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実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0639人間七七四年2016/06/24(金) 13:32:20.44ID:kB4Ss0HD
坂本龍馬オタのウザさ
板違いとか関係無い
0640人間七七四年2016/06/24(金) 14:58:59.23ID:xRRFA8ia
官兵衛の小田原開城が嘘だったとは
0641人間七七四年2016/06/24(金) 18:31:16.44ID:+yy0pxvi
>>640
そうだよ、今は幸村が定説
0642人間七七四年2016/06/24(金) 18:36:54.60ID:9u2YZm3I
つまらん返しだな
0643人間七七四年2016/06/25(土) 21:34:31.11ID:jpkhQ8Fb
三木城の干殺し本当は城兵皆殺しにしてたみたいだけど
いつから秀吉は人殺しが嫌いだから、出来るだけ
人が死なないように立てた作戦になったんだろう?
仮に城兵殺してなくても、籠城側には飢餓地獄としか
言えない過酷な策なんだが
0644人間七七四年2016/06/25(土) 21:36:28.53ID:3vlpcHIf
味方には死者は出ないだろ?
0645人間七七四年2016/06/25(土) 22:01:57.34ID:ULvjmLI2
秀吉の責任で死ななければOK
城兵が飢死するのは、食料もないのに
城主が意地を張って降伏しないせいだから
0646人間七七四年2016/06/26(日) 00:04:38.38ID:23adfLOo
そりゃ敵味方とも死人が出ない事に越した事はないがそんなことは
夢物語なんだから仕方ないだろ
実際に秀吉は権力者の割には譲歩が大好きな人間だがそれはすべて
戦をしないため
元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ(ただし君主の分別はつけるので
過酷な処分が治世の為に必要と感じたら容赦なくやる)
0647人間七七四年2016/06/26(日) 00:19:36.11ID:OycwONxh
>元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ

太閤記史観
司馬史観
0648人間七七四年2016/06/26(日) 00:41:05.01ID:4zZZm5i+
一応一次史料の身内にあてた書状で「わしゃ人死は嫌い」と言ってるのよね
所業を見るにとてもそうは思えませんけどw
0649人間七七四年2016/06/26(日) 01:03:08.09ID:dbKnwgK5
>>648
というか『わしゃ人殺しがだぁい好きなのよ!』なんてわざわざ書かんだろ、ゴステロかよw
0650人間七七四年2016/06/26(日) 01:13:13.79ID:vqLZoPOQ
>>648
身内じゃなくて敵方に宛てた書状じゃなかったか?
つまり「殺すのが嫌い」っていうのは完全に脅し文句
0651人間七七四年2016/06/26(日) 01:15:42.30ID:iK87Nqzd
見渡す限り死体の山で胸がすかっとした
お前らにも見せてやりたいだぎゃ〜

って書状送ってくる奴はいるけどな
0652人間七七四年2016/06/26(日) 01:18:47.62ID:4zZZm5i+
>>649
そりゃ書かんだろ。だから?
0653人間七七四年2016/06/26(日) 08:05:49.61ID:wAQuAkMU
秀吉が人殺しは嫌いと言ってる書状は少なくとも2つある。

ただしそれが秀次に送った折檻状(豊臣秀吉文書集二 1215)と
小早川隆景に送った脅迫状(毛利家文書三 980、豊臣秀吉文書集一 705)なんだよなぁ
0654人間七七四年2016/06/26(日) 08:51:57.76ID:vqLZoPOQ
結局どっちも脅し文句じゃないですかやだー
0655人間七七四年2016/06/26(日) 10:24:32.09ID:XN/U5mzN
秀次への手紙ってこんな内容でしょ?

