愛知県史資料編より

天正10年11/1秀吉→石川数正書状 真田宝物館所蔵文書

柴田勝家が織田信孝と図って謀反を企てている
丹羽・池田と自分で申し合わせて信雄を御代にたてる
五機内の主要な武将から人質を残さず取った
江州衆も人質を全く残さず出した
毛利輝元とは暇なくもうし合わせている

12/16 秀吉→高木

西美濃衆が大垣城へ出頭し人質を出したことを報じ
高木親子にも同様の行動をとることを勧告してる

12/18秀吉→宇喜多
織田信孝が和睦を申し出て
柴田勝豊は人質にだし近江の横山城には秀長を入れた。
稲葉親子と西美濃衆から人質を受け取ったことを伝えている