>>981
独自の諸大夫は清華成大名以上が持つ事が出来るから家康の家臣は家康諸大夫となる。
同じ位なら先に叙位された方が良いのは確かだが
天下人である秀吉直臣の諸大夫(大名)と家康諸大夫(非大名)は違う。
家康諸大夫は豊臣政権下では陪臣となる。
では家康諸大夫の中でなぜ忠勝と康政が信幸より上?となるが
関東移封に於いて忠勝と康政の2人(正しくは後述の直政を入れて3人)は秀吉の意向で知行が与えらているから
この時点で徳川家臣でありながら秀吉直臣(大名)とみて良いという研究者などの判断がある。
直政に関しては聚楽第行幸を前にして既に公家成している。
清華成大名が独自の諸大夫を持てるのに対して、天下人の秀吉以外は独自の公家成は持てない。
従って徳川の家臣でも、豊臣政権下では天下人である秀吉の直臣大名の扱いとなる。
寄って>>979が妥当かと。