西軍が勝機を見い出すとしたら、やはり石田・小西大垣到着の8月10日から
東軍先発諸将が清洲に到着する8月14日までの間になにをするか、
なにができるかに懸かっていると思う。

ifになってしまうが実現できそうなラインでこんなのでどうだろう。
積極攻勢策の場合

8月11日石田・小西、岐阜へ行き秀信と当面の方針を軍議。
     福島が西軍につかなかった場合に備え小牧山の確保と清洲城の接収
     もしくは強襲を決める。
8月12日 大垣城より石田・小西で兵1万、岐阜城より織田秀信兵5000が出陣
     石田・小西は清洲強襲、秀信は小牧山占拠へ
8月13日 秀信小牧山を占拠、拠点化整備。
同日  石田・小西清洲強襲。強襲成功し占領できればすぐさま籠城準備、
     強襲失敗なら小牧山へ退き秀信と合流。


小牧山への後詰については、伊勢の桑名、長島方面攻略予定の宇喜多秀家を
関ヶ原経由で直接美濃、尾張方面の支援に向かわせればいいと思う。
史実通り伊勢行っても結局長島は攻略できないし時間の浪費しかしていない。
8月15日に京を通っているので、順調に行けば8月18日大垣、19日岐阜、
8月20日には小牧山に到着できると思う。
途中、大垣、岐阜に守備兵2000ずつ残置していっても13000ほど小牧山に連れてこれる。
石田、小西、織田秀信、宇喜多秀家で小牧山に兵2万8千。残置なしなら3万2千。
これで一応数だけなら東軍先発隊約3万5千とほぼ互角にもってける。

籠城策の場合も似たようなもので、とにかく秀信と軍議、籠城方針の確認と宇喜多の美濃への後詰。