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関ヶ原合戦の真実 Part3 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2016/05/27(金) 20:16:23.30ID:npq8C3Hk
1600年9月15日関ヶ原で徳川家康らの東軍が石田三成らの西軍を破った戦い。
豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。
この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。

前スレ
関ヶ原合戦の真実
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1430516022/
関ヶ原合戦の真実 Part2
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1453807317/
0103人間七七四年2016/06/14(火) 20:58:12.53ID:M8B5oBeJ
>>101
そう言えば平清盛も帝の落としだねやったな
0104人間七七四年2016/06/14(火) 21:25:16.73ID:7Aj6rSIp
>>102
皇族じゃないから問題ない
>>103のいうように、皇族という概念はないから
清盛でわざわざ「王家」という言葉を使ったのは
そういう概念がないから
天皇「家」は、天皇と皇太子以外はあまり価値の無い人間たちの集合
だから清盛が悪逆でもかまわない

雄略天皇みたいに天皇になった本人がDQNなのがまずいだけ
いや、でも後白河天皇みたいなのも有りだから問題ない
0105人間七七四年2016/06/14(火) 21:27:59.59ID:dzuNT2ui
>>104
おまえまともに歴史の勉強したことないだろ
0106人間七七四年2016/06/14(火) 22:12:54.45ID:ZKPHKVmZ
>>104
皇族の概念が無いなら源氏も平氏も存在しないだろうが
ついでに、平清盛に関しても秀吉よりはマシなだけで、与太話扱いだろ


ともあれ、そんな歴史ヲタの心配じゃなく、
あんなのを天皇の息子なんて言ったら、半島系右翼とか、絶滅系右翼とかが騒ぎ立てるって話だ
0107人間七七四年2016/06/15(水) 00:22:38.03ID:Woyn85Pv
>>106
源平は臣下であって、皇族ではない
0108人間七七四年2016/06/15(水) 00:24:55.38ID:Woyn85Pv
清盛の場合は、本当に平氏の子孫なのかということも、疑問視されてるしな
源平の武士で田舎に行って100年もたつと誰が誰だかわからなくなり
詐称もしたい放題になるという
0109人間七七四年2016/06/15(水) 00:45:07.53ID:0Q9E5mRm
>>108
アホか
0110人間七七四年2016/06/15(水) 02:54:41.30ID:Woyn85Pv
なんか予想外の反応。
伊勢平氏の系図の怪しさは「平家の群像」で安田元久にも指摘されてるが。
清盛の祖父とその上のつながりが怪しいらしい。
京都に戻ってきても怪しいからって、死体置き場の隣の六波羅にしか
居住地をおけなかった平清盛の祖父。
0111人間七七四年2016/06/15(水) 08:26:21.17ID:FHpEJYOd
>>107
ホームラン級のバカだな
皇族の概念があるから、親王の子孫を臣籍に降したんだろ
0112人間七七四年2016/06/15(水) 08:39:09.27ID:BF+ZmETL
>>100
本当の最下層出身だと武家で大勢する上で最低限の知識にもことかくだろうからねえ。
信長が上洛した際に京の政務を他の重臣と共同で任されるぐらいだし
その頃には既にそれなりの知識・教養は身につけていただろうからねえ。
0113人間七七四年2016/06/15(水) 14:30:55.55ID:Woyn85Pv
>>111
おまえが馬鹿だよ
無知すぎるし

>>112
清盛の頃は武家は警備員みたいなものだから
知識とかいらない
0114人間七七四年2016/06/15(水) 14:35:16.08ID:Woyn85Pv
天皇の血筋の卑しい妻とかに産ませた息子や孫と余ったのを親王宣下せず、
源平にして臣下にしただけで、その間には皇族という概念はない
そもそも「皇族」なんて概念ができたのは明治以降

だから天皇と皇太子以外の「天皇の子孫」は、藤原公家よりも宮中席次が低い
明治より前は
0115人間七七四年2016/06/15(水) 15:35:55.76ID:FHpEJYOd
>>113
ホームラン級じゃなく場外ホームラン級のバカだな
連枝だからといって役職が上なんて、いつの世でも無いわ、カス
0116人間七七四年2016/06/15(水) 18:35:09.79ID:Woyn85Pv
戦国オタとかネトウヨにありがちな誤解

「皇族は藤原貴族より上」
0117人間七七四年2016/06/15(水) 18:37:02.05ID:Woyn85Pv
>>115
あれれ、無知がばれたからって話そらしかよ
まあ、知的障害っぽいので放置だね、君
0118人間七七四年2016/06/15(水) 19:10:27.19ID:0Q9E5mRm
>>117
いやお前の馬鹿さかげんにみんな呆れているだけだから
0119人間七七四年2016/06/15(水) 19:19:19.99ID:zjbILIkJ
単語がない=概念もない

武田駿河スレにいた補給線くん?
0120人間七七四年2016/06/15(水) 22:20:33.65ID:4rmJ1/Gz
いい加減、関ヶ原の話しろよ
どっちも荒らしだアホ
0121人間七七四年2016/06/16(木) 00:13:55.11ID:4oFSbpDx
「みんな」w
0122人間七七四年2016/06/16(木) 09:08:20.48ID:YwsdPXWp
主語を勝手に大きくする奴はアホ
0123人間七七四年2016/06/16(木) 09:32:42.69ID:owSKgU79
蜂須賀は史料もあるのに、三成襲撃の七将から良く名前が外されるな
関ヶ原でもいまいち影が薄いし
0124人間七七四年2016/06/16(木) 14:32:26.40ID:vjNOr/JF
関ヶ原はしょうがないだろ
0125人間七七四年2016/06/16(木) 14:55:17.36ID:9lMkQFNt
蜂須賀は山賊の親玉イメージを大事にしてほしかった
二代三代とどんどん影が薄くなっている
それでも子孫は明治天皇相手に泥棒やらかしたし血は争えないというべきか
0126人間七七四年2016/06/16(木) 15:07:08.09ID:w72sm8Ic
蜂須賀茂韶の事を言ってるのなら彼の父は徳川から養子入りしたから蜂須賀の血は一滴も入っておらず
むしろ明治天皇の方に蜂須賀の血が入ってるそうな
0127人間七七四年2016/06/16(木) 16:43:21.40ID:9lMkQFNt
そうなんか
濡れ衣着せてすまんかったなハッチ―
0128人間七七四年2016/06/16(木) 17:49:16.95ID:tgPUMQtj
そもそも、蜂須賀はれっきとした国衆で山賊崩れじゃないとかいう話なかったっけ
0129人間七七四年2016/06/16(木) 20:59:54.61ID:kDJ+FdMB
>>87
> 仮想敵の伊達の旧領で一から領国経営始めなきゃいけなかったし

「蒲生・上杉は伊達の押さえ」と一般的にいうけど、
上杉景勝自身は伊達政宗とは仲は悪くない
惣無事令までは、むしろ協力関係にあった

政宗にとっては
「敵(最上)の敵(上杉傘下の大宝寺氏・本庄氏)は味方」
だったし、景勝にとっても
「敵(新発田重家)の味方(最上義光)の敵(伊達政宗)は味方」
という関係だった


  上 <−−−叛乱−−−新発田重家 <==支援== 最
  杉                                   上
  景                                   義
  勝 ==支援==>大宝寺氏・本庄氏 <−−侵略−− 光
                    | |               /| |
                    | |              / | |          
                    友   __敵対__/   友  大  相
                    好  /             好  崎  馬
                    | | /              | |   | |  | |
                    | |/               | |   | |  | |
                  伊達政宗<−敵対−>佐竹・岩城・石川・二階堂・蘆名連合 
0130人間七七四年2016/06/16(木) 21:08:37.35ID:kDJ+FdMB
>>123
その七将襲撃事件に加わった蜂須賀家政は、仮病を使って
家康の上杉征伐に帯同せず、むしろ西軍に潜り込もうとして、
「親徳川派だ」と村八分にされ高野山へ追放されている
関が原の戦いに参加した息子の至鎮としては、西と東、どっちが
優勢かが明らかになるまで目立つわけにはいかんだろ
0131人間七七四年2016/06/16(木) 21:15:57.23ID:79pQ/t5c
>>127
まあ、明治大帝ですらお間違え遊ばしたからな。

て、わざとだろー、てめー
0132人間七七四年2016/06/17(金) 06:09:02.87ID:WAiRaMNX
>>129
会津移封以前ならそうだろうけどね
伊達からしてみれば先祖伝来の伊達・米沢を領してる奴は誰だろうと邪魔ものだろうし
上杉にしたって同様に越後に新しく入った掘にさんざん嫌がらせしまくったし
0133人間七七四年2016/06/18(土) 16:16:28.40ID:yEyCqXq2
小判を自慢していたら「汚らわしい」と意味不明なイチャモンをつけられたり
廊下ですれ違っても挨拶しない、注意したら「戦場で後ろ姿しか見たことないからわからなかった」とか子供の言い訳を返されたり
政宗も直江兼続のことは絶対嫌ってそう
0134人間七七四年2016/06/21(火) 14:38:48.21ID:z8dkf7XE
伊達ってのは究極の日和見主義者ってか
0135人間七七四年2016/06/21(火) 16:26:35.45ID:KdoiE9mG
無能対日和見の闘いだったんだな
0136人間七七四年2016/06/22(水) 08:09:45.79ID:RnsDGDE+
兼続が煽動した一揆勢も早々に鎮圧されているし、無能ではないにしろ言われている程有能かは怪しいな
0137人間七七四年2016/06/22(水) 09:24:52.98ID:XI08o9OK
こういう基本的な知識でまちがう人物が歴史記事書くとかおそろしいね。

>氏政は(中略)元亀3(1573)年に勃発した三方ヶ原の戦いにおいては織田・徳川連合軍に勝利するという、輝かしい武功もあるほどの人物であった。

http://news.aol.jp/2016/06/21/sanadamaru/
0138人間七七四年2016/06/26(日) 12:24:13.85ID:mZqZUoHZ
あなた、お酒やめますか?

それとも人間やめますか?

  (´∀`)9 ビシッ!


  関ヶ原の小早川秀秋、肝疾患で「寝返り」遅れ?
  http://www.yomiuri.co.jp/science/20160625-OYT1T50018.html
 
0139人間七七四年2016/06/27(月) 23:10:06.44ID:Vfs6Ra9a
>>138
肝疾患だの鬱病だの秀秋も色々大変だな
0140人間七七四年2016/06/28(火) 07:50:15.02ID:PVW0Y3Tq
今だと西軍は家康の策で関ヶ原に誘い出されたんじゃなくて、
秀秋を伐つ為に出陣したのを東軍に気付かれて決戦になったって事なんだっけ?
0141人間七七四年2016/06/28(火) 08:47:16.93ID:B8g3gQ5R
西軍は関ヶ原本戦も含めて、「敵が連携して戦う」という事を理解してないフシがある
0142人間七七四年2016/06/28(火) 09:18:24.85ID:c+1juEHI
そもそも小早川は関ヶ原当日の最初から裏切ってたって白峰様がいっておる
0143人間七七四年2016/06/28(火) 15:49:19.15ID:tsliyFnQ
白峰様って嫌みか、矢部や白峰、渡邊あたりは扱いが微妙だろ
0144人間七七四年2016/06/28(火) 16:34:33.33ID:ZXS1efn+
嫌みだろ
0145人間七七四年2016/06/29(水) 18:33:48.71ID:BiQaoSCm
笠谷あたりは小山評定フィクション説を否定しているな
まあ笠谷も二重公儀制にこだわり過ぎてると思うけど
0146人間七七四年2016/06/30(木) 19:55:38.60ID:vojRHde7
>>145
笠谷は何を根拠に小山評定虚構説を否定しているの?
0147人間七七四年2016/07/04(月) 23:29:16.09ID:zW1FFZ1t
>>146
浅野幸長の書状で七月二十五日前後に小山に
武将達が集まっていることが確認できる
七月二十九日の家康のすでに西上している武将達への
書状の中の「重て」の文字からそれ以前に戦略会議が
あったことが確認できる
例えば掛川城は山内一豊から松平康重に浜松城は堀尾忠氏から
保科正光に岡崎城は田中吉政から松平忠頼になど
七月末から東海道筋の豊臣系武将の持ち城が明け渡され
徳川家の武将が代わりに配属されていること
武功のなかった山内一豊が戦後土佐一国の国持ち大名になったこと
根拠に上げてたのはこのあたりだったかな
0148人間七七四年2016/07/05(火) 22:37:10.26ID:FeomaEEG
>>147
当たり前みたいな事しか書いてないけど、
白峰達小山評定は無かった派は
こう言った意見にどう反論してるの
0149人間七七四年2016/07/06(水) 00:15:19.47ID:mpKRx0gd
>>148
自分で浅野幸長の書状をよんでみな
まったくはっきりしない文面だから
0150人間七七四年2016/07/06(水) 01:30:28.70ID:isKXWEFJ
また白峰厨に釣られてるの
0151人間七七四年2016/07/06(水) 06:26:30.11ID:2QfhkKKc
白峰は関ヶ原以外の研究結果はないのか
0152人間七七四年2016/07/06(水) 07:37:45.65ID:Q3uwf0OB
>>141
西軍が連携して戦えないだけで、東軍は普通じゃね?
鶴翼って包囲するもんだろ?
右翼だっけ?片側は弁当食って遊んでたんだろ?
0153人間七七四年2016/07/06(水) 08:26:18.22ID:5+PduBLo
白峰は擬古派
0154人間七七四年2016/07/06(水) 09:08:37.76ID:zmyCV8QC
>>152
「鶴翼の陣」も後世のつくり話だぞ
0155人間七七四年2016/07/06(水) 10:05:18.05ID:a7NNEr5a
よく出る布陣図自体が想像の産物
わかってるのは三成、小早川、家康、毛利関係の本陣ぐらいであとは絵巻物の鵜呑み
0156人間七七四年2016/07/06(水) 10:39:43.44ID:zmyCV8QC
>>155
家康本陣の場所もおそらく間違い
0157人間七七四年2016/07/06(水) 10:43:47.57ID:isKXWEFJ
初期軍記類とも矛盾してるから見直しは必要やね
0158人間七七四年2016/07/06(水) 11:26:01.34ID:5+PduBLo
参謀本部のは行軍順を戦闘配置と勘違いしたから
0159人間七七四年2016/07/06(水) 16:43:32.68ID:55wXx5Qx
信長公記を書いた太田牛一が、
関ヶ原合戦のことを書いているぞ。
「関ヶ原御合戦双紙」
ただ、この資料は、あまり使われていないので、
内容が何か怪しいらしい。

『笹尾山陣地では、敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、
天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、
しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う』

という文面をよく見かけるけれど、日中も暗夜となり、という表現が誇大ではないか。
0160人間七七四年2016/07/06(水) 17:34:32.90ID:5+PduBLo
当時は黒色火薬だから発射煙が殆ど煙幕と化す

後、太田牛一のは刊本されていないので使い難い
一部引用はされているけど
0161人間七七四年2016/07/07(木) 18:51:54.67ID:5wBRlol4
もしかしたら同じ疑問が何度もあったかもしれないけどちょっと気になったから質問
関ヶ原の首謀者が実は三成じゃなくて飾りの総大将とされた輝元か他大名で
三成はスケープゴートとして首謀者の責を押し付けられて処刑されたって可能性はあるの?

実際三成が首謀者とするには不自然な点もいくつかあって
0162人間七七四年2016/07/07(木) 18:58:29.36ID:3Z6jNwbu
>>161
>不自然な点
是非、発表を
説としては辟易する程聞いたし
そのくせ、そういう小説もみない
史実は別にしてでも、論理的な仮説を是非
0163人間七七四年2016/07/07(木) 19:28:44.54ID:w0Q7Terw
関が原の合戦に勝利した家康が、直後に伊達政宗に宛てた書状では、西軍について『宇喜多秀家、島津義弘、小西行長、石田三成』の順で
言っている。少なくともこの段階では家康は、三成は西軍の中心メンバーの一人ではあるがリーダーとは考えていない、と言える。
0164人間七七四年2016/07/07(木) 20:05:33.75ID:4jVWPfce
ただの官位順やろ
0165人間七七四年2016/07/07(木) 20:25:11.01ID:/TZdjyQZ
関ヶ原だけでみても三成と毛利は最低でも同格だから主導権争いは起きる
0166人間七七四年2016/07/07(木) 20:52:20.14ID:AHUtaUJ7
当時の日記には「徳川勢と宇喜多勢が関ヶ原で戦った」と書かれていたような
0167人間七七四年2016/07/07(木) 21:16:04.76ID:dit28NAO
この手の話って漫画やドラマに出てくる「首謀者」をイメージしてる気がする
0168人間七七四年2016/07/07(木) 21:25:24.19ID:o1Adejuq
関ヶ原直後、処刑されたのは三成、行長、恵瓊の三人だけど
吉継が戦場で自刃せず捕らえられたり、または秀家が逃亡に
失敗してすぐに捕らえられてたリしたら、処刑されていたのかな?
0169人間七七四年2016/07/07(木) 21:48:56.97ID:8Fz8RNw1
そんな仮定自体が成り立たない。

