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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/08/08(火) 21:24:41.36ID:QecJFFRE
ホレ

前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
0580人間七七四年2017/09/01(金) 21:24:21.88ID:N1Cmw1rK
叩かれるぞ〜
0581人間七七四年2017/09/01(金) 21:57:57.66ID:h/nqSgTp
>>579
専横が目立つことなんて実は大多数の大名にとってどうでもいいことなんだよね
そもそも最初から10人以外は秀吉によって政治決定から排除されているから
家康が専横したところで三成ら9人以外は関係ないよ
家康が専横しなくても大多数の恩顧が排除されている状況に何の違いも生まれない
むしろ家康が専横することで朝鮮出兵での処罰取消や論功行賞が迅速に進むというメリットがある
だから西軍は三成ら一部の連中だけが内輪で盛り上がって他の大名のほとんどは白けてやる気がなかった
三成が家康の専横というどうでもいい私益にこだわっていだけに過ぎなかったからだよ
0582人間七七四年2017/09/02(土) 10:09:06.03ID:QSYLTP81
どうでもいいなら
上杉・毛利・奉行衆が何かにつけて抗議してこないだろ
0583人間七七四年2017/09/02(土) 11:32:47.99ID:RisuNq2H
読みにくい文章でもないのにレス返すなら文くらいちゃんと読んでやれよ
0584人間七七四年2017/09/03(日) 09:57:45.26ID:0mVu6Z1z
結城秀康を秀吉の跡取りにしてたら
豊臣はなくならなかっただろ
0585人間七七四年2017/09/03(日) 11:49:34.41ID:sqQ9vj2K
そしたら実質的に徳川だね
0586人間七七四年2017/09/03(日) 12:18:09.83ID:ELm+pnJz
徳川が内戚の立場で甘んじるとも思えんし
その場合、結城豊臣家を調略して乗っ取りを謀ったろ

家康が早死にして秀康が長生きしてて、
秀康vs秀忠になったらめっちゃ面白いがw
0587人間七七四年2017/09/03(日) 12:44:07.47ID:6t3skEvV
その2人揉まない上に家臣団と切り離されてるビデヤスじゃ裸の王様
ビデヤスは徳川内にとどまったから元秀吉の養子という肩書きで大封を得られただけ

それならもう秀秋を関白に据えて旧秀次一派をそれに付けた方が豊臣恩顧の大名はまとまるだろ
0588人間七七四年2017/09/03(日) 13:55:34.72ID:QEvzr/yD
昨晩の「所説あり」はどう評価するんだ?
0589人間七七四年2017/09/03(日) 17:51:58.55ID:O8iPl0N8
徳川旧領が上田を例外にまるで旧主家康の帰還をビッグウェーブに
乗るしかないな!」とばかりに積極的に従属してる
待っていたかのように服属しちゃってるんだよな
配置された大名たちも「このし
0590人間七七四年2017/09/03(日) 17:56:04.30ID:O8iPl0N8
文が滅茶苦茶になって申し訳ない
無視してくれ
0591人間七七四年2017/09/03(日) 18:16:04.04ID:sqQ9vj2K
いや視点は面白い

ネタもないし
0592人間七七四年2017/09/03(日) 18:17:48.70ID:2L3QQe3i
所説ありみてないんだけど再放送あるかなぁ
関連書籍読んだ方がいいのかな?
0593人間七七四年2017/09/03(日) 22:05:56.84ID:/ctZJfM8
書籍といえば、一次史料にみる関ヶ原の戦いが気になるけど、アマゾンでずっと品切れのままなんだよな
0594人間七七四年2017/09/03(日) 22:27:52.52ID:FIP89q9q
茶々が父親が怪しいガキを生まずに
関白秀次が殺さなければ豊臣は負けなかったよ。
失政続きだったんだから滅ぶのは当然。
逆にあんな政権が滅ばなかったら大変だった。
0595人間七七四年2017/09/03(日) 23:10:02.05ID:4vio94iu
ただ安定政権に入らない方がその後の歴史考えたら良かったと思う
日本と明・清が互いにもっと戦争してたら東亜が強くなって世界史が変わったと思う
0596人間七七四年2017/09/04(月) 07:32:01.63ID:GpRImzhw
信長が生きていれば
0597人間七七四年2017/09/04(月) 07:49:17.58ID:KC6mImyh
織田の一族は普通におったわけだが
織田政権を復活させられる才能のある奴がいなかった
0598人間七七四年2017/09/04(月) 08:07:44.73ID:GpRImzhw
信長は不世出の傑物
0599人間七七四年2017/09/04(月) 08:08:33.95ID:GpRImzhw
もっとも2代続けて超優秀というのは稀
0600人間七七四年2017/09/04(月) 13:33:07.97ID:FJIdyO+n
信長って調べれば調べるほどなんでこいつが天下人になれたのか不思議になる
器量としては最大限に見積もって3ヶ国ぐらいの領主
まあそれでも大したものだけど
0601人間七七四年2017/09/04(月) 14:18:13.14ID:GpRImzhw
天下取っていない

