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実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0116人間七七四年2016/03/20(日) 21:12:29.34ID:n8lCUOCb
結局のところ>>99に戻ったな
必死で論点をずらそうが、江戸時代ですら偽書扱いで現代の歴史家からは総スカンされてる三河後風土記の信憑性は非常に低いという事実が全て
これへの有力な反論が無い以上もう家康の脱糞の話は終わりでいいよ
0117人間七七四年2016/03/20(日) 21:41:34.03ID:GoDNWq4I
江戸時代ですら偽書扱いと言っても幕末からだし
幕府の正当性にケチつける輩がワンサカいた時代に偽書扱いされてもねえ

そして
「改正三河後風土記」は幕府編纂であり、
幕府自ら否定していることからして、逆に怪しまざるを得ないってことなんだろ。

史学の徒としては、完全に否定も肯定もできるはずはないんだが?
という
>>68に全く答えられず、嘘ばっか吐きながら
必死に話を逸らしてきた否定派に自分ルールで纏められてもねえ
0118人間七七四年2016/03/20(日) 21:45:33.24ID:GoDNWq4I
徳川マンセーな偽書を政治利用しようとしただけなら
脱糞話は削除でOK
わざわざ改正三河後風土記で取り上げてまで否定する必要ないんだよねえ
0119人間七七四年2016/03/20(日) 21:48:27.24ID:YCwr0tdW
流れをざっと見ただけだけど、三河後風土記の信憑性を疑う根拠が未だわからないんだけど
0120人間七七四年2016/03/20(日) 21:50:23.53ID:az5vLKY6
>>115
>偽書とは「製作者や由来を偽った書物」

おれの手元の本だと、「東日流外三郡誌」の信奉者は、そういった後、
「製作者や由来を偽るということは、オリジナルがあるということ」
「この古文書にオリジナルなどというものはないのだから、これは本物である」
って書いてる
最初読んだとき、この人はアホかと思った

だから、「偽書とは?」みたいな話はやめた方がいいんじゃないかなぁ、と
0121人間七七四年2016/03/20(日) 21:53:18.51ID:kmHin+MK
>>117
18世紀の伊勢貞丈撰の「偽撰の書目」でも偽書扱いされてるよ
幕府自らって言うけどそもそも当時(家斉時代)の江戸幕府だって家康が脱糞したかどうかなんて知るわけないんだから怪しんでも仕方ないでしょ
つーか幕府が否定してなかったらそれはそれで「事実だから否定しなかった」とか言うんだろうし水掛け論でしょ
あと俺は「完全に否定」はしてないよ、ただ信憑性が非常に低いって言ってるだけで
それと「嘘ばっか」って具体的にどれのこと?wikiの文章もまともに読めず江戸時代に偽書扱いされてたという事実を嘘扱いして恥かいたのはそっちじゃん
0122人間七七四年2016/03/20(日) 22:01:03.09ID:gYKaMy0h
>>118
日常的に「マンセー」を使ってるのか
すげえな、お前
0123人間七七四年2016/03/20(日) 22:09:31.01ID:Bhi7QT9+
三河後風土記の偽書説は木村高敦(1680-1742)の『続武家閑談』にもあるけど
ちなみに『武徳編年集成』を編纂した人
0124人間七七四年2016/03/20(日) 22:16:13.98ID:/N6M6ACL
>>120
それはそいつが論理の飛躍し過ぎて馬鹿過ぎるだけだから「偽書とは〜」という話自体を止めた方がいいとは思わんな
そもそも>>107が「三河後風土記が偽書だからそれを元に編纂した改正三河後風土記も偽書!」とかいう
トンチンカンなことを言ってるのが原因だし
0125人間七七四年2016/03/20(日) 22:16:17.61ID:IVQavo+I
>>121
あんた(ID:kmHin+MK)恥知らずにも程がある
>>69-72で嘘ついて速攻で否定されてんじゃん
あんたの初っ端の嘘のせいで否定派の信用ゼロだから
0126人間七七四年2016/03/20(日) 22:20:30.98ID:5G7hYg/E
前スレで言われていた通り荒れとるw
0127人間七七四年2016/03/20(日) 22:21:24.21ID:/N6M6ACL
「改正版がわざわざ否定してるのが怪しい!」と主張するなら、
まず改正版で注釈なく削除された事例を示すべきなのでは?

