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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part5 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/06/06(火) 20:27:04.95ID:AlTcU9jR
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前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part4
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
0606人間七七四年2017/07/02(日) 19:06:54.87ID:HiOkwplS
>>590
何か、590の意味が誰も解らなかったみたいなんで補足説明しますね。
自分にはAのフォアカードって保々最強の役が出来てるけど、ストレートフラッシュは
絶対出来ないんで、相手に100%役を見破られてるんです。
逆に、こちらは多分相手の役はストレートかフラッシュの片方が精々って予想が付くけど
ストレートフラッシュの可能性もゼロじゃないので危険なんですね。

相手が居る博奕って、情報の差で全然有利不利が入れ替わるって事です。
不利なら無理に勝負に出る必要無いし。
三成って、この辺の感覚が全然分かってない気がします。
0607人間七七四年2017/07/02(日) 19:34:41.02ID:N8aLUvF0
>>601
西軍が勝つ為の巻き戻し期間として秀吉の死からでは足りないかなと
0608人間七七四年2017/07/02(日) 19:55:57.36ID:oQ6G/iq6
>>606
(・∀・)カエレ!!
0609人間七七四年2017/07/02(日) 20:01:21.96ID:fSCffkvX
小早川が裏切れば勝てたって言うのはもういないのか
0610人間七七四年2017/07/02(日) 20:08:16.15ID:SWoPxTVM
岐阜陥落以前の西軍首脳の意志決定機関は、
現存する大老奉行連署を見る限り、(毛利を盟主とした)大老奉行合議で間違いないと思うけど、
岐阜陥落以降はどういう形で意志決定がされていたか
分かる史料って残ってない?
俗説では三成主導だけど、
本戦直前の増田宛て三成書状には随所に
自分の考えとは異なる方針に対する愚痴らしきものが見受けられるし。
0611人間七七四年2017/07/02(日) 20:24:45.56ID:86p5rlS4
>>609
そういえば資料はどうなったんだよな。
桐野作人と中井俊一郎なんて名前だけ出してそっから先は?
0612人間七七四年2017/07/02(日) 21:08:20.55ID:T2CvyMeX
>>605
結局のところ三成が殺す殺すと言いすぎなんだよ
金正恩レベルの殺戮や粛清を主張する三成は豊臣恩顧にとっても危険極まりない
豊臣の天下を諦めてでも三成を排除するしか生き残る道がなくなってしまった
0613人間七七四年2017/07/03(月) 00:32:19.64ID:1HqXQ0hw
小早川の西軍攻撃は決定的なダメ押しになっただけだし、
小早川が東軍攻めても時間稼ぎにしかならんだろ
0614人間七七四年2017/07/03(月) 02:50:14.19ID:qIWFf+wL
船頭多くして船山に上るを地で行った結果だからな西軍の末路は。
まず烏合の衆をどうにか一本化しないと無理だべ。
戦力的には「毛利の下に一本化」しか選択肢は無いけども
0615人間七七四年2017/07/03(月) 07:37:02.33ID:4Mhj6+Zu
>>614
その毛利が西国に兵を派遣しまくってるうえに、(明らかに自領拡大狙いの動き)
岐阜陥落後は露骨に徳川との手打ちに走ってるからな。
見方によっては美濃にいた西軍の連中は毛利に切り捨てられたようにも見えるし。
0616人間七七四年2017/07/03(月) 11:32:07.53ID:Vxw++mtx
毛利や上杉が、豊臣の忠臣かのごとく行動する理由なんて全くない。
忠臣を前提にしてるから、両家の評価が意味不明な扱いになる。
自国のための行動と考えれば、全て辻褄があう。
0617人間七七四年2017/07/03(月) 12:24:22.49ID:M5Rq5jdh
上杉を毛利と一緒にするのはやめてくれ
最初から西軍の中心として動いてた毛利と違って上杉は挙兵後しか西軍との繋がりがないんだから
0618人間七七四年2017/07/03(月) 12:24:57.05ID:j/1Ozr7W
>>615
つかそれが本質だろ
0619人間七七四年2017/07/03(月) 13:12:15.44ID:9EMDyufy
>>617
なわけないだろ
三成が挙兵するかもという期待があったからこそ直江状送ったのに
0620人間七七四年2017/07/03(月) 13:35:31.01ID:z7womhQ7
関ヶ原は三成と直江兼続の共謀
0621人間七七四年2017/07/03(月) 13:36:57.04ID:M5Rq5jdh
>>619
ないない
直江状は家康に対する挑戦状じゃないし
0622人間七七四年2017/07/03(月) 13:42:08.40ID:z7womhQ7
期待ではなく戦略の一環
0623人間七七四年2017/07/03(月) 14:37:46.05ID:X6zEPnD6
輝元が出陣し(性格的にしないのは分かっているけど)、
空弁君を殺しておかない限り勝ち目はない。
0624人間七七四年2017/07/03(月) 14:56:40.73ID:z7womhQ7
輝元は玉を掌中に
0625人間七七四年2017/07/03(月) 16:48:07.30ID:kPxy9EHn
性格的というか、和睦交渉の貴重カードをわざわざ手放すバカはいない。
岐阜落城・家康出馬で、既に毛利はやる気ないよ。
0626人間七七四年2017/07/03(月) 17:16:58.96ID:CXxc5JIm
>>625
つまり関ヶ原の流れを変える最後のチャンスは、結局岐阜陥落阻止って事だな。
それ以前ならともかくそれ以後はほぼアウトだろうね。
0627人間七七四年2017/07/03(月) 17:19:23.50ID:1N97Fx3h
>>614
でも、烏合の衆って言うても通常は外線作戦側の方が数が多いですからね。
第二次世界大戦の時の連合軍だって、かなり纏まり悪いですよ?
ヒトラーは、イギリスと単独講和が可能だと思ってたみたいだし?
そもそも、本来は犬猿の仲のアメリカとロシアが共同戦線ってのも変だし?
 
何処かで、戦線が膠着するだけで家康は袋叩きの立場だと思うなあ。
家康は、史実では常に主導権を自分の側に持ってたけど、逆に言うと主導権を
相手に取られた時点で終わる気がすんだよね。
0628人間七七四年2017/07/03(月) 18:02:37.01ID:ngi+W7hC
>>627
毛利が大坂に入って、近畿がほぼ西軍に押さえられてる時点で
主導権は完全に西軍だよ。
そう思ったから西軍は上杉征伐軍もあっさり瓦解するだろうと見越して
内府違いの条々を征伐軍の連中にばらまいて調略しようとしたんだ。
実際一部の軍勢は征伐軍から離脱したし。
それに戦線はどこも膠着状態でしょう?北関東も東北も北陸も中山道も。
違うのは諸将が次々と家康に城を明け渡した上に、軍勢が一気呵成に侵攻して
岐阜まで陥落させた東海道位じゃないですかね。(西国は考慮しない)
0629人間七七四年2017/07/03(月) 18:25:43.43ID:fdP4hU7P
寧ろメインの東海道筋を膠着できなかったことが問題じゃない?
岐阜城の戦いでも大垣城の1万5千を殆ど有効活用出来てないし。

まぁ近江にいた小早川を警戒したせいなんだろうけど

その後はもう後手後手だよなぁ
家康出陣も直前まで把握してなかったんでしょ?
0630人間七七四年2017/07/03(月) 18:28:19.32ID:iqVA00iE
>>628
その主導権を家康と和睦して引き渡すテル
テルのねらいは大友の旧領だからねしょうがないね
0631人間七七四年2017/07/03(月) 18:39:17.25ID:HIFr+jNG
>>630
というより、もう勝ち目がないと踏んだんでしょう。
だったら傷が浅いうちに(処分が減封で済むうちに)手打ちする方がマシでしょう。
賭けに負けた以上は下手にジタバタするより、負けを認めるから寛大な処分を
求めるって方が賢いですし。実際家康はその通りにしてくれましたからね。
0632人間七七四年2017/07/03(月) 19:18:51.95ID:z7womhQ7
本領安堵だからね
結果として騙されたわけだが
0633人間七七四年2017/07/03(月) 20:48:26.54ID:JmqijFPP
敵対行動取ったんだからそれでもまだマシだよな
戦場出てないしすぐに日和ったとはいえ一応総大将だったわけだし
0634人間七七四年2017/07/03(月) 20:53:24.79ID:hvbjlEmG
>>632
実際は最初から減封で話がまとまっていたらしいよ。
0635人間七七四年2017/07/03(月) 20:58:11.68ID:VOK70Uc+
広家の説明だと輝元は騙されて担ぎ上げられただけなのに
色々と主体的に動いていた証拠が出てきたんだから家康に騙されたというのは無理がある
0636人間七七四年2017/07/03(月) 21:35:40.00ID:d+E328/3
最初から減俸で話が纏まってたっていつの時点で?出展はなになん?
0637人間七七四年2017/07/03(月) 21:49:35.08ID:8WDBP3oZ
>>636
近衛前久書状
0638人間七七四年2017/07/03(月) 21:56:11.93ID:9EMDyufy
>>637
それはかなり不正確なやつだろ
0639人間七七四年2017/07/03(月) 22:15:17.87ID:8WDBP3oZ
>>638
関ヶ原の後家康がまだ大津にいる時点で「毛利は大阪城退去で話がついたらしい。表向きは本領安堵だが実際には所領半減に成るようだ」って
書いてるぞ
0640人間七七四年2017/07/03(月) 22:19:33.41ID:9EMDyufy
>>639
だからその書状は不正確なの
実際の戦いの場所も違うし
0641人間七七四年2017/07/03(月) 22:29:08.14ID:ZgKVGgBE
またお前か
0642人間七七四年2017/07/03(月) 22:29:38.58ID:9EMDyufy
ついでに十月四日に島津攻めについて話し合われてるからどう考えても間違い
0643人間七七四年2017/07/03(月) 22:35:35.29ID:r7y+Z4rA
>>640
ひょっとして青野ヶ原の事言ってるのか?
当時は関ヶ原付近を青野ヶ原とも言ってたらしいってググったら出たけど。
後、この近くでは南北朝の時代にも決戦があったらしくて
それがまさに青野ヶ原の合戦と呼ばれてるらしい。
近衛がこれを知らんとは思えんから、あの近くでまた合戦があったって聞いたのを
そのままそう書いちゃっただけじゃないの?
0644人間七七四年2017/07/03(月) 22:42:40.57ID:ZgKVGgBE
そいつ自説に都合の悪い史料には難癖付けるだけ
0645人間七七四年2017/07/03(月) 22:54:31.84ID:lyUiyHOb
>>629
14日の朝、赤坂に到着した『金扇の馬印』を見て
西軍の一部の兵は逃亡。
0646人間七七四年2017/07/03(月) 22:57:59.18ID:vAOETkGF
>>632
「ぼくは無関係です」と家康を騙そうとして失敗したわけだ
0647人間七七四年2017/07/03(月) 22:58:51.06ID:9EMDyufy
>>643
可能性はあるが吉川広家の覚書の中に戦いがあったのは山中と書かれているからな
戦場にいた人から聞いた話としては不正確かと
0648人間七七四年2017/07/03(月) 23:12:04.93ID:r7y+Z4rA
>>647
山中ってどこだ?
関ヶ原周辺って結構山多いような気がするけど。
0649人間七七四年2017/07/03(月) 23:18:44.66ID:9EMDyufy
>>648
いわゆる関ヶ原付近にあった村の名前のようだね
宇喜多秀家がいたとこらしい
0650人間七七四年2017/07/03(月) 23:31:36.81ID:AtKOnKoC
>>649
ああ、そういう事か。何か勘違いしてた。
しかし秀家のところか。うーん、確かにそこは戦場になったろうが
関ヶ原の範囲って結構広いからなあ。
戦場がそこ一か所だけって事はなかろうし、それで不正確ってのもなあ。
当時の情報伝達力を考慮したら及第点以下ではないだろう。
0651人間七七四年2017/07/04(火) 00:03:47.65ID:GJUQhGMF
>>650
全文は知らないので自分が間違ってる可能性もある
0652人間七七四年2017/07/04(火) 02:57:08.72ID:nDOjlqkJ
関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈(白峰旬)
ttp://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=8222
「(慶長5年)9月20日付近衛信尹宛近衛前久書状」(『史徴墨寳考證』第二編、第三巻、帝国大学
編年史編纂掛蔵版、1889年、2〜3丁)では、合戦の場所について「青野ヵ原」と記されているが、これ
は誤りである。近衛前久書状の場合、近衛前久がその場で合戦を目撃したのではなく、第三者からの伝聞
情報であったため、こうした誤りが生じたのであろう。」

一方で島津攻めについては、
慶長5年の九州における黒田如水・加藤清正の軍事行動(攻城戦と城受け取り)について(白峰旬)
ttp://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/sg04105.pdf?file_id=5353
「10月4日付で黒田如水は吉川広家に対して、(中略)A九州においては、奉行方の者は、島津義弘・立花宗茂が
逃げ降っているので、家康の仰せ次第に両人の者共を即時に討ち果たして(上方へ)上る予定である。(後略)」

ってあるから十月四日前後で島津攻めについて話し合っていても不思議では無い。
0653人間七七四年2017/07/04(火) 08:08:08.58ID:GJUQhGMF
島津攻めに参加すりゃ本領安堵してやるってことでしょ
立花宗茂も似たようなこと書いてるから当時はそれが普通だったんでしょ
0654人間七七四年2017/07/04(火) 08:26:22.00ID:CdBFge1N
何だろうこの報告書の語句が間違っているので、採用され無い的な流れ
0655人間七七四年2017/07/04(火) 09:33:21.92ID:FXfzOfWj
スレの本題に戻すと
島津義弘お爺ちゃんは撤退する間際に「兵が5000もあれば勝てたのにな」と三度呟いて悔しがったというから
5000くらい与えたら家康本陣を突き破ってたんじゃないかな
0656人間七七四年2017/07/04(火) 09:42:53.10ID:2QmgC1PX
>>655
島津は伊集院の反乱が発生しているのでそんな余裕一切ない。
逆に関ヶ原に軍勢をよく持ってこれたな、っていうレベル。
0657人間七七四年2017/07/04(火) 10:02:51.59ID:nDOjlqkJ
つい半年前まで領内で全面戦争やってたからな
しかも4万を9ヶ月動員した挙げ句の首謀者無罪放免でようやく終結

財政的にも安全保障的にも大軍の領外派遣とか無謀
0658人間七七四年2017/07/04(火) 10:03:00.09ID:NfReVLJJ
島津は敗走をかっこよく言ってるだけで関ヶ原では大した戦果あげてないからなあ
5000いたところで何になるのか
0659人間七七四年2017/07/04(火) 10:21:34.69ID:wfnkTW/8
5千も居たら逆に警戒されて
勝てないのも分からん爺さんだったのかw
0660人間七七四年2017/07/04(火) 11:08:34.28ID:CdBFge1N
吉川広家書状から実際は3000人いた
0661人間七七四年2017/07/04(火) 12:52:15.17ID:FXfzOfWj
実際の兵数は諸説あるが
薩藩旧記雑録から読み取れる正確な数字は
豊久隊が佐土原衆の1000人
薩摩からの上京組で義弘隊に組み込まれたのが300人
くらい

ここに京都大阪詰めの士分がざっくり200人で
御付きの連中合わせたら1500〜1800くらいが現実的な数字だろうね

薩摩本国は加藤清正の動きも気になって動けないし、庄内の乱で疲弊してるし
5000人送り込むのはちと厳しい

だからこそ、お爺ちゃんの言う通り本当に5000人送り込めたら面白いことになっていたかね
0662人間七七四年2017/07/04(火) 15:08:31.61ID:AlGSXCcR
義久も小西の要請に応じて清正領に出兵して城攻めしてるし、
畿内派遣組も薩摩本国も可能な範囲で
西軍としての務めは果たそうとしてたみたいだけどね
0663人間七七四年2017/07/04(火) 15:11:59.64ID:6rCaN7wr
史実の島津雑魚やからなぁ
0664人間七七四年2017/07/04(火) 15:22:02.69ID:CdBFge1N
>>661
足軽・小者を含めるなら最低でも三倍になるが
0665人間七七四年2017/07/04(火) 15:26:59.19ID:0aS+zF/C
>>655
小早川が下山始めたらその5000全部を大谷の横に置いて持ちこたえるのやっとだろ
小早川下山前に突進してたら手薄になった本陣を小早川が突きやすくなるだけだし
人数もそうだけど布陣した場所も重要っぽい
0666人間七七四年2017/07/04(火) 15:33:28.38ID:Ae5AMMJ3
島津のタラレバより、毛利のタラレバの方が重要。
0667人間七七四年2017/07/04(火) 15:38:54.40ID:imB6+l4L
暑いからレバニラ食いたいなw
0668人間七七四年2017/07/04(火) 15:42:43.18ID:JU1iXnSl
吉川を大阪城に置いておいて、輝元が出陣、安国寺が先鋒とか
0669人間七七四年2017/07/04(火) 15:54:52.10ID:OJfwRv8h
タラバっ食いたい
0670人間七七四年2017/07/04(火) 15:55:37.48ID:OJfwRv8h
吉川が秀頼とともに東軍支持に‥
0671人間七七四年2017/07/04(火) 18:07:05.13ID:ahqY5NDp
安国寺って秀元差し置いて先鋒務めるだけの実績あるんだっけ?
0672人間七七四年2017/07/04(火) 18:07:16.66ID:yWOl+2Nm
やっぱ西軍負けたのはいろいろと石田三成が悪いのかな?
0673人間七七四年2017/07/04(火) 18:23:43.83ID:zCLsYKZN
>>672
多分だけど、そういう問題じゃないと思う。
0674人間七七四年2017/07/04(火) 18:24:38.19ID:D58GKpe3
一成、次成が生きていればな
0675人間七七四年2017/07/04(火) 18:39:07.21ID:CtWRdc0S
>>671
輝元は広家と秀元を嫌ってたから史実でも安国寺恵瓊が関ヶ原の毛利軍を率いてたんじゃないかって毛利研究で書かれてた
0676人間七七四年2017/07/04(火) 19:29:55.73ID:soa74YdB
>>675
そうなん?
毛利軍関ヶ原派遣組は先鋒吉川、総大将秀元だと思ってたわ
0677人間七七四年2017/07/04(火) 19:32:10.89ID:S1jtywoZ
秀元に関しては輝元実子誕生で後継者争いの元になるからできれば死んで欲しかったぐらい邪魔だったような
0678人間七七四年2017/07/04(火) 19:32:33.74ID:cQw+Y2m7
正しい

実際の指揮は吉川
0679人間七七四年2017/07/04(火) 22:35:32.22ID:eeHejjaG
輝元「広家・秀元は邪魔だから死ぬように最前線を送り込もう、俺は後ろで高みの見物だ」
広家・秀元「輝元がビビって出陣できないようだから徳川と講和してあげたよ」
0680人間七七四年2017/07/04(火) 22:42:14.91ID:B4PUNplO
酒井忠次が元気で生きていたら
0681人間七七四年2017/07/04(火) 23:36:06.35ID:biJlcYtQ
>>675
その説は信憑性ある。
だから余計に『空弁君』の存在が大きい。
山を下って関ヶ原に参戦したくても出来ない。
0682人間七七四年2017/07/05(水) 00:12:00.34ID:hNViXClO
『空弁君』?
0683人間七七四年2017/07/05(水) 15:01:07.28ID:iRx22Dq0
敢えて逆パターンで考えると
東軍では誰がどのタイミングで裏切ったら致命的だっただろうか?
を考察したら西軍勝利の希望はあるかも知れない
0684人間七七四年2017/07/05(水) 15:14:26.08ID:e2ZD8TnM
秀忠が東国から京に向けて進発して真田とぶつかるまでに西軍に寝返れば家康終了
遅参かと思いきや関ヶ原真っ最中に東軍後方から襲いかかる秀忠隊
0685人間七七四年2017/07/05(水) 15:27:59.73ID:mg8KjfUk
その時空いている方の手はのタイミングで
0686人間七七四年2017/07/05(水) 15:29:20.68ID:qPWvwjsf
>>683
内府違いの条々を見た上杉征伐軍の連中が、その内容を受け入れて
大坂に戻ると言い出したら徳川は詰む。てか、関東に引きこもるしかなくなる。
奉行や輝元は明らかにこうなる事を狙ってたと思う。
そうなったらこの事件は明応の政変ならぬ、慶長の政変なんて言われてたかもね。
0687人間七七四年2017/07/05(水) 15:53:20.31ID:3uj3Pd4f
立花宗茂がいれば
0688人間七七四年2017/07/05(水) 16:02:06.19ID:gXbkDTms
合戦の真っ最中に家康が裏切る
0689人間七七四年2017/07/05(水) 16:13:36.73ID:v5Cl96EW
>>686
まあ、福島正則が東軍支持の演説するとか予想しないよね。
会津征伐の建前は豊臣政府軍だからね。
その当の豊臣家が、徳川専務は取締役会で解任しました、今後専務の言う事聞いたら豊臣家が
処罰するよ...だから。
普通に福島正則が大阪帰るって言えば半分は同調すると思うね。
幾ら奉行衆と仲が悪くても、主君の為に我慢しましたなら別に男が下がる訳でも無いし。
福島単独なら兎も角、同調する大名でたら徳川も引き止め無理でしょう。
0690人間七七四年2017/07/05(水) 16:13:56.22ID:Huo48gxZ
実際、福島が西軍についたら展開はまるで違うと思うがね。
清洲城が西軍て凄いことよ。秀吉が詰め込んだ兵糧たっぷり。正則指揮の清洲城が、岐阜城みたいになる事はまずない。
東軍、西軍ともに戦略は大きく変わる
0691人間七七四年2017/07/05(水) 16:23:25.69ID:XVaNZcDx
>>685
西軍敗北確定後じゃねえかwww
0692人間七七四年2017/07/05(水) 16:25:40.52ID:lbHeOj0H
>>689
あのね。専務の解任は、取締役会ではなく株主総会の決議事項なんですけど。
この例えをそのまま使わせてもらうと、
他の取締役(毛利、上杉、宇喜田、奉行等)ではなく、豊臣宗家(秀頼、淀殿)
の解任動議が必要になるわけ。

で、豊臣宗家は徳川家に対し何ら意思表示してないわけだから、解任なんてされてないわけよ。
0693人間七七四年2017/07/05(水) 16:53:17.91ID:mOuRUKbu
なぁ〜んとなく西軍が多過ぎだったからな
福島みたいな戦意が無い
0694人間七七四年2017/07/05(水) 16:54:41.33ID:8LpwHWNm
>>692
あなたの言う通りではある。が、楽観視できる状態でもない。
なにしろ玉である豊臣家は遠く離れた大坂で毛利や奉行に確保されているし、
近畿はほぼ西軍に制圧されたと見ていいから、京都の朝廷もむこうの手の中だ。
上杉征伐は朝廷と豊臣家の許可を得て始めたものではあるが、
もし、どちらかでも西軍に屈すれば家康の大義名分は完全に消滅してしまう。
(実際、朝廷も豊臣家も西軍に屈しなかったのは徳川の幸運だったと思う)
そうなれば徳川は勿論、それに従い続けた諸大名も破滅する危険性が高くなる。
となれば、今のうちに徳川から離れようという動きが出る可能性も十分にあっただろう。
0695人間七七四年2017/07/05(水) 17:04:10.10ID:7fJ2ZOoq
北関東まで遠征してる身で徳川を敵に回すのは無理かと
0696人間七七四年2017/07/05(水) 17:24:46.71ID:eAchYcNr
>>695
いや、そうでもない。史実でも少数だが征伐軍から離脱した奴がいるから。
史実ではこれで収まったからよかったが、もし他大名もこれに続いていたら
徳川といえどどうにもならない。
西軍はこの時点ではかなり優位だったと思うよ。東軍にひっくり返されたけど。
0697人間七七四年2017/07/05(水) 17:43:11.43ID:hNViXClO
近畿制圧して秀頼手中にして弾劾状まで出したのに東軍の結束が全く崩れなかった点で西軍がいかにダメだったかが分かるな
秀吉生前まで戻るしかないかな
0698人間七七四年2017/07/05(水) 18:05:43.52ID:gIdbDVmi
まぁ早々に改易認定食らってる細川は徳川に付いて徹底抗戦するしか無いけどな。
そんな細川を見て同調する空気が有ったのかも試練し
0699人間七七四年2017/07/05(水) 18:20:32.29ID:zpuo108+
>>697
俺は全く逆の感想
あんだけ嫌わらてて蟄居に追い込まれてよく関ヶ原まで持ち込めたなと
結果は負けでしかも決戦時には多数の寝返りにあったけど
普通は分かるじゃない、俺は嫌われてるし大義も家康側にあるって
豊臣恩顧の武将、特に中央の要職には付いてないけど地方の半国大名クラスはほとんど家康側
これで決起しても瞬殺されてるって

それを曲がりなりにも挙兵に大老衆巻き込んで、大軍編成にまで漕ぎ着け一大決戦の舞台まで持ち込んだ

俺ならやる前に諦めるわw
0700人間七七四年2017/07/05(水) 18:24:21.53ID:3e0Vf50k
司馬のいうところの
両者が逆の立場であればってやつだな
0701人間七七四年2017/07/05(水) 18:32:05.82ID:NLMU73we
>>699
むしろあの状況で豊臣家も朝廷も西軍に妥協しなかったのが不思議なぐらいだ。
朝廷なんか割とその場しのぎの対応するイメージあるんだが。
0702人間七七四年2017/07/05(水) 18:35:53.77ID:9WuVA/Hv
>>698
物事は、しばしば逆も真実ですからね。
福島正則の奉行衆嫌いが有名な分、彼がもし西軍に付けば西軍の大義名分の豊臣家の為、秀頼公の為って
言い分の真実味が増す訳です。
と言う寄り、「福島正則が西軍だって!彼が西軍って事は実は裏工作が随分進んでるのでは?」って予想に
傾く大名も多いでしょ。
大体、家康だって挙兵の予想はしてても毛利が乗る予想はしてないでしょ?
0703人間七七四年2017/07/05(水) 19:00:03.45ID:DZwf5wc2
福島正則は私婚問題で家康と一緒に責められてるし
内府違ひの条々でも相変わらずその事に言及されてるから西軍に付く可能性はかなり低いのでは
0704人間七七四年2017/07/05(水) 20:34:34.07ID:sto08WGp
>>702
毛利が1枚岩になる事が最も困っただろうな。
だからこそ、輝元の優柔不断な性格を巧みに利用した。

秀頼が出てこないのは秀頼の年齢と母親の歩んできた人生と性格を考えれば、予想通り。
0705人間七七四年2017/07/05(水) 21:16:04.97ID:+DEOA1gd
毛利が一枚岩になればって別にそんなに割れてないけどな
やっぱ前田だろ
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