わしは人を斬るのが嫌いだが、今のお前のように見苦しい様ならば
一族の恥であるから成敗する。わしのおいとして意識をして働くのであれば
どこの国でも好きな知行をとらせる 
0656人間七七四年2016/06/26(日) 10:41:42.93ID:4zZZm5i+
そうなんだよね
「わしゃ人死は嫌や、じゃけんこれ以上はどうなるか判らんな〜」って
三文小説のやくざの親分のセリフの発祥は秀吉説を唱えてよろしいか
0657人間七七四年2016/06/26(日) 11:24:58.91ID:wAQuAkMU
念の為に書いておくが、隆景宛書状で「人殺しは嫌い」ってのは、無精者への処置の話で隆景への脅し文句には繋がってないです。
書状は柴田勝家を倒した経緯(刎首がたくさん出てくる)を延々と書き連ねた後、部下への知行割り当てなどの話をした後、七月末までは軍勢を休ませようと思ってると宣言したあと、隆景への脅し文句へとつながります。

大意は 「軍勢を休ませ終わったら全軍をそちらに差し向けて境目の話をしましょう。秀吉が腹を立てないようにしてください。」、「東国の氏政や景勝も秀吉に従ってるので、輝元も秀吉に従うようにあなたから勧めてください。」といった感じですな
0658人間七七四年2016/06/26(日) 14:37:03.10ID:aghh09pq
>>638
つまり、創作物である軍記にしか出典が確認できず、
史実と断ずる根拠が皆無ということですね
同内容が載っている一次史料が発見できればいいのだけど
0659人間七七四年2016/06/26(日) 14:49:33.98ID:qBfdF4xq
実際に二度がけしてたとしてその後無事に領国維持したり天下取っちゃったりしてたら
臨機応変に対応できると感心した逸話になってたんだろうか
0660人間七七四年2016/06/26(日) 14:53:23.02ID:6YLN4Sly
詐欺師が犯罪の際、自分は詐欺師ではないと自己紹介した
それをもって公判で彼は詐欺を行なっていないと弁護する主張は
通るものだろうか
0661人間七七四年2016/06/26(日) 16:04:29.58ID:M26kQ9gQ
秀吉は妄想性人格障害だったとか反社会性人格障害だった
とかいう指摘は前々からあったけど、
それらに加えて、
統合失調型人格障害と自己愛性人格障害と演技性人格障害も
併せ持っていたようですね

先にお市の方と柴田勝家が喪主となって信長の葬儀を行なっていたにもかかわらず、
秀吉が信長の葬儀を装う演出過剰な催事を執り行い、
諸大名に自分が信長の後継者であるかのような印象操作をしたことも、
演技性人格障害で説明がつきます
この演技性人格障害は、一般に虚言癖を伴います
秀吉は反社会性人格障害もあるので、好きも嫌いもなく平然と人殺しができるわけですが、
利に因ってこれまた平然と「自分は人殺しが嫌い」と嘘をつけるわけです
0662人間七七四年2016/06/26(日) 19:22:12.85ID:XN/U5mzN
>>661
知ったか乙
0663人間七七四年2016/06/26(日) 19:46:12.34ID:X3dXcdjX
>>658
>一次史料に無いから創作
これを言い出すと逸話や通説の大半は創作にできるんだよなー
0664人間七七四年2016/06/26(日) 19:58:48.74ID:vqLZoPOQ
>>663
実際創作だろ
0665人間七七四年2016/06/26(日) 20:00:02.46ID:jHShHs9g
そもそも氏康氏政親子の食事の席の会話に一次資料が有る訳ないだろw

同席してる息子の食事に書状で文句を言う親とか険悪すぎる
0666人間七七四年2016/06/26(日) 22:18:31.13ID:wAQuAkMU
それを言い出すと親子でいっしょに食事してる時点で異常じゃないか。
0667人間七七四年2016/06/26(日) 22:38:12.11ID:rERcbqJ4
親子で一緒に食事するのが異常とは・・・
0668人間七七四年2016/06/26(日) 22:50:33.15ID:Thiq1iuU
>>666の親御さんの苦労が忍ばれるな
0669人間七七四年2016/06/26(日) 23:03:55.34ID:wAQuAkMU
お前ら庶民感覚丸出しすぎるだろ
氏政、氏康は同じ城内とはいえ、普段住んでる郭も違うってのに
0670人間七七四年2016/06/26(日) 23:07:02.48ID:rERcbqJ4
とはいえ家族なんだから一緒に食事する事くらいあるだろ
0671人間七七四年2016/06/26(日) 23:24:05.84ID:o84TV/8b
あるとしたら何か特別な時だろうから汁かけ飯じゃ無くて豪華なご馳走を食ってる気がする
0672人間七七四年2016/06/26(日) 23:36:08.94ID:Lioe3mpX
そういう席で猫マンマされちゃあ、氏康でなくても文句を言いたくなるわなw
0673人間七七四年2016/06/26(日) 23:57:36.45ID:OycwONxh
お前は創作を信じているのか。本当に馬鹿なのか・
0674人間七七四年2016/06/27(月) 00:25:25.23ID:8oyfJIKO
汁かけ飯を創作と思わせたい北条厨が必死すぎるw
0675人間七七四年2016/06/27(月) 00:34:58.36ID:k3iTjo2/
「森蘭丸所有」とムック本等に載ってる鎧は嘘である、と鎧界隈では有名だね
0676人間七七四年2016/06/27(月) 08:16:48.60ID:bGLTrlug
>>672
ご飯に汁をかけて無駄なく頂くのは
当時の武家の食事の〆の習慣だったらしいぞ
0677人間七七四年2016/06/27(月) 09:58:45.50ID:G5XHVhEg
創作がどうかの前に汁2回かけたからどうこうって全く意味が分からんしなあ
0678人間七七四年2016/06/27(月) 11:10:48.78ID:Knb3qIsy
いや、フツーに毎日のことなんだから一回で必要分量見極めろよという
逸話だから、なんで疑問に思うのかが疑問だが。
0679人間七七四年2016/06/27(月) 11:29:17.10ID:bSUlMPkf
まあでも本当に失望したら廃嫡して氏照擁立するだろうし氏政がどうこうより氏康の人の見極め方の評価なんだろう
0680人間七七四年2016/06/27(月) 11:31:09.58ID:sLy2L7i9
食べてる内に気分が変わることぐらいあるだろ
0681人間七七四年2016/06/27(月) 11:31:53.28ID:bSUlMPkf
>>675
素人でもに本願寺と対立しつた信長の小姓が南無阿弥陀仏の前立かよとは思うけど他にもっともな理由あるの?
0682人間七七四年2016/06/27(月) 13:17:15.99ID:svAlsC2+
南無阿弥陀仏は真宗特化でもないし信長が帰依していたのは
浄土宗の坊さんだから別におかしくはないんだがなあw
真宗だって全てが全て信長と対立していたわけでもないし。
0683人間七七四年2016/06/27(月) 15:28:26.08ID:LiC9AaeN
武田信玄や上杉謙信の影響力とか
京と堺辺り押さえた時点で、信長にとっては消化試合だろ
三国志の曹操や魏みたいな
