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実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0556人間七七四年2016/05/31(火) 00:58:10.82ID:/T8XjKdZ
剣豪なんてほぼ創作だろ
0557人間七七四年2016/05/31(火) 07:50:00.95ID:ceiceZ+/
「介者剣術」は昭和期に作られた言葉で
鎧を着てたから戦い方も平服とは違うだろと言う憶測と
旧武徳会で勢力を誇れなかった流派が「ウチは老舗でっせ」と
自らをブランディングする為に使われたキャッチコピー。
0558人間七七四年2016/05/31(火) 17:05:45.30ID:IO52o/Fk
>>553
>23 :日本@名無史さん:2012/02/29(水) 10:45:33.31
>播州説は岡山しか無い新免姓をなぜ名乗ったのかが上手く説明できないのが残念ね。

上記のように、史料からではなく、
吉川英治の小説とそれを補強する強弁をなぞるだけの素人が
論拠にするほど、一般化している
専門化じゃないだろ
0559人間七七四年2016/05/31(火) 23:15:44.82ID:yRQDryXp
一般人?日本史板を見回してみろ、こじらせたアホだらけだろ
戦国板でいうのもなんだが
0560人間七七四年2016/06/01(水) 12:54:24.94ID:4WcuUM9q
>>555
軍配で刀は防げますか?
0561人間七七四年2016/06/01(水) 13:03:18.85ID:kPKIGxpc
>>559
こじらせたアホでも手が届くくらい、巷に溢れている俗説
0562人間七七四年2016/06/01(水) 13:19:34.41ID:X7BBkj5p
>>560
この軍配なら防げます
つ鉄製の超重量軍配
0563人間七七四年2016/06/03(金) 21:53:39.74ID:RSl5KE6Y
謙信の一太刀を信玄が軍配で防ぐ図は本当に絵になるが
あれを創造した人って誰だろう
長篠の三段撃ちとか秀吉の一夜城とかよく考えたら
小瀬甫庵をはじめ、創った人間の想像力凄いよな
0564人間七七四年2016/06/03(金) 22:27:35.39ID:pjj7Oh+F
それは単に想像力が欠如してるから凄く感じるだけなんじゃね?
0565人間七七四年2016/06/04(土) 00:08:42.74ID:uO5aw64m
「武田、上杉最強」はいつ頃から言われてる?
小説では当時の人にも最強と言われてたみたいに出てくるが、ウソだよね?
0566人間七七四年2016/06/04(土) 00:36:08.79ID:g5UVDe/w
>564は自分がどんだけスゴイ想像力の持ち主なのか
ちょろっと示してほしい。(・∀・)
0567人間七七四年2016/06/04(土) 10:15:25.89ID:8lypt55E
>>565
朝倉宗滴に好評化されてたという人物には入ってたな

今川殿(今川義元)
甲斐武田殿(武田信玄)
三好修理大夫殿(三好長慶)
長尾殿(上杉謙信)
安芸毛利(毛利元就)
織田上総介(織田信長)
正木大膳亮(正木時茂)
0568人間七七四年2016/06/04(土) 10:20:50.64ID:kOZnpjPF
>>567
里見の寄騎だった正木大膳を入れてるのが、ちょっと違和感あるな
0569人間七七四年2016/06/04(土) 10:27:33.24ID:GuIVEEMB
小瀬甫庵は全部自分で考えたのなら天才的だが
実際起きた事を時や人物を代えて再現して作品にする創作ものに良くある手法を取っただけ

