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実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0858人間七七四年2016/08/03(水) 14:53:28.59ID:K6RwFR34
えらい低いハードルの武勇にしてきたな
0859人間七七四年2016/08/03(水) 15:04:32.21ID:G2KrLLSS
武勇伝でも武功でも何でもないよな
単なる潰走でしかない
0860人間七七四年2016/08/03(水) 15:35:41.42ID:3jfZ35Ws
義弘が運良く助かっただけで、軍としては壊滅しているよね
0861人間七七四年2016/08/03(水) 19:07:14.15ID:q22ObE63
島津の敗走を武勇伝として扱っている作品に心当たりがないから困惑してる
サバイバル映画を相手に、主人公は災害の解決になんの貢献もしてない凡人、
といった的外れなイチャモンを付けてるような事態、なんてことになってないの?
0862人間七七四年2016/08/03(水) 21:47:41.51ID:y7Ulv6yT
敗走を「的中突破」などと武勇伝にしてるわな
また、島津義弘がせっかく夜襲を献策したのに石田三成が退けたために西軍は勝機を逃したとか、
この一件で義弘は三成に不信感を持ち、本戦で陣を動かなかったのだ、などと島津のヘタレぶりを正当化するエピソード多すぎ
0863人間七七四年2016/08/03(水) 22:24:22.92ID:Z4UuSoQC
>>857
むしろ死にすぎでしょ
戦国の死傷率としても異常に高い。

実際は帰路で脱落したのが大半なんじゃないか?
0864人間七七四年2016/08/03(水) 22:24:42.90ID:5Wm/d61B
義弘って赤池長任にも討ち取られかけて部下を捨て石にして逃げてたよね
0865人間七七四年2016/08/03(水) 22:29:53.34ID:kUSXBEKu
今度アニメになるドリフターズっていう漫画
あれは主人公が島津豊久で物語冒頭が島津の退き口から始まる。
0866人間七七四年2016/08/04(木) 11:41:03.93ID:nQqPrnnk
「敵中突破」が武勇伝という発想は無かった
宇喜多隊、石田隊、大谷隊といった、実際に闘った西軍部隊が次々と壊滅した結果、
島津隊の周辺は敵だらけになっただろうと考えられるが

当初の予定通りの退路が確保されていたとは思えん
敵に囲まれた状態からの脱出は、敵中突破以外の何物でもないわけだし
0867人間七七四年2016/08/04(木) 12:22:31.69ID:lmXppFim
旗倒して敵の合言葉使って農民人質に取って道案内させ味方見殺しにしながらコソコソ逃避行
「敵中突破」じゃなくて「敵中脱出」程度にすれば字面に惑わせられることもない
0868人間七七四年2016/08/04(木) 13:00:51.21ID:Bp2uRvNV
>>866
別に包囲はされてないんじゃないか?
他の軍勢も普通に離脱してるし
0869人間七七四年2016/08/04(木) 13:01:07.51ID:4znxCl3b
総叩きだが、ここはアンチ島津が多いのか?

西軍総崩れで他隊が西に逃げてる状態で、東に向かってから南に抜けてるんだから
『敵中突破』でもいいだろ。島津は戦績をかなり盛ってたりはするけど、元の事実は
なにがしかあると認識してるけどね。
0870人間七七四年2016/08/04(木) 14:07:38.86ID:sjJti4sg
それを立証できなきゃただの敗走
0871人間七七四年2016/08/04(木) 14:14:50.80ID:4znxCl3b
日本語苦手な人?
0872人間七七四年2016/08/04(木) 14:44:07.91ID:lmXppFim
関ヶ原参加島津家臣の覚書の記述が傍から見ればただの逃避行やからな盛っててすら
0873人間七七四年2016/08/04(木) 15:07:59.69ID:+aouY31g
ここで死んでたらどんな評価だったろうね義弘w
代わりになった家臣に感謝してもしきれんな
0874人間七七四年2016/08/04(木) 18:35:06.67ID:GI4dXDqz
義弘が名将であったことは確かだろうが、神格化されすぎ
0875人間七七四年2016/08/04(木) 19:27:11.20ID:iYyedEN5
>>873
付く方を読み誤るわ兵士は集められないわ引き際誤ったわで散々な最後に
0876人間七七四年2016/08/04(木) 19:45:33.33ID:ALZGZDsc
初めは東軍に着くつもりだったけど、鳥居元忠に伏見入城を断られてしかたなく西軍に着いたってのはどうなんだ
0877人間七七四年2016/08/04(木) 20:03:37.92ID:fweiy8VD
惨めな敗走のルートを表現する「敵中突破」を、
攻勢をかける側の作戦を示す「中央突破」と取り違えて
武勇伝にしてると言い掛かりつけてるだけだったりして…

