実は創作だった通説・俗説2【コピペ・レッテル貼禁止】©5ch.net
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0001人間七七四年 転載ダメ©2ch.net
2016/03/13(日) 22:05:21.27ID:EYYUL89Cあるいは小説や映画大河ドラマなどの創作だった。
そんな話を語るスレです
自分の気に入らない主張に対してコピペを連投したり
レッテルを貼ったりする等をはじめとした荒らし、煽り行為は禁止です
その様なレスはスルーでお願いします
次スレは>>980でお願いします。無理な場合は次レス番を指定してください
前スレ
歴史作家の作った通説・俗説 [転載禁止]©2ch.net
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1431750387/
デジタル大辞泉より
そう‐さく〔サウ‐〕【創作】
[名](スル)
1 新しいものをつくり出すこと。「新式の工具を―する」
2 文学・絵画などの芸術を独創的につくり出すこと。また、その作品。「物語を―する」「―舞踊」
3 つくりごと。うそ。「そんな言い訳は彼の―だ
0002人間七七四年
2016/03/13(日) 22:05:52.94ID:EYYUL89C自ら宣言してスレを立てればいいのに、それをせず
スレが立ってから後追いで文句やケチをつける人間の言葉を聞くつもりはありません
0003人間七七四年
2016/03/13(日) 22:49:36.68ID:plFShPKKそれも面白いから別に良いけど
0004人間七七四年
2016/03/13(日) 23:09:37.37ID:xS1RCwSr0005人間七七四年
2016/03/13(日) 23:19:04.00ID:tGRDKYCc0006人間七七四年
2016/03/13(日) 23:20:48.27ID:Zjkjgbn7なるほど、荒らす気満々だな
おっと、テンプレ通りスルー出来なかった
0008人間七七四年
2016/03/13(日) 23:41:07.52ID:xS1RCwSr0009人間七七四年
2016/03/14(月) 01:04:39.83ID:nTJ9RQWJ大儀であった!
創作だからケシカランなどとプリプリカリカリしないで
逸話が創作されるほどの愛されキャラだったというプラス思考で
まったりと語りましょう
0010人間七七四年
2016/03/14(月) 05:11:59.64ID:xRzdGH7Aいつの間にか通説みたいになっている女性って
例えば山岡が築山殿に付けた瀬名とかあるけど
他に誰がいたかな
0011人間七七四年
2016/03/14(月) 05:29:09.15ID:fMBrCHyS0012人間七七四年
2016/03/14(月) 12:42:47.27ID:hHfUzF6Wどれほどの問題であるというのか?
0013人間七七四年
2016/03/14(月) 13:54:48.12ID:ZrKLApvV0014人間七七四年
2016/03/14(月) 21:56:17.14ID:apclAuJC司馬の関ヶ原の三成の愛妾である初芽とか
名前どころか人物自体創作だけど
0015人間七七四年
2016/03/14(月) 22:05:15.00ID:RyN1+NeI0016人間七七四年
2016/03/15(火) 00:17:01.37ID:Xp3sJEZpあれって何かに元ネタがあるの?
まえに他スレで「あれを真田丸でもやってほしい」的な書き込みを見たけど、
原作にもない話だよね、あれ
0017人間七七四年
2016/03/15(火) 00:46:50.24ID:9dSDBYfkあんな失礼な婿選びをするわけないじゃんw
0018人間七七四年
2016/03/15(火) 00:49:34.18ID:9dSDBYfk1589年に秀吉が、大名の正妻、嫡子を京都に人質に置くようになってから
(その後京都から大坂に人質をうつす)関ヶ原までずっと稲姫は人質として
京阪にいるし、関が原後は江戸で人質。つまり、小松殿が結婚したのが1589年なら
史実では、一度も上田にも沼田にも住んだことがないのだ。
0019人間七七四年
2016/03/15(火) 05:50:51.45ID:OdHiLCiWなら家康の娘を嫁にした武将はどんだけなんだとね
0020人間七七四年
2016/03/15(火) 08:51:43.87ID:AEoizvAc誰が見ていたのか?
0022人間七七四年
2016/03/15(火) 11:45:29.06ID:EiTKAiob家康にはちょうどいい若さの娘がいなかったじゃないか
大大名で嫁にしたのは、池田輝政くらいだ
北条へは人質
0025人間七七四年
2016/03/15(火) 14:45:33.17ID:9dSDBYfkそもそも家康の養女っていうのも事実ではない。
真田家の家譜には稲姫が「秀忠の養女」って書いてあるのだが、
秀忠は、当時稲姫より7歳若い9歳だった。まだ元服もしてないし
跡継ぎと決まってもいない時期だから嘘。
考証の人の本によると「真田家には偉い人の養女として来た」としか
わかってないのではないかってこと。
当時外様の国衆クラスに家康が養女をやった例もなければそんな必要もない。
つまりこれも、山手殿の家柄詐称と同じく、嘘ではないの?
養女というのも真田家が大好きな盛り方で、山手殿も信玄の養女って
書いてあるものもあるし。
養女説を信じるなら、稲姫は、本多忠勝の庶子なので、本多忠勝の
実子じゃない可能性も高い。本多忠勝の親戚か家臣の子を、
本多忠勝の養女として嫁がせたとかかも。本多忠勝でも十分に格上だろ。
>>23
でもその逸話は都市伝説クラスで、事実じゃないだろうね。
0026人間七七四年
2016/03/15(火) 15:12:31.00ID:DxemC//3ttp://togetter.com/li/588928
0027人間七七四年
2016/03/15(火) 15:19:06.54ID:qp5Uv5gK同じ『板坂卜斎覚書』に収録された逸話で関ヶ原合戦時の清須軍議に、
本多忠勝・井伊直政がいたという逸話も最近否定された
0028人間七七四年
2016/03/15(火) 15:46:21.39ID:9dSDBYfkとかいうのもなんの根拠もない話。根拠といえば「豊臣」を許されたというものと
官位をもらったというものだ。
豊臣をもらってる大名というのは当時、官位とセットで名乗らせていたもので、膨大にいる。
(当時の諸将は家柄が怪しいのが多いので、本気で官位をもらおうとすると家康みたいに
系図購入と家名変更”松平”→”徳川”みたいなのが必要だから、新姓豊臣を渡すことで
ハードルを下げてただけ)
官位も、秀吉が関白だった影響で貰いたい放題だったのに、下っ端の官位しかもらってない。
秀吉がお気に入りに渡していた「羽柴氏」のほうはもらってない。
0029人間七七四年
2016/03/15(火) 16:28:13.79ID:1rDJLry2江戸時代真田家の家臣が書いたものが出典だし、そもそも直接昌幸と戦った事のない家康がそこ迄恐れるわけがない
0030人間七七四年
2016/03/15(火) 17:10:26.02ID:bubOUKP80031人間七七四年
2016/03/15(火) 17:15:20.42ID:9dSDBYfk2,3流の部隊を派遣しただけだしね。
上杉の手取川の戦いの「逃げるとぶ長」みたいに、
真田側だけがウェーハッハッハっって言ってるだけじゃないのか
関ヶ原の戦いの時も、家康は自身もなかなか出陣しなかったし、
秀忠の軍を温存したかった家康がわざとあのあたりでうろうろしてるよう
に命じたんじゃないのかという疑問
0032人間七七四年
2016/03/15(火) 17:48:22.79ID:iMU7vqFvそれはない。むしろ家康は焦っていた。
徳川の力抜きで西軍に勝たれたら主導権握れなくなるんで慌てて強行軍。
関ヶ原当時の家康にとって最大の敵は西軍じゃなくて快進撃を続けた東軍先鋒。
これ以上あいつらに手柄立てさせずに自体の収拾はかることが第一だった。
だから毛利や上杉も減封で済ませたし島津にいたってはお咎めなし。
これ以上豊臣恩顧組に手柄をたてさせる機会を与えたくなかったのが家康の本音。
0033人間七七四年
2016/03/15(火) 18:23:04.60ID:9dSDBYfkありえないというほどではない。可能性の一つとしてはある。
0034人間七七四年
2016/03/15(火) 18:29:08.11ID:Xp3sJEZp宣教師の報告かなんかでは、死んだ後の文章とはいえ、処刑されて当然な暴君みたいに書かれてたんだっけ
1、2年前のヒストリアでは、わりと名君だったかも、みたいに言われてた
それとも、官兵衛の時みたいに、ただ哀れな人的に描かれるんだろうか
吉川弘文館の本で、秀次事件について「秀次は、切腹は命じられたのではなく、自分の意志で行った」って書かれたのを見た
多分同じ人だと思うけど、新人物文庫の「秀頼と大坂の陣」で「そのあとだいぶ批判を受けたが、批判する人は、残された○○の文書について、
説明をしてから批判してもらいたい」とか反論してたけど、おれとしては、その部分より、新人物文庫ではなぜか触れられていない、
「秀吉が命じていない切腹をしたから、これは秀吉に対する謀反であり、そのあとの妻や側室、子供に至るまで処刑されたのは、
当然のことだった」っていう部分が批判されたんじゃないのかって思える
0035人間七七四年
2016/03/15(火) 18:41:54.54ID:wtWYaThk一存は瘡で湯治中に病死だっけ
梅毒は不治の病だったんだからほっときゃ死ぬのに
わざわざリスク負って暗殺する必要はないわな
義興には明らかに病死だし
義輝の最期もそうだけど足利季世記はマジで当てにならんわ
0036人間七七四年
2016/03/15(火) 18:49:33.04ID:qp5Uv5gKそれも事実では無いから
何だかんだで岐阜城の戦いで損害負っているし>東軍先鋒
本来はあれ以上の積極的行動はできない
0037人間七七四年
2016/03/15(火) 18:56:02.05ID:Xp3sJEZp誰だかが、安全のために遠回りのルートを進言して、そのコースを取ったら雨のために川が
増水しちゃってて、それが一番大きかった、秀忠一人の責任ではない、みたいな文章なら最近読んだな
0038人間七七四年
2016/03/15(火) 20:00:35.68ID:9dSDBYfk昌幸と信繁の助命はないと思う。
実際はかなりどうでもよかったか、真田のせいではないと
思ってたから助命された。
0040人間七七四年
2016/03/15(火) 20:13:23.10ID:qG7mJ1l/誰のせいと言うよりただのアンラッキーだな
0042人間七七四年
2016/03/15(火) 20:46:33.53ID:LgrTR+A8家康はなんだかんだで負の創作話が多いな
山岡が改正三河後風土記もとに創った脱糞話もそうだけど
誰が創ったかは知らないけど、野戦は得意だが城攻め下手だったとか
創作した人間は、西三河の領主から甲信駿遠三の領主になるまで、
野戦だけでなれると思ってたのかよ
0043人間七七四年
2016/03/15(火) 21:51:09.98ID:hyAM4yJg江戸時代に幕府への反発から豊臣びいきがあったそうだし
江戸時代が暗黒時代とか左翼学者ほんまええ加減にせえよ
めっちゃ自由の国じゃねーか
0044人間七七四年
2016/03/15(火) 22:38:12.20ID:LgrTR+A8切腹させるはずだった秀次の為に長期滞在できる準備はおかしいって話だったっけ
前にどこか別のスレにも書いたような気がするけど、秀吉が三成に切腹の意思を伝えず高野山追放だけ命令すれば
高野山追放は前例からすれば助命を意味するし、三成は秀次助命で動いてたからその命令を受けた三成が
秀吉が秀次の命だけは助ける気持ちだと勘違いして長期滞在の準備をしてもおかしくはないと思うんだよな
しかし秀吉の意思はあくまでも秀次の命を奪う事であって、助命派の三成ではなく
福島に改めて節婦の使者を命じたと考えれば辻褄はあう様な気がする
まあ史料も無い勝手な私の推測何で、否定されても仕方ないけど
0045人間七七四年
2016/03/16(水) 09:33:22.03ID:CAOXhJWF大谷吉継の娘が嫁いだというのも、真田家譜にしか書いてない嘘、
豊臣秀次の娘が嫁いだというのも、真田家譜にしか書いてない嘘。
0046人間七七四年
2016/03/16(水) 09:57:45.11ID:aRNzE9EU0047人間七七四年
2016/03/16(水) 10:29:00.19ID:CAOXhJWF1539 菊亭晴季生まれる(真田家譜では、山手殿父とされる人)
1547 真田昌幸が生まれる
1550頃? 山手殿が生まれる
1564 山手殿が昌幸に嫁ぐ
1566 山手殿が信幸を産む
0048人間七七四年
2016/03/16(水) 10:31:30.45ID:CAOXhJWF男子:菊亭季持(1575年〜1596年)
男子:日桓
男子:長円
女子:一の台(豊臣秀次室)
女子:秋元修理亮室
女子:矢島秀行室
養子:堯円 - 実際は阿野道怡の子
0049人間七七四年
2016/03/16(水) 10:48:22.87ID:CAOXhJWF真田昌幸の庶子(樋口角兵衛)を産んだ・・・という設定だったが
池波正太郎は知識がなさすぎんのだろうか。
何が悲しくて田舎の足軽大将に清華家が娘を二人も嫁がせないといけないのだ。
0050人間七七四年
2016/03/16(水) 10:49:51.10ID:CAOXhJWF足軽45人持ちの足軽大将だったということを言ってる。
0051人間七七四年
2016/03/16(水) 17:43:35.21ID:R7SQqozgといった類の文言がついた本がいっぱい
藤本正行氏が、信長の合戦関係でそれをやって評価されたからだろうか
みんな通説をクツガエそうと躍起になってる感じ
でも、パラパラ見たら「そんな通説があったの」っていうのもチラホラ
例えば、「関ヶ原の合戦前に家康が江戸から動かなかったのは、開戦の時期を測っていたからだ、
というのが、通説だが・・・」とかあったけど、それが通説だったのか
0052人間七七四年
2016/03/16(水) 18:55:55.08ID:ta7q7kLxそもそも読者層も歴史ファンに毛が生えた程度のを想定してるんだろうし。
そういや、先だって読んだ真実の日本戦史!みたいなその手の本に、
三方ヶ原では徳川兵は常日頃竹刀wで訓練していたので実戦では
思い切って突っ込めたので皆前のめりで死んでいて、真剣で訓練していた
武田兵は腰が引けていて仰向けで死んでいたとかシラっと書いてあって
思わずのけぞった。
0053人間七七四年
2016/03/16(水) 19:27:48.38ID:fMEdcG3W公家の娘と言えば徳川家臣の大久保忠世、忠佐の実母が
三条西公条の娘って事になってるけど、これもどうなんだろう
0054人間七七四年
2016/03/16(水) 19:49:37.42ID:HBine4eb解説してくれる本があると助かる
0055人間七七四年
2016/03/16(水) 20:34:00.94ID:1bM0Fr/T0057人間七七四年
2016/03/17(木) 10:26:00.39ID:KtCB979Cされてる肖像画
あれっていつ頃から疑われてたんだろう
手元の、海音寺潮五郎の随筆集の中で、昭和31年ごろに書かれた物の文章に、戦国武将の
性格診断をする、という遊びをしてる物があった
その中で、武田信玄の生き方や戦争の仕方、政治の進め方、さらに徳富蘇峰の
「当時の書簡から、信玄は肺病を患っていたのでは」という見解等から、信玄は低血圧の人だったのでは、
と推理していて、で、あの肖像画を見ると全然、血圧が低そうに見えない、ほんとにこいつは信玄の絵なんだろうか
って書いてる
こういう作家らしいアプローチの仕方っていいね
ちょっとしたゲーム感覚もあって、ペースにはきちんとした裏付けや考察もあって
なんというか、こういう感覚にあこがれる
0058人間七七四年
2016/03/17(木) 16:58:19.73ID:7o2HUH1H0059人間七七四年
2016/03/18(金) 08:48:39.89ID:AEqWUowt0060人間七七四年
2016/03/18(金) 10:55:21.67ID:/b4ySwqlあんな経済的に弱い土地であれだけ物事やろうとしたらとても金が足りない
0061人間七七四年
2016/03/18(金) 13:36:42.39ID:M/zPz3wi0062人間七七四年
2016/03/18(金) 21:21:51.15ID:1ji6Rd8y三条西公条って大久保忠世が天文元年の生まれだから、嫁いできたのは
その一、二年前くらいだとしたらもう大納言にはなっているだろう
そんな人物の娘が三河の田舎大名の家臣の、しかも嫡流でもない忠員に嫁ぐとは
普通考えられないけどね
余程確かな史料でもあるの?
0063人間七七四年
2016/03/18(金) 23:02:06.37ID:z2YCklXC実隆公記とかに載ってるのかな
三条西家は今川と懇意にしてたし、確かあの辺に荘園持ってたから繋がりがないわけではない
0064人間七七四年
2016/03/19(土) 17:42:27.09ID:ydbWyp4j稲葉一鉄の方がその時点でははるかに上かな
0065人間七七四年
2016/03/19(土) 22:34:19.25ID:uFBOsaFS0066人間七七四年
2016/03/20(日) 05:37:36.62ID:4CjP3/Kv時期的にいえば清康が三河統一したくらいの頃か
0067人間七七四年
2016/03/20(日) 08:18:45.57ID:Bhi7QT9+0068人間七七四年
2016/03/20(日) 09:07:40.25ID:x2PJqZSQ「改正三河後風土記」は幕府編纂であり、
幕府自ら否定していることからして、逆に怪しまざるを得ないってことなんだろ。
だから史学の徒としては、完全に否定も肯定もできるはずはないんだが?
間違っていると強硬に主張している人はどういう人なんだ?
0069人間七七四年
2016/03/20(日) 09:56:26.78ID:kmHin+MK0070人間七七四年
2016/03/20(日) 11:11:05.89ID:PFw21vAa大久保忠佐が家康に「糞を漏らして逃げ帰っただろ!」と罵ったて書いてある
0073人間七七四年
2016/03/20(日) 11:36:59.80ID:Bhi7QT9+0074人間七七四年
2016/03/20(日) 11:39:56.71ID:kmHin+MKでも「忠勝への嫉妬心によって出た悪口」とは明記されてるわけだから普通に考えればただの事実無根の悪口じゃないの?
本当に脱糞してたならこのあとの家康公に説教されて大久保が感服みたいな流れもギャグみたいな話になるし
そもそも三河後風土記って徳川マンセーの軍記みたいなもんだし
0075人間七七四年
2016/03/20(日) 11:51:43.40ID:PFw21vAaこの罵倒が「嘘」か「主君に不名誉な事実の公言」なのかは明記されていない
脱糞否定派は「嘘」と解釈したいようだが、本当に嘘なら大久保忠佐は無礼討ちだと思う
事実だからこそ「主君に恥をかかせるな」という説教程度で取り繕うしかなかったと解釈できる
徳川マンセーの軍記なら尚更
0076人間七七四年
2016/03/20(日) 12:03:25.98ID:kmHin+MKいやだからそもそも徳川マンセーの軍記なら「家康が脱糞した」なんて筋書きにするわけないっしょ
それが周知の事実だったら取り繕う必要もあるけど、この軍記以外の資料には全く記述の無い話をわざわざ書くわけないわ
そもそも一言坂の戦いから40年以上後に成立して著者も不明な資料を真剣に考察するのもアホらしいけど
0077人間七七四年
2016/03/20(日) 12:17:49.44ID:PFw21vAa>この軍記以外の資料には全く記述の無い話をわざわざ書くわけないわ
三河後風土記の作者に他の史料の内容など知る由もなかろう
作者の周辺では、まさに「周知の事実だったから取り繕う必要」があったと解釈できる
また、今と違ってこの手の記録は教養人の仕事
大局に関わらぬ脱糞話をわざわざ書きたがる下品な記者も少なかろう
0078人間七七四年
2016/03/20(日) 12:37:19.50ID:kmHin+MK仮にそうだとしたら他の資料を編纂した多くの徳川家臣の間では全然周知の事実じゃないのに、何故か一言坂の戦い当時生まれてたかすら怪しいこの作者の間でだけ周知の事実になってて取り繕う必要があったってことになるから、やっぱ胡散臭い話には違いないんじゃいの?
要するに家康が脱糞したって話はこういう拙い仮定をいくつか繋げてやっと可能性が成立するようなレベルの話だから、可能性が全くゼロとは言わないが、脱糞した可能性の方が高いみたいに断言する奴の気が知れないね
不当な名誉毀損だよ
0079人間七七四年
2016/03/20(日) 12:39:04.55ID:Bhi7QT9+https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%BE%8C%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98
0081人間七七四年
2016/03/20(日) 12:58:42.64ID:PFw21vAa三河後風土記は平岩親吉著書かれてるから本当なら、まさに当時者
wikiには「正保年間以後の成立と考証され」「偽書説もある」とか書かれてるけど
理由も誰が考証してるかも書かれてないからなんとも
ちなみに「江戸時代から偽書」とは名言されてないな
0082人間七七四年
2016/03/20(日) 13:13:43.74ID:kmHin+MKだから「それが本当なら」ってのも拙い仮定だから結局同じだよ
三河後風土記をまともな信憑性のある資料として扱ってる歴史家なんてまずいないしな
そもそも大久保の悪口を事実として解釈するのも拙い仮定のままだし
0083人間七七四年
2016/03/20(日) 13:17:19.39ID:iTLUFB/X0084人間七七四年
2016/03/20(日) 13:22:47.29ID:PFw21vAaそもそも悪口だから嘘と解釈するのも拙い仮定だな
家康の脱糞を嘘と公言してる学者もまずいない
0085人間七七四年
2016/03/20(日) 13:30:11.31ID:kmHin+MK真田丸の時代考証の丸島和洋さんがTwitterで
ついで。三方ヶ原「お漏らし」案件ですが、江戸後期の軍記初出で、しかも実は三方ヶ原でのエピソードではなかったりします。たぶん小説で三方ヶ原になっていったんだと思いますが。。。
って言ってるよ
ほぼ嘘と公言してるようなもんでしょ
0086人間七七四年
2016/03/20(日) 13:42:58.79ID:n8lCUOCb0088人間七七四年
2016/03/20(日) 13:54:50.11ID:n8lCUOCb「江戸後期の軍記初出で」を普通に読むなら家康が脱糞したって話はかなり胡散臭いって意味でしょ
それともあんたは江戸後期の軍記初出の記述でもほいほい信じるアホなのか?
0089人間七七四年
2016/03/20(日) 14:09:28.41ID:PFw21vAaそこは謎だけど「江戸後期の軍記初出で」と明言してるのは常識的に考えて「改正三河後風土記」のことだろ
三河後風土記は成立年不確定だからスルーしたと
「たぶん小説で三方ヶ原になっていったんだと思いますが。。。」という文脈から
主題が「脱糞は三方ヶ原ではない」のは明らか
0090人間七七四年
2016/03/20(日) 14:15:30.58ID:n8lCUOCb主題がどっちかとか関係ないっしょ
「江戸後期の軍記初出で」って公言してる時点で胡散臭いと公言してるのと同じ
そもそも三方ヶ原じゃないって話は「しかも」として付記されてるだけだし
0091人間七七四年
2016/03/20(日) 14:19:51.56ID:qGi2jHVT0093人間七七四年
2016/03/20(日) 14:28:44.39ID:n8lCUOCb結論ありきなのはそっちっしょ
「江戸後期の軍記初出で」って言葉に、そのエピソードの信憑性に疑問符が付くって意味が無いと解釈する方が難しいよ
0095人間七七四年
2016/03/20(日) 15:04:30.87ID:/zzTgg7Iこの板って愚にも付かぬ屁理屈で相手を辟易させて追い払ってから
堂々と嘘を書く狂人が溢れてるから全く信用できない
0096人間七七四年
2016/03/20(日) 15:26:15.79ID:qGi2jHVT一般向けのTwitter文を戦国板常識で判断するとか痛すぎるw
0098人間七七四年
2016/03/20(日) 16:31:25.47ID:5tFv3hqL0099人間七七四年
2016/03/20(日) 16:34:09.69ID:n8lCUOCb結局そこが一番大きいと思う
0100人間七七四年
2016/03/20(日) 16:50:10.63ID:qGi2jHVT0101人間七七四年
2016/03/20(日) 16:55:41.44ID:n8lCUOCb江戸時代から偽書扱いされて、現代でも信頼できる資料として扱ってる歴史家がいないから、で十分でしょ
0103人間七七四年
2016/03/20(日) 17:07:26.72ID:qGi2jHVT全く説得力なし!w
0104人間七七四年
2016/03/20(日) 17:16:54.24ID:n8lCUOCb>速見行道の『偽書叢』など書目録の多くで偽書とされる。
ってバッチリ書かれてるじゃん
もしかしてこれが改正三河後風土記のことを指してると勘違いのかも知れないけど、改正三河風土記は徳川家斉の命令で編纂された公式資料だから偽書扱いされてるのはその元になった三河後風土記の方だよ
0105人間七七四年
2016/03/20(日) 17:51:32.49ID:/N6M6ACL「三方ヶ原の話だと思いこんで探していたが一言坂でのことだった。しかしどちらにせよ後世の創作だ」
って言ってるんだよなあ
0106人間七七四年
2016/03/20(日) 17:53:51.71ID:iTLUFB/X0107人間七七四年
2016/03/20(日) 18:38:36.61ID:PxHEkMtR>>104
なんか勘違いしてるようだが改正三河後風土記は
三河後風土記を元に編纂されてるから三河後風土記だけが偽書とかあり得ない
ウィキにも「ともに」と書かれているし
幕府は偽書を元に正史を編纂した事になり、速見は幕府の正史は偽書と主張する反幕論者
0108人間七七四年
2016/03/20(日) 18:45:27.38ID:/N6M6ACL0109人間七七四年
2016/03/20(日) 18:50:57.01ID:PxHEkMtR幕府は「製作者や由来を偽った怪しげな書物」を元に正史を編纂した事になる
0110人間七七四年
2016/03/20(日) 19:02:21.62ID:/N6M6ACLそもそも改正三河後風土記は三河後風土記の怪しい部分を改める目的でつくられたのだから何の問題も無いんだよなあ
幕府が正史を編纂する目的で作ったのは朝野旧聞襃藁や徳川実紀だし
0111人間七七四年
2016/03/20(日) 19:19:46.04ID:PxHEkMtR将軍にまで献上するとは暇な幕府だ
よほど三河後風土記の影響力を恐れたと見える
0112人間七七四年
2016/03/20(日) 19:28:35.37ID:n8lCUOCbむしろ徳川マンセーな偽書を政治利用しようとした結果じゃん
0113人間七七四年
2016/03/20(日) 20:53:43.73ID:iTLUFB/X0114人間七七四年
2016/03/20(日) 20:57:41.57ID:az5vLKY6話の流れとまったく無関係で申し訳ないが、その理屈は「東日流外三郡誌」を本物だと言い張ってたヤツらと、
全く同じ理屈だから、あまり使わない方がいいと思う
0116人間七七四年
2016/03/20(日) 21:12:29.34ID:n8lCUOCb必死で論点をずらそうが、江戸時代ですら偽書扱いで現代の歴史家からは総スカンされてる三河後風土記の信憑性は非常に低いという事実が全て
これへの有力な反論が無い以上もう家康の脱糞の話は終わりでいいよ
0117人間七七四年
2016/03/20(日) 21:41:34.03ID:GoDNWq4I幕府の正当性にケチつける輩がワンサカいた時代に偽書扱いされてもねえ
そして
「改正三河後風土記」は幕府編纂であり、
幕府自ら否定していることからして、逆に怪しまざるを得ないってことなんだろ。
史学の徒としては、完全に否定も肯定もできるはずはないんだが?
