関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part5 [無断転載禁止]©5ch.net
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0001人間七七四年
2017/06/06(火) 20:27:04.95ID:AlTcU9jR前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part4
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
0552人間七七四年
2017/06/28(水) 13:11:39.54ID:aIglXliQ→突然裏切ったというのは俗説。
当時の史料では前日の時点で西軍の討伐対象扱いされている。
複数の研究者もその見解で通説批判をしている。
「事前通告無しで裏切ったから卑怯!」
→敵中で東軍として宣言しろと言う方が無茶。
そもそも小早川自体が卑怯な手段で愛知川で無理やり西軍に編入された立場。
謀議初期メンバーの大谷島津とは明確に異なる。
「世間で小早川は裏切りの代名詞!」
→講談の影響が大。
本人が早死にしており直系子孫も存在しない為、面白おかしく描かれたても非難する人間がいなかった。
あなたのように録に史料も調べずに聞いたまま扱き下ろす人も多い。
0553人間七七四年
2017/06/28(水) 14:58:24.82ID:pNlZSC66公家や僧侶等は知らないので、裏切り者と記録される。
0554人間七七四年
2017/06/28(水) 16:53:58.40ID:WxMZNFR1秀秋が伏見を攻撃
秀秋が西軍を攻撃
実情はわかっていない
0555人間七七四年
2017/06/28(水) 17:18:40.46ID:cw+Gsqyh西軍蜂起が騙し討ちなの?wwwww
あれは、古来から良く有るパターンで家康が予想してなければ平均以下の頭脳って事に成るよ。
問題は予想より挙兵規模が大きかったってだけで、家康も当然反転西上して一気に決める覚悟有りでしょう。
君側の奸を討つって名目で主君を抜け殻にするって事件は多いですし。
0556人間七七四年
2017/06/28(水) 17:53:02.96ID:9/RP7R2g家康に対するだまし討ちとはいってないぞ
上杉征伐に参加するつもりで東上していた大名たちにとっては青天の霹靂だろう
0557人間七七四年
2017/06/28(水) 17:53:37.29ID:3McleQfu前田や上杉の顛末を見る限り下手に上方から離れるとマズイってのは理解してるだろ。
だからこそ、上杉征伐を豊臣政権の正式な事業って扱いになるよう
豊臣家から許可をもらって出立する形をとったんだし、
朝廷からもお膳立てしてもらう事によって、上方から離れても大丈夫なようにしたんでしょう。
なお、奉行衆や輝元は全部無視して上杉征伐を妨害した揚句、
徳川を討伐しようとした模様。
西軍首脳陣にとっては、朝廷も豊臣政権も紙くずみたいなモンなんだろうね。
0558人間七七四年
2017/06/28(水) 18:17:37.87ID:AGoXx4dW0560人間七七四年
2017/06/28(水) 19:45:20.74ID:nst3bzVf勝てば官軍だよ
直江状読めば、内府こそ謀反を企んでいるのでしょうと書いてあるね
前田不在の大阪で、家康が好き勝手に独裁して、豊臣の直臣である五奉行をないがしろにしておいて、何が会津征伐豊臣軍だよ
どう考えても東軍は徳川軍だろうが
七歳の秀頼に、のちに家康が大阪の陣でまさに豊臣にたいして牙をむくとは予測できまいて
0561人間七七四年
2017/06/28(水) 20:33:13.16ID:exZ9dksX0562人間七七四年
2017/06/28(水) 21:16:53.40ID:g0gh0v7O三成が勝った400年後の日本ならここまで疑問符を付けられることはなかった
0563人間七七四年
2017/06/28(水) 21:21:07.59ID:wlDR3e690564人間七七四年
2017/06/28(水) 21:28:29.57ID:Ukyhf+K0仮にも施政者なんだから最終的な結果で評価してあげないと。
「志」や「義」なんて曖昧不明瞭なもので評価されては本人も迷惑だろう。
0565人間七七四年
2017/06/28(水) 23:25:02.77ID:LVfORrxE直江状は上杉が武器や浪人を集めて武装していることは認めているからな
その状態で挑発を繰り返して上洛拒否なら征伐されて当然だな
だいたい秀吉は遺言で家康主導による運営自体は認めているし
逆に奉行には何事も家康・利家に相談して必ず家康・利家の許可を取って行動しろと
奉行が家康たちの管理を受けて好き勝手な行動が出来ないようにしている
それを奉行が毛利とグルになって家康を排除して豊臣を乗っ取ろうとしただけ
奉行は秀吉が死んですぐに遺言を破って毛利と誓紙を交わしていることから
確信犯で毛利と一緒に豊臣を乗っ取るつもりだった
西軍が追い詰められた状態で豊臣を守るために蜂起したというのは大嘘で
むしろ家康が三成たちによる乗っ取りを抑止していたのが実情だよ
0566人間七七四年
2017/06/28(水) 23:40:50.93ID:gbshc7ri桐野作人と中井俊一郎か、そのことに説明している著作か論文のタイトルはわかるの?
裏切りじゃないと解説してるんなら目を通そう。デジタル書籍で。
事前に東軍と内通していても戦場で反旗を翻したんなら裏切りなんだぜ。
あのタイミングでは言えませんでした、なんて言い訳にもならない。
どう解説してるのか興味がある。
0567人間七七四年
2017/06/29(木) 00:31:01.33ID:RTV4ZfbM0569人間七七四年
2017/06/29(木) 20:14:39.50ID:U4rpshNoどんな思惑があったにせよ
秀頼を前面に出して「秀頼vs家康」を世間に周知させた挙げ句の大敗北だからな。
そりゃ家康も将軍になれるわ。
世間から見たら家康が大坂城に乗り込んだことで
「秀頼が武力で屈服」したイメージで伝わっただろうし。
本気で「豊臣を守るために蜂起した」のなら三成の渾身の喜劇だよな。
関ヶ原合戦は。
0570人間七七四年
2017/06/29(木) 23:57:53.39ID:JFEDYqnCこの辺は、経験を積んだ凄腕のギャンブラーの手筋にやられた感有りますよね。
基本、西軍は近畿と奥州の二方面から包囲する外線作戦、東軍は内側で迎え討つ内線作戦です。
考えられる方針としては、1、このまま会津征伐を続け上杉打倒の後西に向かう、又は奥州が雪に
埋まる11月まで粘りその後反転西上する。
2、諸大名を国元に帰し籠城させ、関東まで西軍を引き込み迎え討つ
3、上杉軍は放置してそのまま反転西上する
三成は、明らかに直ぐに反転西上の可能性を無視してましたよね。
史実を知ってれば、近畿の西軍主力を潰せば他の西軍は立ち枯れるって解りますが、大胆な作戦
ですね。
0571人間七七四年
2017/06/30(金) 00:26:16.24ID:zMQdooxH東北なんて辺境の地に留まる理由がない
0572人間七七四年
2017/06/30(金) 01:10:16.37ID:h9dRu0fl実際には毛利は西へ、上杉は北への自領拡大に勤しんでただけで
上杉からしたら徳川が中央に気を取られている今が領土拡大のチャンスで、
毛利からしたら徳川が上杉に足止め食らっている今が(ry
別に仲良しこよしの関係でも無いから相手のために進んでババ引く義理も無い
何で三成がそれを想定できなかったのかは理解に苦しむが
0573人間七七四年
2017/06/30(金) 02:35:28.68ID:Br2pA/Vgでもなんか下手なんだよ
戦も下手だし人付き合いも下手
関ヶ原も宇喜多あたりに任せるべきだった
いや、宇喜多でも無理か
島津に一万くらい預けて中央突破! ゲームならそうするw
0574人間七七四年
2017/06/30(金) 16:47:30.30ID:lQzRSthz既出にように小早川は裏切りというより東軍参加を阻まれた
(脇坂安治が正にそう)。
そもそも伏見城攻ですら、鳥居元忠が強情を張らず島津軍を入城させていたら
更に攻略に時間がかかる。
0575人間七七四年
2017/06/30(金) 16:49:35.76ID:kBZ6BYr10576人間七七四年
2017/06/30(金) 17:08:39.18ID:NtqFPXVD0578人間七七四年
2017/06/30(金) 18:24:32.83ID:UAq8viad島津は、毛利、宇喜多、石田、増田、前田、大谷と同じく
西軍初期メンバーの一角
0579人間七七四年
2017/06/30(金) 18:26:03.62ID:NtqFPXVD二の丸に入れるとかでな
0580人間七七四年
2017/06/30(金) 20:38:30.38ID:IGdTUiBj0581人間七七四年
2017/06/30(金) 20:50:11.33ID:UAq8viadへーきへーき
0582人間七七四年
2017/06/30(金) 20:52:29.46ID:jqjPqsnW七月十二日之夜半、大坂へ旅庵被差下御条書之案文也
一 伏見御城本丸・西丸之間ニ御番可仕之由、及両度ニ雖申理候、無御納得候事、
一 秀頼様 御為、可然儀ニおひてハ各御相談次第と安国寺へ申候事、
一 安国寺御留之事、
一 伏見・大坂之しまり之事、
一 増右より参候書状、小摂へ遣申候事、
一 如右御城内へ不致在番候者、大坂へ罷下、 秀頼様御側へ可致堪忍存候事、
一 同名中務太夫、爰元へ召留候事、
一 御奉行衆之内御一人、伏見へ御在番候事、
>>574
つーかあれは鳥居元忠の強情と言うより島津義弘の無茶だな
家康から何も聞いていない鳥居が、家康の親書を持っているわけでも無い島津の
「証拠は無いけど、家康様の指示だから島津軍を城内に入れてくれ」
なんて要望を受け入れられるわけが無い。
当然の対応で、それを当事者が死んでるので体よく戦後の言い訳に使っただけだろう。
鳥居に拒否された後、右往左往している時に三成らに声かけられて即承諾したって感じじゃね?
石田、大谷、増田、安国寺の佐和山会談、つまり西軍決起が7/12で同日夜には上の案文。
よって「最初から西軍」
0583人間七七四年
2017/06/30(金) 21:47:22.15ID:9x4xJq60参加を拒否されて西軍の流れ
最初から西軍ではない
0584人間七七四年
2017/06/30(金) 22:14:30.73ID:jqjPqsnW西軍が成立したのが7/12。それ以前は東軍も西軍も存在しないので
「東軍だった」とは言えない。
伏見に行ったのが7/12夜以降なら上の案文を見る限りただの騙し討ち未遂。
唯一、
7/12に三成らから話を聞く
→その足で伏見城に入ろうとして拒否される
→その日の夜までに西軍参加を決意
の時系列だったとしても、鳥居に三成決起を伝えていないなら
それは「東軍だった」と言えるのだろうか?
0585人間七七四年
2017/06/30(金) 22:22:58.55ID:pli+53I+0586人間七七四年
2017/06/30(金) 22:31:14.31ID:pli+53I+初めから裏切る気満々
0587人間七七四年
2017/06/30(金) 22:35:06.91ID:jqjPqsnW「義弘は伏見に行ったタイミングで西軍決起を知らなかった」説を提唱。
つまり東軍として加勢しようとした意識は無く、別件の家康の口頭指示に従っただけ。
(西軍決起後以降はずっと西軍で東軍に与したことは無い)
一方光成準治は
「伏見在番の為の国元への軍勢派遣要請は、島津氏を全面的に西軍に派遣させるための方便」で
「輝元や三成から事前に話を聞いていた決起以前からの西軍」と主張しているらしいな。
こっちは桐野著書で引用されてるだけだから詳細は知らんが
0588人間七七四年
2017/07/01(土) 01:36:19.96ID:HsdHeH1i戦国大名はみんな自国周辺の取りやすいとこを取って徐々に強大になっていくものだけど、秀吉の成功にアテられていた石田にはそれがわからなかったんじゃないかな?