>>125
それは>>121が嘘ついたのではなく、お前に読解力というものが無いだけなんだよなあ
0128人間七七四年2016/03/20(日) 22:26:13.38ID:kmHin+MK
>>125

だからそれはその後の論争でもあった通り大久保の嫉妬心から出た悪口を嘘ととるか事実ととるかの問題じゃん
理解力なさすぎでしょ
0129人間七七四年2016/03/20(日) 22:29:52.92ID:qGi2jHVT
常識的に考えて>>121は嘘吐きだろ
悪口だから嘘とか底レベルすぎるw
0130人間七七四年2016/03/20(日) 22:31:57.65ID:YCwr0tdW
過去に偽書であろうとした人がいるから、というのは信憑性がない根拠にはならなくね
せめて、その著者が偽書として挙げた理由くらいは教えてほしいが
軍艦の逸話をもとに書いても問題にはならないわけで、三河後風土記を元にしてたら創作ではないよね
0131人間七七四年2016/03/20(日) 22:33:27.67ID:kmHin+MK
>>129
事実を言っただけなら悪口として成立しないし大久保が家康に説教されて素直に感服するのも不自然だと思うけど?
0132人間七七四年2016/03/20(日) 22:33:31.82ID:IVQavo+I
>>128
あんたが嘘をへ理屈で誤魔化してんのバレバレだから
0133人間七七四年2016/03/20(日) 22:35:00.40ID:/N6M6ACL
「悪口だから嘘」とかじゃあなく、『一言坂軍の事』を通しで読んでみれば
「大久保忠佐が嘘を言ったとは書かれてないから本当に漏らしたのかもしれない!」とは絶対に言えねえよ
0134人間七七四年2016/03/20(日) 22:36:07.32ID:/N6M6ACL
個人攻撃して印象を下げる作戦に切り替えたのかな?
0135人間七七四年2016/03/20(日) 22:38:37.51ID:IVQavo+I
否定派の言うことは全く信用できない
0136人間七七四年2016/03/20(日) 22:41:01.83ID:/N6M6ACL
>>130
偽書だというのは「1610年に平岩親吉が書いたというのが疑わしい」ということだから、
三河後風土記の信憑性とはまた別の話
0137人間七七四年2016/03/20(日) 22:46:47.12ID:qGi2jHVT
>>131
その辺はお前より>>75の言い分に説得力を感じるぞw
0138人間七七四年2016/03/20(日) 22:50:33.72ID:kmHin+MK
>>137
そりゃあんたは肯定派だからそうでしょうよ
0139人間七七四年2016/03/20(日) 22:53:20.11ID:/N6M6ACL
そもそも三河後風土記の家康は「主君に恥をかかせるな」なんて説教はしてないのだけど
0140人間七七四年2016/03/20(日) 22:57:38.19ID:IVQavo+I
否定派の言うことは全く信用できない
0141人間七七四年2016/03/20(日) 23:00:58.90ID:qGi2jHVT
だとさw
>>138の罪は大きいなw
0142人間七七四年2016/03/20(日) 23:07:29.10ID:kmHin+MK
別に信用しなくてもいいからまともな反論をしてくれ
信用しないならしないで相手の主張を覆す根拠を示すとか色々あるだろ
信用できない信用できないと壊れたラジオのように繰り返すだけじゃただの思考停止だよ
0143人間七七四年2016/03/20(日) 23:13:32.47ID:IRtB8dCU
提案
次スレからは「ウンコの話は禁止」をテンプレに入れよう。

