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実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0792人間七七四年2016/07/20(水) 21:13:33.23ID:KMnZ5jp6
>>791
八切止夫
0793人間七七四年2016/07/20(水) 21:50:50.20ID:xAVyB+Rw
>>791
須藤南翠とか言う明治の作家じゃなかったかな
0794人間七七四年2016/07/21(木) 22:40:22.17ID:5rrgbdl8
八切はトンデモ説作家で有名だけど
須藤南翠ってどんな作家?
0795人間七七四年2016/07/21(木) 23:25:30.14ID:59Yv3wsl
wikipedia情報だと、その須藤南翠(光暉)は
天海は蘆名家臣船木景光の息子って結論付けてるみたいなんだよね

『大僧正天海』を読まないと分かんないけど、須藤は「或説云」で紹介しただけで
光秀=天海説はもっと遡れるんじゃないかとも思う
0796人間七七四年2016/07/22(金) 17:53:08.79ID:TtjH/5ZZ
遡るとは逆になるけど、天海に興味あるなら 金天海 調べてみるのもオススメ
でまだ余力あるなら 金光秀 文光秀 も見てみると、知識に更なるひろがりが
0797人間七七四年2016/07/22(金) 22:04:56.87ID:1eVj6Y3j
南光坊天海や以心崇伝、安国寺恵瓊や快川紹喜、虎哉宗乙、沢庵宗彭など
政僧には創作と思われる俗説を持った人物が多いよな
0798人間七七四年2016/07/23(土) 10:18:23.46ID:Kxzy6UFi
寺は曰く付きの人間の受け皿である側面もあったから、坊主の出自は曖昧だし創作しやすいからな
0799人間七七四年2016/07/23(土) 20:55:59.68ID:OKpPnY7R
>>795
色々検索してたら「閾ペディアことのは」というHPがあって
その中に大僧正天海考異という頁があったんだけど
それを見ると須藤は最近の一部の考証家の説として
紹介しているみたいなんだよね、天海=光秀説、しかも虚妄説として
それを考えると須藤と同時代くらいの考証家が唱えた説って事になると思う
0800人間七七四年2016/07/23(土) 22:39:21.68ID:DRn+Ng+M
>>774
何で読んだかは忘れたけど輝政は暗殺が直接死因ではないものの
最初倒れた(1609年)のは実は暗殺未遂みたいなものでそれが
遠因なんじゃないかという話があった。
(因みに嫁の督も暗殺じゃないかとも)
ちょいと調べたら最初倒れた時とちょうど同じ頃大久保長安も
原因不明で体調を崩していて輝政が死んだ三か月後に長安も死んでる、
おもしろいことに当代記でも輝政の死について大久保長安絡めてる。
大久保長安事件の時も輝政は首謀者扱いくらっているからまあ
そういうことかなと思う部分もあり
0801人間七七四年2016/07/26(火) 09:19:59.99ID:yigwodJa
輝政って秀次の義兄だったり、家康の婿だったり
羽柴姓貰ったりと、何かと権力者から目を掛けられてるよな
0802人間七七四年2016/07/27(水) 20:51:36.61ID:Btx1n2JW
池田と言えば小牧長久手の戦いでの三河への奇襲作戦、
恒興の献策が通説だと思うけど、本当は秀吉からの提案だったって
小説何作か読んだ事があるけど、何を元ネタにしたんだろう
まあ忍城の水攻めも三成の発案ではなく秀吉の命令だった事を
考えると可能性は零ではないかもしれないが
0803人間七七四年2016/07/27(水) 23:04:20.82ID:NexH8/7T
>>802
丹羽長秀宛秀吉書状の内容が、自身の提案と伺わせる内容だったため
0804人間七七四年2016/07/28(木) 06:22:31.55ID:OaEnixDb
>>800
忘れられていることが多いけど長安と輝政は信長死後の
かなり早い段階から義理の叔父甥という身内関係だからな。
加えて家康と仲が良かった教如とは甥の下間が出奔してきてから
完全に敵対関係で領内で教如派を弾圧してもいる。
長安事件も池田と長安の力や権威を削ぐのが主目的だったのではとする
向きが出始めているらしくて督の暗殺疑惑もその一環らしい。

ツイッターで池田好きがつぶやいていたけど池田って繁栄したという
いい部分の影ではかなり幕府にやられていたりするみたいだぞ
0805人間七七四年2016/07/28(木) 07:14:08.95ID:+JUHdFEU
大久保長安事件はまだまだ研究不足で研究者やトンデモ作家が好き勝手にモノを言ってる状態。
0806人間七七四年2016/07/28(木) 17:29:34.01ID:OaEnixDb
>>805
んなこと承知の上で書いたんだが。
0807人間七七四年2016/07/28(木) 18:23:01.99ID:Jl+H/rZ4
長安は兎も角、子が殺されたのは親の不正経理を調査しろと言われて、
長男が奈良奉行を務めた経験があるのに、非才なので無理と答えて、
家康を激怒させたのが原因な訳で
0808人間七七四年2016/07/28(木) 18:43:47.58ID:OaEnixDb
それも確定なわけじゃないし子供全員が処刑された
理由にはならんだろ
その長男だって長安に代わっていろいろとやっていたから
それだけで非才というのは詭弁と思われ
0809人間七七四年2016/07/28(木) 19:38:56.81ID:Jl+H/rZ4
>>808
違う、非才では無いのに非才と偽って親の不正経理の調査を断ったことが、
家康の逆鱗に触れた
0810人間七七四年2016/07/29(金) 00:41:31.79ID:L3EMLRFp
なんかよくわからないがそれだけの理由で秀次事件並みの
処罰を行うとはとても思えないなあ
家康の逆鱗に触れたからというのも確定しているわけではないんだろう?

>>804
輝政の末弟長政も暗殺疑惑あるよな
かなりやられているというと利隆、忠雄、輝澄、輝興、光政あたりかな
結構キナ臭い感じ
督は自分もちょっと疑っていたりするw
まるで人目に触れさせたくないような動きがあるしな。
0811人間七七四年2016/07/29(金) 05:33:25.68ID:bVSNIJC9
自演うざ
0812人間七七四年2016/07/29(金) 14:04:33.74ID:L3EMLRFp
810だけどもしかして俺のことか?>>811
もしそうだったら全くの別人だよ
勝手に自演認定しないでくれ
0813人間七七四年2016/07/29(金) 14:08:18.75ID:FHMGljol
子供七人切腹ってのが凄いね、不正蓄財だけでここまでするのか
どうかわからんけど、反乱企んでたって説が出るのもうなずける。
0814人間七七四年2016/07/29(金) 16:26:54.73ID:Ue24aPu0
子も親と同様に各地の巡回で好き勝手に金を使っていたし
それに代官に厳しいのは徳川家の基本政策
0815人間七七四年2016/07/29(金) 23:21:53.44ID:b4Ly/qh4
謀反を企んだと言われている大賀弥四郎(実際は大岡弥四郎と言って
軽輩では無く身分はそれなりだったらしく、平山あたりはこの事件を
信康切腹事件の遠因の一つに挙げてるが)は鋸引きの刑にされたしな
0816人間七七四年2016/07/30(土) 07:19:00.87ID:gUX9F1+B
徳利と代官はどちらも最後は首を括ると言われた程だし
0817人間七七四年2016/07/30(土) 07:21:39.96ID:J5rAJIi+
>>815
大賀なんて大久保よりさらに
わからない事しかないから
0818人間七七四年2016/07/30(土) 08:24:50.25ID:/Woakk+d
信康の切腹が信長の指示だったという俗説は否定されたけど、事件そのもの真相については未だ不明だしな
0819人間七七四年2016/07/30(土) 17:15:35.27ID:RqIbo0mF
>>814
それも実際のところは真偽不明だったり
仮にそうでもその金は長安んちの金だから幕府も
文句は言えなかったり
そもそも長安と幕府の分け分率6:4だから長安んちが
金をたくさん持っていたとしても当たり前だったり
0820人間七七四年2016/07/30(土) 17:57:45.43ID:IzY9aU/h
不正がなくても長安が死んだら口実作って没収は規定路線だっただろうな
0821人間七七四年2016/07/30(土) 18:31:20.40ID:gUX9F1+B
>>819
そんな配分は根拠不明なのだが
0822人間七七四年2016/07/31(日) 09:31:49.76ID:9RvVlEGb
>>813
妻妾皆殺しや落首があったと言うだけで
そこの住民皆殺しよりは罪科がはっきりしてる分
まだマシだろう
0823人間七七四年2016/07/31(日) 09:54:15.55ID:c7V95fFi
>>821
記憶違いでなければ配分は確か帳簿などからの
算出に基づいたものだったと思われ。
0824人間七七四年2016/07/31(日) 12:37:13.15ID:rL4iTk17
>>822
妻妾だけじゃないぞ。侍女や子供らの乳母までザックリだ。
0825人間七七四年2016/08/01(月) 01:26:02.03ID:oZx2uBXN
それも明確ではないんだけどなw
0826人間七七四年2016/08/01(月) 01:39:27.58ID:fn9e/2zb
創作ってわけじゃないけど、関ヶ原での島津の逃亡劇
なんで武勇伝になってるのか意味分からん
日和ってたら戦が終わってしまって、ドサクサにまぎれてトンズラしたってのが実態なのに
0827人間七七四年2016/08/01(月) 10:47:04.46ID:KtHa9IK7
島津の敗走を武勇伝に仕立て上げている小説ってどれのこと?
0828人間七七四年2016/08/01(月) 17:00:39.13ID:GjtY8jX8
小説?
0829人間七七四年2016/08/01(月) 20:36:24.06ID:pkqaQdpe
あほに絡まれるとどうにもならんな
井伊直政が銃創を負ってるんだよ
0830人間七七四年2016/08/01(月) 21:45:34.61ID:Hp5rHOtq
>>井伊直政や松平忠吉が被弾