どの辺の器量がない?
0602人間七七四年2017/09/04(月) 14:57:07.86ID:eeWeNyxu
>>600
運ももちろんあるけど、基本的には他の領主の器量が信長以下だったから統一寸前まで行けたんだよ
0603人間七七四年2017/09/04(月) 18:14:04.42ID:2dkIMVuW
秀吉死後も秀次が関白としていたら、家康は秀次派と秀頼派の分断作戦をして、
秀頼側について秀次を排斥しただろうな。

ただ、この場合も豊臣恩顧武将の勢力図は関ヶ原前とあまり変わりないような気がする。

秀頼と秀次ではカリスマ性というか神話性が全然違うしな、
秀次は小牧・長久手の戦いで大惨敗して無能武将というレッテルがあるし、
秀頼は未知の可能性と淀殿により豊臣、織田、浅井の血を引いているというのが、
カリスマ性を高めているよな。
0604人間七七四年2017/09/04(月) 18:24:51.88ID:2dkIMVuW
>>550
>律儀な内府を事実上の副将軍(?)にして数年無難にやり過ごせば、家康も死んで秀忠に交代、5大老で天下を狙う器量人はいなくなると考えてもおかしくないなぁ。
>このスレ勉強になるわ。

五大老といっても前田家は芳春院(お松)を江戸に人質に送っているから実質徳川の配下だし、
あと会津征伐で上杉をやっければ、残りは毛利と宇喜多だけだけどな。
上杉をやっければ、関東、越前以北は徳川家の勢力圏になるから、関ヶ原がなくても
征夷大将軍をもらえたかもしれないよな。

毛利と宇喜多は敵対関係だから、それでどっちかを潰せばいいだけだよな。
どうせ毛利は自分の領土を守ることしか頭にないから、関東で家康の勢力がどうなろうと
関係ないと思うだろうし。
0605人間七七四年2017/09/04(月) 22:01:12.90ID:rwValDLn
>>604
その時点で毛利の戦力を家康との決戦であてにするのは無理だとわかる。
中央に興味がないという事は別に家康が政治の実権を握ってもかまわんという事だからだ。
いや、それじゃあ毛利がいちゃもんつけられて潰されるだけだろと思う人もいるだろうが、
家康以外(つーか豊臣家)がそれを絶対しないという保証は実はどこにもない。
実際、前田征伐の原因となった家康の暗殺計画を家康に報告したのは奉行の増田と長束だし。
これを防ぐ方法は二つ。一つは毛利が豊臣政権の実権を握る事だ。それも家康以上に。
二つ目は毛利が豊臣家をも滅亡させて天下を毛利の物にする事だ。
いずれにせよ、天下政権を完全に無力化するか自分が天下人にならん限り自分の領地の安全は保障されんよ。
0606人間七七四年2017/09/04(月) 22:36:10.12ID:WCMuuXiC
ホントに暗殺計画あったかね

あったとしてどうやってわかった?
0607人間七七四年2017/09/05(火) 00:27:23.61ID:H35qgtNA
成り立ちはともかく毛利って豊臣政権下では宇喜多と仲良いイメージのが強いんだけどそんな国境で争うレベルで憎みあってたん?
0608人間七七四年2017/09/05(火) 03:04:01.99ID:hPCowz8i
>>606
暗殺計画なんてあるはずないじゃん。

