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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part5 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/06/06(火) 20:27:04.95ID:AlTcU9jR
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前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part4
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
0558人間七七四年2017/06/28(水) 18:17:37.87ID:AGoXx4dW
高橋陽介説が大筋実際にあったことなら西軍に勝ち目ゼロじゃん
0559人間七七四年2017/06/28(水) 18:57:31.76ID:+OYlydU5
>>556
>>557
相手にするな
0560人間七七四年2017/06/28(水) 19:45:20.74ID:nst3bzVf
前田利長の謀反の噂も、上杉景勝の謀反の噂も、いいや三成の挙兵すら、家康の陰謀のうちだったと思うね
勝てば官軍だよ
直江状読めば、内府こそ謀反を企んでいるのでしょうと書いてあるね
前田不在の大阪で、家康が好き勝手に独裁して、豊臣の直臣である五奉行をないがしろにしておいて、何が会津征伐豊臣軍だよ
どう考えても東軍は徳川軍だろうが
七歳の秀頼に、のちに家康が大阪の陣でまさに豊臣にたいして牙をむくとは予測できまいて
0561人間七七四年2017/06/28(水) 20:33:13.16ID:exZ9dksX
お前みたいなバカを生み出したのも全部家康のせいだな
0562人間七七四年2017/06/28(水) 21:16:53.40ID:g0gh0v7O
だから悪いのは家康なんだよな
三成が勝った400年後の日本ならここまで疑問符を付けられることはなかった
0563人間七七四年2017/06/28(水) 21:21:07.59ID:wlDR3e69
つまり三成が勝てないのが悪いんだな
0564人間七七四年2017/06/28(水) 21:28:29.57ID:Ukyhf+K0
そりゃクーデターに失敗して豊臣を明確に弱体化させた張本人だからな。万死に値する。
仮にも施政者なんだから最終的な結果で評価してあげないと。
「志」や「義」なんて曖昧不明瞭なもので評価されては本人も迷惑だろう。
0565人間七七四年2017/06/28(水) 23:25:02.77ID:LVfORrxE
>>560
直江状は上杉が武器や浪人を集めて武装していることは認めているからな
その状態で挑発を繰り返して上洛拒否なら征伐されて当然だな

だいたい秀吉は遺言で家康主導による運営自体は認めているし
逆に奉行には何事も家康・利家に相談して必ず家康・利家の許可を取って行動しろと
奉行が家康たちの管理を受けて好き勝手な行動が出来ないようにしている
それを奉行が毛利とグルになって家康を排除して豊臣を乗っ取ろうとしただけ
奉行は秀吉が死んですぐに遺言を破って毛利と誓紙を交わしていることから
確信犯で毛利と一緒に豊臣を乗っ取るつもりだった

西軍が追い詰められた状態で豊臣を守るために蜂起したというのは大嘘で
むしろ家康が三成たちによる乗っ取りを抑止していたのが実情だよ
0566人間七七四年2017/06/28(水) 23:40:50.93ID:gbshc7ri
>>529
桐野作人と中井俊一郎か、そのことに説明している著作か論文のタイトルはわかるの?
裏切りじゃないと解説してるんなら目を通そう。デジタル書籍で。
事前に東軍と内通していても戦場で反旗を翻したんなら裏切りなんだぜ。
あのタイミングでは言えませんでした、なんて言い訳にもならない。
どう解説してるのか興味がある。
0567人間七七四年2017/06/29(木) 00:31:01.33ID:RTV4ZfbM
何言ってんだこいつ
0568人間七七四年2017/06/29(木) 01:09:00.19ID:9VfDAwzM
>>565
その論拠は?
0569人間七七四年2017/06/29(木) 20:14:39.50ID:U4rpshNo
>>565
どんな思惑があったにせよ
秀頼を前面に出して「秀頼vs家康」を世間に周知させた挙げ句の大敗北だからな。
そりゃ家康も将軍になれるわ。
世間から見たら家康が大坂城に乗り込んだことで
「秀頼が武力で屈服」したイメージで伝わっただろうし。

本気で「豊臣を守るために蜂起した」のなら三成の渾身の喜劇だよな。
関ヶ原合戦は。
0570人間七七四年2017/06/29(木) 23:57:53.39ID:JFEDYqnC
>>569
この辺は、経験を積んだ凄腕のギャンブラーの手筋にやられた感有りますよね。
基本、西軍は近畿と奥州の二方面から包囲する外線作戦、東軍は内側で迎え討つ内線作戦です。
考えられる方針としては、1、このまま会津征伐を続け上杉打倒の後西に向かう、又は奥州が雪に
              埋まる11月まで粘りその後反転西上する。
            2、諸大名を国元に帰し籠城させ、関東まで西軍を引き込み迎え討つ
            
            3、上杉軍は放置してそのまま反転西上する
三成は、明らかに直ぐに反転西上の可能性を無視してましたよね。
史実を知ってれば、近畿の西軍主力を潰せば他の西軍は立ち枯れるって解りますが、大胆な作戦
ですね。
0571人間七七四年2017/06/30(金) 00:26:16.24ID:zMQdooxH
大胆もなにも畿内と大阪抑えてる方が圧倒的に有利なんだから西上するに決まってる
東北なんて辺境の地に留まる理由がない
0572人間七七四年2017/06/30(金) 01:10:16.37ID:h9dRu0fl
三成の構想では毛利の東征と上杉の南攻で挟撃するつもりだったんだろ、
実際には毛利は西へ、上杉は北への自領拡大に勤しんでただけで

上杉からしたら徳川が中央に気を取られている今が領土拡大のチャンスで、
毛利からしたら徳川が上杉に足止め食らっている今が(ry
別に仲良しこよしの関係でも無いから相手のために進んでババ引く義理も無い

何で三成がそれを想定できなかったのかは理解に苦しむが
0573人間七七四年2017/06/30(金) 02:35:28.68ID:Br2pA/Vg
構想はいいんだ
でもなんか下手なんだよ
戦も下手だし人付き合いも下手
関ヶ原も宇喜多あたりに任せるべきだった
いや、宇喜多でも無理か
島津に一万くらい預けて中央突破! ゲームならそうするw
0574人間七七四年2017/06/30(金) 16:47:30.30ID:lQzRSthz
人付き合いが下手糞なのが影響した。
既出にように小早川は裏切りというより東軍参加を阻まれた
(脇坂安治が正にそう)。
そもそも伏見城攻ですら、鳥居元忠が強情を張らず島津軍を入城させていたら
更に攻略に時間がかかる。
0575人間七七四年2017/06/30(金) 16:49:35.76ID:kBZ6BYr1
三成と関係の深い島津なんか入れれるわけ無いだろ
0576人間七七四年2017/06/30(金) 17:08:39.18ID:NtqFPXVD
どんな関係?
0577人間七七四年2017/06/30(金) 17:17:02.85ID:pli+53I+
>>574
島津は端から西軍だから、入れたら直ぐに落城する
0578人間七七四年2017/06/30(金) 18:24:32.83ID:UAq8viad
小西より先に知らされて参加承諾してるしな。
島津は、毛利、宇喜多、石田、増田、前田、大谷と同じく
西軍初期メンバーの一角
0579人間七七四年2017/06/30(金) 18:26:03.62ID:NtqFPXVD
島津は東軍だよ
二の丸に入れるとかでな
0580人間七七四年2017/06/30(金) 20:38:30.38ID:IGdTUiBj
7公3民の豊臣がわが勝ってもあまり民衆の特になりませぬ
0581人間七七四年2017/06/30(金) 20:50:11.33ID:UAq8viad
島津なんて八公二民だけど新政府の中核になれたんだから
へーきへーき
0582人間七七四年2017/06/30(金) 20:52:29.46ID:jqjPqsnW
「御文庫廿三番箱十四巻中 義弘公御案文」
七月十二日之夜半、大坂へ旅庵被差下御条書之案文也
一 伏見御城本丸・西丸之間ニ御番可仕之由、及両度ニ雖申理候、無御納得候事、
一 秀頼様 御為、可然儀ニおひてハ各御相談次第と安国寺へ申候事、
一 安国寺御留之事、
一 伏見・大坂之しまり之事、
一 増右より参候書状、小摂へ遣申候事、
一 如右御城内へ不致在番候者、大坂へ罷下、 秀頼様御側へ可致堪忍存候事、
一 同名中務太夫、爰元へ召留候事、
一 御奉行衆之内御一人、伏見へ御在番候事、

>>574
つーかあれは鳥居元忠の強情と言うより島津義弘の無茶だな
家康から何も聞いていない鳥居が、家康の親書を持っているわけでも無い島津の
「証拠は無いけど、家康様の指示だから島津軍を城内に入れてくれ」
なんて要望を受け入れられるわけが無い。
当然の対応で、それを当事者が死んでるので体よく戦後の言い訳に使っただけだろう。

