関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part4 [無断転載禁止]©5ch.net
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0001人間七七四年
2017/04/16(日) 12:20:19.18ID:f2QuhrcF関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
0641人間七七四年
2017/05/22(月) 08:50:51.16ID:JSatrqvq秀頼は別に西軍の味方じゃないんだから大坂城を出る理由がない。
それと勘違いされがちだが関ヶ原は結果的に東西両軍がぶつかる場所になっただけで、
別にそこが中心点だったわけじゃない。
どうも西軍の連中は内府違いの条々を出した時点で家康は上杉征伐軍を制御できなくなって
関東に割拠するしかなくなると考えてたようなので東軍誕生すら想定してなかったぽい。
となると輝元が関ヶ原に向かう理由もなくなる。
それに毛利は瀬戸内周辺を領国に組み込もうとした形跡があり四国や北九州に軍勢を派遣している。
それらの軍勢との連絡を取り合うなら大坂にいた方が都合がいい。
0642人間七七四年
2017/05/22(月) 12:13:30.64ID:WDbBqegP毛利か火事場泥棒的にあちこちに兵を出してたからって主敵を目前にして大阪にとどまるのは下策。
0643人間七七四年
2017/05/22(月) 12:37:17.60ID:HGdnnPc7秀頼担ぎ出しても大坂城占拠されたら西軍は取り返せるのか?
0644人間七七四年
2017/05/22(月) 12:37:48.86ID:aq6uxiAIそんなに輝元を糞野郎に仕立てたいのか。
大坂にいる奉行衆だって西軍よりとはいえ態度不鮮明ではあるんだぞ。
こいつらが輝元の暴挙に怒って京都の朝廷に働きかけて
『秀頼を拉致して天下を牛耳ろうとしている輝元と彼に味方する者を討伐せよ』
なんて勅許をもらったらどうするつもりだ。
徳川を倒すためならどれだけ無茶をやっても許されるって発想やめてくれ。
0645人間七七四年
2017/05/22(月) 12:57:17.76ID:WDbBqegP1600年の8-9月に官兵衛が大阪に進出出来るわけないだろ。
それに大阪の一部の奉行が朝廷に働きかけたくらい朝廷は明快な態度はとらないよ。
0646人間七七四年
2017/05/22(月) 13:07:05.11ID:pyquHRZSいや、やるだろ。秀頼を大坂から無理やりさらって
好き勝手やる為に戦場に連れてくんでしょ?
秀頼を自分がやりたい放題する為のツールかなんかだと思ってるような奴に
天下を差配される訳にはいかないもの。
0647人間七七四年
2017/05/22(月) 13:38:31.67ID:V/5zTQvT関ヶ原直前の家康に対する評価を知りたい
信玄謙信並の軍神みたいな存在になっていたのかどうか
動員兵力とは別に軍神並に戦上手と恐れられていたら
家康に楯突くことはかなり無謀な判断だよね
しかし三成秀家は毛利を抑えたら勝てると踏んだくらいの威光だったのか?
ならば利長が秀家や豊臣を頼った時に挙兵していた方が一連の関ヶ原に繋がる挙兵より有利だったはず
利長が秀家豊臣の協力を得られ挙兵していればまつが江戸に行くこともなかったし
連座したとされた浅野もどう動いたか分からない
清正正則も大老利長と同年代で家康に付いたかどうか
利長総大将輝元西国撹乱と秀元秀包及び九州勢を出兵させ
浅野はじめ秀吉準一門が反家康につけば関ヶ原より面白い戦になったんじゃないの?
0648人間七七四年
2017/05/22(月) 14:43:08.58ID:Ig9o1UoJアンカーがね、もう
0649人間七七四年
2017/05/22(月) 18:09:02.96ID:yzLjb8OI前田派潰しに掛かってるからなぁ
豊臣宗家もおいそれと手助けできんで
0650人間七七四年
2017/05/22(月) 18:55:39.13ID:DqlL5rpeそれを大義名文に使えることがハッキリしたのが前田家の一件で、上杉征伐はそれを踏襲。
もし征伐に異議を唱えるなら豊臣家へその旨どう伝えるか難しく一介の大名は征伐の話が豊臣から大老に出た時点で乗るしかない。
朝廷も基本的には同じように乗る。
0651人間七七四年
2017/05/22(月) 21:46:54.24ID:5GtHPR35朝廷が載る?
