トップページsengoku
1002コメント312KB

実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0607人間七七四年2016/06/16(木) 23:02:01.76ID:72nd9FRF
カレーと味噌とうんこの違いが判る男それが徳川家康w
0608人間七七四年2016/06/16(木) 23:28:41.73ID:CeuROFV5
>>606
それは嘘
「甲陽軍鑑」で言及している河越の合戦は天文9年のもので、河越夜戦から7年も前の合戦
まだ北条氏綱の代の話
「北条記」は作者成立年不詳の軍記
派生軍記が大量に出回った江戸中期以降の物と見るのが妥当
0609人間七七四年2016/06/16(木) 23:45:34.28ID:BdrZxScA
そもそもソースが甲陽軍鑑とか胡散臭すぎる
0610人間七七四年2016/06/17(金) 00:22:04.91ID:IljcFEid
古さで「甲陽軍鑑」と並ぶのは「北条記」でなく「北条五代記」だな
そして「北条五代記」では攻めてきた山内勢を撃退しただけの地味な戦いなんだよなあ
0611人間七七四年2016/06/17(金) 00:32:37.46ID:OHY3oZZM
>>608
北条記の派生軍記が大量に生まれ出回ったのが江戸中期だから、
北条記の成立は江戸前期(元和〜寛永)と言われているんだが。

まず甲陽軍艦と北条記が江戸初期に大流行したため、対抗して各地で戦国軍記が書かれ、
派生軍記も起こり江戸中期に更に大流行し、後世の小説家が飯のタネに困らなくなった。
0612人間七七四年2016/06/17(金) 00:49:44.31ID:IljcFEid
>>611
>成立は江戸前期(元和〜寛永)
だからそれが「北条五代記」だよ
北条家の家臣である三浦浄心の著「北条五代記」と作者不詳の「北条記」は別物
「八万の大軍」、「夜襲」、「騙まし討ち」等の派手な河越夜戦は「北条記」の物で
「北条五代記」の記述にそれらは無く地味
0613人間七七四年2016/06/17(金) 06:34:16.42ID:f3xZexOJ
北条記と北条五代記を混同した馬鹿が河越なんて講談合戦を推してる訳か
0614人間七七四年2016/06/17(金) 15:23:37.20ID:ZJKv8L8S
信長公記と甫庵信長記で、似た流れあったなw
0615人間七七四年2016/06/17(金) 19:17:46.00ID:bqMh2i+7
北条研究の第一人者の黒田基樹も大規模な夜戦は後世の創作とはっきり断定してるしね
0616人間七七四年2016/06/18(土) 14:53:50.73ID:Fk6Ntz42
誰が第一人者と認定したか知らないが、黒田基樹が言うのなら、
しっかり裏付けを取って検証する必要があるな

