実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net
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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net
2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89Cあるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0766人間七七四年
2016/07/16(土) 13:43:08.69ID:SVpJ0Ya70767人間七七四年
2016/07/16(土) 15:04:19.69ID:oiTeVsKP0768人間七七四年
2016/07/16(土) 15:17:25.99ID:K674F4SB0769人間七七四年
2016/07/16(土) 15:51:05.42ID:jGSUM64x家康が東北の武将暗殺するようなもの
0770人間七七四年
2016/07/16(土) 17:20:08.15ID:Hb/VgSIH死ぬほどの病気かは分からないが実際に病気してたという当時の一次史料もある
暗殺だとしても秀吉は「俺のために働きたいとか言っててかわいい奴だから所領与えようと思う」と
義久に通知してて暗殺する理由がまず無い
逆に義久は「家久が勝手なことしてる。これはお家存亡の危機。困った」と家臣に嘆いていて訳で
死因は順当に病死。もし仮に暗殺だとしたら独立されては困る義久によるものとなる
0771人間七七四年
2016/07/16(土) 18:33:32.07ID:sC9HcI490772人間七七四年
2016/07/16(土) 19:00:02.11ID:hnTSuAaT案の定現地で没した吉川元春は秀吉に殺されたも同然
しかも都合よく直後にその嫡男も死んで毛利家中から反秀吉派は一掃された。。。
0773人間七七四年
2016/07/16(土) 19:22:02.96ID:yv6kakMb0774人間七七四年
2016/07/16(土) 20:10:52.70ID:9GRNj/lZ信長の高野聖千人斬り、秀吉が朝鮮虎の塩漬け肉で精を付けたって話も創作だよ。
0775人間七七四年
2016/07/16(土) 20:25:38.89ID:jGSUM64xまともにやっても勝てないからっていう…天下人が暗殺する必要あるぅー?
0776人間七七四年
2016/07/17(日) 00:11:47.01ID:KGfJ93oI豊臣と島津の2択しかないってことはなかろうさ
動機的には大友家臣の佐伯惟定とかその客将の山田匡徳とかが結構怪しい
0777人間七七四年
2016/07/17(日) 13:18:42.87ID:8c2C9psGそのまま読むと文脈に全く繋がりがなくて如何にも書き手の頭が悪そう
同一の軍記講談が出典なのかな?
0778人間七七四年
2016/07/17(日) 13:41:16.08ID:ZNFnaCOz0780人間七七四年
2016/07/17(日) 18:45:32.44ID:8Onnz1g30781人間七七四年
2016/07/17(日) 23:27:30.89ID:tKVp0nuQ0782人間七七四年
2016/07/18(月) 06:03:10.55ID:wKTCWIu9徳川にしても信康や忠長の切腹や、秀頼を攻め滅ぼした理由は曖昧
主筋や嫡子、一門ですら強引に死を命じられているのに臣下ごときをコソコソと暗殺するとは思えない
0783人間七七四年
2016/07/18(月) 19:56:38.36ID:UzcRrj8j伊達家みたいに弟殺しの責任を母親に擦り付ける家もあるけど
0784人間七七四年
2016/07/18(月) 21:08:13.19ID:PbqKYFUG真田信繁や豊臣秀頼、島清興以外でどんなのがいたっけ?