という
>>68に全く答えられず、嘘ばっか吐きながら
必死に話を逸らしてきた否定派に自分ルールで纏められてもねえ
0118人間七七四年
2016/03/20(日) 21:45:33.24ID:GoDNWq4I脱糞話は削除でOK
わざわざ改正三河後風土記で取り上げてまで否定する必要ないんだよねえ
0119人間七七四年
2016/03/20(日) 21:48:27.24ID:YCwr0tdW0120人間七七四年
2016/03/20(日) 21:50:23.53ID:az5vLKY6>偽書とは「製作者や由来を偽った書物」
おれの手元の本だと、「東日流外三郡誌」の信奉者は、そういった後、
「製作者や由来を偽るということは、オリジナルがあるということ」
「この古文書にオリジナルなどというものはないのだから、これは本物である」
って書いてる
最初読んだとき、この人はアホかと思った
だから、「偽書とは?」みたいな話はやめた方がいいんじゃないかなぁ、と
0121人間七七四年
2016/03/20(日) 21:53:18.51ID:kmHin+MK18世紀の伊勢貞丈撰の「偽撰の書目」でも偽書扱いされてるよ
幕府自らって言うけどそもそも当時(家斉時代)の江戸幕府だって家康が脱糞したかどうかなんて知るわけないんだから怪しんでも仕方ないでしょ
つーか幕府が否定してなかったらそれはそれで「事実だから否定しなかった」とか言うんだろうし水掛け論でしょ
あと俺は「完全に否定」はしてないよ、ただ信憑性が非常に低いって言ってるだけで
それと「嘘ばっか」って具体的にどれのこと?wikiの文章もまともに読めず江戸時代に偽書扱いされてたという事実を嘘扱いして恥かいたのはそっちじゃん
0123人間七七四年
2016/03/20(日) 22:09:31.01ID:Bhi7QT9+ちなみに『武徳編年集成』を編纂した人
0124人間七七四年
2016/03/20(日) 22:16:13.98ID:/N6M6ACLそれはそいつが論理の飛躍し過ぎて馬鹿過ぎるだけだから「偽書とは〜」という話自体を止めた方がいいとは思わんな
そもそも>>107が「三河後風土記が偽書だからそれを元に編纂した改正三河後風土記も偽書!」とかいう
トンチンカンなことを言ってるのが原因だし
0125人間七七四年
2016/03/20(日) 22:16:17.61ID:IVQavo+Iあんた(ID:kmHin+MK)恥知らずにも程がある
>>69-72で嘘ついて速攻で否定されてんじゃん
あんたの初っ端の嘘のせいで否定派の信用ゼロだから
0126人間七七四年
2016/03/20(日) 22:20:30.98ID:5G7hYg/E0127人間七七四年
2016/03/20(日) 22:21:24.21ID:/N6M6ACLまず改正版で注釈なく削除された事例を示すべきなのでは?
>>125
それは>>121が嘘ついたのではなく、お前に読解力というものが無いだけなんだよなあ
0128人間七七四年
2016/03/20(日) 22:26:13.38ID:kmHin+MK?
だからそれはその後の論争でもあった通り大久保の嫉妬心から出た悪口を嘘ととるか事実ととるかの問題じゃん
理解力なさすぎでしょ
0129人間七七四年
2016/03/20(日) 22:29:52.92ID:qGi2jHVT悪口だから嘘とか底レベルすぎるw
0130人間七七四年
2016/03/20(日) 22:31:57.65ID:YCwr0tdWせめて、その著者が偽書として挙げた理由くらいは教えてほしいが
軍艦の逸話をもとに書いても問題にはならないわけで、三河後風土記を元にしてたら創作ではないよね
0131人間七七四年
2016/03/20(日) 22:33:27.67ID:kmHin+MK事実を言っただけなら悪口として成立しないし大久保が家康に説教されて素直に感服するのも不自然だと思うけど?
0133人間七七四年
2016/03/20(日) 22:35:00.40ID:/N6M6ACL「大久保忠佐が嘘を言ったとは書かれてないから本当に漏らしたのかもしれない!」とは絶対に言えねえよ
0134人間七七四年
2016/03/20(日) 22:36:07.32ID:/N6M6ACL0135人間七七四年
2016/03/20(日) 22:38:37.51ID:IVQavo+I0136人間七七四年
2016/03/20(日) 22:41:01.83ID:/N6M6ACL偽書だというのは「1610年に平岩親吉が書いたというのが疑わしい」ということだから、
三河後風土記の信憑性とはまた別の話
0139人間七七四年
2016/03/20(日) 22:53:20.11ID:/N6M6ACL0140人間七七四年
2016/03/20(日) 22:57:38.19ID:IVQavo+I0141人間七七四年
2016/03/20(日) 23:00:58.90ID:qGi2jHVT>>138の罪は大きいなw
0142人間七七四年
2016/03/20(日) 23:07:29.10ID:kmHin+MK信用しないならしないで相手の主張を覆す根拠を示すとか色々あるだろ
信用できない信用できないと壊れたラジオのように繰り返すだけじゃただの思考停止だよ
0143人間七七四年
2016/03/20(日) 23:13:32.47ID:IRtB8dCU次スレからは「ウンコの話は禁止」をテンプレに入れよう。
はたから見てると「信じる・信じない」と「嘘つき・お前こそ嘘つき」を延々繰り返していてラチがあきそうにない
0144人間七七四年
2016/03/20(日) 23:14:00.14ID:/N6M6ACL罵倒一回で譜代の重臣を斬ってたら家康の求心力が低下する可能性があるし、
そもそもあの話丸々作り話だろうから色々と矛盾点が出るのも当然だろう
0145人間七七四年
2016/03/20(日) 23:23:19.93ID:Vyf2SoFSこれからは「ウンコの話禁止」で
0148人間七七四年
2016/03/20(日) 23:47:01.49ID:guffdEhxウンコくらい漏らすさ人間だもの
0149人間七七四年
2016/03/21(月) 00:09:01.48ID:QpuJ1Gi9この短編で紹介されてる「角兵衛狂乱之図」って実在するんだろうか
検索しても出てこない
少し前に真田太平記関連のスレで「例の絵がらみで子孫が〜」とか書かれててなんだろうとは思ってたけど
この短編にも所有者の名前が出てるけど、別に子孫ってわけでもないっぽいし
0150人間七七四年
2016/03/21(月) 00:50:59.29ID:497TVpTj0151人間七七四年
2016/03/21(月) 05:18:24.78ID:Hcn0r5fC0152人間七七四年
2016/03/21(月) 11:22:48.97ID:R2eDDnJ0北政所大好きの司馬が更に拍車をかけた感があったけど
0153人間七七四年
2016/03/21(月) 15:03:27.01ID:gb6tx5ZKちりじに退却中となると脱糞して帰還もありえなくもない
ただ恐怖でちびったわけでないから否定してるのかも
0154人間七七四年
2016/03/21(月) 15:13:02.01ID:v4C/k4+o垂れ流しながら戦うのが正しい武士の有り様と竹中先生も仰っています
0155人間七七四年
2016/03/21(月) 15:19:44.08ID:QpuJ1Gi9いや、「先公実録」という資料に所収されてる「取捨録」というのに「樋口四角兵衛」という、
信繁の従者の話が載ってるそうな
出自はともかく、エピソードは、真田太平記や短編の樋口角兵衛そっくり
大坂の陣にも信繁に従って参加した後、国に帰り子孫は真田藩に仕えた、とか
もっとも、絵の話を知る前はおれも創作された人物だと思ってたんだけど、真田太平記関連のスレで、
「池波正太郎に子孫が抗議したらしい」とか書かれてて、ほんまかいな、と
でもまー絵についても検索しても出てこないし、その「子孫が抗議した」とかいう話は、こうなるとデマなんだろうなぁ
と思っていたら、NHKの真田丸歴史ガイドブックの考証担当の人達の座談会で、「樋口角兵衛という、実在はしたらしいけど、
それほど重要ではない人物」と触れられたりしたので、ますます分からなくなったんだけど
0156人間七七四年
2016/03/21(月) 17:49:24.43ID:z0ZQSnKf一度やってみろよw
ガニ股でそろそろ動いて戦うのか?
瞬殺されるでw
0157人間七七四年
2016/03/21(月) 18:05:47.32ID:497TVpTj0158人間七七四年
2016/03/21(月) 18:21:58.19ID:Rb4TOWtL下痢は戦場では対応できないw
0159人間七七四年
2016/03/21(月) 18:40:31.00ID:5idN/qFs0160人間七七四年
2016/03/21(月) 19:02:15.28ID:kvrxrdZD多少のヒートアップはあったけど
荒れるってほどの事でもなかったし
初心者にはいい勉強になった
全世界に500人位はいるであろうROMを代表して礼を言わせてもらう
0161人間七七四年
2016/03/21(月) 20:26:10.75ID:xssYv7RU0162人間七七四年
2016/03/21(月) 20:43:08.86ID:0VJvgClu>>152
司馬は創作した話も多いけど、俗説を世間一般に広めたのも多々あるからな
海外貿易推進派だった家康を徹底した鎖国主義者にしたりとか
016368
2016/03/22(火) 06:58:02.49ID:0WfIxFji言われたので、史学徒の態度としてはそれはないだろう、ということで
丁度いいスレを見つけたので、ここで軽い検証(ジャブ)を行って貰いたいと思ったわけw
>>68で言ったように断定的な決めつけ(肯定否定共に)はできない、というのが史学徒の立場ではないのか?
0164人間七七四年
2016/03/22(火) 07:44:51.04ID:bgdw5rLv0165人間七七四年
2016/03/22(火) 07:45:53.84ID:F/wr4t2+史学の徒?
ここにいるのはシーア派とスンニー派のテロリストだけだよ
お互いに話しも聴かずに馬鹿だのクズだの罵りあうだけ
0167人間七七四年
2016/03/22(火) 22:22:46.24ID:lBWcfkMb0168人間七七四年
2016/03/22(火) 22:26:18.89ID:F/wr4t2+0170人間七七四年
2016/03/25(金) 07:13:50.65ID:w78czMLt0171人間七七四年
2016/03/25(金) 19:32:02.01ID:WWvFUk82図書館で「天正壬午の乱」を借りてきて読み始めて、初めて知った
まあ「天正壬午の乱」っていう一連の出来事自体、今回の真田丸で初めて知ったんだけど
0172人間七七四年
2016/03/25(金) 21:08:00.48ID:RTyKEFYO根拠が乏しそうな話だけど誰が広めたんだろう
0173人間七七四年
2016/03/25(金) 22:26:23.16ID:bMWTeY7I0174人間七七四年
2016/03/26(土) 00:14:22.49ID:pUckEmH5いいかげん藤本正行の批判からコソコソ逃げ回ってないで反論しろやw
0175人間七七四年
2016/03/26(土) 00:45:10.02ID:tBtQgp7s0176人間七七四年
2016/03/28(月) 17:45:03.83ID:3Rlisvhl織田一族が美形だとは、太田牛一らが書いている
義経…容姿に関する記録は一切ない。フィクション『平家物語』において、
敵対する平家武将の間で義経の容姿について、出歯でチビだと、悪口を語る描写がある程度
沖田総司…どちらかと言えば不細工という記録がある。顔色が悪く(病気のためだろう)、
ソラマメに喩えられる顔型だと伝わる
同時代の者が美形だと証言した記録はあっても、逆に美形ではなかったとする証言は存在しない織田一族と、
後世のフィクションの一部で美形化が図られたことが明確な義経や沖田総司と同列に扱うことが、
不見識だと言わざるを得ない
0177人間七七四年
2016/03/28(月) 20:07:00.70ID:Zxe9sHO5斉藤一とか るろ剣ではあんなに格好良かったのに写真見るとアレだもんな
土方の写真はかなりイケメンに見える
0178人間七七四年
2016/03/29(火) 15:27:33.36ID:O8Ula7Tq昭和30年代後半、海音寺潮五郎が「ドイツの有名な戦術家が関ヶ原古戦場で〜」
と、エッセイ上で創作
昭和40年代前半、司馬遼太郎が「メッケルが関ヶ原の配置図を見て、石田方の勝ちと言った」
と、小説上で語る
まるで明治時代から伝承されていたかのように認識されていたが、
実際は昭和後半に突然湧いた話だった
0179人間七七四年
2016/03/29(火) 18:45:28.78ID:20dx3qqL異国で恥かいたドイツの軍人さんなんてのはいなかったんだ(゚ーÅ) ホロリ
めでたしめでたし
0180人間七七四年
2016/03/29(火) 20:07:46.80ID:wsGL8aT4司馬や坂口の小説で強調されたもので特に根拠はないとあったけど本当かな
0183人間七七四年
2016/03/29(火) 21:06:54.65ID:DJsN0nHc太田牛一が美形だと書いてるのは織田秀孝だけで、織田一族が美形だとは言ってないだろ
太田牛一は荒木村重の妻の「だし」が美形だと言ってるな
0184人間七七四年
2016/03/29(火) 21:09:24.14ID:DJsN0nHc司馬遼太郎は徳姫について「織田家は美形が多い。彼女も例外ではない。
ただ唇が薄くて男の愛を受けるタイプではなく」って書いてるし。
織田信行についても美形だったと書いてる。だけどそんな史実はない。
ほかでも織田家が全般的に美形という表現があったような。
0185人間七七四年
2016/03/29(火) 21:10:34.66ID:DJsN0nHc肖像画が根拠になってることが多いけど肖像画なんてリアルタイムで描かれたものでもないし
お市の運命とか三女が数奇な運命に鳴ったとか総合判断で美人ってことになってるだけでは?
0186人間七七四年
2016/03/29(火) 21:22:00.10ID:yIVUvw+v0187人間七七四年
2016/03/29(火) 21:28:13.84ID:DJsN0nHc>>184の信行が美形だと書いてるののなかで、「信行は美形なので
下を向いて悲しげな表情をするだけで、信行様が悲しんでおられると
家臣たちは涙した」みたいな話だから、逆に言えば信長はそういういうふうには
家臣たちに思ってもらえなかったってことだろw
0189人間七七四年
2016/03/29(火) 21:32:14.24ID:HNxnJHOhhttp://blog.livedoor.jp/rekishireal/archives/48223382.html
>家康が盛んに爪を噛んで、嫁ハンから注意されていましたが、
>それは司馬遼太郎や坂口安吾の小説の影響で、さしたる根拠はないようです。
この部分か。隆慶一郎なんかも思い切り使用してたな
>>185
お市と言えば秀吉が横恋慕していたって話は誰が創作したんだろう
0190人間七七四年
2016/03/29(火) 21:39:14.82ID:rZ5FQ9vA「司馬遼太郎作品てもしかしてライトノベルだったんじゃ…」
0191人間七七四年
2016/03/29(火) 21:45:07.22ID:tTBP1L6b最近の本当にうすっぺらい作家とはレベルが違う
0192人間七七四年
2016/03/29(火) 22:25:28.06ID:DJsN0nHc秀吉は名門好きなんだから、名門なら美形じゃなくてもいいんじゃ?
織田家は格別名門とはいえないが、尾張の百姓出身の信長にとっては
領主様の一族はやっぱり格別だったと思われる
秀吉が実際に側室にしたのは信長の娘の三の丸殿だけど、
ちなみに三の丸殿の母は滝川一益の一族だという
知り合いの娘とかキモくないの?
それをいったら、前田利家の娘も側室にしてるが・・・
0193人間七七四年
2016/03/29(火) 22:26:12.23ID:DJsN0nHcこれも史実じゃなくて創作かも
0194人間七七四年
2016/03/29(火) 22:27:21.21ID:DJsN0nHc0195人間七七四年
2016/03/29(火) 22:30:47.96ID:DJsN0nHc0196人間七七四年
2016/03/29(火) 23:51:13.13ID:bxxEnzo00197人間七七四年
2016/03/30(水) 00:14:10.59ID:7a0Yi5Op「信長は気品があった」みたいな一文書いてた気がす
気品=美形 とするのかしないのか、これは個人の裁量だけど
0198人間七七四年
2016/03/30(水) 00:19:26.80ID:jnB2xSGcしかし肖像画とかいろいろな話を総合すると豊臣秀頼は身長体重顔立ちがほぼ貴ノ浪だよな
「花のようなる」ともいうが花は花でも貴乃花じゃないか、とても連れ出せそうにないぞ
0199人間七七四年
2016/03/30(水) 01:05:22.77ID:rfcx/glU何例か具体例出たところで何の結論も導かへんのと違う?
0200人間七七四年
2016/03/30(水) 01:37:57.86ID:4DbGIE9N配偶できるる家系、要は戦国大名クラスならそんなとんでもない異形が
でるわけもなし、ことに織田家は残された肖像画を見る限り美形といって
別にいいんじゃないの。
0201人間七七四年
2016/03/30(水) 01:56:40.26ID:9yKTfklx0202人間七七四年
2016/03/30(水) 02:35:24.49ID:xr8W6YOQあいつの顔は全然美形じゃなかった
0203人間七七四年
2016/03/30(水) 03:06:28.41ID:4DbGIE9NなにやらTV番組に業界では名が知れた業者製のニセ家系図を持って出たそうな。
しかも幕末から明治にかけての途中三代が不明のw
0204人間七七四年
2016/03/30(水) 03:17:24.62ID:wcRaJvAlフロイスはクリスチャンにはだいたい気品があるとか描くよ。
明智光秀なんて西洋の貴公子のような子どもたちだと絶賛。
信長は三傑のなかでは一番キリスト教に寛容だっただろう。
坊主を焼き殺してくれたのも宣教師的にプラス評価で。
0205人間七七四年
2016/03/30(水) 08:29:15.81ID:LFSrQM+E0206人間七七四年
2016/03/30(水) 09:43:07.29ID:zwPv+3T/信忠とか信雄はまだいいとして、長益とか秀信とかの肖像画って美形か
0207人間七七四年
2016/03/30(水) 09:53:18.92ID:G27HQSQ/真田幸村よりも盛られていてすごいんだな
名古屋民あほちゃうの
0208人間七七四年
2016/03/30(水) 11:04:06.63ID:PyzczZMD信玄の肖像画って言われていたのが畠山だったり、尊氏と言われていたのが高一族だったり、
頼朝と言われていたのが足利直義だったりするけど、義経の肖像画も本人なのだろうか
0211人間七七四年
2016/03/30(水) 12:45:34.63ID:wcRaJvAlと書かれている。平家物語なので話半分ではあるけど、義経が美形というのは根拠の無い
話じゃないの?逸話ですらブサイク扱いされてる
0212人間七七四年
2016/03/30(水) 13:28:25.07ID:UIm/6kv80213人間七七四年
2016/03/30(水) 15:22:25.03ID:2utvCIPz平家物語のそのパートは、
義経を憎む平家軍の侍が悪意を込めてそう表現したという流れであり、
小説の役割としても客観性は皆無。地の文ですらない
複数の情報源によれば、義経は体格が貧弱で、
侍としては身体的に不利だったという点は信頼性が高いが、
容姿については全く判らない
0214人間七七四年
2016/03/30(水) 19:26:42.06ID:WuOEWJcfつまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。
近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年)
0215人間七七四年
2016/03/30(水) 20:12:46.71ID:wcRaJvAl最初から平家物語だから話半分って言ってるよ。
でも美形だったらブサイク煽りはないと言える。
つまり、義経は美形ではない。
0216人間七七四年
2016/03/30(水) 20:16:14.86ID:3KoHF2ekこう、ちょっとワイルドな感じで
0217人間七七四年
2016/03/30(水) 20:19:15.57ID:8Xmg7lP3世間的に美男美女とされてるタレントやらアイドルやらをブサイクブサイク言ってるお前がそんなことを
0218人間七七四年
2016/03/30(水) 21:03:36.63ID:bNX8qEWj0219人間七七四年
2016/03/30(水) 21:19:23.58ID:2utvCIPzまだ理解していないようだな
平家物語だから話半分と言っているか否かを問題にしているのではない
平家物語の中で義経醜男の情報が出た箇所が、悪く表現する意図が込められた部分だということ
これでは、例え平家物語が小説ではなくて史料だったとしても、
義経が美形だったか醜男だったかの判断の根拠にはならないっつーの
平教教らが義経を醜男呼ばわりしたという根拠以外の何物にもならない
>でも美形だったらブサイク煽りはないと言える。
>つまり、義経は美形ではない。
この前提と理論構築が間違い。悪口というものは、事実とは逆のことを言うことも有り得る
お前さんは情報を汲み上げて結論を導き出す手法がズレているし、
反論しようとすると、その論点もズレている
0220人間七七四年
2016/03/30(水) 22:38:43.17ID:wcRaJvAlそんなことをいうなら、若くて死んだ人間が美形だったというのは補正があると
考えられるから信じられないね。織田秀孝みたいに。
0221人間七七四年
2016/03/30(水) 22:49:11.28ID:wcRaJvAl補正が効いてるから信じらられないね。
それと>>215の書いてる内容を全く理解できてないのは>>219の馬鹿。
こっちはまったくそんなことを言ってない。
>>219みたな馬鹿な発言を、説教臭く人に話せるってどんだけ低学歴よ。
0222人間七七四年
2016/03/31(木) 11:51:46.47ID:7y5HpAsq政治家としては有能だった秀忠の無能化とか作家が広めた話は多々あるな
0223人間七七四年
2016/03/31(木) 12:21:51.16ID:d751Mc/F0224人間七七四年
2016/03/31(木) 13:05:38.49ID:3hsKKsRJ集古十種とかも結構通説俗説のネタ元になってるな
0225人間七七四年
2016/03/31(木) 13:06:42.62ID:5A4zXBijあえて恥の上塗りをしたいという、その目的は一体なんだ?
0226人間七七四年
2016/03/31(木) 13:20:16.58ID:61fIeOpf>>211で、○○だから△△じゃないの?といった形式の
結論の出し方が何か違和感があってスッキリしないと思ったら、
論理の過誤が>>219で実に解りやすく指摘されてた
何一つ反証できずに感情的に罵倒するだけの>>220、>>221は、
確かに火病だ
0227人間七七四年
2016/03/31(木) 16:51:45.30ID:Ni0nbWa+大河ドラマ「天地人」の頃は、「現存するのは後世の創作だけど、それに当たるものはあった」
っていう解釈だった気がするけど、最近読んだ本だと、「そもそも、上杉の立場を説明する弁明書的なもので、
いわゆる直江状は、存在しなかった」って書いてあった
旧参謀本部編纂の「関ヶ原の役」も、直江状のことには触れてなかった気がする
景勝の「おれの悪口を言いふらしてるやつらの主張の調査をちゃんとやってくれない限り、上洛できない」
っていう手紙を紹介してたし
「真田丸」ではどうするんだろう
こういう「無いとさみしい」的創作は採用するんだろうか
「創作と分かってても有名なのは許容します」って、時代考証チームはインタビューで答えてたけど
0228人間七七四年
2016/03/31(木) 17:47:34.05ID:zTToIza90229人間七七四年
2016/03/31(木) 18:53:39.86ID:JD4Uqr+I喧嘩売ってる追記部分はまるっきり後世の創作
本文の弁明書は他史料と合致しててそこそこ信頼は置ける
ただ本文の弁明書も因縁つけてる相手に真っ向から正論で答弁してる訳で喧嘩買ってると見れないことも無い
演出次第でいかようにも使えるやろ
0230人間七七四年
2016/03/31(木) 19:40:48.23ID:UOnHcqyq謙信は信玄と一騎打ちする
武田騎馬隊は鉄砲三段撃ちで全滅する
家康の長男は信長のそれより優秀だったので信長に殺される
明智光秀は人質の母親を殺され家康の接待に腐った魚を出し出雲に国替えで謀反を起こす
大河なんてそれでいいじゃんよ
0231人間七七四年
2016/03/31(木) 19:57:33.40ID:9WuONnr00232人間七七四年
2016/03/31(木) 20:21:06.39ID:zTToIza90233人間七七四年
2016/03/31(木) 21:19:21.66ID:R3IjwpVg運用してたんじゃね、というのがまた最近はあるみたいだけどね。
0234人間七七四年
2016/03/31(木) 21:28:20.49ID:JD4Uqr+I0235人間七七四年
2016/03/31(木) 22:44:32.25ID:3hsKKsRJ実在はしたことが判明し、2008年に真下家所蔵文書、2009年に沼津山本家文書が見つかって
ようやく本人とその子孫の事が分かるようになったくらいだから、
武田騎馬隊についても今後どうなることやら
0237人間七七四年
2016/03/31(木) 22:49:04.12ID:3hsKKsRJ道鬼こと初代かんすけは勘助じゃなくて菅助になってるから
後者が多分正しいんじゃないかな
0239人間七七四年
2016/04/01(金) 08:35:33.51ID:45eybCwr光秀は甲斐で殴られて焼き討ちが許せなくて幕府朝廷を再興させたくて長宗我部毛利上杉北条を助けたくて松永荒木に感化されて秀吉家康勝家とグルだったはずだからな
0240人間七七四年
2016/04/01(金) 08:59:41.79ID:6ipnfBMJ伊達関連が山岡、武田関連が新田、信長、家康、秀忠関連が司馬の影響かな
0241人間七七四年
2016/04/01(金) 14:25:21.07ID:L4+J1DkX1780年、従姫が紀州徳川家から尾張徳川家へ嫁ぎ、絵画を持ち込む
1805年、従姫死後、尾張徳川家が絵画を管理
1935年、徳川美術館開館から間もなく、尾張徳川家の末裔の徳川義親氏が絵画を提供
「尾張徳川家初代の徳川義直が、父の苦難を忘れないように描かせた」と、逸話を添える
以後、1972年までの間に、苦難=三方ヶ原敗戦と解釈する憶測が普及
1972年、収蔵品図録に記録
「家康が自ら描かせ、障害座右を離さなかった」とする話に改変
その他の情報
・鑑定によれば、江戸時代の作風
・紀州家から尾張家に持ち込まれたものである
となれば、1935年の段階で語られたような、
尾張家の義直が描かせたという話すら成立しないということになる
・家康を描いたという根拠は無く、現時点では誰の肖像なのかは不明
0242人間七七四年
2016/04/01(金) 14:27:32.32ID:L4+J1DkX×「家康が自ら描かせ、障害座右を離さなかった」とする話に改変
○「家康が自ら描かせ、生涯座右を離さなかった」とする話に改変
0244人間七七四年
2016/04/01(金) 19:55:05.38ID:IhrIGPJSそういうふうに扱えばそれが「本物」になる場合だってあるんだから
菊地秀行さんの文章で、土産物かなんかの仏像を人から預かったのを、仏像だからと拝んでたら、
毎晩、夜中に歩きまわる音がするようになった
みたいなものでしょう
0245人間七七四年
2016/04/01(金) 20:30:49.03ID:by2E3x6S専門家はそういうわけにはいかないでしょ
0246人間七七四年
2016/04/01(金) 23:18:07.38ID:IhrIGPJS専門家がどこに!?
0248人間七七四年
2016/04/02(土) 11:45:16.94ID:9kDY7Xd4という話が江戸時代から伝わっていたものではなく、
産まれてから半世紀も経っていない都市伝説だったということだ
0249人間七七四年
2016/04/02(土) 11:50:31.46ID:L26kXm6E0250人間七七四年
2016/04/02(土) 12:25:11.29ID:3eCsBZoa現時点では誰の肖像なのかは不明な以上本当は誰だったのか知りたいじゃん
実際別人の可能性が高いのに嘘はよくないでしょ
0251人間七七四年
2016/04/02(土) 12:46:28.88ID:9kDY7Xd4それは保証できない
1805年に従姫の個人所有から尾張家所有へと移行したことは確かだろうけど
果たして、嫁入りの際に持って来た品と、
嫁入り後に従姫が入手したor描かせた品とを、
1805年時点の尾張家の者が、明確に区別できたかどうか…
0252人間七七四年
2016/04/02(土) 12:49:03.03ID:ObwYADRW0253人間七七四年
2016/04/02(土) 12:55:58.67ID:1MUiW9ug0254人間七七四年
2016/04/02(土) 13:10:34.57ID:ObwYADRW「論文を近く発表予定」で続報もないから指摘の通りでした
0255人間七七四年
2016/04/02(土) 13:53:32.58ID:L26kXm6E0256人間七七四年
2016/04/02(土) 14:44:30.79ID:f6IEGKka0257人間七七四年
2016/04/02(土) 16:02:27.40ID:kUvC6pDS普通に考えたら、うんこ漏らしたしかめっ面
0258人間七七四年
2016/04/02(土) 16:32:21.76ID:buZ5+gA50259人間七七四年
2016/04/04(月) 05:58:04.62ID:0vtsVl1b帽子の箇所だけマジックで描いたみたいに見える…
0260人間七七四年
2016/04/04(月) 07:11:18.53ID:ZkL0X1+j0261人間七七四年
2016/04/04(月) 18:29:18.21ID:B+ZqgMux0262人間七七四年
2016/04/06(水) 09:38:11.04ID:vY95KbxKついでに隻眼と言えば柳生十兵衛を隻眼にしたのは誰だろう
当時の記録には無かったはずだけど
0263人間七七四年
2016/04/06(水) 10:38:38.23ID:raJ8AOTo後松平広忠を暗殺したと言われる岩松八弥がいるな
0264人間七七四年
2016/04/06(水) 10:42:50.17ID:sY4PWtjy0265人間七七四年
2016/04/06(水) 10:56:04.86ID:F+KB7Gtr0266人間七七四年
2016/04/06(水) 12:21:39.64ID:3mVmumnh0267人間七七四年
2016/04/06(水) 13:35:09.26ID:DxBvTpVy剣豪スレでは山田風太郎が初出みたいな意見が出たけど、
もっと古くから隻眼キャラクター像があったんじゃないかとも思える
0268人間七七四年
2016/04/06(水) 14:32:46.04ID:DxBvTpVy夏侯惇は、正史では眼帯を使っていない
眼球を失った眼窩には、布を巻いて縛り付けていた
>>262
そういえば、
北条氏照なんかと同年代のアナ・デ・メンドーサ女史は
眼帯を使っていた
0269人間七七四年
2016/04/07(木) 12:18:28.95ID:+FnzAPPp0270人間七七四年
2016/04/07(木) 21:58:28.59ID:+FnzAPPp小説家の影響が大きかったのは昭和くらいまでで
今は研究家の恣意的な論文やそれを真に受けた
ゲームや漫画、ドラマの影響の方が大きい
0271人間七七四年
2016/04/10(日) 22:31:07.50ID:HdQIhrHd0272人間七七四年
2016/04/10(日) 22:35:02.68ID:ZNtSBhwa0273人間七七四年
2016/04/11(月) 09:21:45.91ID:g5NPkXWKそそてさらに拍車をかけたのは無双とかゲームな感じで
0274人間七七四年
2016/04/11(月) 11:01:07.53ID:swM7AXIe同時に出す策がみんな上手くいく家康、どれだけ凄いんだって感じになっているけど
0275人間七七四年
2016/04/13(水) 18:05:18.08ID:sA6v5L2r徹底して美化しまくったせいで、いかにも理想のリーダー的なスーパーマンになってしまった、大河ドラマ化で、さらにそれが広がった、
みたいなことを、藤本正行氏がどこかで書いてた
藤本正行氏の著作は、武功夜話や、本能寺の変謀略説への批判とか大いに影響されてるし、
信長公記を基本に据えた信長の人生の見直しなど、立派な業績だと思うけど、
他人へのケンカ腰の姿勢とか、テレビやフィクションへの悪意に満ちた記述だけは、どうも好きになれない
0276人間七七四年
2016/04/13(水) 18:21:45.18ID:+0YWnooI0277人間七七四年
2016/04/13(水) 20:11:27.40ID:IM1GmK1u山岡荘八の「徳川家康」は家康がめっちゃ善人でいい人設定になっていて今となっては笑えるね
0279人間七七四年
2016/04/13(水) 23:53:42.58ID:Wjh6FtXk0280人間七七四年
2016/04/14(木) 00:01:18.76ID:KjDyWEyq0281人間七七四年
2016/04/14(木) 07:05:06.43ID:tI1MsOS0それはないわww
0282人間七七四年
2016/04/14(木) 17:39:51.34ID:BirWVk4k0283人間七七四年
2016/04/14(木) 18:15:47.03ID:AESTooQB0284人間七七四年
2016/04/14(木) 20:46:49.75ID:tNjrOcYi0285人間七七四年
2016/04/14(木) 20:57:57.97ID:woGZkLyM0286人間七七四年
2016/04/15(金) 17:17:47.81ID:xVMvKYlp0287人間七七四年
2016/04/15(金) 17:49:52.81ID:Wj98T75J0288人間七七四年
2016/04/15(金) 18:38:07.67ID:AT5oxggPてんぷら食いすぎて体調悪化させたとかさ
0289人間七七四年
2016/04/15(金) 19:33:27.68ID:DydrgeHS0290人間七七四年
2016/04/16(土) 12:15:15.79ID:bbzwP7oT陣を乱されて敗走する家康を、この寺のお堂の陰から後藤又兵衛が突き殺したと、
実に具体的な話である
さて、史実と検証してみると、
・後藤又兵衛は、家康が大坂に到着する前に戦死していた
・南宗寺は大坂夏の陣直前、大坂軍の放火によって焼失していた
伝説を史実認定するには少々無理があります
考えられることは、
大坂軍によって焼き払われた堺の街の復興に道筋を付けてくれたことで、
堺の町衆は徳川家、ひいては家康に感謝し、再建した南宗寺に家康を象徴する慰霊碑を建立した
それが家康の墓という話にすり替えられ、いつしか南宗寺の境内で家康が討ち取られた
という話が出来上がっていったと
0291人間七七四年
2016/04/16(土) 20:43:24.06ID:/iqem9iN創作した真田や勝永好きなんかにしてみれば、せめて本当は討取っていた事にして
溜飲を下げたかったんだろうな
0292人間七七四年
2016/04/16(土) 20:59:58.42ID:rKxDRjUmそれに屈服した諸大名は
もっとしょぼく見えてしまうんだがな(笑)
0293人間七七四年
2016/04/17(日) 12:06:09.49ID:/ITwSmsl他の大名とかどんな扱いされてても構わないんだろう
0294人間七七四年
2016/04/18(月) 02:19:38.84ID:UBrpAUi3あれは奇跡。
常識では考えられないことが戦国時代に起こっていても不思議ではないなと考え直させられたよ。
0295人間七七四年
2016/04/18(月) 08:16:19.48ID:NB+dYCMK0297人間七七四年
2016/04/18(月) 21:21:10.70ID:XqkEr1W70298人間七七四年
2016/04/18(月) 22:08:40.84ID:OyK+sTLb0299人間七七四年
2016/04/19(火) 00:27:25.68ID:qYMW80I4あの状態では迂闊には近付けないよなぁ…
一旦人工的に緩やかに倒壊させてから組み直すのかね?
好きな城だから心配だ
0300人間七七四年
2016/04/21(木) 12:43:37.98ID:hhUFgroG一応明治までは遡れるみたいだが初出はよくわからんらしい
隻眼がトレードマークになるのは戦後になってからでそれまでは両目隻眼混在してたみたいだが
山風の十兵衛は隻眼だが眼帯はしてない
http://togetter.com/li/874272
0301人間七七四年
2016/04/22(金) 11:47:31.39ID:by9ZZ02x0302人間七七四年
2016/04/22(金) 20:05:40.80ID:QhqB6hUSフィクションの世界とかでは結構役立ってるけど、
実際はどんなものだったんだろうか
表面に鉄板を貼った程度だっただろうけど
当時の船の中では防御力高かったかもしれないが
何より航行能力に疑問を感じるのだけど
0303人間七七四年
2016/04/22(金) 20:09:12.55ID:Qlm7sFUg少なくとも対毛利戦で、いわゆる鉄甲船が役に立ったとか戦果を上げたとかいう記録は一切存在しない。
紀伊のしょぼい海賊を追い払ったって話が唯一。
そして第二次木津川合戦のあと鉄甲船は即座に解体されて小さな船に作りなおされた。
まあ何の役にも立たなかったと見るのが正しかろう
0304人間七七四年
2016/04/22(金) 20:31:38.58ID:Cq+rDrPP0305人間七七四年
2016/04/22(金) 20:47:34.93ID:mETxaFOzなお、鉄甲船は秀吉の号令でも建造されているので、
信長の前例があっても不思議ではない
0306人間七七四年
2016/04/22(金) 20:51:19.37ID:+wrt6VBf信長の大船が鉄甲船かはともかく
朝鮮征伐や江戸時代でも使われてるから有効性はあっただろう。木造船は燃えるのが一番怖いし
まぁ重量と波に耐え切れなくて沈むのもあったつーけど
0307人間七七四年
2016/04/22(金) 20:53:17.81ID:xtydZ28uでも、当時の宣教師の報告とか、公家の日記かなんかで、船の存在自体は書かれるほどだったそうなので、
信長の力を示すアピールにはなったんじゃないの
0308人間七七四年
2016/04/22(金) 21:06:01.17ID:euGqnjng>記録は一切存在しない。
普通に信長公記に書かれているけど?
九鬼右馬允、七艘の大船に小船を相添へ、山の如く飾り立て、
敵舟を間近く寄せ付け、愛し侯ふ様に持なし、大鉄炮一度に放ち懸け、敵舟
余多打ち崩し侯の間、其の後は、中中寄り付く行及ばず、難なく、寅七月十七日、
堺の津へ着岸侯ひしなり。
0310>>302
2016/04/22(金) 21:22:06.48ID:QhqB6hUS鉄甲船の有効性に対する疑問もそうだけど、
この>大鉄炮一度に放ち懸けにある大鉄炮って
実際どんなもので、どれだけ有効だったのかな
0311人間七七四年
2016/04/22(金) 21:43:33.72ID:xtydZ28u手元の本では、堺に停泊中の大型船を宣教師が見学していて、フロイス宛の手紙に、
「大砲三門が載っていたが、大友宗麟以外に日本に大砲はなかったはずなのに」
驚いたそうな
同じ手紙に「実際に、大砲と装置を見た」と書いてあるそうなので、先込め式の「大筒」ではなく、
装填装置のついた「フランキ砲」とかいうものと考えられるとか
信長研究で有名な、藤本正行氏の本なので、間違いないでしょう
威力までは、さすがに分からないけど
0312人間七七四年
2016/04/22(金) 22:00:34.09ID:mETxaFOz0313人間七七四年
2016/04/22(金) 22:07:28.90ID:ftekyBdL0314人間七七四年
2016/04/23(土) 01:32:54.04ID:enjddD3R>記録、一次資料(一次史料の誤り?)
偉そうな事言うのなら、もう少し丁寧に使い分けろ。はっきり言って、ド素人臭がする。
0315人間七七四年
2016/04/23(土) 01:47:07.24ID:enjddD3R(なんだかイライラして文章が無駄に荒れてるわ。)
0316人間七七四年
2016/04/23(土) 13:50:54.93ID:lsOyNRP7>実際はどんなものだった
大型の安宅船に大砲を搭載したもの
鉄板を貼っていたとか何とか、関係者の記録には一切そんな言及はない
「第二次木津川海戦で織田方の鉄の船が毛利水軍を蹴散らした」という主旨を吹聴する者が
いて、京で噂になったと、奈良の坊さんが記録した(鉄甲船とは言っていない)
合戦の現場を見ていない者による伝言ゲームで情報が変容した事例
ここから想像を膨らませ、近年になって「鉄甲船」という架空の船が創られた
信長よりわずかに後の時代に試作された、秀吉の鉄張り船(失敗作)も参考にしたと思われる
0317人間七七四年
2016/04/23(土) 14:06:18.64ID:OT1IlTtL鉄甲船は朝鮮で海戦参加もしてるぞ。戦績は不明だが。
秀吉が唐突に鉄甲船を思いついたと考えるよりは、信長の前例が
あったとする方が蓋然性高いだろ。
0318人間七七四年
2016/04/23(土) 14:10:44.07ID:UhKFeVre0319人間七七四年
2016/04/23(土) 14:31:26.00ID:xKcQIW7Z船梁の強度が足りなかったから
後は、名護屋城図屏風に描かれている3重や2重の天守も原因としてありそう
0320人間七七四年
2016/04/23(土) 20:46:36.99ID:FNxVeqntある程度丈夫でも図体がでかくて、動きが遅いんじゃ
かえって標的になるだけの様な気がするな
仮にある程度鉄板が使われていたにしても
船の表面全体を覆っていたわけでもないだろうし
もし大砲をつんでいたにしろ、威力となにより命中力に問題がありそうだ
まあ見た目的には迫力は有りそうだから、威嚇目的だったら
役に立ったかもしれないけど
0321人間七七四年
2016/04/23(土) 20:49:44.55ID:j/yFdFvA0322人間七七四年
2016/04/23(土) 20:53:18.68ID:xKcQIW7Z秀吉の鉄甲船も迎撃が目的だから機動力は低くても良い
そもそも安宅船の機動性が大したことない
0323人間七七四年
2016/04/23(土) 21:40:04.71ID:7PeHdD5l1573年に琵琶湖に浮かべたのが最初で、これは足利義昭を討伐するのに1度だけ使って、
3年後に解体
で、1578年に九鬼嘉隆に6隻、滝川一益に1隻作らせてて、この九鬼嘉隆に作らせたのが、
いわゆる「鉄甲船」とされる物らしい
ただ、信長公記にも、さらに藤本正行氏の本では、建造した九鬼嘉隆の家譜にも、実際にその船を見学した
宣教師のオルガンチノって人物の報告書にも、鉄の装甲が張ってあったとは書いて無いとか
どんな書き方かは分からないけど、唯一、当時の「多門院日記」という資料に噂話として、「鉄甲船」であるかのように
書かれているそうな
8隻全てについて、「大船」の大きさにみんな驚いたとは、信長公記に書いてあるので、そのインパクト自体に、
威力があったんじゃなかろうか
ここからは、おれの思い付きだけど、滝川一益の作った船だけ「白船に仕立てさせた」と書かれてるので、
他のは、まっ黒けとかだったのでは
それが、鉄が張ってあるように見えたとか
0324人間七七四年
2016/04/24(日) 18:09:26.59ID:FHHJ7EC4やっぱり創作?
0325人間七七四年
2016/04/24(日) 18:22:06.50ID:7xDMw5Opそれは難癖に他ならない
0326人間七七四年
2016/04/24(日) 20:00:12.69ID:/tOrPVLq政権を秀頼に返すって話が変化しんだろうけど
0327人間七七四年
2016/04/24(日) 21:21:29.60ID:/uHr2aKeそもそも当時の技術でどれだけの強度の
鉄の装甲板が造れたか怪しいしな
0329人間七七四年
2016/04/25(月) 08:54:04.78ID:pJG46Pan0330人間七七四年
2016/04/25(月) 21:32:42.10ID:mV0hQrqr人殺しや残酷な事が嫌いってイメージを創作したのは
小瀬甫庵かな
0332人間七七四年
2016/04/25(月) 21:52:20.90ID:BY7R2qpSだいたいは誇張があるとみている
0333人間七七四年
2016/04/25(月) 22:03:53.37ID:V+tZc6ym豊臣のネガティブイメージは基本一次史料が根拠なんだよなあ……
そもそも幕府主導で秀吉を悪く言ったという事実はない
0334人間七七四年
2016/04/25(月) 22:06:03.18ID:BY7R2qpS秀吉は百姓上がりで源氏ではないから将軍になれなかった、という
俗説を作ったのは新井白石だが
0335人間七七四年
2016/04/25(月) 22:09:53.67ID:pCKeFBGF0337人間七七四年
2016/04/25(月) 22:26:34.08ID:BY7R2qpS何もしらん人なら持つんじゃね?
微妙に征夷大将軍になれた家康のほうがずっと偉いんだぞ!って
印象操作含んでいるし歴史を学び始めた人なら騙される。
これを捏造したのは幕府なんだが。
0339人間七七四年
2016/04/25(月) 22:52:34.05ID:V+tZc6ym家康のポジティブイメージとは言えるけど秀吉のネガティブイメージというとどうかなー
実際その後更に高位の関白になれてるから騙される人いないんじゃないの?
0340人間七七四年
2016/04/26(火) 00:15:03.75ID:MWLVzlaw相対的に秀吉を下げてるだろ
関白の方が格が上なんて歴史好きじゃないとわからんだろう
あとは淀君という呼称もそうだ。秀頼の母を過度に下げるもので
宣伝以外の何物でもないな
0341人間七七四年
2016/04/26(火) 00:38:30.45ID:X57IM2SP0342人間七七四年
2016/04/26(火) 21:41:41.27ID:LPMXj7Eq家康ばかり出産経験のある熟女好きのイメージがあるのは何故だろう
家康は熟女好きはそれこそ若い頃一時期とくらいで、後半生見たら
むしろ若い子、ロリータ好きに思えるんだが
0343人間七七四年
2016/04/26(火) 21:53:54.27ID:CfLZs7Fe0345人間七七四年
2016/04/26(火) 22:47:36.31ID:Bj3nN3uEいま自分がいかにもそれらしき物語をうまく描いて、千年ごとか発掘されてその時代の人が見て信じちゃったみたいな
0346人間七七四年
2016/04/26(火) 22:49:02.82ID:Bj3nN3uE0347人間七七四年
2016/04/27(水) 02:20:34.24ID:z3efrvva細川政元ちゃんは女の子だったんですか?
0348人間七七四年
2016/04/27(水) 07:49:01.78ID:ZrE1Xs5G福岡市で開催された「黒田家」展で見た黒田長政の水牛角の甲冑のデカさにはたまげたわ。
0349人間七七四年
2016/04/27(水) 12:42:27.68ID:qT0upELl相当な威圧感。
鎧似合いそうだ
0350人間七七四年
2016/04/27(水) 12:56:35.32ID:T6XsD7PJ黒田長政は去年の大関ヶ原展福岡会場で
関ヶ原で着用した一の谷兜と鎧のセットが展示されてたが
160センチ前後だと思うぞ
同時に展示されてた細川忠興の甲冑より小さめだったし
立花宗茂や加藤清正の甲冑と比べると明らかに一回り小さかった
身長は当時の平均だと思うがすごく華奢だった
0351人間七七四年
2016/04/27(水) 13:02:48.85ID:T6XsD7PJ長政の義弟で身の丈6尺、長政と同じデザインの甲冑を身につけていたそうだ
0352人間七七四年
2016/04/27(水) 15:19:59.80ID:IkwnCSST0353人間七七四年
2016/04/27(水) 17:52:47.54ID:idNlYBCeなんか嫌だよな、向こうのが背がでかくて似合いそうだし。
0354人間七七四年
2016/04/27(水) 18:08:54.59ID:VPrY1gTW0355人間七七四年
2016/04/27(水) 19:29:40.03ID:yNS3exgq今読んでる「日本の戦史 大坂の役」では、本文にも史料編にも、
「デブだった」としか書いて無いんだよね
0356人間七七四年
2016/04/27(水) 19:32:10.50ID:xcUMZZOQ0357人間七七四年
2016/04/27(水) 20:10:24.87ID:idNlYBCeしかも顔は優しいという。
0358人間七七四年
2016/04/27(水) 21:04:41.89ID:p/LrPoWV0359人間七七四年
2016/04/27(水) 21:31:59.93ID:81SCzsD7身長197cmで体重161kgとか、そんな巨体乗せられる馬とか
当時いたのかねぇ
0360人間七七四年
2016/04/27(水) 21:38:00.48ID:idNlYBCe今なら相撲取りに即スカウトレベルじゃねーか。凄いな秀頼さん
0361人間七七四年
2016/04/27(水) 21:46:18.39ID:yNS3exgqその時代に何食ったら、そんなにデカくなれるんだ
0362人間七七四年
2016/04/27(水) 21:51:40.19ID:xcUMZZOQ0363人間七七四年
2016/04/27(水) 21:53:05.17ID:RAMHu5za0364人間七七四年
2016/04/27(水) 22:22:42.51ID:IkwnCSST0366人間七七四年
2016/04/28(木) 00:49:50.39ID:NTq2yZu0割とタッパがその秀頼と同じくらいのモンゴル人力士とか普通に馬乗ってるからなあ
頑丈な馬だったら案外乗れたんじゃないか
0367人間七七四年
2016/04/28(木) 13:35:54.09ID:CTJ3MH49家康が小牧の事を忘れたのかと言ったって話は本当にあったのかな
0368人間七七四年
2016/04/28(木) 19:30:09.99ID:u9upswDi江に惚れてたとは思うが恐れていなかったと思うが
永井路子とか秀忠は政治が趣味で、側室を持たないことすら
政治の道具として利用したとか書いてたな
0369人間七七四年
2016/04/28(木) 20:37:48.53ID:lEKSbR3W多分最初の側室に孕ませた子供を灸で死なせた事実からじゃないの?