忍びを使ってデマをまき散らすのは家康の常套手段。
だからたぶん無能秀次と秀頼を対立させるのも訳ないことだろう。

秀次は関白の座を譲る気はないらしいという噂でも流せばいい。
0609人間七七四年2017/09/05(火) 03:09:29.50ID:hPCowz8i
>>607
宇喜多秀家の親父直家は毛利と組んで自分の主家である浦上を滅ぼしたけど、
織田が攻めてきたら織田に寝返って織田の下で毛利の領土をせっせと削っていった。
0610人間七七四年2017/09/05(火) 03:14:09.55ID:hPCowz8i
>>605
防ぐ方法はその二つというより、一番現実的なのは徳川に臣従することだろう。
前田みたいに人質を送って。
後ろには黒田がいるしな。
0611人間七七四年2017/09/05(火) 03:44:17.34ID:3AwVmP3/
>>609
あの時代は、同盟と主従関係の境目が曖昧だしね。
毛利が勢力拡大し始めた時、備中の三村は毛利傘下に入ったんよ。
毛利が執拗に尼子攻めてる時に三村の軍も参加してるしね。
三村と宇喜多は仇敵同士で散々戦ってる。
所が、最終的に毛利は三村の頭越しに宇喜多と和議を結んで傘下に入れたんですね。
当然三村は激怒して毛利と手切れして毛利軍に滅ぼされるの。
そこまで贔屓したのに、織田が攻めて来たら織田に寝返るしね。
実際、本能寺の変の後でも毛利と宇喜多の境界を決めるのは大分揉めてる。
0612人間七七四年2017/09/05(火) 07:02:26.87ID:f9ai2shS
>>608
問題なのは、言い出したのが増田と長束だという事。この2人は関ヶ原では西軍についている。(増田は旗色不鮮明だけど)
婚姻問題のように、ある程度釈明可能なものならともかく、暗殺計画となるとそれはほぼ無理だ。
つまり、この問題を大きくすれば前田派は大打撃、徳川派が勢力増大はほぼ避けられない。
これが家康の罠だとしたら2人は信じがたいレベルの無能だという事になってしまう。
秀吉に奉行にまで任命された男がそこまでバカだとはちょっと思えんのだが。
つか、秀吉自身の任命責任のレベルの話になっちまいそうな気もするが。
0613人間七七四年2017/09/05(火) 08:57:36.80ID:XYtiS8mf
>>608
だよね

場合によっては前田の下っ端を殺して
コイツが犯人で返り討ちにしたとか言えばいいし
0614人間七七四年2017/09/05(火) 11:18:12.28ID:G2BqSS4l
暗殺計画があったかどうかよりも
誰がご注進してきたかの方が重要だわな
この後の加賀征伐で豊臣方が援軍を断ってるのも見ると
利家生存時の頃の豊臣奉行方+前田派VS徳川派という大まかな対立図は
もう過去のものになってたんだろうな
0615人間七七四年2017/09/05(火) 12:04:12.16ID:vWcilojL
>>612
>問題なのは、言い出したのが増田と長束だという事。

なにが問題なのか全く理解できない。
歴史的事実としては家康暗殺計画を増田と長束が言い出して前田家が窮地に追い込まれただけだけど。
事実上は増田も長束もそのレベルで不思議はない。
0616人間七七四年2017/09/05(火) 12:09:32.47ID:vWcilojL
>>612
>秀吉に奉行にまで任命された男がそこまでバカだとはちょっと思えんのだが。
これも笑える。
一番のアホは三成だろう。家康の挑発に乗って結果的に徳川政権成立を早めた。

三成は行政能力は優れているとしても政治能力は皆無に近い現実に気付かないとな。
0617人間七七四年2017/09/05(火) 12:14:56.66ID:VFUrFjZY
家康を小説みたいなスーパー陰謀家とするからおかしな点が出てくる
0618人間七七四年2017/09/05(火) 13:25:16.98ID:pGwYALiq
政治能力は多少あった
ただし家康と比べるとプロのトップとアマチュア上位の差

もっと酷いのが軍事能力でこれは武将としては
低レベル

戦略的に動くことはできた
ただし軍事的才能は低い
相手は当代最高レベル
0619人間七七四年2017/09/05(火) 16:21:41.68ID:vWcilojL
>>617
家康暗殺計画なんて小説みたいな話だからな。
0620人間七七四年2017/09/05(火) 16:27:42.83ID:x2hpOSlu
>>616
早めたも何も前田は屈して上杉も征伐されたらもう誰も止められないだろ
そこに誰を入れるのか分からんが息のかかったのを入れるのは確実
宇喜多はゴタゴタしてるし毛利は内部で分裂
奉行は三成以外は家康の犬みたいなものだし
秀頼を抱えたまま家康が天下人面をするだけだ
帝を抱えた曹操のようになる
あとの「処理」は秀忠(曹丕)に任せますよと
むしろ関ヶ原があったから豊臣は15年も生き長らえた
0621人間七七四年2017/09/05(火) 17:02:25.53ID:9sYOn3fc
むしろ、徳川が秀頼を抱えて、東国にでも国替えされてれば、豊臣は滅ばなかったんじゃないかな。
司馬の城塞ではないけど、大坂城で膨大な領地と財産があったから豊臣は滅ぼされたんだと思う。
0622人間七七四年2017/09/05(火) 17:09:33.74ID:pGwYALiq
東国だと難癖つけられて攻められた
金は豊臣あるし

淀君を差し出せば許してもらえたはず
0623人間七七四年2017/09/05(火) 17:34:28.07ID:vWcilojL
関ヶ原で知行を一番減らされたのは豊臣秀頼だからな。関ヶ原前も家康は太閤蔵入地を誰かに与えてせっせと削っていたけど関ヶ原のお陰で一気に220万石を65万石に減らすことができた。これが豊臣滅亡を早めたと言ってもいいよな。
関ヶ原なしで160万石も減らすのは家康でもなかなか難しいのでは。
0624人間七七四年2017/09/05(火) 17:40:58.14ID:vWcilojL
>>621
そもそも江戸に将軍に挨拶に行っていれば安堵されていたんじゃないの。
参勤交代はまだ無かったけど、他の大名は何かしらの人質とか置いていたし。
千姫もいたし一大名の姿勢を見せれば潰れはしなかっただろうけど、一人だけ挨拶に来ないでは潰されて当たり前だよな。
0625人間七七四年2017/09/05(火) 18:51:19.40ID:x2hpOSlu
家康はあくまで秀頼の臣下の立場で振る舞ってんだから
主が臣下にヘコヘコすんのはおかしいだろ
0626人間七七四年2017/09/05(火) 22:14:01.14ID:7JlmiEmZ
別に臣下の立場ではないな
特に将軍就任後は
0627人間七七四年2017/09/05(火) 22:47:41.35ID:EB6Dn3Vh
三成は秀頼に向かって、俺が勝手に起こした戦に出陣して俺を守る盾になれと言ったくらいだし
三成に比べれば家康の方が秀頼に配慮した振る舞いをしていたといえるだろう
それで秀頼が勘違いして増長した結果、滅亡したというのも皮肉だが
家康が秀頼に対して三成みたいな態度を取っていれば逆に豊臣が勘違いせずに生き残れたかもね
0628人間七七四年2017/09/06(水) 01:23:51.32ID:wROZ8+Ko
伊達と上杉と佐竹が組めば背後から東軍を挟み撃ちにできただろ
政宗には法外な領土を条件にしてな
0629人間七七四年2017/09/06(水) 02:00:57.28ID:SSb2RIWT
戦況が余程西軍有利になっていない限り七将襲撃に関わってる大名と
私婚問題で家康と一緒に糾弾されてる大名を西軍の味方につけるのは難しい
法外な提案をしたところで信用されなければそれまでだし
0630人間七七四年2017/09/06(水) 02:04:28.37ID:zPBixyec
>>627
結局このスレでどうすれば西軍が勝てたか?と語っても戦術面ではほぼ無理だと分かったけど、
一つ可能性があるとすれば三成が秀頼の出陣は無理としてもお墨付きをもらうことだったんだよな。

家康の弾劾状とか出す前に内々にお伺いを立てるとか、片桐且元に相談するとかしていたら
状況は変わっていたかもしれないのに、決起を発表してから頭ごなしに説得しても無理だよな。
ここが三成の政治力の無さだよな。
0631人間七七四年2017/09/06(水) 02:07:34.62ID:zPBixyec
伊達が喉から手が出るほど欲しい領地は秀吉に取り上げられた上杉領だからな。
上杉なんかと組んでも何の得もないし、三成、直江にそんな政治外交力なんて全くない。
0632人間七七四年2017/09/06(水) 02:14:50.74ID:zPBixyec
佐竹も義宜は三成と懇意だったけど親父の義重は家康派だったから
一枚岩ではないよな。
0633人間七七四年2017/09/06(水) 02:25:41.94ID:iTTE2iyg
当時の家中が一枚岩だったかどうかだと徳川家を始めとした東軍の方が有利としか言えなくなる
0634人間七七四年2017/09/06(水) 05:33:57.94ID:JP4B4XK1
>>630
言いたい事はわかるけど、それは話が逆なんじゃないかな。
三成、というより西軍はそれが無理だと思ったからクーデターまがいの挙兵をしたんだと思ってる。
そりゃ秀頼、というか豊臣家が西軍を支持すれば、というのは誰でも思いつくよ。
でも反論してる人はそれが無理、もしくは無茶だと思っているから反論してる訳で。
0635人間七七四年2017/09/06(水) 06:48:10.26ID:Mw6P2pIN
まず豊臣家の存続を望んでいた豊臣恩顧の大名が少なかった
というのが最大の要因だろう
晩年秀吉の老害化がそれほどに凄まじかったから豊臣家の世間の風評は劣悪化してる

いい機会だから革新してしまおうという考え方の方が多かったんじゃね
0636人間七七四年2017/09/06(水) 08:42:38.21ID:IpUm3OBb
加賀征伐の時に三成が家康に決戦を挑むべきだったわ
0637人間七七四年2017/09/06(水) 09:12:14.09ID:39m1Z2a0
>>635
豊臣の存続よりも中央集権で土木、朝鮮と引き摺り回され金が回らなくなってきた
それを取り仕切る奉行が気に入らない、三成の空気の読めなさが気に入らない

ということだったと思う
関ヶ原の時点で豊臣の存続うんぬんまで考えていた大名はほぼいなかったんじゃないか?
0638人間七七四年2017/09/06(水) 09:44:05.21ID:IcmT0vme
大谷吉継も増田長盛も毛利輝元も、元々家康に対して敵意持って無かったからな
いくら考えても三成の強引さ、段取り不足に話が戻る
0639人間七七四年2017/09/06(水) 10:20:59.14ID:m5rkABcR
けど上杉とは段取りしてたんだろ?
0640人間七七四年2017/09/06(水) 10:57:00.62ID:yz8lTcxb
目の前に出てくるまで東軍の居場所も知らなかった三成が会津までの通信ルートを持っていたか疑問。
名古屋当たりから通信は遮断されていたみたいだからな。

挟み撃ちというのは話としては面白いけど、現実的にはという感じ。
しかも上杉は上に最上、伊達がいて横から堀や前田も来る可能性があるから、佐竹と組めたとしても、自領を出て戦争するなんて無理だろう。

結局秀吉に目付として会津に移されたけど結果的には四方が敵で身動きを取れなくなった。
0641人間七七四年2017/09/06(水) 12:46:27.87ID:5/f5IvF7
>>639
具体的な挙兵については直前まで内々にしか明かしていなかった
毛利とは蟄居前からかなり綿密にやり取りしてた
ただ大坂城に入った辺りで輝元がいきなり日和った
上杉との挟撃云々は創作
吉継・真田にすら知らせてないのにどうやって会津まで具体案を報告しに行くのか
実際真田からは何故もっと早く打ち明けてくれなかったのか、
吉継からは仕掛けるのが遅い、早くからならまだ手の打ちようがあった(暗殺など)と
文句言われてる。三成は吉継すら信用してなかったことが伺える
どうも与党の奉行衆と毛利・宇喜多でカタをつけようとしていたとしか思えない
その奉行が家康に内通してるんだから目も当てられない
0642人間七七四年2017/09/06(水) 14:02:41.78ID:y3NkRI/m
そら吉継なんざバリバリの親徳川派だからな
0643人間七七四年2017/09/06(水) 14:16:53.25ID:ZcY5Gj68
真田は意識としては辺境の土豪
三成が重視しないのも無理はない
0644人間七七四年2017/09/06(水) 14:38:28.72ID:lmvCPa6+
会津責めの時なら結果としてはさみうちなるとに漠然と考えてたんだろう
0645人間七七四年2017/09/06(水) 14:54:25.10ID:MF/nRc8v
与党の奉行衆と毛利・宇喜多でカタをつけようというより、福島や黒田が味方につくと本気で思っていたんじゃないの。