秀頼連れ出しの輝元成敗はケースが違う。
真田や田丸が徳川討伐を朝廷に願い出て受理されるようなもの。朝廷はいい顔しても勅は出さない。
前田騒動の時はまだ三成は動けなかったろう。それなりの下準備がいる。
前田に近い、宇喜多、浅野、細川あたりと練れてれば毛利、上杉も引き入れてなんか仕掛けてたかもな。
0652人間七七四年
2017/05/22(月) 21:55:41.90ID:l84hhv+J浅野細川加藤ら前田に近い武将の三成襲撃事件だからなぁ。
調停にも前田も宇喜多も殆ど静観だったし。
仮に三成が動けたとして、
積極的に前田を助けようとするかどうか
0653人間七七四年
2017/05/22(月) 22:12:28.40ID:uiMO5fqc奉行衆が前田や浅野といった政権内の目の上の瘤を除こうとしていたと思われる節があるからなあ
関ヶ原で言えば家康の評価どうこうよりも自分達の過大評価で判断を誤った感じ
0654人間七七四年
2017/05/22(月) 22:33:42.14ID:t4IYCv7zふむ、討伐令を出す可能性はゼロではないと思うが
そこはもう見解の相違っぽいからまあいいや。
ただ、勅令を出す可能性は普通にあるぞ。細川幽斎に確か出してたろ。
例えば『戦乱を無用に拡大せぬよう、秀頼は大坂城を守備せよ』
という勅令をだしてもらうとか。
『朝廷の許可なく秀頼を戦場に連れ出してはならぬ』とかでもいい。
0655人間七七四年
2017/05/22(月) 22:41:11.61ID:5GtHPR35毛利討つべし、ならまだわかるがいきなり武家の勢力争いの根幹に介入することになる。田辺とはケースが違う。
0656人間七七四年
2017/05/22(月) 23:11:53.01ID:TMmjyccE朝廷にとって「幽斉が生きていないと困る」からこその勅命。
一方で秀頼は名目上の日本の統治者だけど、
別に朝廷からしたら秀頼でなくてもOKなわけで。
朝廷にとって「秀頼が生きていないと困る」理由がない
0657人間七七四年
2017/05/22(月) 23:24:40.98ID:edxzb0YA0658人間七七四年
2017/05/22(月) 23:35:34.58ID:t4IYCv7zみんな結構秀頼に冷たいな。
自分は秀頼をこの時点で戦場に連れてくとかとんでもないと思ってるんだが。
まあ、秀吉死後の豊臣政権や秀頼の行動になんの魅力も感じないのも事実だけど。
>>657
関ヶ原が起きた時点でその願いはほぼ叶っているね。
ただ、その辺を言いだすとそもそも関ヶ原を起こしたら駄目だという話になる。
つまり西軍は絶対挙兵してはいけなかった。
家康の行動が西軍視点で問題に見えたとしても、その解決の為に
日本を2つに割るような大乱を起こしてはならない。
0659人間七七四年
2017/05/22(月) 23:53:26.65ID:LTBrlmlG普通に強引にでも秀頼を前線に出すしか無いよね。
現実に中軍に千成瓢箪の馬印が出てる状態だと、豊臣系の大名の士気がだだ下がり
だと思うしさ。
幾ら理屈の上では豊臣家を見限るつもりでも、自分の手で留め刺すのは躊躇い有るでしょ?
犬を捨てる人でも普通は保健所に連れて行き、もしかしたら貰い手が出るかもって自分を
誤魔化す訳だしさ。
自分で毒殺とか厳しいでしょ?