三段撃ち→朝鮮征伐の時には日本軍の基本戦術になってた繰撃ちを信長はこんな昔からやってた!
墨俣一夜城→石垣山一夜城みたいのは昔から得意だったんだよ!
秀吉に旗鉄砲を貸す→実際は長久手の時なんだけど先見の明ある隆景は本能寺の時にやったんだよ!
などなど
戦闘の場面は中国古典から取って臨場感だしつつごまかしたり文才はすごいけどな
0570人間七七四年2016/06/05(日) 00:35:18.02ID:DmrAIFmB
>>566
素晴らしい想像力なんて関係ないんじゃないか?
物事を創作するときにネタとなるモノがあったんじゃないかって思うのに、特別素晴らしい想像力なんて必要ないんだから。
0571人間七七四年2016/06/05(日) 02:09:13.83ID:3L/jMJ3u
>>570
>564は、想像力が欠如していると>563をあからさまに
罵ってるわけだから、そういうだけの自分の想像力の
すばらしさを披露してみてもいいんじゃないの、というか
そうすべきだろw
0572人間七七四年2016/06/05(日) 04:55:33.53ID:u7nD7okX
本能寺の変とか創造した人すごいよな
あんな場面で信長が殺られるとか想像もしてなかったわ
もう、戦国時代も終わりかぁと思った矢先にこれ
考えた人は天才だね
0573人間七七四年2016/06/05(日) 05:09:28.16ID:SjNAiMln
いやいや関ケ原という壮大なページェントを産み出した創作者こそ真の天才と呼ぶにふさわしい
0574人間七七四年2016/06/05(日) 20:21:25.12ID:mSVYX5xA
家康と氏真山岡の頃は仲が悪かったイメージが強かったが
いつの間にか仲が良かったようなイメージが強くなった気がする
まあ義元にしても自分の偏諱与えたり、一族の女を嫁にやるのと
同じころ自称官位が多いこの時代に無位とは言え蔵人佐の官位を
貰ってやってる位なんだから、扱いはそう悪くは無かったんだろうけど
0575人間七七四年2016/06/05(日) 20:41:20.61ID:meX3L3IX
蔵人佐は自称じゃね?
そもそも蔵人に次官職ってあったっけ
0576人間七七四年2016/06/05(日) 20:59:03.32ID:Xl5GFy3f
蔵人は安城松平家が伝統的に私称してた官位だから
家康も私称だよ。
0577人間七七四年2016/06/06(月) 11:38:09.77ID:oIpJlUPE
>>565
武田最強説は神君家康公を野戦で破った事実と家康が旧武田家臣団を併合した事に加えて武田家が滅亡したお陰で氏素性の怪しい奴が就職活動するのに甲州軍学兵法者と言う肩書きが使いやすかったから広まったと思う
0578人間七七四年2016/06/06(月) 11:47:30.80ID:oIpJlUPE
春秋戦国時代から拝借して戦国時代と名付けた奴は凄いと思う
幕末も結構でかい戦あるけど戦国時代ほど洒落たネーミングがあればもっと輝いたと思う
0579人間七七四年2016/06/06(月) 19:43:05.21ID:doq2Ad4V
>>569
羅貫中が、近世に起きたハヨウ湖の戦いを引用して、
古代末期を舞台にした小説・三国志演義で赤壁の戦いを創作したのに
匹敵する功績かもな
0580人間七七四年2016/06/06(月) 20:41:22.58ID:B5eQ1t+r
誰だかわからないが、幸村とか信長の弟の信行とか史料には全く現れない名前を考え出し
通説が如く定着させた人間もある意味凄いな
0581人間七七四年2016/06/06(月) 21:40:38.41ID:l4zphes5
横山光輝の漫画で「徳川殿は良い人持ちよ、服部半蔵、鬼半蔵、渡辺半蔵、槍半蔵、渥美源吾は首斬り源吾」
って歌があったけど、あれはどこから持ってきたのかな
0582人間七七四年2016/06/07(火) 00:39:58.85ID:p0lJb1s8
うむっ!www
マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐

作者:嵯峨良蒼樹

「戦国最大のおのぼりさん」今川氏真の上洛を活写する戦国文芸観光蹴鞠小説!
信長「との」蹴鞠を含めた天正三年(一五七五)今川氏真上洛百日の全行程と知られざる人間模様を、上洛中に氏真が詠んだ二百種以上の和歌と共に描き切る怪作!

今川氏真  「うむっ! 一首浮かんだ」

http://ncode.syosetu.com/n5953di/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)
0583人間七七四年2016/06/08(水) 21:13:24.39ID:r6q/YRqy
伊勢宗瑞の小田原城攻略時の火牛の計、創作したのは誰かは不明だが
海音寺潮五郎が田単の火牛の計が元ネタだろうと解説していて、
その解説を井沢元彦がさも自分の意見が如く著書の中でパクッテたな
0584人間七七四年2016/06/09(木) 11:58:44.66ID:qKqcXpBO
いや、誰でも気づくだろ
0585人間七七四年2016/06/10(金) 08:41:40.68ID:O51j3Kta
川中島の啄木鳥戦法って名前は何処からきたのかな
甲陽軍鑑にはその呼称なかったはずだが
0586人間七七四年2016/06/10(金) 08:56:43.12ID:eQxeREZ7
>>585
海音寺潮五郎だったりしてな、案外
0587人間七七四年2016/06/10(金) 10:13:31.61ID:C7BQ7GYL
啄木鳥は穴を開けた後長い舌を使ってアリクイみたいに虫を捕るから突いて虫を驚かせると言う発想自体おかしい
0588人間七七四年2016/06/10(金) 10:25:41.89ID:FFDRRlH0
啄木鳥戦法名は江戸時代後半の軍記に出てるからさすがに海音寺じゃないな
0589人間七七四年2016/06/10(金) 22:05:35.06ID:jqfSftIA
>>584
田単の火牛の計が元ネタなのは誰でも気づくかもしれないけど
その解説の中で牛の角に火を付けたら、牛が怯えて計が失敗するだろうから
作者は田単の元ネタ通り、尻尾に火をつけた事にすればよかったのに
と多少の文言が違っても、そういう嘆きまで同じ内容の文章を書けば
パクリと言ってもしょうがなくないか
0590人間七七四年2016/06/11(土) 20:54:38.10ID:8DmO6lhc
河越合戦も今は結構その内容に疑問を持たれているけど
もしあれが創作なら、何をモデルにして考え出したんだろう
0591人間七七四年2016/06/11(土) 21:21:53.20ID:quFIYfMs
天文12年の氏康書状だろ
これで氏康が「一人で十人殺す気で戦えば必ず勝てる!」とかイカれた精神論を述べてるために
軍記の敵兵力は北条の十倍設定
十倍の敵に正面から闘って勝てる訳ないから「夜襲」
唯の夜襲で十倍の敵を撃破は苦しいから「偽りの降伏宣言」+「夜襲」の「騙まし討ち」
こうして講談「河越夜戦」の誕生
0592人間七七四年2016/06/11(土) 21:42:57.18ID:nCt3Ho3I
その時期に幾つかあった戦いを一個にまとめたのが「河越夜戦」とは言われてるな
0593人間七七四年2016/06/11(土) 22:09:05.43ID:CcoC0FEg
「河越合戦」も一次史料や江戸初期の軍記だと地味な河越防衛戦の記述にすぎない
江戸中期〜後期と時代を経ると派手で胡散臭い「河越夜戦」に変貌していく
0594人間七七四年2016/06/12(日) 06:45:22.31ID:U6yC6vYT
>>581
たしか「三河物語」で似たようなの見たような記憶があるけどいまいち曖昧・・・。
横山光輝的には吉川栄治の小説からなんだと思うけどw
0595人間七七四年2016/06/12(日) 07:45:15.51ID:A/52jC/s
うんこを漏らしたのかどうか、それが俺の一大関心事。
0596人間七七四年2016/06/12(日) 20:59:39.27ID:D+VexT2N
>>590-593
扇谷上杉家が滅んだり、上杉憲政が越後に落ちる事になったんだから
北条優位な展開の戦があったんだろうけど、美男子と言われる北条綱房が
単騎使者を務めるとかは、創作だろうなぁ
これもまた何か元ネタがありそうな逸話だけど
0597人間七七四年2016/06/12(日) 21:36:36.32ID:Oe5pUoIH
上杉憲政の越後亡命は諸説あるが、1552年〜1558年で「河越夜戦」から十年ほど後
扇谷最後の当主、上杉朝定は死因もし死亡年も不確定
0598人間七七四年2016/06/12(日) 22:00:45.37ID:yciM3pfq
河越なんて講談合戦を牽強附会で無理やりデコる
北条ステマはもうウンザリ
0599人間七七四年2016/06/12(日) 22:55:58.42ID:FCVt9kdW
>>595
江戸時代後期に突如として沸いて出た記載だから、どう見ても史実では無いよ
0600人間七七四年2016/06/12(日) 23:32:02.37ID:zaOvgNRO
誰が言い出したのかね? 後北条末裔の関係者かw
0601人間七七四年2016/06/12(日) 23:34:04.90ID:b8183FBv
>>600
そもそもその話が初めて出た改正三河後風土記にも脱糞したなんて書かれていない。
脱糞したことにしたのは山岡荘八。
つまり完全な作り話、かつ小説。
0602人間七七四年2016/06/13(月) 07:51:27.95ID:S23fxAt4
>>598
北条は早雲からして幕府を背景にして勢力拡げたのに、
一浪人が己の手腕頼りにのしあがったって事になっていたからなぁ
0603人間七七四年2016/06/13(月) 09:03:15.07ID:/AqFqVLv
ウンコ漏らして焼き味噌とか言い訳したのが本当なら麦飯に焼き味噌のちょいのせが良いとか言えないな俺なら
0604人間七七四年2016/06/13(月) 20:43:39.48ID:Ztmf9er/
>>581
そもそも両半蔵は兎も角として渥美源吾ってどんな人?
人斬りって言われるほどの戦果とかあるの?
0605人間七七四年2016/06/16(木) 10:30:04.75ID:owSKgU79
>>604
司馬の関ヶ原にちょい役で出ていたのくらいしか知らないなぁ
0606人間七七四年2016/06/16(木) 22:20:12.49ID:p6gWjuVM
>>593
嘘は良くない。
古さで「甲陽軍鑑」と並ぶ「北条記」の頃から、既に派手な合戦として扱われている。
0607人間七七四年2016/06/16(木) 23:02:01.76ID:72nd9FRF
カレーと味噌とうんこの違いが判る男それが徳川家康w
0608人間七七四年2016/06/16(木) 23:28:41.73ID:CeuROFV5
>>606
それは嘘
「甲陽軍鑑」で言及している河越の合戦は天文9年のもので、河越夜戦から7年も前の合戦
まだ北条氏綱の代の話
「北条記」は作者成立年不詳の軍記
派生軍記が大量に出回った江戸中期以降の物と見るのが妥当
0609人間七七四年2016/06/16(木) 23:45:34.28ID:BdrZxScA
そもそもソースが甲陽軍鑑とか胡散臭すぎる
0610人間七七四年2016/06/17(金) 00:22:04.91ID:IljcFEid
古さで「甲陽軍鑑」と並ぶのは「北条記」でなく「北条五代記」だな
そして「北条五代記」では攻めてきた山内勢を撃退しただけの地味な戦いなんだよなあ
0611人間七七四年2016/06/17(金) 00:32:37.46ID:OHY3oZZM
>>608
北条記の派生軍記が大量に生まれ出回ったのが江戸中期だから、
北条記の成立は江戸前期(元和〜寛永)と言われているんだが。

まず甲陽軍艦と北条記が江戸初期に大流行したため、対抗して各地で戦国軍記が書かれ、
派生軍記も起こり江戸中期に更に大流行し、後世の小説家が飯のタネに困らなくなった。
0612人間七七四年2016/06/17(金) 00:49:44.31ID:IljcFEid
>>611
>成立は江戸前期(元和〜寛永)
だからそれが「北条五代記」だよ
北条家の家臣である三浦浄心の著「北条五代記」と作者不詳の「北条記」は別物
「八万の大軍」、「夜襲」、「騙まし討ち」等の派手な河越夜戦は「北条記」の物で
「北条五代記」の記述にそれらは無く地味
0613人間七七四年2016/06/17(金) 06:34:16.42ID:f3xZexOJ
北条記と北条五代記を混同した馬鹿が河越なんて講談合戦を推してる訳か
0614人間七七四年2016/06/17(金) 15:23:37.20ID:ZJKv8L8S
信長公記と甫庵信長記で、似た流れあったなw
0615人間七七四年2016/06/17(金) 19:17:46.00ID:bqMh2i+7
北条研究の第一人者の黒田基樹も大規模な夜戦は後世の創作とはっきり断定してるしね
0616人間七七四年2016/06/18(土) 14:53:50.73ID:Fk6Ntz42
誰が第一人者と認定したか知らないが、黒田基樹が言うのなら、
しっかり裏付けを取って検証する必要があるな