0589人間七七四年
2017/07/01(土) 02:37:13.17ID:gthENU8l0590人間七七四年
2017/07/01(土) 16:48:54.02ID:evrkRau7♦6、♦5、💛7、♦2みたいな状況で掛け金を上げるか如何か?
これは、正解はパスに成ります。
何故なら、相手は負けると思うたら勝負を放棄するので掛け金を上げる意味は無いし、万が一相手に
ストフラが入ったら、損害を大きくする事に成りますからね。
これは、実際に経験有ると反射的に出る答えですが、経験無いと自分はフォアカードが既に
出来てるから限界まで賭け金増やすに成ります。
三成って、頭良いんだけど経験の無さが問題ですよね。
0593人間七七四年
2017/07/02(日) 15:27:13.52ID:qCPZPq8Y0594人間七七四年
2017/07/02(日) 16:00:25.56ID:OOg3wdFF官兵衛が毛利との交渉が終わるまで待つべきだった
0595人間七七四年
2017/07/02(日) 17:01:52.88ID:iw8AEG4Qさすがに戻りすぎだろ。
時間を巻き戻すなら奉行・大老制度ができた後、
つまり秀次事件以降が限界だろう。
0597人間七七四年
2017/07/02(日) 17:31:05.96ID:be16trJL妹を嫁がせ、実母を人質に、ダメすぎ
0598人間七七四年
2017/07/02(日) 17:33:38.69ID:SDIFnaKO秀吉のことは割とどうでもいいんだよな
0599人間七七四年
2017/07/02(日) 17:58:45.71ID:0Ly/j25Gあくまでも関ヶ原のIFである以上、あまり過去に戻りすぎるのも考えものだな。
つーかいくらでも過去に戻れるのなら家康が生まれる前に両親を殺しとくとか
そういう極端なIFとかも可能になってしまう。それは駄目だろう。
となると、関ヶ原前の政治状況になったのは明らかに5大老と5奉行の制度が出来てから。
要は秀次事件が起きたからだろう。なら巻き戻しはその辺までが妥当じゃね?
そもそもその前だと秀次処分やめろって話になるよ?
そうすれば政権代行者はほぼ秀次になるだろうし。間違いなく別の問題が発生するけど。
0600人間七七四年
2017/07/02(日) 18:15:27.68ID:N8aLUvF00602人間七七四年
2017/07/02(日) 18:19:22.74ID:OOg3wdFF利家が決戦を挑んでいたらどうなっていただろうな
0603人間七七四年
2017/07/02(日) 18:24:41.68ID:9BBQk0hS浅野幸長、菊亭晴季を蝦夷に配流することかな。
これをしなかったおかげで悲惨なことになったわけだし。
0605人間七七四年
2017/07/02(日) 18:47:53.92ID:9BBQk0hSうん。
彼らを秀次事件で甘い処分をし過ぎたことを後悔しているということ。
自分亡き後、この3人の元秀次派重鎮は豊臣家に必ず牙をむく、
徹底的に殲滅し、禍の芽を摘んでおけ、ということ。
0606人間七七四年
2017/07/02(日) 19:06:54.87ID:HiOkwplS何か、590の意味が誰も解らなかったみたいなんで補足説明しますね。
自分にはAのフォアカードって保々最強の役が出来てるけど、ストレートフラッシュは
絶対出来ないんで、相手に100%役を見破られてるんです。
逆に、こちらは多分相手の役はストレートかフラッシュの片方が精々って予想が付くけど
ストレートフラッシュの可能性もゼロじゃないので危険なんですね。
相手が居る博奕って、情報の差で全然有利不利が入れ替わるって事です。
不利なら無理に勝負に出る必要無いし。
三成って、この辺の感覚が全然分かってない気がします。
0609人間七七四年
2017/07/02(日) 20:01:21.96ID:fSCffkvX0610人間七七四年
2017/07/02(日) 20:08:16.15ID:SWoPxTVM現存する大老奉行連署を見る限り、(毛利を盟主とした)大老奉行合議で間違いないと思うけど、
岐阜陥落以降はどういう形で意志決定がされていたか
分かる史料って残ってない?