まだ殆んどの大名は、自分は家臣だと思ってる訳だし。
0660人間七七四年
2017/05/23(火) 00:21:52.00ID:QZU9cCmU秀頼がどうなろうと知ったこっちゃないって発想やめようよ。
秀頼は西軍のおもちゃじゃないんだよ。
0661人間七七四年
2017/05/23(火) 00:29:20.02ID:xnabQAt5どう考えても無理矢理担ぎ出された状況でしかないしむしろ東側が秀頼救出って目的に一致団結するだけ
0662人間七七四年
2017/05/23(火) 00:31:19.51ID:xtrGKuxe当の家康も優勢を確信して江戸を発ってる。
状況的に9/1以降の西軍逆転はかなり厳しいよ。やっぱり。
改変するなら岐阜陥落以前だろうな。
例えば7月時点で田辺城に1万5千も派遣する必要がホントに有ったのか?とか
0663人間七七四年
2017/05/23(火) 00:46:14.43ID:bQ+uDEt7でしょ?って言われても
様々な情況を経験してきた将にとってはそれくらい腹くくってたかもよ
家康はもちろん黒田とか山内とか最早どんな事件が起こっても驚かなさそう(笑)
西軍の連中はそこら辺の経験不足が弱さに繋がってるかもね、
ピンチを経験していたとしても所詮豊臣内の出来事で
0664人間七七四年
2017/05/23(火) 01:00:17.49ID:HeQWiyWM三成というか西軍首脳陣ははそれすら直前まで知らなかったようだから
0665人間七七四年
2017/05/23(火) 02:06:29.80ID:LhTXj/cH例えば、小早川隊の松野主馬は関ケ原の時なかなか動かなかった事で有名だけど、この人は
元々豊臣家の旗本だったんよね。
秀秋が養子入りした時に付いて行ったんでさ。
つまり、大名が秀頼公が居ても構わない遠慮無く攻撃しろって命令しても、家来がはいそう
ですかって応じるのかね?
0666人間七七四年
2017/05/23(火) 04:10:19.81ID:uUKOQZ4f大名が覚悟決めたなら、はいそうですかと応じる方が多数派じゃない?
当時の価値観で言えば、
家臣が忠誠を尽くすべきは自分の主君であって
主君の主君じゃ無いしな。江戸以前の主従関係ってそんなもんでしょ?
勿論その行為によって大名に降りかかるマイナス要因を心配して
「反対」することも有るだろうけど
0667人間七七四年
2017/05/23(火) 06:03:30.37ID:bQ+uDEt7いや何で小早川を例にした…!?
あのな、1つアドバイスするとそういう場合は
「家来に反対されて攻撃を中止した大名」
を例に挙げるんだぞ?
0668人間七七四年
2017/05/23(火) 08:11:03.30ID:4++f3TcN千昌夫
俺はマスコミのおもちゃじゃないっ!
0669人間七七四年
2017/05/23(火) 08:55:05.13ID:A4BK+PTdだれが豊臣か、だ。
0670人間七七四年
2017/05/23(火) 11:25:21.62ID:I+g2RFaX0672人間七七四年
2017/05/23(火) 13:20:59.85ID:YjPFeBZdそういう話ならそれこそ家康だろうね。秀頼の姻族にして政権の筆頭大老だし。
しかも上杉征伐は政権に命令されてやっていること。
反家康派がどう思ってようが、これは豊臣政権の正式な事業なのだから
これを否定するには豊臣政権そのものを否定するしかない。
しかも西軍の大半は上杉征伐軍に合流する予定の軍勢を無理やり組み込んだものだから
西軍は豊臣政権の事業を妨害したことになる。
これで西軍に大義があると言われても…その、困る。
0673人間七七四年
2017/05/23(火) 13:54:25.16ID:A4BK+PTd0674人間七七四年
2017/05/23(火) 14:19:47.90ID:WWDIzJ8y吉川が毛利の進軍の邪魔をするような布陣にはできなかったろうよ
金吾も初めから態度を明確にしたはず
0675人間七七四年
2017/05/23(火) 14:22:46.04ID:YjPFeBZd一応言っておくがそれまんまテロリストの理屈だぞ。
愛国無罪ならぬ、愛政権無罪ってか。ロクでもないこと言うね。
政権の立場から見たらどうしたって非難の対象にしかならんことを肯定するなよ。
0676人間七七四年
2017/05/23(火) 14:23:37.41ID:WysVsn/mだいたい三成が立ち上がらなきゃいずれ家康が難癖つけて秀頼を殺害してたのはその後の歴史から見ても分かりきってるだろ
三成の言うこと聞いとけば間違いなかったのにどっちつかずの態度とったボンクラなんざいざ自分が騙されてたと気づいた時に豊臣恩顧に助けてもらえなくても自業自得だわ
0677人間七七四年
2017/05/23(火) 14:23:38.77ID:A4BK+PTd0678人間七七四年
2017/05/23(火) 14:30:29.79ID:A4BK+PTdすでに内部的には簒奪完了してるから手続き上は豊臣の命令に出来る。それをもって家康が豊臣家の信託を受けたとか正当とか言い切るのは無理がある。
0679人間七七四年
2017/05/23(火) 14:31:48.55ID:YjPFeBZd西軍支持派はすぐこういう事をいう。
三成のいうこと聞けだってさ。いつから秀頼は三成の家来になったんだよ。
西軍を支持してる人たちがただ三成らが家康の前で勝ち誇ってるのが見たいだけで
豊臣家も豊臣政権も本音ではどうでもいいと思ってるのがよくわかる。
曲がりなりにもこの時点では豊臣政権の了解をとって物事を進めようとしていた
家康を少しは見習え。
0680人間七七四年
2017/05/23(火) 15:16:10.94ID:FlqJJbw9当時から秀吉に付いてた古参武将は義昭擁立から追放まで逐一目撃してるからな…
もう天下人だろうと無能が滅びるのは当然、くらいに思ってそう
0681人間七七四年
2017/05/23(火) 15:57:14.92ID:vejr7Vja大戦中に統制派が日本をめちゃくちゃにしたから
二ニ六事件の皇統派の決起は正義で、「クーデターは鎮圧すべき」という統制派の主張は大義がない
みたいな主張だな
0682人間七七四年
2017/05/23(火) 16:10:06.42ID:vejr7Vja「豊臣家の為」って名目で
豊臣家の意向無視して行動してるのは三成の方だしなぁ。
その後の歴史を知りようがない当事者が
三成を信用しろと言うほうが無理だろ
0683人間七七四年
2017/05/23(火) 16:19:05.26ID:I+g2RFaXだからこそ、秀吉も家康を頼る他なかった。
しかし、家康の婚姻政策は露骨過ぎたよなぁ
石田憎しの連中もこれには疑問持たないと駄目だろ。
0684人間七七四年
2017/05/23(火) 18:16:08.57ID:NB+SlPi8秀吉自体織田から簒奪したんだし、豊臣恩顧も遠慮はないやろ
0685人間七七四年
2017/05/23(火) 18:31:56.06ID:ijgx+FvE頼りがい以前の問題で、
頼るって選択がまず発生しないだろうな。
0686人間七七四年
2017/05/23(火) 18:37:21.91ID:IJ96DD0m家を守りたいなら家康が奉じる豊臣家に付いていくのが一番の正解だし
0687人間七七四年
2017/05/23(火) 20:29:09.46ID:HeQWiyWM毛利+浅野を除く四奉行は秀吉の死後に即座に私的な誓紙のやり取りをするという
明確な法度違反をしているので家康を咎める資格はないでしょ
利家が怒るのは無理はないが元はといえば大名間の婚姻は秀吉の許可を得ることという掟が
秀吉の死後どうするのかはっきりしていないのが問題なわけだし
0688人間七七四年
2017/05/23(火) 20:46:30.01ID:1tl0hTlP確か三成も利家も「掟」違反って糾弾はしていない。
飽くまでも「重要な案件は十人で話し合うって決めたでしょ!」っていう糾弾。
明確に掟違反の三成達の方が悪質じゃない?
0689人間七七四年
2017/05/23(火) 21:35:08.67ID:LhTXj/cHそこで、秀頼の傅役が利家って所が関係する気がする。
正直、利家に野心有ったら家康より有利だしね。
秀吉の死後、家康はやたら諸大名の屋敷行ったりして多数派工作してるけど、逆に言うと
生前豊臣系大名と別に親しい訳じゃないんだよな。
徳川、前田の対立なら前田に付く奴多いと思うしさ?
利家さえ後三年生きてたら全然違う展開じゃないかな。
0690人間七七四年
2017/05/23(火) 21:58:11.30ID:xnabQAt5先に寿命来ただけで
0691人間七七四年
2017/05/23(火) 22:40:40.44ID:1MYfKylY豊臣体制の安定が前田家の安全。
0692人間七七四年
2017/05/23(火) 22:45:50.33ID:u6avcnGU振る舞われた気はするな
ただ西軍大大名、特に宇喜多が残るし奉行連中が残るから「政権」の体裁は保てる
家康は上杉の次は毛利、毛利の次は宇喜多、とやったかね?
0694人間七七四年
2017/05/23(火) 22:52:29.20ID:HeQWiyWM0696人間七七四年
2017/05/23(火) 23:12:22.45ID:KcddVR9N奉行連中は少し前にも秀次が謀反を企てていると騒いで
ここで秀次を始末しないといずれ秀次が難癖つけて秀頼を殺害すると叫んだから
奉行連中のいうことを聞いて秀次を粛清する代わりに家康が招聘されることになったたわけ
そして代わりに来た人間に対しても奉行連中はまったく同じことを叫んでいる
奉行がデタラメに粛清を叫ぶのはいつものことだから聞くだけ無駄なんだよ
西軍に大義など最初から存在しなかった
0697人間七七四年
2017/05/23(火) 23:24:12.12ID:NB+SlPi8それとも秀吉から領地貰っていたから直臣扱い?
勝永は秀吉子飼い最古参の息子なのに淀大野派からは
又兵衛や真田同様の扱いを受けていたの?
0698人間七七四年
2017/05/23(火) 23:25:36.15ID:1MYfKylY0699人間七七四年
2017/05/24(水) 00:08:02.91ID:H9mLz4u5少なくとも家康は豊臣政権の首班としての体裁は整えて行動している
0700人間七七四年
2017/05/24(水) 00:11:13.18ID:4Xsaf1Ml家康は勝手にやってなどいないよ
会津征伐だって何度も周辺の大名や元上杉家臣に聴取したうえで
上杉に対しても上洛しての釈明を呼びかけたのに完全無視で逆に宣戦布告された
だから豊臣家の許可を取って朝廷に届け出て征伐事業を始めたのであり
きちんと各方面に手続きをやっている
むしろ好き勝手に振舞っていたのは三成の方だよ
まるで自分が豊臣の主であるかのように威張り散らし
豊臣家に無許可で勝手に武装蜂起しておきながら逆に豊臣家に対して
自分の指示に従い秀頼の身柄を差し出すように要求していた
三成ほど豊臣家を見下して遠慮なく好き勝手にやっていた人間はいないよ
0701人間七七四年
2017/05/24(水) 00:44:04.02ID:MvkxZPbS三成が追い詰められていて拙速だったということ。
家康の言うとおりにしてても最終的には豊臣家にとっていいことはなかったろ?
結局いつか誰かがどこかで起つよ。
0702人間七七四年
2017/05/24(水) 00:57:45.67ID:MvkxZPbS0703人間七七四年
2017/05/24(水) 01:16:54.20ID:4f2jajYCそして手続きを踏めない徒党はそれ以下の存在としてしか扱われない
0704人間七七四年
2017/05/24(水) 01:17:39.44ID:H9mLz4u5家康に決まりごとを守るよう要求した側が決まりごとを守らなければ何の説得力もない
0705人間七七四年
2017/05/24(水) 03:57:19.64ID:9ZE0VhDx「ルールを守れ」って手続き無視の実力行使をやったんなら
後者がの方が碌でもないわ。
>家康の言うとおりにしてても最終的には豊臣家にとっていいことはなかったろ
そりゃ結果論だな。
家康以上に好き勝手やってる三成が勝った方が碌な事にならないって
豊臣家が判断したからこその協力拒否だろう。
推移を見る限り関ヶ原時点でのその推察は至極当然だろうな。誰でもそう思う。
史実では関ヶ原から豊臣滅亡まで15年あったけど、
三成が勝ったらもっと短かったんじゃ無い?
三成自身がルール破りを正当化するなら周りも好き勝手し出すだろうし
0706人間七七四年
2017/05/24(水) 16:02:23.51ID:zDb7xDMR七将に嫌われただけでもうだめ
石田さえいなければ、豊臣方がそこそこまとまって、
家康も豊臣に手がさせなかったろう
0707人間七七四年
2017/05/24(水) 16:51:20.08ID:SR91LchFっといっても削る土地が結局豊臣家の蔵入地しかないし、それを与える権限がどこにあるか分からんけど。
0708人間七七四年
2017/05/24(水) 17:47:16.39ID:Z4b1nNcAでも豊臣主導でそれやれる人材はいない、代わりにやれそうな徳川、毛利に頼むと豊臣は傀儡に成り下がる
秀吉生存中にやるなら大陸出兵じゃなくて大大名の粛清と確実に二代目継げる後継者と家臣団の再編成
それやれなかった時点で豊臣政権は秀吉の死で終わり、秀吉側近もそこで表舞台から消えざるを得なかったと思う
まあ後世になって結果から見た感想だけど
0709人間七七四年
2017/05/24(水) 19:16:49.71ID:6WSePCUh家康は、自分の花押だけの文書だしてないの?
合議制なんだから、本来文書は大老の連署を想定してる気がするんだよね。
兎も角、自分の判断で加増とかすれば事実上豊臣家の蔵入地を横領してるのと
同じだと思う。
0710人間七七四年
2017/05/24(水) 19:38:44.75ID:r9/X6m4mそれが出来る人が実はいた。豊臣秀次だ。
秀吉以外の豊臣一族で唯一関白に就任した人物であり、年齢も申し分ない。
豊臣主導で政権の力を完全に使う事も出来る。
また、秀次は独自の官僚団を形成していた筈。これも大きい。
何故なら五大老・五奉行制がこの場合必要ない、要は家康を政権に参加させる必要がなくなる。
さらに秀次が関白に就任したままなら、関白を摂関家に奪われる事もない。
つまり豊臣政権の正当性を確保し続けることも容易だ。
問題はこれほど豊臣政権にとって都合がいい人物を、どっかの誰かさんが
死においやってしまったというどうしようもない事実だ。
0711人間七七四年
2017/05/24(水) 19:42:53.26ID:lZYRjwz/0713人間七七四年
2017/05/24(水) 20:57:21.68ID:slxEBeS5三成・家康が手を組んで討ったってことも考えられる?
0714人間七七四年
2017/05/24(水) 21:02:19.00ID:cwjP+f2Z細川は推挙しただけだし、森忠政の加増も奉行衆が陣頭指揮とってるし、宗の加増も三成公認じゃなかった?
基本的に奉行衆と一体での行動だったと思うけど
0715人間七七四年
2017/05/24(水) 21:43:32.14ID:YMEfmipo振舞ったというか、蔵入地を管理してた奉行が機能しなくなって、管理できなくなったから各地の大名に管理を任せたんだろ。
もともと、しっかり監視してないと大名が横領を始めるめんどくさい制度だし。
関ヶ原後の豊臣政権=徳川家臣団に運営できるとは思えん。
0716人間七七四年
2017/05/24(水) 22:48:51.14ID:yqUAT7lS0717人間七七四年
2017/05/24(水) 22:49:08.81ID:4Xsaf1Ml秀吉の権威を振りかざすことに慣れきっていた奉行衆は家康を敵に回しても
自分の命令で恩顧を服従させられると勘違いしていた
秀吉が三成たちへの躾に失敗したのが全ての原因だよ
0718人間七七四年
2017/05/24(水) 23:03:15.71ID:7rl5vPwD家康がやったことは悪く言えば法律の穴を付いただけに過ぎない
0719人間七七四年
2017/05/24(水) 23:06:09.31ID:g9jvngUY秀次の関白就任あたりでは秀吉も次世代を考えてる感があるんだよね
大御所・大樹制度とも言うべきか徐々に権力を委譲させること
前野という譜代的家臣中の大物を筆頭にはした官僚団の形成
ところが...
鶴松が生きていて親類衆筆頭が近江中納言家(秀次家)、
親類衆次席が大和大納言家(秀長、というか秀保家)ならかなり違ったろうね
0720人間七七四年
2017/05/25(木) 02:51:02.03ID:kpZ1rBCS己が立場を秀次官僚団に譲ることになる現側近衆(ぶっちゃけ三成)が
じっとしてただろうかって不安があるよね。
どっかで鶴松担ぎ出して騒ぐ気がしないでも無い。
秀次事件が「三成の讒言によるもの」ってのは眉唾だけど、
「三成は助命に奔走した」ってのも出典は武功夜話の五宗記だからなぁ。
0721人間七七四年
2017/05/25(木) 03:04:16.31ID:obDcwD5iそうなんだよな。
上でも誰かが言ってるけど、家康がグレーゾーン攻めてるのに対して
三成は真っ黒なんだよ。しかも最初から。
これじゃ端から見れば
体制を破壊しようとしてるのは家康ではなく三成の方だし、一面から見ればそれは正しい。
またそう思われる行動を取った三成の失策でもある
0722人間七七四年
2017/05/25(木) 06:56:34.57ID:utiq3E02徳川の大久保長安事件とか
本多正純失脚とかみたいに
内戦に発展せず、暗闘で済めばいいけど
田中吉政がもっと有名人だったことは間違いないな
秀次政権移行してたら
0723人間七七四年
2017/05/25(木) 08:12:20.84ID:xBt1AEIC0724人間七七四年
2017/05/25(木) 09:31:51.40ID:sfEiTIqP家康を暗殺しようとしたらしいじゃん
で、その9日後には毛利や浅野を除く三奉行と起請文
先に喧嘩売ってきたのは明らかに三成のほうだろう
そりゃ家康も自衛のために諸侯と婚姻策とるわ
0725人間七七四年
2017/05/25(木) 10:19:06.35ID:mjlmJ3PL家康は、前田家に謀反の噂がとかやってるじゃん?
世の中の人は事実じゃ無くて印象で物事を判断するって良く理解してる人だしね。
現実的に、家康が強硬に暗殺未遂が有ったんだ命を狙われたんだって主張したら奉行衆には
対抗手段が無いんだよ。
丁度今話題の痴漢冤罪みたいな物ですね、物証が無くても自称被害者が強硬に主張すれば
相手に対抗手段ないです。
より完璧を期すなら、騒ぐと同時に自称正義の味方の第三者の男が犯人を取り押さえるとかね。
これがもし仕込みだったとしても、周囲は誰も疑問に思わんでしょ。
あの場合、家康は理由付けて伏見城の警備の兵を増やしたい立場ですからね。
家康に露骨に利益が有る事件に見えるんよ?
まあ家康の性格考えるなら...ですね。
0726人間七七四年
2017/05/25(木) 10:32:07.66ID:aRRkKY1aどう構造変えたのか誰か分かる?
秀頼が小さい以外に大きな違い思いつかない。
0727人間七七四年
2017/05/25(木) 10:33:38.04ID:sfEiTIqPそれ利家が死んだ後のハナシじゃないの?
>>724の三成の家康暗殺計画は「秀吉死亡直後の慶長3年8月19日」
ここまで露骨な敵対行為されたら家康も覚悟の臍を固めたことでしょうよ
あくまで三成の暗殺計画が事実だったらの話ではあるけど、事実とすれば
前田の謀反の噂(それが家康の謀略だったかどうかはともかくとして)に
信憑性が生じたことだろうし、結果的に三成が家康のアシストをしたことに
なりますわね
後日本多正信が「三成のおかげで徳川の天下になりました」と述懐したのも
うなずける話ですねぇ
0728人間七七四年
2017/05/25(木) 10:52:48.43ID:kqv4MFcXそこだよ。
経営層のTOPが穴ついてたらそりゃ社内は乱れるよ。当然の結末というか乱れるのを狙っていたろう。
家康と三成は立場が違うからそこは評価落とされるよ。大物が下が切れるの待ってるようなものだ。
天下への野心が全くなかったというならともかくグレーを繰り返して着々と狙ってるんだからさ。
0729人間七七四年
2017/05/25(木) 10:59:17.99ID:kqv4MFcX前田利家らの家康暗殺未遂なんてまさにそれで家康敵対派も固まらざる得なかったろう。
だいたいこの時の暗殺事件は真相不明。
0730人間七七四年