それ何にかかれてるかしらんが、明らかにデタラメ
井伊年譜とかには全くこのときの負傷記録もないし二人ともそもそも関が原直後から戦後処理で東奔西走してる

9/22毛利輝元、徳川氏との和成り、其本領を安堵せしめられしを喜び、井伊直政・本多忠勝及び福島正則・黒田長政に誓書を致し、大坂城西丸を去らんことを告げる
9/23徳川家康の老臣井伊直政、紀伊高野山に在る前近江大津城主京極高次を招く、尋で、家康、高次の弟同高知・山岡道阿彌を遣し、大坂に來らせる
9/25是より先、肥前佐賀の鍋島勝茂、井伊直政・本多正信・相國寺圓光寺の元佶(閑室)等に頼りて、罪を徳川家康に謝す、家康、筑後柳河の立花親成(宗茂)を攻めて、之を償はしむ、是日、勝茂、家康・秀忠父子に謁し、尋で、龍造寺高房を留め兵を率ヰて歸國す、
10/12土佐浦戸の長宗我部盛親、徳川家康の老臣井伊直政の勸に依り、大坂に至る、尋で、家康、盛親の封を收む
10/17井伊直政、徳川家康の命を受け、鈴木重好等をして、土佐浦戸の長宗我部盛親の諸城を收めしむ、尋で、土佐を與へられし遠江掛川の山内一豐、其弟康豐をして、入國せしむ、
11/13徳川家康の老臣井伊直政、重ねて、島津維新(義弘)・同忠恆をして、速に、家康に其罪を謝せしむ
12/13徳川家康の老臣井伊直政・山口直友、重ねて、島津龍伯(義久)・同忠恆の上京を求む、
12/23是より先、黒田長政、其封筑前に入る、是日、島津維新(義弘)に、徳川家康の老臣井伊直政に頼り、罪を家康に謝せんことを勸む、

翌年も引き続き政務こなしまくってる
井伊なんか死んだの2年後なのになんでこのときの傷が死亡原因にされてんだよ
0831人間七七四年2016/08/01(月) 21:53:56.65ID:pl87Djm0
銃の鉛や銃創による破傷風が死因なら
関ヶ原での傷が原因は無理があるな
豊臣、西軍、島津信者にしてみれば
直政の死因は関ヶ原の負傷の所為で
なければならないんだろうけど
0832人間七七四年2016/08/01(月) 21:55:00.38ID:pkqaQdpe
家譜は祖先を飾るもの
そのまま読めるかよ
で、直政の死因はなに?
0833人間七七四年2016/08/01(月) 21:58:51.08ID:XPGMOTjt
実際は兵を捨て駒にした潰走だよね
これを武功にすり替えちゃうんだからしょうもない
0834人間七七四年2016/08/01(月) 22:12:39.18ID:OyXVeT/s
関ヶ原でステガマリ?
それも怪しいんじゃない
家康の本陣に迫ったとか
0835人間七七四年2016/08/01(月) 22:27:12.35ID:bJJ/HYDj
桐野作人氏が島津の退き口で本一冊書いている
島津は予備兵扱いであり石田が無礼だったので参戦しなかったのも当然とか苦しい言い訳しているが
まあ鹿児島の人だからしゃーないよね
0836人間七七四年2016/08/01(月) 22:39:37.60ID:U96mTt5Q
>>834
捨て奸したけど勇猛な関東兵には通用せず豊久隊が全滅してしまったというだけで
別に命を捨てて主君を守る行動じゃないのよね。ただの戦法しかも通用しなかった戦法つうだけ
0837人間七七四年2016/08/01(月) 22:41:10.35ID:U96mTt5Q
>>835
桐野作人はまじめに資料拾うから持ち上げが持ち上げじゃなくなってるのよねその本w
0838人間七七四年2016/08/01(月) 22:42:22.84ID:fG328ufz
慶長5年9月28日付の井伊直政の如水宛の黒印状の最後の追記に
「少しく相煩い申し候間判形致さず候」
とあるから銃創でないにしても花押が書けないくらいの軽い怪我はあったんじゃないかなと思ってる
0839人間七七四年2016/08/01(月) 22:44:16.25ID:8WDscTbR
>>836
捨てがまりしたのなら命を捨てて主君を守る行動をしたってことだろ
釣り野伏せと間違ってないか?
0840人間七七四年2016/08/01(月) 22:52:57.48ID:oSVgf5DW
手傷を負わせた程度では武勇伝と見るのは難しいかもね
井伊直政が戦場で怪我するのは珍しくないみたいだし
直政が勇敢であったという見方もできるから
0841人間七七四年2016/08/01(月) 22:56:07.87ID:f6u1885g
>>838
煩いなんだから病気と見るべきなんじゃないの?
0842人間七七四年2016/08/01(月) 22:57:07.32ID:GjtY8jX8
自演失敗やら菅沼やら
0843人間七七四年2016/08/01(月) 23:03:14.73ID:U96mTt5Q
>>839
違う
0844人間七七四年2016/08/01(月) 23:05:19.42ID:U96mTt5Q
>>838
腕の当たったてのは家譜にあるんでしょ。死因にするのはもちろん厳しいが
0845人間七七四年2016/08/01(月) 23:18:37.01ID:mV0k2JvZ
>>842
で、自演失敗やら菅沼やら言うだけでまともな反論出来ない馬鹿の君はどうなのかね
0846人間七七四年2016/08/01(月) 23:21:57.64ID:fG328ufz
>>841
どうなんだろ
普通に文面通り読めば病気と解釈するのが妥当だけど、関ヶ原直後政務をこなしてる直政が怪我じゃなく病気で花押が書けない事ってあるかなと思い相煩いを怪我と解釈してるんだが俺の間違いかもしれん
0847人間七七四年2016/08/02(火) 00:08:12.87ID:h26/kgwY
細川忠利の事例だけど「本来なら自筆にすべき所ですが病のために腕が動かず代筆させてます」みたいな文面が頻出してる
0848人間七七四年2016/08/02(火) 00:14:15.31ID:Gm4k6SZh
島津の退き口は単なる危うく死にかけた大敗って結論でいいよ
0849人間七七四年2016/08/02(火) 01:42:50.80ID:6EUTdxiH
島津の退き口ふくめ関ヶ原の数々のエピソードのネタ元って、
明治26年に帝国陸軍参謀本部が編纂した「関ヶ原の役」なんだよ
これを編纂した軍人たちがどこで拾ってきたのか知らないけど、島津はたんに逃げたのではなく家康の本陣めがけて突撃して敵中を突破した、
としたのでそれが通説になっちゃった
たぶんそれ以前(明治26年以前)はそんな通説は無かったものと思われる
0850人間七七四年2016/08/02(火) 06:52:40.70ID:gwJWZ3Fi
病と称するのは花押を書くのが面倒な時の言い訳でもあるからな
当時の直政は多忙を極めてただろうから、その期間の書状全体を点検しないとなんとも言えない
0851人間七七四年2016/08/02(火) 07:08:27.00ID:Gm4k6SZh
義弘が勝ったとされる木崎原の戦いも兵士数とかめっちゃ胡散臭いよな
0852人間七七四年2016/08/02(火) 08:00:32.89ID:8NBW+fye
>>849
薩長閥の人が色々と持ち込んでああなったと思っている
0853人間七七四年2016/08/02(火) 08:02:09.04ID:gb2Kn7Uh
直政の死因が明確でないことのほうが関心があるな
武功だけでなく政治手腕もあった家臣がいなくなれば、家康も相当な打撃だろ
他言できないような変な病気か、家臣に殺されたか
0854人間七七四年2016/08/02(火) 08:19:48.33ID:BAxUoWhD
過労死じゃね
0855人間七七四年2016/08/02(火) 12:23:06.32ID:wb9yP7fA
>>854
俺も過労死だと思うわ
戦後処理が多忙すぎた
0856人間七七四年2016/08/03(水) 09:27:59.47ID:WKBYcWM+
破傷風や鉄砲の鉛毒で傷を負って二年後死亡は無理があるよな
胃癌で死んだ家康の死因が鯛の天ぷらの食あたり(それこそ
食べてから死ぬまで三ヶ月近くたっている)なんて俗説が
長い事まかり通ってた事考えると俗説の影響力って強いよな
0857人間七七四年2016/08/03(水) 14:28:37.52ID:q22ObE63
一人残らず戦死してもおかしくなかった島津隊が、
5%も生還したのは自慢したくなるのも無理はないのでは
遅れて帰って来たのも含めれば20%近くは生きてたみたいだし

8割以上死んだのなら、壊滅もいいとこだけど
0858人間七七四年2016/08/03(水) 14:53:28.59ID:K6RwFR34
えらい低いハードルの武勇にしてきたな
0859人間七七四年2016/08/03(水) 15:04:32.21ID:G2KrLLSS
武勇伝でも武功でも何でもないよな
単なる潰走でしかない
0860人間七七四年2016/08/03(水) 15:35:41.42ID:3jfZ35Ws
義弘が運良く助かっただけで、軍としては壊滅しているよね
0861人間七七四年2016/08/03(水) 19:07:14.15ID:q22ObE63
島津の敗走を武勇伝として扱っている作品に心当たりがないから困惑してる
サバイバル映画を相手に、主人公は災害の解決になんの貢献もしてない凡人、
といった的外れなイチャモンを付けてるような事態、なんてことになってないの?
0862人間七七四年2016/08/03(水) 21:47:41.51ID:y7Ulv6yT
敗走を「的中突破」などと武勇伝にしてるわな
また、島津義弘がせっかく夜襲を献策したのに石田三成が退けたために西軍は勝機を逃したとか、
この一件で義弘は三成に不信感を持ち、本戦で陣を動かなかったのだ、などと島津のヘタレぶりを正当化するエピソード多すぎ
0863人間七七四年2016/08/03(水) 22:24:22.92ID:Z4UuSoQC
>>857
むしろ死にすぎでしょ
戦国の死傷率としても異常に高い。

実際は帰路で脱落したのが大半なんじゃないか?
0864人間七七四年2016/08/03(水) 22:24:42.90ID:5Wm/d61B
義弘って赤池長任にも討ち取られかけて部下を捨て石にして逃げてたよね
0865人間七七四年2016/08/03(水) 22:29:53.34ID:kUSXBEKu
今度アニメになるドリフターズっていう漫画
あれは主人公が島津豊久で物語冒頭が島津の退き口から始まる。
0866人間七七四年2016/08/04(木) 11:41:03.93ID:nQqPrnnk
「敵中突破」が武勇伝という発想は無かった
宇喜多隊、石田隊、大谷隊といった、実際に闘った西軍部隊が次々と壊滅した結果、
島津隊の周辺は敵だらけになっただろうと考えられるが

当初の予定通りの退路が確保されていたとは思えん
敵に囲まれた状態からの脱出は、敵中突破以外の何物でもないわけだし
0867人間七七四年2016/08/04(木) 12:22:31.69ID:lmXppFim
旗倒して敵の合言葉使って農民人質に取って道案内させ味方見殺しにしながらコソコソ逃避行
「敵中突破」じゃなくて「敵中脱出」程度にすれば字面に惑わせられることもない
0868人間七七四年2016/08/04(木) 13:00:51.21ID:Bp2uRvNV
>>866
別に包囲はされてないんじゃないか?
他の軍勢も普通に離脱してるし
0869人間七七四年2016/08/04(木) 13:01:07.51ID:4znxCl3b
総叩きだが、ここはアンチ島津が多いのか?

西軍総崩れで他隊が西に逃げてる状態で、東に向かってから南に抜けてるんだから
『敵中突破』でもいいだろ。島津は戦績をかなり盛ってたりはするけど、元の事実は
なにがしかあると認識してるけどね。
0870人間七七四年2016/08/04(木) 14:07:38.86ID:sjJti4sg
それを立証できなきゃただの敗走
0871人間七七四年2016/08/04(木) 14:14:50.80ID:4znxCl3b
日本語苦手な人?
0872人間七七四年2016/08/04(木) 14:44:07.91ID:lmXppFim
関ヶ原参加島津家臣の覚書の記述が傍から見ればただの逃避行やからな盛っててすら
0873人間七七四年2016/08/04(木) 15:07:59.69ID:+aouY31g
ここで死んでたらどんな評価だったろうね義弘w
代わりになった家臣に感謝してもしきれんな
0874人間七七四年2016/08/04(木) 18:35:06.67ID:GI4dXDqz
義弘が名将であったことは確かだろうが、神格化されすぎ
0875人間七七四年2016/08/04(木) 19:27:11.20ID:iYyedEN5
>>873
付く方を読み誤るわ兵士は集められないわ引き際誤ったわで散々な最後に
0876人間七七四年2016/08/04(木) 19:45:33.33ID:ALZGZDsc
初めは東軍に着くつもりだったけど、鳥居元忠に伏見入城を断られてしかたなく西軍に着いたってのはどうなんだ
0877人間七七四年2016/08/04(木) 20:03:37.92ID:fweiy8VD
惨めな敗走のルートを表現する「敵中突破」を、
攻勢をかける側の作戦を示す「中央突破」と取り違えて
武勇伝にしてると言い掛かりつけてるだけだったりして…

>>876
徳川からの追及を和らげるため、
関ヶ原戦後になって島津家がでっちあげた言い訳だそうだ
0878人間七七四年2016/08/04(木) 20:08:01.26ID:ALZGZDsc
言い訳多すぎじゃねーかw
0879人間七七四年2016/08/04(木) 23:08:47.98ID:NKxlVq5Y
>>877
「島津の退き口」を惨めな敗走として取り扱ってる大河ドラマや小説なんて少なくとも俺は知らないな
0880人間七七四年2016/08/04(木) 23:50:43.78ID:ALZGZDsc
フィクションだからね小説とかは
史実は惨めな敗走ってことさ
0881人間七七四年2016/08/05(金) 00:18:15.41ID:gFioVsk0
なに言ってるんだろうこの人
0882人間七七四年2016/08/05(金) 00:51:18.65ID:SN1Zgc8h
鬼島津の記述も朝鮮側の記録に無くて、明のほうでも鬼が何の表現の意味かは不明なんだよね
0883人間七七四年2016/08/05(金) 08:04:41.34ID:EAO4xyyG
>>876
伏見への在番という話は家康が下向する前からあった。
義弘は在番の為の軍勢を国元に求めたけど、いつまでも軍勢が来ず延び延びになっているうちに西軍が決起。
島津としては伏見在番か大坂在番でやり過ごしたかったが、どちらも実現しないウチに西軍にガッツリ組み込まれてしまったというのが真相。

伏見へ行きたがってたのは東軍に味方するつもりじゃなくて終戦するまで中立で居たかっただけという。
0884人間七七四年2016/08/05(金) 08:25:54.24ID:mKDfudCC
創作でしょ
0885人間七七四年2016/08/05(金) 20:13:03.09ID:pGK24o8N
義弘は関ヶ原本戦で、最初からノリノリで戦っていたことが今はわかっている。
0886人間七七四年2016/08/06(土) 06:12:12.71ID:cOF7Q+z2
>>885
それ言ってたのは光成氏の「関ヶ原前夜」だろ。
あの本は着想は良かったけど、あちこち史料解釈に問題があるからなぁ

島津の積極参加もそれは無いと批判されてるし
0887人間七七四年2016/08/06(土) 11:12:50.68ID:PJzDl3ey
伏見城戦あたりからは毒を食らわば皿まで的なところはあるけど
最初からノリノリという感じじゃないなぁ
0888人間七七四年2016/08/06(土) 13:04:29.49ID:r5nmJvsk
義弘は、朝鮮でも関ヶ原でも寡兵に悩んでたのに、ノリノリなわけがない
0889人間七七四年2016/08/06(土) 13:15:37.78ID:vYuZ8Rrw
ノリノリだったのは毛利くらいだよなぁ
宇喜多は楽天的なのか強がってるだけなのかよく分からん
0890人間七七四年2016/08/06(土) 20:05:15.14ID:f8BE/adh
立花宗茂もノリノリだった感がある
関ヶ原本戦には間に合わなかったが、
そこまでの能動的な動きが
0891人間七七四年2016/08/06(土) 20:55:09.23ID:rnfsZFTo
立花は単なるバカだから特に何の考えもなかっただけでしょ
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