0684人間七七四年2016/06/27(月) 21:02:16.83ID:Vfs6Ra9a
>>590
氏康傷とかもだいぶ創作くさい逸話だしな
0685人間七七四年2016/06/27(月) 21:22:17.98ID:/4spsmpR
>>679
氏照
当主にしても結局滅亡やん
0686人間七七四年2016/06/27(月) 22:03:52.89ID:ZXIhOU0r
>>681
川越の骨董屋から所有者は手に入れて、由来なんてなく売った物がいつの間にか「森蘭丸所有」なんて本に出てれば店主も驚くさ。そしてそれをみた甲冑会の連中が嘘の来歴は良くないから撤回しろって言ったけど聞く耳もたずってのが事の顛末
0687人間七七四年2016/06/28(火) 15:47:37.88ID:tsliyFnQ
>>674
いや、黒田基樹も「北条氏康の子供たち」の中で
出所を突き止めることすらむずかしい、いい加減な代物って
書いてるぞ
0688人間七七四年2016/06/28(火) 17:50:40.69ID:XvCLpJZC
>氏康傷
現存する北条氏康の肖像画は氏康生前に本人を見て描かれた物なんだけど
傷とか全く描かれていない
0689人間七七四年2016/06/28(火) 17:51:57.24ID:wFtaLX1O
>>681
日本人には一番ポピュラーな教典のお題目だ。
日本人のふりを続けたいなら覚えといてそんは無いぞ
0690人間七七四年2016/06/28(火) 18:41:11.91ID:+as/2dSW
逸話というものはだいたい後世の人が考えた創作。
0691人間七七四年2016/06/28(火) 20:12:49.09ID:wrueRVNK
>>683
曹操の場合は言うほど消化試合じゃねーだろ・・・・・
呉が寝返らなかったら相当ヤバかったぞ
0692人間七七四年2016/06/28(火) 20:49:28.35ID:r0VE/APF
ヤバくはない
三国志の場合は、長江の存在が守る方を圧倒的に有利にするから
攻めあぐねるだけで
0693人間七七四年2016/06/28(火) 21:01:34.28ID:tM1j/jLF
張飛「なるほどなるほど」
劉備「じゃあ呉の調略無しでウチラ撃退してみよっか」
関羽「ヤバくないんだから当然遷都とかしませんよね!」
0694人間七七四年2016/06/29(水) 08:28:25.03ID:QAC2xi8d
漢中争奪は山岳戦
狭隘な僻地の戦いだから大軍が展開できず魏の国力が生かせなかったが
中原に出てくれば殲滅されるのは蜀軍
樊城も洪水が無ければあっさり撃退できただろう
なにしろ国力差は魏が10とすると呉2蜀1くらいだ
蜀呉は大軍の生かせない隘路で健闘するしかない
魏は隘路を上手く抜ければ蜀呉を滅ぼせるが、蜀呉は隘路に拠らねば生きられない
0695人間七七四年2016/06/29(水) 09:16:38.92ID:8YZTbR7/
利休は大谷吉継によって切腹に追い込まれた
0696人間七七四年2016/06/29(水) 09:17:41.57ID:AfaAQ8vx
ほんと?
0697人間七七四年2016/06/29(水) 09:19:47.21ID:WrbLgMJP
うそ
0698人間七七四年2016/06/29(水) 11:53:23.23ID:CSVEGRGu
>>695
吉継と言えば茶会の話、福本日南の本では秀吉と吉継の話だったのにそれを三成に替えたのは誰だろう
尤も吉継の病気がハンセン病か怪しい時点でこの逸話も創作みたいだけど
0699人間七七四年2016/06/29(水) 15:16:59.16ID:JiGLrqup
>>694
× 魏10:呉2:蜀1
○ 魏7:呉2:蜀1

魏が10とすると、ではなく、
漢人主導国領域全体を10とした場合の内わけ
0700人間七七四年2016/06/29(水) 15:20:29.53ID:KGtBOQvF
板違い、スレ違いのネタを引っ張りすぎだろ
0701人間七七四年2016/06/29(水) 16:02:51.47ID:cVxHOJGq
>>698
>吉継の病気がハンセン病か怪しい時点

一次資料には病気のことについて、一切語られていないのかな?
0702人間七七四年2016/06/29(水) 16:29:33.26ID:FqzPSBE/
一次史料で確認できるのは眼病くらい
0703人間七七四年2016/06/29(水) 17:39:28.58ID:Aato95lZ
>>698
マジかよ(´゚ω゚`)
0704人間七七四年2016/06/29(水) 19:44:42.27ID:5SW186M7
>>702
>一次史料で確認できるのは眼病くらい

そうすると病で崩れた顔を隠すために
白布で顔を覆っていたというのも創作なのかな
あるいは光から目を守るために頭か顔に何か被っていたのが
病名とともに変化していったのか
0705人間七七四年2016/06/29(水) 23:55:41.11ID:Gr8f8IAk
>>704
江戸時代の吉継の絵は、最初の方は白布をつけてないという事実から察するべし
0706人間七七四年2016/06/30(木) 08:48:02.91ID:me+rVR4Y
政宗の眼帯とかも同類だろうな
0707人間七七四年2016/06/30(木) 19:52:12.82ID:vojRHde7
>>705
そうするとあの白布で顔を覆ったイメージはいつ頃出来たんだろう
0708人間七七四年2016/07/01(金) 20:28:01.10ID:7FXrbvnO
利休像を作らせたのは淀。
アホ三谷のせいで新たな珍説が。
信じる馬鹿が一定数いるんだろうな
0709人間七七四年2016/07/01(金) 20:34:43.25ID:+Z/oQOdg
関ヶ原の「島津の退き口」、落穂集(1727成立)での創作
0710人間七七四年2016/07/01(金) 22:07:11.55ID:d0pGQVsl
清正の虎退治も清正が生きてるときに退治した記録が無いとかね
0711人間七七四年2016/07/02(土) 03:39:28.31ID:bc2g7IEP
>>710
本人が退治したわけじゃないが
秀吉からの書状で虎狩りを命じたら
をすぐ送ってきた
0712人間七七四年2016/07/02(土) 03:45:09.60ID:bc2g7IEP
途中送信スマヌ
虎をすぐ調達して送ってきた事を
褒められてる秀吉の朱印状なら存在してるな
虎狩り自体は他の大名のとこでもやってるけど
仕事が早くて目立ったんじゃね?
0713人間七七四年2016/07/02(土) 14:07:16.63ID:iFKhlSCe
>>707
>そうするとあの白布で顔を覆ったイメージはいつ頃出来たんだろう

月光仮面とかの影響なら、戦後だったりしてなw
0714人間七七四年2016/07/02(土) 17:17:08.20ID:az8F2rcB
清正が送った虎は、頭蓋骨が残っている
その証拠物件によれば、虎は銃によって射殺されたものと判明している
清正が自ら鎌槍を振るって虎を倒したとする話は、
江戸中期以降の創作であろう
0715人間七七四年2016/07/04(月) 08:36:13.25ID:aanXl8U8
秀秋に自分は裏切り者だとか卑下させるようになったこと
0716人間七七四年2016/07/04(月) 16:56:08.26ID:drssR83a
清正は虎之助だったことも大きい
市松だったら話題になってなかったかもな
0717人間七七四年2016/07/05(火) 22:45:50.87ID:FeomaEEG
>>687
それが本当ならば>>638が偉そうに書いてる
北条家臣の書いた軍記にあるというのはどれ程
信憑性があるのか
0718人間七七四年2016/07/06(水) 00:35:42.26ID:Vc8f5JoY
清正の虎退治は講談だからな 槍で虎退治したのは黒田家臣
0719人間七七四年2016/07/06(水) 02:23:06.78ID:z0AiWLri
黒田基樹は北条マンセー団体の首魁だから
彼の北条擁護は全く信用できない
河越とかも「あの黒田でさえ否定せざるを得ない」捏造合戦て意味だし
0720人間七七四年2016/07/06(水) 06:09:21.84ID:NGYIcJTX
このかまってちゃんずっと居るな
0721人間七七四年2016/07/06(水) 06:23:32.80ID:8bwpcRqT
北条厨ほどネット工作に熱心な輩はちょっと居ない
0722人間七七四年2016/07/06(水) 06:49:26.44ID:5YHPIaTx
>>687は北条信者向けに書かれた本だからなー
なのに「創作」と断定できず「出所を突き止めることが『難しい』という
曖昧な文言で逃げてるあたり、黒田の苦しい胸の内がよく分るw
0723人間七七四年2016/07/06(水) 07:16:38.09ID:2QfhkKKc
出処が難しいと言えば三成と吉継の茶会の出処は本当になんだろう
候補を上げれば司馬、海音寺、山岡、立川文庫、菊池寛あたりが怪しいか
0724人間七七四年2016/07/06(水) 16:11:03.72ID:H2zLft/R
>>717

>>638が知ったかぶりしてるだけだろ
汁かけ飯の話って確か名将言行録にしか書かれてないよな

いずれにせよ「北条家臣が書いたもの」には書かれていない
0725人間七七四年2016/07/06(水) 16:55:20.68ID:fKZVuiO+
>>724
いや、北条五代記か北条記に書かれてたぞ
前に一緒に調べた時に確認した
さすがにどっちかまでは覚えてないが
0726人間七七四年2016/07/07(木) 16:36:29.51ID:Oj+reHmk
どっちだろうと、>>638の主張がさっぱり意味不明
軍記を書いたのが北条家臣だろうが、そうでなかろうが、
史実があった根拠にはならん

たとえば、氏康が幻庵に向けて書簡を残したとする
「倅がいつも食う飯に汁をかけ直した。家の将来が心配だ」といった内容の書簡が
発見されれば、それが証拠となる

軍記では軍記である限り、著者の身の上がどうだろうと、何の証拠にもならんのよ
0727人間七七四年2016/07/07(木) 17:04:27.01ID:4QSOP52g
>>726
近代以降の歴史小説由来じゃないよって言いたいんじゃね?
まあ司馬遼太郎とか山田風太郎起源とよりマシかな的な。
0728人間七七四年2016/07/07(木) 18:06:38.59ID:cLKNAWH/
軍記物にしか書かれてないけど通説になってる出来事もある
0729人間七七四年2016/07/07(木) 18:09:33.60ID:w0Q7Terw
>>728
関ヶ原布陣図
0730人間七七四年2016/07/07(木) 19:57:40.00ID:W+zHs4YE
伊勢宗瑞が子年生まれっていうのも、軍記物が根拠じゃなかったっけ?
0731人間七七四年2016/07/07(木) 20:29:42.98ID:o1Adejuq
真田も創作が多い一族だけど、犬伏の別れの後
沼田に寄った昌幸親子を小松殿が追い返した話は
誰がいつ頃創ったのかな
この頃大名の正室は大坂にいたはずだったんだから
小松殿が沼田にいるのはおかしいし、仮に信幸の妻が
沼田にいたとしたら、それは信綱の娘の方だろうし
0732人間七七四年2016/07/07(木) 21:45:58.70ID:Oj+reHmk
>>731
板坂卜斎、江戸時代初期

>この頃大名の正室は大坂にいたはずだったんだから
根拠なし。側室の場合もあり

黒田基樹が、小松殿は当時大坂にいて、大谷配下の監視にあったという論拠で否定したが、
その論拠が論拠の使い方として間違っていた
大谷配下の監視にあった「真田信之の妻子」が小松殿であった根拠が無い
0733人間七七四年2016/07/07(木) 23:58:20.73ID:1Fy/R65R
>>726
アホだな
主家を過剰なまでに持ち上げる軍記において
わざわざ家臣が主君を貶める逸話を創作する意味が無い
氏康の氏政評だから、やむ得ず載せたと考えるのが妥当だろう

逸話自体の真偽は然程重要ではない
重要なのは北条家臣が「氏政は汁も量れぬ池沼」と信じて疑わなかった事であろう
>>638はそういう意味だな
0734人間七七四年2016/07/08(金) 05:18:59.70ID:QN5bVY2m
逸話の意味する所は否定できないって事か
0735人間七七四年2016/07/08(金) 06:28:06.16ID:9AEAuHc0
汁飯話の意味……氏政はアホ

確かに否定できないw
0736人間七七四年2016/07/08(金) 12:12:46.35ID:J/2q9AKO
>>733
つまり、お前が「家臣が主君を貶める逸話を創作する意味がある」ことを知らなかったというわけだ
武田旧臣が甲陽軍鑑において勝頼を貶める逸話を創作した事例を知っていれば、
そんなヘンな理論で結論を導き出すことはなかったところだが、
一般人としては甲陽軍鑑の立ち位置すら知らない無知が放言しているとは想定外
0737人間七七四年2016/07/08(金) 12:56:02.70ID:5DqSZAQS
自演荒らしつまんね
0738人間七七四年2016/07/08(金) 13:01:35.10ID:VFh6S7LG
>>736
甲陽軍鑑は全体的に「悪いのは跡部長坂ら君側の奸」という論調で勝頼を擁護してるんだけど
勝頼自身を貶める創作逸話のなんてないぞ
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