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実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net

レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89C
史実かと長年思い込んでいたが、実は講談や軍記物、
あるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0002人間七七四年2016/03/13(日) 22:05:52.94ID:EYYUL89C
最初に断っておきますが、自分が本当にスレタイ等を主張したいなら
自ら宣言してスレを立てればいいのに、それをせず
スレが立ってから後追いで文句やケチをつける人間の言葉を聞くつもりはありません
0003人間七七四年2016/03/13(日) 22:49:36.68ID:plFShPKK
あーあ絶対荒れるねこれ
それも面白いから別に良いけど
0004人間七七四年2016/03/13(日) 23:09:37.37ID:xS1RCwSr
最近のネタだと有名な信玄のホモ恋文がホモでも恋文でも香坂宛でも無いとかか
0005人間七七四年2016/03/13(日) 23:19:04.00ID:tGRDKYCc
しかみ像は実は三方ヶ原の戦いと関係ないどころか家康像かさえ不明とか
0006人間七七四年2016/03/13(日) 23:20:48.27ID:Zjkjgbn7
>>3
なるほど、荒らす気満々だな
おっと、テンプレ通りスルー出来なかった
0007人間七七四年2016/03/13(日) 23:24:43.27ID:plFShPKK
>>5
家康像なのは普通にそう伝わってるよ
まあ伝わってるから本当にそうとは限らないけど
0008人間七七四年2016/03/13(日) 23:41:07.52ID:xS1RCwSr
しかみ像は論文待ちやね
0009人間七七四年2016/03/14(月) 01:04:39.83ID:nTJ9RQWJ
>>1
大儀であった!

創作だからケシカランなどとプリプリカリカリしないで
逸話が創作されるほどの愛されキャラだったというプラス思考で
まったりと語りましょう
0010人間七七四年2016/03/14(月) 05:11:59.64ID:xRzdGH7A
作家が名前がわからないから作品の便宜上付けた名前が
いつの間にか通説みたいになっている女性って
例えば山岡が築山殿に付けた瀬名とかあるけど
他に誰がいたかな
0011人間七七四年2016/03/14(月) 05:29:09.15ID:fMBrCHyS
菜々
0012人間七七四年2016/03/14(月) 12:42:47.27ID:hHfUzF6W
しかみ像が家康であろうがなかろうが
どれほどの問題であるというのか?
0013人間七七四年2016/03/14(月) 13:54:48.12ID:ZrKLApvV
松永久秀の逸話のほとんど全部
0014人間七七四年2016/03/14(月) 21:56:17.14ID:apclAuJC
>>10
司馬の関ヶ原の三成の愛妾である初芽とか
名前どころか人物自体創作だけど
0015人間七七四年2016/03/14(月) 22:05:15.00ID:RyN1+NeI
真田家にまつわるエピソードのほとんど全部
0016人間七七四年2016/03/15(火) 00:17:01.37ID:Xp3sJEZp
時専の真田太平記で出てきた、信幸と稲姫との「婿選びエピソード」
あれって何かに元ネタがあるの?
まえに他スレで「あれを真田丸でもやってほしい」的な書き込みを見たけど、
原作にもない話だよね、あれ
0017人間七七四年2016/03/15(火) 00:46:50.24ID:9dSDBYfk
あれはドラマ版真田太平記のオリジナル演出だよ。
あんな失礼な婿選びをするわけないじゃんw
0018人間七七四年2016/03/15(火) 00:49:34.18ID:9dSDBYfk
ちなみに、稲姫が関ヶ原の時に、昌幸を沼田城から追い払うのも嘘。

1589年に秀吉が、大名の正妻、嫡子を京都に人質に置くようになってから
(その後京都から大坂に人質をうつす)関ヶ原までずっと稲姫は人質として
京阪にいるし、関が原後は江戸で人質。つまり、小松殿が結婚したのが1589年なら
史実では、一度も上田にも沼田にも住んだことがないのだ。
0019人間七七四年2016/03/15(火) 05:50:51.45ID:OdHiLCiW
小松も「あの忠勝の娘を家康養女で嫁にした真田はやっぱり凄い」の出汁にされてるけど
なら家康の娘を嫁にした武将はどんだけなんだとね
0020人間七七四年2016/03/15(火) 08:51:43.87ID:AEoizvAc
信長が死の直前に舞ったのは
誰が見ていたのか?
0021人間七七四年2016/03/15(火) 11:12:08.37ID:hyAM4yJg
>>18
好きな逸話だけど創作だったか、まあなぁ…
0022人間七七四年2016/03/15(火) 11:45:29.06ID:EiTKAiob
>>19
家康にはちょうどいい若さの娘がいなかったじゃないか
大大名で嫁にしたのは、池田輝政くらいだ
北条へは人質
0023人間七七四年2016/03/15(火) 13:42:45.09ID:qp5Uv5gK
>>18
あの逸話、『板坂卜斎覚書』にもある由緒正しい?逸話だったりする
0024人間七七四年2016/03/15(火) 14:02:53.96ID:gl0m9cY3
>>20
シエ
0025人間七七四年2016/03/15(火) 14:45:33.17ID:9dSDBYfk
>>19
そもそも家康の養女っていうのも事実ではない。
真田家の家譜には稲姫が「秀忠の養女」って書いてあるのだが、
秀忠は、当時稲姫より7歳若い9歳だった。まだ元服もしてないし
跡継ぎと決まってもいない時期だから嘘。
考証の人の本によると「真田家には偉い人の養女として来た」としか
わかってないのではないかってこと。
当時外様の国衆クラスに家康が養女をやった例もなければそんな必要もない。
つまりこれも、山手殿の家柄詐称と同じく、嘘ではないの?
養女というのも真田家が大好きな盛り方で、山手殿も信玄の養女って
書いてあるものもあるし。
養女説を信じるなら、稲姫は、本多忠勝の庶子なので、本多忠勝の
実子じゃない可能性も高い。本多忠勝の親戚か家臣の子を、
本多忠勝の養女として嫁がせたとかかも。本多忠勝でも十分に格上だろ。

>>23
でもその逸話は都市伝説クラスで、事実じゃないだろうね。
0026人間七七四年2016/03/15(火) 15:12:31.00ID:DxemC//3
足利義輝の最後の戦い
ttp://togetter.com/li/588928
0027人間七七四年2016/03/15(火) 15:19:06.54ID:qp5Uv5gK
>>25
同じ『板坂卜斎覚書』に収録された逸話で関ヶ原合戦時の清須軍議に、
本多忠勝・井伊直政がいたという逸話も最近否定された
0028人間七七四年2016/03/15(火) 15:46:21.39ID:9dSDBYfk
もう1つ真田家で流布されてる「真田信繁(幸村)は秀吉のお気に入りだった」「優遇されてた」
とかいうのもなんの根拠もない話。根拠といえば「豊臣」を許されたというものと
官位をもらったというものだ。

豊臣をもらってる大名というのは当時、官位とセットで名乗らせていたもので、膨大にいる。
(当時の諸将は家柄が怪しいのが多いので、本気で官位をもらおうとすると家康みたいに
系図購入と家名変更”松平”→”徳川”みたいなのが必要だから、新姓豊臣を渡すことで
ハードルを下げてただけ)

官位も、秀吉が関白だった影響で貰いたい放題だったのに、下っ端の官位しかもらってない。
秀吉がお気に入りに渡していた「羽柴氏」のほうはもらってない。
0029人間七七四年2016/03/15(火) 16:28:13.79ID:1rDJLry2
真田といえば家康が大坂の陣の時、真田親子の参陣を聞いてふるえたっていうのも創作だよな
江戸時代真田家の家臣が書いたものが出典だし、そもそも直接昌幸と戦った事のない家康がそこ迄恐れるわけがない
0030人間七七四年2016/03/15(火) 17:10:26.02ID:bubOUKP8
恐れていたというならそれほどの人物の生死を把握してないのも変だしねえ
0031人間七七四年2016/03/15(火) 17:15:20.42ID:9dSDBYfk
第一次上田合戦も、家康が秀吉対策で目一杯のときに、
2,3流の部隊を派遣しただけだしね。

上杉の手取川の戦いの「逃げるとぶ長」みたいに、
真田側だけがウェーハッハッハっって言ってるだけじゃないのか

関ヶ原の戦いの時も、家康は自身もなかなか出陣しなかったし、
秀忠の軍を温存したかった家康がわざとあのあたりでうろうろしてるよう
に命じたんじゃないのかという疑問
0032人間七七四年2016/03/15(火) 17:48:22.79ID:iMU7vqFv
>秀忠の軍を温存したかった

それはない。むしろ家康は焦っていた。
徳川の力抜きで西軍に勝たれたら主導権握れなくなるんで慌てて強行軍。
関ヶ原当時の家康にとって最大の敵は西軍じゃなくて快進撃を続けた東軍先鋒。
これ以上あいつらに手柄立てさせずに自体の収拾はかることが第一だった。
だから毛利や上杉も減封で済ませたし島津にいたってはお咎めなし。
これ以上豊臣恩顧組に手柄をたてさせる機会を与えたくなかったのが家康の本音。
0033人間七七四年2016/03/15(火) 18:23:04.60ID:9dSDBYfk
秀忠の関ヶ原の遅延がわざとでは?っていうのは、
ありえないというほどではない。可能性の一つとしてはある。
0034人間七七四年2016/03/15(火) 18:29:08.11ID:Xp3sJEZp
真田丸では、豊臣秀次をどう描くんだろう
宣教師の報告かなんかでは、死んだ後の文章とはいえ、処刑されて当然な暴君みたいに書かれてたんだっけ
1、2年前のヒストリアでは、わりと名君だったかも、みたいに言われてた
それとも、官兵衛の時みたいに、ただ哀れな人的に描かれるんだろうか

吉川弘文館の本で、秀次事件について「秀次は、切腹は命じられたのではなく、自分の意志で行った」って書かれたのを見た
多分同じ人だと思うけど、新人物文庫の「秀頼と大坂の陣」で「そのあとだいぶ批判を受けたが、批判する人は、残された○○の文書について、
説明をしてから批判してもらいたい」とか反論してたけど、おれとしては、その部分より、新人物文庫ではなぜか触れられていない、
「秀吉が命じていない切腹をしたから、これは秀吉に対する謀反であり、そのあとの妻や側室、子供に至るまで処刑されたのは、
当然のことだった」っていう部分が批判されたんじゃないのかって思える
0035人間七七四年2016/03/15(火) 18:41:54.54ID:wtWYaThk
>>13
一存は瘡で湯治中に病死だっけ
梅毒は不治の病だったんだからほっときゃ死ぬのに
わざわざリスク負って暗殺する必要はないわな
義興には明らかに病死だし
義輝の最期もそうだけど足利季世記はマジで当てにならんわ
0036人間七七四年2016/03/15(火) 18:49:33.04ID:qp5Uv5gK
>>32
それも事実では無いから
何だかんだで岐阜城の戦いで損害負っているし>東軍先鋒
本来はあれ以上の積極的行動はできない
0037人間七七四年2016/03/15(火) 18:56:02.05ID:Xp3sJEZp
秀忠の遅参は、上田城でムダに足止めは食らったけど、それでも本来は間に合う計算だった
誰だかが、安全のために遠回りのルートを進言して、そのコースを取ったら雨のために川が
増水しちゃってて、それが一番大きかった、秀忠一人の責任ではない、みたいな文章なら最近読んだな
0038人間七七四年2016/03/15(火) 20:00:35.68ID:9dSDBYfk
本当に秀忠の遅参が痛手で、真田のせいだと思ってたら、
昌幸と信繁の助命はないと思う。
実際はかなりどうでもよかったか、真田のせいではないと
思ってたから助命された。
0039人間七七四年2016/03/15(火) 20:10:01.08ID:qp5Uv5gK
>>37
上田で上洛命令受け取った時点で、どう考えても間に合わないかと
0040人間七七四年2016/03/15(火) 20:13:23.10ID:qG7mJ1l/
大雨で川が氾濫して使者が遅れたのが原因じゃなかったか
誰のせいと言うよりただのアンラッキーだな
0041人間七七四年2016/03/15(火) 20:46:27.85ID:qp5Uv5gK
>>40
あの大雨云々こそ逸話以外の何者でも無かった訳で
0042人間七七四年2016/03/15(火) 20:46:33.53ID:LgrTR+A8
>>29
家康はなんだかんだで負の創作話が多いな
山岡が改正三河後風土記もとに創った脱糞話もそうだけど
誰が創ったかは知らないけど、野戦は得意だが城攻め下手だったとか
創作した人間は、西三河の領主から甲信駿遠三の領主になるまで、
野戦だけでなれると思ってたのかよ
0043人間七七四年2016/03/15(火) 21:51:09.98ID:hyAM4yJg
明治維新以降作られたとも限らないのが面白い
江戸時代に幕府への反発から豊臣びいきがあったそうだし
江戸時代が暗黒時代とか左翼学者ほんまええ加減にせえよ
めっちゃ自由の国じゃねーか
0044人間七七四年2016/03/15(火) 22:38:12.20ID:LgrTR+A8
>>34
切腹させるはずだった秀次の為に長期滞在できる準備はおかしいって話だったっけ
前にどこか別のスレにも書いたような気がするけど、秀吉が三成に切腹の意思を伝えず高野山追放だけ命令すれば
高野山追放は前例からすれば助命を意味するし、三成は秀次助命で動いてたからその命令を受けた三成が
秀吉が秀次の命だけは助ける気持ちだと勘違いして長期滞在の準備をしてもおかしくはないと思うんだよな
しかし秀吉の意思はあくまでも秀次の命を奪う事であって、助命派の三成ではなく
福島に改めて節婦の使者を命じたと考えれば辻褄はあう様な気がする
まあ史料も無い勝手な私の推測何で、否定されても仕方ないけど
0045人間七七四年2016/03/16(水) 09:33:22.03ID:CAOXhJWF
山手殿が公家の娘というのも、真田家譜にしか書いてない嘘、
大谷吉継の娘が嫁いだというのも、真田家譜にしか書いてない嘘、
豊臣秀次の娘が嫁いだというのも、真田家譜にしか書いてない嘘。
0046人間七七四年2016/03/16(水) 09:57:45.11ID:aRNzE9EU
左大臣菊亭の娘が来るわけないわな
0047人間七七四年2016/03/16(水) 10:29:00.19ID:CAOXhJWF
ないし、年齢的にもおかしい。菊亭晴季は10歳そこそこで山手殿を作ったのかって。

1539 菊亭晴季生まれる(真田家譜では、山手殿父とされる人)
1547 真田昌幸が生まれる
1550頃? 山手殿が生まれる
1564 山手殿が昌幸に嫁ぐ
1566 山手殿が信幸を産む
0048人間七七四年2016/03/16(水) 10:31:30.45ID:CAOXhJWF
今出川(菊亭)家の系図による、菊亭晴季の子供にも、当然山手殿の記載はない。

男子:菊亭季持(1575年〜1596年)
男子:日桓
男子:長円
女子:一の台(豊臣秀次室)
女子:秋元修理亮室
女子:矢島秀行室
養子:堯円 - 実際は阿野道怡の子
0049人間七七四年2016/03/16(水) 10:48:22.87ID:CAOXhJWF
「真田太平記」では山手殿(菊亭晴季)の妹まで、
真田昌幸の庶子(樋口角兵衛)を産んだ・・・という設定だったが
池波正太郎は知識がなさすぎんのだろうか。
何が悲しくて田舎の足軽大将に清華家が娘を二人も嫁がせないといけないのだ。
0050人間七七四年2016/03/16(水) 10:49:51.10ID:CAOXhJWF
足軽大将というのは、信幸が産まれた頃、長兄も次兄生きている真田昌幸はまだ、
足軽45人持ちの足軽大将だったということを言ってる。
0051人間七七四年2016/03/16(水) 17:43:35.21ID:R7SQqozg
書店で歴史コーナーをのぞいてみたら、タイトルに「通説を覆す!」とか「歴史のウソを暴く!」
といった類の文言がついた本がいっぱい
藤本正行氏が、信長の合戦関係でそれをやって評価されたからだろうか
みんな通説をクツガエそうと躍起になってる感じ

でも、パラパラ見たら「そんな通説があったの」っていうのもチラホラ
例えば、「関ヶ原の合戦前に家康が江戸から動かなかったのは、開戦の時期を測っていたからだ、
というのが、通説だが・・・」とかあったけど、それが通説だったのか
0052人間七七四年2016/03/16(水) 18:55:55.08ID:ta7q7kLx
そりゃ、通説・定説通りに書いたって売れないもん(笑)。
そもそも読者層も歴史ファンに毛が生えた程度のを想定してるんだろうし。
 
そういや、先だって読んだ真実の日本戦史!みたいなその手の本に、
三方ヶ原では徳川兵は常日頃竹刀wで訓練していたので実戦では
思い切って突っ込めたので皆前のめりで死んでいて、真剣で訓練していた
武田兵は腰が引けていて仰向けで死んでいたとかシラっと書いてあって
思わずのけぞった。
0053人間七七四年2016/03/16(水) 19:27:48.38ID:fMEdcG3W
>>45
公家の娘と言えば徳川家臣の大久保忠世、忠佐の実母が
三条西公条の娘って事になってるけど、これもどうなんだろう
0054人間七七四年2016/03/16(水) 19:49:37.42ID:HBine4eb
大河ドラマの創作の部分を具体的に
解説してくれる本があると助かる
0055人間七七四年2016/03/16(水) 20:34:00.94ID:1bM0Fr/T
史料を発掘、再検討して日々通説を新たにするのが歴史研究者の仕事だから
0056人間七七四年2016/03/17(木) 02:12:43.02ID:bYFESNKw
>>54
最初から大河ドラマから史実を学ぼうと思わなければいい
0057人間七七四年2016/03/17(木) 10:26:00.39ID:KtCB979C
創作、じゃないけど、例の昔武田信玄像って言われてて、いまは畠山何とかって武将像ではないかと
されてる肖像画
あれっていつ頃から疑われてたんだろう

手元の、海音寺潮五郎の随筆集の中で、昭和31年ごろに書かれた物の文章に、戦国武将の
性格診断をする、という遊びをしてる物があった
その中で、武田信玄の生き方や戦争の仕方、政治の進め方、さらに徳富蘇峰の
「当時の書簡から、信玄は肺病を患っていたのでは」という見解等から、信玄は低血圧の人だったのでは、
と推理していて、で、あの肖像画を見ると全然、血圧が低そうに見えない、ほんとにこいつは信玄の絵なんだろうか
って書いてる

こういう作家らしいアプローチの仕方っていいね
ちょっとしたゲーム感覚もあって、ペースにはきちんとした裏付けや考察もあって
なんというか、こういう感覚にあこがれる
0058人間七七四年2016/03/17(木) 16:58:19.73ID:7o2HUH1H
そういや海音寺は信玄を「怠け者」と評してたな。
0059人間七七四年2016/03/18(金) 08:48:39.89ID:AEqWUowt
通説になってませんが
0060人間七七四年2016/03/18(金) 10:55:21.67ID:/b4ySwql
信玄が怠け者じゃなかったら甲斐は破産してそう
あんな経済的に弱い土地であれだけ物事やろうとしたらとても金が足りない
0061人間七七四年2016/03/18(金) 13:36:42.39ID:M/zPz3wi
つ 金山
0062人間七七四年2016/03/18(金) 21:21:51.15ID:1ji6Rd8y
>>53
三条西公条って大久保忠世が天文元年の生まれだから、嫁いできたのは
その一、二年前くらいだとしたらもう大納言にはなっているだろう
そんな人物の娘が三河の田舎大名の家臣の、しかも嫡流でもない忠員に嫁ぐとは
普通考えられないけどね
余程確かな史料でもあるの?
0063人間七七四年2016/03/18(金) 23:02:06.37ID:z2YCklXC
三河物語は...あんまり信用できないな
実隆公記とかに載ってるのかな
三条西家は今川と懇意にしてたし、確かあの辺に荘園持ってたから繋がりがないわけではない
0064人間七七四年2016/03/19(土) 17:42:27.09ID:ydbWyp4j
稲葉一鉄にも嫁がせてることになってるから信憑性が無いとも言えないが
稲葉一鉄の方がその時点でははるかに上かな
0065人間七七四年2016/03/19(土) 22:34:19.25ID:uFBOsaFS
調べたら三条西家は寿桂尼の中御門家より家格が上なんだな
0066人間七七四年2016/03/20(日) 05:37:36.62ID:4CjP3/Kv
>> 62
時期的にいえば清康が三河統一したくらいの頃か
0067人間七七四年2016/03/20(日) 08:18:45.57ID:Bhi7QT9+
松平氏は意外に京とコネクションがあるので侮れない
0068人間七七四年2016/03/20(日) 09:07:40.25ID:x2PJqZSQ
家康の糞もらしに関して。

「改正三河後風土記」は幕府編纂であり、
幕府自ら否定していることからして、逆に怪しまざるを得ないってことなんだろ。

だから史学の徒としては、完全に否定も肯定もできるはずはないんだが?

間違っていると強硬に主張している人はどういう人なんだ?
0069人間七七四年2016/03/20(日) 09:56:26.78ID:kmHin+MK
否定っつーかそもそも元の三河後風土記でも実際に家康が脱糞したわけじゃないじゃん
0070人間七七四年2016/03/20(日) 11:11:05.89ID:PFw21vAa
それは嘘
大久保忠佐が家康に「糞を漏らして逃げ帰っただろ!」と罵ったて書いてある
0071人間七七四年2016/03/20(日) 11:19:53.09ID:kmHin+MK
>>70
いやだからその後の流れ見たら家康が本当に脱糞したわけじゃないじゃん
0072人間七七四年2016/03/20(日) 11:25:13.90ID:PFw21vAa
>>71
その後の流れに大久保忠佐が嘘をついたとは書かれていない
0073人間七七四年2016/03/20(日) 11:36:59.80ID:Bhi7QT9+
悪口を事実と考えるのはどうかと
0074人間七七四年2016/03/20(日) 11:39:56.71ID:kmHin+MK
>>72
でも「忠勝への嫉妬心によって出た悪口」とは明記されてるわけだから普通に考えればただの事実無根の悪口じゃないの?
本当に脱糞してたならこのあとの家康公に説教されて大久保が感服みたいな流れもギャグみたいな話になるし
そもそも三河後風土記って徳川マンセーの軍記みたいなもんだし
0075人間七七四年2016/03/20(日) 11:51:43.40ID:PFw21vAa
大久保忠佐は家康が本多忠勝を贔屓したのに嫉妬して、罵倒したような事が書かれているが
この罵倒が「嘘」か「主君に不名誉な事実の公言」なのかは明記されていない
脱糞否定派は「嘘」と解釈したいようだが、本当に嘘なら大久保忠佐は無礼討ちだと思う
事実だからこそ「主君に恥をかかせるな」という説教程度で取り繕うしかなかったと解釈できる
徳川マンセーの軍記なら尚更
0076人間七七四年2016/03/20(日) 12:03:25.98ID:kmHin+MK
>>75
いやだからそもそも徳川マンセーの軍記なら「家康が脱糞した」なんて筋書きにするわけないっしょ
それが周知の事実だったら取り繕う必要もあるけど、この軍記以外の資料には全く記述の無い話をわざわざ書くわけないわ
そもそも一言坂の戦いから40年以上後に成立して著者も不明な資料を真剣に考察するのもアホらしいけど
0077人間七七四年2016/03/20(日) 12:17:49.44ID:PFw21vAa
>>76
>この軍記以外の資料には全く記述の無い話をわざわざ書くわけないわ
三河後風土記の作者に他の史料の内容など知る由もなかろう
作者の周辺では、まさに「周知の事実だったから取り繕う必要」があったと解釈できる
また、今と違ってこの手の記録は教養人の仕事
大局に関わらぬ脱糞話をわざわざ書きたがる下品な記者も少なかろう
0078人間七七四年2016/03/20(日) 12:37:19.50ID:kmHin+MK
>>77
仮にそうだとしたら他の資料を編纂した多くの徳川家臣の間では全然周知の事実じゃないのに、何故か一言坂の戦い当時生まれてたかすら怪しいこの作者の間でだけ周知の事実になってて取り繕う必要があったってことになるから、やっぱ胡散臭い話には違いないんじゃいの?
要するに家康が脱糞したって話はこういう拙い仮定をいくつか繋げてやっと可能性が成立するようなレベルの話だから、可能性が全くゼロとは言わないが、脱糞した可能性の方が高いみたいに断言する奴の気が知れないね
不当な名誉毀損だよ
0079人間七七四年2016/03/20(日) 12:39:04.55ID:Bhi7QT9+
三河後風土記は江戸時代から偽書とされているのだけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%BE%8C%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98
0080人間七七四年2016/03/20(日) 12:56:25.12ID:iTLUFB/X
>>78
そやね可能性が高いか低いかで語るべきやね
0081人間七七四年2016/03/20(日) 12:58:42.64ID:PFw21vAa
>>78-79
三河後風土記は平岩親吉著書かれてるから本当なら、まさに当時者
wikiには「正保年間以後の成立と考証され」「偽書説もある」とか書かれてるけど
理由も誰が考証してるかも書かれてないからなんとも
ちなみに「江戸時代から偽書」とは名言されてないな
0082人間七七四年2016/03/20(日) 13:13:43.74ID:kmHin+MK
>>81
だから「それが本当なら」ってのも拙い仮定だから結局同じだよ
三河後風土記をまともな信憑性のある資料として扱ってる歴史家なんてまずいないしな
そもそも大久保の悪口を事実として解釈するのも拙い仮定のままだし
0083人間七七四年2016/03/20(日) 13:17:19.39ID:iTLUFB/X
大久保の悪口を嘘とするのも仮定のままだし
0084人間七七四年2016/03/20(日) 13:22:47.29ID:PFw21vAa
>>82
そもそも悪口だから嘘と解釈するのも拙い仮定だな
家康の脱糞を嘘と公言してる学者もまずいない
0085人間七七四年2016/03/20(日) 13:30:11.31ID:kmHin+MK
>>84
真田丸の時代考証の丸島和洋さんがTwitterで
ついで。三方ヶ原「お漏らし」案件ですが、江戸後期の軍記初出で、しかも実は三方ヶ原でのエピソードではなかったりします。たぶん小説で三方ヶ原になっていったんだと思いますが。。。
って言ってるよ
ほぼ嘘と公言してるようなもんでしょ
0086人間七七四年2016/03/20(日) 13:42:58.79ID:n8lCUOCb
そもそも三河後風土記の信憑性がカスなのは仮定でも何でもなく殆どの歴史家の共通認識なんだからその時点で脱糞した派は厳しい
0087人間七七四年2016/03/20(日) 13:51:00.37ID:PFw21vAa
>>85
普通に読むなら脱糞は三方ヶ原ではないと主張してるだけで「嘘と公言」には程遠いな
0088人間七七四年2016/03/20(日) 13:54:50.11ID:n8lCUOCb
>>87
「江戸後期の軍記初出で」を普通に読むなら家康が脱糞したって話はかなり胡散臭いって意味でしょ
それともあんたは江戸後期の軍記初出の記述でもほいほい信じるアホなのか?
0089人間七七四年2016/03/20(日) 14:09:28.41ID:PFw21vAa
>>88
そこは謎だけど「江戸後期の軍記初出で」と明言してるのは常識的に考えて「改正三河後風土記」のことだろ
三河後風土記は成立年不確定だからスルーしたと
「たぶん小説で三方ヶ原になっていったんだと思いますが。。。」という文脈から
主題が「脱糞は三方ヶ原ではない」のは明らか
0090人間七七四年2016/03/20(日) 14:15:30.58ID:n8lCUOCb
>>89
主題がどっちかとか関係ないっしょ
「江戸後期の軍記初出で」って公言してる時点で胡散臭いと公言してるのと同じ
そもそも三方ヶ原じゃないって話は「しかも」として付記されてるだけだし
0091人間七七四年2016/03/20(日) 14:19:51.56ID:qGi2jHVT
むしろ、漏らしたと史料に書かれてるのを認めてるよなw
0092人間七七四年2016/03/20(日) 14:23:36.59ID:PFw21vAa
>>90
さすがに牽強付会すぎる
結論ありきの方とこれ以上議論するのは無益のようだ
0093人間七七四年2016/03/20(日) 14:28:44.39ID:n8lCUOCb
>>92
結論ありきなのはそっちっしょ
「江戸後期の軍記初出で」って言葉に、そのエピソードの信憑性に疑問符が付くって意味が無いと解釈する方が難しいよ
0094人間七七四年2016/03/20(日) 14:51:57.22ID:/N6M6ACL
>>84
小楠和正が後世の創作だって断言してるんだよなあ
0095人間七七四年2016/03/20(日) 15:04:30.87ID:/zzTgg7I
小楠和正は後世の創作と断言してないよ

この板って愚にも付かぬ屁理屈で相手を辟易させて追い払ってから
堂々と嘘を書く狂人が溢れてるから全く信用できない
0096人間七七四年2016/03/20(日) 15:26:15.79ID:qGi2jHVT
江戸後記の軍記とかに拘るのもこの板だけ
一般向けのTwitter文を戦国板常識で判断するとか痛すぎるw
0097人間七七四年2016/03/20(日) 15:50:59.03ID:/N6M6ACL
>>95
ホントに検証三方ヶ原合戦読んだのかな?
0098人間七七四年2016/03/20(日) 16:31:25.47ID:5tFv3hqL
小楠「『三方ヶ原で』お漏らしは後世の創作です」ってオチはバレバレです
0099人間七七四年2016/03/20(日) 16:34:09.69ID:n8lCUOCb
色々低レベルな論点で争ったけど結局のところ三河後風土記の資料としての信憑性が非常に低いから脱糞関連の逸話の信憑性も低い、が結論でいいでしょ
結局そこが一番大きいと思う
0100人間七七四年2016/03/20(日) 16:50:10.63ID:qGi2jHVT
説得力なし!w
0101人間七七四年2016/03/20(日) 16:55:41.44ID:n8lCUOCb
>>100
江戸時代から偽書扱いされて、現代でも信頼できる資料として扱ってる歴史家がいないから、で十分でしょ
0102人間七七四年2016/03/20(日) 17:03:03.86ID:cN6wv+Nj
江戸時代から偽書扱いなんて>>79のwikiに書かれていない件
0103人間七七四年2016/03/20(日) 17:07:26.72ID:qGi2jHVT
うむ
全く説得力なし!w
0104人間七七四年2016/03/20(日) 17:16:54.24ID:n8lCUOCb
>>102
>速見行道の『偽書叢』など書目録の多くで偽書とされる。
ってバッチリ書かれてるじゃん
もしかしてこれが改正三河後風土記のことを指してると勘違いのかも知れないけど、改正三河風土記は徳川家斉の命令で編纂された公式資料だから偽書扱いされてるのはその元になった三河後風土記の方だよ
0105人間七七四年2016/03/20(日) 17:51:32.49ID:/N6M6ACL
>>98
「三方ヶ原の話だと思いこんで探していたが一言坂でのことだった。しかしどちらにせよ後世の創作だ」
って言ってるんだよなあ
0106人間七七四年2016/03/20(日) 17:53:51.71ID:iTLUFB/X
嘉永六年。江戸時代ちゃー江戸時代やね
0107人間七七四年2016/03/20(日) 18:38:36.61ID:PxHEkMtR
幕末だな
>>104
なんか勘違いしてるようだが改正三河後風土記は
三河後風土記を元に編纂されてるから三河後風土記だけが偽書とかあり得ない
ウィキにも「ともに」と書かれているし
幕府は偽書を元に正史を編纂した事になり、速見は幕府の正史は偽書と主張する反幕論者
0108人間七七四年2016/03/20(日) 18:45:27.38ID:/N6M6ACL
偽書とは「製作者や由来を偽った書物」であって「偽りの歴史を記述した書物」ではないぞ?
0109人間七七四年2016/03/20(日) 18:50:57.01ID:PxHEkMtR
たいして変わらん
幕府は「製作者や由来を偽った怪しげな書物」を元に正史を編纂した事になる
0110人間七七四年2016/03/20(日) 19:02:21.62ID:/N6M6ACL
>>109
そもそも改正三河後風土記は三河後風土記の怪しい部分を改める目的でつくられたのだから何の問題も無いんだよなあ
幕府が正史を編纂する目的で作ったのは朝野旧聞襃藁や徳川実紀だし
0111人間七七四年2016/03/20(日) 19:19:46.04ID:PxHEkMtR
「製作者や由来を偽った怪しげな書物」をわざわざ改める目的で編纂し
将軍にまで献上するとは暇な幕府だ
よほど三河後風土記の影響力を恐れたと見える
0112人間七七四年2016/03/20(日) 19:28:35.37ID:n8lCUOCb
三河後風土記なんて徳川マンセーな内容なんだから恐れるもクソもないでしょ
むしろ徳川マンセーな偽書を政治利用しようとした結果じゃん
0113人間七七四年2016/03/20(日) 20:53:43.73ID:iTLUFB/X
さあ、ますますグダグダになってまいりました
0114人間七七四年2016/03/20(日) 20:57:41.57ID:az5vLKY6
>>108
話の流れとまったく無関係で申し訳ないが、その理屈は「東日流外三郡誌」を本物だと言い張ってたヤツらと、
全く同じ理屈だから、あまり使わない方がいいと思う
0115人間七七四年2016/03/20(日) 21:08:11.93ID:/N6M6ACL
>>114
スマンがそれだけだとどこが問題か全くわからん
0116人間七七四年2016/03/20(日) 21:12:29.34ID:n8lCUOCb
結局のところ>>99に戻ったな
必死で論点をずらそうが、江戸時代ですら偽書扱いで現代の歴史家からは総スカンされてる三河後風土記の信憑性は非常に低いという事実が全て
これへの有力な反論が無い以上もう家康の脱糞の話は終わりでいいよ
0117人間七七四年2016/03/20(日) 21:41:34.03ID:GoDNWq4I
江戸時代ですら偽書扱いと言っても幕末からだし
幕府の正当性にケチつける輩がワンサカいた時代に偽書扱いされてもねえ

そして
「改正三河後風土記」は幕府編纂であり、
幕府自ら否定していることからして、逆に怪しまざるを得ないってことなんだろ。

史学の徒としては、完全に否定も肯定もできるはずはないんだが?
という
>>68に全く答えられず、嘘ばっか吐きながら
必死に話を逸らしてきた否定派に自分ルールで纏められてもねえ
0118人間七七四年2016/03/20(日) 21:45:33.24ID:GoDNWq4I
徳川マンセーな偽書を政治利用しようとしただけなら
脱糞話は削除でOK
わざわざ改正三河後風土記で取り上げてまで否定する必要ないんだよねえ
0119人間七七四年2016/03/20(日) 21:48:27.24ID:YCwr0tdW
流れをざっと見ただけだけど、三河後風土記の信憑性を疑う根拠が未だわからないんだけど
0120人間七七四年2016/03/20(日) 21:50:23.53ID:az5vLKY6
>>115
>偽書とは「製作者や由来を偽った書物」

おれの手元の本だと、「東日流外三郡誌」の信奉者は、そういった後、
「製作者や由来を偽るということは、オリジナルがあるということ」
「この古文書にオリジナルなどというものはないのだから、これは本物である」
って書いてる
最初読んだとき、この人はアホかと思った

だから、「偽書とは?」みたいな話はやめた方がいいんじゃないかなぁ、と
0121人間七七四年2016/03/20(日) 21:53:18.51ID:kmHin+MK
>>117
18世紀の伊勢貞丈撰の「偽撰の書目」でも偽書扱いされてるよ
幕府自らって言うけどそもそも当時(家斉時代)の江戸幕府だって家康が脱糞したかどうかなんて知るわけないんだから怪しんでも仕方ないでしょ
つーか幕府が否定してなかったらそれはそれで「事実だから否定しなかった」とか言うんだろうし水掛け論でしょ
あと俺は「完全に否定」はしてないよ、ただ信憑性が非常に低いって言ってるだけで
それと「嘘ばっか」って具体的にどれのこと?wikiの文章もまともに読めず江戸時代に偽書扱いされてたという事実を嘘扱いして恥かいたのはそっちじゃん
0122人間七七四年2016/03/20(日) 22:01:03.09ID:gYKaMy0h
>>118
日常的に「マンセー」を使ってるのか
すげえな、お前
0123人間七七四年2016/03/20(日) 22:09:31.01ID:Bhi7QT9+
三河後風土記の偽書説は木村高敦(1680-1742)の『続武家閑談』にもあるけど
ちなみに『武徳編年集成』を編纂した人
0124人間七七四年2016/03/20(日) 22:16:13.98ID:/N6M6ACL
>>120
それはそいつが論理の飛躍し過ぎて馬鹿過ぎるだけだから「偽書とは〜」という話自体を止めた方がいいとは思わんな
そもそも>>107が「三河後風土記が偽書だからそれを元に編纂した改正三河後風土記も偽書!」とかいう
トンチンカンなことを言ってるのが原因だし
0125人間七七四年2016/03/20(日) 22:16:17.61ID:IVQavo+I
>>121
あんた(ID:kmHin+MK)恥知らずにも程がある
>>69-72で嘘ついて速攻で否定されてんじゃん
あんたの初っ端の嘘のせいで否定派の信用ゼロだから
0126人間七七四年2016/03/20(日) 22:20:30.98ID:5G7hYg/E
前スレで言われていた通り荒れとるw
0127人間七七四年2016/03/20(日) 22:21:24.21ID:/N6M6ACL
「改正版がわざわざ否定してるのが怪しい!」と主張するなら、
まず改正版で注釈なく削除された事例を示すべきなのでは?