あの先生はそそっかしくて、時折間違った結論を出すから
0617人間七七四年2016/06/18(土) 15:42:38.79ID:KWbRmSCq
黒田基樹じゃなくても河越夜戦があったなんて言ってる研究者いるの?
0618人間七七四年2016/06/18(土) 15:55:54.08ID:DPUQJOLE
黒田基樹がそそっかしい?
ネタにしても有り得ない酷さだな。
0619人間七七四年2016/06/18(土) 21:18:14.69ID:AY+f9baT
前にどこかで
複数回あった川越城めぐる戦いを一本の合戦に纏めたのが
今に伝わる河越夜戦だって説みたことあるな
0620人間七七四年2016/06/18(土) 21:26:51.36ID:imYbLHIE
>>619
むしろそれ以外の説を見たことない
0621人間七七四年2016/06/19(日) 12:05:12.14ID:rQ03WGL9
しがみ像論文誌街だねね
0622人間七七四年2016/06/20(月) 02:04:03.00ID:eGKWNr6q
>>609
甲陽軍鑑と日本外史のあてにならなさは異常
日本外史なんかファンタジー小説と考えた方がいいレベル
0623人間七七四年2016/06/20(月) 10:51:37.25ID:vUcV+WIX
ドヤ
0624人間七七四年2016/06/20(月) 12:56:53.17ID:RVr9JYBi
甲陽軍鑑は史料と照らし合わせて使えば充分使えるのにねえ
0625人間七七四年2016/06/20(月) 13:44:17.52ID:vel/XA7r
あくまで確認でしか使えないともいう
所詮後世の講談だからな
0626人間七七四年2016/06/20(月) 21:36:29.16ID:vUcV+WIX
講談
0627人間七七四年2016/06/20(月) 22:26:39.32ID:of1cyuvY
むしろ逆だろ。
甲陽軍鑑は成立時期が古いので風俗などは参考になる。
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならなさすぎたり、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎたりするのが難点だがな。
0628人間七七四年2016/06/21(火) 00:59:23.45ID:Ha4gHIUd
>>627
それってさあ
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならない上、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎるから
風俗くらいしか参考にならないって事だよね
0629人間七七四年2016/06/21(火) 07:50:36.25ID:z2a7ifQ9
再就職用に創作したなんて聞いたことないが誰がそんなこと言ってんだ?
0630人間七七四年2016/06/21(火) 18:43:49.79ID:7uzUbVAv
宇佐美定満と長尾政景の死因について、
史料には単にそれぞれ溺死と書いてあるだけで、
二人が舟遊びをしていたという話は創作、
というのは本当ですか?
0631人間七七四年2016/06/21(火) 19:28:07.55ID:zwPkSwEd
そもそも宇佐美定満の存在自体が…。
0632人間七七四年2016/06/21(火) 21:49:31.97ID:Hm3tom0v
野尻湖と野尻池どっちだったのか
そして琵琶島城の城主とは誰だったのか
果たして謎は解けるのか
0633人間七七四年2016/06/22(水) 12:57:33.57ID:7X6ePydT
当時は不審死を溺死として記録しておく慣例だったという話もあって、
そもそもが本当に溺死だったのかまで疑わしくなってくる
0634人間七七四年2016/06/22(水) 15:48:48.09ID:hYlOtx/W
>>633
不審死を溺死として記録する慣例なんて見た事ないぞ
誰が如何なる根拠で主張している説なのか厳しく問い詰めたい
0635人間七七四年2016/06/23(木) 20:22:46.17ID:OBPvQWOI
坂本龍馬を斬ったのは中岡慎太郎だったとする説
0636人間七七四年2016/06/23(木) 23:28:13.00ID:C4lxSols
中岡を斬ったのは誰になるんだよ
0637人間七七四年2016/06/24(金) 08:50:52.35ID:++mPbdA3
氏政の汁かけ飯の逸話っていつ頃出来たんだろう
0638人間七七四年2016/06/24(金) 09:49:04.24ID:kHtyQ5hO
>氏政の汁かけ飯の逸話
北条厨は必死に創作にしたがってるが、実は創作と断ずるに足る根拠はない
北条家臣の書いた軍記に書かれてるのが致命的
0639人間七七四年2016/06/24(金) 13:32:20.44ID:kB4Ss0HD
坂本龍馬オタのウザさ
板違いとか関係無い
0640人間七七四年2016/06/24(金) 14:58:59.23ID:xRRFA8ia
官兵衛の小田原開城が嘘だったとは
0641人間七七四年2016/06/24(金) 18:31:16.44ID:+yy0pxvi
>>640
そうだよ、今は幸村が定説
0642人間七七四年2016/06/24(金) 18:36:54.60ID:9u2YZm3I
つまらん返しだな
0643人間七七四年2016/06/25(土) 21:34:31.11ID:jpkhQ8Fb
三木城の干殺し本当は城兵皆殺しにしてたみたいだけど
いつから秀吉は人殺しが嫌いだから、出来るだけ
人が死なないように立てた作戦になったんだろう?
仮に城兵殺してなくても、籠城側には飢餓地獄としか
言えない過酷な策なんだが
0644人間七七四年2016/06/25(土) 21:36:28.53ID:3vlpcHIf
味方には死者は出ないだろ?
0645人間七七四年2016/06/25(土) 22:01:57.34ID:ULvjmLI2
秀吉の責任で死ななければOK
城兵が飢死するのは、食料もないのに
城主が意地を張って降伏しないせいだから
0646人間七七四年2016/06/26(日) 00:04:38.38ID:23adfLOo
そりゃ敵味方とも死人が出ない事に越した事はないがそんなことは
夢物語なんだから仕方ないだろ
実際に秀吉は権力者の割には譲歩が大好きな人間だがそれはすべて
戦をしないため
元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ(ただし君主の分別はつけるので
過酷な処分が治世の為に必要と感じたら容赦なくやる)
0647人間七七四年2016/06/26(日) 00:19:36.11ID:OycwONxh
>元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ

太閤記史観
司馬史観
0648人間七七四年2016/06/26(日) 00:41:05.01ID:4zZZm5i+
一応一次史料の身内にあてた書状で「わしゃ人死は嫌い」と言ってるのよね
所業を見るにとてもそうは思えませんけどw
0649人間七七四年2016/06/26(日) 01:03:08.09ID:dbKnwgK5
>>648
というか『わしゃ人殺しがだぁい好きなのよ!』なんてわざわざ書かんだろ、ゴステロかよw
0650人間七七四年2016/06/26(日) 01:13:13.79ID:vqLZoPOQ
>>648
身内じゃなくて敵方に宛てた書状じゃなかったか?
つまり「殺すのが嫌い」っていうのは完全に脅し文句
0651人間七七四年2016/06/26(日) 01:15:42.30ID:iK87Nqzd
見渡す限り死体の山で胸がすかっとした
お前らにも見せてやりたいだぎゃ〜

って書状送ってくる奴はいるけどな
0652人間七七四年2016/06/26(日) 01:18:47.62ID:4zZZm5i+
>>649
そりゃ書かんだろ。だから?
0653人間七七四年2016/06/26(日) 08:05:49.61ID:wAQuAkMU
秀吉が人殺しは嫌いと言ってる書状は少なくとも2つある。

ただしそれが秀次に送った折檻状(豊臣秀吉文書集二 1215)と
小早川隆景に送った脅迫状(毛利家文書三 980、豊臣秀吉文書集一 705)なんだよなぁ
0654人間七七四年2016/06/26(日) 08:51:57.76ID:vqLZoPOQ
結局どっちも脅し文句じゃないですかやだー
0655人間七七四年2016/06/26(日) 10:24:32.09ID:XN/U5mzN
秀次への手紙ってこんな内容でしょ?

わしは人を斬るのが嫌いだが、今のお前のように見苦しい様ならば
一族の恥であるから成敗する。わしのおいとして意識をして働くのであれば
どこの国でも好きな知行をとらせる 
0656人間七七四年2016/06/26(日) 10:41:42.93ID:4zZZm5i+
そうなんだよね
「わしゃ人死は嫌や、じゃけんこれ以上はどうなるか判らんな〜」って
三文小説のやくざの親分のセリフの発祥は秀吉説を唱えてよろしいか
0657人間七七四年2016/06/26(日) 11:24:58.91ID:wAQuAkMU
念の為に書いておくが、隆景宛書状で「人殺しは嫌い」ってのは、無精者への処置の話で隆景への脅し文句には繋がってないです。
書状は柴田勝家を倒した経緯(刎首がたくさん出てくる)を延々と書き連ねた後、部下への知行割り当てなどの話をした後、七月末までは軍勢を休ませようと思ってると宣言したあと、隆景への脅し文句へとつながります。

大意は 「軍勢を休ませ終わったら全軍をそちらに差し向けて境目の話をしましょう。秀吉が腹を立てないようにしてください。」、「東国の氏政や景勝も秀吉に従ってるので、輝元も秀吉に従うようにあなたから勧めてください。」といった感じですな
0658人間七七四年2016/06/26(日) 14:37:03.10ID:aghh09pq
>>638
つまり、創作物である軍記にしか出典が確認できず、
史実と断ずる根拠が皆無ということですね
同内容が載っている一次史料が発見できればいいのだけど
0659人間七七四年2016/06/26(日) 14:49:33.98ID:qBfdF4xq
実際に二度がけしてたとしてその後無事に領国維持したり天下取っちゃったりしてたら
臨機応変に対応できると感心した逸話になってたんだろうか
0660人間七七四年2016/06/26(日) 14:53:23.02ID:6YLN4Sly
詐欺師が犯罪の際、自分は詐欺師ではないと自己紹介した
それをもって公判で彼は詐欺を行なっていないと弁護する主張は
通るものだろうか
0661人間七七四年2016/06/26(日) 16:04:29.58ID:M26kQ9gQ
秀吉は妄想性人格障害だったとか反社会性人格障害だった
とかいう指摘は前々からあったけど、
それらに加えて、
統合失調型人格障害と自己愛性人格障害と演技性人格障害も
併せ持っていたようですね

先にお市の方と柴田勝家が喪主となって信長の葬儀を行なっていたにもかかわらず、
秀吉が信長の葬儀を装う演出過剰な催事を執り行い、
諸大名に自分が信長の後継者であるかのような印象操作をしたことも、
演技性人格障害で説明がつきます
この演技性人格障害は、一般に虚言癖を伴います
秀吉は反社会性人格障害もあるので、好きも嫌いもなく平然と人殺しができるわけですが、
利に因ってこれまた平然と「自分は人殺しが嫌い」と嘘をつけるわけです
0662人間七七四年2016/06/26(日) 19:22:12.85ID:XN/U5mzN
>>661
知ったか乙
0663人間七七四年2016/06/26(日) 19:46:12.34ID:X3dXcdjX
>>658
>一次史料に無いから創作
これを言い出すと逸話や通説の大半は創作にできるんだよなー
0664人間七七四年2016/06/26(日) 19:58:48.74ID:vqLZoPOQ
>>663
実際創作だろ
0665人間七七四年2016/06/26(日) 20:00:02.46ID:jHShHs9g
そもそも氏康氏政親子の食事の席の会話に一次資料が有る訳ないだろw