俗説では三成主導だけど、
本戦直前の増田宛て三成書状には随所に
自分の考えとは異なる方針に対する愚痴らしきものが見受けられるし。
0612人間七七四年
2017/07/02(日) 21:08:20.55ID:T2CvyMeX結局のところ三成が殺す殺すと言いすぎなんだよ
金正恩レベルの殺戮や粛清を主張する三成は豊臣恩顧にとっても危険極まりない
豊臣の天下を諦めてでも三成を排除するしか生き残る道がなくなってしまった
0613人間七七四年
2017/07/03(月) 00:32:19.64ID:1HqXQ0hw小早川が東軍攻めても時間稼ぎにしかならんだろ
0614人間七七四年
2017/07/03(月) 02:50:14.19ID:qIWFf+wLまず烏合の衆をどうにか一本化しないと無理だべ。
戦力的には「毛利の下に一本化」しか選択肢は無いけども
0615人間七七四年
2017/07/03(月) 07:37:02.33ID:4Mhj6+Zuその毛利が西国に兵を派遣しまくってるうえに、(明らかに自領拡大狙いの動き)
岐阜陥落後は露骨に徳川との手打ちに走ってるからな。
見方によっては美濃にいた西軍の連中は毛利に切り捨てられたようにも見えるし。
0616人間七七四年
2017/07/03(月) 11:32:07.53ID:Vxw++mtx忠臣を前提にしてるから、両家の評価が意味不明な扱いになる。
自国のための行動と考えれば、全て辻褄があう。
0617人間七七四年
2017/07/03(月) 12:24:22.49ID:M5Rq5jdh最初から西軍の中心として動いてた毛利と違って上杉は挙兵後しか西軍との繋がりがないんだから
0620人間七七四年
2017/07/03(月) 13:35:31.01ID:z7womhQ70622人間七七四年
2017/07/03(月) 13:42:08.40ID:z7womhQ70623人間七七四年
2017/07/03(月) 14:37:46.05ID:X6zEPnD6空弁君を殺しておかない限り勝ち目はない。
0624人間七七四年
2017/07/03(月) 14:56:40.73ID:z7womhQ70625人間七七四年
2017/07/03(月) 16:48:07.30ID:kPxy9EHn岐阜落城・家康出馬で、既に毛利はやる気ないよ。
0626人間七七四年
2017/07/03(月) 17:16:58.96ID:CXxc5JImつまり関ヶ原の流れを変える最後のチャンスは、結局岐阜陥落阻止って事だな。
それ以前ならともかくそれ以後はほぼアウトだろうね。
0627人間七七四年
2017/07/03(月) 17:19:23.50ID:1N97Fx3hでも、烏合の衆って言うても通常は外線作戦側の方が数が多いですからね。
第二次世界大戦の時の連合軍だって、かなり纏まり悪いですよ?
ヒトラーは、イギリスと単独講和が可能だと思ってたみたいだし?
そもそも、本来は犬猿の仲のアメリカとロシアが共同戦線ってのも変だし?