>>125
それは>>121が嘘ついたのではなく、お前に読解力というものが無いだけなんだよなあ
0128人間七七四年2016/03/20(日) 22:26:13.38ID:kmHin+MK
>>125

だからそれはその後の論争でもあった通り大久保の嫉妬心から出た悪口を嘘ととるか事実ととるかの問題じゃん
理解力なさすぎでしょ
0129人間七七四年2016/03/20(日) 22:29:52.92ID:qGi2jHVT
常識的に考えて>>121は嘘吐きだろ
悪口だから嘘とか底レベルすぎるw
0130人間七七四年2016/03/20(日) 22:31:57.65ID:YCwr0tdW
過去に偽書であろうとした人がいるから、というのは信憑性がない根拠にはならなくね
せめて、その著者が偽書として挙げた理由くらいは教えてほしいが
軍艦の逸話をもとに書いても問題にはならないわけで、三河後風土記を元にしてたら創作ではないよね
0131人間七七四年2016/03/20(日) 22:33:27.67ID:kmHin+MK
>>129
事実を言っただけなら悪口として成立しないし大久保が家康に説教されて素直に感服するのも不自然だと思うけど?
0132人間七七四年2016/03/20(日) 22:33:31.82ID:IVQavo+I
>>128
あんたが嘘をへ理屈で誤魔化してんのバレバレだから
0133人間七七四年2016/03/20(日) 22:35:00.40ID:/N6M6ACL
「悪口だから嘘」とかじゃあなく、『一言坂軍の事』を通しで読んでみれば
「大久保忠佐が嘘を言ったとは書かれてないから本当に漏らしたのかもしれない!」とは絶対に言えねえよ
0134人間七七四年2016/03/20(日) 22:36:07.32ID:/N6M6ACL
個人攻撃して印象を下げる作戦に切り替えたのかな?
0135人間七七四年2016/03/20(日) 22:38:37.51ID:IVQavo+I
否定派の言うことは全く信用できない
0136人間七七四年2016/03/20(日) 22:41:01.83ID:/N6M6ACL
>>130
偽書だというのは「1610年に平岩親吉が書いたというのが疑わしい」ということだから、
三河後風土記の信憑性とはまた別の話
0137人間七七四年2016/03/20(日) 22:46:47.12ID:qGi2jHVT
>>131
その辺はお前より>>75の言い分に説得力を感じるぞw
0138人間七七四年2016/03/20(日) 22:50:33.72ID:kmHin+MK
>>137
そりゃあんたは肯定派だからそうでしょうよ
0139人間七七四年2016/03/20(日) 22:53:20.11ID:/N6M6ACL
そもそも三河後風土記の家康は「主君に恥をかかせるな」なんて説教はしてないのだけど
0140人間七七四年2016/03/20(日) 22:57:38.19ID:IVQavo+I
否定派の言うことは全く信用できない
0141人間七七四年2016/03/20(日) 23:00:58.90ID:qGi2jHVT
だとさw
>>138の罪は大きいなw
0142人間七七四年2016/03/20(日) 23:07:29.10ID:kmHin+MK
別に信用しなくてもいいからまともな反論をしてくれ
信用しないならしないで相手の主張を覆す根拠を示すとか色々あるだろ
信用できない信用できないと壊れたラジオのように繰り返すだけじゃただの思考停止だよ
0143人間七七四年2016/03/20(日) 23:13:32.47ID:IRtB8dCU
提案
次スレからは「ウンコの話は禁止」をテンプレに入れよう。

はたから見てると「信じる・信じない」と「嘘つき・お前こそ嘘つき」を延々繰り返していてラチがあきそうにない
0144人間七七四年2016/03/20(日) 23:14:00.14ID:/N6M6ACL
忠佐が無礼討ちにならないのはおかしい!というが、
罵倒一回で譜代の重臣を斬ってたら家康の求心力が低下する可能性があるし、
そもそもあの話丸々作り話だろうから色々と矛盾点が出るのも当然だろう
0145人間七七四年2016/03/20(日) 23:23:19.93ID:Vyf2SoFS
次スレからとか先すぎる
これからは「ウンコの話禁止」で
0146人間七七四年2016/03/20(日) 23:26:14.01ID:5G7hYg/E
唐突な>>68からの加熱っぷりから、この話がしたくてスレタイ変えたがってたのかと思えてしまうわ
0147人間七七四年2016/03/20(日) 23:29:08.05ID:/N6M6ACL
そういや放火した>>68はそれきり何も言ってねえな
0148人間七七四年2016/03/20(日) 23:47:01.49ID:guffdEhx
ぶっちゃけウンコ漏らしたかどうかを史料の信憑性がどうとかアホかと思う


ウンコくらい漏らすさ人間だもの
0149人間七七四年2016/03/21(月) 00:09:01.48ID:QpuJ1Gi9
真田太平記でも活躍する樋口角兵衛を主人公にした、同じ池波正太郎の短編「角兵衛狂乱図」
この短編で紹介されてる「角兵衛狂乱之図」って実在するんだろうか
検索しても出てこない

少し前に真田太平記関連のスレで「例の絵がらみで子孫が〜」とか書かれててなんだろうとは思ってたけど
この短編にも所有者の名前が出てるけど、別に子孫ってわけでもないっぽいし
0150人間七七四年2016/03/21(月) 00:50:59.29ID:497TVpTj
スレタイ変えて約束された荒廃なんだから気にするなよ。許容範囲や
0151人間七七四年2016/03/21(月) 05:18:24.78ID:Hcn0r5fC
樋口角兵衛は架空の人物なのに「角兵衛狂乱之図」が実在する訳ないべ
0152人間七七四年2016/03/21(月) 11:22:48.97ID:R2eDDnJ0
創作だと北政所が秀吉子飼いに絶対的影響力を持っており、それが東軍の勝利に多大な貢献をしたとかあったな
北政所大好きの司馬が更に拍車をかけた感があったけど
0153人間七七四年2016/03/21(月) 15:03:27.01ID:gb6tx5ZK
甲冑フル装備でウンコオシッコするのは大変
ちりじに退却中となると脱糞して帰還もありえなくもない
ただ恐怖でちびったわけでないから否定してるのかも
0154人間七七四年2016/03/21(月) 15:13:02.01ID:v4C/k4+o
戦場でウンコタイムとか敵が許してくれない
垂れ流しながら戦うのが正しい武士の有り様と竹中先生も仰っています
0155人間七七四年2016/03/21(月) 15:19:44.08ID:QpuJ1Gi9
>>151
いや、「先公実録」という資料に所収されてる「取捨録」というのに「樋口四角兵衛」という、
信繁の従者の話が載ってるそうな
出自はともかく、エピソードは、真田太平記や短編の樋口角兵衛そっくり
大坂の陣にも信繁に従って参加した後、国に帰り子孫は真田藩に仕えた、とか

もっとも、絵の話を知る前はおれも創作された人物だと思ってたんだけど、真田太平記関連のスレで、
「池波正太郎に子孫が抗議したらしい」とか書かれてて、ほんまかいな、と
でもまー絵についても検索しても出てこないし、その「子孫が抗議した」とかいう話は、こうなるとデマなんだろうなぁ

と思っていたら、NHKの真田丸歴史ガイドブックの考証担当の人達の座談会で、「樋口角兵衛という、実在はしたらしいけど、
それほど重要ではない人物」と触れられたりしたので、ますます分からなくなったんだけど
0156人間七七四年2016/03/21(月) 17:49:24.43ID:z0ZQSnKf
うんこ垂らしながら戦えるかw
一度やってみろよw
ガニ股でそろそろ動いて戦うのか?
瞬殺されるでw
0157人間七七四年2016/03/21(月) 18:05:47.32ID:497TVpTj
煽りのセンス無いよね
0158人間七七四年2016/03/21(月) 18:21:58.19ID:Rb4TOWtL
単なる下痢だったじゃね?

下痢は戦場では対応できないw
0159人間七七四年2016/03/21(月) 18:40:31.00ID:5idN/qFs
ウンコの話禁止
0160人間七七四年2016/03/21(月) 19:02:15.28ID:kvrxrdZD
昨日の論戦は良かった
多少のヒートアップはあったけど
荒れるってほどの事でもなかったし
初心者にはいい勉強になった
全世界に500人位はいるであろうROMを代表して礼を言わせてもらう
0161人間七七四年2016/03/21(月) 20:26:10.75ID:xssYv7RU
http://i.imgur.com/6VfGUzU.jpg
0162人間七七四年2016/03/21(月) 20:43:08.86ID:0VJvgClu
三方ヶ原の戦いなんて茶屋の婆さんの話とか、俗説まみれだからな
>>152
司馬は創作した話も多いけど、俗説を世間一般に広めたのも多々あるからな
海外貿易推進派だった家康を徹底した鎖国主義者にしたりとか
0163682016/03/22(火) 06:58:02.49ID:0WfIxFji
家康スレで、うんこの話をしたら、嘘の情報を真の情報だと思い込むアフォだと
言われたので、史学徒の態度としてはそれはないだろう、ということで
丁度いいスレを見つけたので、ここで軽い検証(ジャブ)を行って貰いたいと思ったわけw
>>68で言ったように断定的な決めつけ(肯定否定共に)はできない、というのが史学徒の立場ではないのか?
0164人間七七四年2016/03/22(火) 07:44:51.04ID:bgdw5rLv
分かったからもう黙っとけ
0165人間七七四年2016/03/22(火) 07:45:53.84ID:F/wr4t2+
>>163
史学の徒?
ここにいるのはシーア派とスンニー派のテロリストだけだよ
お互いに話しも聴かずに馬鹿だのクズだの罵りあうだけ
0166人間七七四年2016/03/22(火) 12:19:48.65ID:Onrep8U9
>>163
史学の前にまず日本語を勉強しろ
0167人間七七四年2016/03/22(火) 22:22:46.24ID:lBWcfkMb
アイドルはうんこ漏らしません!
0168人間七七四年2016/03/22(火) 22:26:18.89ID:F/wr4t2+
前田ノ子が佐藤建にゴミ捨て場に棄てられた時にンコ漏らしてましたやん
0169人間七七四年2016/03/22(火) 22:58:24.52ID:Ua8AqPla
>>168
それ糞じゃなくて愛情味噌弁当な。喰えば分かる。
0170人間七七四年2016/03/25(金) 07:13:50.65ID:w78czMLt
ペットショップにいたメス犬がうんこ食べてた(゚∀゚
0171人間七七四年2016/03/25(金) 19:32:02.01ID:WWvFUk82
基本的な話でアレだが、「天正壬午の乱」って言い方、真田丸考証担当の平山優氏の命名だったのね
図書館で「天正壬午の乱」を借りてきて読み始めて、初めて知った
まあ「天正壬午の乱」っていう一連の出来事自体、今回の真田丸で初めて知ったんだけど
0172人間七七四年2016/03/25(金) 21:08:00.48ID:RTyKEFYO
織田の血族は美男美女が多いって義経や沖田総司が美形だった並みに
根拠が乏しそうな話だけど誰が広めたんだろう
0173人間七七四年2016/03/25(金) 22:26:23.16ID:bMWTeY7I
神流川の戦いとか個別の話は聞いたことあったけど、それらの戦役を総合して検証したことはかつてなかったようで
0174人間七七四年2016/03/26(土) 00:14:22.49ID:pUckEmH5
ま〜た平山優とその取り巻きがネット工作してるよ(笑)
いいかげん藤本正行の批判からコソコソ逃げ回ってないで反論しろやw
0175人間七七四年2016/03/26(土) 00:45:10.02ID:tBtQgp7s
壬午の乱にいつの壬午だからわからんから天正つけただけの名称やろ。命名つうほどでも
0176人間七七四年2016/03/28(月) 17:45:03.83ID:3Rlisvhl
>>172
織田一族が美形だとは、太田牛一らが書いている

義経…容姿に関する記録は一切ない。フィクション『平家物語』において、
 敵対する平家武将の間で義経の容姿について、出歯でチビだと、悪口を語る描写がある程度

沖田総司…どちらかと言えば不細工という記録がある。顔色が悪く(病気のためだろう)、
 ソラマメに喩えられる顔型だと伝わる

同時代の者が美形だと証言した記録はあっても、逆に美形ではなかったとする証言は存在しない織田一族と、
後世のフィクションの一部で美形化が図られたことが明確な義経や沖田総司と同列に扱うことが、
不見識だと言わざるを得ない
0177人間七七四年2016/03/28(月) 20:07:00.70ID:Zxe9sHO5
当時の基準だけど、信長が美形だったのは確かじゃないかな

斉藤一とか るろ剣ではあんなに格好良かったのに写真見るとアレだもんな
土方の写真はかなりイケメンに見える
0178人間七七四年2016/03/29(火) 15:27:33.36ID:O8Ula7Tq
まとめると、
昭和30年代後半、海音寺潮五郎が「ドイツの有名な戦術家が関ヶ原古戦場で〜」
 と、エッセイ上で創作
昭和40年代前半、司馬遼太郎が「メッケルが関ヶ原の配置図を見て、石田方の勝ちと言った」
 と、小説上で語る

まるで明治時代から伝承されていたかのように認識されていたが、
実際は昭和後半に突然湧いた話だった
0179人間七七四年2016/03/29(火) 18:45:28.78ID:20dx3qqL
よかった
異国で恥かいたドイツの軍人さんなんてのはいなかったんだ(゚ーÅ) ホロリ
めでたしめでたし
0180人間七七四年2016/03/29(火) 20:07:46.80ID:wsGL8aT4
渡邊大門が洋泉社のページでやっている真田丸の批評の中で、家康の爪を噛む癖は
司馬や坂口の小説で強調されたもので特に根拠はないとあったけど本当かな
0181人間七七四年2016/03/29(火) 20:08:11.93ID:zt+BX5C5
>>180
そう
0182人間七七四年2016/03/29(火) 21:04:31.68ID:RiAwayUv
>>178
まるで伝言ゲームみたいだな。
0183人間七七四年2016/03/29(火) 21:06:54.65ID:DJsN0nHc
>>176
太田牛一が美形だと書いてるのは織田秀孝だけで、織田一族が美形だとは言ってないだろ
太田牛一は荒木村重の妻の「だし」が美形だと言ってるな
0184人間七七四年2016/03/29(火) 21:09:24.14ID:DJsN0nHc
織田一族が美形だということを広めたのも、司馬遼太郎じゃないかな
司馬遼太郎は徳姫について「織田家は美形が多い。彼女も例外ではない。
ただ唇が薄くて男の愛を受けるタイプではなく」って書いてるし。
織田信行についても美形だったと書いてる。だけどそんな史実はない。
ほかでも織田家が全般的に美形という表現があったような。
0185人間七七四年2016/03/29(火) 21:10:34.66ID:DJsN0nHc
お市についても、美形だと史実で言われてたことはないはず
肖像画が根拠になってることが多いけど肖像画なんてリアルタイムで描かれたものでもないし
お市の運命とか三女が数奇な運命に鳴ったとか総合判断で美人ってことになってるだけでは?
0186人間七七四年2016/03/29(火) 21:22:00.10ID:yIVUvw+v
「寿像(存命中に作った肖像)」ってわざわざいうことがあるってことは、まあ没後の追善で作ることが多かったんだろうなとは思う
0187人間七七四年2016/03/29(火) 21:28:13.84ID:DJsN0nHc
でも司馬遼太郎でも、信長が美形だとは言ってないんじゃないかな。
>>184の信行が美形だと書いてるののなかで、「信行は美形なので
下を向いて悲しげな表情をするだけで、信行様が悲しんでおられると
家臣たちは涙した」みたいな話だから、逆に言えば信長はそういういうふうには
家臣たちに思ってもらえなかったってことだろw
0188人間七七四年2016/03/29(火) 21:30:52.79ID:zt+BX5C5
>>187
確か豊臣家の一族か新史太閤記で「織田は美形の一族」みたいなこと書いてたはず
0189人間七七四年2016/03/29(火) 21:32:14.24ID:HNxnJHOh
>>180

http://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/48223382.html

>家康が盛んに爪を噛んで、嫁ハンから注意されていましたが、
>それは司馬遼太郎や坂口安吾の小説の影響で、さしたる根拠はないようです。

この部分か。隆慶一郎なんかも思い切り使用してたな

>>185
お市と言えば秀吉が横恋慕していたって話は誰が創作したんだろう
0190人間七七四年2016/03/29(火) 21:39:14.82ID:rZ5FQ9vA
ここでボソッと呟いてみる…

「司馬遼太郎作品てもしかしてライトノベルだったんじゃ…」
0191人間七七四年2016/03/29(火) 21:45:07.22ID:tTBP1L6b
いや、司馬はものすごく調べてる
最近の本当にうすっぺらい作家とはレベルが違う
0192人間七七四年2016/03/29(火) 22:25:28.06ID:DJsN0nHc
秀吉は、お犬や冬姫にも懸想したとかいう説があるが、
秀吉は名門好きなんだから、名門なら美形じゃなくてもいいんじゃ?
織田家は格別名門とはいえないが、尾張の百姓出身の信長にとっては
領主様の一族はやっぱり格別だったと思われる

秀吉が実際に側室にしたのは信長の娘の三の丸殿だけど、
ちなみに三の丸殿の母は滝川一益の一族だという
知り合いの娘とかキモくないの?
それをいったら、前田利家の娘も側室にしてるが・・・
0193人間七七四年2016/03/29(火) 22:26:12.23ID:DJsN0nHc
>秀吉は、お犬や冬姫にも懸想したとかいう説があるが

これも史実じゃなくて創作かも
0194人間七七四年2016/03/29(火) 22:27:21.21ID:DJsN0nHc
◯尾張の百姓出身の秀吉にとっては
0195人間七七四年2016/03/29(火) 22:30:47.96ID:DJsN0nHc
とにかく織田一族で美形だと言われてるのって、史実では織田秀孝だけじゃない?
0196人間七七四年2016/03/29(火) 23:51:13.13ID:bxxEnzo0
淀も一応織田の血を引いてる
0197人間七七四年2016/03/30(水) 00:14:10.59ID:7a0Yi5Op
美形とはちょい違うけど、フロイスが
「信長は気品があった」みたいな一文書いてた気がす
気品=美形 とするのかしないのか、これは個人の裁量だけど
0198人間七七四年2016/03/30(水) 00:19:26.80ID:jnB2xSGc
そういえば具体的にそういう話に触れたものって多くないね。本当に秀孝くらいなのか

しかし肖像画とかいろいろな話を総合すると豊臣秀頼は身長体重顔立ちがほぼ貴ノ浪だよな
「花のようなる」ともいうが花は花でも貴乃花じゃないか、とても連れ出せそうにないぞ
0199人間七七四年2016/03/30(水) 01:05:22.77ID:rfcx/glU
一族に何人かは美形おるやろ

何例か具体例出たところで何の結論も導かへんのと違う?
0200人間七七四年2016/03/30(水) 01:37:57.86ID:4DbGIE9N
小難しく考えるまでもなく、見目よい嫁なり妾なりを数代にわたって
配偶できるる家系、要は戦国大名クラスならそんなとんでもない異形が
でるわけもなし、ことに織田家は残された肖像画を見る限り美形といって
別にいいんじゃないの。
0201人間七七四年2016/03/30(水) 01:56:40.26ID:9yKTfklx
美形美人スレがあって検証してたけど今は無いな
0202人間七七四年2016/03/30(水) 02:35:24.49ID:xr8W6YOQ
よくわかんねーけど子孫でスケートやってるやつ?
あいつの顔は全然美形じゃなかった
0203人間七七四年2016/03/30(水) 03:06:28.41ID:4DbGIE9N
あれは騙りだから。
 
なにやらTV番組に業界では名が知れた業者製のニセ家系図を持って出たそうな。
しかも幕末から明治にかけての途中三代が不明のw
0204人間七七四年2016/03/30(水) 03:17:24.62ID:wcRaJvAl
>>197
フロイスはクリスチャンにはだいたい気品があるとか描くよ。
明智光秀なんて西洋の貴公子のような子どもたちだと絶賛。
信長は三傑のなかでは一番キリスト教に寛容だっただろう。
坊主を焼き殺してくれたのも宣教師的にプラス評価で。
0205人間七七四年2016/03/30(水) 08:29:15.81ID:LFSrQM+E
義経はイケメン
0206人間七七四年2016/03/30(水) 09:43:07.29ID:zwPv+3T/
>>200
信忠とか信雄はまだいいとして、長益とか秀信とかの肖像画って美形か
0207人間七七四年2016/03/30(水) 09:53:18.92ID:G27HQSQ/
加藤清正と織田信長の創作っぷりが
真田幸村よりも盛られていてすごいんだな

名古屋民あほちゃうの
0208人間七七四年2016/03/30(水) 11:04:06.63ID:PyzczZMD
>>205
信玄の肖像画って言われていたのが畠山だったり、尊氏と言われていたのが高一族だったり、
頼朝と言われていたのが足利直義だったりするけど、義経の肖像画も本人なのだろうか
0209人間七七四年2016/03/30(水) 11:16:53.72ID:2utvCIPz
>>207
加藤清正を盛る活動は、徳川吉宗が始めたと考えられている
名古屋民は関係ないと見て良い
0210人間七七四年2016/03/30(水) 11:47:50.30ID:2IP+aoN1
>>208
それらは、創作ではなく素で間違えてたんでしょ
0211人間七七四年2016/03/30(水) 12:45:34.63ID:wcRaJvAl
義経は平家物語で「背が小さくて出っ歯で平家の公達の一番最悪なのより及ばない」
と書かれている。平家物語なので話半分ではあるけど、義経が美形というのは根拠の無い
話じゃないの?逸話ですらブサイク扱いされてる
0212人間七七四年2016/03/30(水) 13:28:25.07ID:UIm/6kv8
義経は禿げてたんだろ
0213人間七七四年2016/03/30(水) 15:22:25.03ID:2utvCIPz
>>211
平家物語のそのパートは、
義経を憎む平家軍の侍が悪意を込めてそう表現したという流れであり、
小説の役割としても客観性は皆無。地の文ですらない

複数の情報源によれば、義経は体格が貧弱で、
侍としては身体的に不利だったという点は信頼性が高いが、
容姿については全く判らない
0214人間七七四年2016/03/30(水) 19:26:42.06ID:WuOEWJcf
義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
 それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
 しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
 結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。

近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年)
0215人間七七四年2016/03/30(水) 20:12:46.71ID:wcRaJvAl
>>213
最初から平家物語だから話半分って言ってるよ。
でも美形だったらブサイク煽りはないと言える。
つまり、義経は美形ではない。
0216人間七七四年2016/03/30(水) 20:16:14.86ID:3KoHF2ek
ああいうのが、モテ男だったのかもしれないじゃん
こう、ちょっとワイルドな感じで
0217人間七七四年2016/03/30(水) 20:19:15.57ID:8Xmg7lP3
>>215
世間的に美男美女とされてるタレントやらアイドルやらをブサイクブサイク言ってるお前がそんなことを
0218人間七七四年2016/03/30(水) 21:03:36.63ID:bNX8qEWj
ここ、戦国時代板なんですが
0219人間七七四年2016/03/30(水) 21:19:23.58ID:2utvCIPz
>>215
まだ理解していないようだな
平家物語だから話半分と言っているか否かを問題にしているのではない
平家物語の中で義経醜男の情報が出た箇所が、悪く表現する意図が込められた部分だということ
これでは、例え平家物語が小説ではなくて史料だったとしても、
義経が美形だったか醜男だったかの判断の根拠にはならないっつーの
平教教らが義経を醜男呼ばわりしたという根拠以外の何物にもならない

>でも美形だったらブサイク煽りはないと言える。
>つまり、義経は美形ではない。
この前提と理論構築が間違い。悪口というものは、事実とは逆のことを言うことも有り得る

お前さんは情報を汲み上げて結論を導き出す手法がズレているし、
反論しようとすると、その論点もズレている
0220人間七七四年2016/03/30(水) 22:38:43.17ID:wcRaJvAl
理論構築とか馬鹿じゃないのw

そんなことをいうなら、若くて死んだ人間が美形だったというのは補正があると
考えられるから信じられないね。織田秀孝みたいに。
0221人間七七四年2016/03/30(水) 22:49:11.28ID:wcRaJvAl
織田秀孝が美形だって言ってるのも、織田信長の家臣だから当然持ちあげるよね。
補正が効いてるから信じらられないね。

それと>>215の書いてる内容を全く理解できてないのは>>219の馬鹿。
こっちはまったくそんなことを言ってない。
>>219みたな馬鹿な発言を、説教臭く人に話せるってどんだけ低学歴よ。
0222人間七七四年2016/03/31(木) 11:51:46.47ID:7y5HpAsq
実際はそれほどでもなかった義姫と政宗や信玄と三条夫人の不仲とか、貿易積極派だった家康の鎖国主義とか、保守的な面が多い信長の革命家とか、
政治家としては有能だった秀忠の無能化とか作家が広めた話は多々あるな
0223人間七七四年2016/03/31(木) 12:21:51.16ID:d751Mc/F
それこそが作家の力量だからな
0224人間七七四年2016/03/31(木) 13:05:38.49ID:3hsKKsRJ
小瀬甫庵の作品もそうだが、常山紀談とか名将言行録とか
集古十種とかも結構通説俗説のネタ元になってるな
0225人間七七四年2016/03/31(木) 13:06:42.62ID:5A4zXBij
>>220>>221が、論旨を読み取る能力を欠いた低能なのは判ったが、
あえて恥の上塗りをしたいという、その目的は一体なんだ?
0226人間七七四年2016/03/31(木) 13:20:16.58ID:61fIeOpf
ああ、そうか
>>211で、○○だから△△じゃないの?といった形式の
結論の出し方が何か違和感があってスッキリしないと思ったら、
論理の過誤が>>219で実に解りやすく指摘されてた

何一つ反証できずに感情的に罵倒するだけの>>220>>221は、
確かに火病だ
0227人間七七四年2016/03/31(木) 16:51:45.30ID:Ni0nbWa+
「直江状」は結局、「創作」ということになったのかな

大河ドラマ「天地人」の頃は、「現存するのは後世の創作だけど、それに当たるものはあった」
っていう解釈だった気がするけど、最近読んだ本だと、「そもそも、上杉の立場を説明する弁明書的なもので、
いわゆる直江状は、存在しなかった」って書いてあった
旧参謀本部編纂の「関ヶ原の役」も、直江状のことには触れてなかった気がする
景勝の「おれの悪口を言いふらしてるやつらの主張の調査をちゃんとやってくれない限り、上洛できない」
っていう手紙を紹介してたし

「真田丸」ではどうするんだろう
こういう「無いとさみしい」的創作は採用するんだろうか
「創作と分かってても有名なのは許容します」って、時代考証チームはインタビューで答えてたけど
0228人間七七四年2016/03/31(木) 17:47:34.05ID:zTToIza9
結局義経については、ブサイクという証言はあっても、美男だったという証言は皆無なんだな
0229人間七七四年2016/03/31(木) 18:53:39.86ID:JD4Uqr+I
>>227
喧嘩売ってる追記部分はまるっきり後世の創作
本文の弁明書は他史料と合致しててそこそこ信頼は置ける
ただ本文の弁明書も因縁つけてる相手に真っ向から正論で答弁してる訳で喧嘩買ってると見れないことも無い
演出次第でいかようにも使えるやろ
0230人間七七四年2016/03/31(木) 19:40:48.23ID:UOnHcqyq
大河ドラマに細かい考証なんていらんよ

謙信は信玄と一騎打ちする
武田騎馬隊は鉄砲三段撃ちで全滅する
家康の長男は信長のそれより優秀だったので信長に殺される
明智光秀は人質の母親を殺され家康の接待に腐った魚を出し出雲に国替えで謀反を起こす

大河なんてそれでいいじゃんよ
0231人間七七四年2016/03/31(木) 19:57:33.40ID:9WuONnr0
まぁねぇ、あんなイケメンに美女だらけねわけねーしなぁ
0232人間七七四年2016/03/31(木) 20:21:06.39ID:zTToIza9
武田騎馬軍団なんて存在しなかったらしいしな
0233人間七七四年2016/03/31(木) 21:19:21.66ID:R3IjwpVg
と一時期言われてたけど、やっぱり騎馬武者のみ数十騎単位で
運用してたんじゃね、というのがまた最近はあるみたいだけどね。
0234人間七七四年2016/03/31(木) 21:28:20.49ID:JD4Uqr+I
もともと藤本のも武田騎馬隊はあった武田騎馬軍団はなかったつうどうでもいい主張だからな
0235人間七七四年2016/03/31(木) 22:44:32.25ID:3hsKKsRJ
武田と言えば、山本菅助も不在説が長い間有力で1969年に市河文書が見つかって
実在はしたことが判明し、2008年に真下家所蔵文書、2009年に沼津山本家文書が見つかって
ようやく本人とその子孫の事が分かるようになったくらいだから、
武田騎馬隊についても今後どうなることやら
0236人間七七四年2016/03/31(木) 22:48:46.78ID:34uL7yjN
>>228
義経の美形は、沖田総司の美形と繋がるものを感じる
0237人間七七四年2016/03/31(木) 22:49:04.12ID:3hsKKsRJ
ちなみに市河文書も真下家所蔵文書も沼津山本家文書も
道鬼こと初代かんすけは勘助じゃなくて菅助になってるから
後者が多分正しいんじゃないかな
0238人間七七四年2016/04/01(金) 02:09:35.10ID:qJrWp/Fg
>>229
正論……?
0239人間七七四年2016/04/01(金) 08:35:33.51ID:45eybCwr
>>230
光秀は甲斐で殴られて焼き討ちが許せなくて幕府朝廷を再興させたくて長宗我部毛利上杉北条を助けたくて松永荒木に感化されて秀吉家康勝家とグルだったはずだからな
0240人間七七四年2016/04/01(金) 08:59:41.79ID:6ipnfBMJ
>>222
伊達関連が山岡、武田関連が新田、信長、家康、秀忠関連が司馬の影響かな
0241人間七七四年2016/04/01(金) 14:25:21.07ID:L4+J1DkX
いわゆる「家康しかみ像」についてのまとめ

1780年、従姫が紀州徳川家から尾張徳川家へ嫁ぎ、絵画を持ち込む
1805年、従姫死後、尾張徳川家が絵画を管理
1935年、徳川美術館開館から間もなく、尾張徳川家の末裔の徳川義親氏が絵画を提供
 「尾張徳川家初代の徳川義直が、父の苦難を忘れないように描かせた」と、逸話を添える
 以後、1972年までの間に、苦難=三方ヶ原敗戦と解釈する憶測が普及
1972年、収蔵品図録に記録
 「家康が自ら描かせ、障害座右を離さなかった」とする話に改変

その他の情報
・鑑定によれば、江戸時代の作風
・紀州家から尾張家に持ち込まれたものである
 となれば、1935年の段階で語られたような、
 尾張家の義直が描かせたという話すら成立しないということになる
・家康を描いたという根拠は無く、現時点では誰の肖像なのかは不明
0242人間七七四年2016/04/01(金) 14:27:32.32ID:L4+J1DkX
変換ミスった

×「家康が自ら描かせ、障害座右を離さなかった」とする話に改変
○「家康が自ら描かせ、生涯座右を離さなかった」とする話に改変
0243人間七七四年2016/04/01(金) 15:30:40.69ID:+nHbP4Qq
>>241
>現時点では誰の肖像なのかは不明
クソワロタw
0244人間七七四年2016/04/01(金) 19:55:05.38ID:IhrIGPJS
みんなが家康って言えば家康になるんだから、それでいいんじゃないの
そういうふうに扱えばそれが「本物」になる場合だってあるんだから

菊地秀行さんの文章で、土産物かなんかの仏像を人から預かったのを、仏像だからと拝んでたら、
毎晩、夜中に歩きまわる音がするようになった
みたいなものでしょう
0245人間七七四年2016/04/01(金) 20:30:49.03ID:by2E3x6S
素人ならそれでいいかもしれないけど
専門家はそういうわけにはいかないでしょ
0246人間七七四年2016/04/01(金) 23:18:07.38ID:IhrIGPJS
ええっ!?
専門家がどこに!?
0247人間七七四年2016/04/01(金) 23:28:29.07ID:qJrWp/Fg
>>241の情報を実際に調べてた人だろ
0248人間七七四年2016/04/02(土) 11:45:16.94ID:9kDY7Xd4
「三方ヶ原で大敗した家康が、自らを戒めるために描かせ、生涯傍に持ち続けた」
という話が江戸時代から伝わっていたものではなく、
産まれてから半世紀も経っていない都市伝説だったということだ
0249人間七七四年2016/04/02(土) 11:50:31.46ID:L26kXm6E
嫁入り道具で持参したことは間違いないの?
0250人間七七四年2016/04/02(土) 12:25:11.29ID:3eCsBZoa
>>244
現時点では誰の肖像なのかは不明な以上本当は誰だったのか知りたいじゃん
実際別人の可能性が高いのに嘘はよくないでしょ
0251人間七七四年2016/04/02(土) 12:46:28.88ID:9kDY7Xd4
>>249
それは保証できない
1805年に従姫の個人所有から尾張家所有へと移行したことは確かだろうけど

果たして、嫁入りの際に持って来た品と、
嫁入り後に従姫が入手したor描かせた品とを、
1805年時点の尾張家の者が、明確に区別できたかどうか…
0252人間七七四年2016/04/02(土) 12:49:03.03ID:ObwYADRW
>241-242に関してはそういう論文が最近出たって段階だから反論待ちでもある
0253人間七七四年2016/04/02(土) 12:55:58.67ID:1MUiW9ug
論文すらまだ出てないんじゃないの
0254人間七七四年2016/04/02(土) 13:10:34.57ID:ObwYADRW
>253
「論文を近く発表予定」で続報もないから指摘の通りでした
0255人間七七四年2016/04/02(土) 13:53:32.58ID:L26kXm6E
もはや三方ヶ原の戦いは本当にあったのか疑いたくなるな
0256人間七七四年2016/04/02(土) 14:44:30.79ID:f6IEGKka
信玄の朝倉宛書状で三方ヶ原の戦い自体の存在は立証されるだろ
0257人間七七四年2016/04/02(土) 16:02:27.40ID:kUvC6pDS
>>241
普通に考えたら、うんこ漏らしたしかめっ面
0258人間七七四年2016/04/02(土) 16:32:21.76ID:buZ5+gA5
信玄の被ってる兜は創作
0259人間七七四年2016/04/04(月) 05:58:04.62ID:0vtsVl1b
明智光秀の被ってる帽子も創作ってか後描き?
帽子の箇所だけマジックで描いたみたいに見える…
0260人間七七四年2016/04/04(月) 07:11:18.53ID:ZkL0X1+j
信長も南蛮胴の鎧なんて着てないしね
0261人間七七四年2016/04/04(月) 18:29:18.21ID:B+ZqgMux
あと政宗も眼帯してた記録はないよね
0262人間七七四年2016/04/06(水) 09:38:11.04ID:vY95KbxK
そもそもこの時代に眼帯ってあったのだろうか
ついでに隻眼と言えば柳生十兵衛を隻眼にしたのは誰だろう
当時の記録には無かったはずだけど
0263人間七七四年2016/04/06(水) 10:38:38.23ID:raJ8AOTo
隻眼で思い付く名前だと、本多作左、山本勘助、
後松平広忠を暗殺したと言われる岩松八弥がいるな
0264人間七七四年2016/04/06(水) 10:42:50.17ID:sY4PWtjy
眼帯を広めたのはキャプテンハーロック
0265人間七七四年2016/04/06(水) 10:56:04.86ID:F+KB7Gtr
夏侯惇だな
0266人間七七四年2016/04/06(水) 12:21:39.64ID:3mVmumnh
柳生十兵衛が片目なのは創作だから
0267人間七七四年2016/04/06(水) 13:35:09.26ID:DxBvTpVy
>>262
剣豪スレでは山田風太郎が初出みたいな意見が出たけど、
もっと古くから隻眼キャラクター像があったんじゃないかとも思える
0268人間七七四年2016/04/06(水) 14:32:46.04ID:DxBvTpVy
>>265
夏侯惇は、正史では眼帯を使っていない
眼球を失った眼窩には、布を巻いて縛り付けていた

>>262
そういえば、
北条氏照なんかと同年代のアナ・デ・メンドーサ女史は
眼帯を使っていた
0269人間七七四年2016/04/07(木) 12:18:28.95ID:+FnzAPPp
刀の鍔を眼帯に使うのって誰が創作したんだろう
0270人間七七四年2016/04/07(木) 21:58:28.59ID:+FnzAPPp
>>240
小説家の影響が大きかったのは昭和くらいまでで
今は研究家の恣意的な論文やそれを真に受けた
ゲームや漫画、ドラマの影響の方が大きい
0271人間七七四年2016/04/10(日) 22:31:07.50ID:HdQIhrHd
三成が豊臣家対して全身全霊を注いだ忠臣みたいなイメージを創ったのは誰だろう?
0272人間七七四年2016/04/10(日) 22:35:02.68ID:ZNtSBhwa
徳川光圀じゃね
0273人間七七四年2016/04/11(月) 09:21:45.91ID:g5NPkXWK
光圀は弁護したくらいで、イメージを確定したのは司馬じゃないか
そそてさらに拍車をかけたのは無双とかゲームな感じで
0274人間七七四年2016/04/11(月) 11:01:07.53ID:swM7AXIe
司馬は三成だけじゃなくて、西軍側が善ってイメージも創った感じ
同時に出す策がみんな上手くいく家康、どれだけ凄いんだって感じになっているけど
0275人間七七四年2016/04/13(水) 18:05:18.08ID:sA6v5L2r
家康は、山岡荘八さんの小説で、史実から後世の逸話に至るまで、あることないこと書き込んで、
徹底して美化しまくったせいで、いかにも理想のリーダー的なスーパーマンになってしまった、大河ドラマ化で、さらにそれが広がった、
みたいなことを、藤本正行氏がどこかで書いてた

藤本正行氏の著作は、武功夜話や、本能寺の変謀略説への批判とか大いに影響されてるし、
信長公記を基本に据えた信長の人生の見直しなど、立派な業績だと思うけど、
他人へのケンカ腰の姿勢とか、テレビやフィクションへの悪意に満ちた記述だけは、どうも好きになれない
0276人間七七四年2016/04/13(水) 18:21:45.18ID:+0YWnooI
炎上商法なだけ
0277人間七七四年2016/04/13(水) 20:11:27.40ID:IM1GmK1u
>>275
山岡荘八の「徳川家康」は家康がめっちゃ善人でいい人設定になっていて今となっては笑えるね
0278人間七七四年2016/04/13(水) 20:49:05.88ID:UgSqgwHT
>>275
実際に山岡壮八が描く家康は何でもお見通しのスーパーマンだからなぁ
0279人間七七四年2016/04/13(水) 23:53:42.58ID:Wjh6FtXk
まぁ家康は当時としては善人だと思うよ
0280人間七七四年2016/04/14(木) 00:01:18.76ID:KjDyWEyq
実際は糞を漏らした人
0281人間七七四年2016/04/14(木) 07:05:06.43ID:tI1MsOS0
>>279
それはないわww
0282人間七七四年2016/04/14(木) 17:39:51.34ID:BirWVk4k
逆に家康が大坂の陣で討ち取られて1年だけ影武者が務めたっていうのは事実のような気がする
0283人間七七四年2016/04/14(木) 18:15:47.03ID:AESTooQB
家康が討ち取られたのは関ヶ原だろ
0284人間七七四年2016/04/14(木) 20:46:49.75ID:tNjrOcYi
もしかして家康って戦国時代で一番多く死んでないか?
0285人間七七四年2016/04/14(木) 20:57:57.97ID:woGZkLyM
75才まで生きれば、いろいろあるだろ
0286人間七七四年2016/04/15(金) 17:17:47.81ID:xVMvKYlp
戦国で最も討ち取られた男 徳川家康
0287人間七七四年2016/04/15(金) 17:49:52.81ID:Wj98T75J
こちらは徳川家康関ヶ原の時の頭蓋骨でございます
0288人間七七四年2016/04/15(金) 18:38:07.67ID:AT5oxggP
それなら、3号あたり?の死ぬ際のエピソードを、もうちょっとカッコよくすればよかったのに
てんぷら食いすぎて体調悪化させたとかさ
0289人間七七四年2016/04/15(金) 19:33:27.68ID:DydrgeHS
張コウかよw
0290人間七七四年2016/04/16(土) 12:15:15.79ID:bbzwP7oT
堺の南宗寺に、家康の墓と伝わる史跡がある
陣を乱されて敗走する家康を、この寺のお堂の陰から後藤又兵衛が突き殺したと、
実に具体的な話である

さて、史実と検証してみると、
・後藤又兵衛は、家康が大坂に到着する前に戦死していた
・南宗寺は大坂夏の陣直前、大坂軍の放火によって焼失していた
伝説を史実認定するには少々無理があります

考えられることは、
大坂軍によって焼き払われた堺の街の復興に道筋を付けてくれたことで、
堺の町衆は徳川家、ひいては家康に感謝し、再建した南宗寺に家康を象徴する慰霊碑を建立した
それが家康の墓という話にすり替えられ、いつしか南宗寺の境内で家康が討ち取られた
という話が出来上がっていったと
0291人間七七四年2016/04/16(土) 20:43:24.06ID:/iqem9iN
まあ最終的な勝利者だから、引き立て役に使うにわ最適なんだろう
創作した真田や勝永好きなんかにしてみれば、せめて本当は討取っていた事にして
溜飲を下げたかったんだろうな
0292人間七七四年2016/04/16(土) 20:59:58.42ID:rKxDRjUm
家康をしょぼくすると
それに屈服した諸大名は
もっとしょぼく見えてしまうんだがな(笑)
0293人間七七四年2016/04/17(日) 12:06:09.49ID:/ITwSmsl
自分の好きな武将さえ格好良く描かれてれば、
他の大名とかどんな扱いされてても構わないんだろう
0294人間七七四年2016/04/18(月) 02:19:38.84ID:UBrpAUi3
熊本城の櫓が、端の部分のたった一筋の石垣で倒壊を免れた状態になってたからな。
あれは奇跡。
常識では考えられないことが戦国時代に起こっていても不思議ではないなと考え直させられたよ。
0295人間七七四年2016/04/18(月) 08:16:19.48ID:NB+dYCMK
熊本城が地震で倒壊しそうなのは現代だけどな
0296人間七七四年2016/04/18(月) 12:03:09.09ID:r9ba9WM1
>>295は、ちょっと頭が悪そう。
0297人間七七四年2016/04/18(月) 21:21:10.70ID:XqkEr1W7
↑常識では考えられないおバカさん
0298人間七七四年2016/04/18(月) 22:08:40.84ID:OyK+sTLb
ちょっとどころじゃなかったかな
0299人間七七四年2016/04/19(火) 00:27:25.68ID:qYMW80I4
その後、どうなったんだろう?
あの状態では迂闊には近付けないよなぁ…
一旦人工的に緩やかに倒壊させてから組み直すのかね?
好きな城だから心配だ
0300人間七七四年2016/04/21(木) 12:43:37.98ID:hhUFgroG
>>267
一応明治までは遡れるみたいだが初出はよくわからんらしい
隻眼がトレードマークになるのは戦後になってからでそれまでは両目隻眼混在してたみたいだが
山風の十兵衛は隻眼だが眼帯はしてない

http://togetter.com/li/874272
0301人間七七四年2016/04/22(金) 11:47:31.39ID:by9ZZ02x
方広寺の鐘銘問題、言い掛かり論を創作したのは徳富蘇峰あたりかな
0302人間七七四年2016/04/22(金) 20:05:40.80ID:QhqB6hUS
今月の信長協奏曲読んだら鉄甲船が出てきたけど、
フィクションの世界とかでは結構役立ってるけど、
実際はどんなものだったんだろうか
表面に鉄板を貼った程度だっただろうけど
当時の船の中では防御力高かったかもしれないが
何より航行能力に疑問を感じるのだけど
0303人間七七四年2016/04/22(金) 20:09:12.55ID:Qlm7sFUg
>>302
少なくとも対毛利戦で、いわゆる鉄甲船が役に立ったとか戦果を上げたとかいう記録は一切存在しない。
紀伊のしょぼい海賊を追い払ったって話が唯一。
そして第二次木津川合戦のあと鉄甲船は即座に解体されて小さな船に作りなおされた。

まあ何の役にも立たなかったと見るのが正しかろう
0304人間七七四年2016/04/22(金) 20:31:38.58ID:Cq+rDrPP
動力が人力と風しかなかった時代に鉄の船なんて使えたのかな?
0305人間七七四年2016/04/22(金) 20:47:34.93ID:mETxaFOz
木の板に鉄板貼っただけだから
なお、鉄甲船は秀吉の号令でも建造されているので、
信長の前例があっても不思議ではない
0306人間七七四年2016/04/22(金) 20:51:19.37ID:+wrt6VBf
>>302
信長の大船が鉄甲船かはともかく
朝鮮征伐や江戸時代でも使われてるから有効性はあっただろう。木造船は燃えるのが一番怖いし
まぁ重量と波に耐え切れなくて沈むのもあったつーけど
0307人間七七四年2016/04/22(金) 20:53:17.81ID:xtydZ28u
鉄が本当に張ってあったのか分からない、とか何かで読んだ
でも、当時の宣教師の報告とか、公家の日記かなんかで、船の存在自体は書かれるほどだったそうなので、
信長の力を示すアピールにはなったんじゃないの
0308人間七七四年2016/04/22(金) 21:06:01.17ID:euGqnjng
>>303
>記録は一切存在しない。

普通に信長公記に書かれているけど?

九鬼右馬允、七艘の大船に小船を相添へ、山の如く飾り立て、
敵舟を間近く寄せ付け、愛し侯ふ様に持なし、大鉄炮一度に放ち懸け、敵舟
余多打ち崩し侯の間、其の後は、中中寄り付く行及ばず、難なく、寅七月十七日、
堺の津へ着岸侯ひしなり。
0309人間七七四年2016/04/22(金) 21:11:05.16ID:Qlm7sFUg
>>308
その牛一信長記の記述を裏付ける一次資料は存在しないぞ?
0310>>3022016/04/22(金) 21:22:06.48ID:QhqB6hUS
>>308
鉄甲船の有効性に対する疑問もそうだけど、
この>大鉄炮一度に放ち懸けにある大鉄炮って
実際どんなもので、どれだけ有効だったのかな
0311人間七七四年2016/04/22(金) 21:43:33.72ID:xtydZ28u
>>310
手元の本では、堺に停泊中の大型船を宣教師が見学していて、フロイス宛の手紙に、
「大砲三門が載っていたが、大友宗麟以外に日本に大砲はなかったはずなのに」
驚いたそうな
同じ手紙に「実際に、大砲と装置を見た」と書いてあるそうなので、先込め式の「大筒」ではなく、
装填装置のついた「フランキ砲」とかいうものと考えられるとか

信長研究で有名な、藤本正行氏の本なので、間違いないでしょう
威力までは、さすがに分からないけど
0312人間七七四年2016/04/22(金) 22:00:34.09ID:mETxaFOz
板に鉄張りなら鉄門として城でもよく見られるし、そう珍奇なものではない
0313人間七七四年2016/04/22(金) 22:07:28.90ID:ftekyBdL
船というより海上の砦みたいに使ったって何かで読んだな
0314人間七七四年2016/04/23(土) 01:32:54.04ID:enjddD3R
>>309
>記録、一次資料(一次史料の誤り?)
偉そうな事言うのなら、もう少し丁寧に使い分けろ。はっきり言って、ド素人臭がする。
0315人間七七四年2016/04/23(土) 01:47:07.24ID:enjddD3R
・・・からかっこ悪いぞ。
(なんだかイライラして文章が無駄に荒れてるわ。)
0316人間七七四年2016/04/23(土) 13:50:54.93ID:lsOyNRP7
>>302
>実際はどんなものだった
大型の安宅船に大砲を搭載したもの
鉄板を貼っていたとか何とか、関係者の記録には一切そんな言及はない

「第二次木津川海戦で織田方の鉄の船が毛利水軍を蹴散らした」という主旨を吹聴する者が
いて、京で噂になったと、奈良の坊さんが記録した(鉄甲船とは言っていない)
合戦の現場を見ていない者による伝言ゲームで情報が変容した事例
ここから想像を膨らませ、近年になって「鉄甲船」という架空の船が創られた
信長よりわずかに後の時代に試作された、秀吉の鉄張り船(失敗作)も参考にしたと思われる
0317人間七七四年2016/04/23(土) 14:06:18.64ID:OT1IlTtL
えらくドヤドヤしてるが、秀吉は諸大名にいきなり鉄板割り当てて
鉄甲船は朝鮮で海戦参加もしてるぞ。戦績は不明だが。
 
秀吉が唐突に鉄甲船を思いついたと考えるよりは、信長の前例が
あったとする方が蓋然性高いだろ。
0318人間七七四年2016/04/23(土) 14:10:44.07ID:UhKFeVre
秀吉が突然思いついて何か不都合でもあるのか?
0319人間七七四年2016/04/23(土) 14:31:26.00ID:xKcQIW7Z
一応、秀吉の鉄甲船が失敗したのは、鉄張り故でなく不慣れな大名が担当して、
船梁の強度が足りなかったから
後は、名護屋城図屏風に描かれている3重や2重の天守も原因としてありそう
0320人間七七四年2016/04/23(土) 20:46:36.99ID:FNxVeqnt
>>302
ある程度丈夫でも図体がでかくて、動きが遅いんじゃ
かえって標的になるだけの様な気がするな
仮にある程度鉄板が使われていたにしても
船の表面全体を覆っていたわけでもないだろうし
もし大砲をつんでいたにしろ、威力となにより命中力に問題がありそうだ
まあ見た目的には迫力は有りそうだから、威嚇目的だったら
役に立ったかもしれないけど
0321人間七七四年2016/04/23(土) 20:49:44.55ID:j/yFdFvA
なんだそりゃ
0322人間七七四年2016/04/23(土) 20:53:18.68ID:xKcQIW7Z
信長の鉄甲船があったとしても木津川口の封鎖で動かなくても良い
秀吉の鉄甲船も迎撃が目的だから機動力は低くても良い
そもそも安宅船の機動性が大したことない
0323人間七七四年2016/04/23(土) 21:40:04.71ID:7PeHdD5l
手元の信長公記を見ると、そもそも信長が作らせた「大船」って、8隻あるんだよね
1573年に琵琶湖に浮かべたのが最初で、これは足利義昭を討伐するのに1度だけ使って、
3年後に解体
で、1578年に九鬼嘉隆に6隻、滝川一益に1隻作らせてて、この九鬼嘉隆に作らせたのが、
いわゆる「鉄甲船」とされる物らしい

ただ、信長公記にも、さらに藤本正行氏の本では、建造した九鬼嘉隆の家譜にも、実際にその船を見学した
宣教師のオルガンチノって人物の報告書にも、鉄の装甲が張ってあったとは書いて無いとか
どんな書き方かは分からないけど、唯一、当時の「多門院日記」という資料に噂話として、「鉄甲船」であるかのように
書かれているそうな
8隻全てについて、「大船」の大きさにみんな驚いたとは、信長公記に書いてあるので、そのインパクト自体に、
威力があったんじゃなかろうか

ここからは、おれの思い付きだけど、滝川一益の作った船だけ「白船に仕立てさせた」と書かれてるので、
他のは、まっ黒けとかだったのでは
それが、鉄が張ってあるように見えたとか
0324人間七七四年2016/04/24(日) 18:09:26.59ID:FHHJ7EC4
あの前田利常の鼻毛ってどうなの
やっぱり創作?
0325人間七七四年2016/04/24(日) 18:22:06.50ID:7xDMw5Op
>>301
それは難癖に他ならない
0326人間七七四年2016/04/24(日) 20:00:12.69ID:/tOrPVLq
豊臣家は家康が秀頼に将軍職を譲ると思い込んでいて、秀忠に譲られると怒ったって話は誰が言い出したんだろう?
政権を秀頼に返すって話が変化しんだろうけど
0327人間七七四年2016/04/24(日) 21:21:29.60ID:/uHr2aKe
>>302
そもそも当時の技術でどれだけの強度の
鉄の装甲板が造れたか怪しいしな
0328人間七七四年2016/04/25(月) 00:50:39.59ID:XUt5s9GA
>>327
別に船が鉄でできてたわけじゃない
木造船の表面に薄い鉄板貼っただけじゃん
0329人間七七四年2016/04/25(月) 08:54:04.78ID:pJG46Pan
そいつ絶対認めない人やから
0330人間七七四年2016/04/25(月) 21:32:42.10ID:mV0hQrqr
串刺しや皆殺しなどの見せしめ大好きの秀吉を
人殺しや残酷な事が嫌いってイメージを創作したのは
小瀬甫庵かな
0331人間七七四年2016/04/25(月) 21:37:46.97ID:Z23buSN0
>>330
秀吉自身の指示で大村由己が執筆した天正記
0332人間七七四年2016/04/25(月) 21:52:20.90ID:BY7R2qpS
勝者が自分の敵を良く書くわけは無いので、豊臣のネガティブイメージは
だいたいは誇張があるとみている
0333人間七七四年2016/04/25(月) 22:03:53.37ID:V+tZc6ym
>>332
豊臣のネガティブイメージは基本一次史料が根拠なんだよなあ……
そもそも幕府主導で秀吉を悪く言ったという事実はない
0334人間七七四年2016/04/25(月) 22:06:03.18ID:BY7R2qpS
>>333
秀吉は百姓上がりで源氏ではないから将軍になれなかった、という
俗説を作ったのは新井白石だが
0335人間七七四年2016/04/25(月) 22:09:53.67ID:pCKeFBGF
もう秀吉ネタ、いらね
0336人間七七四年2016/04/25(月) 22:18:25.23ID:V+tZc6ym
>>334
その捏造逸話で秀吉にネガティブイメージ持つ人いるの?
0337人間七七四年2016/04/25(月) 22:26:34.08ID:BY7R2qpS
>>336
何もしらん人なら持つんじゃね?
微妙に征夷大将軍になれた家康のほうがずっと偉いんだぞ!って
印象操作含んでいるし歴史を学び始めた人なら騙される。
これを捏造したのは幕府なんだが。
0338人間七七四年2016/04/25(月) 22:50:15.09ID:V+tZc6ym
>>337
0339人間七七四年2016/04/25(月) 22:52:34.05ID:V+tZc6ym
>>337
家康のポジティブイメージとは言えるけど秀吉のネガティブイメージというとどうかなー
実際その後更に高位の関白になれてるから騙される人いないんじゃないの?
0340人間七七四年2016/04/26(火) 00:15:03.75ID:MWLVzlaw
家康を上げるのになんでわざわざ秀吉をダシにするのよ?
相対的に秀吉を下げてるだろ
関白の方が格が上なんて歴史好きじゃないとわからんだろう

あとは淀君という呼称もそうだ。秀頼の母を過度に下げるもので
宣伝以外の何物でもないな
0341人間七七四年2016/04/26(火) 00:38:30.45ID:X57IM2SP
キチガイ警報
0342人間七七四年2016/04/26(火) 21:41:41.27ID:LPMXj7Eq
あえて秀吉と家康の話をさせてもらうと、秀吉も案外出産経験のある女性を側室に入れてるのに
家康ばかり出産経験のある熟女好きのイメージがあるのは何故だろう
家康は熟女好きはそれこそ若い頃一時期とくらいで、後半生見たら
むしろ若い子、ロリータ好きに思えるんだが
0343人間七七四年2016/04/26(火) 21:53:54.27ID:CfLZs7Fe
産む機械
0344人間七七四年2016/04/26(火) 22:40:11.85ID:Hc4olLHj
>>342
どっちもロリコンのイメージあるけどなあ
0345人間七七四年2016/04/26(火) 22:47:36.31ID:Bj3nN3uE
でも創作と事実だろうって書物しかないからわからんよね。
いま自分がいかにもそれらしき物語をうまく描いて、千年ごとか発掘されてその時代の人が見て信じちゃったみたいな
0346人間七七四年2016/04/26(火) 22:49:02.82ID:Bj3nN3uE
タイムマシンできて謙信本当に女だったらたまげるしなw
0347人間七七四年2016/04/27(水) 02:20:34.24ID:z3efrvva
なんか宗教にはまってて生涯妻帯してなくて複数養子迎えててその死後に養子同士が後継を争った
細川政元ちゃんは女の子だったんですか?
0348人間七七四年2016/04/27(水) 07:49:01.78ID:ZrE1Xs5G
たまたま豊臣秀頼、風間小太郎、黒田長政の骨だけが千年後に発掘されたら、戦国時代の男子平均身長は約190cm前後ってなるかもしれないなw
福岡市で開催された「黒田家」展で見た黒田長政の水牛角の甲冑のデカさにはたまげたわ。
0349人間七七四年2016/04/27(水) 12:42:27.68ID:qT0upELl
長政190もあったんだ!
相当な威圧感。
鎧似合いそうだ
0350人間七七四年2016/04/27(水) 12:56:35.32ID:T6XsD7PJ
浅井の間違いでは…ないな

黒田長政は去年の大関ヶ原展福岡会場で
関ヶ原で着用した一の谷兜と鎧のセットが展示されてたが
160センチ前後だと思うぞ
同時に展示されてた細川忠興の甲冑より小さめだったし
立花宗茂や加藤清正の甲冑と比べると明らかに一回り小さかった
身長は当時の平均だと思うがすごく華奢だった
0351人間七七四年2016/04/27(水) 13:02:48.85ID:T6XsD7PJ
>>348が見たのはひょっとしたら黒田一成の甲冑かもしれんね
長政の義弟で身の丈6尺、長政と同じデザインの甲冑を身につけていたそうだ
0352人間七七四年2016/04/27(水) 15:19:59.80ID:IkwnCSST
水に沈んだまま浮かんでこないのほうが長政
0353人間七七四年2016/04/27(水) 17:52:47.54ID:idNlYBCe
同じデザインなんだww
なんか嫌だよな、向こうのが背がでかくて似合いそうだし。
0354人間七七四年2016/04/27(水) 18:08:54.59ID:VPrY1gTW
二人並ぶと射距離の欺瞞効果が高そうだなw
0355人間七七四年2016/04/27(水) 19:29:40.03ID:yNS3exgq
秀頼の身長が190cmあったっていう話は、何が根拠なんだろう
今読んでる「日本の戦史 大坂の役」では、本文にも史料編にも、
「デブだった」としか書いて無いんだよね
0356人間七七四年2016/04/27(水) 19:32:10.50ID:xcUMZZOQ
明良洪範だろ
0357人間七七四年2016/04/27(水) 20:10:24.87ID:idNlYBCe
おデブの190じゃ関取級じゃねーか!!
しかも顔は優しいという。
0358人間七七四年2016/04/27(水) 21:04:41.89ID:p/LrPoWV
内山くんを大きくした感じかな
0359人間七七四年2016/04/27(水) 21:31:59.93ID:81SCzsD7
秀頼大坂の陣で馬上姿を現すことは最期まで無かったとか言われてるけど
身長197cmで体重161kgとか、そんな巨体乗せられる馬とか
当時いたのかねぇ
0360人間七七四年2016/04/27(水) 21:38:00.48ID:idNlYBCe
まじ!161キロ。
今なら相撲取りに即スカウトレベルじゃねーか。凄いな秀頼さん
0361人間七七四年2016/04/27(水) 21:46:18.39ID:yNS3exgq
そのサイズがどうも信じられん
その時代に何食ったら、そんなにデカくなれるんだ
0362人間七七四年2016/04/27(水) 21:51:40.19ID:xcUMZZOQ
いや信じるなよw
0363人間七七四年2016/04/27(水) 21:53:05.17ID:RAMHu5za
あまり信頼性のある史料ではないし
0364人間七七四年2016/04/27(水) 22:22:42.51ID:IkwnCSST
秀頼死んでから何十年も経って書かれた書物だもんね
0365人間七七四年2016/04/27(水) 23:03:45.17ID:gRw53moO
>>358
内山君実物見たら悪そうな顔してるぞ
0366人間七七四年2016/04/28(木) 00:49:50.39ID:NTq2yZu0
モンゴルで今飼育されてる馬は決して大柄ではないようだけど、
割とタッパがその秀頼と同じくらいのモンゴル人力士とか普通に馬乗ってるからなあ
頑丈な馬だったら案外乗れたんじゃないか
0367人間七七四年2016/04/28(木) 13:35:54.09ID:CTJ3MH49
秀吉が諸大名の前で弓箭の道、所謂戦場で一度も不覚をとった事がないと言った時、
家康が小牧の事を忘れたのかと言ったって話は本当にあったのかな
0368人間七七四年2016/04/28(木) 19:30:09.99ID:u9upswDi
秀忠を恐妻家にしたのは誰だろう?
江に惚れてたとは思うが恐れていなかったと思うが
永井路子とか秀忠は政治が趣味で、側室を持たないことすら
政治の道具として利用したとか書いてたな
0369人間七七四年2016/04/28(木) 20:37:48.53ID:lEKSbR3W
>>368
多分最初の側室に孕ませた子供を灸で死なせた事実からじゃないの?