同席してる息子の食事に書状で文句を言う親とか険悪すぎる
0666人間七七四年2016/06/26(日) 22:18:31.13ID:wAQuAkMU
それを言い出すと親子でいっしょに食事してる時点で異常じゃないか。
0667人間七七四年2016/06/26(日) 22:38:12.11ID:rERcbqJ4
親子で一緒に食事するのが異常とは・・・
0668人間七七四年2016/06/26(日) 22:50:33.15ID:Thiq1iuU
>>666の親御さんの苦労が忍ばれるな
0669人間七七四年2016/06/26(日) 23:03:55.34ID:wAQuAkMU
お前ら庶民感覚丸出しすぎるだろ
氏政、氏康は同じ城内とはいえ、普段住んでる郭も違うってのに
0670人間七七四年2016/06/26(日) 23:07:02.48ID:rERcbqJ4
とはいえ家族なんだから一緒に食事する事くらいあるだろ
0671人間七七四年2016/06/26(日) 23:24:05.84ID:o84TV/8b
あるとしたら何か特別な時だろうから汁かけ飯じゃ無くて豪華なご馳走を食ってる気がする
0672人間七七四年2016/06/26(日) 23:36:08.94ID:Lioe3mpX
そういう席で猫マンマされちゃあ、氏康でなくても文句を言いたくなるわなw
0673人間七七四年2016/06/26(日) 23:57:36.45ID:OycwONxh
お前は創作を信じているのか。本当に馬鹿なのか・
0674人間七七四年2016/06/27(月) 00:25:25.23ID:8oyfJIKO
汁かけ飯を創作と思わせたい北条厨が必死すぎるw
0675人間七七四年2016/06/27(月) 00:34:58.36ID:k3iTjo2/
「森蘭丸所有」とムック本等に載ってる鎧は嘘である、と鎧界隈では有名だね
0676人間七七四年2016/06/27(月) 08:16:48.60ID:bGLTrlug
>>672
ご飯に汁をかけて無駄なく頂くのは
当時の武家の食事の〆の習慣だったらしいぞ
0677人間七七四年2016/06/27(月) 09:58:45.50ID:G5XHVhEg
創作がどうかの前に汁2回かけたからどうこうって全く意味が分からんしなあ
0678人間七七四年2016/06/27(月) 11:10:48.78ID:Knb3qIsy
いや、フツーに毎日のことなんだから一回で必要分量見極めろよという
逸話だから、なんで疑問に思うのかが疑問だが。
0679人間七七四年2016/06/27(月) 11:29:17.10ID:bSUlMPkf
まあでも本当に失望したら廃嫡して氏照擁立するだろうし氏政がどうこうより氏康の人の見極め方の評価なんだろう
0680人間七七四年2016/06/27(月) 11:31:09.58ID:sLy2L7i9
食べてる内に気分が変わることぐらいあるだろ
0681人間七七四年2016/06/27(月) 11:31:53.28ID:bSUlMPkf
>>675
素人でもに本願寺と対立しつた信長の小姓が南無阿弥陀仏の前立かよとは思うけど他にもっともな理由あるの?
0682人間七七四年2016/06/27(月) 13:17:15.99ID:svAlsC2+
南無阿弥陀仏は真宗特化でもないし信長が帰依していたのは
浄土宗の坊さんだから別におかしくはないんだがなあw
真宗だって全てが全て信長と対立していたわけでもないし。
0683人間七七四年2016/06/27(月) 15:28:26.08ID:LiC9AaeN
武田信玄や上杉謙信の影響力とか
京と堺辺り押さえた時点で、信長にとっては消化試合だろ
三国志の曹操や魏みたいな
0684人間七七四年2016/06/27(月) 21:02:16.83ID:Vfs6Ra9a
>>590
氏康傷とかもだいぶ創作くさい逸話だしな
0685人間七七四年2016/06/27(月) 21:22:17.98ID:/4spsmpR
>>679
氏照
当主にしても結局滅亡やん
0686人間七七四年2016/06/27(月) 22:03:52.89ID:ZXIhOU0r
>>681
川越の骨董屋から所有者は手に入れて、由来なんてなく売った物がいつの間にか「森蘭丸所有」なんて本に出てれば店主も驚くさ。そしてそれをみた甲冑会の連中が嘘の来歴は良くないから撤回しろって言ったけど聞く耳もたずってのが事の顛末
0687人間七七四年2016/06/28(火) 15:47:37.88ID:tsliyFnQ
>>674
いや、黒田基樹も「北条氏康の子供たち」の中で
出所を突き止めることすらむずかしい、いい加減な代物って
書いてるぞ
0688人間七七四年2016/06/28(火) 17:50:40.69ID:XvCLpJZC
>氏康傷
現存する北条氏康の肖像画は氏康生前に本人を見て描かれた物なんだけど
傷とか全く描かれていない
0689人間七七四年2016/06/28(火) 17:51:57.24ID:wFtaLX1O
>>681
日本人には一番ポピュラーな教典のお題目だ。
日本人のふりを続けたいなら覚えといてそんは無いぞ
0690人間七七四年2016/06/28(火) 18:41:11.91ID:+as/2dSW
逸話というものはだいたい後世の人が考えた創作。
0691人間七七四年2016/06/28(火) 20:12:49.09ID:wrueRVNK
>>683
曹操の場合は言うほど消化試合じゃねーだろ・・・・・
呉が寝返らなかったら相当ヤバかったぞ
0692人間七七四年2016/06/28(火) 20:49:28.35ID:r0VE/APF
ヤバくはない
三国志の場合は、長江の存在が守る方を圧倒的に有利にするから
攻めあぐねるだけで
0693人間七七四年2016/06/28(火) 21:01:34.28ID:tM1j/jLF
張飛「なるほどなるほど」
劉備「じゃあ呉の調略無しでウチラ撃退してみよっか」
関羽「ヤバくないんだから当然遷都とかしませんよね!」
0694人間七七四年2016/06/29(水) 08:28:25.03ID:QAC2xi8d
漢中争奪は山岳戦
狭隘な僻地の戦いだから大軍が展開できず魏の国力が生かせなかったが
中原に出てくれば殲滅されるのは蜀軍
樊城も洪水が無ければあっさり撃退できただろう
なにしろ国力差は魏が10とすると呉2蜀1くらいだ
蜀呉は大軍の生かせない隘路で健闘するしかない
魏は隘路を上手く抜ければ蜀呉を滅ぼせるが、蜀呉は隘路に拠らねば生きられない
0695人間七七四年2016/06/29(水) 09:16:38.92ID:8YZTbR7/
利休は大谷吉継によって切腹に追い込まれた
0696人間七七四年2016/06/29(水) 09:17:41.57ID:AfaAQ8vx
ほんと?
0697人間七七四年2016/06/29(水) 09:19:47.21ID:WrbLgMJP
うそ
0698人間七七四年2016/06/29(水) 11:53:23.23ID:CSVEGRGu
>>695
吉継と言えば茶会の話、福本日南の本では秀吉と吉継の話だったのにそれを三成に替えたのは誰だろう
尤も吉継の病気がハンセン病か怪しい時点でこの逸話も創作みたいだけど
0699人間七七四年2016/06/29(水) 15:16:59.16ID:JiGLrqup
>>694
× 魏10:呉2:蜀1
○ 魏7:呉2:蜀1

