたらとついつい考えてしまうほど。

兼続は結局は伊達や最上を抑えるため帰国し上杉でその力を奮うことを決めたが伊達最上を抑えた後々は総大将毛利輝元率いる西軍三成方に上杉は加勢するつもりだったはず。

もっといえば直江状の一件にて徳川が上杉成敗におもむき進軍してきた最中に三成が挙兵。
徳川はもはや上杉を相手にしている場合ではないと西に引き返し始めたとき背後から上杉は徳川を攻めることもできた。
しかし上杉は背後から敵に斬りかかるは義に背く行い。亡き謙信公はもっとも嫌われた行為だとして徳川を追うことはしなかった。

小早川からも信頼の厚かった直江山城守がいたら状況は大きく変わったんじゃないかと
0503人間七七四年2017/10/06(金) 08:55:09.98ID:r55pmzBP
>>501
戦国時代の大砲なんて力の伝達も悪く火薬で砲丸投げしてるだけだからな
命中率も悪く、目標までの距離が伸びるほど当たらないという
カルバリン砲も船上から中〜至近距離で撃ち合うのが普通だったしね

命中率向上と直進力が加わるライフリングが施され、着弾後に炸裂する榴弾になるまでは
大砲の扱いなんてそんなもんだろうね
0504人間七七四年2017/10/06(金) 08:59:39.36ID:5PK+TRTY
>>480
ストローは黙ってなさい
0505人間七七四年2017/10/06(金) 09:14:17.06ID:+tQsY+pD
>>496
大砲が多用された西洋で木が使われていないとお考えで

>>497
オランダの大砲をお忘れのようで

>>501
攻城砲ならメートル単位で土塁にめり込む

イタリア式築城術以降の大砲が威力を減じたのは事実だが、
何故か全く威力を失ったと勘違いする連中が多すぎる
それじゃ何か、そんな大砲を多用し続けた世界の人々は
アホで、使わなかった日本人は優秀とでも
0506人間七七四年2017/10/06(金) 09:33:31.09ID:YCh7rdCs
島原の乱のときに幕府がオランダ船に加勢してもらったように
豊臣も外国に加勢してもらえばよかった
0507人間七七四年2017/10/06(金) 10:22:55.08ID:+DMN4mxa
大砲の性能論はどうでもいいよ、まだ数も少なくそれで戦局が大幅に覆るものでもないから。

いまいちよくわからない部分があって知ってるひといたら教えてほしいんだが、
伊賀情勢と筒井定次と当時の伊勢の現状。

まず伊賀上野城は8月上旬頃に開城し西軍が占拠した。
8月14日頃には筒井定次は清洲あたりに到着した。
8月22日の木曽川渡河と岐阜城攻略戦に参加したかが微妙で(一応福島隊)、
伊賀に戻って伊賀上野城を奪還してる(兵を引き連れて?)
この際長束がどこぞの峠まで後退したという記録はあるっぽい。
にもかかわらず9月14日には赤坂にいて関ヶ原本戦参加。
岐阜攻略に参加したかどうか、兵を引き連れていったかどうか次第だけど
かなりのハードスケジュール。伊勢方面の西軍なにしてた状態。

次に伊勢について。当時の伊勢では東西両軍とも伊勢の石高の割には
たいした兵力を動員していない。これは豊臣領が多く小領主しか存在しなかったから、
という理解でよいのだろうか?
もしそうなら西軍にとって伊勢の東軍はそれほどの脅威ではなく、伊勢方面投入戦力は過剰、
美濃、尾張方面にもう少し兵力を投入可能だったのではないかという仮定。
尾張を制圧できれは伊勢、志摩は半孤立化できる。
0508人間七七四年2017/10/06(金) 10:40:19.34ID:+DMN4mxa
それと西軍はとにかく動きが遅く、伏見攻略後主要な面々は一旦大坂集結。
軍議開いて今後の方針検討しているがその際籠城策も出たが野戦と決している。
大坂城に籠城するつもりだったんだろうか?
瀬田に守備兵置いたり瀬田に毛利秀元らが砦構築してる点から大坂籠城もあったのかも。

その後、大谷、石田、小西以外の大坂出陣が遅い。
田辺城方面、伊勢方面いずれも8月10〜18日頃大坂出陣してる。
大軍ゆえの準備も必要だろうが遅すぎる。
0509人間七七四年2017/10/06(金) 10:44:45.36ID:PXL4o0Lc
鯛の天ぷら先生の登場が早ければ勝てた
0510人間七七四年2017/10/06(金) 10:52:34.93ID:r55pmzBP
>>505
>メートル単位で土塁にめり込む

クソワロタw
漫画かよw
漫画の世界を基準に考えてるから平行線なんだな
煉瓦造りが頑強だと思う描写は三匹の子豚あたりかな?w
0511人間七七四年2017/10/06(金) 11:26:34.88ID:aK1sn7sE
>>508
後世の人間は事態の推移を把握できてるから西軍の動きが遅く見えるけど
決起当初は上杉征伐軍は瓦解して家康は江戸で逼塞するだろうというのが西軍の目算なんだから
そんな急いで濃尾に戦力をかき集めて投入しないといけないとは思っちゃいないんじゃないかな
0512人間七七四年2017/10/06(金) 11:52:13.96ID:+tQsY+pD
>>507
長束の後退は、もっと前の話
筒井定次が関ヶ原合戦前に伊賀上野を奪取した記録は、
当時の史料で確認できないし、寛政譜にも記述が無い

自家顕彰するための創作かと
0513人間七七四年2017/10/06(金) 12:54:32.87ID:+DMN4mxa
>>511
たしかにそうだと思う。
ならば西軍は裏付けとして江戸あたりの動向を掴んでおく必要が
あったと思うけど、それをしてない、あるいはできなかったのは残念なところかと。

>>512
なるほど、たしかに整合性考えると疑問ですからねぇ。



あとわたしがよくわからないのは犬山城詰めの岐阜諸将。
だれが尾張の犬山城への援軍を美濃諸将に指示したのかなと。
美濃諸将が自発的に岐阜や大垣スルーしてわざわざ犬山まで行くとは思えないので
だれかが指示してるはず。おそらくは勧誘した秀信か石田。

ならば情勢から判断して再び指示して岐阜城行かせるなり木曽川迎撃隊に合流させるなり
大垣に移動させるなり指示すればよかったんじゃないかと。
0514人間七七四年2017/10/06(金) 13:05:21.94ID:+DMN4mxa
ただし、犬山城の抑えの中村隊が張り付きだしてからでは手遅れで、それ以前に指示する必要はあるけど。
0515人間七七四年2017/10/06(金) 23:47:53.41ID:awMG6Bby
>>461
家康がそれまでどれだけの死線をくぐってきてると思ってるのかって話
親暗殺され誘拐され桶狭間三河一向一揆三方原金ヶ崎伊賀越え小牧など
加えて鳥居みたいにいつでも家康の為なら命投げ出す三河魂溢れた家臣がわんさかついてるわけで
秀吉の後ろ楯ありきの連中じゃ何千回仕掛けたところで仕留められる訳がない
それで一回でもし損じたらそれを口実に一気に押し潰されて終戦だよ、考えうる最悪手
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