鳥居に拒否された後、右往左往している時に三成らに声かけられて即承諾したって感じじゃね?
石田、大谷、増田、安国寺の佐和山会談、つまり西軍決起が7/12で同日夜には上の案文。
よって「最初から西軍」
0583人間七七四年2017/06/30(金) 21:47:22.15ID:9x4xJq60
それなら東軍だったが
参加を拒否されて西軍の流れ
最初から西軍ではない
0584人間七七四年2017/06/30(金) 22:14:30.73ID:jqjPqsnW
伏見で拒否されたのが7/12以外ならそうはならない。
西軍が成立したのが7/12。それ以前は東軍も西軍も存在しないので
「東軍だった」とは言えない。
伏見に行ったのが7/12夜以降なら上の案文を見る限りただの騙し討ち未遂。

唯一、
 7/12に三成らから話を聞く
→その足で伏見城に入ろうとして拒否される
→その日の夜までに西軍参加を決意
の時系列だったとしても、鳥居に三成決起を伝えていないなら
それは「東軍だった」と言えるのだろうか?
0585人間七七四年2017/06/30(金) 22:22:58.55ID:pli+53I+
15日の時点で義弘が景勝へ西軍首脳と同心していると言っている
0586人間七七四年2017/06/30(金) 22:31:14.31ID:pli+53I+
希望した籠城場所が、伏見城の中枢である本丸と西の丸の間なのだから、
初めから裏切る気満々
0587人間七七四年2017/06/30(金) 22:35:06.91ID:jqjPqsnW
因みに桐野作人は「関ヶ原島津退き口: 敵中突破三〇〇里」内で
「義弘は伏見に行ったタイミングで西軍決起を知らなかった」説を提唱。
つまり東軍として加勢しようとした意識は無く、別件の家康の口頭指示に従っただけ。
(西軍決起後以降はずっと西軍で東軍に与したことは無い)

