でもさ、実際関ケ原付近の地形とか見ると、東軍兵士は恐怖しか感じ無いと思うな。
普通に互角の勝負してても、時間の経過と共に士気がガリガリ削られるでしょ、あれじゃあ?
今みたいに情報が一般人に行きわたる時代じゃ無いんだし、敵は高地に陣取り旗印は味方を
包囲してる状況なんだしさ。
しかも、退路を睨む位置の南宮山に毛利軍が居るんだよ?
そもそも家康は最初桃配り山に居たから、当初は縁起を担ぐ余裕の有る楽勝だと思ってたと
思うんだよね。でも、意外と苦戦で味方の士気も落ちて来たんで本陣を前に動かしたん
でしょ?
つまり、家康自身が一番焦ってたんじゃないのかね?