0785人間七七四年
2016/07/18(月) 21:20:18.54ID:d/6vVi+mマイナーな武将だと結構いる
0786人間七七四年
2016/07/19(火) 22:01:46.46ID:giN6eur7それは真田信繁や源義経、西郷隆盛みたいに本当は死んだけど
生きてて欲しいという民衆の願望が創作した生存話じゃなくて
単純に生死が不明確だってだけの連中じゃないのか
0787人間七七四年
2016/07/20(水) 00:41:43.04ID:95v0jcUG細川興秋
大坂に豊臣方についたため父の命で切腹したとされるが
天草に逃がされ生き延びたという説がある
原田信種
清正の家臣となって朝鮮で戦死したとも朝鮮に降って沙也可になったとも
帰国してたとも言われる
和人人鬼
肥後一揆の田中城攻めでただ一人逃げ延びたとも自害したとも言われる
田原親虎
耳川合戦で戦死したとも、田原家を廃嫡された後は四国で暮らしてたとも言われる
まあ、生存説と死亡説がある歴史から消えた連中だな
0788人間七七四年
2016/07/20(水) 13:37:31.57ID:xaysYt+m明智光秀
0789人間七七四年
2016/07/20(水) 14:07:27.83ID:nMsEvtnS0790人間七七四年
2016/07/20(水) 17:50:21.34ID:H4Rhq3pOまさか40年以上経って書かれた太閤記や100年位の明智軍記の作者も事実化してビックリだろ
0791人間七七四年
2016/07/20(水) 21:08:08.69ID:CPIXlbOq光秀=天海説って初出はいつ頃で、
誰が言い出したのかな?
0793人間七七四年
2016/07/20(水) 21:50:50.20ID:xAVyB+Rw須藤南翠とか言う明治の作家じゃなかったかな
0794人間七七四年
2016/07/21(木) 22:40:22.17ID:5rrgbdl8須藤南翠ってどんな作家?
0795人間七七四年
2016/07/21(木) 23:25:30.14ID:59Yv3wsl天海は蘆名家臣船木景光の息子って結論付けてるみたいなんだよね
『大僧正天海』を読まないと分かんないけど、須藤は「或説云」で紹介しただけで
光秀=天海説はもっと遡れるんじゃないかとも思う
0796人間七七四年
2016/07/22(金) 17:53:08.79ID:TtjH/5ZZでまだ余力あるなら 金光秀 文光秀 も見てみると、知識に更なるひろがりが
0797人間七七四年
2016/07/22(金) 22:04:56.87ID:1eVj6Y3j政僧には創作と思われる俗説を持った人物が多いよな
0798人間七七四年
2016/07/23(土) 10:18:23.46ID:Kxzy6UFi0799人間七七四年
2016/07/23(土) 20:55:59.68ID:OKpPnY7R色々検索してたら「閾ペディアことのは」というHPがあって
その中に大僧正天海考異という頁があったんだけど
それを見ると須藤は最近の一部の考証家の説として
紹介しているみたいなんだよね、天海=光秀説、しかも虚妄説として
それを考えると須藤と同時代くらいの考証家が唱えた説って事になると思う
0800人間七七四年
2016/07/23(土) 22:39:21.68ID:DRn+Ng+M何で読んだかは忘れたけど輝政は暗殺が直接死因ではないものの
最初倒れた(1609年)のは実は暗殺未遂みたいなものでそれが
遠因なんじゃないかという話があった。
(因みに嫁の督も暗殺じゃないかとも)
ちょいと調べたら最初倒れた時とちょうど同じ頃大久保長安も
原因不明で体調を崩していて輝政が死んだ三か月後に長安も死んでる、
おもしろいことに当代記でも輝政の死について大久保長安絡めてる。
大久保長安事件の時も輝政は首謀者扱いくらっているからまあ
そういうことかなと思う部分もあり
0801人間七七四年
2016/07/26(火) 09:19:59.99ID:yigwodJa羽柴姓貰ったりと、何かと権力者から目を掛けられてるよな
0802人間七七四年
2016/07/27(水) 20:51:36.61ID:Btx1n2JW恒興の献策が通説だと思うけど、本当は秀吉からの提案だったって
小説何作か読んだ事があるけど、何を元ネタにしたんだろう
まあ忍城の水攻めも三成の発案ではなく秀吉の命令だった事を
考えると可能性は零ではないかもしれないが
0804人間七七四年
2016/07/28(木) 06:22:31.55ID:OaEnixDb忘れられていることが多いけど長安と輝政は信長死後の
かなり早い段階から義理の叔父甥という身内関係だからな。
加えて家康と仲が良かった教如とは甥の下間が出奔してきてから
完全に敵対関係で領内で教如派を弾圧してもいる。
長安事件も池田と長安の力や権威を削ぐのが主目的だったのではとする
向きが出始めているらしくて督の暗殺疑惑もその一環らしい。
ツイッターで池田好きがつぶやいていたけど池田って繁栄したという
いい部分の影ではかなり幕府にやられていたりするみたいだぞ
0805人間七七四年
2016/07/28(木) 07:14:08.95ID:+JUHdFEU0807人間七七四年
2016/07/28(木) 18:23:01.99ID:Jl+H/rZ4長男が奈良奉行を務めた経験があるのに、非才なので無理と答えて、
家康を激怒させたのが原因な訳で
0808人間七七四年
2016/07/28(木) 18:43:47.58ID:OaEnixDb理由にはならんだろ
その長男だって長安に代わっていろいろとやっていたから
それだけで非才というのは詭弁と思われ
0810人間七七四年
2016/07/29(金) 00:41:31.79ID:L3EMLRFp処罰を行うとはとても思えないなあ
家康の逆鱗に触れたからというのも確定しているわけではないんだろう?
>>804
輝政の末弟長政も暗殺疑惑あるよな
かなりやられているというと利隆、忠雄、輝澄、輝興、光政あたりかな
結構キナ臭い感じ
督は自分もちょっと疑っていたりするw
まるで人目に触れさせたくないような動きがあるしな。
0811人間七七四年
2016/07/29(金) 05:33:25.68ID:bVSNIJC90813人間七七四年
2016/07/29(金) 14:08:18.75ID:FHMGljolどうかわからんけど、反乱企んでたって説が出るのもうなずける。
0814人間七七四年
2016/07/29(金) 16:26:54.73ID:Ue24aPu0それに代官に厳しいのは徳川家の基本政策
0815人間七七四年
2016/07/29(金) 23:21:53.44ID:b4Ly/qh4軽輩では無く身分はそれなりだったらしく、平山あたりはこの事件を
信康切腹事件の遠因の一つに挙げてるが)は鋸引きの刑にされたしな
0816人間七七四年
2016/07/30(土) 07:19:00.87ID:gUX9F1+B0818人間七七四年
2016/07/30(土) 08:24:50.25ID:/Woakk+d0819人間七七四年
2016/07/30(土) 17:15:35.27ID:RqIbo0mFそれも実際のところは真偽不明だったり
仮にそうでもその金は長安んちの金だから幕府も
文句は言えなかったり
そもそも長安と幕府の分け分率6:4だから長安んちが
金をたくさん持っていたとしても当たり前だったり
0820人間七七四年
2016/07/30(土) 17:57:45.43ID:IzY9aU/h0822人間七七四年
2016/07/31(日) 09:31:49.76ID:9RvVlEGb妻妾皆殺しや落首があったと言うだけで
そこの住民皆殺しよりは罪科がはっきりしてる分
まだマシだろう
0825人間七七四年
2016/08/01(月) 01:26:02.03ID:oZx2uBXN0826人間七七四年
2016/08/01(月) 01:39:27.58ID:fn9e/2zbなんで武勇伝になってるのか意味分からん
日和ってたら戦が終わってしまって、ドサクサにまぎれてトンズラしたってのが実態なのに
0827人間七七四年
2016/08/01(月) 10:47:04.46ID:KtHa9IK70828人間七七四年
2016/08/01(月) 17:00:39.13ID:GjtY8jX80829人間七七四年
2016/08/01(月) 20:36:24.06ID:pkqaQdpe井伊直政が銃創を負ってるんだよ
0830人間七七四年
2016/08/01(月) 21:45:34.61ID:Hp5rHOtqそれ何にかかれてるかしらんが、明らかにデタラメ
井伊年譜とかには全くこのときの負傷記録もないし二人ともそもそも関が原直後から戦後処理で東奔西走してる
9/22毛利輝元、徳川氏との和成り、其本領を安堵せしめられしを喜び、井伊直政・本多忠勝及び福島正則・黒田長政に誓書を致し、大坂城西丸を去らんことを告げる
9/23徳川家康の老臣井伊直政、紀伊高野山に在る前近江大津城主京極高次を招く、尋で、家康、高次の弟同高知・山岡道阿彌を遣し、大坂に來らせる
9/25是より先、肥前佐賀の鍋島勝茂、井伊直政・本多正信・相國寺圓光寺の元佶(閑室)等に頼りて、罪を徳川家康に謝す、家康、筑後柳河の立花親成(宗茂)を攻めて、之を償はしむ、是日、勝茂、家康・秀忠父子に謁し、尋で、龍造寺高房を留め兵を率ヰて歸國す、
10/12土佐浦戸の長宗我部盛親、徳川家康の老臣井伊直政の勸に依り、大坂に至る、尋で、家康、盛親の封を收む
10/17井伊直政、徳川家康の命を受け、鈴木重好等をして、土佐浦戸の長宗我部盛親の諸城を收めしむ、尋で、土佐を與へられし遠江掛川の山内一豐、其弟康豐をして、入國せしむ、
11/13徳川家康の老臣井伊直政、重ねて、島津維新(義弘)・同忠恆をして、速に、家康に其罪を謝せしむ
12/13徳川家康の老臣井伊直政・山口直友、重ねて、島津龍伯(義久)・同忠恆の上京を求む、
12/23是より先、黒田長政、其封筑前に入る、是日、島津維新(義弘)に、徳川家康の老臣井伊直政に頼り、罪を家康に謝せんことを勸む、
翌年も引き続き政務こなしまくってる
井伊なんか死んだの2年後なのになんでこのときの傷が死亡原因にされてんだよ
0831人間七七四年
2016/08/01(月) 21:53:56.65ID:pl87Djm0関ヶ原での傷が原因は無理があるな
豊臣、西軍、島津信者にしてみれば
直政の死因は関ヶ原の負傷の所為で
なければならないんだろうけど
0832人間七七四年
2016/08/01(月) 21:55:00.38ID:pkqaQdpeそのまま読めるかよ
で、直政の死因はなに?
0833人間七七四年
2016/08/01(月) 21:58:51.08ID:XPGMOTjtこれを武功にすり替えちゃうんだからしょうもない
0834人間七七四年
2016/08/01(月) 22:12:39.18ID:OyXVeT/sそれも怪しいんじゃない
家康の本陣に迫ったとか
0835人間七七四年
2016/08/01(月) 22:27:12.35ID:bJJ/HYDj島津は予備兵扱いであり石田が無礼だったので参戦しなかったのも当然とか苦しい言い訳しているが
まあ鹿児島の人だからしゃーないよね
0836人間七七四年
2016/08/01(月) 22:39:37.60ID:U96mTt5Q捨て奸したけど勇猛な関東兵には通用せず豊久隊が全滅してしまったというだけで
別に命を捨てて主君を守る行動じゃないのよね。ただの戦法しかも通用しなかった戦法つうだけ
0838人間七七四年
2016/08/01(月) 22:42:22.84ID:fG328ufz「少しく相煩い申し候間判形致さず候」
とあるから銃創でないにしても花押が書けないくらいの軽い怪我はあったんじゃないかなと思ってる
0840人間七七四年
2016/08/01(月) 22:52:57.48ID:oSVgf5DW井伊直政が戦場で怪我するのは珍しくないみたいだし
直政が勇敢であったという見方もできるから
0842人間七七四年
2016/08/01(月) 22:57:07.32ID:GjtY8jX80845人間七七四年
2016/08/01(月) 23:18:37.01ID:mV0k2JvZで、自演失敗やら菅沼やら言うだけでまともな反論出来ない馬鹿の君はどうなのかね
0846人間七七四年
2016/08/01(月) 23:21:57.64ID:fG328ufzどうなんだろ
普通に文面通り読めば病気と解釈するのが妥当だけど、関ヶ原直後政務をこなしてる直政が怪我じゃなく病気で花押が書けない事ってあるかなと思い相煩いを怪我と解釈してるんだが俺の間違いかもしれん
0847人間七七四年
2016/08/02(火) 00:08:12.87ID:h26/kgwY0848人間七七四年
2016/08/02(火) 00:14:15.31ID:Gm4k6SZh0849人間七七四年
2016/08/02(火) 01:42:50.80ID:6EUTdxiH明治26年に帝国陸軍参謀本部が編纂した「関ヶ原の役」なんだよ
これを編纂した軍人たちがどこで拾ってきたのか知らないけど、島津はたんに逃げたのではなく家康の本陣めがけて突撃して敵中を突破した、
としたのでそれが通説になっちゃった
たぶんそれ以前(明治26年以前)はそんな通説は無かったものと思われる
0850人間七七四年
2016/08/02(火) 06:52:40.70ID:gwJWZ3Fi当時の直政は多忙を極めてただろうから、その期間の書状全体を点検しないとなんとも言えない
0851人間七七四年
2016/08/02(火) 07:08:27.00ID:Gm4k6SZh0853人間七七四年
2016/08/02(火) 08:02:09.04ID:gb2Kn7Uh武功だけでなく政治手腕もあった家臣がいなくなれば、家康も相当な打撃だろ
他言できないような変な病気か、家臣に殺されたか
0854人間七七四年
2016/08/02(火) 08:19:48.33ID:BAxUoWhD0856人間七七四年
2016/08/03(水) 09:27:59.47ID:WKBYcWM+胃癌で死んだ家康の死因が鯛の天ぷらの食あたり(それこそ
食べてから死ぬまで三ヶ月近くたっている)なんて俗説が
長い事まかり通ってた事考えると俗説の影響力って強いよな
0857人間七七四年
2016/08/03(水) 14:28:37.52ID:q22ObE635%も生還したのは自慢したくなるのも無理はないのでは
遅れて帰って来たのも含めれば20%近くは生きてたみたいだし
8割以上死んだのなら、壊滅もいいとこだけど
0858人間七七四年
2016/08/03(水) 14:53:28.59ID:K6RwFR340859人間七七四年
2016/08/03(水) 15:04:32.21ID:G2KrLLSS単なる潰走でしかない
0860人間七七四年
2016/08/03(水) 15:35:41.42ID:3jfZ35Ws0861人間七七四年
2016/08/03(水) 19:07:14.15ID:q22ObE63サバイバル映画を相手に、主人公は災害の解決になんの貢献もしてない凡人、
といった的外れなイチャモンを付けてるような事態、なんてことになってないの?
0862人間七七四年
2016/08/03(水) 21:47:41.51ID:y7Ulv6yTまた、島津義弘がせっかく夜襲を献策したのに石田三成が退けたために西軍は勝機を逃したとか、
この一件で義弘は三成に不信感を持ち、本戦で陣を動かなかったのだ、などと島津のヘタレぶりを正当化するエピソード多すぎ
0863人間七七四年
2016/08/03(水) 22:24:22.92ID:Z4UuSoQCむしろ死にすぎでしょ
戦国の死傷率としても異常に高い。
実際は帰路で脱落したのが大半なんじゃないか?
0864人間七七四年
2016/08/03(水) 22:24:42.90ID:5Wm/d61B0865人間七七四年
2016/08/03(水) 22:29:53.34ID:kUSXBEKuあれは主人公が島津豊久で物語冒頭が島津の退き口から始まる。
0866人間七七四年
2016/08/04(木) 11:41:03.93ID:nQqPrnnk宇喜多隊、石田隊、大谷隊といった、実際に闘った西軍部隊が次々と壊滅した結果、
島津隊の周辺は敵だらけになっただろうと考えられるが
当初の予定通りの退路が確保されていたとは思えん
敵に囲まれた状態からの脱出は、敵中突破以外の何物でもないわけだし
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