>信長の一門が何故信長を殺した明智を討とうととしないのか、不明なのかよ。

当たり前だろ。
信長から恩を受けたり信長と血縁や縁者つながりで特段恨みもない人間が
信長を殺した光秀に味方するわけがない
織田家で信長に重用され、特段恨みもなく、仕える身分が織田家に反逆行為を行った光秀を討伐しない理由がない。

> 烏合の衆が集まっても、統率性も無けりゃ士気も上がらないので、軍として機能せず。

烏合の衆は明智の方だろ
フロイスの日本史にも明智方は高山右近が1000の兵とともに門を開き明智を目指して突撃し
高山と併進してきた羽柴方の二将が到着すると明智は戦意喪失し 背を向けて退却しだしたと書いてる。
その後明智は勝竜寺城に戦う事なく敗走し その後こっそり夜をしのんで坂本に帰る途中に殺されたと書いていて
山麹闕戦自体がなbゥったとされてb驕B 最初から末セ智軍は戦意0bナ崩壊状態だっbスようだな。

> 筒井は秀吉が早期に東上してなきゃ、明智に合流するしか選択肢はゼロ。

信孝や信張や信雄や信包や蜂谷や丹羽などの反明智で確定してる一門や縁者の軍に加わり
明智討伐するというまっとうな選択肢がある。

> 池田が信長を殺した織田家の敵である光秀を打った秀吉を選ぶのは、至極自然じゃねーよ。

池田は信長の乳母兄弟
織田家で重用され信長に恩を受けていた。
明智はその恩人であり主君信長を殺した敵
その敵を殺した秀吉は敵を討った恩人
だから池田は秀吉につくのは至極当たり前

天正十年十月付けで恒興が摂津塚口神家に下した禁制と
同年十月十八日付けで同所に秀吉が下した禁制(興正寺文書)から
恒興と秀吉の権力の差が推し計れる。摂津塚口とは恒興が清洲会議で得た新領であり、
恒興の領分にまで秀吉が介入している有様がわかる。
秀吉は清洲会議から数ヶ月後の10/22時点で5畿内の配下の悉くから人質を徴収してるし
清洲会議時点でも丹羽への叱責の意を表す書状を書いたり池田の領分にまで介入してる始末。

大阪築城の際にも、池田はとっくに秀吉の命令で摂津を奪われて土田舎の美濃まで転封させられてる

天正12年3/20秀吉書状で秀吉は池田を池勝入と呼び捨てにして其の方と完全に上から目線で書いている
また犬山へ留守居を堅固に申し付け森を同行して池尻に来るように指示をだし「置目」のごとく
城城へいれる留守居は秀吉の方から申し付ける事を指示を出すというように完全に縦の関係が読み取れる

>当時の誰もが、池田が過分な褒賞に釣られて、信雄方では無く羽柴方に入ったのを驚いている。

池田が過分な恩賞につられたとか
みなが驚いたとか講談にすらない妄言乙