>>207
九月まで武田が織田のために外交してる
で十月の岩村の織田による制圧
同じく十月に遠江に武田の侵入
で、再び岩村が三河の勢力とともに「属味方」と武田が報じている
取り詰めでは無く「属味方」

それまでは上杉寄りの三木とも仲良く、織田と入魂になったのも良いことと武田が評価して、両属ともどっちつかずとも言える外交姿勢だった遠山
それを落とすまでは織田武田両家の外交関係に亀裂はない
武田が離反を問題視してる書状が小里にはあるのに、遠山には無い
明確に織田となった遠山を寝返らせた武田
さらに徳川領の侵攻
だから外交問題になって織田が義絶するんだよ