実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net
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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net
2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89Cあるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0537人間七七四年
2016/05/19(木) 15:02:03.31ID:Lh7G32yh0538人間七七四年
2016/05/19(木) 16:28:39.01ID:Ga2bfi1S柳生十兵衛や宮本武蔵は、もう戦乱の世が終わってから剣技で名をなした
剣術使い、剣豪分類だからな。
0539人間七七四年
2016/05/19(木) 17:40:18.93ID:MGckL32U0540人間七七四年
2016/05/19(木) 18:02:59.06ID:cWyiep4H最初は十人並よりは少し強いだけの人物像だったのが、
派生を重ねるうちに描写が超人化したのかも
田宮坊太郎という架空キャラも、最初は
「丸亀藩では強い方だが、全国的規模でなら掃いて捨てるほどいる剣術使い」
である仇に勝つため、柳生宗冬という微妙な剣術家の下で修業する話
…だったのが、時代を下るに従ってなんだか史上屈指の剣豪だった
みたいに話が膨らんでる
0541人間七七四年
2016/05/19(木) 20:44:18.71ID:9tpXMYzFオレンジ君の経歴の飛躍ぶりも斜め上で謎だなw
史実で確認できる経歴は、秀吉の馬廻りか何かからのスタートだけど
岩見ヒヒ退治伝説では、小早川隆景の武芸の師匠(の息子)だったか
0542人間七七四年
2016/05/20(金) 14:59:34.44ID:XztDbLux吉川英治の創作
小説「宮本武蔵」がヒットしたことで、
武蔵の出身地は播磨では?と指摘(あるいは突っ込み)を受けた
英治は、小説上の設定だと言えばそれで済んだはずなのだが、
何故か、新免は美作にしか無い氏だと強弁し、美作出身設定を正当化しようとした
氏族を形成するのは所詮人間であり、移住もすれば、流動もある
現に大昔には新免同様に美作固有だった菅氏も、黒田孝高に仕える者がいて、
黒田家の転封先で子孫を発展させている
末裔の一人、菅直人は宇部出身だ
当時の出版業界は、つべこべ言い出した吉川英治に触ってはいけないモノを感じたのか、
それ以上追究することは控えたようだ
現在でもこの不可解な強弁内容を、ナントカの一つ覚えのように主張する者がいるが、
はっきり言って、相手にされてはいない
0543人間七七四年
2016/05/20(金) 21:08:22.38ID:hCN58vQo奇異な伝説みつけたから、それで書きたかったんだろ
三国演義だってアレンジしてるしな
なんて言ってたかは知らんが、いちいち突っ込まれるから(当然だが)、イラついて偏屈になってたんじゃね
まあ、先生だし「わかってるわ、うっせーな!小説だよ!設定だ」とは言わないだろ
0544人間七七四年
2016/05/20(金) 21:35:36.41ID:QxrFA9feオレンジ君、柔術や剣術の一派の流祖になっているみたいだけど、
根拠があるのか、後付けで流祖に祭り上げられたのか
0545人間七七四年
2016/05/25(水) 11:10:43.73ID:C3GnRq8O武功雑話だと家康が浪人衆の中で認めてたのは又兵衛と御宿政友の二人だけだったとか
それまで父の陰に隠れる形だった真田信繁とかはともかく、明石全登とか実績がある人間いただろうに
0548人間七七四年
2016/05/29(日) 22:18:18.77ID:7k03K+LE武蔵美作生まれ説と混同したんだ
「新免氏は美作にしか存在しない、固有の氏」なんて通説とはいえないし
吉川英治が強弁したとお前は言ってるが、そんなの一般に流布してんの?
0549人間七七四年
2016/05/29(日) 22:23:46.62ID:jg18dGrM明石全登は宇喜多家のお家騒動で花房などの重臣が出奔して
その後に担ぎだされてきただけで実績は杭瀬川と関ヶ原本戦くらいで殆ど無い
又兵衛は多少盛られていたにしても
四国征伐、九州征伐、朝鮮出兵、関ヶ原と第一線で働き
1万6千石までのし上がったガチの実戦派武将
0550人間七七四年
2016/05/30(月) 06:56:32.87ID:B24+mf7V話のもとになった清正の槍は、もともと片穂槍だったって事みたいだし
0551人間七七四年
2016/05/30(月) 11:28:43.50ID:uYMP1v/U一般に流布している
吉川英治の小説上の武蔵しか知らず、
それを史実の人物と思い込んでいる者は少なくない
一次史料に基づいて武蔵の人物像を推定している者よりも多い
0552人間七七四年
2016/05/30(月) 16:06:13.42ID:uHZT+B1F立花さんちの小野さんの逸話では
片鎌槍になった由来は天草国人一揆だし
江戸中期とくに吉宗以降の歌舞伎辺りだろうな
片鎌槍って形状を示すもので固有名詞じゃないし
現存する国立博物館にある娘の嫁入り道具のアレは
清正本人が使用してたもののレプリカなんじゃね?
0553人間七七四年
2016/05/30(月) 19:51:12.71ID:ZVPaqmZJそれじゃ吉川英治の宮本武蔵の中の武蔵像にまたズレちゃったじゃん
「新免氏は美作にしかいない説」じゃないじゃん
新免氏and美作固有でぐぐっても、それらしいの出てこないのに、一般的なの?
美作説が未だそれなりの知名度を保ってるのは、新免氏がどうのじゃなく
吉川の小説とともに地域が熱心に観光キャンペーンに利用してるから
0555人間七七四年
2016/05/30(月) 22:39:22.27ID:WiemMqfX小説家が創った剣豪のイメージって結構あるからなぁ
古いところだと箸で蠅を捕まえたり、鍋蓋で攻撃を塞いだりとか
0556人間七七四年
2016/05/31(火) 00:58:10.82ID:/T8XjKdZ0557人間七七四年
2016/05/31(火) 07:50:00.95ID:ceiceZ+/鎧を着てたから戦い方も平服とは違うだろと言う憶測と
旧武徳会で勢力を誇れなかった流派が「ウチは老舗でっせ」と
自らをブランディングする為に使われたキャッチコピー。
0558人間七七四年
2016/05/31(火) 17:05:45.30ID:IO52o/Fk>23 :日本@名無史さん:2012/02/29(水) 10:45:33.31
>播州説は岡山しか無い新免姓をなぜ名乗ったのかが上手く説明できないのが残念ね。
上記のように、史料からではなく、
吉川英治の小説とそれを補強する強弁をなぞるだけの素人が
論拠にするほど、一般化している
専門化じゃないだろ
0559人間七七四年
2016/05/31(火) 23:15:44.82ID:yRQDryXp戦国板でいうのもなんだが
0563人間七七四年
2016/06/03(金) 21:53:39.74ID:RSl5KE6Yあれを創造した人って誰だろう
長篠の三段撃ちとか秀吉の一夜城とかよく考えたら
小瀬甫庵をはじめ、創った人間の想像力凄いよな
0564人間七七四年
2016/06/03(金) 22:27:35.39ID:pjj7Oh+F0565人間七七四年
2016/06/04(土) 00:08:42.74ID:uO5aw64m小説では当時の人にも最強と言われてたみたいに出てくるが、ウソだよね?
0566人間七七四年
2016/06/04(土) 00:36:08.79ID:g5UVDe/wちょろっと示してほしい。(・∀・)
0567人間七七四年
2016/06/04(土) 10:15:25.89ID:8lypt55E朝倉宗滴に好評化されてたという人物には入ってたな
今川殿(今川義元)
甲斐武田殿(武田信玄)
三好修理大夫殿(三好長慶)
長尾殿(上杉謙信)
安芸毛利(毛利元就)
織田上総介(織田信長)
正木大膳亮(正木時茂)
0568人間七七四年
2016/06/04(土) 10:20:50.64ID:kOZnpjPF里見の寄騎だった正木大膳を入れてるのが、ちょっと違和感あるな
0569人間七七四年
2016/06/04(土) 10:27:33.24ID:GuIVEEMB実際起きた事を時や人物を代えて再現して作品にする創作ものに良くある手法を取っただけ
三段撃ち→朝鮮征伐の時には日本軍の基本戦術になってた繰撃ちを信長はこんな昔からやってた!
墨俣一夜城→石垣山一夜城みたいのは昔から得意だったんだよ!
秀吉に旗鉄砲を貸す→実際は長久手の時なんだけど先見の明ある隆景は本能寺の時にやったんだよ!
などなど
戦闘の場面は中国古典から取って臨場感だしつつごまかしたり文才はすごいけどな
0570人間七七四年
2016/06/05(日) 00:35:18.02ID:DmrAIFmB素晴らしい想像力なんて関係ないんじゃないか?
物事を創作するときにネタとなるモノがあったんじゃないかって思うのに、特別素晴らしい想像力なんて必要ないんだから。
0571人間七七四年
2016/06/05(日) 02:09:13.83ID:3L/jMJ3u>564は、想像力が欠如していると>563をあからさまに
罵ってるわけだから、そういうだけの自分の想像力の
すばらしさを披露してみてもいいんじゃないの、というか
そうすべきだろw
0572人間七七四年
2016/06/05(日) 04:55:33.53ID:u7nD7okXあんな場面で信長が殺られるとか想像もしてなかったわ
もう、戦国時代も終わりかぁと思った矢先にこれ
考えた人は天才だね
0573人間七七四年
2016/06/05(日) 05:09:28.16ID:SjNAiMln0574人間七七四年
2016/06/05(日) 20:21:25.12ID:mSVYX5xAいつの間にか仲が良かったようなイメージが強くなった気がする
まあ義元にしても自分の偏諱与えたり、一族の女を嫁にやるのと
同じころ自称官位が多いこの時代に無位とは言え蔵人佐の官位を
貰ってやってる位なんだから、扱いはそう悪くは無かったんだろうけど
0575人間七七四年
2016/06/05(日) 20:41:20.61ID:meX3L3IXそもそも蔵人に次官職ってあったっけ
0576人間七七四年
2016/06/05(日) 20:59:03.32ID:Xl5GFy3f家康も私称だよ。
0577人間七七四年
2016/06/06(月) 11:38:09.77ID:oIpJlUPE武田最強説は神君家康公を野戦で破った事実と家康が旧武田家臣団を併合した事に加えて武田家が滅亡したお陰で氏素性の怪しい奴が就職活動するのに甲州軍学兵法者と言う肩書きが使いやすかったから広まったと思う
0578人間七七四年
2016/06/06(月) 11:47:30.80ID:oIpJlUPE幕末も結構でかい戦あるけど戦国時代ほど洒落たネーミングがあればもっと輝いたと思う
0579人間七七四年
2016/06/06(月) 19:43:05.21ID:doq2Ad4V羅貫中が、近世に起きたハヨウ湖の戦いを引用して、
古代末期を舞台にした小説・三国志演義で赤壁の戦いを創作したのに
匹敵する功績かもな
0580人間七七四年
2016/06/06(月) 20:41:22.58ID:B5eQ1t+r通説が如く定着させた人間もある意味凄いな
0581人間七七四年
2016/06/06(月) 21:40:38.41ID:l4zphes5って歌があったけど、あれはどこから持ってきたのかな
0582人間七七四年
2016/06/07(火) 00:39:58.85ID:p0lJb1s8マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐
作者:嵯峨良蒼樹
「戦国最大のおのぼりさん」今川氏真の上洛を活写する戦国文芸観光蹴鞠小説!
信長「との」蹴鞠を含めた天正三年(一五七五)今川氏真上洛百日の全行程と知られざる人間模様を、上洛中に氏真が詠んだ二百種以上の和歌と共に描き切る怪作!
今川氏真 「うむっ! 一首浮かんだ」
http://ncode.syosetu.com/n5953di/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)
0583人間七七四年
2016/06/08(水) 21:13:24.39ID:r6q/YRqy海音寺潮五郎が田単の火牛の計が元ネタだろうと解説していて、
その解説を井沢元彦がさも自分の意見が如く著書の中でパクッテたな
0584人間七七四年
2016/06/09(木) 11:58:44.66ID:qKqcXpBO0585人間七七四年
2016/06/10(金) 08:41:40.68ID:O51j3Kta甲陽軍鑑にはその呼称なかったはずだが
0586人間七七四年
2016/06/10(金) 08:56:43.12ID:eQxeREZ7海音寺潮五郎だったりしてな、案外
0587人間七七四年
2016/06/10(金) 10:13:31.61ID:C7BQ7GYL0588人間七七四年
2016/06/10(金) 10:25:41.89ID:FFDRRlH00589人間七七四年
2016/06/10(金) 22:05:35.06ID:jqfSftIA田単の火牛の計が元ネタなのは誰でも気づくかもしれないけど
その解説の中で牛の角に火を付けたら、牛が怯えて計が失敗するだろうから
作者は田単の元ネタ通り、尻尾に火をつけた事にすればよかったのに
と多少の文言が違っても、そういう嘆きまで同じ内容の文章を書けば
パクリと言ってもしょうがなくないか
0590人間七七四年
2016/06/11(土) 20:54:38.10ID:8DmO6lhcもしあれが創作なら、何をモデルにして考え出したんだろう
0591人間七七四年
2016/06/11(土) 21:21:53.20ID:quFIYfMsこれで氏康が「一人で十人殺す気で戦えば必ず勝てる!」とかイカれた精神論を述べてるために
軍記の敵兵力は北条の十倍設定
十倍の敵に正面から闘って勝てる訳ないから「夜襲」
唯の夜襲で十倍の敵を撃破は苦しいから「偽りの降伏宣言」+「夜襲」の「騙まし討ち」
こうして講談「河越夜戦」の誕生
0592人間七七四年
2016/06/11(土) 21:42:57.18ID:nCt3Ho3I0593人間七七四年
2016/06/11(土) 22:09:05.43ID:CcoC0FEg江戸中期〜後期と時代を経ると派手で胡散臭い「河越夜戦」に変貌していく
0594人間七七四年
2016/06/12(日) 06:45:22.31ID:U6yC6vYTたしか「三河物語」で似たようなの見たような記憶があるけどいまいち曖昧・・・。
横山光輝的には吉川栄治の小説からなんだと思うけどw
0595人間七七四年
2016/06/12(日) 07:45:15.51ID:A/52jC/s0596人間七七四年
2016/06/12(日) 20:59:39.27ID:D+VexT2N扇谷上杉家が滅んだり、上杉憲政が越後に落ちる事になったんだから
北条優位な展開の戦があったんだろうけど、美男子と言われる北条綱房が
単騎使者を務めるとかは、創作だろうなぁ
これもまた何か元ネタがありそうな逸話だけど
0597人間七七四年
2016/06/12(日) 21:36:36.32ID:Oe5pUoIH扇谷最後の当主、上杉朝定は死因もし死亡年も不確定
0598人間七七四年
2016/06/12(日) 22:00:45.37ID:yciM3pfq北条ステマはもうウンザリ
0600人間七七四年
2016/06/12(日) 23:32:02.37ID:zaOvgNRO0601人間七七四年
2016/06/12(日) 23:34:04.90ID:b8183FBvそもそもその話が初めて出た改正三河後風土記にも脱糞したなんて書かれていない。
脱糞したことにしたのは山岡荘八。
つまり完全な作り話、かつ小説。
0602人間七七四年
2016/06/13(月) 07:51:27.95ID:S23fxAt4北条は早雲からして幕府を背景にして勢力拡げたのに、
一浪人が己の手腕頼りにのしあがったって事になっていたからなぁ
0603人間七七四年
2016/06/13(月) 09:03:15.07ID:/AqFqVLv0604人間七七四年
2016/06/13(月) 20:43:39.48ID:Ztmf9er/そもそも両半蔵は兎も角として渥美源吾ってどんな人?
人斬りって言われるほどの戦果とかあるの?
0605人間七七四年
2016/06/16(木) 10:30:04.75ID:owSKgU79司馬の関ヶ原にちょい役で出ていたのくらいしか知らないなぁ
0606人間七七四年
2016/06/16(木) 22:20:12.49ID:p6gWjuVM嘘は良くない。
古さで「甲陽軍鑑」と並ぶ「北条記」の頃から、既に派手な合戦として扱われている。
0607人間七七四年
2016/06/16(木) 23:02:01.76ID:72nd9FRF0608人間七七四年
2016/06/16(木) 23:28:41.73ID:CeuROFV5それは嘘
「甲陽軍鑑」で言及している河越の合戦は天文9年のもので、河越夜戦から7年も前の合戦
まだ北条氏綱の代の話
「北条記」は作者成立年不詳の軍記
派生軍記が大量に出回った江戸中期以降の物と見るのが妥当
0609人間七七四年
2016/06/16(木) 23:45:34.28ID:BdrZxScA0610人間七七四年
2016/06/17(金) 00:22:04.91ID:IljcFEidそして「北条五代記」では攻めてきた山内勢を撃退しただけの地味な戦いなんだよなあ
0611人間七七四年
2016/06/17(金) 00:32:37.46ID:OHY3oZZM北条記の派生軍記が大量に生まれ出回ったのが江戸中期だから、
北条記の成立は江戸前期(元和〜寛永)と言われているんだが。
まず甲陽軍艦と北条記が江戸初期に大流行したため、対抗して各地で戦国軍記が書かれ、
派生軍記も起こり江戸中期に更に大流行し、後世の小説家が飯のタネに困らなくなった。
0612人間七七四年
2016/06/17(金) 00:49:44.31ID:IljcFEid>成立は江戸前期(元和〜寛永)
だからそれが「北条五代記」だよ
北条家の家臣である三浦浄心の著「北条五代記」と作者不詳の「北条記」は別物
「八万の大軍」、「夜襲」、「騙まし討ち」等の派手な河越夜戦は「北条記」の物で
「北条五代記」の記述にそれらは無く地味
0613人間七七四年
2016/06/17(金) 06:34:16.42ID:f3xZexOJ0614人間七七四年
2016/06/17(金) 15:23:37.20ID:ZJKv8L8S0615人間七七四年
2016/06/17(金) 19:17:46.00ID:bqMh2i+70616人間七七四年
2016/06/18(土) 14:53:50.73ID:Fk6Ntz42しっかり裏付けを取って検証する必要があるな
あの先生はそそっかしくて、時折間違った結論を出すから
0617人間七七四年
2016/06/18(土) 15:42:38.79ID:KWbRmSCq0618人間七七四年
2016/06/18(土) 15:55:54.08ID:DPUQJOLEネタにしても有り得ない酷さだな。
0619人間七七四年
2016/06/18(土) 21:18:14.69ID:AY+f9baT複数回あった川越城めぐる戦いを一本の合戦に纏めたのが
今に伝わる河越夜戦だって説みたことあるな
0621人間七七四年
2016/06/19(日) 12:05:12.14ID:rQ03WGL90622人間七七四年
2016/06/20(月) 02:04:03.00ID:eGKWNr6q甲陽軍鑑と日本外史のあてにならなさは異常
日本外史なんかファンタジー小説と考えた方がいいレベル
0623人間七七四年
2016/06/20(月) 10:51:37.25ID:vUcV+WIX0624人間七七四年
2016/06/20(月) 12:56:53.17ID:RVr9JYBi0625人間七七四年
2016/06/20(月) 13:44:17.52ID:vel/XA7r所詮後世の講談だからな
0626人間七七四年
2016/06/20(月) 21:36:29.16ID:vUcV+WIX0627人間七七四年
2016/06/20(月) 22:26:39.32ID:of1cyuvY甲陽軍鑑は成立時期が古いので風俗などは参考になる。
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならなさすぎたり、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎたりするのが難点だがな。
0628人間七七四年
2016/06/21(火) 00:59:23.45ID:Ha4gHIUdそれってさあ
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならない上、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎるから
風俗くらいしか参考にならないって事だよね
0629人間七七四年
2016/06/21(火) 07:50:36.25ID:z2a7ifQ90630人間七七四年
2016/06/21(火) 18:43:49.79ID:7uzUbVAv史料には単にそれぞれ溺死と書いてあるだけで、
二人が舟遊びをしていたという話は創作、
というのは本当ですか?
0631人間七七四年
2016/06/21(火) 19:28:07.55ID:zwPkSwEd0632人間七七四年
2016/06/21(火) 21:49:31.97ID:Hm3tom0vそして琵琶島城の城主とは誰だったのか
果たして謎は解けるのか
0633人間七七四年
2016/06/22(水) 12:57:33.57ID:7X6ePydTそもそもが本当に溺死だったのかまで疑わしくなってくる
0634人間七七四年
2016/06/22(水) 15:48:48.09ID:hYlOtx/W不審死を溺死として記録する慣例なんて見た事ないぞ
誰が如何なる根拠で主張している説なのか厳しく問い詰めたい
0635人間七七四年
2016/06/23(木) 20:22:46.17ID:OBPvQWOI0636人間七七四年
2016/06/23(木) 23:28:13.00ID:C4lxSols■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています