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石田三成は豊臣家の忠臣なのか? [無断転載禁止]©5ch.net

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0001名はまだ無い2016/04/02(土) 14:18:15.39ID:j/rCT2We
豊臣家の家臣にして五奉行のひとり、石田三成。彼は本当に豊臣を守護しようと立ち上がったのか?

石田三成は豊臣の忠臣なのか?
ただ秀頼を守るために立ち上がったのか?

語り合いましょう!
0459人間七七四年2016/05/25(水) 00:09:09.20ID:bP9a7qV9
>>456
というか、三成がベタな悪人な小説を見た記憶が無いんだが何か有る?
0460人間七七四年2016/05/25(水) 01:48:30.89ID:XH1zWF8K
腐れ官僚呼ばわりされても仕方ない程度には後ろ暗い所もあると思うんだけどね。
東西どっちもダーティーじゃ物語として面白くないってのもあるんだろうけど。
0461人間七七四年2016/05/25(水) 12:00:12.58ID:/OdjLdQz
ドラマでの豊臣の事を考えるばかり融通が利かなく暴走して滅ぶ忠臣って、物語としては上手い事考えるなとは思う
まあそう二次解釈されるという事は、それなりに魅力があったって事じゃないかね
当時の覆いきれない漏れでる様な評判の悪さと同様にな
0462人間七七四年2016/05/25(水) 16:10:31.34ID:plP3gCkF
正則とか輝元とか秀秋の方がベタにsageられてる印象あるわ
0463人間七七四年2016/05/25(水) 17:46:55.61ID:/MTioxby
今更なんだが、三成が忠臣扱いされ始めたのは何時ぐらいからなの?
0464人間七七四年2016/05/25(水) 18:33:32.09ID:muHWKqIc
>>463

水戸光圀の大日本史での擁護あたりからじゃね?
0465人間七七四年2016/05/25(水) 18:36:16.41ID:2u4+cd8N
>>458
そのタイプにあてはまるのは、
奸臣じゃなくて佞臣だろ
0466人間七七四年2016/05/25(水) 21:06:06.51ID:M8s+sN+1
>>459
遠藤周作の「宿敵」の三成は自分の野望の為に動く人物だった
とはいえほぼ空気(舞台装置)だし取り立てて悪人というほどでもない
0467人間七七四年2016/05/26(木) 08:47:56.90ID:H3bT8wEv
佞臣というかイヤミな官僚属性は長束、増田、玄以の方が濃くされてるかな
0468人間七七四年2016/05/26(木) 23:00:06.34ID:Z/lTclWc
>>467
長束は伏見城攻めで「イヤミな官僚」を地でやってるし、増田と玄以は東軍の内通者だったりするので…
0469人間七七四年2016/05/26(木) 23:23:04.43ID:TB7HsOyG
真田丸の片桐且元は奉行衆レベルの無能脚色で気の毒だな
大坂の陣でこいつが無能だから戦争になった、こいつが悪いにされるんだろうな
0470人間七七四年2016/05/27(金) 01:12:59.64ID:JRCDjA+q
三成は、大谷吉継が親友って時点で覆しようのない「そんなに悪い奴じゃない」フラグが立っちゃってるから得だよな
0471人間七七四年2016/05/27(金) 01:26:24.81ID:L9v+iaFY
大谷が出来ていただけのような…
0472人間七七四年2016/05/27(金) 01:52:50.43ID:pqqQ/XdY
「秀吉の親族が裏切った」って実に三成本位な見方だと思う
豊臣のためなら家康にしろ正則にしろ秀秋にしろそいつらを尊重しながら将来は秀頼が天下人の座に収まるように動くのが筋
0473人間七七四年2016/05/27(金) 18:24:49.34ID:hpUR1qeC
大谷はいわゆる武断派どころか家康とも関係悪くなかったようだが
あの人も何者なんだ
0474人間七七四年2016/05/27(金) 19:27:31.32ID:U+2rbT7J
でも三成が大谷と親友って根拠ないんだろ?
0475人間七七四年2016/05/27(金) 20:05:34.59ID:4hAEEJ5Y
「あいつらホモじゃね?」みたいな記録も残ってるから
仲が良かったのは確か
0476人間七七四年2016/05/27(金) 20:08:00.49ID:OGq8sHcq
そんな きろくは ない
0477人間七七四年2016/05/27(金) 23:04:58.50ID:URnVgIWM
あれは江戸時代の記録、しかも軍記だし。