魏が10とすると、ではなく、
漢人主導国領域全体を10とした場合の内わけ
0700人間七七四年2016/06/29(水) 15:20:29.53ID:KGtBOQvF
板違い、スレ違いのネタを引っ張りすぎだろ
0701人間七七四年2016/06/29(水) 16:02:51.47ID:cVxHOJGq
>>698
>吉継の病気がハンセン病か怪しい時点

一次資料には病気のことについて、一切語られていないのかな?
0702人間七七四年2016/06/29(水) 16:29:33.26ID:FqzPSBE/
一次史料で確認できるのは眼病くらい
0703人間七七四年2016/06/29(水) 17:39:28.58ID:Aato95lZ
>>698
マジかよ(´゚ω゚`)
0704人間七七四年2016/06/29(水) 19:44:42.27ID:5SW186M7
>>702
>一次史料で確認できるのは眼病くらい

そうすると病で崩れた顔を隠すために
白布で顔を覆っていたというのも創作なのかな
あるいは光から目を守るために頭か顔に何か被っていたのが
病名とともに変化していったのか
0705人間七七四年2016/06/29(水) 23:55:41.11ID:Gr8f8IAk
>>704
江戸時代の吉継の絵は、最初の方は白布をつけてないという事実から察するべし
0706人間七七四年2016/06/30(木) 08:48:02.91ID:me+rVR4Y
政宗の眼帯とかも同類だろうな
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています