>>520
その反論の前にまず豊臣方の実態を挙げるわ

まず、有利な防衛側に関わらず若江村や国分村まで統率取れずに進軍が遅れ
あろうことか国分村では先に幕府軍に到着される
そして野戦築城さえ出来ずに敵に到着される作戦立案の見通しの無さ
次に国分村の幕府軍には遠方から来た伊達政宗も含まれており、
遠方から来たにも関わらず敵の進軍スピードを全く把握できていない上に
徳川本隊は国分村方面から来ると予想してたが裏をかかれて若江のほうに行かれ突破される
物見や諜報などで最も戦に重要な情報収集をしていなかった
そして最後に天王寺の戦いにおいて真田幸村が家康の後退による誘引に引っ掛かって深入りし
真田本陣を放棄したことにより周囲を囲まれて壊滅
真田隊壊滅により善戦してた毛利隊も周囲を囲まれ撤退する羽目に
本来なら真田本陣で睨みを効かせ、真田と毛利が互いに囲まれないようにしていた
この致命的な野戦経験の無さのせいで膠着状態にも出来ずに豊臣はたった数日で滅亡した