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実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0897人間七七四年2016/08/07(日) 01:22:43.28ID:rYuzneMO
井伊直政被弾がでっち上げということになると、その周辺のストーリー(的中突破、家康の眼前まで迫って討ち死にを覚悟した家康が自害しようとした、捨てガマリで追撃を食い止める)
なども怪しいということかな
0898人間七七四年2016/08/07(日) 01:27:35.93ID:dvuOuMc7
致命傷では無かったという話だろ
0899人間七七四年2016/08/07(日) 01:54:27.26ID:3hXdwoxc
関ケ原で家康が島津に敵中突破されて自害を覚悟したってどこの小説だよ…
0900人間七七四年2016/08/07(日) 06:18:37.47ID:v2+tChaV
釣り野伏せとか島津の十八番と言われる戦術って書状とか一次史料に記述あるの?
0901人間七七四年2016/08/07(日) 08:13:07.23ID:KlAk5gMj
>>896
戦時に後方の城を1大名が預かるのはごく当たり前にあるよ。
小田原の時も、早川や吉川が、徳川の城にそれぞれ在番してるし。
0902人間七七四年2016/08/07(日) 13:04:16.89ID:BaROxgyY
井伊直政の死因が伝わっていないのはどういう事情だ?
過労が遠因で死んだ名のなる武将は他にもいるのか?
0903人間七七四年2016/08/07(日) 13:20:59.14ID:oaURWor2
その時代に病死の死因がわかった人の方が少ないんじゃないか?
秀吉もそうだし家康も現代では胃がんだったんじゃないかとされるが
鯛の天ぷらにあたったなんて言われて来た
0904人間七七四年2016/08/07(日) 16:38:35.24ID:1tW8chkW
当時は、破傷風が致死率が高い厄介な病気であることは知っていても、
潜伏期間が20日以内だとは知らなかったようだし、
間違って記載されてもそのままにされてた様子
0905人間七七四年2016/08/07(日) 16:48:13.17ID:5DIA0RHM
過労からくる病死だろうが
怪我もほったらかしにして政務に励んでいたから古傷から細菌が入って痛がった可能性もあり
それが直接の死因と勘違いされたとか
現代でも死因が特定されない人がなんてザラにいるしな
0906人間七七四年2016/08/07(日) 17:07:22.78ID:KlAk5gMj
当時は討死や自害以外の死因なんてあまり気にしてないからなぁ
0907人間七七四年2016/08/07(日) 17:24:16.02ID:UKm+/Wie
それを勝手に島津の大手柄みたいに勘違いされるのもな。
まあ義弘の間近に迫っていたというし
あの時にはね返った弾が腕にあたっていなければ義弘が討ち取られていた可能性が高いからな。
0908人間七七四年2016/08/07(日) 20:43:35.16ID:ZfI1kSUQ
18万石の壮年期の大名の死因がまったく不明って
0909人間七七四年2016/08/07(日) 21:09:41.20ID:6WOgfvUz
そもそも直政みたいな閣僚級の武将が自ら全力で追走するものなのかな
0910人間七七四年2016/08/07(日) 21:17:22.84ID:A3PnezSm
>>900
ないよ
0911人間七七四年2016/08/07(日) 22:51:08.24ID:SgLm6LH3
>>899
島津奔るだったかな?
昔そんな記述みたような気がする
0912人間七七四年2016/08/07(日) 23:00:05.32ID:HHM536Z5
あれも酷い小説だったな
島津以外ほとんどクズ人間みたいな描写
0913人間七七四年2016/08/07(日) 23:05:59.61ID:TMJquLBJ
>>912
家康の関ヶ原後の天下普請等の政策が義弘から示唆されたものとか
馬鹿なんじゃないかと思ったな
たかが一地方の兄に相続者がいなかったから当主になれた程度の奴に
政権のナンバー2として政権運営に関わってきた家康が教えを請わなければならないんだ
0914人間七七四年2016/08/08(月) 00:55:56.82ID:j2Dd4V9S
没落した国人の次男から大名に成り上がった人が家康、秀忠のブレーンになってたりするが
0915人間七七四年2016/08/08(月) 02:31:42.73ID:cMtaQK8j
島津の敵中突破は「関原合戦進退秘訣」がネタ元のようですね
これは島津家謹製のいわゆる軍記物です
軍記物というのは大名家が自家を誇るために編纂する武勇伝物語で、でっちあげ家系図なみに胡散臭いんですが、
明治になって陸軍参謀本部が編纂した『関ヶ原役』でこの敵中突破のエピソードが採用されて通説化したものと思われます
0916人間七七四年2016/08/08(月) 05:43:26.56ID:dFrzELc7
>>909
直政は基本、そういうノリの人らしく
筆頭家老の木俣守勝がしばしば指揮代行したとか
0917人間七七四年2016/08/08(月) 05:58:06.41ID:+6K59JBB
それだとやっぱり戦傷が原因で死んだのを誤魔化す為の記述がある可能性も排除しきれないよね
0918人間七七四年2016/08/08(月) 06:51:23.46ID:+M6M0fZg
義弘の大敗を誤魔化すため直政の死をこじつけて武功にすり替えたのが島津の軍記でしょうよ
0919人間七七四年2016/08/08(月) 08:13:28.07ID:kHlftNnx
こじつけだったら、譜代筆頭の井伊家が黙ってるわけないだろ
0920人間七七四年2016/08/08(月) 08:20:22.86ID:e/QCKHIE
そのへんの物語が一般化したのは明治以降のことだろうし、
井伊家にとってもべつに目くじら立てるほどの話ではないような
病死より戦のキズで死んだほうが武士らしいし
0921人間七七四年2016/08/08(月) 09:21:19.88ID:XyqbtnWw
>>919
井伊家にとっても病死と言われるよりは戦場での傷が原因と言った方が聞こえは良いからな
0922人間七七四年2016/08/08(月) 10:42:44.02ID:qA03O3xE
話は全く変わるけど、司馬の関ヶ原に家康は褌を一人で締められないほど肥満してたって描写があるが、
当時の家康がそこまで太っていたって何か出典があるのかな
0923人間七七四年2016/08/08(月) 12:07:09.18ID:YolZJHiM
>>917
翌日から1年以上も飛び回っていて約2年後に死ぬとかケガとの因果関係なさそうだ
0924人間七七四年2016/08/08(月) 12:28:22.92ID:S7+VUYTl
>>922
司馬氏の表現は行き過ぎだが、かなりの肥満体だったのは事実。
家康の謁見を受けた外国人達が書き残してる。
0925人間七七四年2016/08/08(月) 12:33:37.65ID:GPvlZpvJ
直政が怪我しようが義弘が惨めな敗走した事実は変わらない
減点ポイントでしかない
0926人間七七四年2016/08/08(月) 13:22:12.08ID:H6U2lUvr
>>922
『常山紀談』が収録したフィクションからの引用だろう

『常山紀談』では、秀吉がまだ聚楽第を拠点に政務を執っている時期に、
家康が褌を一人で締められないほど太っていたとする虚構話を載せている

実際の家康は、当時はまだ太り始めたばかりで、関ヶ原時点でも鎧を着用できている

極端に太ったのは駿府大御所時代であるが、
異なる時期の体格をごちゃ混ぜにした俗話が、幕末には出回っていたと考えられる
0927人間七七四年2016/08/08(月) 20:58:01.17ID:xm0pvFao
忠勝が真田親子の助命嘆願に際して「お聞きいれなくば殿と一戦仕る」と啖呵を切ったという話も
本当は史料すらない創作なのではとふと思った
0928人間七七四年2016/08/08(月) 21:38:49.43ID:NwSij1fU
>>925
1500人からたったの数十人にうちのめされ
味方を犠牲にしながらかなり追い詰められ自害すら考えながら敗走しているからな
0929人間七七四年2016/08/09(火) 21:51:57.55ID:0K2mSbHe
>>922
司馬は家康の能力は認めてるものの、大嫌いだから
海外貿易推進派の家康を海外貿易の有益さが分からない
田舎者扱いしたり、本当は美人で才能のある阿茶局を
醜女の性悪女にしたりしてるしな
0930人間七七四年2016/08/09(火) 22:06:28.08ID:/C8bXIAo
小説家なのにムキになられる司馬は流石や
0931人間七七四年2016/08/10(水) 05:24:27.57ID:ML318g60
司馬氏は小説家として一流だわな。
あまりに良く出来てるので、史実だと関違いするヤツがゾロゾロ出てきたのも仕方ない。