能天気だよな。
0646人間七七四年2017/09/06(水) 15:47:39.18ID:5/f5IvF7
秀頼を輝元が三万の軍と共に担ぎ出せば恩顧武将はいやがおうでも不戦する
機能不全になった会津征伐軍を尻目に家康だけを討てばよい、と考えてたんだろ多分
キーマン二人のうち一人も出てこなかったのが三成の限界
輝元は大坂城に籠ってどっち着かずな態度するなら
いっそ東軍として周辺を暴れまわっておけばまだ話の種になろうものを
0647人間七七四年2017/09/06(水) 15:52:43.27ID:ZcY5Gj68
秀頼に対して出陣要請してる?
しかし幼児が戦場に出てくるのは異常事態なんだが
0648人間七七四年2017/09/06(水) 17:04:15.89ID:MF/nRc8v
>>647
軍資金も兵糧米も出してもらえなかったからな。
よく長期化すれば西軍が有利とか言う人がいるけど佐和山城はカラカラだったらしいし、長期戦になったら西軍は経済的に大丈夫だったのかね。
0649人間七七四年2017/09/06(水) 18:02:02.57ID:I8xsg3Qq
秀頼と淀周辺が西軍を支持していないので、輝元が彼らを押さえておく必要があるのも大坂を動けない一因
0650人間七七四年2017/09/06(水) 18:22:55.99ID:96dtzyPY
そこな
上杉討伐を家康に命じた淀がその家康相手にクーデター起こした三成を支援するわけがないw
家臣同士の揉め事とするにも勝った方に言い訳するためにも大坂城でテルに脅されてたの(;ω;)っていう形にするためにわざわざ大坂城から秀頼出したり自身が大坂城離れるとは思えん

またテルも三成が負けた場合の言い訳で自分は戦場には行っていないという立場崩したくなかっただろうし、三成が勝った場合はすぐさま瀬戸内海制覇に動きたいから東軍本体に向けて主力も出さない

つまり西側は史実通りの軍勢以外は使えない状況
0651人間七七四年2017/09/07(木) 07:24:14.53ID:4pBvLUf9
625人間七七四年2017/09/05(火) 18:51:19.40ID:x2hpOSlu
家康はあくまで秀頼の臣下の立場で振る舞ってんだから
主が臣下にヘコヘコすんのはおかしいだろ
 ↑
こういう姿勢が滅亡を招いた訳だけどな。
大坂城に籠りきりで、ろくな現状認識も出来ないままでいたからな。

大坂の陣で集まってきたのは無頼の徒だけで、まともな大名は誰も味方になってくれない
という現状に初めて気づいた。
0652人間七七四年2017/09/07(木) 09:46:41.85ID:LYvMQMz6
三成と上杉が通じてないなら三成が挙兵しなかった場合上杉どうしてたんだ?万が一くらいしか勝ち目ないし
上杉のビジョンが気になる
0653人間七七四年2017/09/07(木) 10:11:47.70ID:OEuyWVvh
当然了解していた
0654人間七七四年2017/09/07(木) 10:26:42.02ID:swYgFZwB
ふと思ったんだけど、
有能な武将を寝返らせると、、、
戦乱期 → 倍々で領地拡大
安定期 → 扶持与えて領地増やせない

安定期って、好戦大名からしたら恐怖なの?
0655人間七七四年2017/09/07(木) 10:59:29.25ID:yrK3kF6T
>>652
よく言われてるのは一戦して武門の意地を見せ付けた後に
有利な条件を引き出して講和するつもりだったのではないかという話
0656人間七七四年2017/09/07(木) 11:23:30.45ID:WHfP6UkW
>>654
なんでやねんw
どっかの傘下に入った時点で切り取り自由は基本的にないから戦って勝っても官位やら指定された新領与えられたりで欲しいところをもらえるわけじゃない
しかも動員かけられたら断る事もできんから財政的に派兵が厳しくてもどうにかして言われた人数、装備揃えて自分も出向かないといけない

たからこそ朝鮮出兵時にみんなが秀次に借金頼んだり、普請免除してもらえるように頼んだりしてたんだよ
言わば秀次は政権内で大名への情状酌量を秀吉にしてやる立場

奉行達からすると秀吉の命令を実行するには秀次が普請の軽減とか世話してやると自分達の段取りが上手くいかなくなる可能性があるから邪魔だった

秀次の死の背景は実子誕生による後継者問題だけじゃなくそういう奉行と秀次周辺の対立もあった
0657人間七七四年2017/09/07(木) 12:55:33.66ID:h6W1c2mq
ゲームと違って上杉側には徳川と事を完全に構える気はないと思うよ
そもそも挟撃が上手くできたとしても最上やらが雪崩れ込むし領土からそこまで離れる事なんかできないし
0658人間七七四年2017/09/07(木) 13:04:42.82ID:O7IBPlW6
>>656
いや、やっぱり乱世で活きるタイプと治世で活きるタイプはまた変わってくると思うよ
0659人間七七四年2017/09/07(木) 13:38:19.05ID:iD9P52BH
平時は揉め事起こさないほうがいい

有事は多少悪でも結果を出せるやつ
0660人間七七四年2017/09/07(木) 15:58:39.90ID:ngNtrtw9
>>654だからやっぱり、大坂の陣みたいな最終戦争とかは
死なない程度に頑張るんじゃなくて
最後の出世チャンスとしてどちらも無茶したんじゃね?
0661人間七七四年2017/09/07(木) 17:04:33.41ID:5SqQbN3p
関ヶ原の戦いの戦いって奉行衆vs徳川ってよりは奉行衆vs七将っていう色合いが濃いよね。家康は割と乗っかっただけ
0662人間七七四年2017/09/07(木) 17:07:17.39ID:5SqQbN3p
家康の信条的に、実力をつけて正当性をもって自身の地位を高めていくっていうものを感じる。要は優等生タイプ。規律破ったのは婚姻の件だけ
0663人間七七四年2017/09/07(木) 17:42:41.33ID:xIBJfij3
10人合議が合意できる婚姻話あると思う?
0664人間七七四年2017/09/07(木) 18:02:42.30ID:5SqQbN3p
婚姻の件は規律破りうんぬんはともかく、豊臣恩顧の武将とか伊達とは繋がっておかないと自分の立場が不安定すぎると思ったんだろうな。他は豊臣との家としてのパイプが太いけど家康はぶっちぎりの外様だから立場が不安定すぎる
0665人間七七四年2017/09/07(木) 18:36:25.68ID:41JqI5lL
>>664
???家康は秀頼の外祖父なんですが?
宇喜多は当主が秀吉の元猶子で前田は娘が秀吉の養女。
毛利は秀吉の養女が元後継候補の秀元に嫁いでる。
五大老でぶっちぎりの外様って上杉じゃないのか。
豊臣との縁でいえば上杉<毛利<前田≦宇喜多<徳川って感じじゃねーかな。
0666人間七七四年2017/09/07(木) 18:45:45.38ID:Tiq6Pxt5
家康は、秀吉の姉も嫁にもらってる。
豊臣家から見て、徳川家はほとんど親族
0667人間七七四年2017/09/07(木) 18:59:00.04ID:41JqI5lL
ああ、後息子の秀康が秀吉の元養子だから
親族がほとんどいない秀吉視点、ほぼ一門筆頭だな家康は
0668人間七七四年2017/09/07(木) 19:46:51.63ID:UdQCVjBX
>>665
あー、それは失念していた申し訳ない。確かに上杉がぶっちぎりの外様なのは認めるわ。ただ、前田、毛利、宇喜多、上杉がかなり(血縁的にではなく)豊臣と関わりが深いのに対して徳川ってうわべの血縁だけやん?奉行衆筆頭の三成とも人間関係ないし孤立するやろ
0669人間七七四年2017/09/07(木) 19:48:59.86ID:UdQCVjBX
何が言いたいかというと、豊臣家の中での家康ポジをシミュレートすると、自分の意思関係なく七将と結んで石田毛利前田ぶっ殺すしかないってことや
0670人間七七四年2017/09/07(木) 19:49:38.01ID:cIRtMKOV
>>668
前田と宇喜多は分かるが、毛利が徳川以上に親密とは思えんが
0671人間七七四年2017/09/07(木) 19:51:21.25ID:UdQCVjBX
>>670黒田官兵衛が取次だったうえに、山崎の戦いくらいから秀吉と同盟していて関わりは深い
0672人間七七四年2017/09/07(木) 19:52:39.35ID:UdQCVjBX
上杉も三成を取次としていたから親豊臣。徳川はそういう政治的なパイプがない。血縁関係はむしろパイプがなかった裏返しや
0673人間七七四年2017/09/07(木) 20:05:12.98ID:8PgYoEWQ
>>668
うわべなのは、毛利や上杉の方では?
徳川は織田との同盟関係から、織豊大名との繋がりは両者よりも密接なのは間違いない。
0674人間七七四年2017/09/07(木) 20:06:28.27ID:sW0XXJHa
>>657
伊達、最上と戦い、有利な条件で講和
例えば人質を取る