何処かで、戦線が膠着するだけで家康は袋叩きの立場だと思うなあ。
家康は、史実では常に主導権を自分の側に持ってたけど、逆に言うと主導権を
相手に取られた時点で終わる気がすんだよね。
0628人間七七四年
2017/07/03(月) 18:02:37.01ID:ngi+W7hC毛利が大坂に入って、近畿がほぼ西軍に押さえられてる時点で
主導権は完全に西軍だよ。
そう思ったから西軍は上杉征伐軍もあっさり瓦解するだろうと見越して
内府違いの条々を征伐軍の連中にばらまいて調略しようとしたんだ。
実際一部の軍勢は征伐軍から離脱したし。
それに戦線はどこも膠着状態でしょう?北関東も東北も北陸も中山道も。
違うのは諸将が次々と家康に城を明け渡した上に、軍勢が一気呵成に侵攻して
岐阜まで陥落させた東海道位じゃないですかね。(西国は考慮しない)
0629人間七七四年
2017/07/03(月) 18:25:43.43ID:fdP4hU7P岐阜城の戦いでも大垣城の1万5千を殆ど有効活用出来てないし。
まぁ近江にいた小早川を警戒したせいなんだろうけど
その後はもう後手後手だよなぁ
家康出陣も直前まで把握してなかったんでしょ?
0631人間七七四年
2017/07/03(月) 18:39:17.25ID:HIFr+jNGというより、もう勝ち目がないと踏んだんでしょう。
だったら傷が浅いうちに(処分が減封で済むうちに)手打ちする方がマシでしょう。
賭けに負けた以上は下手にジタバタするより、負けを認めるから寛大な処分を
求めるって方が賢いですし。実際家康はその通りにしてくれましたからね。
0632人間七七四年
2017/07/03(月) 19:18:51.95ID:z7womhQ7結果として騙されたわけだが
0633人間七七四年
2017/07/03(月) 20:48:26.54ID:JmqijFPP戦場出てないしすぐに日和ったとはいえ一応総大将だったわけだし
0635人間七七四年
2017/07/03(月) 20:58:11.68ID:VOK70Uc+色々と主体的に動いていた証拠が出てきたんだから家康に騙されたというのは無理がある
0636人間七七四年
2017/07/03(月) 21:35:40.00ID:d+E328/30639人間七七四年
2017/07/03(月) 22:15:17.87ID:8WDBP3oZ関ヶ原の後家康がまだ大津にいる時点で「毛利は大阪城退去で話がついたらしい。表向きは本領安堵だが実際には所領半減に成るようだ」って
書いてるぞ
0641人間七七四年
2017/07/03(月) 22:29:08.14ID:ZgKVGgBE0642人間七七四年
2017/07/03(月) 22:29:38.58ID:9EMDyufy0643人間七七四年
2017/07/03(月) 22:35:35.29ID:r7y+Z4rAひょっとして青野ヶ原の事言ってるのか?
当時は関ヶ原付近を青野ヶ原とも言ってたらしいってググったら出たけど。
後、この近くでは南北朝の時代にも決戦があったらしくて
それがまさに青野ヶ原の合戦と呼ばれてるらしい。
近衛がこれを知らんとは思えんから、あの近くでまた合戦があったって聞いたのを
そのままそう書いちゃっただけじゃないの?
0644人間七七四年
2017/07/03(月) 22:42:40.57ID:ZgKVGgBE0647人間七七四年
2017/07/03(月) 22:58:51.06ID:9EMDyufy可能性はあるが吉川広家の覚書の中に戦いがあったのは山中と書かれているからな
戦場にいた人から聞いた話としては不正確かと
0650人間七七四年
2017/07/03(月) 23:31:36.81ID:AtKOnKoCああ、そういう事か。何か勘違いしてた。
しかし秀家のところか。うーん、確かにそこは戦場になったろうが
関ヶ原の範囲って結構広いからなあ。
戦場がそこ一か所だけって事はなかろうし、それで不正確ってのもなあ。
当時の情報伝達力を考慮したら及第点以下ではないだろう。
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