一方光成準治は
「伏見在番の為の国元への軍勢派遣要請は、島津氏を全面的に西軍に派遣させるための方便」で
「輝元や三成から事前に話を聞いていた決起以前からの西軍」と主張しているらしいな。
こっちは桐野著書で引用されてるだけだから詳細は知らんが
0588人間七七四年2017/07/01(土) 01:36:19.96ID:HsdHeH1i
>>573
戦国大名はみんな自国周辺の取りやすいとこを取って徐々に強大になっていくものだけど、秀吉の成功にアテられていた石田にはそれがわからなかったんじゃないかな?
0589人間七七四年2017/07/01(土) 02:37:13.17ID:gthENU8l
関ヶ原の合戦の前に毛利は家康に降伏していたり、宇喜多の兵は数は多いけど最近集めた傭兵中心だったりして、西軍の美濃方面軍に勝ち目なんてないじゃん
0590人間七七四年2017/07/01(土) 16:48:54.02ID:evrkRau7
例えばポーカーのセブンカードで、自分のオープンカードがAのフォアカードで相手のカードが
♦6、♦5、💛7、♦2みたいな状況で掛け金を上げるか如何か?
これは、正解はパスに成ります。
何故なら、相手は負けると思うたら勝負を放棄するので掛け金を上げる意味は無いし、万が一相手に
ストフラが入ったら、損害を大きくする事に成りますからね。
これは、実際に経験有ると反射的に出る答えですが、経験無いと自分はフォアカードが既に
出来てるから限界まで賭け金増やすに成ります。
三成って、頭良いんだけど経験の無さが問題ですよね。
0591人間七七四年2017/07/01(土) 17:02:35.63ID:iwRaT9JH
>>589
宇喜多騒動があったからな。
0592人間七七四年2017/07/02(日) 15:21:09.05ID:Vkc3A2vz
>>591
騒動を家康に収めてもらったのに逆らうとかいろいろ痛い
0593人間七七四年2017/07/02(日) 15:27:13.52ID:qCPZPq8Y
家康も有力武将を獲得
0594人間七七四年2017/07/02(日) 16:00:25.56ID:OOg3wdFF
やっぱ小牧長久手でどうしても家康を討ち取っておくべきだったな
官兵衛が毛利との交渉が終わるまで待つべきだった
0595人間七七四年2017/07/02(日) 17:01:52.88ID:iw8AEG4Q
>>594
さすがに戻りすぎだろ。
時間を巻き戻すなら奉行・大老制度ができた後、
つまり秀次事件以降が限界だろう。
0596人間七七四年2017/07/02(日) 17:13:44.12ID:kW+qCIeY
>>595
そこまで巻き戻すほど豊臣政権ならと思ってる人が多いんだよ
0597人間七七四年2017/07/02(日) 17:31:05.96ID:be16trJL
秀吉は家康に勝ちたくても勝てなかったわけでな
妹を嫁がせ、実母を人質に、ダメすぎ
0598人間七七四年2017/07/02(日) 17:33:38.69ID:SDIFnaKO
というかそこまで巻き戻しちゃうと秀吉の下した政治的判断を半ば以上否定する事にしかならんから
秀吉のことは割とどうでもいいんだよな
0599人間七七四年2017/07/02(日) 17:58:45.71ID:0Ly/j25G
>>596
あくまでも関ヶ原のIFである以上、あまり過去に戻りすぎるのも考えものだな。
つーかいくらでも過去に戻れるのなら家康が生まれる前に両親を殺しとくとか
そういう極端なIFとかも可能になってしまう。それは駄目だろう。
となると、関ヶ原前の政治状況になったのは明らかに5大老と5奉行の制度が出来てから。
要は秀次事件が起きたからだろう。なら巻き戻しはその辺までが妥当じゃね?
そもそもその前だと秀次処分やめろって話になるよ?
そうすれば政権代行者はほぼ秀次になるだろうし。間違いなく別の問題が発生するけど。
0600人間七七四年2017/07/02(日) 18:15:27.68ID:N8aLUvF0
秀吉の死からだとノーチャンかな?
0601人間七七四年2017/07/02(日) 18:16:55.29ID:CG5c2WZu
>>600
誰にとって?
0602人間七七四年2017/07/02(日) 18:19:22.74ID:OOg3wdFF
例えば利家と家康が一触即発の状態の時に
利家が決戦を挑んでいたらどうなっていただろうな
0603人間七七四年2017/07/02(日) 18:24:41.68ID:9BBQk0hS
秀吉の遺言通り、池田輝政一族を吉良吉田で根絶やしにし、
浅野幸長、菊亭晴季を蝦夷に配流することかな。
これをしなかったおかげで悲惨なことになったわけだし。
0604人間七七四年2017/07/02(日) 18:36:58.14ID:mJ7qhB54
>>603
遺言?
0605人間七七四年2017/07/02(日) 18:47:53.92ID:9BBQk0hS
>>604
うん。
彼らを秀次事件で甘い処分をし過ぎたことを後悔しているということ。
自分亡き後、この3人の元秀次派重鎮は豊臣家に必ず牙をむく、
徹底的に殲滅し、禍の芽を摘んでおけ、ということ。
0606人間七七四年2017/07/02(日) 19:06:54.87ID:HiOkwplS
>>590
何か、590の意味が誰も解らなかったみたいなんで補足説明しますね。
自分にはAのフォアカードって保々最強の役が出来てるけど、ストレートフラッシュは
絶対出来ないんで、相手に100%役を見破られてるんです。
逆に、こちらは多分相手の役はストレートかフラッシュの片方が精々って予想が付くけど
ストレートフラッシュの可能性もゼロじゃないので危険なんですね。

相手が居る博奕って、情報の差で全然有利不利が入れ替わるって事です。
不利なら無理に勝負に出る必要無いし。
三成って、この辺の感覚が全然分かってない気がします。
0607人間七七四年2017/07/02(日) 19:34:41.02ID:N8aLUvF0
>>601
西軍が勝つ為の巻き戻し期間として秀吉の死からでは足りないかなと
0608人間七七四年2017/07/02(日) 19:55:57.36ID:oQ6G/iq6
>>606
(・∀・)カエレ!!
0609人間七七四年2017/07/02(日) 20:01:21.96ID:fSCffkvX
小早川が裏切れば勝てたって言うのはもういないのか
0610人間七七四年2017/07/02(日) 20:08:16.15ID:SWoPxTVM
岐阜陥落以前の西軍首脳の意志決定機関は、
現存する大老奉行連署を見る限り、(毛利を盟主とした)大老奉行合議で間違いないと思うけど、
岐阜陥落以降はどういう形で意志決定がされていたか
分かる史料って残ってない?
俗説では三成主導だけど、
本戦直前の増田宛て三成書状には随所に
自分の考えとは異なる方針に対する愚痴らしきものが見受けられるし。
0611人間七七四年2017/07/02(日) 20:24:45.56ID:86p5rlS4
>>609
そういえば資料はどうなったんだよな。
桐野作人と中井俊一郎なんて名前だけ出してそっから先は?
0612人間七七四年2017/07/02(日) 21:08:20.55ID:T2CvyMeX
>>605
結局のところ三成が殺す殺すと言いすぎなんだよ
金正恩レベルの殺戮や粛清を主張する三成は豊臣恩顧にとっても危険極まりない
豊臣の天下を諦めてでも三成を排除するしか生き残る道がなくなってしまった
0613人間七七四年2017/07/03(月) 00:32:19.64ID:1HqXQ0hw
小早川の西軍攻撃は決定的なダメ押しになっただけだし、
小早川が東軍攻めても時間稼ぎにしかならんだろ
0614人間七七四年2017/07/03(月) 02:50:14.19ID:qIWFf+wL
船頭多くして船山に上るを地で行った結果だからな西軍の末路は。
まず烏合の衆をどうにか一本化しないと無理だべ。
戦力的には「毛利の下に一本化」しか選択肢は無いけども
0615人間七七四年2017/07/03(月) 07:37:02.33ID:4Mhj6+Zu
>>614
その毛利が西国に兵を派遣しまくってるうえに、(明らかに自領拡大狙いの動き)
岐阜陥落後は露骨に徳川との手打ちに走ってるからな。
見方によっては美濃にいた西軍の連中は毛利に切り捨てられたようにも見えるし。
0616人間七七四年2017/07/03(月) 11:32:07.53ID:Vxw++mtx
毛利や上杉が、豊臣の忠臣かのごとく行動する理由なんて全くない。
忠臣を前提にしてるから、両家の評価が意味不明な扱いになる。
自国のための行動と考えれば、全て辻褄があう。
0617人間七七四年2017/07/03(月) 12:24:22.49ID:M5Rq5jdh
上杉を毛利と一緒にするのはやめてくれ
最初から西軍の中心として動いてた毛利と違って上杉は挙兵後しか西軍との繋がりがないんだから
0618人間七七四年2017/07/03(月) 12:24:57.05ID:j/1Ozr7W
>>615
つかそれが本質だろ
0619人間七七四年2017/07/03(月) 13:12:15.44ID:9EMDyufy
>>617
なわけないだろ
三成が挙兵するかもという期待があったからこそ直江状送ったのに
0620人間七七四年2017/07/03(月) 13:35:31.01ID:z7womhQ7
関ヶ原は三成と直江兼続の共謀
0621人間七七四年2017/07/03(月) 13:36:57.04ID:M5Rq5jdh
>>619
ないない
直江状は家康に対する挑戦状じゃないし
0622人間七七四年2017/07/03(月) 13:42:08.40ID:z7womhQ7
期待ではなく戦略の一環
0623人間七七四年2017/07/03(月) 14:37:46.05ID:X6zEPnD6
輝元が出陣し(性格的にしないのは分かっているけど)、
空弁君を殺しておかない限り勝ち目はない。
0624人間七七四年2017/07/03(月) 14:56:40.73ID:z7womhQ7
輝元は玉を掌中に
0625人間七七四年2017/07/03(月) 16:48:07.30ID:kPxy9EHn
性格的というか、和睦交渉の貴重カードをわざわざ手放すバカはいない。
岐阜落城・家康出馬で、既に毛利はやる気ないよ。
0626人間七七四年2017/07/03(月) 17:16:58.96ID:CXxc5JIm
>>625
つまり関ヶ原の流れを変える最後のチャンスは、結局岐阜陥落阻止って事だな。
それ以前ならともかくそれ以後はほぼアウトだろうね。
0627人間七七四年2017/07/03(月) 17:19:23.50ID:1N97Fx3h
>>614
でも、烏合の衆って言うても通常は外線作戦側の方が数が多いですからね。
第二次世界大戦の時の連合軍だって、かなり纏まり悪いですよ?
ヒトラーは、イギリスと単独講和が可能だと思ってたみたいだし?
そもそも、本来は犬猿の仲のアメリカとロシアが共同戦線ってのも変だし?
 
何処かで、戦線が膠着するだけで家康は袋叩きの立場だと思うなあ。
家康は、史実では常に主導権を自分の側に持ってたけど、逆に言うと主導権を
相手に取られた時点で終わる気がすんだよね。
0628人間七七四年2017/07/03(月) 18:02:37.01ID:ngi+W7hC
>>627
毛利が大坂に入って、近畿がほぼ西軍に押さえられてる時点で
主導権は完全に西軍だよ。
そう思ったから西軍は上杉征伐軍もあっさり瓦解するだろうと見越して
内府違いの条々を征伐軍の連中にばらまいて調略しようとしたんだ。
実際一部の軍勢は征伐軍から離脱したし。
それに戦線はどこも膠着状態でしょう?北関東も東北も北陸も中山道も。
違うのは諸将が次々と家康に城を明け渡した上に、軍勢が一気呵成に侵攻して
岐阜まで陥落させた東海道位じゃないですかね。(西国は考慮しない)
0629人間七七四年2017/07/03(月) 18:25:43.43ID:fdP4hU7P
寧ろメインの東海道筋を膠着できなかったことが問題じゃない?
岐阜城の戦いでも大垣城の1万5千を殆ど有効活用出来てないし。

まぁ近江にいた小早川を警戒したせいなんだろうけど

その後はもう後手後手だよなぁ
家康出陣も直前まで把握してなかったんでしょ?
0630人間七七四年2017/07/03(月) 18:28:19.32ID:iqVA00iE
>>628
その主導権を家康と和睦して引き渡すテル
テルのねらいは大友の旧領だからねしょうがないね
0631人間七七四年2017/07/03(月) 18:39:17.25ID:HIFr+jNG
>>630
というより、もう勝ち目がないと踏んだんでしょう。
だったら傷が浅いうちに(処分が減封で済むうちに)手打ちする方がマシでしょう。
賭けに負けた以上は下手にジタバタするより、負けを認めるから寛大な処分を
求めるって方が賢いですし。実際家康はその通りにしてくれましたからね。
0632人間七七四年2017/07/03(月) 19:18:51.95ID:z7womhQ7
本領安堵だからね
結果として騙されたわけだが
0633人間七七四年2017/07/03(月) 20:48:26.54ID:JmqijFPP
敵対行動取ったんだからそれでもまだマシだよな
戦場出てないしすぐに日和ったとはいえ一応総大将だったわけだし
0634人間七七四年2017/07/03(月) 20:53:24.79ID:hvbjlEmG
>>632
実際は最初から減封で話がまとまっていたらしいよ。
0635人間七七四年2017/07/03(月) 20:58:11.68ID:VOK70Uc+
広家の説明だと輝元は騙されて担ぎ上げられただけなのに
色々と主体的に動いていた証拠が出てきたんだから家康に騙されたというのは無理がある
0636人間七七四年2017/07/03(月) 21:35:40.00ID:d+E328/3
最初から減俸で話が纏まってたっていつの時点で?出展はなになん?
0637人間七七四年2017/07/03(月) 21:49:35.08ID:8WDBP3oZ
>>636
近衛前久書状
0638人間七七四年2017/07/03(月) 21:56:11.93ID:9EMDyufy
>>637
それはかなり不正確なやつだろ
0639人間七七四年2017/07/03(月) 22:15:17.87ID:8WDBP3oZ
>>638
関ヶ原の後家康がまだ大津にいる時点で「毛利は大阪城退去で話がついたらしい。表向きは本領安堵だが実際には所領半減に成るようだ」って
書いてるぞ
0640人間七七四年2017/07/03(月) 22:19:33.41ID:9EMDyufy
>>639
だからその書状は不正確なの
実際の戦いの場所も違うし
0641人間七七四年2017/07/03(月) 22:29:08.14ID:ZgKVGgBE
またお前か
0642人間七七四年2017/07/03(月) 22:29:38.58ID:9EMDyufy
ついでに十月四日に島津攻めについて話し合われてるからどう考えても間違い
0643人間七七四年2017/07/03(月) 22:35:35.29ID:r7y+Z4rA
>>640
ひょっとして青野ヶ原の事言ってるのか?
当時は関ヶ原付近を青野ヶ原とも言ってたらしいってググったら出たけど。
後、この近くでは南北朝の時代にも決戦があったらしくて
それがまさに青野ヶ原の合戦と呼ばれてるらしい。
近衛がこれを知らんとは思えんから、あの近くでまた合戦があったって聞いたのを
そのままそう書いちゃっただけじゃないの?
0644人間七七四年2017/07/03(月) 22:42:40.57ID:ZgKVGgBE
そいつ自説に都合の悪い史料には難癖付けるだけ
0645人間七七四年2017/07/03(月) 22:54:31.84ID:lyUiyHOb
>>629
14日の朝、赤坂に到着した『金扇の馬印』を見て
西軍の一部の兵は逃亡。
0646人間七七四年2017/07/03(月) 22:57:59.18ID:vAOETkGF
>>632
「ぼくは無関係です」と家康を騙そうとして失敗したわけだ
0647人間七七四年2017/07/03(月) 22:58:51.06ID:9EMDyufy
>>643
可能性はあるが吉川広家の覚書の中に戦いがあったのは山中と書かれているからな
戦場にいた人から聞いた話としては不正確かと
0648人間七七四年2017/07/03(月) 23:12:04.93ID:r7y+Z4rA
>>647
山中ってどこだ?
関ヶ原周辺って結構山多いような気がするけど。
0649人間七七四年2017/07/03(月) 23:18:44.66ID:9EMDyufy
>>648
いわゆる関ヶ原付近にあった村の名前のようだね
宇喜多秀家がいたとこらしい
0650人間七七四年2017/07/03(月) 23:31:36.81ID:AtKOnKoC
>>649
ああ、そういう事か。何か勘違いしてた。
しかし秀家のところか。うーん、確かにそこは戦場になったろうが
関ヶ原の範囲って結構広いからなあ。
戦場がそこ一か所だけって事はなかろうし、それで不正確ってのもなあ。
当時の情報伝達力を考慮したら及第点以下ではないだろう。
0651人間七七四年2017/07/04(火) 00:03:47.65ID:GJUQhGMF
>>650
全文は知らないので自分が間違ってる可能性もある
0652人間七七四年2017/07/04(火) 02:57:08.72ID:nDOjlqkJ
関ヶ原の戦いにおける石田三成方軍勢の布陣位置についての新解釈(白峰旬)
ttp://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php?file_id=8222
「(慶長5年)9月20日付近衛信尹宛近衛前久書状」(『史徴墨寳考證』第二編、第三巻、帝国大学
編年史編纂掛蔵版、1889年、2〜3丁)では、合戦の場所について「青野ヵ原」と記されているが、これ
は誤りである。近衛前久書状の場合、近衛前久がその場で合戦を目撃したのではなく、第三者からの伝聞
情報であったため、こうした誤りが生じたのであろう。」

一方で島津攻めについては、
慶長5年の九州における黒田如水・加藤清正の軍事行動(攻城戦と城受け取り)について(白峰旬)
ttp://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/sg04105.pdf?file_id=5353
「10月4日付で黒田如水は吉川広家に対して、(中略)A九州においては、奉行方の者は、島津義弘・立花宗茂が
逃げ降っているので、家康の仰せ次第に両人の者共を即時に討ち果たして(上方へ)上る予定である。(後略)」

ってあるから十月四日前後で島津攻めについて話し合っていても不思議では無い。
0653人間七七四年2017/07/04(火) 08:08:08.58ID:GJUQhGMF
島津攻めに参加すりゃ本領安堵してやるってことでしょ
立花宗茂も似たようなこと書いてるから当時はそれが普通だったんでしょ
0654人間七七四年2017/07/04(火) 08:26:22.00ID:CdBFge1N
何だろうこの報告書の語句が間違っているので、採用され無い的な流れ
0655人間七七四年2017/07/04(火) 09:33:21.92ID:FXfzOfWj
スレの本題に戻すと
島津義弘お爺ちゃんは撤退する間際に「兵が5000もあれば勝てたのにな」と三度呟いて悔しがったというから
5000くらい与えたら家康本陣を突き破ってたんじゃないかな
0656人間七七四年2017/07/04(火) 09:42:53.10ID:2QmgC1PX
>>655
島津は伊集院の反乱が発生しているのでそんな余裕一切ない。
逆に関ヶ原に軍勢をよく持ってこれたな、っていうレベル。
0657人間七七四年2017/07/04(火) 10:02:51.59ID:nDOjlqkJ
つい半年前まで領内で全面戦争やってたからな
しかも4万を9ヶ月動員した挙げ句の首謀者無罪放免でようやく終結

財政的にも安全保障的にも大軍の領外派遣とか無謀
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