>>876
徳川からの追及を和らげるため、
関ヶ原戦後になって島津家がでっちあげた言い訳だそうだ
0878人間七七四年2016/08/04(木) 20:08:01.26ID:ALZGZDsc
言い訳多すぎじゃねーかw
0879人間七七四年2016/08/04(木) 23:08:47.98ID:NKxlVq5Y
>>877
「島津の退き口」を惨めな敗走として取り扱ってる大河ドラマや小説なんて少なくとも俺は知らないな
0880人間七七四年2016/08/04(木) 23:50:43.78ID:ALZGZDsc
フィクションだからね小説とかは
史実は惨めな敗走ってことさ
0881人間七七四年2016/08/05(金) 00:18:15.41ID:gFioVsk0
なに言ってるんだろうこの人
0882人間七七四年2016/08/05(金) 00:51:18.65ID:SN1Zgc8h
鬼島津の記述も朝鮮側の記録に無くて、明のほうでも鬼が何の表現の意味かは不明なんだよね
0883人間七七四年2016/08/05(金) 08:04:41.34ID:EAO4xyyG
>>876
伏見への在番という話は家康が下向する前からあった。
義弘は在番の為の軍勢を国元に求めたけど、いつまでも軍勢が来ず延び延びになっているうちに西軍が決起。
島津としては伏見在番か大坂在番でやり過ごしたかったが、どちらも実現しないウチに西軍にガッツリ組み込まれてしまったというのが真相。

伏見へ行きたがってたのは東軍に味方するつもりじゃなくて終戦するまで中立で居たかっただけという。
0884人間七七四年2016/08/05(金) 08:25:54.24ID:mKDfudCC
創作でしょ
0885人間七七四年2016/08/05(金) 20:13:03.09ID:pGK24o8N
義弘は関ヶ原本戦で、最初からノリノリで戦っていたことが今はわかっている。
0886人間七七四年2016/08/06(土) 06:12:12.71ID:cOF7Q+z2
>>885
それ言ってたのは光成氏の「関ヶ原前夜」だろ。
あの本は着想は良かったけど、あちこち史料解釈に問題があるからなぁ