2017/05/25(木) 12:11:14.99ID:MOSf/Vbrそりゃあまあ、反徳川の勢力を集めて挙兵してくれまましたからね。
只の一戦で徳川の覇権を固めたって意味ではそうでしょう。
でも家康がやったみたいな事やった人って、歴史上には幾らも居ますからね、中国の史書なんか読むと
うざい程同類が居ます。
そして、結講反対派の挙兵規模が大きく成り過ぎてあっさり負けましたって場合も有る。
家康は別に名目上の主君とか建ててる訳でも無しに、そのまま反転西上して大阪向かってる訳ですからね。
別に負け無くとも、戦線が膠着状態に成るだけでもやばいでしょ。
0731人間七七四年
2017/05/25(木) 14:23:59.51ID:1Q+yVaTo膠着させる隙も与えず圧勝した東軍&家康かっこいい
やっぱり石田や毛利じゃ100年生きても勝てなかったか
0732人間七七四年
2017/05/25(木) 15:58:29.64ID:JTaAurFJ寧ろ家康敵対派を糾合出来なかったことが三成達奉行衆の敗因だな。
利長謀反疑惑事件なんて正にそれだ。
密告した増田は、着地点を「利長の豊臣家への謝罪」「大坂への人質提出」
当たりに想定してたんだろう。
その場合、前者は豊臣代表として奉行衆が応対するだろうし、
後者の管理も奉行衆担当になるから、結果的に前田派に対して
政治的上位にたてると思ってたはず。
しかし結果は家康総取りで前田派は家康派に吸収されてしまう。
それで焦って稚拙な行動をした結果が関ヶ原
0733人間七七四年
2017/05/25(木) 19:24:36.21ID:kqv4MFcX立花や毛利より増田が本気なら西軍は勝てた、と言ってみる。
0734人間七七四年
2017/05/25(木) 21:18:29.57ID:HKc5w1vZ単純に考えれば秀吉の遺言体制の崩壊が狙いというところだが
0735人間七七四年
2017/05/25(木) 22:25:04.07ID:HZcDQHJ0前田と徳川の二頭体制に毛利と奉行が不満を持ったという事なんだろうか。
毛利からすれば徳川と前田の下になった事の不満、奉行は自分たちが豊臣政権を
運営したいのに邪魔者がいるという不満ってところか。
まあこの辺は完全に妄想になってしまうからな、正直よくわからん。
0736人間七七四年
2017/05/25(木) 22:56:15.24ID:HKc5w1vZある程度操縦することは出来そうだし宇喜多の政治力は(お家騒動を起こしている程度で)問題にならない
十人誓紙での合議制でまず両者の権限に制限をつけ
その後の政争で放逐というのが分かりやすい筋道にはなるね
毛利は秀元への所領分割問題があるから味方に引き入れやすかったのかもしれない
0737人間七七四年
2017/05/25(木) 23:00:06.56ID:OrnghJ80徳川派vs反徳川派の単純な二分ではなく、
徳川派vs前田派vs奉行衆+毛利派
の三つ巴だったって説があるしね。
中井俊一郎氏が著書の中で紹介してる
0738人間七七四年
2017/05/25(木) 23:05:32.57ID:kqv4MFcX秀吉死後いきなり徳川と奉行派に二分されるのは不自然。
利家罪名中は前田の求心力も総統なものだったろう。
毛利派ってのはよくわからんけど
0739人間七七四年
2017/05/25(木) 23:10:22.39ID:jaKgUnVl0740人間七七四年
2017/05/25(木) 23:29:03.48ID:CY1x2cFDそんな事になる訳がない。
秀次健在なら大老や奉行を任命する必要がそもそもない。秀次は自分の家臣団を形成しているんだから。
つまり家康が中央政権に参加する事がそもそも難しくなる。
また、秀頼と千姫の婚姻は秀次事件の後に決まっている。その前は秀頼と秀次の娘との婚姻予定だった筈。
となると、家康は秀頼の外祖父にもなれない事になる。
そのうえ、家康は内大臣になっているがこれも秀次事件の後。
その前は大納言(だったかな?)にすぎず、関白の秀次とは格が違う。
大体、家康と秀次が対立したら徳川が明確に豊臣に謀反した形になるから味方なんかいない。
秀頼を抱きこもうにもこの流れだと接点がない。
これで徳川が秀次を操れるとは到底思えない。
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