その上で、西に反転すれば徳川を挟める
それだと秀忠も間に合うわけだからあれだけど・・・
0675人間七七四年2017/09/07(木) 20:08:54.67ID:UdQCVjBX
>>673その解離だよね。豊臣家としての外交、政治の大半は三成はじめとする奉行衆が担ってたと思うんだけど、七将はじめとする子飼いの武将達と派閥的に対立していて、彼らは家康と近かった。国家としての付き合いと人間関係が乖離してたのが関ヶ原の戦いに繋がった
0676人間七七四年2017/09/07(木) 20:13:24.82ID:UdQCVjBX
伝え方が悪いから考えをまとめると、
豊臣の実務は奉行衆が担っていて、七将派閥と対立していた。家康は豊臣家の中でバランスを保つために七将と仲良くせざるを得ず、結果関ヶ原の戦いで東軍とならざるを得なかった。
(上杉討伐とか前田討伐とかもそうしないと自分が喰われる)
ということを言いたかった
0677人間七七四年2017/09/07(木) 20:14:53.46ID:UdQCVjBX
というか、あの情勢で政治的に一貫した姿勢は取りづらいから行動原理に例外はでるよね
0678人間七七四年2017/09/07(木) 21:10:32.06ID:cIRtMKOV
なんだ親奉行と言いたいだけか
0679人間七七四年2017/09/07(木) 21:14:43.12ID:Rf6gBnok
実は七将と奉行が対立していたという史料的根拠がない。
襲撃したから仲が悪かったんだろう、という逆アプローチの通説。
0680人間七七四年2017/09/07(木) 21:25:50.27ID:UdQCVjBX
>>679
「石田三成と浅野長政は(彼らはこの時にあたって互いに外見上の友情を温めていた)、
ついに心に隠していた憎悪を爆発させた。同様に朝鮮での諸武将たちの間でも、和平締結や軍勢引き揚げについて、
皆が同意見ではなかったために不和が生じた。」(要約)【1599年度日本年報『十六・七世紀イエズス会日本報告集』】
「慶長の役の際、福原長尭(朝鮮出兵時の軍目付、石田三成の妹婿)なる者が石田三成を通じて、諸部隊が留まったまま進軍しないと秀吉に訴えた。
蜂須賀家政・黒田長政・藤堂高虎・加藤清正・早川長政・竹中重隆みな譴責された。秀吉は早川長政や竹中重隆らの豊後六万石の領地を奪って福原長尭への賞とした。
…石田三成らの一党は福原長尭を援助したので党派がいよいよ分裂した。」
【看羊録
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