ドラマだの小説だのは、歴史好きへの入口になる事もあるから批判だけしても意味ないけどな。
0932人間七七四年2016/08/10(水) 05:25:34.64ID:pYLzNfs6
「覇王の家」とか読んでも家康は嫌いだけど認めなくてはいけない悔しいって感じがする
貿易や阿茶局の件にしても意図的なのか単なる無知なのかわからんが、
作家なのに歴史家みたいな肩書き持たせて司馬史観とか持ち上げたマスコミの罪は重い、特に朝日毎日とNHK

その司馬の「関ヶ原」が映画化するそうな、三成は軍師官兵衛w
主演ジャニなら三成ageは間違いない
0933人間七七四年2016/08/10(水) 17:15:55.35ID:CAknqzRT
 石田三成が小坊主だった頃、寺に来た秀吉に温度の違う三杯の茶を献じて気に入られた話は有名だが、
江戸時代初期に書かれた茶道四祖伝書という書物には千利休が京の法華寺に立ち寄った際、
小坊主から温度の異なる茶を三杯差し出してきた気配りに感心し、その小坊主を弟子にしたという
逸話が記されていた
 石田三成の三献茶の話が載っている武将感状記は江戸時代中期に書かれたものなので
この三成の逸話は千利休の話を参考にして作ったのではないかと疑ってしまう
0934人間七七四年2016/08/10(水) 17:40:04.77ID:LPaduY5P
ありえそうな話やね
0935人間七七四年2016/08/10(水) 17:48:26.11ID:BlSChZfX
>>933
>千利休の話
更に元ネタがあって結局中国あたりにたどり着きそうw
0936人間七七四年2016/08/10(水) 18:04:04.93ID:2KFR0JqS
>>933
長浜だかに秀吉に小坊主の三成が茶を献じる三献茶をモチーフとした銅像を建てちゃいましたねw
とすると、寺の小坊主を秀吉が家臣にしたという話も信憑性があやしいのかな
0937人間七七四年2016/08/10(水) 18:07:24.88ID:XHeyjSDp
>>933
その利休の話、是非、いい話スレに載せてみてくれないか?
みんなの感想を聞きたい
0938人間七七四年2016/08/10(水) 18:11:57.34ID:CAknqzRT
>>936
お茶に関する逸話なのだから、信憑性の点では茶人である千利休の方に軍配が上がってしまうな
0939人間七七四年2016/08/10(水) 18:15:41.04ID:XHeyjSDp
だいたい当時の秀吉にお茶の温度の何たるかがわかるのかねぇ
0940人間七七四年2016/08/10(水) 18:23:06.15ID:CAknqzRT
>>937
戦国のちょっといい話のスレでは2年前にこの逸話が投稿されている
まとめサイトの方で「茶の道では点前よりもこういう心配りが肝要なのである」のタイトルで
千利休のこの話が残されているから、今でも確認可能だ
0941人間七七四年2016/08/10(水) 18:45:07.41ID:XHeyjSDp
>>940
ありがとう確認してみる
三成の三献茶の逸話が他人のものだったというのが証明されたようなものだね
0942人間七七四年2016/08/10(水) 18:57:54.70ID:nY5G/MYX
礼儀に疎いという理由でも嫌われていた三成にそんな気遣いが出来るとも思えない
0943人間七七四年2016/08/11(木) 06:41:27.08ID:iOCi4Fpm
>>942
それも創作だけどな。
0944人間七七四年2016/08/11(木) 13:15:18.37ID:seUSbx9n
石田。。。家康に杖を拾ってもらったのに礼の一つも言わない。目上の家康の前でほっかむりを取らない。
直江。。。政宗の小判を穢れたものだと暴言。政宗とすれ違っても挨拶せずとがめられたら逆ギレ

似たもの同士というか確かに気が合うはずだと感心する
友人は自分を映す鏡ってやつだなw
0945人間七七四年2016/08/11(木) 13:55:55.07ID:Si9qvLiw
何かで招かれた忠興も三成の無礼さに腹を立てていたな
普段から特に目上に対する礼儀がまるでなってなかったんだろうな
そんなのが三献茶なんて気が回せるわけが無い
0946人間七七四年2016/08/11(木) 14:05:46.61ID:n+tpfWIn
いい話悪い話で紹介された話は創作ネタ
忠興が礼儀がなってなくて嫌ってたのは清正の方で
肥後の民まで上下の作法がなってないとか色々言ってる
0947人間七七四年2016/08/11(木) 14:13:22.83ID:VLyuYKmX
忠興は三成を銃撃で本気で殺そうとするほど嫌っていましたが?
0948人間七七四年2016/08/11(木) 14:39:59.99ID:4TuW+MYG
あからさまな間違いや創作の連投って、釣針でかすぎだろ
0949人間七七四年2016/08/11(木) 14:48:41.02ID:NCh1rnGX
>>948
何が間違いで何が創作か判って言ってるのか?w
0950人間七七四年2016/08/11(木) 22:11:16.83ID:BNCzwPF5
それは創作って言ってれば俺は詳しいと満足するからな(なお出典は言えない模様)
0951人間七七四年2016/08/12(金) 00:17:56.63ID:YBTLVz2q
>>946
忠興さんの手紙って誰かの悪口書いてる時イキイキしてるよな…
清正の他には政宗の狐憑き呼ばわりとかも有名
0952人間七七四年2016/08/12(金) 05:51:54.25ID:dLMVhjyv
>>951
狐憑きの件は悪口かどうかビミョーだが、政宗の起こした騒動は良く書かれてるな。
一番楽しそうなのは黒田長政の悪口を書いてるときかも知れん。
0953人間七七四年2016/08/12(金) 06:21:41.85ID:ePoLCprA
>>946
随分後の時代(加藤家改易後の手紙)の三斎様の悪口手紙ネタ持ってきたな
それでも年貢関係で揉めた関ヶ原後の黒田家に対する程では無い
清正から贈られた手水鉢(高桐院に現存)を大事にしてるようだし

個人として嫌っていたとしても七将襲撃やら関ヶ原で
忠興と清正は協調行動を取ってるわけで
結局敵対・協調関係を左右するのは個人の好き嫌い<利害関係なんだろ
利害が対立した結果として「嫌われる」のは仕方ない
0954人間七七四年2016/08/16(火) 07:57:13.92ID:nInSCuq+
>>933
お茶についてそれほど知ってるわけじゃないけど
煎茶は一応あったみたいだけど、この頃のお茶って
基本抹茶じゃないの?
白湯ならまだしも、お寺に急に立ち寄ったお客に対して
そんな手軽に出せるものなの?
0955人間七七四年2016/08/16(火) 10:42:48.10ID:bDGOMXwE
お茶についてそれほど知ってるわけじゃないけど
抹茶ってかき混ぜるだけじゃないの
0956人間七七四年2016/08/16(火) 10:48:23.53ID:UgoY3j9s
昔から疑問だけど冷たいお茶なんて直ぐ用意できるのか?
熱湯で作らないと味がでないべ?
0957人間七七四年2016/08/16(火) 11:19:16.42ID:UVcU+4ke
濃い目に点てて水で割ったりするんじゃないか
三献茶の話は二杯目三杯目となっていくにつれて温度が上がって量が減ってくみたいだし
0958人間七七四年2016/08/16(火) 11:22:28.16ID:WAUugR3X
>>954
カーチャンが裏千家茶道やってて
饅頭とか食べた後にささっと抹茶立てて
口直ししてるぞい
葉から抹茶に加工するならともかく
抹茶段階で備蓄されてるなら今のインスタントコーヒーみたいな
扱いだったのでは?
0959人間七七四年2016/08/16(火) 11:46:52.51ID:xy/vVlvQ
利休七哲の蒲生氏郷の甜茶の注文書が伝存してるみたいよ
甜茶は抹茶の原料だから原料取り寄せて抹茶を自作してたんだね
0960人間七七四年2016/08/17(水) 11:27:42.01ID:lq7umnPf
武将所用とされる鎧、兜の大半が戦国期の物ではない
江戸期に作られた物がほとんど
0961人間七七四年2016/08/17(水) 19:03:30.35ID:os2OEfz8
お茶三杯差し上げるってエピソードは三成に限ったものじゃない
0962人間七七四年2016/08/18(木) 00:24:12.12ID:6yz18nlU
碾茶を臼で挽いて抹茶にしてあればすぐに点てられるけど、
香りの問題もあるしあらかじめ用意してあるものなのかどうかね
0963人間七七四年2016/08/19(金) 01:48:45.27ID:86xXBSDD
武勇伝や美談といった「ストーリー」のあるエピソードはほとんどすべて後世創られた話とみていいと思う
0964人間七七四年2016/08/19(金) 04:09:54.09ID:bVd8cuHp
「あー、この話はこういうことを伝えたいんだな」というのがわかりやすいのも
0965人間七七四年2016/08/19(金) 07:08:00.40ID:wvQVe5vd
直江兼続がイケメンとか
0966人間七七四年2016/08/19(金) 08:59:21.66ID:xSZTd/pE
戦国三大美少年は江戸中期の1739年成立の常山紀談にしかない後世に創作された話
0967人間七七四年2016/08/19(金) 18:12:17.58ID:yn05wFl5
常山紀談は、真偽で言うと偽の方が多いってぐらいネタの宝庫だなw
0968人間七七四年2016/08/19(金) 18:38:16.61ID:GkEcuAEm
逸話集なんだからツッコミ入れる方が野暮
0969人間七七四年2016/08/19(金) 18:55:51.75ID:5eagWLho
吉継と三成の茶会でのエピソードが一番泣ける
0970人間七七四年2016/08/19(金) 19:40:02.17ID:uv3AWp9X
>>969
それはほぼ100%創作
0971人間七七四年2016/08/19(金) 21:11:48.84ID:+7CNqKxm
福本日南が紹介した時は秀吉と吉継の話だったのに
いつの間にか三成と吉継の話になってるんだっけ
0972人間七七四年2016/08/19(金) 21:27:43.31ID:s9brXkAn
司馬じゃ司馬の仕業じゃーAA略
0973人間七七四年2016/08/20(土) 05:18:00.57ID:gGzGEqte
司馬さんは反論されると黙っちゃって引き篭もる人
0974人間七七四年2016/08/20(土) 12:58:37.33ID:C4o2gcsH
まあ三献茶で「気配りの人」としてデビューした三成が
「気配りができなくて」人望を集められずに破滅したってのもたいがいだけど
幼少時に石合戦を見て「数が少ない方が勝つ」と見事的中させ
その神童ぶりを発揮した家康が、晩年大坂の陣で大坂方を寡兵と侮り
危うく不覚を取るところだった家康もなんだかなあではある。
これらのエピソードを伝記に盛り込む意味はあるのか?
どうせなら孕石との確執なんかを採用すればいいと思うのだが
日本人はそういう話基本嫌いなんでしょうな。
小公女もアニメで変なふうに改変されたし。
0975人間七七四年2016/08/20(土) 13:23:24.69ID:C4o2gcsH
嫌いっつーより、「秀吉との確執」も似たようなものだし
それ採用しちゃうとくどいというか冗長な感じになってしまうので
避けてるってのもあるか。
すべては編纂者の都合だな。
0976人間七七四年2016/08/25(木) 10:59:49.90ID:rPvz/Bn/
家康にしろ三成にしろ秀吉にしろ、少年時代の話はたいてい創作だしねぇ
0977人間七七四年2016/08/25(木) 12:30:07.43ID:aHvsziYT
明智光秀の謀反につき
・武田ぁ、攻めでの御折檻
・徳川様接待不首尾のお怒り
・近江坂本、丹波領地を召しあげ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰
・また、丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち、など!語り尽くせぬ恨みあれども、ゴダビの戦、けして、わたくし心に非ず
天下国家のため、織田、信長の首を取ることこそ、天の道
0978人間七七四年2016/08/25(木) 19:41:25.09ID:vKLmPhzi
生け捕って、部下たちの見てる前で
「これは武田攻めでの御折檻の恨み〜」ボコッ!
「これは徳川様接待不首尾のお怒りへの恨み〜」ボコッ!
「これは母を見殺しにされた恨み〜」ボコッ!

   ・ 
とかいちいち喚きながら殴ればよかったのに・・
0979人間七七四年2016/08/26(金) 15:23:23.33ID:BEmAEnkO
やりたくても肝心のノブやんが本能寺でファイヤーしちゃった
0980人間七七四年2016/08/27(土) 13:38:18.76ID:Is2me+F6
秀吉は元々残虐性を持った暗い人間。
若いころから残虐だった。
豊臣家が滅んだのは必然。

・楠家嫡男嬲殺し
 →織田家の伊勢攻めに抵抗した伊勢楠家の嫡男を岐阜で嬲殺しにした。楠木正成の男子系子孫滅亡。
・万福丸串刺し
 →浅井長政の嫡男を関が原で串刺しにして殺す。お尻の穴から杭を差し込み、口まで貫通させる惨い殺し方。
・秀次一族虐殺
 →血を分けた甥の妻子を虐殺。甥の生首を置き、その前で妻子を惨殺。まともに埋葬もせず、穴を掘って埋めて「畜生塚」とした。

たまたま天下を取ったので、人たらしとかの物語が創作されただけ。
意図的に本人とは逆の明るく、人懐こい、誰からも好かれるような性格として創作された。
0981人間七七四年2016/08/27(土) 15:48:01.39ID:i7Xh6guG
かまってちゃんスレじゃない筈なんだがなぁ
0982人間七七四年2016/08/28(日) 08:45:50.13ID:tqmR5sDi
どこぞの民族だろう
0983人間七七四年2016/08/28(日) 16:45:52.44ID:qAXla801
>>980
ところで次スレは?
0984人間七七四年2016/08/28(日) 17:32:54.12ID:AxdgNuCy
>>57
へぇ面白いなぁ預言者みたいだ
0985人間七七四年2016/08/31(水) 16:10:29.49ID:4LGUqGSJ
司馬は海音寺とか徳富蘇峰とかの影響結構受けているみたいだしねぇ
0986人間七七四年2016/08/31(水) 16:25:54.97ID:kyzDcDzs
司馬遼太郎の場合は半分くらいが創作だよな
多くの歴史的な資料を引用しているが
自己中心的な解釈があまりにも多すぎる
0987人間七七四年2016/08/31(水) 16:36:42.21ID:tBztIUUc
小説なんだから問題なくね?
伝記でさえないんだよ
0988人間七七四年2016/08/31(水) 17:00:37.54ID:Itx90Hyt
作家だからな
だけどだんだん存在が大きくなって、司馬史観なるものが出てきたから厄介なわけで
作家風情がテレビに出たり番組持ったりして小説の延長で歴史を語ったのは罪、それに乗ったのがNHKというのも厄介に拍車かけた
今でも作家という肩書きで○○の真実(嘘)と言い出す連中が立たないのは司馬が切り開いたせい
0989人間七七四年2016/08/31(水) 17:02:29.21ID:ZiHhzPMV
その一番酷い例が童門冬痔。あいつの知識はいい加減すぎ
0990人間七七四年2016/08/31(水) 17:05:50.05ID:GiDqFRXk
まぁ歴史学者も今はヤベーけどな
今後は、史料的に矛盾のない範囲内で、いかに突飛な説を繰り出せるかが勝負、
みたいになっていくんじゃないのかな豊臣秀次潔白自害説が盛り上がってるとこ見ると
0991人間七七四年2016/08/31(水) 17:09:16.18ID:J082zMAk
小説は問題ない。史実だと信じる読者が悪いだけ
ただコラムとかでさんざん創作を史実だと紹介してるから司馬自体が無罪なわけない
0992人間七七四年2016/08/31(水) 17:23:47.33ID:4LGUqGSJ
次スレダメだったんで、誰かお願い
0993人間七七四年2016/08/31(水) 18:04:48.88ID:mCmZN+SZ
>>992
やってみる。
0994人間七七四年2016/08/31(水) 18:07:35.10ID:mCmZN+SZ
ダメだった><
0995人間七七四年2016/08/31(水) 18:38:43.83ID:Itx90Hyt
実は創作だった通説・俗説3【コピペ・レッテル貼禁止】 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1472636283/

立てられた。
0996人間七七四年2016/08/31(水) 18:51:54.41ID:J082zMAk
おつ
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