合戦の現場で大名が討ち死にするのはもともと数少ないので、
捕らえられたりだの処刑だの、そんな状況はなりにくい。
0170人間七七四年2016/07/07(木) 22:22:54.50ID:5wBRlol4
>>164
その官位順を考えれば秀家が関ヶ原本隊で一番高い立場にいるのも
輝元が総大将になる流れも当たり前なんだよね

吉継が「三成は嫌われ者だから他に総大将を立てろ」なんて逸話もあるけど明らかに後世の作り話
普通に考えてわざわざ当たり前のことを指摘する必要はない
0171人間七七四年2016/07/07(木) 22:31:41.42ID:5wBRlol4
五奉行で19万石程度の三成が五家老で255万石の家康に戦いを挑む流れ自体がおかしいってのは今更聞くまでもないか

でも実際、世間一般のイメージである「豊臣家を護るために発起した三成」という構図を認めるには明らかに三成の行動は豊臣家のためになっていないのよ
・豊臣家臣はほとんどが東軍に味方している。西軍武将のほとんどは豊臣譜代ではなく元々独立していた外様大名
・こんな状態では仮に西軍が勝ったとて大半の豊臣家臣を処罰し豊臣が弱体化する一方で元独立大名ばかりが力をつけてしまう
・そもそも家康が遺言を破って大名同士の婚姻をしたというけど、秀吉から豊臣の全権を任された家康に背いたこと自体が遺言違反
 関ヶ原の戦いのせいで豊臣家臣が分裂する事態になったことも考えると、西軍の発起は秀吉が望んだ行動と言えるのだろうか

結局関ヶ原で西軍が勝って一番得するのも地方大名だしな
0172人間七七四年2016/07/07(木) 22:34:09.04ID:5wBRlol4
まあ本能寺の変で一番得したのが秀吉だから黒幕は秀吉だ!って言い出すレベルの陰謀論だってのもわかってる
0173人間七七四年2016/07/07(木) 22:41:55.77ID:5wBRlol4
寝る前に最後妄想染みた仮説を貼るけど、
関ヶ原の戦いは豊臣家の天下統一システムをそのまま引き継ごうとした家康に対し
天下統一というシステム自体に反発した勢力が三成のような豊臣での居場所を失った武将を利用して
豊臣・家康に対して反旗を示した戦いなのではって感じもするんだ
0174人間七七四年2016/07/07(木) 22:57:47.65ID:3Z6jNwbu
>>171
まさかと思うが
三成様は、豊家の恩に報いる為に命を懸ける義のお方
そんなお方が豊家の為にならないことなんてするわけがない
って思い込みが論拠じゃないだろうな
0175人間七七四年2016/07/07(木) 23:04:07.29ID:5wBRlol4
>>174
いや、そういうわけじゃない
似たようなスレを前にも見かけたが、
そこじゃ単に三成信者が三成を擁護するだけで荒れてたからここで持論を唱えただけ

そもそも三成が豊家の恩に報いる義のお方って評価自体三成が西軍の発起人であり首謀者であるって見解が前提だろ?
0176人間七七四年2016/07/07(木) 23:06:29.91ID:7m3BWFLR
西軍の挙兵を義挙と見るから問題なのであって三成は政治的な死亡状態からの回復を目論み
毛利は戦乱による勢力拡大を当て込んで計画に同調したと見れば別に問題ないと思うけど
その為の大義名分が秀頼様の為ということで
0177人間七七四年2016/07/07(木) 23:12:34.45ID:ylpxpWW5
>>171
江戸時代でも少禄の譜代が大大名を統制していたわけですが?
0178人間七七四年2016/07/07(木) 23:15:27.22ID:w0Q7Terw
>>177
アホか。江戸幕府の老中がその老中個人の権威や組織で統制していたわけじゃない。
0179人間七七四年2016/07/07(木) 23:31:18.65ID:i84TrX+d
>>178
だから三成も豊臣を立てて豊臣を利用したわけだろ
0180人間七七四年2016/07/07(木) 23:41:44.38ID:2EluL/S8
石田・小西・大谷・宇喜田・増田は明に大都督の官位を要求して受領している
関白を粛清することは文禄の途中で秀頼が生まれたことから決まっていたも同然だから
明の権威で日本国王と大都督の地位もって諸大名を押さえ込む算段だった

日本国王は秀吉が怒って破談になったが上の5人は大都督は受領したままにしていたから
日本大都督たちが家康と戦うことにして自分たちの行動を正当化する気だった
0181人間七七四年2016/07/07(木) 23:54:23.87ID:w0Q7Terw
>>180
三成たちが明と連携したって証拠がないとただの妄想だぞ
0182人間七七四年2016/07/08(金) 07:39:01.30ID:C9XaJWcd
>>176
義挙なり保身なりもちろん三成に反家康感情はあっただろうが、
だから三成が首魁となったというよりそこを利用された気がする
あいつは豊臣を乗っ取ろうとしてるぞ、みたいに

そうでなくても三成は東軍に反発して西軍に属したっていうのは発起人首謀者云々とは別問題じゃない?
0183人間七七四年2016/07/08(金) 07:47:04.28ID:C9XaJWcd
肝心なのは東西に所属した大名からして西軍が勝っても豊臣にメリットがないことなんだよな

特に西側で圧倒的に力が強い毛利を味方につけても後で家康と同じことしないって保証がどこにあるのか
毛利が東軍に付こうが西軍に付こうが豊臣にはデメリットしかないのは当時の情勢を省みても明らかだし
三成がそのことわからないほど阿呆なら誰も豊臣を守るって名目信じんし味方せんよ

まあ三成が最初に挙兵を思い付き、無意味にも毛利を抱き込もうとしたためにそこで輝元が三成の利用を目論んだかもしれないが
これだと三成が非常識なレベルで馬鹿よ?
0184人間七七四年2016/07/08(金) 07:54:47.07ID:5oKif10y
>>183
西軍が勝ったとして、毛利が徳川の代わりになるってのが、とんでもない間違い
西軍が勝つとしたら、間違いなく、毛利、宇喜多、上杉の対立が起こる

毛利は、それを理解して主力を引っ張ってきた上で温存した可能性だって疑う気になりゃ疑える
0185人間七七四年2016/07/08(金) 08:32:49.50ID:4dH1lyn9
>>182
三成の実兄の石田正澄が近江の愛知川に関を設けて上杉征伐に参加する諸将を留めたのが7月12日だけど
それが三成以外の首謀者の指示によるものだとする根拠とかあるの?
0186人間七七四年2016/07/08(金) 09:12:32.85ID:C9XaJWcd
>>184
どの道豊臣ボロボロじゃないですか

>>185
それは首謀者じゃなくて協力者の範疇でもよくない?
そら三成以外が首謀者って証拠はないけど数々の不自然な点を考慮しても
三成がただ利用されたわけじゃなく計画者首謀者だという絶対的な証拠はあるのか?
0187人間七七四年2016/07/08(金) 09:45:20.18ID:4dH1lyn9
>>186
通説の時系列だと
三成が重家従軍のために訪れた大谷吉継に七月の初めに決意を打ち明けて
再度佐和山城に参集した安国寺らと11日に謀議して12日に正澄を愛知川に派遣
安国寺は輝元に総大将就任要請して輝元は17日に大坂入城
三奉行は同じく17日付けで内府違ひの条々を連名で出しているという流れだけど
三成以外に首謀者がいるというならこの流れ以前に
西軍決起の動きがどこかで窺えるのか教えて欲しいというだけの話だけど
0188人間七七四年2016/07/08(金) 10:01:30.71ID:D3g97XD5
>>186
結局、恩義に厚い家康を頼り、家康にすべてを託すのが最善だったということになる
実際、秀吉はそうして死んでいった
0189人間七七四年2016/07/08(金) 10:19:32.68ID:4dH1lyn9
>>186
絶対的な証拠といえるかどうかは分からないけど
佐和山城での会議に参加した増田長盛が家康にも会議の内容を密告していて
その報告だと首謀者は三成ということになってるんじゃなかったっけ
0190人間七七四年2016/07/08(金) 11:50:08.47ID:5oKif10y
>>188
各大名家は、豊臣の奴隷じゃないだろ
現在の派遣労働者程、脆弱な存在なわけ無いと思うんだが。
徳川を中心としてまとまってしまったら、破産必至の連中が一か八かで仕掛けたと取る方が、
義のトリオ、テルヒデカゲより自然だろ
0191人間七七四年2016/07/08(金) 12:01:49.78ID:zoQfGi4o
>>183
馬鹿というより、家康を排除して復権するためには他に方法がなかっただけだろ
0192人間七七四年2016/07/08(金) 12:10:14.17ID:C9XaJWcd
>>187 >>189
とりあえず一般的に三成が計画者とされているのは、明確な記録の上で最初に行動したのが三成だからって考えりゃいいのかね?
まあ確かにそれだと物的証拠は存在するわけで、逆に俺がいくら不自然を指摘しようが状況証拠でしかないからなあ


>>188
実際豊臣への忠義を唱えるなら他家老などの力を強めて家康の独裁を防ぐだけでいいし、
遺言に背いて家康を引きずり下ろす必要ないよな
少なくとも三成は色々と思慮が浅すぎる
0193人間七七四年2016/07/08(金) 12:23:21.35ID:C9XaJWcd
もしくは逆に三成が首謀者だけど豊臣への忠義は欠片もなく自信の地位を取り返すことしか頭になかった
そのためには上杉宇喜多毛利が力をつけて豊臣が弱体化しようが構わなかったって線も考えられるかな
0194人間七七四年2016/07/08(金) 13:46:40.76ID:5oKif10y
>>193
なんで、そうなる?
ドングリ状態の有力5大名の調停者として傀儡秀頼が活躍する余地が出来ると思うんだが?
幼君秀頼を支える奉行衆、その筆頭石田三成なんてことになったら、
徳川、前田を除く大老、奉行、豊臣みなwinwinじゃないか

正義の味方ジブ様ぁからいい加減離れろよ
0195人間七七四年2016/07/08(金) 14:43:50.60ID:W0E1y8Pw
盛り上がってるのう、そうでなくちゃ
0196人間七七四年2016/07/08(金) 16:17:08.99ID:eVs+Krws
>>193で正義の味方になるんか?
0197人間七七四年2016/07/08(金) 17:05:13.64ID:aOa++CsB
>>196
水戸光圀が「アレは忠義の挙兵だ」って言ったから
0198人間七七四年2016/07/08(金) 17:29:37.22ID:95IqfIee
>>194
うーん、俺はただ和気あいあいと色んな意見を交わして議論したいだけだからあまり煽るような発言したくないんだが、
>>193を見て三成マンセーに見えるようならガチで読解力を疑うからお前の書き込みスルーしていいか?

あと一応反論するなら、いくら秀頼を持ち上げようが外部大名じゃなくてちゃんとした豊臣譜代の有力家臣を用意しないとまた同じことの繰り返しなんだぞ
0199人間七七四年2016/07/08(金) 17:38:00.80ID:F5rsKdHq
ま、>194はオレサマの主張への異論反論は一切認めないタイプだな。
0200人間七七四年2016/07/08(金) 17:47:48.09ID:4dH1lyn9
>>193
秀吉在世中の経験から毛利宇喜多上杉(前田もか)相手なら自分が操縦できると確信していた
自分が豊臣政権を運営するのが一番良くてそれこそが忠義だと確信していたといったところじゃない
三成は家康の下した蟄居処分を何とかしないと身動き取れないわけだから
家康に許されるまで大人しくしているか家康の処分なんて無効だと反旗を翻すかの二択で
前者は自分に同情的な上杉が滅びるか無力化され家康の突出状態が更に酷くなるから取れない
となると反旗を翻すしかないからその後の見通しとか自己評価がつい甘くなってしまうのは
しょうがない
0201人間七七四年2016/07/08(金) 18:19:32.38ID:iufuCxtK
あれだ、
日本が太平洋戦争に突入する際に、「これより後では勝ち目がない」という名目で戦争始めたが、
実際ははるか以前に勝ち目なんてとっくに無かったのと同じ話
0202人間七七四年2016/07/08(金) 20:47:09.60ID:oAyzuEul
三成がさっさと負けたからすぐ収束したけれど、応仁の乱や南北朝みたいに長引く可能性を考えると、
豊臣政権の弱体化は既定路線ではないかな?
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