「恐妻家」じゃなくて、「情の強さ」を恐れたんだと
思う。
江もどっちかというと、政治的動物じみた部分が有るし。
0370人間七七四年2016/05/01(日) 13:49:24.36ID:i+DvabiH
>>367
そもそも小牧・長久手は徳川史観により曲げられているからな
秀吉は局地戦でも負けてはいない。打ち負かしてもいないが
1勝1敗の戦いだったのをなぜか家康が秀吉を打ち負かしたかのように
なっているが、そもそもそんな史実は無いのでそんな逸話があるわけもない
0371人間七七四年2016/05/01(日) 14:22:39.70ID:N5Amvi4W
触るな危険
0372人間七七四年2016/05/01(日) 14:36:53.85ID:QowOasBq
>>370
秀吉のプロパガンダ『天正記』は、小牧・長久手の戦いには触れていない
0373人間七七四年2016/05/01(日) 15:23:33.13ID:5nXAvPEJ
やっぱ負け戦はスルー安定か
0374人間七七四年2016/05/01(日) 22:49:19.63ID:1IGz7hoz
>>369
長丸が灸で死んだ史料では、側室腹じゃなく江自身の産んだ子になっているんだが。
自分の産んだ長男が病弱で治療のお灸をしたら死んじゃったって感じ
それが長丸が側室腹っていう別の史料と混ざって
江が側室腹の長丸をお灸で殺したってことになった
0375人間七七四年2016/05/01(日) 23:25:16.11ID:vO94wOLJ
徳川史観とか言い出す奴は大体アレ
0376人間七七四年2016/05/02(月) 07:39:40.43ID:4zm9LeS9
>>367
出典は忘れたけど、細川忠興が家光の前でした思い出話の一つじゃなかったかな
0377人間七七四年2016/05/02(月) 08:13:11.88ID:SD1IpSaA
家康肖像は家光が生前の権現様を思い出して
絵師に描かせたものが多いんだよな
0378人間七七四年2016/05/02(月) 15:35:03.97ID:zJtsB6dp
>>370
逸話の方はともかく、長久手で負けたのは秀吉自身の書状に書かれてる事。
そこら辺まで徳川史観のせいにしたらアカンやろ
0379人間七七四年2016/05/02(月) 18:14:37.70ID:WsBQmHZb
じゃぁ、秀吉自身も徳川史観に毒されてたんだ
0380人間七七四年2016/05/02(月) 19:14:29.89ID:2M2bzPu1
国語の問題
0381人間七七四年2016/05/03(火) 00:59:41.39ID:ehnW+rLm
小牧に関しては、政略的・戦略的勝利なんて思想が無い時代
一局地戦とはいえ戦場で敵を大破した徳川側の勝ちと
単純に当時の人達は判断したんだろう
0382人間七七四年2016/05/03(火) 02:19:49.43ID:CDt9nTSA
戦争なんて大将が討ち取られでもしない限り、結局は数や経済力のある方が大勢では有利で覆らないから、歴史的な結果が語るようにどう足掻いても秀吉の勝ちなんだけど

まあ見方の問題だな
局地戦の勝敗的も、被害的にも秀吉の方が分が悪かった訳だし
0383人間七七四年2016/05/03(火) 02:30:18.36ID:KRml8b+x
いやいや、岩崎城の戦いとか徳川史観では無視しているし
局地戦で羽柴方が負けている戦いがあるのは事実だが、岩崎城の戦いは
岩崎城落城で徳川方の負けだよ。
小牧・長久手の戦いは実際の戦闘は徳川方の勝ちであるかのように
徳川史観は喧伝しているけど、実際は局地戦でも負けている戦いもある

徳川史観と表現して何が悪い?
勝者が歴史を改ざんするんだぜ。秀忠の遅参とかはあまりの汚点だから
隠しようがなかったようだけど神君伝説的な一方的な史観はもうこりごりだよ
0384人間七七四年2016/05/03(火) 02:34:23.49ID:nLxj13ys
>>382
ユトランド沖海戦みたいなもんか
0385人間七七四年2016/05/03(火) 06:31:16.59ID:lRZzLetf
>>383
何が悪いってアタマが悪いな
秀吉でさえ、岩崎城は取ったが勝利を失ったとハッキリ認めてるよ。
0386人間七七四年2016/05/03(火) 06:35:16.84ID:Lu0Xt4n8
最盛期の秀吉が潰すつもりで仕掛けたのに一方的に潰せなかった

というところまでは合意出来たようだし良いんでない?
0387人間七七四年2016/05/03(火) 18:23:28.44ID:+KwHzjJy
>>383
一方的なのは豊臣に都合いいことしか史実と受け入れず徳川に都合いいことは全部捏造認定するお前だろ
0388人間七七四年2016/05/04(水) 20:31:58.12ID:kob5ctTn
何度も戦場に出て傷を負わなかった武将って他にもいると思うんだけど
例えば同じ徳川でも大久保忠佐とかいるし
なのに何で本多平八郎が無傷武将の代表みたくなってるんだろう
0389人間七七四年2016/05/04(水) 20:38:47.39ID:wi8ZQwjL
忠佐の無傷ってググっても小説ぐらいしか出てこないんだけど史料はあるの?
0390人間七七四年2016/05/04(水) 21:04:51.28ID:wIDEY8AF
>>389
せめて国立国会図書館デジタルコレクションで検索しろよ…
0391人間七七四年2016/05/05(木) 12:14:57.65ID:xHJqwfIj
武田四天王の馬場美濃も、最期の長篠まで傷を負わなかった事で有名じゃなかったかな
0392人間七七四年2016/05/06(金) 08:02:37.84ID:aNFu3ZSz
武田四天王とか徳川四天王とか各家に色んな四天王がいるけど、当時本当にそう呼ばれてたのかねぇ
0393人間七七四年2016/05/06(金) 09:10:53.43ID:88wcnX6V
呼ばれてないだろ
0394人間七七四年2016/05/06(金) 09:37:58.29ID:Zc2clZvx
新参の若年井伊直政と並べられたら
古参の長老血筋良しの酒井忠次が黙ってないだろう
0395人間七七四年2016/05/06(金) 09:50:06.88ID:EI6eYuLq
後世が勝手につけた格付けみたいなもんだろう
五人いる四天王とかの家もあったりするし
0396人間七七四年2016/05/06(金) 09:58:10.07ID:Jko68Z3w
井伊直政と酒井忠次が共に部隊指揮官を担った期間は短く、
小牧の陣くらいしか無い
0397人間七七四年2016/05/06(金) 10:31:37.44ID:rw9+8jl0
真田信幸の妻の小松殿(稲)が家康の養女というのは嘘。

『論集:戦国大名と国衆13信濃真田氏』の論文「真田一族覚書書」でも養女説は否定的。

>信之夫人が家康の養女であるというのは、確実な記録に全く見えず、証拠のないことである。
>松代藩内に「公儀の御養女」という漠然たる言い伝えがあり、それがだんだん秀忠養女、
>家康養女と格上げされたらしい。

>真田家は戦国時代以降、大活躍をして天下に名をとどろかすことになるが、その家系などを
>あまり高く持ち上げることは事実に反する。名もない山間の小土豪が風雲に乗じて大名に成り上がり、
>その武勇によって名をなしたというのが本当で、

ちなみに「寛政重譜」や「系図纂要」の本多氏系図でも信幸妻は「家康(秀忠)の養女」になっていない
0398人間七七四年2016/05/06(金) 10:34:08.88ID:rw9+8jl0
http://www.chikuma-hakkenden.com/06event-info/houkoku/20150816.html
>徳川家康の養女・小松姫が上田城主真田信之に嫁いだとき、幕府から化粧料として
>大池新田村52石が小松姫にあたえられたと伝えられる

徳川の養女にしては52石とか、少なすぎる。これもあとづけ説もあってこれ自体が
嘘くさいけども、この程度なら普通に本多忠勝の娘扱いなんじゃないの?
もしかすると、本多忠勝が親戚の娘を養女にして嫁がせたのかもしれない

家康って、養女にすると、養女に1000石〜1万石化粧料をつけてるんだよね
そして名刀を与えたり引き出物も出している
真田ってそれらの証拠もないんだよね

ちなみに家康の実の娘だと10万石も化粧料がある例があったし、
家康がまだ大大名じゃなかったころに奥平に嫁いだ亀姫にも3000石の化粧料を出している
0399人間七七四年2016/05/06(金) 15:00:44.83ID:aNFu3ZSz
ところで三成と大谷義継の茶会の話って誰が創作したのかな
元々福本日南の本では三成じゃなくて秀吉だったみたいだし
尤も秀吉と義継の茶会を日南が何を典拠に書いたのか分からないんだけど
0400人間七七四年2016/05/06(金) 15:19:32.65ID:aNFu3ZSz
>>398
義継じゃなくて吉継だった
0401人間七七四年2016/05/06(金) 17:43:23.47ID:9XXHJwlk
>>398
幕府って足利義昭が与えたのかいな
0402人間七七四年2016/05/06(金) 17:50:45.11ID:rw9+8jl0
>>401
そうそう。それ不思議。小松殿が信幸と結婚したのはいつか不明だが
だいたい1587年以降で、はじめての子供が生まれたのが1597年だから
それくらいなのだが、この期間の幕府って何だよって。
もしかして、江戸幕府ができてから後づけで52石やったってことかね?
0403人間七七四年2016/05/06(金) 17:53:17.11ID:rw9+8jl0
千曲市のサイトらしいのに、無知すぎ。
だから家康の養女っていうのもそれくらいいい加減なニュアンスで
書いてるってこと。
0404人間七七四年2016/05/06(金) 18:14:24.23ID:ZlGAo51L
上田城主に違和感
0405人間七七四年2016/05/06(金) 19:37:32.72ID:EI6eYuLq
信州上田城主はこの時期真田昌幸で
信幸は関東に属する上州沼田城主だよね
0406人間七七四年2016/05/06(金) 19:58:50.42ID:hyXw8Z/g
 昔、本当に小松殿が家康の養女だったの?と疑問を呈したら
 否定するなら、家康の養女でなかったと明記された資料を出せ、
 と逆切れされたな。
0407人間七七四年2016/05/06(金) 20:18:14.58ID:rw9+8jl0
そういうやつはバカだから気にする必要はない

「俺は●●天皇の子孫だ。祖父の作った系図に書いてあるから間違いない。
嘘だというなら証拠を出せ」

というレベルだからそいつ。
0408人間七七四年2016/05/06(金) 20:34:31.47ID:i4Zr5IDg
仮に小松が養女でないとしたら、
信之が東軍側になったのも、彼女とはあんまり関係ないって事?
0409人間七七四年2016/05/06(金) 20:34:31.47ID:i4Zr5IDg
仮に小松が養女でないとしたら、
信之が東軍側になったのも、彼女とはあんまり関係ないって事?
0410人間七七四年2016/05/06(金) 20:45:25.84ID:fUpQxFP/
>>409
大事な事なのは分かった。
それはそれとして、本多忠勝の娘でも十分東軍につく理由にはなるでしょう。
他に地政学的な問題もありそうだ。沼田で徳川に逆らったら、いきなり血祭りに上げられかねないしさ。
04114082016/05/06(金) 20:53:22.89ID:i4Zr5IDg
>>410
ゴリ押ししたんじゃなくて
なんか回線重くて、気が付いたら二重投稿になってもたwすまんな
0412人間七七四年2016/05/06(金) 21:29:32.00ID:rw9+8jl0
小大名は、西軍東軍につくのを自分の意志で決めたというより
「周囲が東軍ばかりだから」「西軍ばかりで攻められたら瞬殺だから」
とかいう理由で決めてるのが多いよね
0413人間七七四年2016/05/06(金) 21:32:40.20ID:rw9+8jl0
信幸と稲が結婚した当時の本多忠勝の官位

本多忠勝・・・従五位下中務大輔
真田信幸・・・無位無官

本多忠勝でも十分に格上
豊臣政権は官位による支配が行われたから
信幸が伊豆守をもらったのは1594年で、秀次事件の直前。
0414人間七七四年2016/05/06(金) 21:45:35.24ID:uU4aYciC
秀次事件で思い出した

学問を好んだ当時の関白秀次は足利学校を保護しようと一旦蔵書を
京に移動させていたけど、それを後の世に家康が豊臣家が強奪して行った
事にして、自分が保護したように史実を書き換えたそうだな

まぁやる事が小さいな古狸は
0415人間七七四年2016/05/06(金) 22:29:03.90ID:aNFu3ZSz
>>414
ちなみにそれを主張している学者とその根拠となる史料は何?
0416人間七七四年2016/05/06(金) 22:58:54.63ID:uU4aYciC
小和田哲男氏の著作による
浅野家文書に秀次が足利学校を保護した記載があるそうだが
「正史」では関白秀次が「強奪」した書物を家康が後に取り戻した
事になっているw これはまぁ書き換えた証だろうな
0417人間七七四年2016/05/06(金) 23:13:34.91ID:R/3jyUMk
書き換えたのは家康でなく、もっと後だと思うが
0418人間七七四年2016/05/06(金) 23:19:10.67ID:iZv6+9cx
>413
昌幸の官位抜きに話すものでもないんじゃない
ただ正式に官位貰ったのが本当に武田政権下の時なんだろうか
0419人間七七四年2016/05/06(金) 23:22:35.56ID:uU4aYciC
そして関白秀次が学問存続のため足利学校に与えた100石の領地も
家康が与えた事に改変した模様

死人に口なしとはやりたい放題だな
0420人間七七四年2016/05/06(金) 23:51:57.09ID:rw9+8jl0
>>418
昌幸も信幸結婚当時、無位無官。

昌幸も1594年にはじめて安房守をもらう。
0421人間七七四年2016/05/06(金) 23:55:01.56ID:rw9+8jl0
>>418
武田政権下の安房守の官位は単なる自称だから。
考証の丸島も認めている。

ーーーーー
丸島和洋 ‏@kazumaru_cf 4月16日
真田昌幸の諸大夫成は文禄3年なので、この時点では無位無官です。したがって、参列は無理。
ーーーーー

昌幸、信幸、信繁は1594年まで無位無官で、このとしにまとめて従五位下の諸太夫官位をもらってる。
0422人間七七四年2016/05/06(金) 23:56:54.31ID:rw9+8jl0
やっぱり武田時代の真田安房守が本物だと思ってる馬鹿っているんだ・・・

詐称成功だな、詐欺師昌幸w
0423人間七七四年2016/05/06(金) 23:58:46.90ID:iZv6+9cx
疑いを持ってる体で書き込んでるのに本当だと信じてると言われても困る
0424人間七七四年2016/05/06(金) 23:59:55.28ID:WxTsxjH0
>>422
じゃあ、昌幸宛の文書のあて名に「真田安房守とのへ」と書いた豊臣秀吉もバカってことか
0425人間七七四年2016/05/07(土) 00:03:38.17ID:c8fFZCS+
さすがにそれは・・・
0426人間七七四年2016/05/07(土) 00:08:32.99ID:I6/evefC
ちなみに、>>421は、twitterの質問で、諸大名や馬廻りがたくさん参加した1588年の
聚楽第行幸時に真田一家の名前がまったく見えないがなぜか?という質問に対して
真田丸の交渉担当の丸島氏が答えたもの。

真田一家は、昌幸信幸信繁含め、無位無官だから参列は無理なんです。

そして1594年のときにも侍従以上の官位は貰えてないから「諸大名として」の扱いではなく
諸太夫(下僕)としてしか参列できない。

つまり、真田一家は秀吉が生きている間には豊臣大名として認められていない。

そんな家康の陪臣以下の人間の息子が、家康のような大納言様(結婚した1588年あたりで)の
養女をもらえるわけがない。無位無官の息子なんだから従五位下の本多忠勝の娘でも十分格上。
だから小松は本多忠勝の庶子だしね。
0427人間七七四年2016/05/07(土) 00:09:44.48ID:I6/evefC
>>594
それは昌幸が真田安房守名乗りで手紙を書いたから、返信もそれってことでしょ
名前がわからないからまんま名前を書きかえしてるだけ
0428人間七七四年2016/05/07(土) 00:13:04.35ID:I6/evefC
佐村河内守みたいに、真田安房守(さなだあわ・まもる)(さなだあん・ふさもり)かもしれないしw
0429人間七七四年2016/05/07(土) 00:18:50.90ID:rf4wQu7s
rw9+8jl0って、最近この板にも張り付いてる
真田にかかわる事は全部捏造だって言い張ってるアンチ君?
0430人間七七四年2016/05/07(土) 00:19:56.94ID:I6/evefC
こういうのもあるな

真田安房守(さなだ・あわまもる)

秀吉は人誑しだし、無用に敵を作ることはしないよ
田舎の土豪が自称で官位を名乗ってることなんてよくあるし
それに変なプライドを持ってて自称だろと馬鹿にすると切れることもよくあるし
0431人間七七四年2016/05/07(土) 00:23:14.39ID:rf4wQu7s
rw9+8jl0=I6/evefCか
必死に連レスまでして
真田は身の程知らずの詐欺師だの土豪だの罪人だの
強調しまくりたいんかね ごくろうさんやね
0432人間七七四年2016/05/07(土) 00:23:24.74ID:I6/evefC
秀吉がやったことといえば、真田昌幸のが自称だとわかってるからこそ、
1588年の聚楽第行幸にも、1592年の聚楽第行幸にも、
諸大名何百人が参列しようが、無位無官の真田はスルーというだけで。

そして無位無官とわかってるが、特に諸太夫もあげようと1594年まで
思わなかったし、あげるつもりもなかった。

1594年というと、関白は秀次だからアホの秀次に取り行って官位をもらった
のかもしれないし、秀次と秀吉がもめてて、秀吉がちょっとでも自分の派閥を
ほしがってた時代だから、あげるつもりのなかった田舎の土豪にまであげたとか
0433人間七七四年2016/05/07(土) 00:24:23.31ID:I6/evefC
rf4wQu7sって張り付いてて、真田一家についての史実を書き込むと
「ないというなら証拠を出せ!」って喚いてる真田マンセーオタだよね。
0434人間七七四年2016/05/07(土) 00:28:45.93ID:I6/evefC
真田オタの痛いところは、史実と虚像の乖離がはげしすぎるから
史実を書くとアンチというレッテルを貼るところ
wikiも嘘だらけ、講談以外の根拠なしばかりだし
0435人間七七四年2016/05/07(土) 00:29:16.58ID:qrkBYKgw
ID:iZv6+9cxに聞きたいんだけど「ただ 本当に だろうか」と言ってるのを信じてる扱いするのはどういう訳?
0436人間七七四年2016/05/07(土) 00:30:26.32ID:qrkBYKgw
ID:rw9+8jl0に訂正
0437人間七七四年2016/05/07(土) 00:30:53.58ID:rf4wQu7s
>>433
そうそう、何突っ込まれても「証拠を出せ」と「証拠がない」しか言えない奴。
そもそもここに書くこと自体スレチだし
アンチスレにでも籠ってりゃいいのにな
0438人間七七四年2016/05/07(土) 00:32:45.93ID:HtjLTj/r
>>430
秀吉の、手紙の宛名を書いた時の心情まで想像するとは
なかなか面白いな、きみ
0439人間七七四年2016/05/07(土) 00:35:35.65ID:rf4wQu7s
失礼、>>437
いるのかどうかわからん真田マンセーオタとやらの事じゃなくて
I6/evefCの事な てかお前こんな糞レスばっか続けてたら
第二の菅沼認定されるぞ
0440人間七七四年2016/05/07(土) 00:36:59.62ID:I6/evefC
>>435
いや、「もしかして本当の官位かも・・・」と思った段階で成功だからな
詐欺師的には
0441人間七七四年2016/05/07(土) 00:37:34.19ID:I6/evefC
>>439
いるよ。真田オタの痛さってそうとう。たとえばおまえとかw
0442人間七七四年2016/05/07(土) 00:41:27.46ID:qrkBYKgw
>440
信じてないからこそ疑いを強調してレスしてるのにそれを読み取れないのはどうかと思うよ
0443人間七七四年2016/05/07(土) 00:43:38.08ID:I6/evefC
でも信幸が無位無官に対して「父親の官位も考慮しろ」というのが
はじめだからなあ
昌幸が無位無官だと思ってたらあのレスはないよ
ちなみにセンター試験の国語は満点でした
0444人間七七四年2016/05/07(土) 00:44:38.16ID:qrkBYKgw
文法的な話なら一行目より二行目の方が重視されるよ
0445人間七七四年2016/05/07(土) 00:52:16.32ID:8+dh79vs
自称官位が詐欺師って当時の官位の自称の事情とかまったく知らない人が来たのかな?
戦国時代に興味もったのなら頑張って勉強して楽しんでいってね
0446人間七七四年2016/05/07(土) 01:03:01.13ID:I6/evefC
>>445
そんなわけないだろ。おまえの周囲のレベルと一緒にすんなよ

普通に自分を大きく見せるつもりで名乗ってるんだから、
詐欺師みたいなもんだろ

ほんと読解力ねーな
0447人間七七四年2016/05/07(土) 01:06:33.02ID:I6/evefC
「僕は東大卒官僚でね」とか「僕は三菱商事の課長でね」と同じ詐欺師の
常套官職名乗り。信濃の百姓とかコロッと騙されそうだもんな。

「さすがすげええれえ。京都の天子さまさからもらった安房守という
 えれえものを持ってる領主の安房守様にはさからえねーずら。
 未来永劫真田郷を収めて欲しいずら」
0448人間七七四年2016/05/07(土) 01:10:13.26ID:qrkBYKgw
真田昌幸という詐欺師の詐欺名乗りを追認してるのは認めるのか
0449人間七七四年2016/05/07(土) 01:11:59.72ID:rf4wQu7s
このキチガイは
「真田家の家伝に書いてあることはみんな捏造」という妄想史観を基準に
何でもかんでも捻じ曲げようとしてるだけで、
スレタイに沿った検証も考証もさらさらする気ねえだろ
マジで攻撃の矛先を真田に変えてみた菅沼なんじゃねえか?
0450人間七七四年2016/05/07(土) 01:13:09.25ID:I6/evefC
真田家譜に書いてあることはみんな嘘なんて言ってないよ

「真田家譜に書いてあることは、他の史料とは矛盾がとても多いよね」

といったことはあるが?w
0451人間七七四年2016/05/07(土) 01:14:27.68ID:rpY9j2Rd
ID:rf4wQu7sは「信繁の側室はホントに秀次の娘なんですけどおおおお!!」ってこの前発狂してた人かな
0452人間七七四年2016/05/07(土) 01:14:48.66ID:I6/evefC
だいたい、どこの家だろうが、多かれ少なかれ家譜なんてみんな盛ってるんだから
信じるほうがおかしい

真田はそれ以外の史料が極端に少ないから、真田オタはみんな家譜に基づいた電波を
盲信してマンセーしてる馬鹿が他のオタと比べてとても多いのは事実
0453人間七七四年2016/05/07(土) 01:15:02.81ID:qrkBYKgw
家譜なんて疑ってかかるのは当たり前で態々言う事じゃない
0454人間七七四年2016/05/07(土) 01:15:12.51ID:rf4wQu7s
矛盾が多いのはそんなんどこの記録でも一緒だし
0455人間七七四年2016/05/07(土) 01:15:37.13ID:8+dh79vs
>>449
さすがに菅沼でも当時の自称官位に対して詐欺師なんて的外れなことは言わないくらいには歴史を知ってるよ
あいつは意図的に嘘ついてるけどこいつは天然っぽいでしょ
0456人間七七四年2016/05/07(土) 01:20:02.49ID:I6/evefC
真田の家譜がギャップが特に大きいのは、江戸時代になって「日本一の兵」と
持ち上げられちゃったけど、それ以前はたいしたことがなくて存在感も
なかったので上田合戦を盛り始め、家系図を盛り始め、
「講談ですごくなった後世の真田」に合わせて家譜を盛りすぎてるってことだな。
しまいには「幸村」って名前で系図に記入してる松代藩提出の幕府の系図。

もともと文盲なのもあいまって、史料がないことをいいことに盛りすぎ。
友達もいなかったので傍証もない。
0457人間七七四年2016/05/07(土) 01:22:56.08ID:rf4wQu7s
文盲(誰が?)が史料が無い言い訳になるのか…?
アンチ根性もここまで来ると凄まじいな
0458人間七七四年2016/05/07(土) 01:23:50.39ID:I6/evefC
家譜で、遠い先祖についてはよくある嘘だが、真田は安土桃山時代の系図も嘘ばっか!

・真田昌幸の妻が菊亭晴季の娘 ←嘘
・真田信幸の妻が徳川家の養女 ←嘘
・真田信繁の妻が大谷吉継の娘 ←嘘
・真田信繁の妾が豊臣秀次の娘 ←嘘

こんなに江戸時代に近い時代に相手側の史料からまったく認められないことを
系図に書きまくるって、知的障害じゃないの?

でも信じてるアホが後世いるみたいだから、詐欺成功!
0459人間七七四年2016/05/07(土) 01:25:21.51ID:qrkBYKgw
自分は信じてないけどID:I6/evefCに信じてる扱いされて不本意
0460人間七七四年2016/05/07(土) 01:34:47.46ID:I6/evefC
>>454
そんなことはないよ?
家譜見たことないんだろw
0461人間七七四年2016/05/07(土) 02:13:15.73ID:FHkc+ddv
家譜に矛盾が多いってのは
他家の記録同士を付き合わせた場合だろ
内部矛盾起こしてるようなのはあまり見ない
0462人間七七四年2016/05/07(土) 08:20:26.17ID:c+qZTS6M
秀次の娘は罪人の娘という事だから系図を盛る事に当たるのか疑問だわ
0463人間七七四年2016/05/07(土) 10:20:53.30ID:ry+OUDdw
真田家の家譜捏造は常軌を逸してる感はある。
小松姫が秀忠養女も捏造だし。大谷の娘が幸村正室。

他家の史料には全く見当たらない。全て捏造。
0464人間七七四年2016/05/07(土) 10:22:54.69ID:ry+OUDdw
>>450
同意。他家の史料にほぼ記述なし。

小大名が頑張って大大名のような格式を欲しがったんだろうね。
0465人間七七四年2016/05/07(土) 10:30:14.28ID:ry+OUDdw
どこの家でも家譜を盛るのは一緒と書いてる人は、
真田家の家譜を最初から最後まで読んでみると解る。
真田家の異常っぷりが解る。

よくもまあ、創作の難波戦記や数々の講談から逸話を持ってきて、
そっくりそのまま移植しているな、と。

なんせ、幸村は大坂城に入って名乗った。
というところは、難波戦記からのコピー。
0466人間七七四年2016/05/07(土) 12:26:17.55ID:WtKiDtzB
篠山市は、篠山城の施主である松井康重を、
何が何でも徳川家康の落胤ということにしたがっている
公的機関である自治体として、そんな俗説を引っ張り出すのはどうなのよ?
「家康の落胤という説もある」に触れることすらなく、「家康の実子である」と
断定調で喧伝し、篠山の外では大いに疑問視されている事実には言及しない
市民を洗脳する目的でやっている様子

康重の孫にあたる(松井)松平康宦が、藩翰譜編纂のために新井白石一門の取材を受けた際、
松井家が松平の名乗りを許された経緯をよく知らず、
祖父が家康の落胤だと出まかせを言ったのではないかと思われる
その時代に突然沸いた話だからな
0467人間七七四年2016/05/07(土) 13:26:27.85ID:M93MO0Kj
2016/05/07(土) 01:34:47.46 ID:I6/evefC [17/17]
こいつ、他人の迷惑は考えないように育てられたのかな
0468人間七七四年2016/05/07(土) 13:48:12.99ID:rf4wQu7s
>>466
土井もそうだが、待遇のいい家康の近親は
すべからく落胤ってことになっちゃってるフシはあるなあ
家康くらいビッグになれば、
秀康みたくあとから認知でも何でもできる立場だと思うんだが
0469人間七七四年2016/05/07(土) 14:10:35.00ID:I6/evefC
>>467 おまえにとって迷惑なだけだろ
ちなみにおまえはわたしにとって迷惑なので消えろよ
だいたいその書き込みって煽りだけじゃん
それが一番迷惑だってわからないのか
どうやらM93MO0Kjは自分の迷惑は棚にあげて
他人の迷惑だけ主張する自己中心的な性悪に育てられたみたいだな
いや生まれつきかな
0470人間七七四年2016/05/07(土) 15:07:08.96ID:WtKiDtzB
>>468
肯定的なレスには感謝するが、文意が解り辛い

"近親"じゃなくて、"近臣"と書くつもりだったよね?
早い段階から容貌が家康に似ている、家康の落胤では?と噂されたと伝わる土井利勝は
公的な血筋は家康の従弟だから、近親でもあるけど(だから容貌に似ていても不思議ではない)

あと、"すべからく"が用法を外していて、意味が通らない
"すべて"と誤用しているようだ
0471人間七七四年2016/05/07(土) 15:11:46.85ID:fixkdEW+
どこの家も家譜を盛大に盛るなかで、
脇坂家だけは「祖父くらいまでしか知らん! 」と逆に目立つくらいだからな。
自分なんか曽祖父の名前すらよく知らない。
0472人間七七四年2016/05/07(土) 16:58:33.79ID:7XcyCgXj
I6/evefCさんは必死チェッカーもどきで見る限り現時点で18書き込みで
ほぼ全部真田ガーってすごい熱意ですね
0473人間七七四年2016/05/07(土) 18:15:18.10ID:I6/evefC
必死チェッカーで真田批判レスに粘着する気持ちの悪い真田マンセー
おまえみたいにID切り替えろっていう話?
0474人間七七四年2016/05/07(土) 18:18:49.30ID:I6/evefC
そういえば、真田丸であらたな通説が作られそうだけど、
信繁が秀吉に近侍していたとかいう史実はない
無位無官だから無理
この2年後に行われる聚楽第行幸にも当然信繁の名前はない
13年も京都大坂にいたくせに、交友記録にもまったく出ないのが真田信繁
子供も九度山ではたくさんできてるが、京都大坂ではまったくできてないのが信繁
真田丸ではもてもてだが、京大坂の女には相手にされなかった模様
だいたい方言で言葉が通じなさそうだしな
0475人間七七四年2016/05/07(土) 18:41:16.30ID:c+qZTS6M
個人的に真田家に恨みでもあるのかこいつ
0476人間七七四年2016/05/07(土) 18:46:40.68ID:Ya4ZHf7C
言ってることは正しいのかもしれないが、不必要な連投すると逆効果だぞ
0477人間七七四年2016/05/07(土) 18:55:03.02ID:rf4wQu7s
真田アンチ君の推し武将って、よっぽど
史実として信用置ける事跡にあふれまくってるんだろうな
そんな人物がどこにいるのかわからんがw
0478人間七七四年2016/05/07(土) 19:08:54.92ID:WtKiDtzB
くだらない

>個人的に真田家に恨みでもあるのかこいつ
どこからこんな発想が出てくるのか

繰り返し非難している対象は、
捏造逸話でも根拠にして真田を持ち上げる妄信的信者だろ

何をトチ狂って真田家そのものを非難しているかのように
話をすりかえてるのか
0479人間七七四年2016/05/07(土) 19:11:18.43ID:6W9phGG+
菅沼はスルーしとけよ
0480人間七七四年2016/05/07(土) 20:39:32.02ID:tp3Sf+zn
>>399
福本日南の主な執筆活動時期は明治後半から大正にかけてだから
秀吉を三成に改編した作家なり評論家なりは当然それ以降の人になるだろうけど
俗説の浸透具合を考えるとかなりの影響力を持った人に思えるが、本当に誰だろう
0481人間七七四年2016/05/07(土) 21:24:03.35ID:Wo7QirWW
>>475
大河板にも要るんだよな
真田家に関して叩く人
ていうか大河板の史実スレが発祥かも
0482人間七七四年2016/05/07(土) 22:35:04.97ID:zb7vtBhd
あのね、大河で真田をやれば武田信玄がもっと持ち上げられると期待してたんよ菅沼遼太くん
ところが視聴率はサッパリだわ、持ち上げられるのは武田は武田でも大嫌いな勝頼だわで、菅沼くんたら激オコぷんぷん丸なんよ
そんなの大河板でやれよって思うだろうけど、もう大河板って菅沼くんぐらいしか常駐者いないんよ。真田丸の初期にいつもの調子で気に入らないヤツを「出ていけ! 出ていけ!」て追い出しちゃったから
そんで寂しくなってコッチで暴れてるってわけ。かわいそうだよね
0483人間七七四年2016/05/07(土) 22:57:18.20ID:c8fFZCS+
どうみても菅沼遼太なのにレスてる御人好しというかアホというか
なんでスルー出来ないんだろね
0484人間七七四年2016/05/08(日) 07:55:08.29ID:wvZ2293w
>>483
基本的に菅沼の一人芝居だし
0485人間七七四年2016/05/08(日) 13:00:00.74ID:IUO3mVz0
そやろね
0486人間七七四年2016/05/08(日) 13:09:19.96ID:EHpJ0F7N
>>482
信玄は要所要所で持ち上げられてた気がするけどあれじゃ足りないのか
てか勝頼そんなに持ち上げられてたかな
いい人だし有能そうではあるけど偉大な親父の代わりにはなれなかった人って印象しかなかった
0487人間七七四年2016/05/08(日) 13:54:49.52ID:6mIqnMNo
>>483
>>449>>450でも手口が似てるから疑ってるレスはあるけど
細かいところで、菅沼と荒らしパターンが微妙に違ってるから
確証は持てなかったようだ
菅沼がいつも暴れ出す時間帯(明け方)とは違う時間に書き込んでるし。

一見、真田事情に異様に詳しいアンチを装ってるが、
肝心の、詳しい人がいそうな真田関連スレには出没せず
いかにも歴史初級〜中級者の多そうなところに出入りして
バレバレの洗脳を試みようとするあたりは菅沼と共通しているな
0488人間七七四年2016/05/08(日) 15:14:09.43ID:ozQ1V9rv
史実を書き込まれると「叩き」だというのってどこかの犯罪者みたいだね
0489人間七七四年2016/05/08(日) 16:00:27.01ID:wvZ2293w
>>487
まあ同じネタであちこち荒らし回るようなマジキチは菅沼くらいだしさ
0490人間七七四年2016/05/08(日) 16:07:39.03ID:IUO3mVz0
どうでもいい事でブチギレて壊れたスピーカーになるのはいつもの菅沼やん
0491人間七七四年2016/05/08(日) 16:20:09.40ID:dGPEJkGN
歴史にどうでもいいことなんてないだろ
0492人間七七四年2016/05/09(月) 23:43:58.48ID:RJf+SjHI
島左近の関ヶ原の西軍の戦略のグダグダぶりとか
直江兼続の長谷堂での戦いぶりとか考えると
何故この二人は天下に名をはせた智将扱いになったのか不思議だけど
だれが思い切り持ち上げたのかな
0493人間七七四年2016/05/10(火) 00:35:51.12ID:45dbMJgJ
島左近は勝った黒田家が持ち上げた
直江兼続は敗報で引き上げただけだから別にグダグダでもない
0494人間七七四年2016/05/10(火) 00:41:21.01ID:D3DqO21M
結果論になるが、直江とかは「無意味な突っ張りで主家の石高を半減させた無能」とも取れるわけじゃないか。
そういうことじゃないかね。
0495人間七七四年2016/05/10(火) 02:37:42.70ID:vMQRJMdF
元黒田家臣の、古郷物語だね。
何故か左近の英雄伝ばかりが有名に。

書いた人、黒田家を解雇されたから悪口物語。

黒田家は夏の陣といい朝鮮出兵といい関ヶ原といい、
自分ちの話を書いたはずが何故か他家の功績に。
0496人間七七四年2016/05/10(火) 02:42:10.93ID:vMQRJMdF
男は黙って黒田武士が気風
なにいわれようが
0497人間七七四年2016/05/10(火) 08:38:43.78ID:jBPr36dt
>>494
その点は責任感じて、意図的に自分の家を潰したな
0498人間七七四年2016/05/10(火) 10:36:39.78ID:Ar6eMHhz
>>494
司馬遼太郎はその「結果」を承知の上で、
直江兼続を格好良く描いた

司馬の叙述にノせられると、
あたかも直江が有能だったかのように
錯覚してしまう罠が仕込まれている
0499人間七七四年2016/05/10(火) 12:17:50.79ID:Iy+v+pNH
創作だの印象操作だのが多いが、逆に戦国時代本当に有能だった奴って誰なんだろう
0500人間七七四年2016/05/10(火) 13:56:30.95ID:lfw1jUtg
生き残った奴が有能っていうのが一番
わかりやすい定義かもしれない
0501人間七七四年2016/05/10(火) 15:47:50.78ID:vMQRJMdF
でも日本人は判官びいきだからね

負けた方を有能にしたがる
0502人間七七四年2016/05/10(火) 16:13:47.98ID:2cannTQP
小西家は秀吉がたまたま姫路の店を訪れてから出世した
0503人間七七四年2016/05/10(火) 20:40:34.91ID:J9kxKv/X
秀次は秀吉に我が子可愛さに切腹させられた

ってのはよく考えたら証拠も何もない
こういう俗説っていかがなものか
0504人間七七四年2016/05/10(火) 21:23:39.12ID:mC2Yqh1B
>>498
直江兼続の関ヶ原当時の本人の書状読むと
見通し甘い戦況楽観視しすぎでは?と思ってしまう

これは歴史の流れを知ってる後世の者の結果論かも知れないけどさ
0505人間七七四年2016/05/10(火) 21:45:19.61ID:lbzVqTeU
>>504
表面上は大人しくしてた佐竹も移封されちゃったし、関ヶ原の時点では戦って勝つ以外の方法は無かったのかも知れない
0506人間七七四年2016/05/10(火) 22:55:49.66ID:QRfwflLI
甲斐の虎とか越後の龍とか相模の獅子とか肥前の熊とか
戦国大名には色んなあだ名があるけど当時から本当にそう呼ばれてた
あだ名はどれだけあるだろう、大抵は後世の後付けだと思うけど
信長みたいに自分で第六天魔王とか言ったなら別だろうけど
0507人間七七四年2016/05/10(火) 23:07:34.34ID:vMQRJMdF
だいたい放送禁止用語系あだなが多いんじゃないかな。
秀吉は「ちんば」って黒田官兵衛を呼んでいた。
片足が悪かったから。
0508人間七七四年2016/05/11(水) 01:25:52.46ID:dMp4nQ/H
家康が生前に「関東の猛牛」と呼ばれていたらしいけどソース不明
0509人間七七四年2016/05/11(水) 03:59:05.47ID:wGJvRA5Q
牛角力が盛んな土地柄でもないと、褒め言葉にならんような。
それに猛ナントカって形容はずっと時代が下るような気がする。
0510人間七七四年2016/05/11(水) 10:52:56.35ID:RU0YU+Vt
>>506
信長の第六天魔王は自称だから、あだ名ではない
信玄が自称した天台座主沙門への対抗

自称とあだ名を同列に語るから、
文の方向性が定まらずにおかしなことになる
0511人間七七四年2016/05/12(木) 21:43:14.61ID:demN/fyy
伊勢宗瑞浪人説とかもそうだけど、昔甲陽軍鑑の作者の候補の一人に擬せられた
山本菅助の息子である関山派の僧侶とか何を根拠にしたんだろう
近年判明したた事だけど菅助の実の男子は長篠の戦いで死んだ一人しかいなくて、
結局娘婿が家を継いだのに
0512人間七七四年2016/05/13(金) 21:12:09.72ID:pu+yQPvZ
>>492
島左近を持ち上げてるものの一つが常山紀談だっけ
あれ昔の歴史小説家とかが良くネタ元に使ってたけど
内容的には怪しいものが多いよね
0513人間七七四年2016/05/14(土) 03:19:20.45ID:VL1q60DB
>>503
って言われても、他に確証のある理由づけも存在しないし
秀次に非がないから秀吉が悪い
秀吉に非がないから秀次が悪い
って根拠の少ない堂々巡りをここでもしたいのか?
0514人間七七四年2016/05/14(土) 07:40:18.80ID:JJ6lcFrU
真田幸村(信繁)の活躍が今年は凄いけど、
本当に秀吉の側でいろんな献策してたの?
0515人間七七四年2016/05/14(土) 07:43:58.92ID:JJ6lcFrU
大河ドラマって作り話じゃない本当の話だと思ってみてる子供も中にはいるんだよね。
0516人間七七四年2016/05/14(土) 12:38:25.33ID:1Wm72GFR
>>514
・馬廻りはそもそも献策するような仕事ではない
・馬廻りは何百人もいて、そもそも秀吉の側近のような仕事ではない
・信繁が馬廻りだったと書いてある史料が最近発見されたらしいが、
 その怪しい史料ですら、文禄年間である
・馬廻りは皆官位をもらってるが信繁は文禄3年まで官位をもらっていない
・信繁が黄母衣衆であることは完全な創作
・信繁は馬廻りの参加する主な行事に参加しているが、その記録に
 信繁の名前はないから、馬廻りであったとしても下っ端

結論:秀吉に信繁が近侍していたわけがないのだから献策などしていたわけがない
0517人間七七四年2016/05/14(土) 12:40:57.02ID:1Wm72GFR
×信繁は馬廻りの参加する主な行事に参加しているが、その記録に
 信繁の名前はないから、馬廻りであったとしても下っ端

◯馬廻りは、秀吉の主催する主な行事に参加しているが、その記録に
 信繁の名前はないから、馬廻りであったとしても下っ端
0518人間七七四年2016/05/14(土) 21:55:13.91ID:JhrBZwAH
海音寺とか司馬とか山岡とか新田とか隆みたいな有名どころの作家に
通説や俗説を小説で取り上げて貰えた人物は、やっぱりそのイメージが
広まってる上、結構根付いてしまってるんだよなぁ
0519人間七七四年2016/05/15(日) 21:23:39.03ID:WUd9ktFz
>>518
昔は今みたいに簡単に情報手に入れられなかったからな
歴史小説家の影響も凄かったけど

今はネットでも簡単に研究論文読めたり
歴史詳しいブログやツイッターで戦国の専門知識に手に入れられるように
情報が多様化してるしね
0520人間七七四年2016/05/15(日) 21:42:25.76ID:pMcVEeXc
加えて書けば
昔の作家は力量があった
最近の作家は薄っぺらすぎ
創作がいちいち不自然で面白みもない
大河ドラマの凋落、無残さを見ればよくわかる
0521人間七七四年2016/05/15(日) 22:57:41.35ID:uZPsiBII
俗説がまかり通るのは小説家のせいじゃなくて、昔の研究者が講談や軍記物を真に受けたせいだ。
教科書は未だに俗説まみれだから、これからも誤解した連中を量産されちまうし
0522人間七七四年2016/05/15(日) 23:11:36.68ID:6vtHtg2u
歴女とか言っても結局表面的歴史をなぞってるに過ぎないし
例えば戦国最強武将はと聞けば、歴史好き以外なら漫画や
ゲームの影響で前田慶次郎や本多平八郎をあげる人が多いんじゃないかな
0523人間七七四年2016/05/15(日) 23:18:28.17ID:429n4YrA
逆に言えば、ドラマや小説のエピソードを史実だと思いこんでしまう
お隣の国(脇坂安治が戦国最強武将らしい)を嗤えなくなってるなぁ…
0524人間七七四年2016/05/15(日) 23:31:30.67ID:/7drU4Oc
いまだに、かの国は例の馬鹿ドラマのネタ信じてるって思う奴なんだから、笑えないんじゃなくて、笑われる方になってることすら気づけないのかよ
0525人間七七四年2016/05/16(月) 02:18:19.21ID:dLSQM2l6
国家が率先して歴史をコリエイトするほど落ちぶれてはおらんよwww
0526人間七七四年2016/05/16(月) 07:15:09.81ID:x3iOHKRf
少なくとも自由を掲げつつ、学者を罰するのは理に合わんだろうな
0527人間七七四年2016/05/16(月) 17:50:00.34ID:cpy8DuBC
>>514
ないな
上杉家への人質から羽柴家への人質へと、立場が変わっただけ

昌幸が登城した際には、秀吉は昌幸に大いに興味を持ち、
盛んに昌幸から話を聞きたがったという話は伝わっていたが、

息子の信繁が秀吉に贔屓されたというのは
当ドラマ独自の脚色
0528人間七七四年2016/05/16(月) 22:37:55.10ID:/2e+OXwL
今の戦国大河は信長、秀吉、家康にとって特に重要だったことにする人物を地域とセットで回してるだけだからな
0529人間七七四年2016/05/17(火) 21:11:38.80ID:AKT7+7y8
司馬本読んでるけど、完全に人斬り攘夷馬鹿天皇教をこき下ろしてんじゃん。
完全に反天皇じゃん
0530人間七七四年2016/05/17(火) 23:52:33.75ID:nCCC02ES
山田風太郎だったら柳生十兵衛、隆慶一郎だったら前田慶次郎、吉川栄治だったら宮本武蔵みたいに
各作家ごとに自分の好きな最強武者がいるけど、他の作家だとどんな武者が最強扱いされているだろう?
0531人間七七四年2016/05/18(水) 00:07:33.46ID:BggXbar8
慶次はちょっと微妙だけど、それ武芸者だろ。
0532人間七七四年2016/05/18(水) 12:15:33.73ID:Uy4PJa/a
柳生十兵衛
 徳川宗家に仕えた。一時罷免され、浪人していた時期もある
前田慶次郎
 元は織田家に仕えていた。前田利家への寄騎待遇に不満があったらしく、浪人する
宮本武蔵
 一時期、小笠原家に仕えていた。吉川英治が書いた宮本武蔵という小説上の人物は、
 モデルにされた史実の人物とは異なり、生涯仕官しなかった人物として設定されたらしい

武芸者であるが、武者でもある。なにもおかしなことはないと思われるが
0533人間七七四年2016/05/18(水) 20:05:35.10ID:WGpg2We5
武将って言いたかったのかしら
0534人間七七四年2016/05/18(水) 22:22:56.96ID:y1pMaG22
>>506
竹中半兵衛は今孔明と呼ばれたとか両兵衛が張良、陳平に
例えられたとかの話はどうだろう
例えというのは言った側は勿論だけど、聞いた側もその例えの意味が
分かっていないと例えとして世間に定着しないと思うんだが
この時代に史記とか三国志が一部の知識層以外で
それだけ普及していたか疑問だな
0535人間七七四年2016/05/18(水) 22:52:42.09ID:vDdGTeEq
秀吉と蜂須賀正勝と前野長康が劉備と関羽と張飛で
0536人間七七四年2016/05/19(木) 09:12:21.11ID:9w47wGM3
>>532
武芸者と言えば、なんで薄田兼相みたいな戦績のショボい武将から
岩見重太郎なんて豪傑の武芸者の講談が出来たんだろう
0537人間七七四年2016/05/19(木) 15:02:03.31ID:Lh7G32yh
今更だけど信長の桶狭間奇襲は創作
0538人間七七四年2016/05/19(木) 16:28:39.01ID:Ga2bfi1S
>>532
柳生十兵衛や宮本武蔵は、もう戦乱の世が終わってから剣技で名をなした
剣術使い、剣豪分類だからな。
0539人間七七四年2016/05/19(木) 17:40:18.93ID:MGckL32U
隆慶一郎氏の小説も舞台が戦国時代なだけで内容は忍者や刺客とチャンバラする話だしな
0540人間七七四年2016/05/19(木) 18:02:59.06ID:cWyiep4H
>>536
最初は十人並よりは少し強いだけの人物像だったのが、
派生を重ねるうちに描写が超人化したのかも

田宮坊太郎という架空キャラも、最初は
「丸亀藩では強い方だが、全国的規模でなら掃いて捨てるほどいる剣術使い」
である仇に勝つため、柳生宗冬という微妙な剣術家の下で修業する話
…だったのが、時代を下るに従ってなんだか史上屈指の剣豪だった
みたいに話が膨らんでる
0541人間七七四年2016/05/19(木) 20:44:18.71ID:9tpXMYzF
>>536
オレンジ君の経歴の飛躍ぶりも斜め上で謎だなw
史実で確認できる経歴は、秀吉の馬廻りか何かからのスタートだけど
岩見ヒヒ退治伝説では、小早川隆景の武芸の師匠(の息子)だったか
0542人間七七四年2016/05/20(金) 14:59:34.44ID:XztDbLux
新免氏は美作にしか存在しない、固有の氏

吉川英治の創作

小説「宮本武蔵」がヒットしたことで、
武蔵の出身地は播磨では?と指摘(あるいは突っ込み)を受けた
英治は、小説上の設定だと言えばそれで済んだはずなのだが、
何故か、新免は美作にしか無い氏だと強弁し、美作出身設定を正当化しようとした

氏族を形成するのは所詮人間であり、移住もすれば、流動もある
現に大昔には新免同様に美作固有だった菅氏も、黒田孝高に仕える者がいて、
黒田家の転封先で子孫を発展させている
末裔の一人、菅直人は宇部出身だ

当時の出版業界は、つべこべ言い出した吉川英治に触ってはいけないモノを感じたのか、
それ以上追究することは控えたようだ
現在でもこの不可解な強弁内容を、ナントカの一つ覚えのように主張する者がいるが、
はっきり言って、相手にされてはいない
0543人間七七四年2016/05/20(金) 21:08:22.38ID:hCN58vQo
吉川の創作とするのは微妙では
奇異な伝説みつけたから、それで書きたかったんだろ
三国演義だってアレンジしてるしな
なんて言ってたかは知らんが、いちいち突っ込まれるから(当然だが)、イラついて偏屈になってたんじゃね
まあ、先生だし「わかってるわ、うっせーな!小説だよ!設定だ」とは言わないだろ
0544人間七七四年2016/05/20(金) 21:35:36.41ID:QxrFA9fe
>>541
オレンジ君、柔術や剣術の一派の流祖になっているみたいだけど、
根拠があるのか、後付けで流祖に祭り上げられたのか
0545人間七七四年2016/05/25(水) 11:10:43.73ID:C3GnRq8O
橙さんもそうだが、後藤又兵衛とかも一次史料が少ないからか、色々盛られているよな
武功雑話だと家康が浪人衆の中で認めてたのは又兵衛と御宿政友の二人だけだったとか
それまで父の陰に隠れる形だった真田信繁とかはともかく、明石全登とか実績がある人間いただろうに
0546人間七七四年2016/05/29(日) 15:24:35.70ID:Ih5S/2AZ
>>543
新免氏は美作だけの氏族とする奇異な伝説って、どれ?
0547人間七七四年2016/05/29(日) 22:00:31.13ID:NYRaYurb
>>541>>544>>545
オレンジ君とか橙さんとか流行らせようとしてるの
0548人間七七四年2016/05/29(日) 22:18:18.77ID:7k03K+LE
>>546
武蔵美作生まれ説と混同したんだ
「新免氏は美作にしか存在しない、固有の氏」なんて通説とはいえないし
吉川英治が強弁したとお前は言ってるが、そんなの一般に流布してんの?
0549人間七七四年2016/05/29(日) 22:23:46.62ID:jg18dGrM
>>545
明石全登は宇喜多家のお家騒動で花房などの重臣が出奔して
その後に担ぎだされてきただけで実績は杭瀬川と関ヶ原本戦くらいで殆ど無い

又兵衛は多少盛られていたにしても
四国征伐、九州征伐、朝鮮出兵、関ヶ原と第一線で働き
1万6千石までのし上がったガチの実戦派武将
0550人間七七四年2016/05/30(月) 06:56:32.87ID:B24+mf7V
清正が虎退治した時、十文字槍の刃が折れて片穂槍になった話って何時出来たんだろう
話のもとになった清正の槍は、もともと片穂槍だったって事みたいだし
0551人間七七四年2016/05/30(月) 11:28:43.50ID:uYMP1v/U
>>548
一般に流布している
吉川英治の小説上の武蔵しか知らず、
それを史実の人物と思い込んでいる者は少なくない
一次史料に基づいて武蔵の人物像を推定している者よりも多い
0552人間七七四年2016/05/30(月) 16:06:13.42ID:uHZT+B1F
>>550
立花さんちの小野さんの逸話では
片鎌槍になった由来は天草国人一揆だし
江戸中期とくに吉宗以降の歌舞伎辺りだろうな

片鎌槍って形状を示すもので固有名詞じゃないし
現存する国立博物館にある娘の嫁入り道具のアレは
清正本人が使用してたもののレプリカなんじゃね?
0553人間七七四年2016/05/30(月) 19:51:12.71ID:ZVPaqmZJ
>>551
それじゃ吉川英治の宮本武蔵の中の武蔵像にまたズレちゃったじゃん
「新免氏は美作にしかいない説」じゃないじゃん
新免氏and美作固有でぐぐっても、それらしいの出てこないのに、一般的なの?
美作説が未だそれなりの知名度を保ってるのは、新免氏がどうのじゃなく
吉川の小説とともに地域が熱心に観光キャンペーンに利用してるから
0554人間七七四年2016/05/30(月) 20:59:53.27ID:NWcZkUud
>>500
仙石秀久か
0555人間七七四年2016/05/30(月) 22:39:22.27ID:WiemMqfX
>>551
小説家が創った剣豪のイメージって結構あるからなぁ
古いところだと箸で蠅を捕まえたり、鍋蓋で攻撃を塞いだりとか
0556人間七七四年2016/05/31(火) 00:58:10.82ID:/T8XjKdZ
剣豪なんてほぼ創作だろ
0557人間七七四年2016/05/31(火) 07:50:00.95ID:ceiceZ+/
「介者剣術」は昭和期に作られた言葉で
鎧を着てたから戦い方も平服とは違うだろと言う憶測と
旧武徳会で勢力を誇れなかった流派が「ウチは老舗でっせ」と
自らをブランディングする為に使われたキャッチコピー。
0558人間七七四年2016/05/31(火) 17:05:45.30ID:IO52o/Fk
>>553
>23 :日本@名無史さん:2012/02/29(水) 10:45:33.31
>播州説は岡山しか無い新免姓をなぜ名乗ったのかが上手く説明できないのが残念ね。

上記のように、史料からではなく、
吉川英治の小説とそれを補強する強弁をなぞるだけの素人が
論拠にするほど、一般化している
専門化じゃないだろ
0559人間七七四年2016/05/31(火) 23:15:44.82ID:yRQDryXp
一般人?日本史板を見回してみろ、こじらせたアホだらけだろ
戦国板でいうのもなんだが
0560人間七七四年2016/06/01(水) 12:54:24.94ID:4WcuUM9q
>>555
軍配で刀は防げますか?
0561人間七七四年2016/06/01(水) 13:03:18.85ID:kPKIGxpc
>>559
こじらせたアホでも手が届くくらい、巷に溢れている俗説
0562人間七七四年2016/06/01(水) 13:19:34.41ID:X7BBkj5p
>>560
この軍配なら防げます
つ鉄製の超重量軍配
0563人間七七四年2016/06/03(金) 21:53:39.74ID:RSl5KE6Y
謙信の一太刀を信玄が軍配で防ぐ図は本当に絵になるが
あれを創造した人って誰だろう
長篠の三段撃ちとか秀吉の一夜城とかよく考えたら
小瀬甫庵をはじめ、創った人間の想像力凄いよな
0564人間七七四年2016/06/03(金) 22:27:35.39ID:pjj7Oh+F
それは単に想像力が欠如してるから凄く感じるだけなんじゃね?
0565人間七七四年2016/06/04(土) 00:08:42.74ID:uO5aw64m
「武田、上杉最強」はいつ頃から言われてる?
小説では当時の人にも最強と言われてたみたいに出てくるが、ウソだよね?
0566人間七七四年2016/06/04(土) 00:36:08.79ID:g5UVDe/w
>564は自分がどんだけスゴイ想像力の持ち主なのか
ちょろっと示してほしい。(・∀・)
0567人間七七四年2016/06/04(土) 10:15:25.89ID:8lypt55E
>>565
朝倉宗滴に好評化されてたという人物には入ってたな

今川殿(今川義元)
甲斐武田殿(武田信玄)
三好修理大夫殿(三好長慶)
長尾殿(上杉謙信)
安芸毛利(毛利元就)
織田上総介(織田信長)
正木大膳亮(正木時茂)
0568人間七七四年2016/06/04(土) 10:20:50.64ID:kOZnpjPF
>>567
里見の寄騎だった正木大膳を入れてるのが、ちょっと違和感あるな
0569人間七七四年2016/06/04(土) 10:27:33.24ID:GuIVEEMB
小瀬甫庵は全部自分で考えたのなら天才的だが
実際起きた事を時や人物を代えて再現して作品にする創作ものに良くある手法を取っただけ

三段撃ち→朝鮮征伐の時には日本軍の基本戦術になってた繰撃ちを信長はこんな昔からやってた!
墨俣一夜城→石垣山一夜城みたいのは昔から得意だったんだよ!
秀吉に旗鉄砲を貸す→実際は長久手の時なんだけど先見の明ある隆景は本能寺の時にやったんだよ!
などなど
戦闘の場面は中国古典から取って臨場感だしつつごまかしたり文才はすごいけどな
0570人間七七四年2016/06/05(日) 00:35:18.02ID:DmrAIFmB
>>566
素晴らしい想像力なんて関係ないんじゃないか?
物事を創作するときにネタとなるモノがあったんじゃないかって思うのに、特別素晴らしい想像力なんて必要ないんだから。
0571人間七七四年2016/06/05(日) 02:09:13.83ID:3L/jMJ3u
>>570
>564は、想像力が欠如していると>563をあからさまに
罵ってるわけだから、そういうだけの自分の想像力の
すばらしさを披露してみてもいいんじゃないの、というか
そうすべきだろw
0572人間七七四年2016/06/05(日) 04:55:33.53ID:u7nD7okX
本能寺の変とか創造した人すごいよな
あんな場面で信長が殺られるとか想像もしてなかったわ
もう、戦国時代も終わりかぁと思った矢先にこれ
考えた人は天才だね
0573人間七七四年2016/06/05(日) 05:09:28.16ID:SjNAiMln
いやいや関ケ原という壮大なページェントを産み出した創作者こそ真の天才と呼ぶにふさわしい
0574人間七七四年2016/06/05(日) 20:21:25.12ID:mSVYX5xA
家康と氏真山岡の頃は仲が悪かったイメージが強かったが
いつの間にか仲が良かったようなイメージが強くなった気がする
まあ義元にしても自分の偏諱与えたり、一族の女を嫁にやるのと
同じころ自称官位が多いこの時代に無位とは言え蔵人佐の官位を
貰ってやってる位なんだから、扱いはそう悪くは無かったんだろうけど
0575人間七七四年2016/06/05(日) 20:41:20.61ID:meX3L3IX
蔵人佐は自称じゃね?
そもそも蔵人に次官職ってあったっけ
0576人間七七四年2016/06/05(日) 20:59:03.32ID:Xl5GFy3f
蔵人は安城松平家が伝統的に私称してた官位だから
家康も私称だよ。
0577人間七七四年2016/06/06(月) 11:38:09.77ID:oIpJlUPE
>>565
武田最強説は神君家康公を野戦で破った事実と家康が旧武田家臣団を併合した事に加えて武田家が滅亡したお陰で氏素性の怪しい奴が就職活動するのに甲州軍学兵法者と言う肩書きが使いやすかったから広まったと思う
0578人間七七四年2016/06/06(月) 11:47:30.80ID:oIpJlUPE
春秋戦国時代から拝借して戦国時代と名付けた奴は凄いと思う
幕末も結構でかい戦あるけど戦国時代ほど洒落たネーミングがあればもっと輝いたと思う
0579人間七七四年2016/06/06(月) 19:43:05.21ID:doq2Ad4V
>>569
羅貫中が、近世に起きたハヨウ湖の戦いを引用して、
古代末期を舞台にした小説・三国志演義で赤壁の戦いを創作したのに
匹敵する功績かもな
0580人間七七四年2016/06/06(月) 20:41:22.58ID:B5eQ1t+r
誰だかわからないが、幸村とか信長の弟の信行とか史料には全く現れない名前を考え出し
通説が如く定着させた人間もある意味凄いな
0581人間七七四年2016/06/06(月) 21:40:38.41ID:l4zphes5
横山光輝の漫画で「徳川殿は良い人持ちよ、服部半蔵、鬼半蔵、渡辺半蔵、槍半蔵、渥美源吾は首斬り源吾」
って歌があったけど、あれはどこから持ってきたのかな
0582人間七七四年2016/06/07(火) 00:39:58.85ID:p0lJb1s8
うむっ!www
マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐

作者:嵯峨良蒼樹

「戦国最大のおのぼりさん」今川氏真の上洛を活写する戦国文芸観光蹴鞠小説!
信長「との」蹴鞠を含めた天正三年(一五七五)今川氏真上洛百日の全行程と知られざる人間模様を、上洛中に氏真が詠んだ二百種以上の和歌と共に描き切る怪作!

今川氏真  「うむっ! 一首浮かんだ」

http://ncode.syosetu.com/n5953di/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)
0583人間七七四年2016/06/08(水) 21:13:24.39ID:r6q/YRqy
伊勢宗瑞の小田原城攻略時の火牛の計、創作したのは誰かは不明だが
海音寺潮五郎が田単の火牛の計が元ネタだろうと解説していて、
その解説を井沢元彦がさも自分の意見が如く著書の中でパクッテたな
0584人間七七四年2016/06/09(木) 11:58:44.66ID:qKqcXpBO
いや、誰でも気づくだろ
0585人間七七四年2016/06/10(金) 08:41:40.68ID:O51j3Kta
川中島の啄木鳥戦法って名前は何処からきたのかな
甲陽軍鑑にはその呼称なかったはずだが
0586人間七七四年2016/06/10(金) 08:56:43.12ID:eQxeREZ7
>>585
海音寺潮五郎だったりしてな、案外
0587人間七七四年2016/06/10(金) 10:13:31.61ID:C7BQ7GYL
啄木鳥は穴を開けた後長い舌を使ってアリクイみたいに虫を捕るから突いて虫を驚かせると言う発想自体おかしい
0588人間七七四年2016/06/10(金) 10:25:41.89ID:FFDRRlH0
啄木鳥戦法名は江戸時代後半の軍記に出てるからさすがに海音寺じゃないな
0589人間七七四年2016/06/10(金) 22:05:35.06ID:jqfSftIA
>>584
田単の火牛の計が元ネタなのは誰でも気づくかもしれないけど
その解説の中で牛の角に火を付けたら、牛が怯えて計が失敗するだろうから
作者は田単の元ネタ通り、尻尾に火をつけた事にすればよかったのに
と多少の文言が違っても、そういう嘆きまで同じ内容の文章を書けば
パクリと言ってもしょうがなくないか
0590人間七七四年2016/06/11(土) 20:54:38.10ID:8DmO6lhc
河越合戦も今は結構その内容に疑問を持たれているけど
もしあれが創作なら、何をモデルにして考え出したんだろう
0591人間七七四年2016/06/11(土) 21:21:53.20ID:quFIYfMs
天文12年の氏康書状だろ
これで氏康が「一人で十人殺す気で戦えば必ず勝てる!」とかイカれた精神論を述べてるために
軍記の敵兵力は北条の十倍設定
十倍の敵に正面から闘って勝てる訳ないから「夜襲」
唯の夜襲で十倍の敵を撃破は苦しいから「偽りの降伏宣言」+「夜襲」の「騙まし討ち」
こうして講談「河越夜戦」の誕生
0592人間七七四年2016/06/11(土) 21:42:57.18ID:nCt3Ho3I
その時期に幾つかあった戦いを一個にまとめたのが「河越夜戦」とは言われてるな
0593人間七七四年2016/06/11(土) 22:09:05.43ID:CcoC0FEg
「河越合戦」も一次史料や江戸初期の軍記だと地味な河越防衛戦の記述にすぎない
江戸中期〜後期と時代を経ると派手で胡散臭い「河越夜戦」に変貌していく
0594人間七七四年2016/06/12(日) 06:45:22.31ID:U6yC6vYT
>>581
たしか「三河物語」で似たようなの見たような記憶があるけどいまいち曖昧・・・。
横山光輝的には吉川栄治の小説からなんだと思うけどw
0595人間七七四年2016/06/12(日) 07:45:15.51ID:A/52jC/s
うんこを漏らしたのかどうか、それが俺の一大関心事。
0596人間七七四年2016/06/12(日) 20:59:39.27ID:D+VexT2N
>>590-593
扇谷上杉家が滅んだり、上杉憲政が越後に落ちる事になったんだから
北条優位な展開の戦があったんだろうけど、美男子と言われる北条綱房が
単騎使者を務めるとかは、創作だろうなぁ
これもまた何か元ネタがありそうな逸話だけど
0597人間七七四年2016/06/12(日) 21:36:36.32ID:Oe5pUoIH
上杉憲政の越後亡命は諸説あるが、1552年〜1558年で「河越夜戦」から十年ほど後
扇谷最後の当主、上杉朝定は死因もし死亡年も不確定
0598人間七七四年2016/06/12(日) 22:00:45.37ID:yciM3pfq
河越なんて講談合戦を牽強附会で無理やりデコる
北条ステマはもうウンザリ
0599人間七七四年2016/06/12(日) 22:55:58.42ID:FCVt9kdW
>>595
江戸時代後期に突如として沸いて出た記載だから、どう見ても史実では無いよ
0600人間七七四年2016/06/12(日) 23:32:02.37ID:zaOvgNRO
誰が言い出したのかね? 後北条末裔の関係者かw
0601人間七七四年2016/06/12(日) 23:34:04.90ID:b8183FBv
>>600
そもそもその話が初めて出た改正三河後風土記にも脱糞したなんて書かれていない。
脱糞したことにしたのは山岡荘八。
つまり完全な作り話、かつ小説。
0602人間七七四年2016/06/13(月) 07:51:27.95ID:S23fxAt4
>>598
北条は早雲からして幕府を背景にして勢力拡げたのに、
一浪人が己の手腕頼りにのしあがったって事になっていたからなぁ
0603人間七七四年2016/06/13(月) 09:03:15.07ID:/AqFqVLv
ウンコ漏らして焼き味噌とか言い訳したのが本当なら麦飯に焼き味噌のちょいのせが良いとか言えないな俺なら
0604人間七七四年2016/06/13(月) 20:43:39.48ID:Ztmf9er/
>>581
そもそも両半蔵は兎も角として渥美源吾ってどんな人?
人斬りって言われるほどの戦果とかあるの?
0605人間七七四年2016/06/16(木) 10:30:04.75ID:owSKgU79
>>604
司馬の関ヶ原にちょい役で出ていたのくらいしか知らないなぁ
0606人間七七四年2016/06/16(木) 22:20:12.49ID:p6gWjuVM
>>593
嘘は良くない。
古さで「甲陽軍鑑」と並ぶ「北条記」の頃から、既に派手な合戦として扱われている。
0607人間七七四年2016/06/16(木) 23:02:01.76ID:72nd9FRF
カレーと味噌とうんこの違いが判る男それが徳川家康w
0608人間七七四年2016/06/16(木) 23:28:41.73ID:CeuROFV5
>>606
それは嘘
「甲陽軍鑑」で言及している河越の合戦は天文9年のもので、河越夜戦から7年も前の合戦
まだ北条氏綱の代の話
「北条記」は作者成立年不詳の軍記
派生軍記が大量に出回った江戸中期以降の物と見るのが妥当
0609人間七七四年2016/06/16(木) 23:45:34.28ID:BdrZxScA
そもそもソースが甲陽軍鑑とか胡散臭すぎる
0610人間七七四年2016/06/17(金) 00:22:04.91ID:IljcFEid
古さで「甲陽軍鑑」と並ぶのは「北条記」でなく「北条五代記」だな
そして「北条五代記」では攻めてきた山内勢を撃退しただけの地味な戦いなんだよなあ
0611人間七七四年2016/06/17(金) 00:32:37.46ID:OHY3oZZM
>>608
北条記の派生軍記が大量に生まれ出回ったのが江戸中期だから、
北条記の成立は江戸前期(元和〜寛永)と言われているんだが。

まず甲陽軍艦と北条記が江戸初期に大流行したため、対抗して各地で戦国軍記が書かれ、
派生軍記も起こり江戸中期に更に大流行し、後世の小説家が飯のタネに困らなくなった。
0612人間七七四年2016/06/17(金) 00:49:44.31ID:IljcFEid
>>611
>成立は江戸前期(元和〜寛永)
だからそれが「北条五代記」だよ
北条家の家臣である三浦浄心の著「北条五代記」と作者不詳の「北条記」は別物
「八万の大軍」、「夜襲」、「騙まし討ち」等の派手な河越夜戦は「北条記」の物で
「北条五代記」の記述にそれらは無く地味
0613人間七七四年2016/06/17(金) 06:34:16.42ID:f3xZexOJ
北条記と北条五代記を混同した馬鹿が河越なんて講談合戦を推してる訳か
0614人間七七四年2016/06/17(金) 15:23:37.20ID:ZJKv8L8S
信長公記と甫庵信長記で、似た流れあったなw
0615人間七七四年2016/06/17(金) 19:17:46.00ID:bqMh2i+7
北条研究の第一人者の黒田基樹も大規模な夜戦は後世の創作とはっきり断定してるしね
0616人間七七四年2016/06/18(土) 14:53:50.73ID:Fk6Ntz42
誰が第一人者と認定したか知らないが、黒田基樹が言うのなら、
しっかり裏付けを取って検証する必要があるな

あの先生はそそっかしくて、時折間違った結論を出すから
0617人間七七四年2016/06/18(土) 15:42:38.79ID:KWbRmSCq
黒田基樹じゃなくても河越夜戦があったなんて言ってる研究者いるの?
0618人間七七四年2016/06/18(土) 15:55:54.08ID:DPUQJOLE
黒田基樹がそそっかしい?
ネタにしても有り得ない酷さだな。
0619人間七七四年2016/06/18(土) 21:18:14.69ID:AY+f9baT
前にどこかで
複数回あった川越城めぐる戦いを一本の合戦に纏めたのが
今に伝わる河越夜戦だって説みたことあるな
0620人間七七四年2016/06/18(土) 21:26:51.36ID:imYbLHIE
>>619
むしろそれ以外の説を見たことない
0621人間七七四年2016/06/19(日) 12:05:12.14ID:rQ03WGL9
しがみ像論文誌街だねね
0622人間七七四年2016/06/20(月) 02:04:03.00ID:eGKWNr6q
>>609
甲陽軍鑑と日本外史のあてにならなさは異常
日本外史なんかファンタジー小説と考えた方がいいレベル
0623人間七七四年2016/06/20(月) 10:51:37.25ID:vUcV+WIX
ドヤ
0624人間七七四年2016/06/20(月) 12:56:53.17ID:RVr9JYBi
甲陽軍鑑は史料と照らし合わせて使えば充分使えるのにねえ
0625人間七七四年2016/06/20(月) 13:44:17.52ID:vel/XA7r
あくまで確認でしか使えないともいう
所詮後世の講談だからな
0626人間七七四年2016/06/20(月) 21:36:29.16ID:vUcV+WIX
講談
0627人間七七四年2016/06/20(月) 22:26:39.32ID:of1cyuvY
むしろ逆だろ。
甲陽軍鑑は成立時期が古いので風俗などは参考になる。
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならなさすぎたり、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎたりするのが難点だがな。
0628人間七七四年2016/06/21(火) 00:59:23.45ID:Ha4gHIUd
>>627
それってさあ
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならない上、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎるから
風俗くらいしか参考にならないって事だよね
0629人間七七四年2016/06/21(火) 07:50:36.25ID:z2a7ifQ9
再就職用に創作したなんて聞いたことないが誰がそんなこと言ってんだ?
0630人間七七四年2016/06/21(火) 18:43:49.79ID:7uzUbVAv
宇佐美定満と長尾政景の死因について、
史料には単にそれぞれ溺死と書いてあるだけで、
二人が舟遊びをしていたという話は創作、
というのは本当ですか?
0631人間七七四年2016/06/21(火) 19:28:07.55ID:zwPkSwEd
そもそも宇佐美定満の存在自体が…。
0632人間七七四年2016/06/21(火) 21:49:31.97ID:Hm3tom0v
野尻湖と野尻池どっちだったのか
そして琵琶島城の城主とは誰だったのか
果たして謎は解けるのか
0633人間七七四年2016/06/22(水) 12:57:33.57ID:7X6ePydT
当時は不審死を溺死として記録しておく慣例だったという話もあって、
そもそもが本当に溺死だったのかまで疑わしくなってくる
0634人間七七四年2016/06/22(水) 15:48:48.09ID:hYlOtx/W
>>633
不審死を溺死として記録する慣例なんて見た事ないぞ
誰が如何なる根拠で主張している説なのか厳しく問い詰めたい
0635人間七七四年2016/06/23(木) 20:22:46.17ID:OBPvQWOI
坂本龍馬を斬ったのは中岡慎太郎だったとする説
0636人間七七四年2016/06/23(木) 23:28:13.00ID:C4lxSols
中岡を斬ったのは誰になるんだよ
0637人間七七四年2016/06/24(金) 08:50:52.35ID:++mPbdA3
氏政の汁かけ飯の逸話っていつ頃出来たんだろう
0638人間七七四年2016/06/24(金) 09:49:04.24ID:kHtyQ5hO
>氏政の汁かけ飯の逸話
北条厨は必死に創作にしたがってるが、実は創作と断ずるに足る根拠はない
北条家臣の書いた軍記に書かれてるのが致命的
0639人間七七四年2016/06/24(金) 13:32:20.44ID:kB4Ss0HD
坂本龍馬オタのウザさ
板違いとか関係無い
0640人間七七四年2016/06/24(金) 14:58:59.23ID:xRRFA8ia
官兵衛の小田原開城が嘘だったとは
0641人間七七四年2016/06/24(金) 18:31:16.44ID:+yy0pxvi
>>640
そうだよ、今は幸村が定説
0642人間七七四年2016/06/24(金) 18:36:54.60ID:9u2YZm3I
つまらん返しだな
0643人間七七四年2016/06/25(土) 21:34:31.11ID:jpkhQ8Fb
三木城の干殺し本当は城兵皆殺しにしてたみたいだけど
いつから秀吉は人殺しが嫌いだから、出来るだけ
人が死なないように立てた作戦になったんだろう?
仮に城兵殺してなくても、籠城側には飢餓地獄としか
言えない過酷な策なんだが
0644人間七七四年2016/06/25(土) 21:36:28.53ID:3vlpcHIf
味方には死者は出ないだろ?
0645人間七七四年2016/06/25(土) 22:01:57.34ID:ULvjmLI2
秀吉の責任で死ななければOK
城兵が飢死するのは、食料もないのに
城主が意地を張って降伏しないせいだから
0646人間七七四年2016/06/26(日) 00:04:38.38ID:23adfLOo
そりゃ敵味方とも死人が出ない事に越した事はないがそんなことは
夢物語なんだから仕方ないだろ
実際に秀吉は権力者の割には譲歩が大好きな人間だがそれはすべて
戦をしないため
元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ(ただし君主の分別はつけるので
過酷な処分が治世の為に必要と感じたら容赦なくやる)
0647人間七七四年2016/06/26(日) 00:19:36.11ID:OycwONxh
>元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ

太閤記史観
司馬史観
0648人間七七四年2016/06/26(日) 00:41:05.01ID:4zZZm5i+
一応一次史料の身内にあてた書状で「わしゃ人死は嫌い」と言ってるのよね
所業を見るにとてもそうは思えませんけどw
0649人間七七四年2016/06/26(日) 01:03:08.09ID:dbKnwgK5
>>648
というか『わしゃ人殺しがだぁい好きなのよ!』なんてわざわざ書かんだろ、ゴステロかよw
0650人間七七四年2016/06/26(日) 01:13:13.79ID:vqLZoPOQ
>>648
身内じゃなくて敵方に宛てた書状じゃなかったか?
つまり「殺すのが嫌い」っていうのは完全に脅し文句
0651人間七七四年2016/06/26(日) 01:15:42.30ID:iK87Nqzd
見渡す限り死体の山で胸がすかっとした
お前らにも見せてやりたいだぎゃ〜

って書状送ってくる奴はいるけどな
0652人間七七四年2016/06/26(日) 01:18:47.62ID:4zZZm5i+
>>649
そりゃ書かんだろ。だから?
0653人間七七四年2016/06/26(日) 08:05:49.61ID:wAQuAkMU
秀吉が人殺しは嫌いと言ってる書状は少なくとも2つある。

ただしそれが秀次に送った折檻状(豊臣秀吉文書集二 1215)と
小早川隆景に送った脅迫状(毛利家文書三 980、豊臣秀吉文書集一 705)なんだよなぁ
0654人間七七四年2016/06/26(日) 08:51:57.76ID:vqLZoPOQ
結局どっちも脅し文句じゃないですかやだー
0655人間七七四年2016/06/26(日) 10:24:32.09ID:XN/U5mzN
秀次への手紙ってこんな内容でしょ?

わしは人を斬るのが嫌いだが、今のお前のように見苦しい様ならば
一族の恥であるから成敗する。わしのおいとして意識をして働くのであれば
どこの国でも好きな知行をとらせる 
0656人間七七四年2016/06/26(日) 10:41:42.93ID:4zZZm5i+
そうなんだよね
「わしゃ人死は嫌や、じゃけんこれ以上はどうなるか判らんな〜」って
三文小説のやくざの親分のセリフの発祥は秀吉説を唱えてよろしいか
0657人間七七四年2016/06/26(日) 11:24:58.91ID:wAQuAkMU
念の為に書いておくが、隆景宛書状で「人殺しは嫌い」ってのは、無精者への処置の話で隆景への脅し文句には繋がってないです。
書状は柴田勝家を倒した経緯(刎首がたくさん出てくる)を延々と書き連ねた後、部下への知行割り当てなどの話をした後、七月末までは軍勢を休ませようと思ってると宣言したあと、隆景への脅し文句へとつながります。

大意は 「軍勢を休ませ終わったら全軍をそちらに差し向けて境目の話をしましょう。秀吉が腹を立てないようにしてください。」、「東国の氏政や景勝も秀吉に従ってるので、輝元も秀吉に従うようにあなたから勧めてください。」といった感じですな
0658人間七七四年2016/06/26(日) 14:37:03.10ID:aghh09pq
>>638
つまり、創作物である軍記にしか出典が確認できず、
史実と断ずる根拠が皆無ということですね
同内容が載っている一次史料が発見できればいいのだけど
0659人間七七四年2016/06/26(日) 14:49:33.98ID:qBfdF4xq
実際に二度がけしてたとしてその後無事に領国維持したり天下取っちゃったりしてたら
臨機応変に対応できると感心した逸話になってたんだろうか
0660人間七七四年2016/06/26(日) 14:53:23.02ID:6YLN4Sly
詐欺師が犯罪の際、自分は詐欺師ではないと自己紹介した
それをもって公判で彼は詐欺を行なっていないと弁護する主張は
通るものだろうか
0661人間七七四年2016/06/26(日) 16:04:29.58ID:M26kQ9gQ
秀吉は妄想性人格障害だったとか反社会性人格障害だった
とかいう指摘は前々からあったけど、
それらに加えて、
統合失調型人格障害と自己愛性人格障害と演技性人格障害も
併せ持っていたようですね

先にお市の方と柴田勝家が喪主となって信長の葬儀を行なっていたにもかかわらず、
秀吉が信長の葬儀を装う演出過剰な催事を執り行い、
諸大名に自分が信長の後継者であるかのような印象操作をしたことも、
演技性人格障害で説明がつきます
この演技性人格障害は、一般に虚言癖を伴います
秀吉は反社会性人格障害もあるので、好きも嫌いもなく平然と人殺しができるわけですが、
利に因ってこれまた平然と「自分は人殺しが嫌い」と嘘をつけるわけです
0662人間七七四年2016/06/26(日) 19:22:12.85ID:XN/U5mzN
>>661
知ったか乙
0663人間七七四年2016/06/26(日) 19:46:12.34ID:X3dXcdjX
>>658
>一次史料に無いから創作
これを言い出すと逸話や通説の大半は創作にできるんだよなー
0664人間七七四年2016/06/26(日) 19:58:48.74ID:vqLZoPOQ
>>663
実際創作だろ
0665人間七七四年2016/06/26(日) 20:00:02.46ID:jHShHs9g
そもそも氏康氏政親子の食事の席の会話に一次資料が有る訳ないだろw

同席してる息子の食事に書状で文句を言う親とか険悪すぎる
0666人間七七四年2016/06/26(日) 22:18:31.13ID:wAQuAkMU
それを言い出すと親子でいっしょに食事してる時点で異常じゃないか。
0667人間七七四年2016/06/26(日) 22:38:12.11ID:rERcbqJ4
親子で一緒に食事するのが異常とは・・・
0668人間七七四年2016/06/26(日) 22:50:33.15ID:Thiq1iuU
>>666の親御さんの苦労が忍ばれるな
0669人間七七四年2016/06/26(日) 23:03:55.34ID:wAQuAkMU
お前ら庶民感覚丸出しすぎるだろ
氏政、氏康は同じ城内とはいえ、普段住んでる郭も違うってのに
0670人間七七四年2016/06/26(日) 23:07:02.48ID:rERcbqJ4
とはいえ家族なんだから一緒に食事する事くらいあるだろ
0671人間七七四年2016/06/26(日) 23:24:05.84ID:o84TV/8b
あるとしたら何か特別な時だろうから汁かけ飯じゃ無くて豪華なご馳走を食ってる気がする
0672人間七七四年2016/06/26(日) 23:36:08.94ID:Lioe3mpX
そういう席で猫マンマされちゃあ、氏康でなくても文句を言いたくなるわなw
0673人間七七四年2016/06/26(日) 23:57:36.45ID:OycwONxh
お前は創作を信じているのか。本当に馬鹿なのか・
0674人間七七四年2016/06/27(月) 00:25:25.23ID:8oyfJIKO
汁かけ飯を創作と思わせたい北条厨が必死すぎるw
0675人間七七四年2016/06/27(月) 00:34:58.36ID:k3iTjo2/
「森蘭丸所有」とムック本等に載ってる鎧は嘘である、と鎧界隈では有名だね
0676人間七七四年2016/06/27(月) 08:16:48.60ID:bGLTrlug
>>672
ご飯に汁をかけて無駄なく頂くのは
当時の武家の食事の〆の習慣だったらしいぞ
0677人間七七四年2016/06/27(月) 09:58:45.50ID:G5XHVhEg
創作がどうかの前に汁2回かけたからどうこうって全く意味が分からんしなあ
0678人間七七四年2016/06/27(月) 11:10:48.78ID:Knb3qIsy
いや、フツーに毎日のことなんだから一回で必要分量見極めろよという
逸話だから、なんで疑問に思うのかが疑問だが。
0679人間七七四年2016/06/27(月) 11:29:17.10ID:bSUlMPkf
まあでも本当に失望したら廃嫡して氏照擁立するだろうし氏政がどうこうより氏康の人の見極め方の評価なんだろう
0680人間七七四年2016/06/27(月) 11:31:09.58ID:sLy2L7i9
食べてる内に気分が変わることぐらいあるだろ
0681人間七七四年2016/06/27(月) 11:31:53.28ID:bSUlMPkf
>>675
素人でもに本願寺と対立しつた信長の小姓が南無阿弥陀仏の前立かよとは思うけど他にもっともな理由あるの?
0682人間七七四年2016/06/27(月) 13:17:15.99ID:svAlsC2+
南無阿弥陀仏は真宗特化でもないし信長が帰依していたのは
浄土宗の坊さんだから別におかしくはないんだがなあw
真宗だって全てが全て信長と対立していたわけでもないし。
0683人間七七四年2016/06/27(月) 15:28:26.08ID:LiC9AaeN
武田信玄や上杉謙信の影響力とか
京と堺辺り押さえた時点で、信長にとっては消化試合だろ
三国志の曹操や魏みたいな
0684人間七七四年2016/06/27(月) 21:02:16.83ID:Vfs6Ra9a
>>590
氏康傷とかもだいぶ創作くさい逸話だしな
0685人間七七四年2016/06/27(月) 21:22:17.98ID:/4spsmpR
>>679
氏照
当主にしても結局滅亡やん
0686人間七七四年2016/06/27(月) 22:03:52.89ID:ZXIhOU0r
>>681
川越の骨董屋から所有者は手に入れて、由来なんてなく売った物がいつの間にか「森蘭丸所有」なんて本に出てれば店主も驚くさ。そしてそれをみた甲冑会の連中が嘘の来歴は良くないから撤回しろって言ったけど聞く耳もたずってのが事の顛末
0687人間七七四年2016/06/28(火) 15:47:37.88ID:tsliyFnQ
>>674
いや、黒田基樹も「北条氏康の子供たち」の中で
出所を突き止めることすらむずかしい、いい加減な代物って
書いてるぞ
0688人間七七四年2016/06/28(火) 17:50:40.69ID:XvCLpJZC
>氏康傷
現存する北条氏康の肖像画は氏康生前に本人を見て描かれた物なんだけど
傷とか全く描かれていない
0689人間七七四年2016/06/28(火) 17:51:57.24ID:wFtaLX1O
>>681
日本人には一番ポピュラーな教典のお題目だ。
日本人のふりを続けたいなら覚えといてそんは無いぞ
0690人間七七四年2016/06/28(火) 18:41:11.91ID:+as/2dSW
逸話というものはだいたい後世の人が考えた創作。
0691人間七七四年2016/06/28(火) 20:12:49.09ID:wrueRVNK
>>683
曹操の場合は言うほど消化試合じゃねーだろ・・・・・
呉が寝返らなかったら相当ヤバかったぞ
0692人間七七四年2016/06/28(火) 20:49:28.35ID:r0VE/APF
ヤバくはない
三国志の場合は、長江の存在が守る方を圧倒的に有利にするから
攻めあぐねるだけで
0693人間七七四年2016/06/28(火) 21:01:34.28ID:tM1j/jLF
張飛「なるほどなるほど」
劉備「じゃあ呉の調略無しでウチラ撃退してみよっか」
関羽「ヤバくないんだから当然遷都とかしませんよね!」
0694人間七七四年2016/06/29(水) 08:28:25.03ID:QAC2xi8d
漢中争奪は山岳戦
狭隘な僻地の戦いだから大軍が展開できず魏の国力が生かせなかったが
中原に出てくれば殲滅されるのは蜀軍
樊城も洪水が無ければあっさり撃退できただろう
なにしろ国力差は魏が10とすると呉2蜀1くらいだ
蜀呉は大軍の生かせない隘路で健闘するしかない
魏は隘路を上手く抜ければ蜀呉を滅ぼせるが、蜀呉は隘路に拠らねば生きられない
0695人間七七四年2016/06/29(水) 09:16:38.92ID:8YZTbR7/
利休は大谷吉継によって切腹に追い込まれた
0696人間七七四年2016/06/29(水) 09:17:41.57ID:AfaAQ8vx
ほんと?
0697人間七七四年2016/06/29(水) 09:19:47.21ID:WrbLgMJP
うそ
0698人間七七四年2016/06/29(水) 11:53:23.23ID:CSVEGRGu
>>695
吉継と言えば茶会の話、福本日南の本では秀吉と吉継の話だったのにそれを三成に替えたのは誰だろう
尤も吉継の病気がハンセン病か怪しい時点でこの逸話も創作みたいだけど
0699人間七七四年2016/06/29(水) 15:16:59.16ID:JiGLrqup
>>694
× 魏10:呉2:蜀1
○ 魏7:呉2:蜀1

魏が10とすると、ではなく、
漢人主導国領域全体を10とした場合の内わけ
0700人間七七四年2016/06/29(水) 15:20:29.53ID:KGtBOQvF
板違い、スレ違いのネタを引っ張りすぎだろ
0701人間七七四年2016/06/29(水) 16:02:51.47ID:cVxHOJGq
>>698
>吉継の病気がハンセン病か怪しい時点

一次資料には病気のことについて、一切語られていないのかな?
0702人間七七四年2016/06/29(水) 16:29:33.26ID:FqzPSBE/
一次史料で確認できるのは眼病くらい
0703人間七七四年2016/06/29(水) 17:39:28.58ID:Aato95lZ
>>698
マジかよ(´゚ω゚`)
0704人間七七四年2016/06/29(水) 19:44:42.27ID:5SW186M7
>>702
>一次史料で確認できるのは眼病くらい

そうすると病で崩れた顔を隠すために
白布で顔を覆っていたというのも創作なのかな
あるいは光から目を守るために頭か顔に何か被っていたのが
病名とともに変化していったのか
0705人間七七四年2016/06/29(水) 23:55:41.11ID:Gr8f8IAk
>>704
江戸時代の吉継の絵は、最初の方は白布をつけてないという事実から察するべし
0706人間七七四年2016/06/30(木) 08:48:02.91ID:me+rVR4Y
政宗の眼帯とかも同類だろうな
0707人間七七四年2016/06/30(木) 19:52:12.82ID:vojRHde7
>>705
そうするとあの白布で顔を覆ったイメージはいつ頃出来たんだろう
0708人間七七四年2016/07/01(金) 20:28:01.10ID:7FXrbvnO
利休像を作らせたのは淀。
アホ三谷のせいで新たな珍説が。
信じる馬鹿が一定数いるんだろうな
0709人間七七四年2016/07/01(金) 20:34:43.25ID:+Z/oQOdg
関ヶ原の「島津の退き口」、落穂集(1727成立)での創作
0710人間七七四年2016/07/01(金) 22:07:11.55ID:d0pGQVsl
清正の虎退治も清正が生きてるときに退治した記録が無いとかね
0711人間七七四年2016/07/02(土) 03:39:28.31ID:bc2g7IEP
>>710
本人が退治したわけじゃないが
秀吉からの書状で虎狩りを命じたら
をすぐ送ってきた
0712人間七七四年2016/07/02(土) 03:45:09.60ID:bc2g7IEP
途中送信スマヌ
虎をすぐ調達して送ってきた事を
褒められてる秀吉の朱印状なら存在してるな
虎狩り自体は他の大名のとこでもやってるけど
仕事が早くて目立ったんじゃね?
0713人間七七四年2016/07/02(土) 14:07:16.63ID:iFKhlSCe
>>707
>そうするとあの白布で顔を覆ったイメージはいつ頃出来たんだろう

月光仮面とかの影響なら、戦後だったりしてなw
0714人間七七四年2016/07/02(土) 17:17:08.20ID:az8F2rcB
清正が送った虎は、頭蓋骨が残っている
その証拠物件によれば、虎は銃によって射殺されたものと判明している
清正が自ら鎌槍を振るって虎を倒したとする話は、
江戸中期以降の創作であろう
0715人間七七四年2016/07/04(月) 08:36:13.25ID:aanXl8U8
秀秋に自分は裏切り者だとか卑下させるようになったこと
0716人間七七四年2016/07/04(月) 16:56:08.26ID:drssR83a
清正は虎之助だったことも大きい
市松だったら話題になってなかったかもな
0717人間七七四年2016/07/05(火) 22:45:50.87ID:FeomaEEG
>>687
それが本当ならば>>638が偉そうに書いてる
北条家臣の書いた軍記にあるというのはどれ程
信憑性があるのか
0718人間七七四年2016/07/06(水) 00:35:42.26ID:Vc8f5JoY
清正の虎退治は講談だからな 槍で虎退治したのは黒田家臣
0719人間七七四年2016/07/06(水) 02:23:06.78ID:z0AiWLri
黒田基樹は北条マンセー団体の首魁だから
彼の北条擁護は全く信用できない
河越とかも「あの黒田でさえ否定せざるを得ない」捏造合戦て意味だし
0720人間七七四年2016/07/06(水) 06:09:21.84ID:NGYIcJTX
このかまってちゃんずっと居るな
0721人間七七四年2016/07/06(水) 06:23:32.80ID:8bwpcRqT
北条厨ほどネット工作に熱心な輩はちょっと居ない
0722人間七七四年2016/07/06(水) 06:49:26.44ID:5YHPIaTx
>>687は北条信者向けに書かれた本だからなー
なのに「創作」と断定できず「出所を突き止めることが『難しい』という
曖昧な文言で逃げてるあたり、黒田の苦しい胸の内がよく分るw
0723人間七七四年2016/07/06(水) 07:16:38.09ID:2QfhkKKc
出処が難しいと言えば三成と吉継の茶会の出処は本当になんだろう
候補を上げれば司馬、海音寺、山岡、立川文庫、菊池寛あたりが怪しいか
0724人間七七四年2016/07/06(水) 16:11:03.72ID:H2zLft/R
>>717

>>638が知ったかぶりしてるだけだろ
汁かけ飯の話って確か名将言行録にしか書かれてないよな

いずれにせよ「北条家臣が書いたもの」には書かれていない
0725人間七七四年2016/07/06(水) 16:55:20.68ID:fKZVuiO+
>>724
いや、北条五代記か北条記に書かれてたぞ
前に一緒に調べた時に確認した
さすがにどっちかまでは覚えてないが
0726人間七七四年2016/07/07(木) 16:36:29.51ID:Oj+reHmk
どっちだろうと、>>638の主張がさっぱり意味不明
軍記を書いたのが北条家臣だろうが、そうでなかろうが、
史実があった根拠にはならん

たとえば、氏康が幻庵に向けて書簡を残したとする
「倅がいつも食う飯に汁をかけ直した。家の将来が心配だ」といった内容の書簡が
発見されれば、それが証拠となる

軍記では軍記である限り、著者の身の上がどうだろうと、何の証拠にもならんのよ
0727人間七七四年2016/07/07(木) 17:04:27.01ID:4QSOP52g
>>726
近代以降の歴史小説由来じゃないよって言いたいんじゃね?
まあ司馬遼太郎とか山田風太郎起源とよりマシかな的な。
0728人間七七四年2016/07/07(木) 18:06:38.59ID:cLKNAWH/
軍記物にしか書かれてないけど通説になってる出来事もある
0729人間七七四年2016/07/07(木) 18:09:33.60ID:w0Q7Terw
>>728
関ヶ原布陣図
0730人間七七四年2016/07/07(木) 19:57:40.00ID:W+zHs4YE
伊勢宗瑞が子年生まれっていうのも、軍記物が根拠じゃなかったっけ?
0731人間七七四年2016/07/07(木) 20:29:42.98ID:o1Adejuq
真田も創作が多い一族だけど、犬伏の別れの後
沼田に寄った昌幸親子を小松殿が追い返した話は
誰がいつ頃創ったのかな
この頃大名の正室は大坂にいたはずだったんだから
小松殿が沼田にいるのはおかしいし、仮に信幸の妻が
沼田にいたとしたら、それは信綱の娘の方だろうし
0732人間七七四年2016/07/07(木) 21:45:58.70ID:Oj+reHmk
>>731
板坂卜斎、江戸時代初期

>この頃大名の正室は大坂にいたはずだったんだから
根拠なし。側室の場合もあり

黒田基樹が、小松殿は当時大坂にいて、大谷配下の監視にあったという論拠で否定したが、
その論拠が論拠の使い方として間違っていた
大谷配下の監視にあった「真田信之の妻子」が小松殿であった根拠が無い
0733人間七七四年2016/07/07(木) 23:58:20.73ID:1Fy/R65R
>>726
アホだな
主家を過剰なまでに持ち上げる軍記において
わざわざ家臣が主君を貶める逸話を創作する意味が無い
氏康の氏政評だから、やむ得ず載せたと考えるのが妥当だろう

逸話自体の真偽は然程重要ではない
重要なのは北条家臣が「氏政は汁も量れぬ池沼」と信じて疑わなかった事であろう
>>638はそういう意味だな
0734人間七七四年2016/07/08(金) 05:18:59.70ID:QN5bVY2m
逸話の意味する所は否定できないって事か
0735人間七七四年2016/07/08(金) 06:28:06.16ID:9AEAuHc0
汁飯話の意味……氏政はアホ

確かに否定できないw
0736人間七七四年2016/07/08(金) 12:12:46.35ID:J/2q9AKO
>>733
つまり、お前が「家臣が主君を貶める逸話を創作する意味がある」ことを知らなかったというわけだ
武田旧臣が甲陽軍鑑において勝頼を貶める逸話を創作した事例を知っていれば、
そんなヘンな理論で結論を導き出すことはなかったところだが、
一般人としては甲陽軍鑑の立ち位置すら知らない無知が放言しているとは想定外
0737人間七七四年2016/07/08(金) 12:56:02.70ID:5DqSZAQS
自演荒らしつまんね
0738人間七七四年2016/07/08(金) 13:01:35.10ID:VFh6S7LG
>>736
甲陽軍鑑は全体的に「悪いのは跡部長坂ら君側の奸」という論調で勝頼を擁護してるんだけど
勝頼自身を貶める創作逸話のなんてないぞ
0739人間七七四年2016/07/08(金) 18:39:04.01ID:H5btW5Ab
>>581
江戸時代から存在する俚謡
横山光輝や、近代以降の作家による創作ではない
ただし、その謡の内容はこじつけな上、かなり不正確と考えられる
歌詞の展開は、いかにも勇猛そうな異名を持つ武辺者を三名並べたもの
服部正成と渡辺守綱は共に天文11年(1542年)生まれで、昇進のペースも対比できる
しかし渥美源吾のモデルであろう渥美源五郎勝吉は弘治3年(1557年)生まれで、一世代後になる
鬼半蔵と槍半蔵を並べることを目的とした詞に、語調合わせのため無理矢理渥美を加えたのだろう
0740人間七七四年2016/07/08(金) 18:40:55.52ID:H5btW5Ab
遠江出身の渥美勝吉は、元々は遠州小笠原氏に属していた
天正2年(1574年)の武田勝頼による高天神城攻めで、小笠原家は降伏開城した
その際勝頼は、武田家の誘降を受け入れる者は優遇するし、徳川方に帰ることも許すと約束している
高天神城に詰めていた将兵は、誘降を受ける者と徳川方に帰る者とが半々に別れた
徳川方に帰った将兵は、そのほとんどが大須賀康高麾下に再編された
勝吉もそのほとんどに含まれ、大須賀麾下で働くことになる
大須賀隊は、高天神城を拠点に行動を起こす武田軍に対応する最前線部隊であり、
勝吉は7年にわたる小競り合いから天正9年(1581年)の本格的な高天神城奪回作戦まで勇名を挙げ、
「首取源五郎」の異名がつけられている

大須賀康高は天正17年(1589年)に死去し、
康高の娘の子である榊原忠政が大須賀忠政となって大須賀家を継承した
関ヶ原合戦時、大須賀忠政隊は徳川本隊の後ろを守り、後方の毛利秀元隊の動きを警戒していた
そして勝吉は毛利隊の動向を探りに行ったのだろう。その際に間宮信繁と同行したのかは不明
後年、語り継がれるうちに、
後方偵察の事績が何故か前方偵察の事績へと変容し、異名も「首取源五郎」から「首斬り源吾」と変容
さらに一大決戦直前に敵情偵察を行なったという印象が一人歩きし、
武士から忍者へと人物像が変容していったと考えられる
0741人間七七四年2016/07/08(金) 18:41:57.12ID:H5btW5Ab
勝吉は慶長10年(1605年)には新田の目録を作成し、大須賀家に提出している
武辺だけの男ではなく、それなりに政務もこなせたようだ
慶長12年(1607年)には大須賀忠政が死去。その幼い子である忠次が大須賀家を継承した
勝吉らベテラン家臣が大須賀家の政務を切り盛りしていたのだろうが、そうこうするうち、
慶長20年(1615年)、大坂の陣で大出血した榊原康勝が死去してしまう
忠次の他には存命の榊原康政の子孫男児が無く、忠次が榊原家を継承することになる
そのため大須賀家は断絶、家臣団は解散することになった
ある者は榊原家臣へと転身し、ある者は徳川宗家直臣旗本になった
しかし最も多かったのは、家康十男・徳川頼宣家臣への編入である
家康の手元で育った頼宣は、家康が倒れた後は自ら領地運営を執ることになり、人材を欲していた
小笠原麾下で高天神城にて戦い、大須賀麾下に移籍した古参は、大方は頼宣家臣となった
勝吉もその大方に含まれ、頼宣に仕えることになった
元和5年(1619年)、頼宣は紀州和歌山へと転封する
その際、渥美勝吉も同行し、和歌山に着任している
0742人間七七四年2016/07/09(土) 13:11:05.25ID:8EpDDbf5
>>738
勝頼なんて武田家の正式な後継者じゃなく、
信勝が成人するまでの繋ぎに過ぎないくせに出しゃばりやがって
という甲陽軍鑑のスタンスが、勝頼を貶める意図じゃないと?
0743人間七七四年2016/07/09(土) 13:22:18.52ID:xvuIW72w
>>739-741
服部、渡辺と比べると地味なような…でもこの二人も実像は同じようなものかな。
0744人間七七四年2016/07/09(土) 14:10:57.40ID:9vN3l7m4
>>742
陣代を「繋ぎに過ぎないくせに出しゃばりやがってという甲陽軍鑑のスタンス」
と読むのはお前の悪意に満ちた妄想にすぎん
軍鑑をどう呼んでも勝頼が出しゃばったから武田が滅んだとか読めない
むしろ跡部長坂ら君側の奸が出しゃばったから武田が滅んだというのが甲陽軍鑑のスタンス
陣代にすぎぬ勝頼に彼らを退けられぬのも仕方が無いという擁護にすらなる
0745名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 09:31:41.56ID:S1L9mBbu
陣代だよねってのは貶めてないの?
0746名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 09:49:50.98ID:yAt7ys7B
出戻りで本当に陣代の可能性もあるからなんとも
0747名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 10:37:53.81ID:TyqYzazW
勝頼の幼い実子が家督を継ぐんだから実質は当主同然
甲斐国内の不満を収める為の形だけの陣代とか信玄がやりそうな事
0748名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 11:28:55.06ID:5btHCnYA
>>743
「大須賀七将」の筆頭なのだろうけど、
他のメンバーがよく判らん程度の知名度
強いて挙げれば、弓の名手と伝わる小笠原与三右衛門清有くらいか
この人物も高天神城降伏時に徳川方に残ることを選択して
遠州小笠原宗家と決別し、最終的には頼宣に仕えた

本来なら陪臣としての知名度は
奥平麾下の鳥居強右衛門勝商以上にあっても良さそうなのだけど…
大須賀家が断絶する時期が早すぎたため、
先祖の部隊の活躍を語り継ぐという文化から脱落したのではないかと思われる
0749名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 13:37:24.16ID:u0aEeX8/
>>748
お家断絶しなけりゃ子孫がいつか「盛って」(いいかどうかは置いといて)
くれたりするしなぁ、やっぱり家を残すのって大事だわ。
0750名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 14:01:09.59ID:yAt7ys7B
大須賀康高は四天王クラスまで出世してたんじゃないか説がある割に超地味だしな
0751名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 14:14:35.71ID:3NgMLZh2
子孫がいないと先祖の功績を宣伝するひとがいないからね
榊原は、生家を継ぐために息子が大須賀から戻ってきたから有名になれた気がする
0752名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 14:19:41.53ID:5btHCnYA
四天王クラスていうか、遠州小笠原家没落後は、
酒井忠次や石川数正と同格の扱い
0753人間七七四年2016/07/10(日) 20:40:00.28ID:1gzQiL7t
前田家なんかも蒲生氏郷を使って家康はケチだから次の天下人は利家だなんて逸話創っているしな。ケチなのは利家もあまり大差無いのに
まあ氏郷の家康嫌いに関しては司馬が助長したのもあるだろうけど
0754人間七七四年2016/07/10(日) 20:48:03.00ID:SkErALU9
徳川武将の武芸の談話と言えば宮城谷昌光の新三河物語に
高天神城を攻めた際、内藤甚一正成が一矢で二人を倒したので
城兵が恐怖したって逸話があるが、何が出典なんだろう?
それとも宮城谷の完全な創作なのかな
0755人間七七四年2016/07/10(日) 22:10:14.09ID:5btHCnYA
>>754
寛政重修諸家譜だったような気がする
少なくとも現代作家の創作じゃないよ
0756人間七七四年2016/07/10(日) 22:29:20.06ID:WoaxVO/c
あったあった。このページの右最下段だ
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082718/127
0757人間七七四年2016/07/11(月) 08:48:59.72ID:8O+q0KhT
>>753
大名同士の不仲説とか、講談本が元ネタなのが結構あるんじゃないかなぁ
0758人間七七四年2016/07/11(月) 12:34:25.80ID:ZJVyHzD0
戦国時代の忍者名鑑みたいなブログにリストアップされてしまう渥美源吾(源五郎)
首切り(首取)なんて異名は、可児才蔵タイプの武辺者だったことを証明する一方、
忍者の職務ではないから忍者ではなかったことを裏付ける
そしていかにも忍者ならではという逸話が他にあるわけでもない
なのに忍者扱いで放置され続けたという、そんな知名度
0759人間七七四年2016/07/12(火) 23:50:54.32ID:0UMdQFlL
>>754
一矢で二人殺すとか、一体何人張りくらいの強弓使っていたんだよって話だな
0760人間七七四年2016/07/13(水) 21:32:55.82ID:KmIgXpPI
氏郷の政宗との不仲説はともかく
家康との不仲説はあんまり信用できないな
0761人間七七四年2016/07/15(金) 09:27:10.94ID:6UM8xRa2
家康アンチは家康は誰からも嫌われ
謀略であらゆる大名を貶めた事にするからな
0762人間七七四年2016/07/15(金) 15:09:10.28ID:MaLg0lel
間違いない!本当にそれね
https://www.youtube.com/watch?v=BcasInDgm-I
0763人間七七四年2016/07/16(土) 07:40:13.82ID:SVpJ0Ya7
秀吉とか三成にも結構暗殺犯人の俗説あると思うんだけどね
0764人間七七四年2016/07/16(土) 11:53:43.05ID:1npZeSg5
>>763
本能寺の変黒幕説を除くと
秀吉は誰の暗殺犯扱いなんだ…?
0765人間七七四年2016/07/16(土) 13:31:45.88ID:woQdE5KQ
小説とかだと蒲生氏郷、豊臣秀保あたりか
0766人間七七四年2016/07/16(土) 13:43:08.69ID:SVpJ0Ya7
島津四兄弟の方の家久にも暗殺説なかったっけ
0767人間七七四年2016/07/16(土) 15:04:19.69ID:oiTeVsKP
信雄家臣を操って、信雄家中に幽閉中の信孝を死に追い込んだとか
0768人間七七四年2016/07/16(土) 15:17:25.99ID:K674F4SB
小者をわざわざ回りくどく殺す意味が分からない
0769人間七七四年2016/07/16(土) 15:51:05.42ID:jGSUM64x
吉川親子とか島津とか?でも秀吉がわざわざ暗殺するとは思えないわ
家康が東北の武将暗殺するようなもの
0770人間七七四年2016/07/16(土) 17:20:08.15ID:Hb/VgSIH
島津家久については公式には病死で、
死ぬほどの病気かは分からないが実際に病気してたという当時の一次史料もある
暗殺だとしても秀吉は「俺のために働きたいとか言っててかわいい奴だから所領与えようと思う」と
義久に通知してて暗殺する理由がまず無い
逆に義久は「家久が勝手なことしてる。これはお家存亡の危機。困った」と家臣に嘆いていて訳で
死因は順当に病死。もし仮に暗殺だとしたら独立されては困る義久によるものとなる
0771人間七七四年2016/07/16(土) 18:33:32.07ID:sC9HcI49
暗殺話って殆んどが軍記軍談物とかがソースだけど、その内容もあまりにも珍妙な話で信じようがない
0772人間七七四年2016/07/16(土) 19:00:02.11ID:hnTSuAaT
暗殺じゃないにしても、病気なのに無理矢理遠征に参加させられて
案の定現地で没した吉川元春は秀吉に殺されたも同然

しかも都合よく直後にその嫡男も死んで毛利家中から反秀吉派は一掃された。。。
0773人間七七四年2016/07/16(土) 19:22:02.96ID:yv6kakMb
吉川元春が反秀吉ってのも創作だからな。
0774人間七七四年2016/07/16(土) 20:10:52.70ID:9GRNj/lZ
家康が池田輝政、浅野幸長、加藤清正を暗殺したのも創作だから
信長の高野聖千人斬り、秀吉が朝鮮虎の塩漬け肉で精を付けたって話も創作だよ。
0775人間七七四年2016/07/16(土) 20:25:38.89ID:jGSUM64x
そもそも暗殺って戦力の小さい方が大きい方にやるもんじゃないのん?
まともにやっても勝てないからっていう…天下人が暗殺する必要あるぅー?
0776人間七七四年2016/07/17(日) 00:11:47.01ID:KGfJ93oI
>>770
豊臣と島津の2択しかないってことはなかろうさ
動機的には大友家臣の佐伯惟定とかその客将の山田匡徳とかが結構怪しい
0777人間七七四年2016/07/17(日) 13:18:42.87ID:8c2C9psG
>>774
そのまま読むと文脈に全く繋がりがなくて如何にも書き手の頭が悪そう
同一の軍記講談が出典なのかな?
0778人間七七四年2016/07/17(日) 13:41:16.08ID:ZNFnaCOz
スルーできないのも同類
0779人間七七四年2016/07/17(日) 14:12:31.14ID:Y3ulu4C7
>>775
効率よかったらやるよ
古今東西
0780人間七七四年2016/07/17(日) 18:45:32.44ID:8Onnz1g3
秀吉くらいの権力だと普通に切腹を申し付けた方が効率いいけどな
0781人間七七四年2016/07/17(日) 23:27:30.89ID:tKVp0nuQ
申し付けるには相応の根拠が確固たらんと人心はやがて離れるもの
0782人間七七四年2016/07/18(月) 06:03:10.55ID:wKTCWIu9
秀次とか利休とか結局、何で切腹を命じられたのかよく分からないやん
徳川にしても信康や忠長の切腹や、秀頼を攻め滅ぼした理由は曖昧
主筋や嫡子、一門ですら強引に死を命じられているのに臣下ごときをコソコソと暗殺するとは思えない
0783人間七七四年2016/07/18(月) 19:56:38.36ID:UzcRrj8j
暗殺説なんて一種の判官贔屓みたいなものだろう
伊達家みたいに弟殺しの責任を母親に擦り付ける家もあるけど
0784人間七七四年2016/07/18(月) 21:08:13.19ID:PbqKYFUG
暗殺説とは逆に、本当は生きてるんだって俗説がある武将って
真田信繁や豊臣秀頼、島清興以外でどんなのがいたっけ?
0785人間七七四年2016/07/18(月) 21:20:18.54ID:d/6vVi+m
細川興秋、原田信種、和仁人鬼、田原親虎
マイナーな武将だと結構いる
0786人間七七四年2016/07/19(火) 22:01:46.46ID:giN6eur7
>>785
それは真田信繁や源義経、西郷隆盛みたいに本当は死んだけど
生きてて欲しいという民衆の願望が創作した生存話じゃなくて
単純に生死が不明確だってだけの連中じゃないのか
0787人間七七四年2016/07/20(水) 00:41:43.04ID:95v0jcUG
>>786
細川興秋
大坂に豊臣方についたため父の命で切腹したとされるが
天草に逃がされ生き延びたという説がある
原田信種
清正の家臣となって朝鮮で戦死したとも朝鮮に降って沙也可になったとも
帰国してたとも言われる
和人人鬼
肥後一揆の田中城攻めでただ一人逃げ延びたとも自害したとも言われる
田原親虎
耳川合戦で戦死したとも、田原家を廃嫡された後は四国で暮らしてたとも言われる

まあ、生存説と死亡説がある歴史から消えた連中だな
0788人間七七四年2016/07/20(水) 13:37:31.57ID:xaysYt+m
本当は生きていたという俗説がある武将の代表格

明智光秀
0789人間七七四年2016/07/20(水) 14:07:27.83ID:nMsEvtnS
本当は死んでた 家康
0790人間七七四年2016/07/20(水) 17:50:21.34ID:H4Rhq3pO
やっぱり代表は本能寺の変かな
まさか40年以上経って書かれた太閤記や100年位の明智軍記の作者も事実化してビックリだろ
0791人間七七四年2016/07/20(水) 21:08:08.69ID:CPIXlbOq
>>788
光秀=天海説って初出はいつ頃で、
誰が言い出したのかな?
0792人間七七四年2016/07/20(水) 21:13:33.23ID:KMnZ5jp6
>>791
八切止夫
0793人間七七四年2016/07/20(水) 21:50:50.20ID:xAVyB+Rw
>>791
須藤南翠とか言う明治の作家じゃなかったかな
0794人間七七四年2016/07/21(木) 22:40:22.17ID:5rrgbdl8
八切はトンデモ説作家で有名だけど
須藤南翠ってどんな作家?
0795人間七七四年2016/07/21(木) 23:25:30.14ID:59Yv3wsl
wikipedia情報だと、その須藤南翠(光暉)は
天海は蘆名家臣船木景光の息子って結論付けてるみたいなんだよね

『大僧正天海』を読まないと分かんないけど、須藤は「或説云」で紹介しただけで
光秀=天海説はもっと遡れるんじゃないかとも思う
0796人間七七四年2016/07/22(金) 17:53:08.79ID:TtjH/5ZZ
遡るとは逆になるけど、天海に興味あるなら 金天海 調べてみるのもオススメ
でまだ余力あるなら 金光秀 文光秀 も見てみると、知識に更なるひろがりが
0797人間七七四年2016/07/22(金) 22:04:56.87ID:1eVj6Y3j
南光坊天海や以心崇伝、安国寺恵瓊や快川紹喜、虎哉宗乙、沢庵宗彭など
政僧には創作と思われる俗説を持った人物が多いよな
0798人間七七四年2016/07/23(土) 10:18:23.46ID:Kxzy6UFi
寺は曰く付きの人間の受け皿である側面もあったから、坊主の出自は曖昧だし創作しやすいからな
0799人間七七四年2016/07/23(土) 20:55:59.68ID:OKpPnY7R
>>795
色々検索してたら「閾ペディアことのは」というHPがあって
その中に大僧正天海考異という頁があったんだけど
それを見ると須藤は最近の一部の考証家の説として
紹介しているみたいなんだよね、天海=光秀説、しかも虚妄説として
それを考えると須藤と同時代くらいの考証家が唱えた説って事になると思う
0800人間七七四年2016/07/23(土) 22:39:21.68ID:DRn+Ng+M
>>774
何で読んだかは忘れたけど輝政は暗殺が直接死因ではないものの
最初倒れた(1609年)のは実は暗殺未遂みたいなものでそれが
遠因なんじゃないかという話があった。
(因みに嫁の督も暗殺じゃないかとも)
ちょいと調べたら最初倒れた時とちょうど同じ頃大久保長安も
原因不明で体調を崩していて輝政が死んだ三か月後に長安も死んでる、
おもしろいことに当代記でも輝政の死について大久保長安絡めてる。
大久保長安事件の時も輝政は首謀者扱いくらっているからまあ
そういうことかなと思う部分もあり
0801人間七七四年2016/07/26(火) 09:19:59.99ID:yigwodJa
輝政って秀次の義兄だったり、家康の婿だったり
羽柴姓貰ったりと、何かと権力者から目を掛けられてるよな
0802人間七七四年2016/07/27(水) 20:51:36.61ID:Btx1n2JW
池田と言えば小牧長久手の戦いでの三河への奇襲作戦、
恒興の献策が通説だと思うけど、本当は秀吉からの提案だったって
小説何作か読んだ事があるけど、何を元ネタにしたんだろう
まあ忍城の水攻めも三成の発案ではなく秀吉の命令だった事を
考えると可能性は零ではないかもしれないが
0803人間七七四年2016/07/27(水) 23:04:20.82ID:NexH8/7T
>>802
丹羽長秀宛秀吉書状の内容が、自身の提案と伺わせる内容だったため
0804人間七七四年2016/07/28(木) 06:22:31.55ID:OaEnixDb
>>800
忘れられていることが多いけど長安と輝政は信長死後の
かなり早い段階から義理の叔父甥という身内関係だからな。
加えて家康と仲が良かった教如とは甥の下間が出奔してきてから
完全に敵対関係で領内で教如派を弾圧してもいる。
長安事件も池田と長安の力や権威を削ぐのが主目的だったのではとする
向きが出始めているらしくて督の暗殺疑惑もその一環らしい。

ツイッターで池田好きがつぶやいていたけど池田って繁栄したという
いい部分の影ではかなり幕府にやられていたりするみたいだぞ
0805人間七七四年2016/07/28(木) 07:14:08.95ID:+JUHdFEU
大久保長安事件はまだまだ研究不足で研究者やトンデモ作家が好き勝手にモノを言ってる状態。
0806人間七七四年2016/07/28(木) 17:29:34.01ID:OaEnixDb
>>805
んなこと承知の上で書いたんだが。
0807人間七七四年2016/07/28(木) 18:23:01.99ID:Jl+H/rZ4
長安は兎も角、子が殺されたのは親の不正経理を調査しろと言われて、
長男が奈良奉行を務めた経験があるのに、非才なので無理と答えて、
家康を激怒させたのが原因な訳で
0808人間七七四年2016/07/28(木) 18:43:47.58ID:OaEnixDb
それも確定なわけじゃないし子供全員が処刑された
理由にはならんだろ
その長男だって長安に代わっていろいろとやっていたから
それだけで非才というのは詭弁と思われ
0809人間七七四年2016/07/28(木) 19:38:56.81ID:Jl+H/rZ4
>>808
違う、非才では無いのに非才と偽って親の不正経理の調査を断ったことが、
家康の逆鱗に触れた
0810人間七七四年2016/07/29(金) 00:41:31.79ID:L3EMLRFp
なんかよくわからないがそれだけの理由で秀次事件並みの
処罰を行うとはとても思えないなあ
家康の逆鱗に触れたからというのも確定しているわけではないんだろう?

>>804
輝政の末弟長政も暗殺疑惑あるよな
かなりやられているというと利隆、忠雄、輝澄、輝興、光政あたりかな
結構キナ臭い感じ
督は自分もちょっと疑っていたりするw
まるで人目に触れさせたくないような動きがあるしな。
0811人間七七四年2016/07/29(金) 05:33:25.68ID:bVSNIJC9
自演うざ
0812人間七七四年2016/07/29(金) 14:04:33.74ID:L3EMLRFp
810だけどもしかして俺のことか?>>811
もしそうだったら全くの別人だよ
勝手に自演認定しないでくれ
0813人間七七四年2016/07/29(金) 14:08:18.75ID:FHMGljol
子供七人切腹ってのが凄いね、不正蓄財だけでここまでするのか
どうかわからんけど、反乱企んでたって説が出るのもうなずける。
0814人間七七四年2016/07/29(金) 16:26:54.73ID:Ue24aPu0
子も親と同様に各地の巡回で好き勝手に金を使っていたし
それに代官に厳しいのは徳川家の基本政策
0815人間七七四年2016/07/29(金) 23:21:53.44ID:b4Ly/qh4
謀反を企んだと言われている大賀弥四郎(実際は大岡弥四郎と言って
軽輩では無く身分はそれなりだったらしく、平山あたりはこの事件を
信康切腹事件の遠因の一つに挙げてるが)は鋸引きの刑にされたしな
0816人間七七四年2016/07/30(土) 07:19:00.87ID:gUX9F1+B
徳利と代官はどちらも最後は首を括ると言われた程だし
0817人間七七四年2016/07/30(土) 07:21:39.96ID:J5rAJIi+
>>815
大賀なんて大久保よりさらに
わからない事しかないから
0818人間七七四年2016/07/30(土) 08:24:50.25ID:/Woakk+d
信康の切腹が信長の指示だったという俗説は否定されたけど、事件そのもの真相については未だ不明だしな
0819人間七七四年2016/07/30(土) 17:15:35.27ID:RqIbo0mF
>>814
それも実際のところは真偽不明だったり
仮にそうでもその金は長安んちの金だから幕府も
文句は言えなかったり
そもそも長安と幕府の分け分率6:4だから長安んちが
金をたくさん持っていたとしても当たり前だったり
0820人間七七四年2016/07/30(土) 17:57:45.43ID:IzY9aU/h
不正がなくても長安が死んだら口実作って没収は規定路線だっただろうな
0821人間七七四年2016/07/30(土) 18:31:20.40ID:gUX9F1+B
>>819
そんな配分は根拠不明なのだが
0822人間七七四年2016/07/31(日) 09:31:49.76ID:9RvVlEGb
>>813
妻妾皆殺しや落首があったと言うだけで
そこの住民皆殺しよりは罪科がはっきりしてる分
まだマシだろう
0823人間七七四年2016/07/31(日) 09:54:15.55ID:c7V95fFi
>>821
記憶違いでなければ配分は確か帳簿などからの
算出に基づいたものだったと思われ。
0824人間七七四年2016/07/31(日) 12:37:13.15ID:rL4iTk17
>>822
妻妾だけじゃないぞ。侍女や子供らの乳母までザックリだ。
0825人間七七四年2016/08/01(月) 01:26:02.03ID:oZx2uBXN
それも明確ではないんだけどなw
0826人間七七四年2016/08/01(月) 01:39:27.58ID:fn9e/2zb
創作ってわけじゃないけど、関ヶ原での島津の逃亡劇
なんで武勇伝になってるのか意味分からん
日和ってたら戦が終わってしまって、ドサクサにまぎれてトンズラしたってのが実態なのに
0827人間七七四年2016/08/01(月) 10:47:04.46ID:KtHa9IK7
島津の敗走を武勇伝に仕立て上げている小説ってどれのこと?
0828人間七七四年2016/08/01(月) 17:00:39.13ID:GjtY8jX8
小説?
0829人間七七四年2016/08/01(月) 20:36:24.06ID:pkqaQdpe
あほに絡まれるとどうにもならんな
井伊直政が銃創を負ってるんだよ
0830人間七七四年2016/08/01(月) 21:45:34.61ID:Hp5rHOtq
>>井伊直政や松平忠吉が被弾

それ何にかかれてるかしらんが、明らかにデタラメ
井伊年譜とかには全くこのときの負傷記録もないし二人ともそもそも関が原直後から戦後処理で東奔西走してる

9/22毛利輝元、徳川氏との和成り、其本領を安堵せしめられしを喜び、井伊直政・本多忠勝及び福島正則・黒田長政に誓書を致し、大坂城西丸を去らんことを告げる
9/23徳川家康の老臣井伊直政、紀伊高野山に在る前近江大津城主京極高次を招く、尋で、家康、高次の弟同高知・山岡道阿彌を遣し、大坂に來らせる
9/25是より先、肥前佐賀の鍋島勝茂、井伊直政・本多正信・相國寺圓光寺の元佶(閑室)等に頼りて、罪を徳川家康に謝す、家康、筑後柳河の立花親成(宗茂)を攻めて、之を償はしむ、是日、勝茂、家康・秀忠父子に謁し、尋で、龍造寺高房を留め兵を率ヰて歸國す、
10/12土佐浦戸の長宗我部盛親、徳川家康の老臣井伊直政の勸に依り、大坂に至る、尋で、家康、盛親の封を收む
10/17井伊直政、徳川家康の命を受け、鈴木重好等をして、土佐浦戸の長宗我部盛親の諸城を收めしむ、尋で、土佐を與へられし遠江掛川の山内一豐、其弟康豐をして、入國せしむ、
11/13徳川家康の老臣井伊直政、重ねて、島津維新(義弘)・同忠恆をして、速に、家康に其罪を謝せしむ
12/13徳川家康の老臣井伊直政・山口直友、重ねて、島津龍伯(義久)・同忠恆の上京を求む、
12/23是より先、黒田長政、其封筑前に入る、是日、島津維新(義弘)に、徳川家康の老臣井伊直政に頼り、罪を家康に謝せんことを勸む、

翌年も引き続き政務こなしまくってる
井伊なんか死んだの2年後なのになんでこのときの傷が死亡原因にされてんだよ
0831人間七七四年2016/08/01(月) 21:53:56.65ID:pl87Djm0
銃の鉛や銃創による破傷風が死因なら
関ヶ原での傷が原因は無理があるな
豊臣、西軍、島津信者にしてみれば
直政の死因は関ヶ原の負傷の所為で
なければならないんだろうけど
0832人間七七四年2016/08/01(月) 21:55:00.38ID:pkqaQdpe
家譜は祖先を飾るもの
そのまま読めるかよ
で、直政の死因はなに?
0833人間七七四年2016/08/01(月) 21:58:51.08ID:XPGMOTjt
実際は兵を捨て駒にした潰走だよね
これを武功にすり替えちゃうんだからしょうもない
0834人間七七四年2016/08/01(月) 22:12:39.18ID:OyXVeT/s
関ヶ原でステガマリ?
それも怪しいんじゃない
家康の本陣に迫ったとか
0835人間七七四年2016/08/01(月) 22:27:12.35ID:bJJ/HYDj
桐野作人氏が島津の退き口で本一冊書いている
島津は予備兵扱いであり石田が無礼だったので参戦しなかったのも当然とか苦しい言い訳しているが
まあ鹿児島の人だからしゃーないよね
0836人間七七四年2016/08/01(月) 22:39:37.60ID:U96mTt5Q
>>834
捨て奸したけど勇猛な関東兵には通用せず豊久隊が全滅してしまったというだけで
別に命を捨てて主君を守る行動じゃないのよね。ただの戦法しかも通用しなかった戦法つうだけ
0837人間七七四年2016/08/01(月) 22:41:10.35ID:U96mTt5Q
>>835
桐野作人はまじめに資料拾うから持ち上げが持ち上げじゃなくなってるのよねその本w
0838人間七七四年2016/08/01(月) 22:42:22.84ID:fG328ufz
慶長5年9月28日付の井伊直政の如水宛の黒印状の最後の追記に
「少しく相煩い申し候間判形致さず候」
とあるから銃創でないにしても花押が書けないくらいの軽い怪我はあったんじゃないかなと思ってる
0839人間七七四年2016/08/01(月) 22:44:16.25ID:8WDscTbR
>>836
捨てがまりしたのなら命を捨てて主君を守る行動をしたってことだろ
釣り野伏せと間違ってないか?
0840人間七七四年2016/08/01(月) 22:52:57.48ID:oSVgf5DW
手傷を負わせた程度では武勇伝と見るのは難しいかもね
井伊直政が戦場で怪我するのは珍しくないみたいだし
直政が勇敢であったという見方もできるから
0841人間七七四年2016/08/01(月) 22:56:07.87ID:f6u1885g
>>838
煩いなんだから病気と見るべきなんじゃないの?
0842人間七七四年2016/08/01(月) 22:57:07.32ID:GjtY8jX8
自演失敗やら菅沼やら
0843人間七七四年2016/08/01(月) 23:03:14.73ID:U96mTt5Q
>>839
違う
0844人間七七四年2016/08/01(月) 23:05:19.42ID:U96mTt5Q
>>838
腕の当たったてのは家譜にあるんでしょ。死因にするのはもちろん厳しいが
0845人間七七四年2016/08/01(月) 23:18:37.01ID:mV0k2JvZ
>>842
で、自演失敗やら菅沼やら言うだけでまともな反論出来ない馬鹿の君はどうなのかね
0846人間七七四年2016/08/01(月) 23:21:57.64ID:fG328ufz
>>841
どうなんだろ
普通に文面通り読めば病気と解釈するのが妥当だけど、関ヶ原直後政務をこなしてる直政が怪我じゃなく病気で花押が書けない事ってあるかなと思い相煩いを怪我と解釈してるんだが俺の間違いかもしれん
0847人間七七四年2016/08/02(火) 00:08:12.87ID:h26/kgwY
細川忠利の事例だけど「本来なら自筆にすべき所ですが病のために腕が動かず代筆させてます」みたいな文面が頻出してる
0848人間七七四年2016/08/02(火) 00:14:15.31ID:Gm4k6SZh
島津の退き口は単なる危うく死にかけた大敗って結論でいいよ
0849人間七七四年2016/08/02(火) 01:42:50.80ID:6EUTdxiH
島津の退き口ふくめ関ヶ原の数々のエピソードのネタ元って、
明治26年に帝国陸軍参謀本部が編纂した「関ヶ原の役」なんだよ
これを編纂した軍人たちがどこで拾ってきたのか知らないけど、島津はたんに逃げたのではなく家康の本陣めがけて突撃して敵中を突破した、
としたのでそれが通説になっちゃった
たぶんそれ以前(明治26年以前)はそんな通説は無かったものと思われる
0850人間七七四年2016/08/02(火) 06:52:40.70ID:gwJWZ3Fi
病と称するのは花押を書くのが面倒な時の言い訳でもあるからな
当時の直政は多忙を極めてただろうから、その期間の書状全体を点検しないとなんとも言えない
0851人間七七四年2016/08/02(火) 07:08:27.00ID:Gm4k6SZh
義弘が勝ったとされる木崎原の戦いも兵士数とかめっちゃ胡散臭いよな
0852人間七七四年2016/08/02(火) 08:00:32.89ID:8NBW+fye
>>849
薩長閥の人が色々と持ち込んでああなったと思っている
0853人間七七四年2016/08/02(火) 08:02:09.04ID:gb2Kn7Uh
直政の死因が明確でないことのほうが関心があるな
武功だけでなく政治手腕もあった家臣がいなくなれば、家康も相当な打撃だろ
他言できないような変な病気か、家臣に殺されたか
0854人間七七四年2016/08/02(火) 08:19:48.33ID:BAxUoWhD
過労死じゃね
0855人間七七四年2016/08/02(火) 12:23:06.32ID:wb9yP7fA
>>854
俺も過労死だと思うわ
戦後処理が多忙すぎた
0856人間七七四年2016/08/03(水) 09:27:59.47ID:WKBYcWM+
破傷風や鉄砲の鉛毒で傷を負って二年後死亡は無理があるよな
胃癌で死んだ家康の死因が鯛の天ぷらの食あたり(それこそ
食べてから死ぬまで三ヶ月近くたっている)なんて俗説が
長い事まかり通ってた事考えると俗説の影響力って強いよな
0857人間七七四年2016/08/03(水) 14:28:37.52ID:q22ObE63
一人残らず戦死してもおかしくなかった島津隊が、
5%も生還したのは自慢したくなるのも無理はないのでは
遅れて帰って来たのも含めれば20%近くは生きてたみたいだし

8割以上死んだのなら、壊滅もいいとこだけど
0858人間七七四年2016/08/03(水) 14:53:28.59ID:K6RwFR34
えらい低いハードルの武勇にしてきたな
0859人間七七四年2016/08/03(水) 15:04:32.21ID:G2KrLLSS
武勇伝でも武功でも何でもないよな
単なる潰走でしかない
0860人間七七四年2016/08/03(水) 15:35:41.42ID:3jfZ35Ws
義弘が運良く助かっただけで、軍としては壊滅しているよね
0861人間七七四年2016/08/03(水) 19:07:14.15ID:q22ObE63
島津の敗走を武勇伝として扱っている作品に心当たりがないから困惑してる
サバイバル映画を相手に、主人公は災害の解決になんの貢献もしてない凡人、
といった的外れなイチャモンを付けてるような事態、なんてことになってないの?
0862人間七七四年2016/08/03(水) 21:47:41.51ID:y7Ulv6yT
敗走を「的中突破」などと武勇伝にしてるわな
また、島津義弘がせっかく夜襲を献策したのに石田三成が退けたために西軍は勝機を逃したとか、
この一件で義弘は三成に不信感を持ち、本戦で陣を動かなかったのだ、などと島津のヘタレぶりを正当化するエピソード多すぎ
0863人間七七四年2016/08/03(水) 22:24:22.92ID:Z4UuSoQC
>>857
むしろ死にすぎでしょ
戦国の死傷率としても異常に高い。

実際は帰路で脱落したのが大半なんじゃないか?
0864人間七七四年2016/08/03(水) 22:24:42.90ID:5Wm/d61B
義弘って赤池長任にも討ち取られかけて部下を捨て石にして逃げてたよね
0865人間七七四年2016/08/03(水) 22:29:53.34ID:kUSXBEKu
今度アニメになるドリフターズっていう漫画
あれは主人公が島津豊久で物語冒頭が島津の退き口から始まる。
0866人間七七四年2016/08/04(木) 11:41:03.93ID:nQqPrnnk
「敵中突破」が武勇伝という発想は無かった
宇喜多隊、石田隊、大谷隊といった、実際に闘った西軍部隊が次々と壊滅した結果、
島津隊の周辺は敵だらけになっただろうと考えられるが

当初の予定通りの退路が確保されていたとは思えん
敵に囲まれた状態からの脱出は、敵中突破以外の何物でもないわけだし
0867人間七七四年2016/08/04(木) 12:22:31.69ID:lmXppFim
旗倒して敵の合言葉使って農民人質に取って道案内させ味方見殺しにしながらコソコソ逃避行
「敵中突破」じゃなくて「敵中脱出」程度にすれば字面に惑わせられることもない
0868人間七七四年2016/08/04(木) 13:00:51.21ID:Bp2uRvNV
>>866
別に包囲はされてないんじゃないか?
他の軍勢も普通に離脱してるし
0869人間七七四年2016/08/04(木) 13:01:07.51ID:4znxCl3b
総叩きだが、ここはアンチ島津が多いのか?

西軍総崩れで他隊が西に逃げてる状態で、東に向かってから南に抜けてるんだから
『敵中突破』でもいいだろ。島津は戦績をかなり盛ってたりはするけど、元の事実は
なにがしかあると認識してるけどね。
0870人間七七四年2016/08/04(木) 14:07:38.86ID:sjJti4sg
それを立証できなきゃただの敗走
0871人間七七四年2016/08/04(木) 14:14:50.80ID:4znxCl3b
日本語苦手な人?
0872人間七七四年2016/08/04(木) 14:44:07.91ID:lmXppFim
関ヶ原参加島津家臣の覚書の記述が傍から見ればただの逃避行やからな盛っててすら
0873人間七七四年2016/08/04(木) 15:07:59.69ID:+aouY31g
ここで死んでたらどんな評価だったろうね義弘w
代わりになった家臣に感謝してもしきれんな
0874人間七七四年2016/08/04(木) 18:35:06.67ID:GI4dXDqz
義弘が名将であったことは確かだろうが、神格化されすぎ
0875人間七七四年2016/08/04(木) 19:27:11.20ID:iYyedEN5
>>873
付く方を読み誤るわ兵士は集められないわ引き際誤ったわで散々な最後に
0876人間七七四年2016/08/04(木) 19:45:33.33ID:ALZGZDsc
初めは東軍に着くつもりだったけど、鳥居元忠に伏見入城を断られてしかたなく西軍に着いたってのはどうなんだ
0877人間七七四年2016/08/04(木) 20:03:37.92ID:fweiy8VD
惨めな敗走のルートを表現する「敵中突破」を、
攻勢をかける側の作戦を示す「中央突破」と取り違えて
武勇伝にしてると言い掛かりつけてるだけだったりして…

>>876
徳川からの追及を和らげるため、
関ヶ原戦後になって島津家がでっちあげた言い訳だそうだ
0878人間七七四年2016/08/04(木) 20:08:01.26ID:ALZGZDsc
言い訳多すぎじゃねーかw
0879人間七七四年2016/08/04(木) 23:08:47.98ID:NKxlVq5Y
>>877
「島津の退き口」を惨めな敗走として取り扱ってる大河ドラマや小説なんて少なくとも俺は知らないな
0880人間七七四年2016/08/04(木) 23:50:43.78ID:ALZGZDsc
フィクションだからね小説とかは
史実は惨めな敗走ってことさ
0881人間七七四年2016/08/05(金) 00:18:15.41ID:gFioVsk0
なに言ってるんだろうこの人
0882人間七七四年2016/08/05(金) 00:51:18.65ID:SN1Zgc8h
鬼島津の記述も朝鮮側の記録に無くて、明のほうでも鬼が何の表現の意味かは不明なんだよね
0883人間七七四年2016/08/05(金) 08:04:41.34ID:EAO4xyyG
>>876
伏見への在番という話は家康が下向する前からあった。
義弘は在番の為の軍勢を国元に求めたけど、いつまでも軍勢が来ず延び延びになっているうちに西軍が決起。
島津としては伏見在番か大坂在番でやり過ごしたかったが、どちらも実現しないウチに西軍にガッツリ組み込まれてしまったというのが真相。

伏見へ行きたがってたのは東軍に味方するつもりじゃなくて終戦するまで中立で居たかっただけという。
0884人間七七四年2016/08/05(金) 08:25:54.24ID:mKDfudCC
創作でしょ
0885人間七七四年2016/08/05(金) 20:13:03.09ID:pGK24o8N
義弘は関ヶ原本戦で、最初からノリノリで戦っていたことが今はわかっている。
0886人間七七四年2016/08/06(土) 06:12:12.71ID:cOF7Q+z2
>>885
それ言ってたのは光成氏の「関ヶ原前夜」だろ。
あの本は着想は良かったけど、あちこち史料解釈に問題があるからなぁ

島津の積極参加もそれは無いと批判されてるし
0887人間七七四年2016/08/06(土) 11:12:50.68ID:PJzDl3ey
伏見城戦あたりからは毒を食らわば皿まで的なところはあるけど
最初からノリノリという感じじゃないなぁ
0888人間七七四年2016/08/06(土) 13:04:29.49ID:r5nmJvsk
義弘は、朝鮮でも関ヶ原でも寡兵に悩んでたのに、ノリノリなわけがない
0889人間七七四年2016/08/06(土) 13:15:37.78ID:vYuZ8Rrw
ノリノリだったのは毛利くらいだよなぁ
宇喜多は楽天的なのか強がってるだけなのかよく分からん
0890人間七七四年2016/08/06(土) 20:05:15.14ID:f8BE/adh
立花宗茂もノリノリだった感がある
関ヶ原本戦には間に合わなかったが、
そこまでの能動的な動きが
0891人間七七四年2016/08/06(土) 20:55:09.23ID:rnfsZFTo
立花は単なるバカだから特に何の考えもなかっただけでしょ
0892人間七七四年2016/08/06(土) 21:04:30.30ID:PJzDl3ey
そうだけど、ファンが怒鳴り込んで来るのでやめてください
0893人間七七四年2016/08/06(土) 21:43:11.07ID:1FQ+8vLa
毛利のノリノリは中央のごたごたを好機に版図拡大だぜー的なノリノリかね?
0894人間七七四年2016/08/06(土) 22:13:18.94ID:BUXeDJN+
ノリノリだったけど岐阜城が陥落して形勢が不利になると和睦に動いて三成のはしごを外したりしてる
0895人間七七四年2016/08/06(土) 23:18:23.29ID:UVV1yMo3
>>855
関ヶ原前も激務が祟ってか死にかけるほどの病気をしていたんだなこれが。
だから東海道ルートを進む外様部隊の指揮を直政が家康に代わりに引き受けていたが行けなくなり、
譜代と中山道ルートを行く筈だった忠勝が急遽、東海道ルートに加わる事になった
その後病が癒えたとする直政がそれを追って途中で合流した
腿の付け根に腫瘍のようなものが出来痛みもあったという記述もあり関ヶ原では万全とはいえない体調であった
関ヶ原翌日には佐和山攻め、その後も精力的に激務をこなしている
島津がどうのとか全く関係なく過労蓄積が祟った病死なんだろうな
0896人間七七四年2016/08/06(土) 23:58:55.33ID:M7zk2NuF
>>883
在番命じられた大名が島津だけってのもおかしいよな
そういった命令って幾つかの大名に出すもんじゃないのか
0897人間七七四年2016/08/07(日) 01:22:43.28ID:rYuzneMO
井伊直政被弾がでっち上げということになると、その周辺のストーリー(的中突破、家康の眼前まで迫って討ち死にを覚悟した家康が自害しようとした、捨てガマリで追撃を食い止める)
なども怪しいということかな
0898人間七七四年2016/08/07(日) 01:27:35.93ID:dvuOuMc7
致命傷では無かったという話だろ
0899人間七七四年2016/08/07(日) 01:54:27.26ID:3hXdwoxc
関ケ原で家康が島津に敵中突破されて自害を覚悟したってどこの小説だよ…
0900人間七七四年2016/08/07(日) 06:18:37.47ID:v2+tChaV
釣り野伏せとか島津の十八番と言われる戦術って書状とか一次史料に記述あるの?
0901人間七七四年2016/08/07(日) 08:13:07.23ID:KlAk5gMj
>>896
戦時に後方の城を1大名が預かるのはごく当たり前にあるよ。
小田原の時も、早川や吉川が、徳川の城にそれぞれ在番してるし。
0902人間七七四年2016/08/07(日) 13:04:16.89ID:BaROxgyY
井伊直政の死因が伝わっていないのはどういう事情だ?
過労が遠因で死んだ名のなる武将は他にもいるのか?
0903人間七七四年2016/08/07(日) 13:20:59.14ID:oaURWor2
その時代に病死の死因がわかった人の方が少ないんじゃないか?
秀吉もそうだし家康も現代では胃がんだったんじゃないかとされるが
鯛の天ぷらにあたったなんて言われて来た
0904人間七七四年2016/08/07(日) 16:38:35.24ID:1tW8chkW
当時は、破傷風が致死率が高い厄介な病気であることは知っていても、
潜伏期間が20日以内だとは知らなかったようだし、
間違って記載されてもそのままにされてた様子
0905人間七七四年2016/08/07(日) 16:48:13.17ID:5DIA0RHM
過労からくる病死だろうが
怪我もほったらかしにして政務に励んでいたから古傷から細菌が入って痛がった可能性もあり
それが直接の死因と勘違いされたとか
現代でも死因が特定されない人がなんてザラにいるしな
0906人間七七四年2016/08/07(日) 17:07:22.78ID:KlAk5gMj
当時は討死や自害以外の死因なんてあまり気にしてないからなぁ
0907人間七七四年2016/08/07(日) 17:24:16.02ID:UKm+/Wie
それを勝手に島津の大手柄みたいに勘違いされるのもな。
まあ義弘の間近に迫っていたというし
あの時にはね返った弾が腕にあたっていなければ義弘が討ち取られていた可能性が高いからな。
0908人間七七四年2016/08/07(日) 20:43:35.16ID:ZfI1kSUQ
18万石の壮年期の大名の死因がまったく不明って
0909人間七七四年2016/08/07(日) 21:09:41.20ID:6WOgfvUz
そもそも直政みたいな閣僚級の武将が自ら全力で追走するものなのかな
0910人間七七四年2016/08/07(日) 21:17:22.84ID:A3PnezSm
>>900
ないよ
0911人間七七四年2016/08/07(日) 22:51:08.24ID:SgLm6LH3
>>899
島津奔るだったかな?
昔そんな記述みたような気がする
0912人間七七四年2016/08/07(日) 23:00:05.32ID:HHM536Z5
あれも酷い小説だったな
島津以外ほとんどクズ人間みたいな描写
0913人間七七四年2016/08/07(日) 23:05:59.61ID:TMJquLBJ
>>912
家康の関ヶ原後の天下普請等の政策が義弘から示唆されたものとか
馬鹿なんじゃないかと思ったな
たかが一地方の兄に相続者がいなかったから当主になれた程度の奴に
政権のナンバー2として政権運営に関わってきた家康が教えを請わなければならないんだ
0914人間七七四年2016/08/08(月) 00:55:56.82ID:j2Dd4V9S
没落した国人の次男から大名に成り上がった人が家康、秀忠のブレーンになってたりするが
0915人間七七四年2016/08/08(月) 02:31:42.73ID:cMtaQK8j
島津の敵中突破は「関原合戦進退秘訣」がネタ元のようですね
これは島津家謹製のいわゆる軍記物です
軍記物というのは大名家が自家を誇るために編纂する武勇伝物語で、でっちあげ家系図なみに胡散臭いんですが、
明治になって陸軍参謀本部が編纂した『関ヶ原役』でこの敵中突破のエピソードが採用されて通説化したものと思われます
0916人間七七四年2016/08/08(月) 05:43:26.56ID:dFrzELc7
>>909
直政は基本、そういうノリの人らしく
筆頭家老の木俣守勝がしばしば指揮代行したとか
0917人間七七四年2016/08/08(月) 05:58:06.41ID:+6K59JBB
それだとやっぱり戦傷が原因で死んだのを誤魔化す為の記述がある可能性も排除しきれないよね
0918人間七七四年2016/08/08(月) 06:51:23.46ID:+M6M0fZg
義弘の大敗を誤魔化すため直政の死をこじつけて武功にすり替えたのが島津の軍記でしょうよ
0919人間七七四年2016/08/08(月) 08:13:28.07ID:kHlftNnx
こじつけだったら、譜代筆頭の井伊家が黙ってるわけないだろ
0920人間七七四年2016/08/08(月) 08:20:22.86ID:e/QCKHIE
そのへんの物語が一般化したのは明治以降のことだろうし、
井伊家にとってもべつに目くじら立てるほどの話ではないような
病死より戦のキズで死んだほうが武士らしいし
0921人間七七四年2016/08/08(月) 09:21:19.88ID:XyqbtnWw
>>919
井伊家にとっても病死と言われるよりは戦場での傷が原因と言った方が聞こえは良いからな
0922人間七七四年2016/08/08(月) 10:42:44.02ID:qA03O3xE
話は全く変わるけど、司馬の関ヶ原に家康は褌を一人で締められないほど肥満してたって描写があるが、
当時の家康がそこまで太っていたって何か出典があるのかな
0923人間七七四年2016/08/08(月) 12:07:09.18ID:YolZJHiM
>>917
翌日から1年以上も飛び回っていて約2年後に死ぬとかケガとの因果関係なさそうだ
0924人間七七四年2016/08/08(月) 12:28:22.92ID:S7+VUYTl
>>922
司馬氏の表現は行き過ぎだが、かなりの肥満体だったのは事実。
家康の謁見を受けた外国人達が書き残してる。
0925人間七七四年2016/08/08(月) 12:33:37.65ID:GPvlZpvJ
直政が怪我しようが義弘が惨めな敗走した事実は変わらない
減点ポイントでしかない
0926人間七七四年2016/08/08(月) 13:22:12.08ID:H6U2lUvr
>>922
『常山紀談』が収録したフィクションからの引用だろう

『常山紀談』では、秀吉がまだ聚楽第を拠点に政務を執っている時期に、
家康が褌を一人で締められないほど太っていたとする虚構話を載せている

実際の家康は、当時はまだ太り始めたばかりで、関ヶ原時点でも鎧を着用できている

極端に太ったのは駿府大御所時代であるが、
異なる時期の体格をごちゃ混ぜにした俗話が、幕末には出回っていたと考えられる
0927人間七七四年2016/08/08(月) 20:58:01.17ID:xm0pvFao
忠勝が真田親子の助命嘆願に際して「お聞きいれなくば殿と一戦仕る」と啖呵を切ったという話も
本当は史料すらない創作なのではとふと思った
0928人間七七四年2016/08/08(月) 21:38:49.43ID:NwSij1fU
>>925
1500人からたったの数十人にうちのめされ
味方を犠牲にしながらかなり追い詰められ自害すら考えながら敗走しているからな
0929人間七七四年2016/08/09(火) 21:51:57.55ID:0K2mSbHe
>>922
司馬は家康の能力は認めてるものの、大嫌いだから
海外貿易推進派の家康を海外貿易の有益さが分からない
田舎者扱いしたり、本当は美人で才能のある阿茶局を
醜女の性悪女にしたりしてるしな
0930人間七七四年2016/08/09(火) 22:06:28.08ID:/C8bXIAo
小説家なのにムキになられる司馬は流石や
0931人間七七四年2016/08/10(水) 05:24:27.57ID:ML318g60
司馬氏は小説家として一流だわな。
あまりに良く出来てるので、史実だと関違いするヤツがゾロゾロ出てきたのも仕方ない。

ドラマだの小説だのは、歴史好きへの入口になる事もあるから批判だけしても意味ないけどな。
0932人間七七四年2016/08/10(水) 05:25:34.64ID:pYLzNfs6
「覇王の家」とか読んでも家康は嫌いだけど認めなくてはいけない悔しいって感じがする
貿易や阿茶局の件にしても意図的なのか単なる無知なのかわからんが、
作家なのに歴史家みたいな肩書き持たせて司馬史観とか持ち上げたマスコミの罪は重い、特に朝日毎日とNHK

その司馬の「関ヶ原」が映画化するそうな、三成は軍師官兵衛w
主演ジャニなら三成ageは間違いない
0933人間七七四年2016/08/10(水) 17:15:55.35ID:CAknqzRT
 石田三成が小坊主だった頃、寺に来た秀吉に温度の違う三杯の茶を献じて気に入られた話は有名だが、
江戸時代初期に書かれた茶道四祖伝書という書物には千利休が京の法華寺に立ち寄った際、
小坊主から温度の異なる茶を三杯差し出してきた気配りに感心し、その小坊主を弟子にしたという
逸話が記されていた
 石田三成の三献茶の話が載っている武将感状記は江戸時代中期に書かれたものなので
この三成の逸話は千利休の話を参考にして作ったのではないかと疑ってしまう
0934人間七七四年2016/08/10(水) 17:40:04.77ID:LPaduY5P
ありえそうな話やね
0935人間七七四年2016/08/10(水) 17:48:26.11ID:BlSChZfX
>>933
>千利休の話
更に元ネタがあって結局中国あたりにたどり着きそうw
0936人間七七四年2016/08/10(水) 18:04:04.93ID:2KFR0JqS
>>933
長浜だかに秀吉に小坊主の三成が茶を献じる三献茶をモチーフとした銅像を建てちゃいましたねw
とすると、寺の小坊主を秀吉が家臣にしたという話も信憑性があやしいのかな
0937人間七七四年2016/08/10(水) 18:07:24.88ID:XHeyjSDp
>>933
その利休の話、是非、いい話スレに載せてみてくれないか?
みんなの感想を聞きたい
0938人間七七四年2016/08/10(水) 18:11:57.34ID:CAknqzRT
>>936
お茶に関する逸話なのだから、信憑性の点では茶人である千利休の方に軍配が上がってしまうな
0939人間七七四年2016/08/10(水) 18:15:41.04ID:XHeyjSDp
だいたい当時の秀吉にお茶の温度の何たるかがわかるのかねぇ
0940人間七七四年2016/08/10(水) 18:23:06.15ID:CAknqzRT
>>937
戦国のちょっといい話のスレでは2年前にこの逸話が投稿されている
まとめサイトの方で「茶の道では点前よりもこういう心配りが肝要なのである」のタイトルで
千利休のこの話が残されているから、今でも確認可能だ
0941人間七七四年2016/08/10(水) 18:45:07.41ID:XHeyjSDp
>>940
ありがとう確認してみる
三成の三献茶の逸話が他人のものだったというのが証明されたようなものだね
0942人間七七四年2016/08/10(水) 18:57:54.70ID:nY5G/MYX
礼儀に疎いという理由でも嫌われていた三成にそんな気遣いが出来るとも思えない
0943人間七七四年2016/08/11(木) 06:41:27.08ID:iOCi4Fpm
>>942
それも創作だけどな。
0944人間七七四年2016/08/11(木) 13:15:18.37ID:seUSbx9n
石田。。。家康に杖を拾ってもらったのに礼の一つも言わない。目上の家康の前でほっかむりを取らない。
直江。。。政宗の小判を穢れたものだと暴言。政宗とすれ違っても挨拶せずとがめられたら逆ギレ

似たもの同士というか確かに気が合うはずだと感心する
友人は自分を映す鏡ってやつだなw
0945人間七七四年2016/08/11(木) 13:55:55.07ID:Si9qvLiw
何かで招かれた忠興も三成の無礼さに腹を立てていたな
普段から特に目上に対する礼儀がまるでなってなかったんだろうな
そんなのが三献茶なんて気が回せるわけが無い
0946人間七七四年2016/08/11(木) 14:05:46.61ID:n+tpfWIn
いい話悪い話で紹介された話は創作ネタ
忠興が礼儀がなってなくて嫌ってたのは清正の方で
肥後の民まで上下の作法がなってないとか色々言ってる
0947人間七七四年2016/08/11(木) 14:13:22.83ID:VLyuYKmX
忠興は三成を銃撃で本気で殺そうとするほど嫌っていましたが?
0948人間七七四年2016/08/11(木) 14:39:59.99ID:4TuW+MYG
あからさまな間違いや創作の連投って、釣針でかすぎだろ
0949人間七七四年2016/08/11(木) 14:48:41.02ID:NCh1rnGX
>>948
何が間違いで何が創作か判って言ってるのか?w
0950人間七七四年2016/08/11(木) 22:11:16.83ID:BNCzwPF5
それは創作って言ってれば俺は詳しいと満足するからな(なお出典は言えない模様)
0951人間七七四年2016/08/12(金) 00:17:56.63ID:YBTLVz2q
>>946
忠興さんの手紙って誰かの悪口書いてる時イキイキしてるよな…
清正の他には政宗の狐憑き呼ばわりとかも有名
0952人間七七四年2016/08/12(金) 05:51:54.25ID:dLMVhjyv
>>951
狐憑きの件は悪口かどうかビミョーだが、政宗の起こした騒動は良く書かれてるな。
一番楽しそうなのは黒田長政の悪口を書いてるときかも知れん。
0953人間七七四年2016/08/12(金) 06:21:41.85ID:ePoLCprA
>>946
随分後の時代(加藤家改易後の手紙)の三斎様の悪口手紙ネタ持ってきたな
それでも年貢関係で揉めた関ヶ原後の黒田家に対する程では無い
清正から贈られた手水鉢(高桐院に現存)を大事にしてるようだし

個人として嫌っていたとしても七将襲撃やら関ヶ原で
忠興と清正は協調行動を取ってるわけで
結局敵対・協調関係を左右するのは個人の好き嫌い<利害関係なんだろ
利害が対立した結果として「嫌われる」のは仕方ない
0954人間七七四年2016/08/16(火) 07:57:13.92ID:nInSCuq+
>>933
お茶についてそれほど知ってるわけじゃないけど
煎茶は一応あったみたいだけど、この頃のお茶って
基本抹茶じゃないの?
白湯ならまだしも、お寺に急に立ち寄ったお客に対して
そんな手軽に出せるものなの?
0955人間七七四年2016/08/16(火) 10:42:48.10ID:bDGOMXwE
お茶についてそれほど知ってるわけじゃないけど
抹茶ってかき混ぜるだけじゃないの
0956人間七七四年2016/08/16(火) 10:48:23.53ID:UgoY3j9s
昔から疑問だけど冷たいお茶なんて直ぐ用意できるのか?
熱湯で作らないと味がでないべ?
0957人間七七四年2016/08/16(火) 11:19:16.42ID:UVcU+4ke
濃い目に点てて水で割ったりするんじゃないか
三献茶の話は二杯目三杯目となっていくにつれて温度が上がって量が減ってくみたいだし
0958人間七七四年2016/08/16(火) 11:22:28.16ID:WAUugR3X
>>954
カーチャンが裏千家茶道やってて
饅頭とか食べた後にささっと抹茶立てて
口直ししてるぞい
葉から抹茶に加工するならともかく
抹茶段階で備蓄されてるなら今のインスタントコーヒーみたいな
扱いだったのでは?
0959人間七七四年2016/08/16(火) 11:46:52.51ID:xy/vVlvQ
利休七哲の蒲生氏郷の甜茶の注文書が伝存してるみたいよ
甜茶は抹茶の原料だから原料取り寄せて抹茶を自作してたんだね
0960人間七七四年2016/08/17(水) 11:27:42.01ID:lq7umnPf
武将所用とされる鎧、兜の大半が戦国期の物ではない
江戸期に作られた物がほとんど
0961人間七七四年2016/08/17(水) 19:03:30.35ID:os2OEfz8
お茶三杯差し上げるってエピソードは三成に限ったものじゃない
0962人間七七四年2016/08/18(木) 00:24:12.12ID:6yz18nlU
碾茶を臼で挽いて抹茶にしてあればすぐに点てられるけど、
香りの問題もあるしあらかじめ用意してあるものなのかどうかね
0963人間七七四年2016/08/19(金) 01:48:45.27ID:86xXBSDD
武勇伝や美談といった「ストーリー」のあるエピソードはほとんどすべて後世創られた話とみていいと思う
0964人間七七四年2016/08/19(金) 04:09:54.09ID:bVd8cuHp
「あー、この話はこういうことを伝えたいんだな」というのがわかりやすいのも
0965人間七七四年2016/08/19(金) 07:08:00.40ID:wvQVe5vd
直江兼続がイケメンとか
0966人間七七四年2016/08/19(金) 08:59:21.66ID:xSZTd/pE
戦国三大美少年は江戸中期の1739年成立の常山紀談にしかない後世に創作された話
0967人間七七四年2016/08/19(金) 18:12:17.58ID:yn05wFl5
常山紀談は、真偽で言うと偽の方が多いってぐらいネタの宝庫だなw
0968人間七七四年2016/08/19(金) 18:38:16.61ID:GkEcuAEm
逸話集なんだからツッコミ入れる方が野暮
0969人間七七四年2016/08/19(金) 18:55:51.75ID:5eagWLho
吉継と三成の茶会でのエピソードが一番泣ける
0970人間七七四年2016/08/19(金) 19:40:02.17ID:uv3AWp9X
>>969
それはほぼ100%創作
0971人間七七四年2016/08/19(金) 21:11:48.84ID:+7CNqKxm
福本日南が紹介した時は秀吉と吉継の話だったのに
いつの間にか三成と吉継の話になってるんだっけ
0972人間七七四年2016/08/19(金) 21:27:43.31ID:s9brXkAn
司馬じゃ司馬の仕業じゃーAA略
0973人間七七四年2016/08/20(土) 05:18:00.57ID:gGzGEqte
司馬さんは反論されると黙っちゃって引き篭もる人
0974人間七七四年2016/08/20(土) 12:58:37.33ID:C4o2gcsH
まあ三献茶で「気配りの人」としてデビューした三成が
「気配りができなくて」人望を集められずに破滅したってのもたいがいだけど
幼少時に石合戦を見て「数が少ない方が勝つ」と見事的中させ
その神童ぶりを発揮した家康が、晩年大坂の陣で大坂方を寡兵と侮り
危うく不覚を取るところだった家康もなんだかなあではある。
これらのエピソードを伝記に盛り込む意味はあるのか?
どうせなら孕石との確執なんかを採用すればいいと思うのだが
日本人はそういう話基本嫌いなんでしょうな。
小公女もアニメで変なふうに改変されたし。
0975人間七七四年2016/08/20(土) 13:23:24.69ID:C4o2gcsH
嫌いっつーより、「秀吉との確執」も似たようなものだし
それ採用しちゃうとくどいというか冗長な感じになってしまうので
避けてるってのもあるか。
すべては編纂者の都合だな。
0976人間七七四年2016/08/25(木) 10:59:49.90ID:rPvz/Bn/
家康にしろ三成にしろ秀吉にしろ、少年時代の話はたいてい創作だしねぇ
0977人間七七四年2016/08/25(木) 12:30:07.43ID:aHvsziYT
明智光秀の謀反につき
・武田ぁ、攻めでの御折檻
・徳川様接待不首尾のお怒り
・近江坂本、丹波領地を召しあげ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰
・また、丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち、など!語り尽くせぬ恨みあれども、ゴダビの戦、けして、わたくし心に非ず
天下国家のため、織田、信長の首を取ることこそ、天の道
0978人間七七四年2016/08/25(木) 19:41:25.09ID:vKLmPhzi
生け捕って、部下たちの見てる前で
「これは武田攻めでの御折檻の恨み〜」ボコッ!
「これは徳川様接待不首尾のお怒りへの恨み〜」ボコッ!
「これは母を見殺しにされた恨み〜」ボコッ!

   ・ 
とかいちいち喚きながら殴ればよかったのに・・
0979人間七七四年2016/08/26(金) 15:23:23.33ID:BEmAEnkO
やりたくても肝心のノブやんが本能寺でファイヤーしちゃった
0980人間七七四年2016/08/27(土) 13:38:18.76ID:Is2me+F6
秀吉は元々残虐性を持った暗い人間。
若いころから残虐だった。
豊臣家が滅んだのは必然。

・楠家嫡男嬲殺し
 →織田家の伊勢攻めに抵抗した伊勢楠家の嫡男を岐阜で嬲殺しにした。楠木正成の男子系子孫滅亡。
・万福丸串刺し
 →浅井長政の嫡男を関が原で串刺しにして殺す。お尻の穴から杭を差し込み、口まで貫通させる惨い殺し方。
・秀次一族虐殺
 →血を分けた甥の妻子を虐殺。甥の生首を置き、その前で妻子を惨殺。まともに埋葬もせず、穴を掘って埋めて「畜生塚」とした。

たまたま天下を取ったので、人たらしとかの物語が創作されただけ。
意図的に本人とは逆の明るく、人懐こい、誰からも好かれるような性格として創作された。
0981人間七七四年2016/08/27(土) 15:48:01.39ID:i7Xh6guG
かまってちゃんスレじゃない筈なんだがなぁ
0982人間七七四年2016/08/28(日) 08:45:50.13ID:tqmR5sDi
どこぞの民族だろう
0983人間七七四年2016/08/28(日) 16:45:52.44ID:qAXla801
>>980
ところで次スレは?
0984人間七七四年2016/08/28(日) 17:32:54.12ID:AxdgNuCy
>>57
へぇ面白いなぁ預言者みたいだ
0985人間七七四年2016/08/31(水) 16:10:29.49ID:4LGUqGSJ
司馬は海音寺とか徳富蘇峰とかの影響結構受けているみたいだしねぇ
0986人間七七四年2016/08/31(水) 16:25:54.97ID:kyzDcDzs
司馬遼太郎の場合は半分くらいが創作だよな
多くの歴史的な資料を引用しているが
自己中心的な解釈があまりにも多すぎる
0987人間七七四年2016/08/31(水) 16:36:42.21ID:tBztIUUc
小説なんだから問題なくね?
伝記でさえないんだよ
0988人間七七四年2016/08/31(水) 17:00:37.54ID:Itx90Hyt
作家だからな
だけどだんだん存在が大きくなって、司馬史観なるものが出てきたから厄介なわけで
作家風情がテレビに出たり番組持ったりして小説の延長で歴史を語ったのは罪、それに乗ったのがNHKというのも厄介に拍車かけた
今でも作家という肩書きで○○の真実(嘘)と言い出す連中が立たないのは司馬が切り開いたせい
0989人間七七四年2016/08/31(水) 17:02:29.21ID:ZiHhzPMV
その一番酷い例が童門冬痔。あいつの知識はいい加減すぎ
0990人間七七四年2016/08/31(水) 17:05:50.05ID:GiDqFRXk
まぁ歴史学者も今はヤベーけどな
今後は、史料的に矛盾のない範囲内で、いかに突飛な説を繰り出せるかが勝負、
みたいになっていくんじゃないのかな豊臣秀次潔白自害説が盛り上がってるとこ見ると
0991人間七七四年2016/08/31(水) 17:09:16.18ID:J082zMAk
小説は問題ない。史実だと信じる読者が悪いだけ
ただコラムとかでさんざん創作を史実だと紹介してるから司馬自体が無罪なわけない
0992人間七七四年2016/08/31(水) 17:23:47.33ID:4LGUqGSJ
次スレダメだったんで、誰かお願い
0993人間七七四年2016/08/31(水) 18:04:48.88ID:mCmZN+SZ
>>992
やってみる。
0994人間七七四年2016/08/31(水) 18:07:35.10ID:mCmZN+SZ
ダメだった><
0995人間七七四年2016/08/31(水) 18:38:43.83ID:Itx90Hyt
実は創作だった通説・俗説3【コピペ・レッテル貼禁止】 [無断転載禁止](c)2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1472636283/

立てられた。
0996人間七七四年2016/08/31(水) 18:51:54.41ID:J082zMAk
おつ
0997人間七七四年2016/08/31(水) 18:53:31.75ID:4LGUqGSJ
>>995
乙です
こっちは埋めちゃいますか
0998人間七七四年2016/08/31(水) 18:54:26.50ID:4LGUqGSJ
埋め
0999人間七七四年2016/08/31(水) 18:54:47.12ID:Itx90Hyt
よし、埋めましょう
1000人間七七四年2016/08/31(水) 18:56:01.08ID:4LGUqGSJ
10011001Over 1000Thread
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