はたから見てると「信じる・信じない」と「嘘つき・お前こそ嘘つき」を延々繰り返していてラチがあきそうにない
0144人間七七四年2016/03/20(日) 23:14:00.14ID:/N6M6ACL
忠佐が無礼討ちにならないのはおかしい!というが、
罵倒一回で譜代の重臣を斬ってたら家康の求心力が低下する可能性があるし、
そもそもあの話丸々作り話だろうから色々と矛盾点が出るのも当然だろう
0145人間七七四年2016/03/20(日) 23:23:19.93ID:Vyf2SoFS
次スレからとか先すぎる
これからは「ウンコの話禁止」で
0146人間七七四年2016/03/20(日) 23:26:14.01ID:5G7hYg/E
唐突な>>68からの加熱っぷりから、この話がしたくてスレタイ変えたがってたのかと思えてしまうわ
0147人間七七四年2016/03/20(日) 23:29:08.05ID:/N6M6ACL
そういや放火した>>68はそれきり何も言ってねえな
0148人間七七四年2016/03/20(日) 23:47:01.49ID:guffdEhx
ぶっちゃけウンコ漏らしたかどうかを史料の信憑性がどうとかアホかと思う


ウンコくらい漏らすさ人間だもの
0149人間七七四年2016/03/21(月) 00:09:01.48ID:QpuJ1Gi9
真田太平記でも活躍する樋口角兵衛を主人公にした、同じ池波正太郎の短編「角兵衛狂乱図」
この短編で紹介されてる「角兵衛狂乱之図」って実在するんだろうか
検索しても出てこない

少し前に真田太平記関連のスレで「例の絵がらみで子孫が〜」とか書かれててなんだろうとは思ってたけど
この短編にも所有者の名前が出てるけど、別に子孫ってわけでもないっぽいし
0150人間七七四年2016/03/21(月) 00:50:59.29ID:497TVpTj
スレタイ変えて約束された荒廃なんだから気にするなよ。許容範囲や
0151人間七七四年2016/03/21(月) 05:18:24.78ID:Hcn0r5fC
樋口角兵衛は架空の人物なのに「角兵衛狂乱之図」が実在する訳ないべ
0152人間七七四年2016/03/21(月) 11:22:48.97ID:R2eDDnJ0
創作だと北政所が秀吉子飼いに絶対的影響力を持っており、それが東軍の勝利に多大な貢献をしたとかあったな
北政所大好きの司馬が更に拍車をかけた感があったけど
0153人間七七四年2016/03/21(月) 15:03:27.01ID:gb6tx5ZK
甲冑フル装備でウンコオシッコするのは大変
ちりじに退却中となると脱糞して帰還もありえなくもない
ただ恐怖でちびったわけでないから否定してるのかも
0154人間七七四年2016/03/21(月) 15:13:02.01ID:v4C/k4+o
戦場でウンコタイムとか敵が許してくれない
垂れ流しながら戦うのが正しい武士の有り様と竹中先生も仰っています
0155人間七七四年2016/03/21(月) 15:19:44.08ID:QpuJ1Gi9
>>151
いや、「先公実録」という資料に所収されてる「取捨録」というのに「樋口四角兵衛」という、
信繁の従者の話が載ってるそうな
出自はともかく、エピソードは、真田太平記や短編の樋口角兵衛そっくり
大坂の陣にも信繁に従って参加した後、国に帰り子孫は真田藩に仕えた、とか

もっとも、絵の話を知る前はおれも創作された人物だと思ってたんだけど、真田太平記関連のスレで、
「池波正太郎に子孫が抗議したらしい」とか書かれてて、ほんまかいな、と
でもまー絵についても検索しても出てこないし、その「子孫が抗議した」とかいう話は、こうなるとデマなんだろうなぁ

と思っていたら、NHKの真田丸歴史ガイドブックの考証担当の人達の座談会で、「樋口角兵衛という、実在はしたらしいけど、
それほど重要ではない人物」と触れられたりしたので、ますます分からなくなったんだけど
0156人間七七四年2016/03/21(月) 17:49:24.43ID:z0ZQSnKf
うんこ垂らしながら戦えるかw
一度やってみろよw
ガニ股でそろそろ動いて戦うのか?
瞬殺されるでw
0157人間七七四年2016/03/21(月) 18:05:47.32ID:497TVpTj
煽りのセンス無いよね
0158人間七七四年2016/03/21(月) 18:21:58.19ID:Rb4TOWtL
単なる下痢だったじゃね?

下痢は戦場では対応できないw
0159人間七七四年2016/03/21(月) 18:40:31.00ID:5idN/qFs
ウンコの話禁止
0160人間七七四年2016/03/21(月) 19:02:15.28ID:kvrxrdZD
昨日の論戦は良かった
多少のヒートアップはあったけど
荒れるってほどの事でもなかったし
初心者にはいい勉強になった
全世界に500人位はいるであろうROMを代表して礼を言わせてもらう
0161人間七七四年2016/03/21(月) 20:26:10.75ID:xssYv7RU
http://i.imgur.com/6VfGUzU.jpg
0162人間七七四年2016/03/21(月) 20:43:08.86ID:0VJvgClu
三方ヶ原の戦いなんて茶屋の婆さんの話とか、俗説まみれだからな
>>152
司馬は創作した話も多いけど、俗説を世間一般に広めたのも多々あるからな
海外貿易推進派だった家康を徹底した鎖国主義者にしたりとか
0163682016/03/22(火) 06:58:02.49ID:0WfIxFji
家康スレで、うんこの話をしたら、嘘の情報を真の情報だと思い込むアフォだと
言われたので、史学徒の態度としてはそれはないだろう、ということで
丁度いいスレを見つけたので、ここで軽い検証(ジャブ)を行って貰いたいと思ったわけw
>>68で言ったように断定的な決めつけ(肯定否定共に)はできない、というのが史学徒の立場ではないのか?
0164人間七七四年2016/03/22(火) 07:44:51.04ID:bgdw5rLv
分かったからもう黙っとけ
0165人間七七四年2016/03/22(火) 07:45:53.84ID:F/wr4t2+
>>163
史学の徒?
ここにいるのはシーア派とスンニー派のテロリストだけだよ
お互いに話しも聴かずに馬鹿だのクズだの罵りあうだけ
0166人間七七四年2016/03/22(火) 12:19:48.65ID:Onrep8U9
>>163
史学の前にまず日本語を勉強しろ
0167人間七七四年2016/03/22(火) 22:22:46.24ID:lBWcfkMb
アイドルはうんこ漏らしません!
0168人間七七四年2016/03/22(火) 22:26:18.89ID:F/wr4t2+
前田ノ子が佐藤建にゴミ捨て場に棄てられた時にンコ漏らしてましたやん
0169人間七七四年2016/03/22(火) 22:58:24.52ID:Ua8AqPla
>>168
それ糞じゃなくて愛情味噌弁当な。喰えば分かる。
0170人間七七四年2016/03/25(金) 07:13:50.65ID:w78czMLt
ペットショップにいたメス犬がうんこ食べてた(゚∀゚
0171人間七七四年2016/03/25(金) 19:32:02.01ID:WWvFUk82
基本的な話でアレだが、「天正壬午の乱」って言い方、真田丸考証担当の平山優氏の命名だったのね
図書館で「天正壬午の乱」を借りてきて読み始めて、初めて知った
まあ「天正壬午の乱」っていう一連の出来事自体、今回の真田丸で初めて知ったんだけど
0172人間七七四年2016/03/25(金) 21:08:00.48ID:RTyKEFYO
織田の血族は美男美女が多いって義経や沖田総司が美形だった並みに
根拠が乏しそうな話だけど誰が広めたんだろう
0173人間七七四年2016/03/25(金) 22:26:23.16ID:bMWTeY7I
神流川の戦いとか個別の話は聞いたことあったけど、それらの戦役を総合して検証したことはかつてなかったようで
0174人間七七四年2016/03/26(土) 00:14:22.49ID:pUckEmH5
ま〜た平山優とその取り巻きがネット工作してるよ(笑)
いいかげん藤本正行の批判からコソコソ逃げ回ってないで反論しろやw
0175人間七七四年2016/03/26(土) 00:45:10.02ID:tBtQgp7s
壬午の乱にいつの壬午だからわからんから天正つけただけの名称やろ。命名つうほどでも
0176人間七七四年2016/03/28(月) 17:45:03.83ID:3Rlisvhl
>>172
織田一族が美形だとは、太田牛一らが書いている

義経…容姿に関する記録は一切ない。フィクション『平家物語』において、
 敵対する平家武将の間で義経の容姿について、出歯でチビだと、悪口を語る描写がある程度

沖田総司…どちらかと言えば不細工という記録がある。顔色が悪く(病気のためだろう)、
 ソラマメに喩えられる顔型だと伝わる

同時代の者が美形だと証言した記録はあっても、逆に美形ではなかったとする証言は存在しない織田一族と、
後世のフィクションの一部で美形化が図られたことが明確な義経や沖田総司と同列に扱うことが、
不見識だと言わざるを得ない
0177人間七七四年2016/03/28(月) 20:07:00.70ID:Zxe9sHO5
当時の基準だけど、信長が美形だったのは確かじゃないかな

斉藤一とか るろ剣ではあんなに格好良かったのに写真見るとアレだもんな
土方の写真はかなりイケメンに見える
0178人間七七四年2016/03/29(火) 15:27:33.36ID:O8Ula7Tq
まとめると、
昭和30年代後半、海音寺潮五郎が「ドイツの有名な戦術家が関ヶ原古戦場で〜」
 と、エッセイ上で創作
昭和40年代前半、司馬遼太郎が「メッケルが関ヶ原の配置図を見て、石田方の勝ちと言った」
 と、小説上で語る

まるで明治時代から伝承されていたかのように認識されていたが、
実際は昭和後半に突然湧いた話だった
0179人間七七四年2016/03/29(火) 18:45:28.78ID:20dx3qqL
よかった
異国で恥かいたドイツの軍人さんなんてのはいなかったんだ(゚ーÅ) ホロリ
めでたしめでたし
0180人間七七四年2016/03/29(火) 20:07:46.80ID:wsGL8aT4
渡邊大門が洋泉社のページでやっている真田丸の批評の中で、家康の爪を噛む癖は
司馬や坂口の小説で強調されたもので特に根拠はないとあったけど本当かな
0181人間七七四年2016/03/29(火) 20:08:11.93ID:zt+BX5C5
>>180
そう
0182人間七七四年2016/03/29(火) 21:04:31.68ID:RiAwayUv
>>178
まるで伝言ゲームみたいだな。
0183人間七七四年2016/03/29(火) 21:06:54.65ID:DJsN0nHc
>>176
太田牛一が美形だと書いてるのは織田秀孝だけで、織田一族が美形だとは言ってないだろ
太田牛一は荒木村重の妻の「だし」が美形だと言ってるな
0184人間七七四年2016/03/29(火) 21:09:24.14ID:DJsN0nHc
織田一族が美形だということを広めたのも、司馬遼太郎じゃないかな
司馬遼太郎は徳姫について「織田家は美形が多い。彼女も例外ではない。
ただ唇が薄くて男の愛を受けるタイプではなく」って書いてるし。
織田信行についても美形だったと書いてる。だけどそんな史実はない。
ほかでも織田家が全般的に美形という表現があったような。
0185人間七七四年2016/03/29(火) 21:10:34.66ID:DJsN0nHc
お市についても、美形だと史実で言われてたことはないはず
肖像画が根拠になってることが多いけど肖像画なんてリアルタイムで描かれたものでもないし
お市の運命とか三女が数奇な運命に鳴ったとか総合判断で美人ってことになってるだけでは?
0186人間七七四年2016/03/29(火) 21:22:00.10ID:yIVUvw+v
「寿像(存命中に作った肖像)」ってわざわざいうことがあるってことは、まあ没後の追善で作ることが多かったんだろうなとは思う
0187人間七七四年2016/03/29(火) 21:28:13.84ID:DJsN0nHc
でも司馬遼太郎でも、信長が美形だとは言ってないんじゃないかな。
>>184の信行が美形だと書いてるののなかで、「信行は美形なので
下を向いて悲しげな表情をするだけで、信行様が悲しんでおられると
家臣たちは涙した」みたいな話だから、逆に言えば信長はそういういうふうには
家臣たちに思ってもらえなかったってことだろw
0188人間七七四年2016/03/29(火) 21:30:52.79ID:zt+BX5C5
>>187
確か豊臣家の一族か新史太閤記で「織田は美形の一族」みたいなこと書いてたはず
0189人間七七四年2016/03/29(火) 21:32:14.24ID:HNxnJHOh
>>180

http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/48223382.html

>家康が盛んに爪を噛んで、嫁ハンから注意されていましたが、
>それは司馬遼太郎や坂口安吾の小説の影響で、さしたる根拠はないようです。

この部分か。隆慶一郎なんかも思い切り使用してたな

>>185
お市と言えば秀吉が横恋慕していたって話は誰が創作したんだろう
0190人間七七四年2016/03/29(火) 21:39:14.82ID:rZ5FQ9vA
ここでボソッと呟いてみる…

「司馬遼太郎作品てもしかしてライトノベルだったんじゃ…」
0191人間七七四年2016/03/29(火) 21:45:07.22ID:tTBP1L6b
いや、司馬はものすごく調べてる
最近の本当にうすっぺらい作家とはレベルが違う
0192人間七七四年2016/03/29(火) 22:25:28.06ID:DJsN0nHc
秀吉は、お犬や冬姫にも懸想したとかいう説があるが、
秀吉は名門好きなんだから、名門なら美形じゃなくてもいいんじゃ?
織田家は格別名門とはいえないが、尾張の百姓出身の信長にとっては
領主様の一族はやっぱり格別だったと思われる

秀吉が実際に側室にしたのは信長の娘の三の丸殿だけど、
ちなみに三の丸殿の母は滝川一益の一族だという
知り合いの娘とかキモくないの?
それをいったら、前田利家の娘も側室にしてるが・・・
0193人間七七四年2016/03/29(火) 22:26:12.23ID:DJsN0nHc
>秀吉は、お犬や冬姫にも懸想したとかいう説があるが

これも史実じゃなくて創作かも
0194人間七七四年2016/03/29(火) 22:27:21.21ID:DJsN0nHc
◯尾張の百姓出身の秀吉にとっては
0195人間七七四年2016/03/29(火) 22:30:47.96ID:DJsN0nHc
とにかく織田一族で美形だと言われてるのって、史実では織田秀孝だけじゃない?
0196人間七七四年2016/03/29(火) 23:51:13.13ID:bxxEnzo0
淀も一応織田の血を引いてる
0197人間七七四年2016/03/30(水) 00:14:10.59ID:7a0Yi5Op
美形とはちょい違うけど、フロイスが
「信長は気品があった」みたいな一文書いてた気がす
気品=美形 とするのかしないのか、これは個人の裁量だけど
0198人間七七四年2016/03/30(水) 00:19:26.80ID:jnB2xSGc
そういえば具体的にそういう話に触れたものって多くないね。本当に秀孝くらいなのか

しかし肖像画とかいろいろな話を総合すると豊臣秀頼は身長体重顔立ちがほぼ貴ノ浪だよな
「花のようなる」ともいうが花は花でも貴乃花じゃないか、とても連れ出せそうにないぞ
0199人間七七四年2016/03/30(水) 01:05:22.77ID:rfcx/glU
一族に何人かは美形おるやろ

何例か具体例出たところで何の結論も導かへんのと違う?
0200人間七七四年2016/03/30(水) 01:37:57.86ID:4DbGIE9N
小難しく考えるまでもなく、見目よい嫁なり妾なりを数代にわたって
配偶できるる家系、要は戦国大名クラスならそんなとんでもない異形が
でるわけもなし、ことに織田家は残された肖像画を見る限り美形といって
別にいいんじゃないの。
0201人間七七四年2016/03/30(水) 01:56:40.26ID:9yKTfklx
美形美人スレがあって検証してたけど今は無いな
0202人間七七四年2016/03/30(水) 02:35:24.49ID:xr8W6YOQ
よくわかんねーけど子孫でスケートやってるやつ?
あいつの顔は全然美形じゃなかった
0203人間七七四年2016/03/30(水) 03:06:28.41ID:4DbGIE9N
あれは騙りだから。
 
なにやらTV番組に業界では名が知れた業者製のニセ家系図を持って出たそうな。
しかも幕末から明治にかけての途中三代が不明のw
0204人間七七四年2016/03/30(水) 03:17:24.62ID:wcRaJvAl
>>197
フロイスはクリスチャンにはだいたい気品があるとか描くよ。
明智光秀なんて西洋の貴公子のような子どもたちだと絶賛。
信長は三傑のなかでは一番キリスト教に寛容だっただろう。
坊主を焼き殺してくれたのも宣教師的にプラス評価で。
0205人間七七四年2016/03/30(水) 08:29:15.81ID:LFSrQM+E
義経はイケメン
0206人間七七四年2016/03/30(水) 09:43:07.29ID:zwPv+3T/
>>200
信忠とか信雄はまだいいとして、長益とか秀信とかの肖像画って美形か
0207人間七七四年2016/03/30(水) 09:53:18.92ID:G27HQSQ/
加藤清正と織田信長の創作っぷりが
真田幸村よりも盛られていてすごいんだな

名古屋民あほちゃうの
0208人間七七四年2016/03/30(水) 11:04:06.63ID:PyzczZMD
>>205
信玄の肖像画って言われていたのが畠山だったり、尊氏と言われていたのが高一族だったり、
頼朝と言われていたのが足利直義だったりするけど、義経の肖像画も本人なのだろうか
0209人間七七四年2016/03/30(水) 11:16:53.72ID:2utvCIPz
>>207
加藤清正を盛る活動は、徳川吉宗が始めたと考えられている
名古屋民は関係ないと見て良い
0210人間七七四年2016/03/30(水) 11:47:50.30ID:2IP+aoN1
>>208
それらは、創作ではなく素で間違えてたんでしょ
0211人間七七四年2016/03/30(水) 12:45:34.63ID:wcRaJvAl
義経は平家物語で「背が小さくて出っ歯で平家の公達の一番最悪なのより及ばない」
と書かれている。平家物語なので話半分ではあるけど、義経が美形というのは根拠の無い
話じゃないの?逸話ですらブサイク扱いされてる
0212人間七七四年2016/03/30(水) 13:28:25.07ID:UIm/6kv8
義経は禿げてたんだろ
0213人間七七四年2016/03/30(水) 15:22:25.03ID:2utvCIPz
>>211
平家物語のそのパートは、
義経を憎む平家軍の侍が悪意を込めてそう表現したという流れであり、
小説の役割としても客観性は皆無。地の文ですらない

複数の情報源によれば、義経は体格が貧弱で、
侍としては身体的に不利だったという点は信頼性が高いが、
容姿については全く判らない
0214人間七七四年2016/03/30(水) 19:26:42.06ID:WuOEWJcf
義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
 それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
 しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
 結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。

近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年)
0215人間七七四年2016/03/30(水) 20:12:46.71ID:wcRaJvAl
>>213
最初から平家物語だから話半分って言ってるよ。
でも美形だったらブサイク煽りはないと言える。
つまり、義経は美形ではない。
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