島津の積極参加もそれは無いと批判されてるし
0887人間七七四年2016/08/06(土) 11:12:50.68ID:PJzDl3ey
伏見城戦あたりからは毒を食らわば皿まで的なところはあるけど
最初からノリノリという感じじゃないなぁ
0888人間七七四年2016/08/06(土) 13:04:29.49ID:r5nmJvsk
義弘は、朝鮮でも関ヶ原でも寡兵に悩んでたのに、ノリノリなわけがない
0889人間七七四年2016/08/06(土) 13:15:37.78ID:vYuZ8Rrw
ノリノリだったのは毛利くらいだよなぁ
宇喜多は楽天的なのか強がってるだけなのかよく分からん
0890人間七七四年2016/08/06(土) 20:05:15.14ID:f8BE/adh
立花宗茂もノリノリだった感がある
関ヶ原本戦には間に合わなかったが、
そこまでの能動的な動きが
0891人間七七四年2016/08/06(土) 20:55:09.23ID:rnfsZFTo
立花は単なるバカだから特に何の考えもなかっただけでしょ
0892人間七七四年2016/08/06(土) 21:04:30.30ID:PJzDl3ey
そうだけど、ファンが怒鳴り込んで来るのでやめてください
0893人間七七四年2016/08/06(土) 21:43:11.07ID:1FQ+8vLa
毛利のノリノリは中央のごたごたを好機に版図拡大だぜー的なノリノリかね?
0894人間七七四年2016/08/06(土) 22:13:18.94ID:BUXeDJN+
ノリノリだったけど岐阜城が陥落して形勢が不利になると和睦に動いて三成のはしごを外したりしてる
0895人間七七四年2016/08/06(土) 23:18:23.29ID:UVV1yMo3
>>855
関ヶ原前も激務が祟ってか死にかけるほどの病気をしていたんだなこれが。
だから東海道ルートを進む外様部隊の指揮を直政が家康に代わりに引き受けていたが行けなくなり、
譜代と中山道ルートを行く筈だった忠勝が急遽、東海道ルートに加わる事になった
その後病が癒えたとする直政がそれを追って途中で合流した
腿の付け根に腫瘍のようなものが出来痛みもあったという記述もあり関ヶ原では万全とはいえない体調であった
関ヶ原翌日には佐和山攻め、その後も精力的に激務をこなしている
島津がどうのとか全く関係なく過労蓄積が祟った病死なんだろうな
0896人間七七四年2016/08/06(土) 23:58:55.33ID:M7zk2NuF
>>883
在番命じられた大名が島津だけってのもおかしいよな
そういった命令って幾つかの大名に出すもんじゃないのか
0897人間七七四年2016/08/07(日) 01:22:43.28ID:rYuzneMO
井伊直政被弾がでっち上げということになると、その周辺のストーリー(的中突破、家康の眼前まで迫って討ち死にを覚悟した家康が自害しようとした、捨てガマリで追撃を食い止める)
なども怪しいということかな
0898人間七七四年2016/08/07(日) 01:27:35.93ID:dvuOuMc7
致命傷では無かったという話だろ
0899人間七七四年2016/08/07(日) 01:54:27.26ID:3hXdwoxc
関ケ原で家康が島津に敵中突破されて自害を覚悟したってどこの小説だよ…
0900人間七七四年2016/08/07(日) 06:18:37.47ID:v2+tChaV
釣り野伏せとか島津の十八番と言われる戦術って書状とか一次史料に記述あるの?
0901人間七七四年2016/08/07(日) 08:13:07.23ID:KlAk5gMj
>>896
戦時に後方の城を1大名が預かるのはごく当たり前にあるよ。
小田原の時も、早川や吉川が、徳川の城にそれぞれ在番してるし。
0902人間七七四年2016/08/07(日) 13:04:16.89ID:BaROxgyY
井伊直政の死因が伝わっていないのはどういう事情だ?
過労が遠因で死んだ名のなる武将は他にもいるのか?
0903人間七七四年2016/08/07(日) 13:20:59.14ID:oaURWor2
その時代に病死の死因がわかった人の方が少ないんじゃないか?
秀吉もそうだし家康も現代では胃がんだったんじゃないかとされるが
鯛の天ぷらにあたったなんて言われて来た
0904人間七七四年2016/08/07(日) 16:38:35.24ID:1tW8chkW
当時は、破傷風が致死率が高い厄介な病気であることは知っていても、
潜伏期間が20日以内だとは知らなかったようだし、
間違って記載されてもそのままにされてた様子
0905人間七七四年2016/08/07(日) 16:48:13.17ID:5DIA0RHM
過労からくる病死だろうが
怪我もほったらかしにして政務に励んでいたから古傷から細菌が入って痛がった可能性もあり
それが直接の死因と勘違いされたとか
現代でも死因が特定されない人がなんてザラにいるしな
0906人間七七四年2016/08/07(日) 17:07:22.78ID:KlAk5gMj
当時は討死や自害以外の死因なんてあまり気にしてないからなぁ
0907人間七七四年2016/08/07(日) 17:24:16.02ID:UKm+/Wie
それを勝手に島津の大手柄みたいに勘違いされるのもな。
まあ義弘の間近に迫っていたというし
あの時にはね返った弾が腕にあたっていなければ義弘が討ち取られていた可能性が高いからな。
0908人間七七四年2016/08/07(日) 20:43:35.16ID:ZfI1kSUQ
18万石の壮年期の大名の死因がまったく不明って
0909人間七七四年2016/08/07(日) 21:09:41.20ID:6WOgfvUz
そもそも直政みたいな閣僚級の武将が自ら全力で追走するものなのかな
0910人間七七四年2016/08/07(日) 21:17:22.84ID:A3PnezSm
>>900
ないよ
0911人間七七四年2016/08/07(日) 22:51:08.24ID:SgLm6LH3
>>899
島津奔るだったかな?
昔そんな記述みたような気がする
0912人間七七四年2016/08/07(日) 23:00:05.32ID:HHM536Z5
あれも酷い小説だったな
島津以外ほとんどクズ人間みたいな描写
0913人間七七四年2016/08/07(日) 23:05:59.61ID:TMJquLBJ
>>912
家康の関ヶ原後の天下普請等の政策が義弘から示唆されたものとか
馬鹿なんじゃないかと思ったな
たかが一地方の兄に相続者がいなかったから当主になれた程度の奴に
政権のナンバー2として政権運営に関わってきた家康が教えを請わなければならないんだ
0914人間七七四年2016/08/08(月) 00:55:56.82ID:j2Dd4V9S
没落した国人の次男から大名に成り上がった人が家康、秀忠のブレーンになってたりするが
0915人間七七四年2016/08/08(月) 02:31:42.73ID:cMtaQK8j
島津の敵中突破は「関原合戦進退秘訣」がネタ元のようですね
これは島津家謹製のいわゆる軍記物です
軍記物というのは大名家が自家を誇るために編纂する武勇伝物語で、でっちあげ家系図なみに胡散臭いんですが、
明治になって陸軍参謀本部が編纂した『関ヶ原役』でこの敵中突破のエピソードが採用されて通説化したものと思われます
0916人間七七四年2016/08/08(月) 05:43:26.56ID:dFrzELc7
>>909
直政は基本、そういうノリの人らしく
筆頭家老の木俣守勝がしばしば指揮代行したとか
0917人間七七四年2016/08/08(月) 05:58:06.41ID:+6K59JBB
それだとやっぱり戦傷が原因で死んだのを誤魔化す為の記述がある可能性も排除しきれないよね
0918人間七七四年2016/08/08(月) 06:51:23.46ID:+M6M0fZg
義弘の大敗を誤魔化すため直政の死をこじつけて武功にすり替えたのが島津の軍記でしょうよ
0919人間七七四年2016/08/08(月) 08:13:28.07ID:kHlftNnx
こじつけだったら、譜代筆頭の井伊家が黙ってるわけないだろ
0920人間七七四年2016/08/08(月) 08:20:22.86ID:e/QCKHIE
そのへんの物語が一般化したのは明治以降のことだろうし、
井伊家にとってもべつに目くじら立てるほどの話ではないような
病死より戦のキズで死んだほうが武士らしいし
0921人間七七四年2016/08/08(月) 09:21:19.88ID:XyqbtnWw
>>919
井伊家にとっても病死と言われるよりは戦場での傷が原因と言った方が聞こえは良いからな
0922人間七七四年2016/08/08(月) 10:42:44.02ID:qA03O3xE
話は全く変わるけど、司馬の関ヶ原に家康は褌を一人で締められないほど肥満してたって描写があるが、
当時の家康がそこまで太っていたって何か出典があるのかな
0923人間七七四年2016/08/08(月) 12:07:09.18ID:YolZJHiM
>>917
翌日から1年以上も飛び回っていて約2年後に死ぬとかケガとの因果関係なさそうだ
0924人間七七四年2016/08/08(月) 12:28:22.92ID:S7+VUYTl
>>922
司馬氏の表現は行き過ぎだが、かなりの肥満体だったのは事実。
家康の謁見を受けた外国人達が書き残してる。
0925人間七七四年2016/08/08(月) 12:33:37.65ID:GPvlZpvJ
直政が怪我しようが義弘が惨めな敗走した事実は変わらない
減点ポイントでしかない
0926人間七七四年2016/08/08(月) 13:22:12.08ID:H6U2lUvr
>>922
『常山紀談』が収録したフィクションからの引用だろう

『常山紀談』では、秀吉がまだ聚楽第を拠点に政務を執っている時期に、
家康が褌を一人で締められないほど太っていたとする虚構話を載せている

実際の家康は、当時はまだ太り始めたばかりで、関ヶ原時点でも鎧を着用できている

極端に太ったのは駿府大御所時代であるが、
異なる時期の体格をごちゃ混ぜにした俗話が、幕末には出回っていたと考えられる
0927人間七七四年2016/08/08(月) 20:58:01.17ID:xm0pvFao
忠勝が真田親子の助命嘆願に際して「お聞きいれなくば殿と一戦仕る」と啖呵を切ったという話も
本当は史料すらない創作なのではとふと思った
0928人間七七四年2016/08/08(月) 21:38:49.43ID:NwSij1fU
>>925
1500人からたったの数十人にうちのめされ
味方を犠牲にしながらかなり追い詰められ自害すら考えながら敗走しているからな
0929人間七七四年2016/08/09(火) 21:51:57.55ID:0K2mSbHe
>>922
司馬は家康の能力は認めてるものの、大嫌いだから
海外貿易推進派の家康を海外貿易の有益さが分からない
田舎者扱いしたり、本当は美人で才能のある阿茶局を
醜女の性悪女にしたりしてるしな
0930人間七七四年2016/08/09(火) 22:06:28.08ID:/C8bXIAo
小説家なのにムキになられる司馬は流石や
0931人間七七四年2016/08/10(水) 05:24:27.57ID:ML318g60
司馬氏は小説家として一流だわな。
あまりに良く出来てるので、史実だと関違いするヤツがゾロゾロ出てきたのも仕方ない。

ドラマだの小説だのは、歴史好きへの入口になる事もあるから批判だけしても意味ないけどな。
0932人間七七四年2016/08/10(水) 05:25:34.64ID:pYLzNfs6
「覇王の家」とか読んでも家康は嫌いだけど認めなくてはいけない悔しいって感じがする
貿易や阿茶局の件にしても意図的なのか単なる無知なのかわからんが、
作家なのに歴史家みたいな肩書き持たせて司馬史観とか持ち上げたマスコミの罪は重い、特に朝日毎日とNHK

その司馬の「関ヶ原」が映画化するそうな、三成は軍師官兵衛w
主演ジャニなら三成ageは間違いない
0933人間七七四年2016/08/10(水) 17:15:55.35ID:CAknqzRT
 石田三成が小坊主だった頃、寺に来た秀吉に温度の違う三杯の茶を献じて気に入られた話は有名だが、
江戸時代初期に書かれた茶道四祖伝書という書物には千利休が京の法華寺に立ち寄った際、
小坊主から温度の異なる茶を三杯差し出してきた気配りに感心し、その小坊主を弟子にしたという
逸話が記されていた
 石田三成の三献茶の話が載っている武将感状記は江戸時代中期に書かれたものなので
この三成の逸話は千利休の話を参考にして作ったのではないかと疑ってしまう
0934人間七七四年2016/08/10(水) 17:40:04.77ID:LPaduY5P
ありえそうな話やね
0935人間七七四年2016/08/10(水) 17:48:26.11ID:BlSChZfX
>>933
>千利休の話
更に元ネタがあって結局中国あたりにたどり着きそうw
0936人間七七四年2016/08/10(水) 18:04:04.93ID:2KFR0JqS
>>933
長浜だかに秀吉に小坊主の三成が茶を献じる三献茶をモチーフとした銅像を建てちゃいましたねw
とすると、寺の小坊主を秀吉が家臣にしたという話も信憑性があやしいのかな
0937人間七七四年2016/08/10(水) 18:07:24.88ID:XHeyjSDp
>>933
その利休の話、是非、いい話スレに載せてみてくれないか?
みんなの感想を聞きたい
0938人間七七四年2016/08/10(水) 18:11:57.34ID:CAknqzRT
>>936
お茶に関する逸話なのだから、信憑性の点では茶人である千利休の方に軍配が上がってしまうな
0939人間七七四年2016/08/10(水) 18:15:41.04ID:XHeyjSDp
だいたい当時の秀吉にお茶の温度の何たるかがわかるのかねぇ
0940人間七七四年2016/08/10(水) 18:23:06.15ID:CAknqzRT
>>937
戦国のちょっといい話のスレでは2年前にこの逸話が投稿されている
まとめサイトの方で「茶の道では点前よりもこういう心配りが肝要なのである」のタイトルで
千利休のこの話が残されているから、今でも確認可能だ
0941人間七七四年2016/08/10(水) 18:45:07.41ID:XHeyjSDp
>>940
ありがとう確認してみる
三成の三献茶の逸話が他人のものだったというのが証明されたようなものだね
0942人間七七四年2016/08/10(水) 18:57:54.70ID:nY5G/MYX
礼儀に疎いという理由でも嫌われていた三成にそんな気遣いが出来るとも思えない
0943人間七七四年2016/08/11(木) 06:41:27.08ID:iOCi4Fpm
>>942
それも創作だけどな。
0944人間七七四年2016/08/11(木) 13:15:18.37ID:seUSbx9n
石田。。。家康に杖を拾ってもらったのに礼の一つも言わない。目上の家康の前でほっかむりを取らない。
直江。。。政宗の小判を穢れたものだと暴言。政宗とすれ違っても挨拶せずとがめられたら逆ギレ