石田三成の高評価も総じて江戸時代の信憑性が疑わしい軍記だよな。
0478人間七七四年2016/05/28(土) 11:31:24.17ID:0CtCoXDM
>>477
「あの大権現様と天下分け目の合戦をやったのだから優秀だったに違いない」的な発想だわな
0479人間七七四年2016/05/28(土) 11:43:40.49ID:ERXGFhL4
石田三成があんなに嫌われたのは何故かねえ。
0480人間七七四年2016/05/28(土) 11:45:16.38ID:tL0A0Xm8
朝鮮で苦労している間に秀次事件で加増なのだからヘイトは買う
同じ理由で増田長盛も嫌われた
福島正則は上手いこと立ちまわった
0481人間七七四年2016/05/28(土) 11:51:53.91ID:0CtCoXDM
あと三成は身内優遇がかなり露骨。あんなの自分から反発しにこいと言っているようなもの
0482人間七七四年2016/05/28(土) 12:07:48.96ID:4qOrK1wP
>>479
讒言すると、三成に加増される形だから。
秀次が死んだ時も、三成に10万石、三成の父に3万石、兄に3万石与えられた。
自分だけだと批難がすごいというので父兄に分散させるのが嫌らしい
0483人間七七四年2016/05/28(土) 12:15:31.97ID:5i6syqu4
近習から主君に気に入られて出世した人間は主君を除けばろくな味方がいないから
同輩を引き立てて派閥を作ろうとするのは理解はできるんだよな
三成の妻は尾藤知宣の姪だから彼が失脚しなければあそこまで嫌われなかったのかも
0484人間七七四年2016/05/28(土) 13:06:46.38ID:6l9YCECq
>>475
その元ネタでは「知音(ツーカーの仲)」って表現だし
別にホモダチではなく「風雲児たち」で描かれたように
ハリセンでツッコミする大谷&ツッコミにありがとうございます!と感謝するボケ三成の
漫才コンビであった可能性が
0485人間七七四年2016/05/28(土) 14:03:37.53ID:RtaaP7/T
七将襲撃の時、逃げ惑わないで七対一で問答して丸め込めんで口だけで追い払えたら格好良かったんだが

頭は良くても、 言いくるめとかはそんなに上手くないんだろうな
0486人間七七四年2016/05/28(土) 15:20:55.48ID:xQOmXVtH
>>485
近江の茶坊主崩れだっけ?
そんなのに言いくるめられるくらいバカじゃ大名にはなれんだろ
0487人間七七四年2016/05/28(土) 15:32:34.83ID:LSndXQ0x
>>486
三成ってホントに茶坊主として仕えたのかな
0488人間七七四年2016/05/28(土) 18:43:29.26ID:xQOmXVtH
>>487
ごめんなさい、伝承に乗りました

実態は単なる小僧じゃなかったか?
で、何がしかの理由で士官して、話を盛る中で茶坊主の逸話が出来たんだろ
0489人間七七四年2016/05/29(日) 10:30:18.11ID:wgx26QR+
茶坊主なんかしてないだろ
馬廻の近習たちは、秘書・護衛・伝令・官僚・寄騎など複数の役割を受け持った
存在で、奉行になってからの印象だけで決めつけちゃいかん
奉行派の三成や増田長盛は、若い頃は槍働きもしたし、部隊指揮官も務めた
武断派の清正や正則たちも、紀州・四国・九州征伐前半までは、前線の武将
というより主に豊臣政権の官僚として働いている
0490人間七七四年2016/05/29(日) 12:39:53.46ID:gd77GhGF
>>483
事実かはさておき秀吉は三成以上に新参者で嫌われてたけど人たらしで成り上がったってことで有名だからな
三成が利の人だったから対立するかもっと利のある家康に付くかでマトモな味方が少なかったのだと思うね
0491人間七七四年2016/05/29(日) 13:28:54.98ID:Ih5S/2AZ
>>488
単なる小僧でもない

地侍の子弟として教養を身に付けるため、
寺院に通って教育を受けていたという、
当時の若年士分が普通に行っていたことをしていただけかと
0492人間七七四年2016/05/29(日) 14:06:48.10ID:TK7KZVCI
まあ、尾張の農民兄弟が天下人とその有能補佐になってて
その部下なんだから出自が茶坊主でも全然問題無い
0493人間七七四年2016/05/29(日) 14:14:01.04ID:A+9TTbJJ
でも元服後に仕えたのか元服前に仕えたのかは気になる
0494人間七七四年2016/05/29(日) 23:32:31.57ID:kDf6qRS1
>>6
ワロタ
0495人間七七四年2016/05/30(月) 07:05:11.87ID:hdVRj0IM
>>493
何故気になる?
0496人間七七四年2016/05/30(月) 12:55:08.98ID:A8DQq95T
>>495
仕えたのが元服後だったら子飼いと呼ぶのは間違ってたことになるからな
0497人間七七四年2016/05/30(月) 13:18:20.05ID:sudBDlEX
石田三成って秀次事件で佐和山を与えられるまで、知行ってどれくらいなんだろ?
0498人間七七四年2016/05/30(月) 21:01:16.80ID:D3YzmDKc
>>496
子飼いの定義とは関係ないぞ
秀吉に仕える前に実績があったわけじゃないから
0499人間七七四年2016/05/31(火) 01:03:27.90ID:kgEXNmvq
小説家の仕事てのは魅力的な嘘をつくることって誰かが書いてたけど
司馬遼も書いた小説が影響与えたということで
文句言われるとは思わんかっただろうな

「三成は忠臣」っていう設定で小説を作っただけなのに
出来が良すぎたばっかりに
0500人間七七四年2016/05/31(火) 06:48:21.31ID:jbcsCHpt
小説家は批判を受ける事も仕事のうちだろう
0501人間七七四年2016/05/31(火) 07:19:39.81ID:OQ6v5GXS
>>500
微妙なところだろ
小説の登場人物の描写についてまで偏執狂にとやかく言われたくない、って気持ちはわかるし
名誉毀損或いは侮辱だと怒り出す人の気持ちもわかる。


歴史小説なんてジャンルがあるからいけないんだろキリ
0502人間七七四年2016/06/01(水) 13:21:56.26ID:yA1MU7Tk
小説としての正当な批判なら当然だけど
史実と物語の区別の付かない連中のせいで
小説家本人が批判されるのは違うと思う
0503人間七七四年2016/06/01(水) 16:23:06.78ID:FXa7xHbe
同一世界物でもないのにどの作品でも似たような描き方するならそういう見方してると思われても仕方ないかな
本当に優れた作家なら180度変えても魅力的に描けるだろう
0504人間七七四年2016/06/01(水) 18:05:52.55ID:ux1kraHQ
いや、そら作家のしての作風や個性がぶれぶれになるだけだろ

例えば、徳川秀忠が腹黒極悪人でない隆慶一郎作品が有ったとしたら
隆慶一郎作品読んだ気にならんだろうし
0505人間七七四年2016/06/01(水) 19:14:58.48ID:RIdb/e/s
「司馬史観」なんていって祭り上げたマスコミの責任だろ
そりゃあんだけ持ち上げられたら本人もその気になるわ
0506人間七七四年2016/06/02(木) 00:42:36.33ID:hjFtDRDX
>>504
逆に同作家の前の作品じゃ極悪人に書いてたのに
次の作品じゃ凄い正義の人になってるとかやる
作家いがいといるけど俺はあっちのほうが萎えるわ
0507人間七七四年2016/06/02(木) 07:58:47.72ID:p/cGU2N4
>>502も俺と同じく、著名な先祖もいないし、思い入れのある歴史上の人物もいないから、そう思うんだろうけど
これはフィクションですの一言で、実在の人物を貶めて良い筈が無いくらいわかるよな?

遠い過去の人を、どう貶したって、取り締まる法律も無いし、
慣習的にボロカスな人も多いからほったらかしてるだけ
0508人間七七四年2016/06/02(木) 10:41:34.21ID:ck5+1XBh
石田三成って、佐和山を得る前はあまり知行ないのに権力はあったのかな?
0509人間七七四年2016/06/02(木) 20:00:03.90ID:/g5B4VIe
>>506
多角的な見解ができる作家ということで、
高評価を与えるべきだろ
0510人間七七四年2016/06/03(金) 00:19:25.96ID:NiHXeJa6
>>508
近習の権力は所領に比例するわけじゃないからなあ
0511人間七七四年2016/06/04(土) 01:53:04.93ID:Ddg07pol
佐和山って5年しかいなかった三成が善政敷いて民に慕われた名君と崇められるほど戦国時代や江戸時代の統治はダメダメだったのか
光秀もだけどああいうのが本能寺関ヶ原なく死んでたら絶対そんな評価されてないと思う
0512人間七七四年2016/06/04(土) 09:57:35.00ID:HAuKOGu0
そもそも豊臣領地自体が二公一民の重税なのに
三成の領地だけ善政なのは不自然なんだよね
だからこそ三成は多くの大名から収入を補うための汚職・横領をしていると疑われていた
民に慕われた名君と崇められたいと思うのは構わないけど
財源を明確にしないと結局は自分の首を絞めるだけになってしまう
0513人間七七四年2016/06/04(土) 19:28:07.63ID:RGDMINMM
>>512
上杉の年貢持ち去り事件を何故か握りつぶしたりしてるし、疑惑は絶えないのよね。
内府ちかひの条々とか言ってるてめえは汚職官僚でございますとか言ってたんだとしたら面白いが
0514人間七七四年2016/06/05(日) 06:45:15.94ID:yMaLzH55
ていうか、石田三成の善行とされる大半のものが、江戸時代の信頼性の疑わしい軍記とかなんだよね。悪いのもそれ系が半分はあるが。

石田三成ファンはよく幕府が人物像を歪めたとか言っているが。
0515人間七七四年2016/06/05(日) 07:13:22.21ID:uRfp4+2t
あと三成が佐和山で善政したなんてのは、江戸期どころか戦後に成って言われ始めた話だ
0516人間七七四年2016/06/05(日) 07:50:17.84ID:OZrB5bEs
ありゃあ佐和山の「地元の英雄の表彰」の一環だわな
0517人間七七四年2016/06/05(日) 08:13:06.85ID:6GRl8YQe
安政の大獄で井伊にケチが付いたから、替わりの郷土の英雄として祭り上げられただけだな
0518人間七七四年2016/06/05(日) 12:45:14.26ID:E1PwGNwY
三成は舛添みたいに自分個人の金はケチって貯金にも執着しないが
公金だったら湯水のごとく使うタイプなんだろうな
0519人間七七四年2016/06/05(日) 16:10:05.01ID:YGEHzs+7
実際、江戸幕府は自身らを正統化するために石田三成を歪めたのかな?
0520人間七七四年2016/06/05(日) 17:14:54.82ID:wbrbRXkI
幕府主導ではなくても媚びたがりってがいるからな
0521人間七七四年2016/06/05(日) 19:57:21.33ID:In0jCuvi
真面目な話、家光の時代くらいになると、世間的に三成は「どうでもいい」存在。
0522人間七七四年2016/06/06(月) 06:56:20.48ID:TW8JGt6l
>>516
それを思うと、高知県民に今だに嫌われ続ける
山内一豊って……
0523人間七七四年2016/06/06(月) 08:04:07.06ID:tUtE+UoL
>>522
無理に持ち上げなくても坂本龍馬がいるから
0524人間七七四年2016/06/06(月) 20:12:30.19ID:QrDLk0up
>>523
支配者層じゃないただのスパイだろ龍馬は
0525人間七七四年2016/06/06(月) 20:47:44.86ID:DxW7PNXL
ホームラン級の馬鹿だな…
0526人間七七四年2016/06/06(月) 21:32:16.76ID:doq2Ad4V
地域の英雄として祭り上げらるかどうかの話であって、
支配者層か否かは全然関係ない
どうしてこう、論点が何であるのかを把握できない奴って産まれてくるのだろう
0527人間七七四年2016/06/06(月) 21:45:33.40ID:HRo4eoRQ
地元の英雄を顕彰ってのは歴史上のスターがいないから
それを作り出そうって運動だからね

既にいる土地では流行らんよ
0528人間七七四年2016/06/07(火) 13:13:53.42ID:hyaoyfFP
しかも地元の英雄、坂本龍馬をいじめてた支配者のご先祖様and騙し討ち野郎だからなあ。
0529人間七七四年2016/06/07(火) 18:09:25.10ID:8oZIa4M2
三成も龍馬も司馬遼さまさまだな
0530人間七七四年2016/06/11(土) 21:36:46.54ID:8DmO6lhc
>>514
家康は三成の佐和山隠居後、息子を取り立てようとしてたし
関ヶ原戦後も三成の息子達は助命しているところをみると
敗軍の将として責任のとらせるという事で処刑したけどで
三成自身をそう憎んでる感じはしないんだよな
0531人間七七四年2016/06/11(土) 23:50:55.64ID:Wa+Iahx5
>>530
三成の無念は俺が果たす!みたい事を言いそうな連中は関ヶ原で駆逐した。
人望の無さぶりから言って親石田勢力みたいなが御輿に担ぐ可能性も薄いし
あえて子供を殺すまでもなくなったって打算もあるのでは。
0532人間七七四年2016/06/12(日) 00:18:07.00ID:vdbr9mIT
>>530
そもそも、石田三成が西軍の首謀者だったのか?
近江半分も無い、木っ端大名だぞ?
家康自身が、こんなのを首魁なんて通らないよなと思いつつ、他に殺せる奴がいないから生け贄にしたからこそ
子供にまでは、真剣に討手を差し向けなかったんじゃないのかな?
0533人間七七四年2016/06/12(日) 00:26:15.86ID:vCOUOdQI
首謀者側ではあったけどスケープゴートで処刑された感
0534人間七七四年2016/06/12(日) 01:30:42.40ID:mdOdKcMc
総大将の輝元は処刑するには官位が高すぎたし秀家はほとぼりがさめるまで上手く身を隠していたからな
0535人間七七四年2016/06/12(日) 07:10:26.99ID:C6SLaHRc
そもそも三成のせいで豊臣家は分断した
これは秀吉が何より怖れていた事で、
だからこそ特に警戒した家康に任せてでも自分の死後の豊臣家を束ね上げさせた

それがどうだ?三成のせいで豊臣恩顧は東西バラバラ
三成が引き起こした関ヶ原の結末は家康には絶対逆らうなという空気
淀の方が家康が死ねば豊臣に天下は戻ってくるという目論見も関ヶ原の後じゃ遅すぎた
0536人間七七四年2016/06/12(日) 07:13:50.61ID:C6SLaHRc
三成は義臣だ忠臣であるって考えは結局のところ家康が天下を奪ったからを前提にしてるんだよね
でも一方を持ち上げる口実にもう一方の否定を根拠とするのってただのオタクのdisり合いと変わらなくないか?
家康が実際天下を奪おうが三成の実績がどうなのかってのに全然関係ないと思うが
0537人間七七四年2016/06/12(日) 07:26:06.38ID:oALlHbpt
>>532
木っ端は言い過ぎでは?
一応、奉行として中央政権に参画していた実力者のひとりだし。
0538人間七七四年2016/06/12(日) 10:34:37.95ID:4qcIBhPP
「中心」だよ
0539人間七七四年2016/06/12(日) 10:40:22.94ID:6bAjxrXG
そもそも秀吉と奉行が関白継承や朝鮮での講和に失敗を繰り返したから
秀吉が三顧の礼で家康を招聘したわけで
家康が天下を狙うかどうかなんてその後の話でしかない
家康がどうこうの前にまず三成たち奉行がこれまでの失敗の責任を取って総辞職するべきで
そのうえで家康をどうするかは残りの人間たちに委ねるべきだった

三成は自分の責任を誤魔化して政権にしがみつくため家康を利用しただけであり
評価する余地などまったく存在しない
0540人間七七四年2016/06/12(日) 13:08:52.64ID:32W6bjja
>>533-534
事の発端となった上杉は何故か転封・減封で済んだしね。
0541人間七七四年2016/06/12(日) 13:26:54.97ID:JV//eFSD
関ケ原が無ければ家康存命中に豊臣を完全に潰すのは難しかったかもしれんからなあ。
まあ結果論なら何とでも言えるが。
0542人間七七四年2016/06/12(日) 13:57:06.11ID:YyiI8O70
>>540
上杉を潰すなら、徳川家が総力あげないと無理。周りの大名だけでは手に負えない。自ら血を流すような真似は徳川家康はしないよ。
0543人間七七四年2016/06/12(日) 16:39:50.06ID:vdbr9mIT
>>537
奉行の実態って、わかってるんだろうか?
大大名が大老として政権に参画してるし、秀吉自体がかなりの強権を有していたと聞く状態で
仮に財務を見ていたとしても、旧大蔵官僚はおろか現財務官僚程の権力は無いと思うんだが?
それとも、蔵入地からの収入を横領してたんだろうか
0544人間七七四年2016/06/14(火) 00:20:19.45ID:BkhDdi+4
東軍に限らずほとんどの大名が奉行の城には山のような金銀財宝があると信じきっていたからな
三成は関ヶ原の戦費で使い切ってしまったが
長束の水口城には5千枚を超える黄金があったから
奉行の横領は相当なものだったのだろう
0545人間七七四年2016/06/14(火) 00:27:13.26ID:oAPfjfrn
取次ぎやってる人がかなりの利益を得てたのは江戸初期の事例でもあるし
三成もそういう目で見られてたとしてもおかしくはないな
0546人間七七四年2016/06/14(火) 01:00:03.87ID:LF3X8Z6i
権力者への取り次ぎ役なんて裏金と無縁ではいられまい。
そういう便宜もある程度ははかれなきゃ重職まで出世できなかろうよ。
なのに三成だけクリーンだなんてあり得ない。
0547人間七七四年2016/06/14(火) 01:18:04.21ID:u19oslPb
>>546
いやいや、金で融通が効く男だったらあそこまで憎まれて無いでしょ
ロベスピエール的清貧さが売りであり欠点でもあった男だと思うぞ
0548人間七七四年2016/06/14(火) 06:09:42.12ID:KODkRS7f
>>547
お前の中ではそうなんだろう
お前の中ではな
0549人間七七四年2016/06/14(火) 06:19:12.38ID:FaI9Tc0e
清貧な男なら挙兵しない
0550人間七七四年2016/06/14(火) 06:39:19.10ID:gpqCgRpN
前田利家が長生きして家康と対立して戦争になっていれば三成のその後はだいぶ変わっていただろうな
0551人間七七四年2016/06/14(火) 06:45:57.10ID:1uIZEKZ1
>>550
柴田勝家
「あいつにそこまでの気概ないから」
0552人間七七四年2016/06/14(火) 08:09:24.20ID:ZKPHKVmZ
>>544
横領した金を使い切って、あの程度なんだろ?
それとも、自分じゃ大軍を率いる力が無いのは理解してたから、例えば小早川に金でも融通してたとでも?

何だか、切腹の理由が横領がばれたせいに思えてきた
0553人間七七四年2016/06/14(火) 12:40:47.16ID:M0/nkg6R
三成って現代で言う所の桝添みたいな感じじゃない?
0554人間七七四年2016/06/14(火) 15:58:12.63ID:hDcvg9it
「三成佞臣論」はこうして生まれた!
石田三成はなぜ「嫌われ役」となったのか
ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160613-00010000-php_r-bus_all

従来、利休の切腹や彼の木像が一条戻り橋に晒された事件の裏に三成がいたとされてきました。
その根拠は、公家吉田兼見の日記『兼見卿記』に、三成が利休の切腹後、その妻も刑に処した噂があると記しているからです。
しかし利休の妻、宗恩が没したのは、ずっと後年の慶長年間のこと。
それだけを見ても、兼見の記述が、「噂」を記したに過ぎないことがわかります。
もっともそうした噂が当時、流れたということは、三成が秀吉の命令に忠実に動く人物であると、多くの人に認識されていたことの証ともいえます。
0555人間七七四年2016/06/14(火) 18:28:02.90ID:+BOMRO69
>>554
噂を記すのも、大切なことなんだよ当時は。それが誤りかどうかは別だけど。

噂にそんなことが一時的とはいえ上ったなら、三成ならやりかねないと当時の人々に思われていた可能性がありますよ。
0556人間七七四年2016/06/15(水) 13:46:52.05ID:kXLPbiBo
利休を切腹させるべく、豊臣の威を借りて行動した主体は前田玄以だったのにな
三成は従というか、事件の脇役にすぎない
町衆からは、よほど疑惑の眼で見られていたか
0557人間七七四年2016/06/15(水) 18:27:13.88ID:IeUJ8jAg
石田三成が1600年に挙兵しなかったら、豊臣はもう少し時間稼ぎはできたんじゃないだろうか?
あんな馬鹿な挙兵する必要はあったのかな?
石田三成マンセーの小説では豊臣への忠義だったというが。
0558人間七七四年2016/06/15(水) 21:16:38.21ID:0GeP12YS
時間稼ぎどころか、家康が征夷大将軍に任じられる事もなく、
武家を統率するのは不可能で。
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