「恐妻家」じゃなくて、「情の強さ」を恐れたんだと
思う。
江もどっちかというと、政治的動物じみた部分が有るし。
0370人間七七四年
2016/05/01(日) 13:49:24.36ID:i+DvabiHそもそも小牧・長久手は徳川史観により曲げられているからな
秀吉は局地戦でも負けてはいない。打ち負かしてもいないが
1勝1敗の戦いだったのをなぜか家康が秀吉を打ち負かしたかのように
なっているが、そもそもそんな史実は無いのでそんな逸話があるわけもない
0371人間七七四年
2016/05/01(日) 14:22:39.70ID:N5Amvi4W0373人間七七四年
2016/05/01(日) 15:23:33.13ID:5nXAvPEJ0374人間七七四年
2016/05/01(日) 22:49:19.63ID:1IGz7hoz長丸が灸で死んだ史料では、側室腹じゃなく江自身の産んだ子になっているんだが。
自分の産んだ長男が病弱で治療のお灸をしたら死んじゃったって感じ
それが長丸が側室腹っていう別の史料と混ざって
江が側室腹の長丸をお灸で殺したってことになった
0375人間七七四年
2016/05/01(日) 23:25:16.11ID:vO94wOLJ0376人間七七四年
2016/05/02(月) 07:39:40.43ID:4zm9LeS9出典は忘れたけど、細川忠興が家光の前でした思い出話の一つじゃなかったかな
0377人間七七四年
2016/05/02(月) 08:13:11.88ID:SD1IpSaA絵師に描かせたものが多いんだよな
0378人間七七四年
2016/05/02(月) 15:35:03.97ID:zJtsB6dp逸話の方はともかく、長久手で負けたのは秀吉自身の書状に書かれてる事。
そこら辺まで徳川史観のせいにしたらアカンやろ
0379人間七七四年
2016/05/02(月) 18:14:37.70ID:WsBQmHZb0380人間七七四年
2016/05/02(月) 19:14:29.89ID:2M2bzPu10381人間七七四年
2016/05/03(火) 00:59:41.39ID:ehnW+rLm一局地戦とはいえ戦場で敵を大破した徳川側の勝ちと
単純に当時の人達は判断したんだろう
0382人間七七四年
2016/05/03(火) 02:19:49.43ID:CDt9nTSAまあ見方の問題だな
局地戦の勝敗的も、被害的にも秀吉の方が分が悪かった訳だし
0383人間七七四年
2016/05/03(火) 02:30:18.36ID:KRml8b+x局地戦で羽柴方が負けている戦いがあるのは事実だが、岩崎城の戦いは
岩崎城落城で徳川方の負けだよ。
小牧・長久手の戦いは実際の戦闘は徳川方の勝ちであるかのように
徳川史観は喧伝しているけど、実際は局地戦でも負けている戦いもある
徳川史観と表現して何が悪い?
勝者が歴史を改ざんするんだぜ。秀忠の遅参とかはあまりの汚点だから
隠しようがなかったようだけど神君伝説的な一方的な史観はもうこりごりだよ
0386人間七七四年
2016/05/03(火) 06:35:16.84ID:Lu0Xt4n8というところまでは合意出来たようだし良いんでない?
0387人間七七四年
2016/05/03(火) 18:23:28.44ID:+KwHzjJy一方的なのは豊臣に都合いいことしか史実と受け入れず徳川に都合いいことは全部捏造認定するお前だろ
0388人間七七四年
2016/05/04(水) 20:31:58.12ID:kob5ctTn例えば同じ徳川でも大久保忠佐とかいるし
なのに何で本多平八郎が無傷武将の代表みたくなってるんだろう
0389人間七七四年
2016/05/04(水) 20:38:47.39ID:wi8ZQwjL0391人間七七四年
2016/05/05(木) 12:14:57.65ID:xHJqwfIj0392人間七七四年
2016/05/06(金) 08:02:37.84ID:aNFu3ZSz0393人間七七四年
2016/05/06(金) 09:10:53.43ID:88wcnX6V0394人間七七四年
2016/05/06(金) 09:37:58.29ID:Zc2clZvx古参の長老血筋良しの酒井忠次が黙ってないだろう
0395人間七七四年
2016/05/06(金) 09:50:06.88ID:EI6eYuLq五人いる四天王とかの家もあったりするし
0396人間七七四年
2016/05/06(金) 09:58:10.07ID:Jko68Z3w小牧の陣くらいしか無い
0397人間七七四年
2016/05/06(金) 10:31:37.44ID:rw9+8jl0『論集:戦国大名と国衆13信濃真田氏』の論文「真田一族覚書書」でも養女説は否定的。
>信之夫人が家康の養女であるというのは、確実な記録に全く見えず、証拠のないことである。
>松代藩内に「公儀の御養女」という漠然たる言い伝えがあり、それがだんだん秀忠養女、
>家康養女と格上げされたらしい。
>真田家は戦国時代以降、大活躍をして天下に名をとどろかすことになるが、その家系などを
>あまり高く持ち上げることは事実に反する。名もない山間の小土豪が風雲に乗じて大名に成り上がり、
>その武勇によって名をなしたというのが本当で、
ちなみに「寛政重譜」や「系図纂要」の本多氏系図でも信幸妻は「家康(秀忠)の養女」になっていない
0398人間七七四年
2016/05/06(金) 10:34:08.88ID:rw9+8jl0>徳川家康の養女・小松姫が上田城主真田信之に嫁いだとき、幕府から化粧料として
>大池新田村52石が小松姫にあたえられたと伝えられる
徳川の養女にしては52石とか、少なすぎる。これもあとづけ説もあってこれ自体が
嘘くさいけども、この程度なら普通に本多忠勝の娘扱いなんじゃないの?
もしかすると、本多忠勝が親戚の娘を養女にして嫁がせたのかもしれない
家康って、養女にすると、養女に1000石〜1万石化粧料をつけてるんだよね
そして名刀を与えたり引き出物も出している
真田ってそれらの証拠もないんだよね
ちなみに家康の実の娘だと10万石も化粧料がある例があったし、
家康がまだ大大名じゃなかったころに奥平に嫁いだ亀姫にも3000石の化粧料を出している
0399人間七七四年
2016/05/06(金) 15:00:44.83ID:aNFu3ZSz元々福本日南の本では三成じゃなくて秀吉だったみたいだし
尤も秀吉と義継の茶会を日南が何を典拠に書いたのか分からないんだけど
0400人間七七四年
2016/05/06(金) 15:19:32.65ID:aNFu3ZSz義継じゃなくて吉継だった
0402人間七七四年
2016/05/06(金) 17:50:45.11ID:rw9+8jl0そうそう。それ不思議。小松殿が信幸と結婚したのはいつか不明だが
だいたい1587年以降で、はじめての子供が生まれたのが1597年だから
それくらいなのだが、この期間の幕府って何だよって。
もしかして、江戸幕府ができてから後づけで52石やったってことかね?
0403人間七七四年
2016/05/06(金) 17:53:17.11ID:rw9+8jl0だから家康の養女っていうのもそれくらいいい加減なニュアンスで
書いてるってこと。
0404人間七七四年
2016/05/06(金) 18:14:24.23ID:ZlGAo51L0405人間七七四年
2016/05/06(金) 19:37:32.72ID:EI6eYuLq信幸は関東に属する上州沼田城主だよね
0406人間七七四年
2016/05/06(金) 19:58:50.42ID:hyXw8Z/g否定するなら、家康の養女でなかったと明記された資料を出せ、
と逆切れされたな。
0407人間七七四年
2016/05/06(金) 20:18:14.58ID:rw9+8jl0「俺は●●天皇の子孫だ。祖父の作った系図に書いてあるから間違いない。
嘘だというなら証拠を出せ」
というレベルだからそいつ。
0408人間七七四年
2016/05/06(金) 20:34:31.47ID:i4Zr5IDg信之が東軍側になったのも、彼女とはあんまり関係ないって事?
0409人間七七四年
2016/05/06(金) 20:34:31.47ID:i4Zr5IDg信之が東軍側になったのも、彼女とはあんまり関係ないって事?
0410人間七七四年
2016/05/06(金) 20:45:25.84ID:fUpQxFP/大事な事なのは分かった。
それはそれとして、本多忠勝の娘でも十分東軍につく理由にはなるでしょう。
他に地政学的な問題もありそうだ。沼田で徳川に逆らったら、いきなり血祭りに上げられかねないしさ。
0412人間七七四年
2016/05/06(金) 21:29:32.00ID:rw9+8jl0「周囲が東軍ばかりだから」「西軍ばかりで攻められたら瞬殺だから」
とかいう理由で決めてるのが多いよね
0413人間七七四年
2016/05/06(金) 21:32:40.20ID:rw9+8jl0本多忠勝・・・従五位下中務大輔
真田信幸・・・無位無官
本多忠勝でも十分に格上
豊臣政権は官位による支配が行われたから
信幸が伊豆守をもらったのは1594年で、秀次事件の直前。
0414人間七七四年
2016/05/06(金) 21:45:35.24ID:uU4aYciC学問を好んだ当時の関白秀次は足利学校を保護しようと一旦蔵書を
京に移動させていたけど、それを後の世に家康が豊臣家が強奪して行った
事にして、自分が保護したように史実を書き換えたそうだな
まぁやる事が小さいな古狸は
0415人間七七四年
2016/05/06(金) 22:29:03.90ID:aNFu3ZSzちなみにそれを主張している学者とその根拠となる史料は何?
0416人間七七四年
2016/05/06(金) 22:58:54.63ID:uU4aYciC浅野家文書に秀次が足利学校を保護した記載があるそうだが
「正史」では関白秀次が「強奪」した書物を家康が後に取り戻した
事になっているw これはまぁ書き換えた証だろうな
0417人間七七四年
2016/05/06(金) 23:13:34.91ID:R/3jyUMk0418人間七七四年
2016/05/06(金) 23:19:10.67ID:iZv6+9cx昌幸の官位抜きに話すものでもないんじゃない
ただ正式に官位貰ったのが本当に武田政権下の時なんだろうか
0419人間七七四年
2016/05/06(金) 23:22:35.56ID:uU4aYciC家康が与えた事に改変した模様
死人に口なしとはやりたい放題だな
0420人間七七四年
2016/05/06(金) 23:51:57.09ID:rw9+8jl0昌幸も信幸結婚当時、無位無官。
昌幸も1594年にはじめて安房守をもらう。
0421人間七七四年
2016/05/06(金) 23:55:01.56ID:rw9+8jl0武田政権下の安房守の官位は単なる自称だから。
考証の丸島も認めている。
ーーーーー
丸島和洋 @kazumaru_cf 4月16日
真田昌幸の諸大夫成は文禄3年なので、この時点では無位無官です。したがって、参列は無理。
ーーーーー
昌幸、信幸、信繁は1594年まで無位無官で、このとしにまとめて従五位下の諸太夫官位をもらってる。
0422人間七七四年
2016/05/06(金) 23:56:54.31ID:rw9+8jl0詐称成功だな、詐欺師昌幸w
0423人間七七四年
2016/05/06(金) 23:58:46.90ID:iZv6+9cx0425人間七七四年
2016/05/07(土) 00:03:38.17ID:c8fFZCS+0426人間七七四年
2016/05/07(土) 00:08:32.99ID:I6/evefC聚楽第行幸時に真田一家の名前がまったく見えないがなぜか?という質問に対して
真田丸の交渉担当の丸島氏が答えたもの。
真田一家は、昌幸信幸信繁含め、無位無官だから参列は無理なんです。
そして1594年のときにも侍従以上の官位は貰えてないから「諸大名として」の扱いではなく
諸太夫(下僕)としてしか参列できない。
つまり、真田一家は秀吉が生きている間には豊臣大名として認められていない。
そんな家康の陪臣以下の人間の息子が、家康のような大納言様(結婚した1588年あたりで)の
養女をもらえるわけがない。無位無官の息子なんだから従五位下の本多忠勝の娘でも十分格上。
だから小松は本多忠勝の庶子だしね。
0427人間七七四年
2016/05/07(土) 00:09:44.48ID:I6/evefCそれは昌幸が真田安房守名乗りで手紙を書いたから、返信もそれってことでしょ
名前がわからないからまんま名前を書きかえしてるだけ
0428人間七七四年
2016/05/07(土) 00:13:04.35ID:I6/evefC0429人間七七四年
2016/05/07(土) 00:18:50.90ID:rf4wQu7s真田にかかわる事は全部捏造だって言い張ってるアンチ君?
0430人間七七四年
2016/05/07(土) 00:19:56.94ID:I6/evefC真田安房守(さなだ・あわまもる)
秀吉は人誑しだし、無用に敵を作ることはしないよ
田舎の土豪が自称で官位を名乗ってることなんてよくあるし
それに変なプライドを持ってて自称だろと馬鹿にすると切れることもよくあるし
0431人間七七四年
2016/05/07(土) 00:23:14.39ID:rf4wQu7s必死に連レスまでして
真田は身の程知らずの詐欺師だの土豪だの罪人だの
強調しまくりたいんかね ごくろうさんやね
0432人間七七四年
2016/05/07(土) 00:23:24.74ID:I6/evefC1588年の聚楽第行幸にも、1592年の聚楽第行幸にも、
諸大名何百人が参列しようが、無位無官の真田はスルーというだけで。
そして無位無官とわかってるが、特に諸太夫もあげようと1594年まで
思わなかったし、あげるつもりもなかった。
1594年というと、関白は秀次だからアホの秀次に取り行って官位をもらった
のかもしれないし、秀次と秀吉がもめてて、秀吉がちょっとでも自分の派閥を
ほしがってた時代だから、あげるつもりのなかった田舎の土豪にまであげたとか
0433人間七七四年
2016/05/07(土) 00:24:23.31ID:I6/evefC「ないというなら証拠を出せ!」って喚いてる真田マンセーオタだよね。
0434人間七七四年
2016/05/07(土) 00:28:45.93ID:I6/evefC史実を書くとアンチというレッテルを貼るところ
wikiも嘘だらけ、講談以外の根拠なしばかりだし
0435人間七七四年
2016/05/07(土) 00:29:16.58ID:qrkBYKgw0436人間七七四年
2016/05/07(土) 00:30:26.32ID:qrkBYKgw0437人間七七四年
2016/05/07(土) 00:30:53.58ID:rf4wQu7sそうそう、何突っ込まれても「証拠を出せ」と「証拠がない」しか言えない奴。
そもそもここに書くこと自体スレチだし
アンチスレにでも籠ってりゃいいのにな
0439人間七七四年
2016/05/07(土) 00:35:35.65ID:rf4wQu7sいるのかどうかわからん真田マンセーオタとやらの事じゃなくて
I6/evefCの事な てかお前こんな糞レスばっか続けてたら
第二の菅沼認定されるぞ
0440人間七七四年
2016/05/07(土) 00:36:59.62ID:I6/evefCいや、「もしかして本当の官位かも・・・」と思った段階で成功だからな
詐欺師的には
0441人間七七四年
2016/05/07(土) 00:37:34.19ID:I6/evefCいるよ。真田オタの痛さってそうとう。たとえばおまえとかw
0442人間七七四年
2016/05/07(土) 00:41:27.46ID:qrkBYKgw信じてないからこそ疑いを強調してレスしてるのにそれを読み取れないのはどうかと思うよ
0443人間七七四年
2016/05/07(土) 00:43:38.08ID:I6/evefCはじめだからなあ
昌幸が無位無官だと思ってたらあのレスはないよ
ちなみにセンター試験の国語は満点でした
0444人間七七四年
2016/05/07(土) 00:44:38.16ID:qrkBYKgw0445人間七七四年
2016/05/07(土) 00:52:16.32ID:8+dh79vs戦国時代に興味もったのなら頑張って勉強して楽しんでいってね
0446人間七七四年
2016/05/07(土) 01:03:01.13ID:I6/evefCそんなわけないだろ。おまえの周囲のレベルと一緒にすんなよ
普通に自分を大きく見せるつもりで名乗ってるんだから、
詐欺師みたいなもんだろ
ほんと読解力ねーな
0447人間七七四年
2016/05/07(土) 01:06:33.02ID:I6/evefC常套官職名乗り。信濃の百姓とかコロッと騙されそうだもんな。
「さすがすげええれえ。京都の天子さまさからもらった安房守という
えれえものを持ってる領主の安房守様にはさからえねーずら。
未来永劫真田郷を収めて欲しいずら」
0448人間七七四年
2016/05/07(土) 01:10:13.26ID:qrkBYKgw0449人間七七四年
2016/05/07(土) 01:11:59.72ID:rf4wQu7s「真田家の家伝に書いてあることはみんな捏造」という妄想史観を基準に
何でもかんでも捻じ曲げようとしてるだけで、
スレタイに沿った検証も考証もさらさらする気ねえだろ
マジで攻撃の矛先を真田に変えてみた菅沼なんじゃねえか?
0450人間七七四年
2016/05/07(土) 01:13:09.25ID:I6/evefC「真田家譜に書いてあることは、他の史料とは矛盾がとても多いよね」
といったことはあるが?w
0451人間七七四年
2016/05/07(土) 01:14:27.68ID:rpY9j2Rd0452人間七七四年
2016/05/07(土) 01:14:48.66ID:I6/evefC信じるほうがおかしい
真田はそれ以外の史料が極端に少ないから、真田オタはみんな家譜に基づいた電波を
盲信してマンセーしてる馬鹿が他のオタと比べてとても多いのは事実
0453人間七七四年
2016/05/07(土) 01:15:02.81ID:qrkBYKgw0454人間七七四年
2016/05/07(土) 01:15:12.51ID:rf4wQu7s0455人間七七四年
2016/05/07(土) 01:15:37.13ID:8+dh79vsさすがに菅沼でも当時の自称官位に対して詐欺師なんて的外れなことは言わないくらいには歴史を知ってるよ
あいつは意図的に嘘ついてるけどこいつは天然っぽいでしょ
0456人間七七四年
2016/05/07(土) 01:20:02.49ID:I6/evefC持ち上げられちゃったけど、それ以前はたいしたことがなくて存在感も
なかったので上田合戦を盛り始め、家系図を盛り始め、
「講談ですごくなった後世の真田」に合わせて家譜を盛りすぎてるってことだな。
しまいには「幸村」って名前で系図に記入してる松代藩提出の幕府の系図。
もともと文盲なのもあいまって、史料がないことをいいことに盛りすぎ。
友達もいなかったので傍証もない。
0457人間七七四年
2016/05/07(土) 01:22:56.08ID:rf4wQu7sアンチ根性もここまで来ると凄まじいな
0458人間七七四年
2016/05/07(土) 01:23:50.39ID:I6/evefC・真田昌幸の妻が菊亭晴季の娘 ←嘘
・真田信幸の妻が徳川家の養女 ←嘘
・真田信繁の妻が大谷吉継の娘 ←嘘
・真田信繁の妾が豊臣秀次の娘 ←嘘
こんなに江戸時代に近い時代に相手側の史料からまったく認められないことを
系図に書きまくるって、知的障害じゃないの?
でも信じてるアホが後世いるみたいだから、詐欺成功!
0459人間七七四年
2016/05/07(土) 01:25:21.51ID:qrkBYKgw0461人間七七四年
2016/05/07(土) 02:13:15.73ID:FHkc+ddv他家の記録同士を付き合わせた場合だろ
内部矛盾起こしてるようなのはあまり見ない
0462人間七七四年
2016/05/07(土) 08:20:26.17ID:c+qZTS6M0463人間七七四年
2016/05/07(土) 10:20:53.30ID:ry+OUDdw小松姫が秀忠養女も捏造だし。大谷の娘が幸村正室。
他家の史料には全く見当たらない。全て捏造。
0464人間七七四年
2016/05/07(土) 10:22:54.69ID:ry+OUDdw同意。他家の史料にほぼ記述なし。
小大名が頑張って大大名のような格式を欲しがったんだろうね。
0465人間七七四年
2016/05/07(土) 10:30:14.28ID:ry+OUDdw真田家の家譜を最初から最後まで読んでみると解る。
真田家の異常っぷりが解る。
よくもまあ、創作の難波戦記や数々の講談から逸話を持ってきて、
そっくりそのまま移植しているな、と。
なんせ、幸村は大坂城に入って名乗った。
というところは、難波戦記からのコピー。
0466人間七七四年
2016/05/07(土) 12:26:17.55ID:WtKiDtzB何が何でも徳川家康の落胤ということにしたがっている
公的機関である自治体として、そんな俗説を引っ張り出すのはどうなのよ?
「家康の落胤という説もある」に触れることすらなく、「家康の実子である」と
断定調で喧伝し、篠山の外では大いに疑問視されている事実には言及しない
市民を洗脳する目的でやっている様子
康重の孫にあたる(松井)松平康宦が、藩翰譜編纂のために新井白石一門の取材を受けた際、
松井家が松平の名乗りを許された経緯をよく知らず、
祖父が家康の落胤だと出まかせを言ったのではないかと思われる
その時代に突然沸いた話だからな
0467人間七七四年
2016/05/07(土) 13:26:27.85ID:M93MO0Kjこいつ、他人の迷惑は考えないように育てられたのかな
0468人間七七四年
2016/05/07(土) 13:48:12.99ID:rf4wQu7s土井もそうだが、待遇のいい家康の近親は
すべからく落胤ってことになっちゃってるフシはあるなあ
家康くらいビッグになれば、
秀康みたくあとから認知でも何でもできる立場だと思うんだが
0469人間七七四年
2016/05/07(土) 14:10:35.00ID:I6/evefCちなみにおまえはわたしにとって迷惑なので消えろよ
だいたいその書き込みって煽りだけじゃん
それが一番迷惑だってわからないのか
どうやらM93MO0Kjは自分の迷惑は棚にあげて
他人の迷惑だけ主張する自己中心的な性悪に育てられたみたいだな
いや生まれつきかな
0470人間七七四年
2016/05/07(土) 15:07:08.96ID:WtKiDtzB肯定的なレスには感謝するが、文意が解り辛い
"近親"じゃなくて、"近臣"と書くつもりだったよね?
早い段階から容貌が家康に似ている、家康の落胤では?と噂されたと伝わる土井利勝は
公的な血筋は家康の従弟だから、近親でもあるけど(だから容貌に似ていても不思議ではない)
あと、"すべからく"が用法を外していて、意味が通らない
"すべて"と誤用しているようだ
0471人間七七四年
2016/05/07(土) 15:11:46.85ID:fixkdEW+脇坂家だけは「祖父くらいまでしか知らん! 」と逆に目立つくらいだからな。
自分なんか曽祖父の名前すらよく知らない。
0472人間七七四年
2016/05/07(土) 16:58:33.79ID:7XcyCgXjほぼ全部真田ガーってすごい熱意ですね
0473人間七七四年
2016/05/07(土) 18:15:18.10ID:I6/evefCおまえみたいにID切り替えろっていう話?
0474人間七七四年
2016/05/07(土) 18:18:49.30ID:I6/evefC信繁が秀吉に近侍していたとかいう史実はない
無位無官だから無理
この2年後に行われる聚楽第行幸にも当然信繁の名前はない
13年も京都大坂にいたくせに、交友記録にもまったく出ないのが真田信繁
子供も九度山ではたくさんできてるが、京都大坂ではまったくできてないのが信繁
真田丸ではもてもてだが、京大坂の女には相手にされなかった模様
だいたい方言で言葉が通じなさそうだしな
0475人間七七四年
2016/05/07(土) 18:41:16.30ID:c+qZTS6M0476人間七七四年
2016/05/07(土) 18:46:40.68ID:Ya4ZHf7C0477人間七七四年
2016/05/07(土) 18:55:03.02ID:rf4wQu7s史実として信用置ける事跡にあふれまくってるんだろうな
そんな人物がどこにいるのかわからんがw
0478人間七七四年
2016/05/07(土) 19:08:54.92ID:WtKiDtzB>個人的に真田家に恨みでもあるのかこいつ
どこからこんな発想が出てくるのか
繰り返し非難している対象は、
捏造逸話でも根拠にして真田を持ち上げる妄信的信者だろ
何をトチ狂って真田家そのものを非難しているかのように
話をすりかえてるのか
0479人間七七四年
2016/05/07(土) 19:11:18.43ID:6W9phGG+0480人間七七四年
2016/05/07(土) 20:39:32.02ID:tp3Sf+zn福本日南の主な執筆活動時期は明治後半から大正にかけてだから
秀吉を三成に改編した作家なり評論家なりは当然それ以降の人になるだろうけど
俗説の浸透具合を考えるとかなりの影響力を持った人に思えるが、本当に誰だろう
0482人間七七四年
2016/05/07(土) 22:35:04.97ID:zb7vtBhdところが視聴率はサッパリだわ、持ち上げられるのは武田は武田でも大嫌いな勝頼だわで、菅沼くんたら激オコぷんぷん丸なんよ
そんなの大河板でやれよって思うだろうけど、もう大河板って菅沼くんぐらいしか常駐者いないんよ。真田丸の初期にいつもの調子で気に入らないヤツを「出ていけ! 出ていけ!」て追い出しちゃったから
そんで寂しくなってコッチで暴れてるってわけ。かわいそうだよね
0483人間七七四年
2016/05/07(土) 22:57:18.20ID:c8fFZCS+なんでスルー出来ないんだろね
0485人間七七四年
2016/05/08(日) 13:00:00.74ID:IUO3mVz00486人間七七四年
2016/05/08(日) 13:09:19.96ID:EHpJ0F7N信玄は要所要所で持ち上げられてた気がするけどあれじゃ足りないのか
てか勝頼そんなに持ち上げられてたかな
いい人だし有能そうではあるけど偉大な親父の代わりにはなれなかった人って印象しかなかった
0487人間七七四年
2016/05/08(日) 13:54:49.52ID:6mIqnMNo>>449や>>450でも手口が似てるから疑ってるレスはあるけど
細かいところで、菅沼と荒らしパターンが微妙に違ってるから
確証は持てなかったようだ
菅沼がいつも暴れ出す時間帯(明け方)とは違う時間に書き込んでるし。
一見、真田事情に異様に詳しいアンチを装ってるが、
肝心の、詳しい人がいそうな真田関連スレには出没せず
いかにも歴史初級〜中級者の多そうなところに出入りして
バレバレの洗脳を試みようとするあたりは菅沼と共通しているな
0488人間七七四年
2016/05/08(日) 15:14:09.43ID:ozQ1V9rv0490人間七七四年
2016/05/08(日) 16:07:39.03ID:IUO3mVz00491人間七七四年
2016/05/08(日) 16:20:09.40ID:dGPEJkGN0492人間七七四年
2016/05/09(月) 23:43:58.48ID:RJf+SjHI直江兼続の長谷堂での戦いぶりとか考えると
何故この二人は天下に名をはせた智将扱いになったのか不思議だけど
だれが思い切り持ち上げたのかな
0493人間七七四年
2016/05/10(火) 00:35:51.12ID:45dbMJgJ直江兼続は敗報で引き上げただけだから別にグダグダでもない
0494人間七七四年
2016/05/10(火) 00:41:21.01ID:D3DqO21Mそういうことじゃないかね。
0495人間七七四年
2016/05/10(火) 02:37:42.70ID:vMQRJMdF何故か左近の英雄伝ばかりが有名に。
書いた人、黒田家を解雇されたから悪口物語。
黒田家は夏の陣といい朝鮮出兵といい関ヶ原といい、
自分ちの話を書いたはずが何故か他家の功績に。
0496人間七七四年
2016/05/10(火) 02:42:10.93ID:vMQRJMdFなにいわれようが
0498人間七七四年
2016/05/10(火) 10:36:39.78ID:Ar6eMHhz司馬遼太郎はその「結果」を承知の上で、
直江兼続を格好良く描いた
司馬の叙述にノせられると、
あたかも直江が有能だったかのように
錯覚してしまう罠が仕込まれている
0499人間七七四年
2016/05/10(火) 12:17:50.79ID:Iy+v+pNH0500人間七七四年
2016/05/10(火) 13:56:30.95ID:lfw1jUtgわかりやすい定義かもしれない
0501人間七七四年
2016/05/10(火) 15:47:50.78ID:vMQRJMdF負けた方を有能にしたがる
0502人間七七四年
2016/05/10(火) 16:13:47.98ID:2cannTQP0503人間七七四年
2016/05/10(火) 20:40:34.91ID:J9kxKv/Xってのはよく考えたら証拠も何もない
こういう俗説っていかがなものか
0504人間七七四年
2016/05/10(火) 21:23:39.12ID:mC2Yqh1B直江兼続の関ヶ原当時の本人の書状読むと
見通し甘い戦況楽観視しすぎでは?と思ってしまう
これは歴史の流れを知ってる後世の者の結果論かも知れないけどさ
0505人間七七四年
2016/05/10(火) 21:45:19.61ID:lbzVqTeU表面上は大人しくしてた佐竹も移封されちゃったし、関ヶ原の時点では戦って勝つ以外の方法は無かったのかも知れない
0506人間七七四年
2016/05/10(火) 22:55:49.66ID:QRfwflLI戦国大名には色んなあだ名があるけど当時から本当にそう呼ばれてた
あだ名はどれだけあるだろう、大抵は後世の後付けだと思うけど
信長みたいに自分で第六天魔王とか言ったなら別だろうけど
0507人間七七四年
2016/05/10(火) 23:07:34.34ID:vMQRJMdF秀吉は「ちんば」って黒田官兵衛を呼んでいた。
片足が悪かったから。
0508人間七七四年
2016/05/11(水) 01:25:52.46ID:dMp4nQ/H0509人間七七四年
2016/05/11(水) 03:59:05.47ID:wGJvRA5Qそれに猛ナントカって形容はずっと時代が下るような気がする。
0510人間七七四年
2016/05/11(水) 10:52:56.35ID:RU0YU+Vt信長の第六天魔王は自称だから、あだ名ではない
信玄が自称した天台座主沙門への対抗
自称とあだ名を同列に語るから、
文の方向性が定まらずにおかしなことになる
0511人間七七四年
2016/05/12(木) 21:43:14.61ID:demN/fyy山本菅助の息子である関山派の僧侶とか何を根拠にしたんだろう
近年判明したた事だけど菅助の実の男子は長篠の戦いで死んだ一人しかいなくて、
結局娘婿が家を継いだのに
0512人間七七四年
2016/05/13(金) 21:12:09.72ID:pu+yQPvZ島左近を持ち上げてるものの一つが常山紀談だっけ
あれ昔の歴史小説家とかが良くネタ元に使ってたけど
内容的には怪しいものが多いよね
0513人間七七四年
2016/05/14(土) 03:19:20.45ID:VL1q60DBって言われても、他に確証のある理由づけも存在しないし
秀次に非がないから秀吉が悪い
秀吉に非がないから秀次が悪い
って根拠の少ない堂々巡りをここでもしたいのか?
0514人間七七四年
2016/05/14(土) 07:40:18.80ID:JJ6lcFrU本当に秀吉の側でいろんな献策してたの?
0515人間七七四年
2016/05/14(土) 07:43:58.92ID:JJ6lcFrU0516人間七七四年
2016/05/14(土) 12:38:25.33ID:1Wm72GFR・馬廻りはそもそも献策するような仕事ではない
・馬廻りは何百人もいて、そもそも秀吉の側近のような仕事ではない
・信繁が馬廻りだったと書いてある史料が最近発見されたらしいが、
その怪しい史料ですら、文禄年間である
・馬廻りは皆官位をもらってるが信繁は文禄3年まで官位をもらっていない
・信繁が黄母衣衆であることは完全な創作
・信繁は馬廻りの参加する主な行事に参加しているが、その記録に
信繁の名前はないから、馬廻りであったとしても下っ端
結論:秀吉に信繁が近侍していたわけがないのだから献策などしていたわけがない
0517人間七七四年
2016/05/14(土) 12:40:57.02ID:1Wm72GFR信繁の名前はないから、馬廻りであったとしても下っ端
◯馬廻りは、秀吉の主催する主な行事に参加しているが、その記録に
信繁の名前はないから、馬廻りであったとしても下っ端
0518人間七七四年
2016/05/14(土) 21:55:13.91ID:JhrBZwAH通説や俗説を小説で取り上げて貰えた人物は、やっぱりそのイメージが
広まってる上、結構根付いてしまってるんだよなぁ
0519人間七七四年
2016/05/15(日) 21:23:39.03ID:WUd9ktFz昔は今みたいに簡単に情報手に入れられなかったからな
歴史小説家の影響も凄かったけど
今はネットでも簡単に研究論文読めたり
歴史詳しいブログやツイッターで戦国の専門知識に手に入れられるように
情報が多様化してるしね
0520人間七七四年
2016/05/15(日) 21:42:25.76ID:pMcVEeXc昔の作家は力量があった
最近の作家は薄っぺらすぎ
創作がいちいち不自然で面白みもない
大河ドラマの凋落、無残さを見ればよくわかる
0521人間七七四年
2016/05/15(日) 22:57:41.35ID:uZPsiBII教科書は未だに俗説まみれだから、これからも誤解した連中を量産されちまうし
0522人間七七四年
2016/05/15(日) 23:11:36.68ID:6vtHtg2u例えば戦国最強武将はと聞けば、歴史好き以外なら漫画や
ゲームの影響で前田慶次郎や本多平八郎をあげる人が多いんじゃないかな
0523人間七七四年
2016/05/15(日) 23:18:28.17ID:429n4YrAお隣の国(脇坂安治が戦国最強武将らしい)を嗤えなくなってるなぁ…
0524人間七七四年
2016/05/15(日) 23:31:30.67ID:/7drU4Oc0525人間七七四年
2016/05/16(月) 02:18:19.21ID:dLSQM2l60526人間七七四年
2016/05/16(月) 07:15:09.81ID:x3iOHKRf0527人間七七四年
2016/05/16(月) 17:50:00.34ID:cpy8DuBCないな
上杉家への人質から羽柴家への人質へと、立場が変わっただけ
昌幸が登城した際には、秀吉は昌幸に大いに興味を持ち、
盛んに昌幸から話を聞きたがったという話は伝わっていたが、
息子の信繁が秀吉に贔屓されたというのは
当ドラマ独自の脚色
0528人間七七四年
2016/05/16(月) 22:37:55.10ID:/2e+OXwL0529人間七七四年
2016/05/17(火) 21:11:38.80ID:AKT7+7y8完全に反天皇じゃん
0530人間七七四年
2016/05/17(火) 23:52:33.75ID:nCCC02ES各作家ごとに自分の好きな最強武者がいるけど、他の作家だとどんな武者が最強扱いされているだろう?
0531人間七七四年
2016/05/18(水) 00:07:33.46ID:BggXbar80532人間七七四年
2016/05/18(水) 12:15:33.73ID:Uy4PJa/a徳川宗家に仕えた。一時罷免され、浪人していた時期もある
前田慶次郎
元は織田家に仕えていた。前田利家への寄騎待遇に不満があったらしく、浪人する
宮本武蔵
一時期、小笠原家に仕えていた。吉川英治が書いた宮本武蔵という小説上の人物は、
モデルにされた史実の人物とは異なり、生涯仕官しなかった人物として設定されたらしい
武芸者であるが、武者でもある。なにもおかしなことはないと思われるが
0533人間七七四年
2016/05/18(水) 20:05:35.10ID:WGpg2We50534人間七七四年
2016/05/18(水) 22:22:56.96ID:y1pMaG22竹中半兵衛は今孔明と呼ばれたとか両兵衛が張良、陳平に
例えられたとかの話はどうだろう
例えというのは言った側は勿論だけど、聞いた側もその例えの意味が
分かっていないと例えとして世間に定着しないと思うんだが
この時代に史記とか三国志が一部の知識層以外で
それだけ普及していたか疑問だな
0535人間七七四年
2016/05/18(水) 22:52:42.09ID:vDdGTeEq0536人間七七四年
2016/05/19(木) 09:12:21.11ID:9w47wGM3武芸者と言えば、なんで薄田兼相みたいな戦績のショボい武将から
岩見重太郎なんて豪傑の武芸者の講談が出来たんだろう
0537人間七七四年
2016/05/19(木) 15:02:03.31ID:Lh7G32yh0538人間七七四年
2016/05/19(木) 16:28:39.01ID:Ga2bfi1S柳生十兵衛や宮本武蔵は、もう戦乱の世が終わってから剣技で名をなした
剣術使い、剣豪分類だからな。
0539人間七七四年
2016/05/19(木) 17:40:18.93ID:MGckL32U0540人間七七四年
2016/05/19(木) 18:02:59.06ID:cWyiep4H最初は十人並よりは少し強いだけの人物像だったのが、
派生を重ねるうちに描写が超人化したのかも
田宮坊太郎という架空キャラも、最初は
「丸亀藩では強い方だが、全国的規模でなら掃いて捨てるほどいる剣術使い」
である仇に勝つため、柳生宗冬という微妙な剣術家の下で修業する話
…だったのが、時代を下るに従ってなんだか史上屈指の剣豪だった
みたいに話が膨らんでる
0541人間七七四年
2016/05/19(木) 20:44:18.71ID:9tpXMYzFオレンジ君の経歴の飛躍ぶりも斜め上で謎だなw
史実で確認できる経歴は、秀吉の馬廻りか何かからのスタートだけど
岩見ヒヒ退治伝説では、小早川隆景の武芸の師匠(の息子)だったか
0542人間七七四年
2016/05/20(金) 14:59:34.44ID:XztDbLux吉川英治の創作
小説「宮本武蔵」がヒットしたことで、
武蔵の出身地は播磨では?と指摘(あるいは突っ込み)を受けた
英治は、小説上の設定だと言えばそれで済んだはずなのだが、
何故か、新免は美作にしか無い氏だと強弁し、美作出身設定を正当化しようとした
氏族を形成するのは所詮人間であり、移住もすれば、流動もある
現に大昔には新免同様に美作固有だった菅氏も、黒田孝高に仕える者がいて、
黒田家の転封先で子孫を発展させている
末裔の一人、菅直人は宇部出身だ
当時の出版業界は、つべこべ言い出した吉川英治に触ってはいけないモノを感じたのか、
それ以上追究することは控えたようだ
現在でもこの不可解な強弁内容を、ナントカの一つ覚えのように主張する者がいるが、
はっきり言って、相手にされてはいない
0543人間七七四年
2016/05/20(金) 21:08:22.38ID:hCN58vQo奇異な伝説みつけたから、それで書きたかったんだろ
三国演義だってアレンジしてるしな
なんて言ってたかは知らんが、いちいち突っ込まれるから(当然だが)、イラついて偏屈になってたんじゃね
まあ、先生だし「わかってるわ、うっせーな!小説だよ!設定だ」とは言わないだろ
0544人間七七四年
2016/05/20(金) 21:35:36.41ID:QxrFA9feオレンジ君、柔術や剣術の一派の流祖になっているみたいだけど、
根拠があるのか、後付けで流祖に祭り上げられたのか
0545人間七七四年
2016/05/25(水) 11:10:43.73ID:C3GnRq8O武功雑話だと家康が浪人衆の中で認めてたのは又兵衛と御宿政友の二人だけだったとか
それまで父の陰に隠れる形だった真田信繁とかはともかく、明石全登とか実績がある人間いただろうに
0548人間七七四年
2016/05/29(日) 22:18:18.77ID:7k03K+LE武蔵美作生まれ説と混同したんだ
「新免氏は美作にしか存在しない、固有の氏」なんて通説とはいえないし
吉川英治が強弁したとお前は言ってるが、そんなの一般に流布してんの?
0549人間七七四年
2016/05/29(日) 22:23:46.62ID:jg18dGrM明石全登は宇喜多家のお家騒動で花房などの重臣が出奔して
その後に担ぎだされてきただけで実績は杭瀬川と関ヶ原本戦くらいで殆ど無い
又兵衛は多少盛られていたにしても
四国征伐、九州征伐、朝鮮出兵、関ヶ原と第一線で働き
1万6千石までのし上がったガチの実戦派武将
0550人間七七四年
2016/05/30(月) 06:56:32.87ID:B24+mf7V話のもとになった清正の槍は、もともと片穂槍だったって事みたいだし
0551人間七七四年
2016/05/30(月) 11:28:43.50ID:uYMP1v/U一般に流布している
吉川英治の小説上の武蔵しか知らず、
それを史実の人物と思い込んでいる者は少なくない
一次史料に基づいて武蔵の人物像を推定している者よりも多い
0552人間七七四年
2016/05/30(月) 16:06:13.42ID:uHZT+B1F立花さんちの小野さんの逸話では
片鎌槍になった由来は天草国人一揆だし
江戸中期とくに吉宗以降の歌舞伎辺りだろうな
片鎌槍って形状を示すもので固有名詞じゃないし
現存する国立博物館にある娘の嫁入り道具のアレは
清正本人が使用してたもののレプリカなんじゃね?
0553人間七七四年
2016/05/30(月) 19:51:12.71ID:ZVPaqmZJそれじゃ吉川英治の宮本武蔵の中の武蔵像にまたズレちゃったじゃん
「新免氏は美作にしかいない説」じゃないじゃん
新免氏and美作固有でぐぐっても、それらしいの出てこないのに、一般的なの?
美作説が未だそれなりの知名度を保ってるのは、新免氏がどうのじゃなく
吉川の小説とともに地域が熱心に観光キャンペーンに利用してるから
0555人間七七四年
2016/05/30(月) 22:39:22.27ID:WiemMqfX小説家が創った剣豪のイメージって結構あるからなぁ
古いところだと箸で蠅を捕まえたり、鍋蓋で攻撃を塞いだりとか
0556人間七七四年
2016/05/31(火) 00:58:10.82ID:/T8XjKdZ0557人間七七四年
2016/05/31(火) 07:50:00.95ID:ceiceZ+/鎧を着てたから戦い方も平服とは違うだろと言う憶測と
旧武徳会で勢力を誇れなかった流派が「ウチは老舗でっせ」と
自らをブランディングする為に使われたキャッチコピー。
0558人間七七四年
2016/05/31(火) 17:05:45.30ID:IO52o/Fk>23 :日本@名無史さん:2012/02/29(水) 10:45:33.31
>播州説は岡山しか無い新免姓をなぜ名乗ったのかが上手く説明できないのが残念ね。
上記のように、史料からではなく、
吉川英治の小説とそれを補強する強弁をなぞるだけの素人が
論拠にするほど、一般化している
専門化じゃないだろ
0559人間七七四年
2016/05/31(火) 23:15:44.82ID:yRQDryXp戦国板でいうのもなんだが
0563人間七七四年
2016/06/03(金) 21:53:39.74ID:RSl5KE6Yあれを創造した人って誰だろう
長篠の三段撃ちとか秀吉の一夜城とかよく考えたら
小瀬甫庵をはじめ、創った人間の想像力凄いよな
0564人間七七四年
2016/06/03(金) 22:27:35.39ID:pjj7Oh+F0565人間七七四年
2016/06/04(土) 00:08:42.74ID:uO5aw64m小説では当時の人にも最強と言われてたみたいに出てくるが、ウソだよね?
0566人間七七四年
2016/06/04(土) 00:36:08.79ID:g5UVDe/wちょろっと示してほしい。(・∀・)
0567人間七七四年
2016/06/04(土) 10:15:25.89ID:8lypt55E朝倉宗滴に好評化されてたという人物には入ってたな
今川殿(今川義元)
甲斐武田殿(武田信玄)
三好修理大夫殿(三好長慶)
長尾殿(上杉謙信)
安芸毛利(毛利元就)
織田上総介(織田信長)
正木大膳亮(正木時茂)
0568人間七七四年
2016/06/04(土) 10:20:50.64ID:kOZnpjPF里見の寄騎だった正木大膳を入れてるのが、ちょっと違和感あるな
0569人間七七四年
2016/06/04(土) 10:27:33.24ID:GuIVEEMB実際起きた事を時や人物を代えて再現して作品にする創作ものに良くある手法を取っただけ
三段撃ち→朝鮮征伐の時には日本軍の基本戦術になってた繰撃ちを信長はこんな昔からやってた!
墨俣一夜城→石垣山一夜城みたいのは昔から得意だったんだよ!
秀吉に旗鉄砲を貸す→実際は長久手の時なんだけど先見の明ある隆景は本能寺の時にやったんだよ!
などなど
戦闘の場面は中国古典から取って臨場感だしつつごまかしたり文才はすごいけどな
0570人間七七四年
2016/06/05(日) 00:35:18.02ID:DmrAIFmB素晴らしい想像力なんて関係ないんじゃないか?
物事を創作するときにネタとなるモノがあったんじゃないかって思うのに、特別素晴らしい想像力なんて必要ないんだから。
0571人間七七四年
2016/06/05(日) 02:09:13.83ID:3L/jMJ3u>564は、想像力が欠如していると>563をあからさまに
罵ってるわけだから、そういうだけの自分の想像力の
すばらしさを披露してみてもいいんじゃないの、というか
そうすべきだろw
0572人間七七四年
2016/06/05(日) 04:55:33.53ID:u7nD7okXあんな場面で信長が殺られるとか想像もしてなかったわ
もう、戦国時代も終わりかぁと思った矢先にこれ
考えた人は天才だね
0573人間七七四年
2016/06/05(日) 05:09:28.16ID:SjNAiMln0574人間七七四年
2016/06/05(日) 20:21:25.12ID:mSVYX5xAいつの間にか仲が良かったようなイメージが強くなった気がする
まあ義元にしても自分の偏諱与えたり、一族の女を嫁にやるのと
同じころ自称官位が多いこの時代に無位とは言え蔵人佐の官位を
貰ってやってる位なんだから、扱いはそう悪くは無かったんだろうけど
0575人間七七四年
2016/06/05(日) 20:41:20.61ID:meX3L3IXそもそも蔵人に次官職ってあったっけ
0576人間七七四年
2016/06/05(日) 20:59:03.32ID:Xl5GFy3f家康も私称だよ。
0577人間七七四年
2016/06/06(月) 11:38:09.77ID:oIpJlUPE武田最強説は神君家康公を野戦で破った事実と家康が旧武田家臣団を併合した事に加えて武田家が滅亡したお陰で氏素性の怪しい奴が就職活動するのに甲州軍学兵法者と言う肩書きが使いやすかったから広まったと思う
0578人間七七四年
2016/06/06(月) 11:47:30.80ID:oIpJlUPE幕末も結構でかい戦あるけど戦国時代ほど洒落たネーミングがあればもっと輝いたと思う
0579人間七七四年
2016/06/06(月) 19:43:05.21ID:doq2Ad4V羅貫中が、近世に起きたハヨウ湖の戦いを引用して、
古代末期を舞台にした小説・三国志演義で赤壁の戦いを創作したのに
匹敵する功績かもな
0580人間七七四年
2016/06/06(月) 20:41:22.58ID:B5eQ1t+r通説が如く定着させた人間もある意味凄いな
0581人間七七四年
2016/06/06(月) 21:40:38.41ID:l4zphes5って歌があったけど、あれはどこから持ってきたのかな
0582人間七七四年
2016/06/07(火) 00:39:58.85ID:p0lJb1s8マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐
作者:嵯峨良蒼樹
「戦国最大のおのぼりさん」今川氏真の上洛を活写する戦国文芸観光蹴鞠小説!
信長「との」蹴鞠を含めた天正三年(一五七五)今川氏真上洛百日の全行程と知られざる人間模様を、上洛中に氏真が詠んだ二百種以上の和歌と共に描き切る怪作!
今川氏真 「うむっ! 一首浮かんだ」
http://ncode.syosetu.com/n5953di/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3)
0583人間七七四年
2016/06/08(水) 21:13:24.39ID:r6q/YRqy海音寺潮五郎が田単の火牛の計が元ネタだろうと解説していて、
その解説を井沢元彦がさも自分の意見が如く著書の中でパクッテたな
0584人間七七四年
2016/06/09(木) 11:58:44.66ID:qKqcXpBO0585人間七七四年
2016/06/10(金) 08:41:40.68ID:O51j3Kta甲陽軍鑑にはその呼称なかったはずだが
0586人間七七四年
2016/06/10(金) 08:56:43.12ID:eQxeREZ7海音寺潮五郎だったりしてな、案外
0587人間七七四年
2016/06/10(金) 10:13:31.61ID:C7BQ7GYL0588人間七七四年
2016/06/10(金) 10:25:41.89ID:FFDRRlH00589人間七七四年
2016/06/10(金) 22:05:35.06ID:jqfSftIA田単の火牛の計が元ネタなのは誰でも気づくかもしれないけど
その解説の中で牛の角に火を付けたら、牛が怯えて計が失敗するだろうから
作者は田単の元ネタ通り、尻尾に火をつけた事にすればよかったのに
と多少の文言が違っても、そういう嘆きまで同じ内容の文章を書けば
パクリと言ってもしょうがなくないか
0590人間七七四年
2016/06/11(土) 20:54:38.10ID:8DmO6lhcもしあれが創作なら、何をモデルにして考え出したんだろう
0591人間七七四年
2016/06/11(土) 21:21:53.20ID:quFIYfMsこれで氏康が「一人で十人殺す気で戦えば必ず勝てる!」とかイカれた精神論を述べてるために
軍記の敵兵力は北条の十倍設定
十倍の敵に正面から闘って勝てる訳ないから「夜襲」
唯の夜襲で十倍の敵を撃破は苦しいから「偽りの降伏宣言」+「夜襲」の「騙まし討ち」
こうして講談「河越夜戦」の誕生
0592人間七七四年
2016/06/11(土) 21:42:57.18ID:nCt3Ho3I0593人間七七四年
2016/06/11(土) 22:09:05.43ID:CcoC0FEg江戸中期〜後期と時代を経ると派手で胡散臭い「河越夜戦」に変貌していく
0594人間七七四年
2016/06/12(日) 06:45:22.31ID:U6yC6vYTたしか「三河物語」で似たようなの見たような記憶があるけどいまいち曖昧・・・。
横山光輝的には吉川栄治の小説からなんだと思うけどw
0595人間七七四年
2016/06/12(日) 07:45:15.51ID:A/52jC/s0596人間七七四年
2016/06/12(日) 20:59:39.27ID:D+VexT2N扇谷上杉家が滅んだり、上杉憲政が越後に落ちる事になったんだから
北条優位な展開の戦があったんだろうけど、美男子と言われる北条綱房が
単騎使者を務めるとかは、創作だろうなぁ
これもまた何か元ネタがありそうな逸話だけど
0597人間七七四年
2016/06/12(日) 21:36:36.32ID:Oe5pUoIH扇谷最後の当主、上杉朝定は死因もし死亡年も不確定
0598人間七七四年
2016/06/12(日) 22:00:45.37ID:yciM3pfq北条ステマはもうウンザリ
0600人間七七四年
2016/06/12(日) 23:32:02.37ID:zaOvgNRO0601人間七七四年
2016/06/12(日) 23:34:04.90ID:b8183FBvそもそもその話が初めて出た改正三河後風土記にも脱糞したなんて書かれていない。
脱糞したことにしたのは山岡荘八。
つまり完全な作り話、かつ小説。
0602人間七七四年
2016/06/13(月) 07:51:27.95ID:S23fxAt4北条は早雲からして幕府を背景にして勢力拡げたのに、
一浪人が己の手腕頼りにのしあがったって事になっていたからなぁ
0603人間七七四年
2016/06/13(月) 09:03:15.07ID:/AqFqVLv0604人間七七四年
2016/06/13(月) 20:43:39.48ID:Ztmf9er/そもそも両半蔵は兎も角として渥美源吾ってどんな人?
人斬りって言われるほどの戦果とかあるの?
0605人間七七四年
2016/06/16(木) 10:30:04.75ID:owSKgU79司馬の関ヶ原にちょい役で出ていたのくらいしか知らないなぁ
0606人間七七四年
2016/06/16(木) 22:20:12.49ID:p6gWjuVM嘘は良くない。
古さで「甲陽軍鑑」と並ぶ「北条記」の頃から、既に派手な合戦として扱われている。
0607人間七七四年
2016/06/16(木) 23:02:01.76ID:72nd9FRF0608人間七七四年
2016/06/16(木) 23:28:41.73ID:CeuROFV5それは嘘
「甲陽軍鑑」で言及している河越の合戦は天文9年のもので、河越夜戦から7年も前の合戦
まだ北条氏綱の代の話
「北条記」は作者成立年不詳の軍記
派生軍記が大量に出回った江戸中期以降の物と見るのが妥当
0609人間七七四年
2016/06/16(木) 23:45:34.28ID:BdrZxScA0610人間七七四年
2016/06/17(金) 00:22:04.91ID:IljcFEidそして「北条五代記」では攻めてきた山内勢を撃退しただけの地味な戦いなんだよなあ
0611人間七七四年
2016/06/17(金) 00:32:37.46ID:OHY3oZZM北条記の派生軍記が大量に生まれ出回ったのが江戸中期だから、
北条記の成立は江戸前期(元和〜寛永)と言われているんだが。
まず甲陽軍艦と北条記が江戸初期に大流行したため、対抗して各地で戦国軍記が書かれ、
派生軍記も起こり江戸中期に更に大流行し、後世の小説家が飯のタネに困らなくなった。
0612人間七七四年
2016/06/17(金) 00:49:44.31ID:IljcFEid>成立は江戸前期(元和〜寛永)
だからそれが「北条五代記」だよ
北条家の家臣である三浦浄心の著「北条五代記」と作者不詳の「北条記」は別物
「八万の大軍」、「夜襲」、「騙まし討ち」等の派手な河越夜戦は「北条記」の物で
「北条五代記」の記述にそれらは無く地味
0613人間七七四年
2016/06/17(金) 06:34:16.42ID:f3xZexOJ0614人間七七四年
2016/06/17(金) 15:23:37.20ID:ZJKv8L8S0615人間七七四年
2016/06/17(金) 19:17:46.00ID:bqMh2i+70616人間七七四年
2016/06/18(土) 14:53:50.73ID:Fk6Ntz42しっかり裏付けを取って検証する必要があるな
あの先生はそそっかしくて、時折間違った結論を出すから
0617人間七七四年
2016/06/18(土) 15:42:38.79ID:KWbRmSCq0618人間七七四年
2016/06/18(土) 15:55:54.08ID:DPUQJOLEネタにしても有り得ない酷さだな。
0619人間七七四年
2016/06/18(土) 21:18:14.69ID:AY+f9baT複数回あった川越城めぐる戦いを一本の合戦に纏めたのが
今に伝わる河越夜戦だって説みたことあるな
0621人間七七四年
2016/06/19(日) 12:05:12.14ID:rQ03WGL90622人間七七四年
2016/06/20(月) 02:04:03.00ID:eGKWNr6q甲陽軍鑑と日本外史のあてにならなさは異常
日本外史なんかファンタジー小説と考えた方がいいレベル
0623人間七七四年
2016/06/20(月) 10:51:37.25ID:vUcV+WIX0624人間七七四年
2016/06/20(月) 12:56:53.17ID:RVr9JYBi0625人間七七四年
2016/06/20(月) 13:44:17.52ID:vel/XA7r所詮後世の講談だからな
0626人間七七四年
2016/06/20(月) 21:36:29.16ID:vUcV+WIX0627人間七七四年
2016/06/20(月) 22:26:39.32ID:of1cyuvY甲陽軍鑑は成立時期が古いので風俗などは参考になる。
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならなさすぎたり、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎたりするのが難点だがな。
0628人間七七四年
2016/06/21(火) 00:59:23.45ID:Ha4gHIUdそれってさあ
記憶に頼って記述してるせいで年代が当てにならない上、武田遺臣の再就職用に創作が過ぎるから
風俗くらいしか参考にならないって事だよね
0629人間七七四年
2016/06/21(火) 07:50:36.25ID:z2a7ifQ90630人間七七四年
2016/06/21(火) 18:43:49.79ID:7uzUbVAv史料には単にそれぞれ溺死と書いてあるだけで、
二人が舟遊びをしていたという話は創作、
というのは本当ですか?
0631人間七七四年
2016/06/21(火) 19:28:07.55ID:zwPkSwEd0632人間七七四年
2016/06/21(火) 21:49:31.97ID:Hm3tom0vそして琵琶島城の城主とは誰だったのか
果たして謎は解けるのか
0633人間七七四年
2016/06/22(水) 12:57:33.57ID:7X6ePydTそもそもが本当に溺死だったのかまで疑わしくなってくる
0634人間七七四年
2016/06/22(水) 15:48:48.09ID:hYlOtx/W不審死を溺死として記録する慣例なんて見た事ないぞ
誰が如何なる根拠で主張している説なのか厳しく問い詰めたい
0635人間七七四年
2016/06/23(木) 20:22:46.17ID:OBPvQWOI0636人間七七四年
2016/06/23(木) 23:28:13.00ID:C4lxSols0637人間七七四年
2016/06/24(金) 08:50:52.35ID:++mPbdA30638人間七七四年
2016/06/24(金) 09:49:04.24ID:kHtyQ5hO北条厨は必死に創作にしたがってるが、実は創作と断ずるに足る根拠はない
北条家臣の書いた軍記に書かれてるのが致命的
0639人間七七四年
2016/06/24(金) 13:32:20.44ID:kB4Ss0HD板違いとか関係無い
0640人間七七四年
2016/06/24(金) 14:58:59.23ID:xRRFA8ia0642人間七七四年
2016/06/24(金) 18:36:54.60ID:9u2YZm3I0643人間七七四年
2016/06/25(土) 21:34:31.11ID:jpkhQ8Fbいつから秀吉は人殺しが嫌いだから、出来るだけ
人が死なないように立てた作戦になったんだろう?
仮に城兵殺してなくても、籠城側には飢餓地獄としか
言えない過酷な策なんだが
0644人間七七四年
2016/06/25(土) 21:36:28.53ID:3vlpcHIf0645人間七七四年
2016/06/25(土) 22:01:57.34ID:ULvjmLI2城兵が飢死するのは、食料もないのに
城主が意地を張って降伏しないせいだから
0646人間七七四年
2016/06/26(日) 00:04:38.38ID:23adfLOo夢物語なんだから仕方ないだろ
実際に秀吉は権力者の割には譲歩が大好きな人間だがそれはすべて
戦をしないため
元来は人を斬るのが嫌いな性分だろ(ただし君主の分別はつけるので
過酷な処分が治世の為に必要と感じたら容赦なくやる)
0647人間七七四年
2016/06/26(日) 00:19:36.11ID:OycwONxh太閤記史観
司馬史観
0648人間七七四年
2016/06/26(日) 00:41:05.01ID:4zZZm5i+所業を見るにとてもそうは思えませんけどw
0650人間七七四年
2016/06/26(日) 01:13:13.79ID:vqLZoPOQ身内じゃなくて敵方に宛てた書状じゃなかったか?
つまり「殺すのが嫌い」っていうのは完全に脅し文句
0651人間七七四年
2016/06/26(日) 01:15:42.30ID:iK87Nqzdお前らにも見せてやりたいだぎゃ〜
って書状送ってくる奴はいるけどな
0653人間七七四年
2016/06/26(日) 08:05:49.61ID:wAQuAkMUただしそれが秀次に送った折檻状(豊臣秀吉文書集二 1215)と
小早川隆景に送った脅迫状(毛利家文書三 980、豊臣秀吉文書集一 705)なんだよなぁ
0654人間七七四年
2016/06/26(日) 08:51:57.76ID:vqLZoPOQ0655人間七七四年
2016/06/26(日) 10:24:32.09ID:XN/U5mzNわしは人を斬るのが嫌いだが、今のお前のように見苦しい様ならば
一族の恥であるから成敗する。わしのおいとして意識をして働くのであれば
どこの国でも好きな知行をとらせる
0656人間七七四年
2016/06/26(日) 10:41:42.93ID:4zZZm5i+「わしゃ人死は嫌や、じゃけんこれ以上はどうなるか判らんな〜」って
三文小説のやくざの親分のセリフの発祥は秀吉説を唱えてよろしいか
0657人間七七四年
2016/06/26(日) 11:24:58.91ID:wAQuAkMU書状は柴田勝家を倒した経緯(刎首がたくさん出てくる)を延々と書き連ねた後、部下への知行割り当てなどの話をした後、七月末までは軍勢を休ませようと思ってると宣言したあと、隆景への脅し文句へとつながります。
大意は 「軍勢を休ませ終わったら全軍をそちらに差し向けて境目の話をしましょう。秀吉が腹を立てないようにしてください。」、「東国の氏政や景勝も秀吉に従ってるので、輝元も秀吉に従うようにあなたから勧めてください。」といった感じですな
0658人間七七四年
2016/06/26(日) 14:37:03.10ID:aghh09pqつまり、創作物である軍記にしか出典が確認できず、
史実と断ずる根拠が皆無ということですね
同内容が載っている一次史料が発見できればいいのだけど
0659人間七七四年
2016/06/26(日) 14:49:33.98ID:qBfdF4xq臨機応変に対応できると感心した逸話になってたんだろうか
0660人間七七四年
2016/06/26(日) 14:53:23.02ID:6YLN4Slyそれをもって公判で彼は詐欺を行なっていないと弁護する主張は
通るものだろうか
0661人間七七四年
2016/06/26(日) 16:04:29.58ID:M26kQ9gQとかいう指摘は前々からあったけど、
それらに加えて、
統合失調型人格障害と自己愛性人格障害と演技性人格障害も
併せ持っていたようですね
先にお市の方と柴田勝家が喪主となって信長の葬儀を行なっていたにもかかわらず、
秀吉が信長の葬儀を装う演出過剰な催事を執り行い、
諸大名に自分が信長の後継者であるかのような印象操作をしたことも、
演技性人格障害で説明がつきます
この演技性人格障害は、一般に虚言癖を伴います
秀吉は反社会性人格障害もあるので、好きも嫌いもなく平然と人殺しができるわけですが、
利に因ってこれまた平然と「自分は人殺しが嫌い」と嘘をつけるわけです
0662人間七七四年
2016/06/26(日) 19:22:12.85ID:XN/U5mzN知ったか乙
0665人間七七四年
2016/06/26(日) 20:00:02.46ID:jHShHs9g同席してる息子の食事に書状で文句を言う親とか険悪すぎる
0666人間七七四年
2016/06/26(日) 22:18:31.13ID:wAQuAkMU0667人間七七四年
2016/06/26(日) 22:38:12.11ID:rERcbqJ40669人間七七四年
2016/06/26(日) 23:03:55.34ID:wAQuAkMU氏政、氏康は同じ城内とはいえ、普段住んでる郭も違うってのに
0670人間七七四年
2016/06/26(日) 23:07:02.48ID:rERcbqJ40671人間七七四年
2016/06/26(日) 23:24:05.84ID:o84TV/8b0672人間七七四年
2016/06/26(日) 23:36:08.94ID:Lioe3mpX0673人間七七四年
2016/06/26(日) 23:57:36.45ID:OycwONxh0674人間七七四年
2016/06/27(月) 00:25:25.23ID:8oyfJIKO0675人間七七四年
2016/06/27(月) 00:34:58.36ID:k3iTjo2/0677人間七七四年
2016/06/27(月) 09:58:45.50ID:G5XHVhEg0678人間七七四年
2016/06/27(月) 11:10:48.78ID:Knb3qIsy逸話だから、なんで疑問に思うのかが疑問だが。
0679人間七七四年
2016/06/27(月) 11:29:17.10ID:bSUlMPkf0680人間七七四年
2016/06/27(月) 11:31:09.58ID:sLy2L7i90681人間七七四年
2016/06/27(月) 11:31:53.28ID:bSUlMPkf素人でもに本願寺と対立しつた信長の小姓が南無阿弥陀仏の前立かよとは思うけど他にもっともな理由あるの?
0682人間七七四年
2016/06/27(月) 13:17:15.99ID:svAlsC2+浄土宗の坊さんだから別におかしくはないんだがなあw
真宗だって全てが全て信長と対立していたわけでもないし。
0683人間七七四年
2016/06/27(月) 15:28:26.08ID:LiC9AaeN京と堺辺り押さえた時点で、信長にとっては消化試合だろ
三国志の曹操や魏みたいな
0684人間七七四年
2016/06/27(月) 21:02:16.83ID:Vfs6Ra9a氏康傷とかもだいぶ創作くさい逸話だしな
0686人間七七四年
2016/06/27(月) 22:03:52.89ID:ZXIhOU0r川越の骨董屋から所有者は手に入れて、由来なんてなく売った物がいつの間にか「森蘭丸所有」なんて本に出てれば店主も驚くさ。そしてそれをみた甲冑会の連中が嘘の来歴は良くないから撤回しろって言ったけど聞く耳もたずってのが事の顛末
0687人間七七四年
2016/06/28(火) 15:47:37.88ID:tsliyFnQいや、黒田基樹も「北条氏康の子供たち」の中で
出所を突き止めることすらむずかしい、いい加減な代物って
書いてるぞ
0688人間七七四年
2016/06/28(火) 17:50:40.69ID:XvCLpJZC現存する北条氏康の肖像画は氏康生前に本人を見て描かれた物なんだけど
傷とか全く描かれていない
0690人間七七四年
2016/06/28(火) 18:41:11.91ID:+as/2dSW0691人間七七四年
2016/06/28(火) 20:12:49.09ID:wrueRVNK曹操の場合は言うほど消化試合じゃねーだろ・・・・・
呉が寝返らなかったら相当ヤバかったぞ
0692人間七七四年
2016/06/28(火) 20:49:28.35ID:r0VE/APF三国志の場合は、長江の存在が守る方を圧倒的に有利にするから
攻めあぐねるだけで
0693人間七七四年
2016/06/28(火) 21:01:34.28ID:tM1j/jLF劉備「じゃあ呉の調略無しでウチラ撃退してみよっか」
関羽「ヤバくないんだから当然遷都とかしませんよね!」
0694人間七七四年
2016/06/29(水) 08:28:25.03ID:QAC2xi8d狭隘な僻地の戦いだから大軍が展開できず魏の国力が生かせなかったが
中原に出てくれば殲滅されるのは蜀軍
樊城も洪水が無ければあっさり撃退できただろう
なにしろ国力差は魏が10とすると呉2蜀1くらいだ
蜀呉は大軍の生かせない隘路で健闘するしかない
魏は隘路を上手く抜ければ蜀呉を滅ぼせるが、蜀呉は隘路に拠らねば生きられない
0695人間七七四年
2016/06/29(水) 09:16:38.92ID:8YZTbR7/0696人間七七四年
2016/06/29(水) 09:17:41.57ID:AfaAQ8vx0697人間七七四年
2016/06/29(水) 09:19:47.21ID:WrbLgMJP0698人間七七四年
2016/06/29(水) 11:53:23.23ID:CSVEGRGu吉継と言えば茶会の話、福本日南の本では秀吉と吉継の話だったのにそれを三成に替えたのは誰だろう
尤も吉継の病気がハンセン病か怪しい時点でこの逸話も創作みたいだけど
0699人間七七四年
2016/06/29(水) 15:16:59.16ID:JiGLrqup× 魏10:呉2:蜀1
○ 魏7:呉2:蜀1
魏が10とすると、ではなく、
漢人主導国領域全体を10とした場合の内わけ
0700人間七七四年
2016/06/29(水) 15:20:29.53ID:KGtBOQvF0701人間七七四年
2016/06/29(水) 16:02:51.47ID:cVxHOJGq>吉継の病気がハンセン病か怪しい時点
一次資料には病気のことについて、一切語られていないのかな?
0702人間七七四年
2016/06/29(水) 16:29:33.26ID:FqzPSBE/0704人間七七四年
2016/06/29(水) 19:44:42.27ID:5SW186M7>一次史料で確認できるのは眼病くらい
そうすると病で崩れた顔を隠すために
白布で顔を覆っていたというのも創作なのかな
あるいは光から目を守るために頭か顔に何か被っていたのが
病名とともに変化していったのか
0706人間七七四年
2016/06/30(木) 08:48:02.91ID:me+rVR4Y0707人間七七四年
2016/06/30(木) 19:52:12.82ID:vojRHde7そうするとあの白布で顔を覆ったイメージはいつ頃出来たんだろう
0708人間七七四年
2016/07/01(金) 20:28:01.10ID:7FXrbvnOアホ三谷のせいで新たな珍説が。
信じる馬鹿が一定数いるんだろうな
0709人間七七四年
2016/07/01(金) 20:34:43.25ID:+Z/oQOdg0710人間七七四年
2016/07/01(金) 22:07:11.55ID:d0pGQVsl0711人間七七四年
2016/07/02(土) 03:39:28.31ID:bc2g7IEP本人が退治したわけじゃないが
秀吉からの書状で虎狩りを命じたら
をすぐ送ってきた
0712人間七七四年
2016/07/02(土) 03:45:09.60ID:bc2g7IEP虎をすぐ調達して送ってきた事を
褒められてる秀吉の朱印状なら存在してるな
虎狩り自体は他の大名のとこでもやってるけど
仕事が早くて目立ったんじゃね?
0713人間七七四年
2016/07/02(土) 14:07:16.63ID:iFKhlSCe>そうするとあの白布で顔を覆ったイメージはいつ頃出来たんだろう
月光仮面とかの影響なら、戦後だったりしてなw
0714人間七七四年
2016/07/02(土) 17:17:08.20ID:az8F2rcBその証拠物件によれば、虎は銃によって射殺されたものと判明している
清正が自ら鎌槍を振るって虎を倒したとする話は、
江戸中期以降の創作であろう
0715人間七七四年
2016/07/04(月) 08:36:13.25ID:aanXl8U80716人間七七四年
2016/07/04(月) 16:56:08.26ID:drssR83a市松だったら話題になってなかったかもな
0717人間七七四年
2016/07/05(火) 22:45:50.87ID:FeomaEEGそれが本当ならば>>638が偉そうに書いてる
北条家臣の書いた軍記にあるというのはどれ程
信憑性があるのか
0718人間七七四年
2016/07/06(水) 00:35:42.26ID:Vc8f5JoY0719人間七七四年
2016/07/06(水) 02:23:06.78ID:z0AiWLri彼の北条擁護は全く信用できない
河越とかも「あの黒田でさえ否定せざるを得ない」捏造合戦て意味だし
0720人間七七四年
2016/07/06(水) 06:09:21.84ID:NGYIcJTX0721人間七七四年
2016/07/06(水) 06:23:32.80ID:8bwpcRqT0722人間七七四年
2016/07/06(水) 06:49:26.44ID:5YHPIaTxなのに「創作」と断定できず「出所を突き止めることが『難しい』という
曖昧な文言で逃げてるあたり、黒田の苦しい胸の内がよく分るw
0723人間七七四年
2016/07/06(水) 07:16:38.09ID:2QfhkKKc候補を上げれば司馬、海音寺、山岡、立川文庫、菊池寛あたりが怪しいか
0724人間七七四年
2016/07/06(水) 16:11:03.72ID:H2zLft/R>>638が知ったかぶりしてるだけだろ
汁かけ飯の話って確か名将言行録にしか書かれてないよな
いずれにせよ「北条家臣が書いたもの」には書かれていない
0725人間七七四年
2016/07/06(水) 16:55:20.68ID:fKZVuiO+いや、北条五代記か北条記に書かれてたぞ
前に一緒に調べた時に確認した
さすがにどっちかまでは覚えてないが
0726人間七七四年
2016/07/07(木) 16:36:29.51ID:Oj+reHmk軍記を書いたのが北条家臣だろうが、そうでなかろうが、
史実があった根拠にはならん
たとえば、氏康が幻庵に向けて書簡を残したとする
「倅がいつも食う飯に汁をかけ直した。家の将来が心配だ」といった内容の書簡が
発見されれば、それが証拠となる
軍記では軍記である限り、著者の身の上がどうだろうと、何の証拠にもならんのよ
0727人間七七四年
2016/07/07(木) 17:04:27.01ID:4QSOP52g近代以降の歴史小説由来じゃないよって言いたいんじゃね?
まあ司馬遼太郎とか山田風太郎起源とよりマシかな的な。
0728人間七七四年
2016/07/07(木) 18:06:38.59ID:cLKNAWH/0730人間七七四年
2016/07/07(木) 19:57:40.00ID:W+zHs4YE0731人間七七四年
2016/07/07(木) 20:29:42.98ID:o1Adejuq沼田に寄った昌幸親子を小松殿が追い返した話は
誰がいつ頃創ったのかな
この頃大名の正室は大坂にいたはずだったんだから
小松殿が沼田にいるのはおかしいし、仮に信幸の妻が
沼田にいたとしたら、それは信綱の娘の方だろうし
0732人間七七四年
2016/07/07(木) 21:45:58.70ID:Oj+reHmk板坂卜斎、江戸時代初期
>この頃大名の正室は大坂にいたはずだったんだから
根拠なし。側室の場合もあり
黒田基樹が、小松殿は当時大坂にいて、大谷配下の監視にあったという論拠で否定したが、
その論拠が論拠の使い方として間違っていた
大谷配下の監視にあった「真田信之の妻子」が小松殿であった根拠が無い
0733人間七七四年
2016/07/07(木) 23:58:20.73ID:1Fy/R65Rアホだな
主家を過剰なまでに持ち上げる軍記において
わざわざ家臣が主君を貶める逸話を創作する意味が無い
氏康の氏政評だから、やむ得ず載せたと考えるのが妥当だろう
逸話自体の真偽は然程重要ではない
重要なのは北条家臣が「氏政は汁も量れぬ池沼」と信じて疑わなかった事であろう
>>638はそういう意味だな
0734人間七七四年
2016/07/08(金) 05:18:59.70ID:QN5bVY2m0735人間七七四年
2016/07/08(金) 06:28:06.16ID:9AEAuHc0確かに否定できないw
0736人間七七四年
2016/07/08(金) 12:12:46.35ID:J/2q9AKOつまり、お前が「家臣が主君を貶める逸話を創作する意味がある」ことを知らなかったというわけだ
武田旧臣が甲陽軍鑑において勝頼を貶める逸話を創作した事例を知っていれば、
そんなヘンな理論で結論を導き出すことはなかったところだが、
一般人としては甲陽軍鑑の立ち位置すら知らない無知が放言しているとは想定外
0737人間七七四年
2016/07/08(金) 12:56:02.70ID:5DqSZAQS0738人間七七四年
2016/07/08(金) 13:01:35.10ID:VFh6S7LG甲陽軍鑑は全体的に「悪いのは跡部長坂ら君側の奸」という論調で勝頼を擁護してるんだけど
勝頼自身を貶める創作逸話のなんてないぞ
0739人間七七四年
2016/07/08(金) 18:39:04.01ID:H5btW5Ab江戸時代から存在する俚謡
横山光輝や、近代以降の作家による創作ではない
ただし、その謡の内容はこじつけな上、かなり不正確と考えられる
歌詞の展開は、いかにも勇猛そうな異名を持つ武辺者を三名並べたもの
服部正成と渡辺守綱は共に天文11年(1542年)生まれで、昇進のペースも対比できる
しかし渥美源吾のモデルであろう渥美源五郎勝吉は弘治3年(1557年)生まれで、一世代後になる
鬼半蔵と槍半蔵を並べることを目的とした詞に、語調合わせのため無理矢理渥美を加えたのだろう
0740人間七七四年
2016/07/08(金) 18:40:55.52ID:H5btW5Ab天正2年(1574年)の武田勝頼による高天神城攻めで、小笠原家は降伏開城した
その際勝頼は、武田家の誘降を受け入れる者は優遇するし、徳川方に帰ることも許すと約束している
高天神城に詰めていた将兵は、誘降を受ける者と徳川方に帰る者とが半々に別れた
徳川方に帰った将兵は、そのほとんどが大須賀康高麾下に再編された
勝吉もそのほとんどに含まれ、大須賀麾下で働くことになる
大須賀隊は、高天神城を拠点に行動を起こす武田軍に対応する最前線部隊であり、
勝吉は7年にわたる小競り合いから天正9年(1581年)の本格的な高天神城奪回作戦まで勇名を挙げ、
「首取源五郎」の異名がつけられている
大須賀康高は天正17年(1589年)に死去し、
康高の娘の子である榊原忠政が大須賀忠政となって大須賀家を継承した
関ヶ原合戦時、大須賀忠政隊は徳川本隊の後ろを守り、後方の毛利秀元隊の動きを警戒していた
そして勝吉は毛利隊の動向を探りに行ったのだろう。その際に間宮信繁と同行したのかは不明
後年、語り継がれるうちに、
後方偵察の事績が何故か前方偵察の事績へと変容し、異名も「首取源五郎」から「首斬り源吾」と変容
さらに一大決戦直前に敵情偵察を行なったという印象が一人歩きし、
武士から忍者へと人物像が変容していったと考えられる
0741人間七七四年
2016/07/08(金) 18:41:57.12ID:H5btW5Ab武辺だけの男ではなく、それなりに政務もこなせたようだ
慶長12年(1607年)には大須賀忠政が死去。その幼い子である忠次が大須賀家を継承した
勝吉らベテラン家臣が大須賀家の政務を切り盛りしていたのだろうが、そうこうするうち、
慶長20年(1615年)、大坂の陣で大出血した榊原康勝が死去してしまう
忠次の他には存命の榊原康政の子孫男児が無く、忠次が榊原家を継承することになる
そのため大須賀家は断絶、家臣団は解散することになった
ある者は榊原家臣へと転身し、ある者は徳川宗家直臣旗本になった
しかし最も多かったのは、家康十男・徳川頼宣家臣への編入である
家康の手元で育った頼宣は、家康が倒れた後は自ら領地運営を執ることになり、人材を欲していた
小笠原麾下で高天神城にて戦い、大須賀麾下に移籍した古参は、大方は頼宣家臣となった
勝吉もその大方に含まれ、頼宣に仕えることになった
元和5年(1619年)、頼宣は紀州和歌山へと転封する
その際、渥美勝吉も同行し、和歌山に着任している
0742人間七七四年
2016/07/09(土) 13:11:05.25ID:8EpDDbf5勝頼なんて武田家の正式な後継者じゃなく、
信勝が成人するまでの繋ぎに過ぎないくせに出しゃばりやがって
という甲陽軍鑑のスタンスが、勝頼を貶める意図じゃないと?
0744人間七七四年
2016/07/09(土) 14:10:57.40ID:9vN3l7m4陣代を「繋ぎに過ぎないくせに出しゃばりやがってという甲陽軍鑑のスタンス」
と読むのはお前の悪意に満ちた妄想にすぎん
軍鑑をどう呼んでも勝頼が出しゃばったから武田が滅んだとか読めない
むしろ跡部長坂ら君側の奸が出しゃばったから武田が滅んだというのが甲陽軍鑑のスタンス
陣代にすぎぬ勝頼に彼らを退けられぬのも仕方が無いという擁護にすらなる
0745名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 09:31:41.56ID:S1L9mBbu0746名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 09:49:50.98ID:yAt7ys7B0747名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 10:37:53.81ID:TyqYzazW甲斐国内の不満を収める為の形だけの陣代とか信玄がやりそうな事
0748名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 11:28:55.06ID:5btHCnYA「大須賀七将」の筆頭なのだろうけど、
他のメンバーがよく判らん程度の知名度
強いて挙げれば、弓の名手と伝わる小笠原与三右衛門清有くらいか
この人物も高天神城降伏時に徳川方に残ることを選択して
遠州小笠原宗家と決別し、最終的には頼宣に仕えた
本来なら陪臣としての知名度は
奥平麾下の鳥居強右衛門勝商以上にあっても良さそうなのだけど…
大須賀家が断絶する時期が早すぎたため、
先祖の部隊の活躍を語り継ぐという文化から脱落したのではないかと思われる
0749名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 13:37:24.16ID:u0aEeX8/お家断絶しなけりゃ子孫がいつか「盛って」(いいかどうかは置いといて)
くれたりするしなぁ、やっぱり家を残すのって大事だわ。
0750名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 14:01:09.59ID:yAt7ys7B0751名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 14:14:35.71ID:3NgMLZh2榊原は、生家を継ぐために息子が大須賀から戻ってきたから有名になれた気がする
0752名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!
2016/07/10(日) 14:19:41.53ID:5btHCnYA酒井忠次や石川数正と同格の扱い
0753人間七七四年
2016/07/10(日) 20:40:00.28ID:1gzQiL7tまあ氏郷の家康嫌いに関しては司馬が助長したのもあるだろうけど
0754人間七七四年
2016/07/10(日) 20:48:03.00ID:SkErALU9高天神城を攻めた際、内藤甚一正成が一矢で二人を倒したので
城兵が恐怖したって逸話があるが、何が出典なんだろう?
それとも宮城谷の完全な創作なのかな
0756人間七七四年
2016/07/10(日) 22:29:20.06ID:WoaxVO/cttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082718/127
0757人間七七四年
2016/07/11(月) 08:48:59.72ID:8O+q0KhT大名同士の不仲説とか、講談本が元ネタなのが結構あるんじゃないかなぁ
0758人間七七四年
2016/07/11(月) 12:34:25.80ID:ZJVyHzD0首切り(首取)なんて異名は、可児才蔵タイプの武辺者だったことを証明する一方、
忍者の職務ではないから忍者ではなかったことを裏付ける
そしていかにも忍者ならではという逸話が他にあるわけでもない
なのに忍者扱いで放置され続けたという、そんな知名度
0759人間七七四年
2016/07/12(火) 23:50:54.32ID:0UMdQFlL一矢で二人殺すとか、一体何人張りくらいの強弓使っていたんだよって話だな
0760人間七七四年
2016/07/13(水) 21:32:55.82ID:KmIgXpPI家康との不仲説はあんまり信用できないな
0761人間七七四年
2016/07/15(金) 09:27:10.94ID:6UM8xRa2謀略であらゆる大名を貶めた事にするからな
0762人間七七四年
2016/07/15(金) 15:09:10.28ID:MaLg0lelhttps://www.youtube.com/watch?v=BcasInDgm-I
0763人間七七四年
2016/07/16(土) 07:40:13.82ID:SVpJ0Ya70765人間七七四年
2016/07/16(土) 13:31:45.88ID:woQdE5KQ0766人間七七四年
2016/07/16(土) 13:43:08.69ID:SVpJ0Ya70767人間七七四年
2016/07/16(土) 15:04:19.69ID:oiTeVsKP0768人間七七四年
2016/07/16(土) 15:17:25.99ID:K674F4SB0769人間七七四年
2016/07/16(土) 15:51:05.42ID:jGSUM64x家康が東北の武将暗殺するようなもの
0770人間七七四年
2016/07/16(土) 17:20:08.15ID:Hb/VgSIH死ぬほどの病気かは分からないが実際に病気してたという当時の一次史料もある
暗殺だとしても秀吉は「俺のために働きたいとか言っててかわいい奴だから所領与えようと思う」と
義久に通知してて暗殺する理由がまず無い
逆に義久は「家久が勝手なことしてる。これはお家存亡の危機。困った」と家臣に嘆いていて訳で
死因は順当に病死。もし仮に暗殺だとしたら独立されては困る義久によるものとなる
0771人間七七四年
2016/07/16(土) 18:33:32.07ID:sC9HcI490772人間七七四年
2016/07/16(土) 19:00:02.11ID:hnTSuAaT案の定現地で没した吉川元春は秀吉に殺されたも同然
しかも都合よく直後にその嫡男も死んで毛利家中から反秀吉派は一掃された。。。
0773人間七七四年
2016/07/16(土) 19:22:02.96ID:yv6kakMb0774人間七七四年
2016/07/16(土) 20:10:52.70ID:9GRNj/lZ信長の高野聖千人斬り、秀吉が朝鮮虎の塩漬け肉で精を付けたって話も創作だよ。
0775人間七七四年
2016/07/16(土) 20:25:38.89ID:jGSUM64xまともにやっても勝てないからっていう…天下人が暗殺する必要あるぅー?
0776人間七七四年
2016/07/17(日) 00:11:47.01ID:KGfJ93oI豊臣と島津の2択しかないってことはなかろうさ
動機的には大友家臣の佐伯惟定とかその客将の山田匡徳とかが結構怪しい
0777人間七七四年
2016/07/17(日) 13:18:42.87ID:8c2C9psGそのまま読むと文脈に全く繋がりがなくて如何にも書き手の頭が悪そう
同一の軍記講談が出典なのかな?
0778人間七七四年
2016/07/17(日) 13:41:16.08ID:ZNFnaCOz0780人間七七四年
2016/07/17(日) 18:45:32.44ID:8Onnz1g30781人間七七四年
2016/07/17(日) 23:27:30.89ID:tKVp0nuQ0782人間七七四年
2016/07/18(月) 06:03:10.55ID:wKTCWIu9徳川にしても信康や忠長の切腹や、秀頼を攻め滅ぼした理由は曖昧
主筋や嫡子、一門ですら強引に死を命じられているのに臣下ごときをコソコソと暗殺するとは思えない
0783人間七七四年
2016/07/18(月) 19:56:38.36ID:UzcRrj8j伊達家みたいに弟殺しの責任を母親に擦り付ける家もあるけど
0784人間七七四年
2016/07/18(月) 21:08:13.19ID:PbqKYFUG真田信繁や豊臣秀頼、島清興以外でどんなのがいたっけ?
0785人間七七四年
2016/07/18(月) 21:20:18.54ID:d/6vVi+mマイナーな武将だと結構いる
0786人間七七四年
2016/07/19(火) 22:01:46.46ID:giN6eur7それは真田信繁や源義経、西郷隆盛みたいに本当は死んだけど
生きてて欲しいという民衆の願望が創作した生存話じゃなくて
単純に生死が不明確だってだけの連中じゃないのか
0787人間七七四年
2016/07/20(水) 00:41:43.04ID:95v0jcUG細川興秋
大坂に豊臣方についたため父の命で切腹したとされるが
天草に逃がされ生き延びたという説がある
原田信種
清正の家臣となって朝鮮で戦死したとも朝鮮に降って沙也可になったとも
帰国してたとも言われる
和人人鬼
肥後一揆の田中城攻めでただ一人逃げ延びたとも自害したとも言われる
田原親虎
耳川合戦で戦死したとも、田原家を廃嫡された後は四国で暮らしてたとも言われる
まあ、生存説と死亡説がある歴史から消えた連中だな
0788人間七七四年
2016/07/20(水) 13:37:31.57ID:xaysYt+m明智光秀
0789人間七七四年
2016/07/20(水) 14:07:27.83ID:nMsEvtnS0790人間七七四年
2016/07/20(水) 17:50:21.34ID:H4Rhq3pOまさか40年以上経って書かれた太閤記や100年位の明智軍記の作者も事実化してビックリだろ
0791人間七七四年
2016/07/20(水) 21:08:08.69ID:CPIXlbOq光秀=天海説って初出はいつ頃で、
誰が言い出したのかな?
0793人間七七四年
2016/07/20(水) 21:50:50.20ID:xAVyB+Rw須藤南翠とか言う明治の作家じゃなかったかな
0794人間七七四年
2016/07/21(木) 22:40:22.17ID:5rrgbdl8須藤南翠ってどんな作家?
0795人間七七四年
2016/07/21(木) 23:25:30.14ID:59Yv3wsl天海は蘆名家臣船木景光の息子って結論付けてるみたいなんだよね
『大僧正天海』を読まないと分かんないけど、須藤は「或説云」で紹介しただけで
光秀=天海説はもっと遡れるんじゃないかとも思う
0796人間七七四年
2016/07/22(金) 17:53:08.79ID:TtjH/5ZZでまだ余力あるなら 金光秀 文光秀 も見てみると、知識に更なるひろがりが
0797人間七七四年
2016/07/22(金) 22:04:56.87ID:1eVj6Y3j政僧には創作と思われる俗説を持った人物が多いよな
0798人間七七四年
2016/07/23(土) 10:18:23.46ID:Kxzy6UFi0799人間七七四年
2016/07/23(土) 20:55:59.68ID:OKpPnY7R色々検索してたら「閾ペディアことのは」というHPがあって
その中に大僧正天海考異という頁があったんだけど
それを見ると須藤は最近の一部の考証家の説として
紹介しているみたいなんだよね、天海=光秀説、しかも虚妄説として
それを考えると須藤と同時代くらいの考証家が唱えた説って事になると思う
0800人間七七四年
2016/07/23(土) 22:39:21.68ID:DRn+Ng+M何で読んだかは忘れたけど輝政は暗殺が直接死因ではないものの
最初倒れた(1609年)のは実は暗殺未遂みたいなものでそれが
遠因なんじゃないかという話があった。
(因みに嫁の督も暗殺じゃないかとも)
ちょいと調べたら最初倒れた時とちょうど同じ頃大久保長安も
原因不明で体調を崩していて輝政が死んだ三か月後に長安も死んでる、
おもしろいことに当代記でも輝政の死について大久保長安絡めてる。
大久保長安事件の時も輝政は首謀者扱いくらっているからまあ
そういうことかなと思う部分もあり
0801人間七七四年
2016/07/26(火) 09:19:59.99ID:yigwodJa羽柴姓貰ったりと、何かと権力者から目を掛けられてるよな
0802人間七七四年
2016/07/27(水) 20:51:36.61ID:Btx1n2JW恒興の献策が通説だと思うけど、本当は秀吉からの提案だったって
小説何作か読んだ事があるけど、何を元ネタにしたんだろう
まあ忍城の水攻めも三成の発案ではなく秀吉の命令だった事を
考えると可能性は零ではないかもしれないが
0804人間七七四年
2016/07/28(木) 06:22:31.55ID:OaEnixDb忘れられていることが多いけど長安と輝政は信長死後の
かなり早い段階から義理の叔父甥という身内関係だからな。
加えて家康と仲が良かった教如とは甥の下間が出奔してきてから
完全に敵対関係で領内で教如派を弾圧してもいる。
長安事件も池田と長安の力や権威を削ぐのが主目的だったのではとする
向きが出始めているらしくて督の暗殺疑惑もその一環らしい。
ツイッターで池田好きがつぶやいていたけど池田って繁栄したという
いい部分の影ではかなり幕府にやられていたりするみたいだぞ
0805人間七七四年
2016/07/28(木) 07:14:08.95ID:+JUHdFEU0807人間七七四年
2016/07/28(木) 18:23:01.99ID:Jl+H/rZ4長男が奈良奉行を務めた経験があるのに、非才なので無理と答えて、
家康を激怒させたのが原因な訳で
0808人間七七四年
2016/07/28(木) 18:43:47.58ID:OaEnixDb理由にはならんだろ
その長男だって長安に代わっていろいろとやっていたから
それだけで非才というのは詭弁と思われ
0810人間七七四年
2016/07/29(金) 00:41:31.79ID:L3EMLRFp処罰を行うとはとても思えないなあ
家康の逆鱗に触れたからというのも確定しているわけではないんだろう?
>>804
輝政の末弟長政も暗殺疑惑あるよな
かなりやられているというと利隆、忠雄、輝澄、輝興、光政あたりかな
結構キナ臭い感じ
督は自分もちょっと疑っていたりするw
まるで人目に触れさせたくないような動きがあるしな。
0811人間七七四年
2016/07/29(金) 05:33:25.68ID:bVSNIJC90813人間七七四年
2016/07/29(金) 14:08:18.75ID:FHMGljolどうかわからんけど、反乱企んでたって説が出るのもうなずける。
0814人間七七四年
2016/07/29(金) 16:26:54.73ID:Ue24aPu0それに代官に厳しいのは徳川家の基本政策
0815人間七七四年
2016/07/29(金) 23:21:53.44ID:b4Ly/qh4軽輩では無く身分はそれなりだったらしく、平山あたりはこの事件を
信康切腹事件の遠因の一つに挙げてるが)は鋸引きの刑にされたしな
0816人間七七四年
2016/07/30(土) 07:19:00.87ID:gUX9F1+B0818人間七七四年
2016/07/30(土) 08:24:50.25ID:/Woakk+d0819人間七七四年
2016/07/30(土) 17:15:35.27ID:RqIbo0mFそれも実際のところは真偽不明だったり
仮にそうでもその金は長安んちの金だから幕府も
文句は言えなかったり
そもそも長安と幕府の分け分率6:4だから長安んちが
金をたくさん持っていたとしても当たり前だったり
0820人間七七四年
2016/07/30(土) 17:57:45.43ID:IzY9aU/h0822人間七七四年
2016/07/31(日) 09:31:49.76ID:9RvVlEGb妻妾皆殺しや落首があったと言うだけで
そこの住民皆殺しよりは罪科がはっきりしてる分
まだマシだろう
0825人間七七四年
2016/08/01(月) 01:26:02.03ID:oZx2uBXN0826人間七七四年
2016/08/01(月) 01:39:27.58ID:fn9e/2zbなんで武勇伝になってるのか意味分からん
日和ってたら戦が終わってしまって、ドサクサにまぎれてトンズラしたってのが実態なのに
0827人間七七四年
2016/08/01(月) 10:47:04.46ID:KtHa9IK70828人間七七四年
2016/08/01(月) 17:00:39.13ID:GjtY8jX80829人間七七四年
2016/08/01(月) 20:36:24.06ID:pkqaQdpe井伊直政が銃創を負ってるんだよ
0830人間七七四年
2016/08/01(月) 21:45:34.61ID:Hp5rHOtqそれ何にかかれてるかしらんが、明らかにデタラメ
井伊年譜とかには全くこのときの負傷記録もないし二人ともそもそも関が原直後から戦後処理で東奔西走してる
9/22毛利輝元、徳川氏との和成り、其本領を安堵せしめられしを喜び、井伊直政・本多忠勝及び福島正則・黒田長政に誓書を致し、大坂城西丸を去らんことを告げる
9/23徳川家康の老臣井伊直政、紀伊高野山に在る前近江大津城主京極高次を招く、尋で、家康、高次の弟同高知・山岡道阿彌を遣し、大坂に來らせる
9/25是より先、肥前佐賀の鍋島勝茂、井伊直政・本多正信・相國寺圓光寺の元佶(閑室)等に頼りて、罪を徳川家康に謝す、家康、筑後柳河の立花親成(宗茂)を攻めて、之を償はしむ、是日、勝茂、家康・秀忠父子に謁し、尋で、龍造寺高房を留め兵を率ヰて歸國す、
10/12土佐浦戸の長宗我部盛親、徳川家康の老臣井伊直政の勸に依り、大坂に至る、尋で、家康、盛親の封を收む
10/17井伊直政、徳川家康の命を受け、鈴木重好等をして、土佐浦戸の長宗我部盛親の諸城を收めしむ、尋で、土佐を與へられし遠江掛川の山内一豐、其弟康豐をして、入國せしむ、
11/13徳川家康の老臣井伊直政、重ねて、島津維新(義弘)・同忠恆をして、速に、家康に其罪を謝せしむ
12/13徳川家康の老臣井伊直政・山口直友、重ねて、島津龍伯(義久)・同忠恆の上京を求む、
12/23是より先、黒田長政、其封筑前に入る、是日、島津維新(義弘)に、徳川家康の老臣井伊直政に頼り、罪を家康に謝せんことを勸む、
翌年も引き続き政務こなしまくってる
井伊なんか死んだの2年後なのになんでこのときの傷が死亡原因にされてんだよ
0831人間七七四年
2016/08/01(月) 21:53:56.65ID:pl87Djm0関ヶ原での傷が原因は無理があるな
豊臣、西軍、島津信者にしてみれば
直政の死因は関ヶ原の負傷の所為で
なければならないんだろうけど
0832人間七七四年
2016/08/01(月) 21:55:00.38ID:pkqaQdpeそのまま読めるかよ
で、直政の死因はなに?
0833人間七七四年
2016/08/01(月) 21:58:51.08ID:XPGMOTjtこれを武功にすり替えちゃうんだからしょうもない
0834人間七七四年
2016/08/01(月) 22:12:39.18ID:OyXVeT/sそれも怪しいんじゃない
家康の本陣に迫ったとか
0835人間七七四年
2016/08/01(月) 22:27:12.35ID:bJJ/HYDj島津は予備兵扱いであり石田が無礼だったので参戦しなかったのも当然とか苦しい言い訳しているが
まあ鹿児島の人だからしゃーないよね
0836人間七七四年
2016/08/01(月) 22:39:37.60ID:U96mTt5Q捨て奸したけど勇猛な関東兵には通用せず豊久隊が全滅してしまったというだけで
別に命を捨てて主君を守る行動じゃないのよね。ただの戦法しかも通用しなかった戦法つうだけ
0838人間七七四年
2016/08/01(月) 22:42:22.84ID:fG328ufz「少しく相煩い申し候間判形致さず候」
とあるから銃創でないにしても花押が書けないくらいの軽い怪我はあったんじゃないかなと思ってる
0840人間七七四年
2016/08/01(月) 22:52:57.48ID:oSVgf5DW井伊直政が戦場で怪我するのは珍しくないみたいだし
直政が勇敢であったという見方もできるから
0842人間七七四年
2016/08/01(月) 22:57:07.32ID:GjtY8jX80845人間七七四年
2016/08/01(月) 23:18:37.01ID:mV0k2JvZで、自演失敗やら菅沼やら言うだけでまともな反論出来ない馬鹿の君はどうなのかね
0846人間七七四年
2016/08/01(月) 23:21:57.64ID:fG328ufzどうなんだろ
普通に文面通り読めば病気と解釈するのが妥当だけど、関ヶ原直後政務をこなしてる直政が怪我じゃなく病気で花押が書けない事ってあるかなと思い相煩いを怪我と解釈してるんだが俺の間違いかもしれん
0847人間七七四年
2016/08/02(火) 00:08:12.87ID:h26/kgwY0848人間七七四年
2016/08/02(火) 00:14:15.31ID:Gm4k6SZh0849人間七七四年
2016/08/02(火) 01:42:50.80ID:6EUTdxiH明治26年に帝国陸軍参謀本部が編纂した「関ヶ原の役」なんだよ
これを編纂した軍人たちがどこで拾ってきたのか知らないけど、島津はたんに逃げたのではなく家康の本陣めがけて突撃して敵中を突破した、
としたのでそれが通説になっちゃった
たぶんそれ以前(明治26年以前)はそんな通説は無かったものと思われる
0850人間七七四年
2016/08/02(火) 06:52:40.70ID:gwJWZ3Fi当時の直政は多忙を極めてただろうから、その期間の書状全体を点検しないとなんとも言えない
0851人間七七四年
2016/08/02(火) 07:08:27.00ID:Gm4k6SZh0853人間七七四年
2016/08/02(火) 08:02:09.04ID:gb2Kn7Uh武功だけでなく政治手腕もあった家臣がいなくなれば、家康も相当な打撃だろ
他言できないような変な病気か、家臣に殺されたか
0854人間七七四年
2016/08/02(火) 08:19:48.33ID:BAxUoWhD0856人間七七四年
2016/08/03(水) 09:27:59.47ID:WKBYcWM+胃癌で死んだ家康の死因が鯛の天ぷらの食あたり(それこそ
食べてから死ぬまで三ヶ月近くたっている)なんて俗説が
長い事まかり通ってた事考えると俗説の影響力って強いよな
0857人間七七四年
2016/08/03(水) 14:28:37.52ID:q22ObE635%も生還したのは自慢したくなるのも無理はないのでは
遅れて帰って来たのも含めれば20%近くは生きてたみたいだし
8割以上死んだのなら、壊滅もいいとこだけど
0858人間七七四年
2016/08/03(水) 14:53:28.59ID:K6RwFR340859人間七七四年
2016/08/03(水) 15:04:32.21ID:G2KrLLSS単なる潰走でしかない
0860人間七七四年
2016/08/03(水) 15:35:41.42ID:3jfZ35Ws0861人間七七四年
2016/08/03(水) 19:07:14.15ID:q22ObE63サバイバル映画を相手に、主人公は災害の解決になんの貢献もしてない凡人、
といった的外れなイチャモンを付けてるような事態、なんてことになってないの?
0862人間七七四年
2016/08/03(水) 21:47:41.51ID:y7Ulv6yTまた、島津義弘がせっかく夜襲を献策したのに石田三成が退けたために西軍は勝機を逃したとか、
この一件で義弘は三成に不信感を持ち、本戦で陣を動かなかったのだ、などと島津のヘタレぶりを正当化するエピソード多すぎ
0863人間七七四年
2016/08/03(水) 22:24:22.92ID:Z4UuSoQCむしろ死にすぎでしょ
戦国の死傷率としても異常に高い。
実際は帰路で脱落したのが大半なんじゃないか?
0864人間七七四年
2016/08/03(水) 22:24:42.90ID:5Wm/d61B0865人間七七四年
2016/08/03(水) 22:29:53.34ID:kUSXBEKuあれは主人公が島津豊久で物語冒頭が島津の退き口から始まる。
0866人間七七四年
2016/08/04(木) 11:41:03.93ID:nQqPrnnk宇喜多隊、石田隊、大谷隊といった、実際に闘った西軍部隊が次々と壊滅した結果、
島津隊の周辺は敵だらけになっただろうと考えられるが
当初の予定通りの退路が確保されていたとは思えん
敵に囲まれた状態からの脱出は、敵中突破以外の何物でもないわけだし
0867人間七七四年
2016/08/04(木) 12:22:31.69ID:lmXppFim「敵中突破」じゃなくて「敵中脱出」程度にすれば字面に惑わせられることもない
0869人間七七四年
2016/08/04(木) 13:01:07.51ID:4znxCl3b西軍総崩れで他隊が西に逃げてる状態で、東に向かってから南に抜けてるんだから
『敵中突破』でもいいだろ。島津は戦績をかなり盛ってたりはするけど、元の事実は
なにがしかあると認識してるけどね。
0870人間七七四年
2016/08/04(木) 14:07:38.86ID:sjJti4sg0871人間七七四年
2016/08/04(木) 14:14:50.80ID:4znxCl3b0872人間七七四年
2016/08/04(木) 14:44:07.91ID:lmXppFim0873人間七七四年
2016/08/04(木) 15:07:59.69ID:+aouY31g代わりになった家臣に感謝してもしきれんな
0874人間七七四年
2016/08/04(木) 18:35:06.67ID:GI4dXDqz0876人間七七四年
2016/08/04(木) 19:45:33.33ID:ALZGZDsc0877人間七七四年
2016/08/04(木) 20:03:37.92ID:fweiy8VD攻勢をかける側の作戦を示す「中央突破」と取り違えて
武勇伝にしてると言い掛かりつけてるだけだったりして…
>>876
徳川からの追及を和らげるため、
関ヶ原戦後になって島津家がでっちあげた言い訳だそうだ
0878人間七七四年
2016/08/04(木) 20:08:01.26ID:ALZGZDsc0880人間七七四年
2016/08/04(木) 23:50:43.78ID:ALZGZDsc史実は惨めな敗走ってことさ
0881人間七七四年
2016/08/05(金) 00:18:15.41ID:gFioVsk00882人間七七四年
2016/08/05(金) 00:51:18.65ID:SN1Zgc8h0883人間七七四年
2016/08/05(金) 08:04:41.34ID:EAO4xyyG伏見への在番という話は家康が下向する前からあった。
義弘は在番の為の軍勢を国元に求めたけど、いつまでも軍勢が来ず延び延びになっているうちに西軍が決起。
島津としては伏見在番か大坂在番でやり過ごしたかったが、どちらも実現しないウチに西軍にガッツリ組み込まれてしまったというのが真相。
伏見へ行きたがってたのは東軍に味方するつもりじゃなくて終戦するまで中立で居たかっただけという。
0884人間七七四年
2016/08/05(金) 08:25:54.24ID:mKDfudCC0885人間七七四年
2016/08/05(金) 20:13:03.09ID:pGK24o8N0886人間七七四年
2016/08/06(土) 06:12:12.71ID:cOF7Q+z2それ言ってたのは光成氏の「関ヶ原前夜」だろ。
あの本は着想は良かったけど、あちこち史料解釈に問題があるからなぁ
島津の積極参加もそれは無いと批判されてるし
0887人間七七四年
2016/08/06(土) 11:12:50.68ID:PJzDl3ey最初からノリノリという感じじゃないなぁ
0888人間七七四年
2016/08/06(土) 13:04:29.49ID:r5nmJvsk0889人間七七四年
2016/08/06(土) 13:15:37.78ID:vYuZ8Rrw宇喜多は楽天的なのか強がってるだけなのかよく分からん
0890人間七七四年
2016/08/06(土) 20:05:15.14ID:f8BE/adh関ヶ原本戦には間に合わなかったが、
そこまでの能動的な動きが
0891人間七七四年
2016/08/06(土) 20:55:09.23ID:rnfsZFTo0892人間七七四年
2016/08/06(土) 21:04:30.30ID:PJzDl3ey0893人間七七四年
2016/08/06(土) 21:43:11.07ID:1FQ+8vLa0894人間七七四年
2016/08/06(土) 22:13:18.94ID:BUXeDJN+0895人間七七四年
2016/08/06(土) 23:18:23.29ID:UVV1yMo3関ヶ原前も激務が祟ってか死にかけるほどの病気をしていたんだなこれが。
だから東海道ルートを進む外様部隊の指揮を直政が家康に代わりに引き受けていたが行けなくなり、
譜代と中山道ルートを行く筈だった忠勝が急遽、東海道ルートに加わる事になった
その後病が癒えたとする直政がそれを追って途中で合流した
腿の付け根に腫瘍のようなものが出来痛みもあったという記述もあり関ヶ原では万全とはいえない体調であった
関ヶ原翌日には佐和山攻め、その後も精力的に激務をこなしている
島津がどうのとか全く関係なく過労蓄積が祟った病死なんだろうな
0896人間七七四年
2016/08/06(土) 23:58:55.33ID:M7zk2NuF在番命じられた大名が島津だけってのもおかしいよな
そういった命令って幾つかの大名に出すもんじゃないのか
0897人間七七四年
2016/08/07(日) 01:22:43.28ID:rYuzneMOなども怪しいということかな
0898人間七七四年
2016/08/07(日) 01:27:35.93ID:dvuOuMc70899人間七七四年
2016/08/07(日) 01:54:27.26ID:3hXdwoxc0900人間七七四年
2016/08/07(日) 06:18:37.47ID:v2+tChaV0901人間七七四年
2016/08/07(日) 08:13:07.23ID:KlAk5gMj戦時に後方の城を1大名が預かるのはごく当たり前にあるよ。
小田原の時も、早川や吉川が、徳川の城にそれぞれ在番してるし。
0902人間七七四年
2016/08/07(日) 13:04:16.89ID:BaROxgyY過労が遠因で死んだ名のなる武将は他にもいるのか?
0903人間七七四年
2016/08/07(日) 13:20:59.14ID:oaURWor2秀吉もそうだし家康も現代では胃がんだったんじゃないかとされるが
鯛の天ぷらにあたったなんて言われて来た
0904人間七七四年
2016/08/07(日) 16:38:35.24ID:1tW8chkW潜伏期間が20日以内だとは知らなかったようだし、
間違って記載されてもそのままにされてた様子
0905人間七七四年
2016/08/07(日) 16:48:13.17ID:5DIA0RHM怪我もほったらかしにして政務に励んでいたから古傷から細菌が入って痛がった可能性もあり
それが直接の死因と勘違いされたとか
現代でも死因が特定されない人がなんてザラにいるしな
0906人間七七四年
2016/08/07(日) 17:07:22.78ID:KlAk5gMj0907人間七七四年
2016/08/07(日) 17:24:16.02ID:UKm+/Wieまあ義弘の間近に迫っていたというし
あの時にはね返った弾が腕にあたっていなければ義弘が討ち取られていた可能性が高いからな。
0908人間七七四年
2016/08/07(日) 20:43:35.16ID:ZfI1kSUQ0909人間七七四年
2016/08/07(日) 21:09:41.20ID:6WOgfvUz0911人間七七四年
2016/08/07(日) 22:51:08.24ID:SgLm6LH3島津奔るだったかな?
昔そんな記述みたような気がする
0912人間七七四年
2016/08/07(日) 23:00:05.32ID:HHM536Z5島津以外ほとんどクズ人間みたいな描写
0913人間七七四年
2016/08/07(日) 23:05:59.61ID:TMJquLBJ家康の関ヶ原後の天下普請等の政策が義弘から示唆されたものとか
馬鹿なんじゃないかと思ったな
たかが一地方の兄に相続者がいなかったから当主になれた程度の奴に
政権のナンバー2として政権運営に関わってきた家康が教えを請わなければならないんだ
0914人間七七四年
2016/08/08(月) 00:55:56.82ID:j2Dd4V9S0915人間七七四年
2016/08/08(月) 02:31:42.73ID:cMtaQK8jこれは島津家謹製のいわゆる軍記物です
軍記物というのは大名家が自家を誇るために編纂する武勇伝物語で、でっちあげ家系図なみに胡散臭いんですが、
明治になって陸軍参謀本部が編纂した『関ヶ原役』でこの敵中突破のエピソードが採用されて通説化したものと思われます
0917人間七七四年
2016/08/08(月) 05:58:06.41ID:+6K59JBB0918人間七七四年
2016/08/08(月) 06:51:23.46ID:+M6M0fZg0919人間七七四年
2016/08/08(月) 08:13:28.07ID:kHlftNnx0920人間七七四年
2016/08/08(月) 08:20:22.86ID:e/QCKHIE井伊家にとってもべつに目くじら立てるほどの話ではないような
病死より戦のキズで死んだほうが武士らしいし
0922人間七七四年
2016/08/08(月) 10:42:44.02ID:qA03O3xE当時の家康がそこまで太っていたって何か出典があるのかな
0924人間七七四年
2016/08/08(月) 12:28:22.92ID:S7+VUYTl司馬氏の表現は行き過ぎだが、かなりの肥満体だったのは事実。
家康の謁見を受けた外国人達が書き残してる。
0925人間七七四年
2016/08/08(月) 12:33:37.65ID:GPvlZpvJ減点ポイントでしかない
0926人間七七四年
2016/08/08(月) 13:22:12.08ID:H6U2lUvr『常山紀談』が収録したフィクションからの引用だろう
『常山紀談』では、秀吉がまだ聚楽第を拠点に政務を執っている時期に、
家康が褌を一人で締められないほど太っていたとする虚構話を載せている
実際の家康は、当時はまだ太り始めたばかりで、関ヶ原時点でも鎧を着用できている
極端に太ったのは駿府大御所時代であるが、
異なる時期の体格をごちゃ混ぜにした俗話が、幕末には出回っていたと考えられる
0927人間七七四年
2016/08/08(月) 20:58:01.17ID:xm0pvFao本当は史料すらない創作なのではとふと思った
0928人間七七四年
2016/08/08(月) 21:38:49.43ID:NwSij1fU1500人からたったの数十人にうちのめされ
味方を犠牲にしながらかなり追い詰められ自害すら考えながら敗走しているからな
0929人間七七四年
2016/08/09(火) 21:51:57.55ID:0K2mSbHe司馬は家康の能力は認めてるものの、大嫌いだから
海外貿易推進派の家康を海外貿易の有益さが分からない
田舎者扱いしたり、本当は美人で才能のある阿茶局を
醜女の性悪女にしたりしてるしな
0930人間七七四年
2016/08/09(火) 22:06:28.08ID:/C8bXIAo0931人間七七四年
2016/08/10(水) 05:24:27.57ID:ML318g60あまりに良く出来てるので、史実だと関違いするヤツがゾロゾロ出てきたのも仕方ない。
ドラマだの小説だのは、歴史好きへの入口になる事もあるから批判だけしても意味ないけどな。
0932人間七七四年
2016/08/10(水) 05:25:34.64ID:pYLzNfs6貿易や阿茶局の件にしても意図的なのか単なる無知なのかわからんが、
作家なのに歴史家みたいな肩書き持たせて司馬史観とか持ち上げたマスコミの罪は重い、特に朝日毎日とNHK
その司馬の「関ヶ原」が映画化するそうな、三成は軍師官兵衛w
主演ジャニなら三成ageは間違いない
0933人間七七四年
2016/08/10(水) 17:15:55.35ID:CAknqzRT江戸時代初期に書かれた茶道四祖伝書という書物には千利休が京の法華寺に立ち寄った際、
小坊主から温度の異なる茶を三杯差し出してきた気配りに感心し、その小坊主を弟子にしたという
逸話が記されていた
石田三成の三献茶の話が載っている武将感状記は江戸時代中期に書かれたものなので
この三成の逸話は千利休の話を参考にして作ったのではないかと疑ってしまう
0934人間七七四年
2016/08/10(水) 17:40:04.77ID:LPaduY5P0936人間七七四年
2016/08/10(水) 18:04:04.93ID:2KFR0JqS長浜だかに秀吉に小坊主の三成が茶を献じる三献茶をモチーフとした銅像を建てちゃいましたねw
とすると、寺の小坊主を秀吉が家臣にしたという話も信憑性があやしいのかな
0939人間七七四年
2016/08/10(水) 18:15:41.04ID:XHeyjSDp0940人間七七四年
2016/08/10(水) 18:23:06.15ID:CAknqzRT戦国のちょっといい話のスレでは2年前にこの逸話が投稿されている
まとめサイトの方で「茶の道では点前よりもこういう心配りが肝要なのである」のタイトルで
千利休のこの話が残されているから、今でも確認可能だ
0941人間七七四年
2016/08/10(水) 18:45:07.41ID:XHeyjSDpありがとう確認してみる
三成の三献茶の逸話が他人のものだったというのが証明されたようなものだね
0942人間七七四年
2016/08/10(水) 18:57:54.70ID:nY5G/MYX0944人間七七四年
2016/08/11(木) 13:15:18.37ID:seUSbx9n直江。。。政宗の小判を穢れたものだと暴言。政宗とすれ違っても挨拶せずとがめられたら逆ギレ
似たもの同士というか確かに気が合うはずだと感心する
友人は自分を映す鏡ってやつだなw
0945人間七七四年
2016/08/11(木) 13:55:55.07ID:Si9qvLiw普段から特に目上に対する礼儀がまるでなってなかったんだろうな
そんなのが三献茶なんて気が回せるわけが無い
0946人間七七四年
2016/08/11(木) 14:05:46.61ID:n+tpfWIn忠興が礼儀がなってなくて嫌ってたのは清正の方で
肥後の民まで上下の作法がなってないとか色々言ってる
0947人間七七四年
2016/08/11(木) 14:13:22.83ID:VLyuYKmX0948人間七七四年
2016/08/11(木) 14:39:59.99ID:4TuW+MYG0950人間七七四年
2016/08/11(木) 22:11:16.83ID:BNCzwPF50951人間七七四年
2016/08/12(金) 00:17:56.63ID:YBTLVz2q忠興さんの手紙って誰かの悪口書いてる時イキイキしてるよな…
清正の他には政宗の狐憑き呼ばわりとかも有名
0952人間七七四年
2016/08/12(金) 05:51:54.25ID:dLMVhjyv狐憑きの件は悪口かどうかビミョーだが、政宗の起こした騒動は良く書かれてるな。
一番楽しそうなのは黒田長政の悪口を書いてるときかも知れん。
0953人間七七四年
2016/08/12(金) 06:21:41.85ID:ePoLCprA随分後の時代(加藤家改易後の手紙)の三斎様の悪口手紙ネタ持ってきたな
それでも年貢関係で揉めた関ヶ原後の黒田家に対する程では無い
清正から贈られた手水鉢(高桐院に現存)を大事にしてるようだし
個人として嫌っていたとしても七将襲撃やら関ヶ原で
忠興と清正は協調行動を取ってるわけで
結局敵対・協調関係を左右するのは個人の好き嫌い<利害関係なんだろ
利害が対立した結果として「嫌われる」のは仕方ない
0954人間七七四年
2016/08/16(火) 07:57:13.92ID:nInSCuq+お茶についてそれほど知ってるわけじゃないけど
煎茶は一応あったみたいだけど、この頃のお茶って
基本抹茶じゃないの?
白湯ならまだしも、お寺に急に立ち寄ったお客に対して
そんな手軽に出せるものなの?
0955人間七七四年
2016/08/16(火) 10:42:48.10ID:bDGOMXwE抹茶ってかき混ぜるだけじゃないの
0956人間七七四年
2016/08/16(火) 10:48:23.53ID:UgoY3j9s熱湯で作らないと味がでないべ?
0957人間七七四年
2016/08/16(火) 11:19:16.42ID:UVcU+4ke三献茶の話は二杯目三杯目となっていくにつれて温度が上がって量が減ってくみたいだし
0958人間七七四年
2016/08/16(火) 11:22:28.16ID:WAUugR3Xカーチャンが裏千家茶道やってて
饅頭とか食べた後にささっと抹茶立てて
口直ししてるぞい
葉から抹茶に加工するならともかく
抹茶段階で備蓄されてるなら今のインスタントコーヒーみたいな
扱いだったのでは?
0959人間七七四年
2016/08/16(火) 11:46:52.51ID:xy/vVlvQ甜茶は抹茶の原料だから原料取り寄せて抹茶を自作してたんだね
0960人間七七四年
2016/08/17(水) 11:27:42.01ID:lq7umnPf江戸期に作られた物がほとんど
0961人間七七四年
2016/08/17(水) 19:03:30.35ID:os2OEfz80962人間七七四年
2016/08/18(木) 00:24:12.12ID:6yz18nlU香りの問題もあるしあらかじめ用意してあるものなのかどうかね
0963人間七七四年
2016/08/19(金) 01:48:45.27ID:86xXBSDD0964人間七七四年
2016/08/19(金) 04:09:54.09ID:bVd8cuHp0965人間七七四年
2016/08/19(金) 07:08:00.40ID:wvQVe5vd0966人間七七四年
2016/08/19(金) 08:59:21.66ID:xSZTd/pE0967人間七七四年
2016/08/19(金) 18:12:17.58ID:yn05wFl50968人間七七四年
2016/08/19(金) 18:38:16.61ID:GkEcuAEm0969人間七七四年
2016/08/19(金) 18:55:51.75ID:5eagWLho0971人間七七四年
2016/08/19(金) 21:11:48.84ID:+7CNqKxmいつの間にか三成と吉継の話になってるんだっけ
0972人間七七四年
2016/08/19(金) 21:27:43.31ID:s9brXkAn0973人間七七四年
2016/08/20(土) 05:18:00.57ID:gGzGEqte0974人間七七四年
2016/08/20(土) 12:58:37.33ID:C4o2gcsH「気配りができなくて」人望を集められずに破滅したってのもたいがいだけど
幼少時に石合戦を見て「数が少ない方が勝つ」と見事的中させ
その神童ぶりを発揮した家康が、晩年大坂の陣で大坂方を寡兵と侮り
危うく不覚を取るところだった家康もなんだかなあではある。
これらのエピソードを伝記に盛り込む意味はあるのか?
どうせなら孕石との確執なんかを採用すればいいと思うのだが
日本人はそういう話基本嫌いなんでしょうな。
小公女もアニメで変なふうに改変されたし。
0975人間七七四年
2016/08/20(土) 13:23:24.69ID:C4o2gcsHそれ採用しちゃうとくどいというか冗長な感じになってしまうので
避けてるってのもあるか。
すべては編纂者の都合だな。
0976人間七七四年
2016/08/25(木) 10:59:49.90ID:rPvz/Bn/0977人間七七四年
2016/08/25(木) 12:30:07.43ID:aHvsziYT・武田ぁ、攻めでの御折檻
・徳川様接待不首尾のお怒り
・近江坂本、丹波領地を召しあげ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰
・また、丹波で、足の不自由な母を、見殺しにされた仕打ち、など!語り尽くせぬ恨みあれども、ゴダビの戦、けして、わたくし心に非ず
天下国家のため、織田、信長の首を取ることこそ、天の道
0978人間七七四年
2016/08/25(木) 19:41:25.09ID:vKLmPhzi「これは武田攻めでの御折檻の恨み〜」ボコッ!
「これは徳川様接待不首尾のお怒りへの恨み〜」ボコッ!
「これは母を見殺しにされた恨み〜」ボコッ!
・
・
とかいちいち喚きながら殴ればよかったのに・・
0979人間七七四年
2016/08/26(金) 15:23:23.33ID:BEmAEnkO0980人間七七四年
2016/08/27(土) 13:38:18.76ID:Is2me+F6若いころから残虐だった。
豊臣家が滅んだのは必然。
・楠家嫡男嬲殺し
→織田家の伊勢攻めに抵抗した伊勢楠家の嫡男を岐阜で嬲殺しにした。楠木正成の男子系子孫滅亡。
・万福丸串刺し
→浅井長政の嫡男を関が原で串刺しにして殺す。お尻の穴から杭を差し込み、口まで貫通させる惨い殺し方。
・秀次一族虐殺
→血を分けた甥の妻子を虐殺。甥の生首を置き、その前で妻子を惨殺。まともに埋葬もせず、穴を掘って埋めて「畜生塚」とした。
たまたま天下を取ったので、人たらしとかの物語が創作されただけ。
意図的に本人とは逆の明るく、人懐こい、誰からも好かれるような性格として創作された。
0981人間七七四年
2016/08/27(土) 15:48:01.39ID:i7Xh6guG0982人間七七四年
2016/08/28(日) 08:45:50.13ID:tqmR5sDi0983人間七七四年
2016/08/28(日) 16:45:52.44ID:qAXla801ところで次スレは?
0985人間七七四年
2016/08/31(水) 16:10:29.49ID:4LGUqGSJ0986人間七七四年
2016/08/31(水) 16:25:54.97ID:kyzDcDzs多くの歴史的な資料を引用しているが
自己中心的な解釈があまりにも多すぎる
0987人間七七四年
2016/08/31(水) 16:36:42.21ID:tBztIUUc伝記でさえないんだよ
0988人間七七四年
2016/08/31(水) 17:00:37.54ID:Itx90Hytだけどだんだん存在が大きくなって、司馬史観なるものが出てきたから厄介なわけで
作家風情がテレビに出たり番組持ったりして小説の延長で歴史を語ったのは罪、それに乗ったのがNHKというのも厄介に拍車かけた
今でも作家という肩書きで○○の真実(嘘)と言い出す連中が立たないのは司馬が切り開いたせい
0989人間七七四年
2016/08/31(水) 17:02:29.21ID:ZiHhzPMV0990人間七七四年
2016/08/31(水) 17:05:50.05ID:GiDqFRXk今後は、史料的に矛盾のない範囲内で、いかに突飛な説を繰り出せるかが勝負、
みたいになっていくんじゃないのかな豊臣秀次潔白自害説が盛り上がってるとこ見ると
0991人間七七四年
2016/08/31(水) 17:09:16.18ID:J082zMAkただコラムとかでさんざん創作を史実だと紹介してるから司馬自体が無罪なわけない
0992人間七七四年
2016/08/31(水) 17:23:47.33ID:4LGUqGSJ0994人間七七四年
2016/08/31(水) 18:07:35.10ID:mCmZN+SZ0995人間七七四年
2016/08/31(水) 18:38:43.83ID:Itx90Hythttp://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1472636283/
立てられた。
0996人間七七四年
2016/08/31(水) 18:51:54.41ID:J082zMAk0998人間七七四年
2016/08/31(水) 18:54:26.50ID:4LGUqGSJ0999人間七七四年
2016/08/31(水) 18:54:47.12ID:Itx90Hyt1000人間七七四年
2016/08/31(水) 18:56:01.08ID:4LGUqGSJ10011001
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/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
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i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
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/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
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life time: 170日 20時間 50分 40秒
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