似たもの同士というか確かに気が合うはずだと感心する
友人は自分を映す鏡ってやつだなw
0945人間七七四年2016/08/11(木) 13:55:55.07ID:Si9qvLiw
何かで招かれた忠興も三成の無礼さに腹を立てていたな
普段から特に目上に対する礼儀がまるでなってなかったんだろうな
そんなのが三献茶なんて気が回せるわけが無い
0946人間七七四年2016/08/11(木) 14:05:46.61ID:n+tpfWIn
いい話悪い話で紹介された話は創作ネタ
忠興が礼儀がなってなくて嫌ってたのは清正の方で
肥後の民まで上下の作法がなってないとか色々言ってる
0947人間七七四年2016/08/11(木) 14:13:22.83ID:VLyuYKmX
忠興は三成を銃撃で本気で殺そうとするほど嫌っていましたが?
0948人間七七四年2016/08/11(木) 14:39:59.99ID:4TuW+MYG
あからさまな間違いや創作の連投って、釣針でかすぎだろ
0949人間七七四年2016/08/11(木) 14:48:41.02ID:NCh1rnGX
>>948
何が間違いで何が創作か判って言ってるのか?w
0950人間七七四年2016/08/11(木) 22:11:16.83ID:BNCzwPF5
それは創作って言ってれば俺は詳しいと満足するからな(なお出典は言えない模様)
0951人間七七四年2016/08/12(金) 00:17:56.63ID:YBTLVz2q
>>946
忠興さんの手紙って誰かの悪口書いてる時イキイキしてるよな…
清正の他には政宗の狐憑き呼ばわりとかも有名
0952人間七七四年2016/08/12(金) 05:51:54.25ID:dLMVhjyv
>>951
狐憑きの件は悪口かどうかビミョーだが、政宗の起こした騒動は良く書かれてるな。
一番楽しそうなのは黒田長政の悪口を書いてるときかも知れん。
0953人間七七四年2016/08/12(金) 06:21:41.85ID:ePoLCprA
>>946
随分後の時代(加藤家改易後の手紙)の三斎様の悪口手紙ネタ持ってきたな
それでも年貢関係で揉めた関ヶ原後の黒田家に対する程では無い
清正から贈られた手水鉢(高桐院に現存)を大事にしてるようだし

個人として嫌っていたとしても七将襲撃やら関ヶ原で
忠興と清正は協調行動を取ってるわけで
結局敵対・協調関係を左右するのは個人の好き嫌い<利害関係なんだろ
利害が対立した結果として「嫌われる」のは仕方ない
0954人間七七四年2016/08/16(火) 07:57:13.92ID:nInSCuq+
>>933
お茶についてそれほど知ってるわけじゃないけど
煎茶は一応あったみたいだけど、この頃のお茶って
基本抹茶じゃないの?
白湯ならまだしも、お寺に急に立ち寄ったお客に対して
そんな手軽に出せるものなの?
0955人間七七四年2016/08/16(火) 10:42:48.10ID:bDGOMXwE
お茶についてそれほど知ってるわけじゃないけど
抹茶ってかき混ぜるだけじゃないの
0956人間七七四年2016/08/16(火) 10:48:23.53ID:UgoY3j9s
昔から疑問だけど冷たいお茶なんて直ぐ用意できるのか?
熱湯で作らないと味がでないべ?
0957人間七七四年2016/08/16(火) 11:19:16.42ID:UVcU+4ke
濃い目に点てて水で割ったりするんじゃないか
三献茶の話は二杯目三杯目となっていくにつれて温度が上がって量が減ってくみたいだし
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。