あの先生はそそっかしくて、時折間違った結論を出すから
0617人間七七四年2016/06/18(土) 15:42:38.79ID:KWbRmSCq
黒田基樹じゃなくても河越夜戦があったなんて言ってる研究者いるの?
0618人間七七四年2016/06/18(土) 15:55:54.08ID:DPUQJOLE
黒田基樹がそそっかしい?
ネタにしても有り得ない酷さだな。
0619人間七七四年2016/06/18(土) 21:18:14.69ID:AY+f9baT
前にどこかで
複数回あった川越城めぐる戦いを一本の合戦に纏めたのが
今に伝わる河越夜戦だって説みたことあるな
0620人間七七四年2016/06/18(土) 21:26:51.36ID:imYbLHIE
>>619
むしろそれ以外の説を見たことない
0621人間七七四年2016/06/19(日) 12:05:12.14ID:rQ03WGL9
しがみ像論文誌街だねね
0622人間七七四年2016/06/20(月) 02:04:03.00ID:eGKWNr6q
>>609
甲陽軍鑑と日本外史のあてにならなさは異常
日本外史なんかファンタジー小説と考えた方がいいレベル
0623人間七七四年2016/06/20(月) 10:51:37.25ID:vUcV+WIX
ドヤ
0624人間七七四年2016/06/20(月) 12:56:53.17ID:RVr9JYBi
甲陽軍鑑は史料と照らし合わせて使えば充分使えるのにねえ
0625人間七七四年2016/06/20(月) 13:44:17.52ID:vel/XA7r
あくまで確認でしか使えないともいう
所詮後世の講談だからな
0626人間七七四年2016/06/20(月) 21:36:29.16ID:vUcV+WIX
講談
0627人間七七四年2016/06/20(月) 22:26:39.32ID:of1cyuvY
むしろ逆だろ。
甲陽軍鑑は成立時期が古いので風俗などは参考になる。
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならなさすぎたり、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎたりするのが難点だがな。
0628人間七七四年2016/06/21(火) 00:59:23.45ID:Ha4gHIUd
>>627
それってさあ
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならない上、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎるから
風俗くらいしか参考にならないって事だよね
0629人間七七四年2016/06/21(火) 07:50:36.25ID:z2a7ifQ9
再就職用に創作したなんて聞いたことないが誰がそんなこと言ってんだ?
0630人間七七四年2016/06/21(火) 18:43:49.79ID:7uzUbVAv
宇佐美定満と長尾政景の死因について、
史料には単にそれぞれ溺死と書いてあるだけで、
二人が舟遊びをしていたという話は創作、
というのは本当ですか?
0631人間七七四年2016/06/21(火) 19:28:07.55ID:zwPkSwEd
そもそも宇佐美定満の存在自体が…。
0632人間七七四年2016/06/21(火) 21:49:31.97ID:Hm3tom0v
野尻湖と野尻池どっちだったのか
そして琵琶島城の城主とは誰だったのか
果たして謎は解けるのか
0633人間七七四年2016/06/22(水) 12:57:33.57ID:7X6ePydT
当時は不審死を溺死として記録しておく慣例だったという話もあって、
そもそもが本当に溺死だったのかまで疑わしくなってくる
0634人間七七四年2016/06/22(水) 15:48:48.09ID:hYlOtx/W
>>633
不審死を溺死として記録する慣例なんて見た事ないぞ
誰が如何なる根拠で主張している説なのか厳しく問い詰めたい
0635人間七七四年2016/06/23(木) 20:22:46.17ID:OBPvQWOI
坂本龍馬を斬ったのは中岡慎太郎だったとする説
0636人間七七四年2016/06/23(木) 23:28:13.00ID:C4lxSols
中岡を斬ったのは誰になるんだよ
0637人間七七四年2016/06/24(金) 08:50:52.35ID:++mPbdA3
氏政の汁かけ飯の逸話っていつ頃出来たんだろう
0638人間七七四年2016/06/24(金) 09:49:04.24ID:kHtyQ5hO
>氏政の汁かけ飯の逸話
北条厨は必死に創作にしたがってるが、実は創作と断ずるに足る根拠はない
北条家臣の書いた軍記に書かれてるのが致命的
0639人間七七四年2016/06/24(金) 13:32:20.44ID:kB4Ss0HD
坂本龍馬オタのウザさ
板違いとか関係無い
0640人間七七四年2016/06/24(金) 14:58:59.23ID:xRRFA8ia
官兵衛の小田原開城が嘘だったとは
0641人間七七四年2016/06/24(金) 18:31:16.44ID:+yy0pxvi
>>640
そうだよ、今は幸村が定説
0642人間七七四年2016/06/24(金) 18:36:54.60ID:9u2YZm3I
つまらん返しだな
0643人間七七四年2016/06/25(土) 21:34:31.11ID:jpkhQ8Fb
三木城の干殺し本当は城兵皆殺しにしてたみたいだけど
いつから秀吉は人殺しが嫌いだから、出来るだけ
人が死なないように立てた作戦になったんだろう?
仮に城兵殺してなくても、籠城側には飢餓地獄としか
言えない過酷な策なんだが
0644人間七七四年2016/06/25(土) 21:36:28.53ID:3vlpcHIf
味方には死者は出ないだろ?
0645人間七七四年2016/06/25(土) 22:01:57.34ID:ULvjmLI2
秀吉の責任で死ななければOK
城兵が飢死するのは、食料もないのに
城主が意地を張って降伏しないせいだから
0646人間七七四年2016/06/26(日) 00:04:38.38ID:23adfLOo
そりゃ敵味方とも死人が出ない事に越した事はないがそんなことは
夢物語なんだから仕方ないだろ
実際に秀吉は権力者の割には譲歩が大好きな人間だがそれはすべて
戦をしないため
元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ(ただし君主の分別はつけるので
過酷な処分が治世の為に必要と感じたら容赦なくやる)
0647人間七七四年2016/06/26(日) 00:19:36.11ID:OycwONxh
>元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ

太閤記史観
司馬史観
0648人間七七四年2016/06/26(日) 00:41:05.01ID:4zZZm5i+
一応一次史料の身内にあてた書状で「わしゃ人死は嫌い」と言ってるのよね
所業を見るにとてもそうは思えませんけどw
0649人間七七四年2016/06/26(日) 01:03:08.09ID:dbKnwgK5
>>648
というか『わしゃ人殺しがだぁい好きなのよ!』なんてわざわざ書かんだろ、ゴステロかよw
0650人間七七四年2016/06/26(日) 01:13:13.79ID:vqLZoPOQ
>>648
身内じゃなくて敵方に宛てた書状じゃなかったか?
つまり「殺すのが嫌い」っていうのは完全に脅し文句
0651人間七七四年2016/06/26(日) 01:15:42.30ID:iK87Nqzd
見渡す限り死体の山で胸がすかっとした
お前らにも見せてやりたいだぎゃ〜

って書状送ってくる奴はいるけどな
0652人間七七四年2016/06/26(日) 01:18:47.62ID:4zZZm5i+
>>649
そりゃ書かんだろ。だから?
0653人間七七四年2016/06/26(日) 08:05:49.61ID:wAQuAkMU
秀吉が人殺しは嫌いと言ってる書状は少なくとも2つある。

ただしそれが秀次に送った折檻状(豊臣秀吉文書集二 1215)と
小早川隆景に送った脅迫状(毛利家文書三 980、豊臣秀吉文書集一 705)なんだよなぁ
0654人間七七四年2016/06/26(日) 08:51:57.76ID:vqLZoPOQ
結局どっちも脅し文句じゃないですかやだー
0655人間七七四年2016/06/26(日) 10:24:32.09ID:XN/U5mzN
秀次への手紙ってこんな内容でしょ?

わしは人を斬るのが嫌いだが、今のお前のように見苦しい様ならば
一族の恥であるから成敗する。わしのおいとして意識をして働くのであれば
どこの国でも好きな知行をとらせる 
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